はてなキーワード: 義実家とは
自分も義実家とか嫌だけど旦那が自分の実家に来なくても何にも思わないけどな…。
トラバとかブコメの通り、嫁は色々やらされるから嫌だっていうのはわりとその通りだけど、自分の実家に来ないことに怒る方がよくわからん。
2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京のホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。
子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンのポスターがこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。
「どこ行くの?」
「3日からじゃなかったっけ」
「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」
「そう」
しばらくするとまた父が来る。
「そう…」
父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。
ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。
私はベッドに座って、ポーチに化粧水を詰めているところだった。
「なんで?」
悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。
「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」
正座した上半身をゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。
「いや、別に……」
「教えてください。私があなたが子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」
正座でゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。
これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。
「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」
「ネガティブなことってなに? 教えてよ」
「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」
母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ。
***
母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。
煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。
文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母やご近所さん、芸能人を悪く言うときも一緒だ。
子どもの頃は、これに必死に賛同していた。賛同したほうが、家庭内は平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧に対応できるのが、誇らしかった。
母の文句が合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。
20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。
母は自分にも、ネガティブな言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。
私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。
母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。
そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。
「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。
最近は、夫や弟夫婦と帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。
弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。
彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。
そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。
それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。
12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。
31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。
こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のときは自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間のときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。
今回は急遽海外への引っ越しのスケジュールがずれこんで、直前に長く実家に滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。
「ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。
年末に駆け抜けた引っ越しや渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族の緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。
私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人の自分に戻っていた。
①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。
②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。
③母の愚痴をニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。
もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。
③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。
***
修羅場に戻る。
「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通の言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」
母は一人で話しつづけている。
たしかに、そうなのかもしれない、と思う。
「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」
こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。
私から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。
虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験の領域ではあるけれど。
ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分の人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。
その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。
「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」
「まぁ、それはそう」
弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。
「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」
「こういうふうになるってわかってるから、おかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」
「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」
父がとぼけて言う。
ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。
だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中でDVだったときのこと、忘れたの?
と本当の私は言いたかった。
宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダのガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。
部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。
日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。
でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。
今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。
ある一定の期間だけだった気がするので、仕事でストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。
そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。
「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」
楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。
「あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」
母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。
たしかに、15歳のモードで言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。
「被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」
「被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか。自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか。
プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。
節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生が子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。
どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。
母にも辛くあたった塾の先生や祖母を黙らせた私の全国模試の順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。
母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。
「過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから」
「本当に行くのね?」
「うん」
これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも、行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月に実家の家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。
海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日だからと義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月の風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。
今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。
私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分が実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。
「私はお正月は家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」
母が地元に娘が残って、べったり子育てもサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。
それが嫌だから、上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月、誕生日と、GWかお盆は帰省した。旅行もした。
でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。
「もう何十年も、十分やってきたでしょ」
そう言うと、母は静かになって、去っていった。
私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。
母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。
それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋のカオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。
母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。
母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。
娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。
10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。
私だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。
誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。
こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。
それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。
脱出した私は、その夜、東京の銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。
——-
けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。
まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。
迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html
もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分で選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。
30すぎのお互い自営業、自分自営業で年間所得700万、妻も自営で年間所得400万、妻母60歳パート多分年収300万円です。
池袋から電車で20分以内、駅徒歩10分以内で3人で暮らそうってなったらどういった住まいがいいのか悩んでいます。
子どもは3年以内にひとり授かれればいいなと思っている次第で避妊は来年内にやめます。
妻父は10年前に亡くなっていて、妻母は小型犬と一緒に妻母の父から買ってもらった分譲マンションで暮らしています。
私たちは駅から結構歩く12万の1LDKに住んでいて、生活費家賃合わせて18万で暮らせる質素な夫婦です。
駅近にしようとしているのは妻母は胃がんで一部切除しているのと、骨粗鬆症で
大人2名、老人1名、やがて子1名、犬一匹(もう老犬だけど、多分この子が亡くなっても新しく飼うと思うので)で一緒に暮らしていくなら増田のみなさんならどうするか教えてください。
フルタイム賃労働と家事こなすだけで精神的なキャパが無くなる。
MPが全消費されて、残りがネトフリ見る分しか残らないような感じ。
共働き世帯の女性って、これに育児が加わってるわけで、本気でとんでもねえ体力と精神力だなと思う。
その体力と精神力が足りてなくて、ネグレクトとか虐待とかしてしまう場合もあるわけで。
義実家との付き合いとか、配偶者としての役割を果たすのとかで、MPマイナスになって死んじゃいそう。
私は入眠困難を抱えているから、同居人のたてる騒音とか生活リズムの違いなどで、睡眠不足で狂いそうな気がする。
あと同居していない状態で恋人と付き合うことなら何人か経験があるけど、負担だった。
恋人としての役割を果たすのが負担なばかりで楽しめなかった。ダブルベッドで一緒に寝ると、相手のたてる音や振動で入眠失敗するし。
アセクシャルだと断言できるほど確定的ではないけど、おそらく平均より性欲は弱めで、恋愛に期待するものも無いほうなのだと思う。
こんな人と付き合いたいとか、恋人にはこれをしてほしいとかが、思い浮かばない。ただ「付き合いたくない人」と「されたくないこと」があるだけ。
楽しさや快楽がさほどないのに、相手の期待にだけは応えなければ、それはもはや恋人とは言えない…っていう負担感とか、
相手の恋愛への期待項目が多かったり、期待外れっぽい反応をされることに対する「面倒くささ」ばかりを強く感じてしまう。
フルタイム賃労働と家事は、とりあえず働いただけ報酬が得られる感覚があるのだけど(賃金とか家事の成果とか)、
恋人との関係や家族を形成するとかは無理。報酬が人間関係そのものであるとき、それを大きな価値ある報酬だと感じられない時点で向いてないんだろうな。
何年か前の話だが、結婚した女性が発達障害(アスペルガー症候群診断済)で、あまりにシンドくて死にかけたことがある。キツかったことをつらつらと書いてみる。
元妻は人付き合いが下手で、ほとんど友人がいなかった。一時的にどこかのコミュニティに所属することはあっても、そこから離れると人間関係を丸ごとリセットしてしまう。当然職場でも上手くやれず、仕事(バイト)をはじめては嫌になってやめるを延々と繰り返す。その間の生活費は全部俺持ち。
仕事を勝手にやめたあと、最短で3ヶ月、最長で2年休み続ける。「いつまでに就職する」という約束をしても平気で破り、履歴書一枚書かない。
共感能力がゼロなので、こちらの仕事がしんどい際などに話をしても改善点ばかり(それも実現性の低い正論ばかり)提案される。「アドバイスはいらないから話を聞いてくれるだけでいい」と言っているのにアドバイスをしてくる。
潔癖症なので家の中は異様にピカピカだが、料理が全くできない。結局フルタイムで働いていた俺が遅くに帰ってきてから作る羽目になる。作ってくれというとスーパーで惣菜を買ってくる(しかも唐揚げばかりとか極端なものばかり。バランスなどを考えられないので、全部指示をする必要がある)。
突然「声優になる」と言い出し、専門学校に通いはじめる。貯金など一文も貯めていないので、当然俺が払うことになる。払わないとキレ散らかされるし、このころには俺のメンタルもかなりやられていたので、言われるがままに払わされる。
卒業してポツポツとアルバイト未満みたいな声優の仕事をはじめていたが「人間関係が嫌になった」と声優を引退する。
生活費を渡していたのに勝手に家の金を使い込み、趣味のものを買う。キャッシュカードを取り上げると勝手にクレカでローンをこさえてくる。
離婚を提案してから6年くらい散々ゴネにゴネられて、ようやく家から追い出して離婚ができた。義実家は当然毒なので離婚調停も大変だったのだが、これは思い出すのも嫌なので省略。あとは暴言や家事ハラ、DVなど色々あったのだが割愛。
俺の一方的な証言なのでさっぴいて聞いてほしいが、俺にとって発達障害の女との結婚生活は地獄であり、何度か本当に首をくくろうとしたこともある。俺が死んでいても元嫁はなんら自省せず、なぜ死んだのかも理解できなかった可能性があるため、無駄死にしなくてよかったというところだ。
前妻との結婚生活は、自分の子でもないニートをひとり養っているだけという感じで、消耗するだけの何の意味もない時間だった。俺は発達障害については、本を何冊か読んだ程度には「理解」はしていたが、だからといってこのような生活を引き受けられるほどの度量はなかった。世間で言われている「理解のある彼くん」は、理解力以外にも鈍感力・経済力・暴力?など何らかのパワーの持ち主だと推察しているので、今後研究が進むことを祈る。また発達障害にも当然重い軽いはあるだろう。
いまは独身で、もう結婚はこりごりなので登山サークルと近所の雀荘、スナック、教会などに参加して擬似的なファミリーを育てている。このままあと40年くらい好きな人々に囲まれて楽しく生きるつもりだ。
両親から与えられた資質と環境から考えられる、ごく普通の幸せな人生を実現してきた。
地方都市に生まれ地元の公立小中高を卒業し、親元から若干離れた駅弁大学を出て東京で就職した。20代後半には伴侶となる異性と出会い30前に結婚、そこから5年の間に2人の子を授かった。共働きでの育児は大変ではあったが、夫婦それぞれにおおよそ年代別平均程度の年収があること、義実家が近く手厚いサポートを受けられることなどを活かして生活を組み立ててきた。子どもらは突出した資質こそ持ち合わせている様子はないが、健やかに朗らかに育っている。今後の教育費や老後の資金についても結婚時から続けている貯蓄と運用で十分まかなえる見込みだ。
偏差値50の幸せ、と自負していた。私にとってだけでなく家族にとっても、おそらくはそうだろう。代々受け継がれてきた幸せのバトンを、次の代にも受け渡しつつある。
だがもうだめだ。
20代中頃から発症していた鬱病が年々悪化し、今年自殺未遂を犯すまでになった。入退院を繰り返して心をすり減らし、ついに治療のための努力はおろか生活すべてに対するモチベーションを失ってしまった。もう何もできない。何も考えられない。次の自殺にむけてAmazonで買った首吊りロープはまだダンボールの中にあるし、もやい結びは動画を見ても理解できない。会社への休職手続きは途中で止まっている。社会のどことも関われず無気力に一日中布団で過ごす私は、配偶者から見るともはや子どもの教育に悪い存在らしい。家族と会話する気力もなく、ひきこもりのような生活になっていった。一人でいる時間、何を考えているのか自分でも整理がつかない。生きたいのか死にたいのかの選択、どのようにその選択を実現していくのか、支離滅裂に考えが錯綜している。
今、いつもより少しだけ頭が冴えているのでこの文章を書き殴った。合理的に考えれば生きるにせよ死ぬにせよ他にやることはある。ただ、少しだけ誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。
別に「兄が弱者男性」「増田が弱者男性」という話ではないだろう?
「弱者男性」を名乗る人の一部が持っているように見える怒り(の枠組み)が分かる、っていうような話じゃないのか?
憶測だが、「女はイージーモード」って主張(増田がそれを信じているとは書いてない)が出てるのは、
増田にとっては、急に増えた兄嫁に意識が向いたからってのがあるんじゃないだろうか。
兄と兄嫁を比べれば、ニート暮らしのしやすさという点では、兄嫁以上に兄がイージーモードなんじゃないかと思える。
配偶者選びのときに、兄嫁はニート生活をさせてくれる義実家か配偶者を選ぶ必要があるかもしれないが、兄は実家が二人分させてくれる。
だが、兄の実家の人間の立場を想像すると、兄は昔からいるし家族で情があるかもしれないのに対し、
兄がネットで知り合ったという兄嫁は、急に増えたイージー生活の他人。
妻は結婚してから数カ月後にいきなり何の相談も無く仕事を辞めた。
「人間関係などのストレス」が理由らしいが、以降はロクに転職活動する事無く無職。
元々家事は得意じゃないとの事で、一日中ネット見たりゲームしてたり遊びにいったり。
朝家を出て、夜帰ると家はぐちゃぐちゃで、ゲームしてた妻に「ご飯まだ!?帰り遅い!!」と怒鳴られる事もあった。
結局家事の大半は俺がしている。
離婚になるかもと思っていたら、長男の妊娠が発覚。その2年後に長女も産まれた。
妻は相変わらず家事はロクにやらないけど、育児には熱心な様に見えた。
が、先に産まれた長男よりも明らかに長女にかまっている、手をかけているのは分かった。
「女の子は手がかかるもの!」「でも男なら多少雑でも生きてけるでしょ?」と言われた。
確かにそういう所もあるが、同じことをしても長男には怒るが長女には怒らない、そういう場面もしばしばあって
その度に注意はしていたが改善される事は無かった。
こっちも仕事が多忙になり家事にも追われ、余裕が無かったのもあって、深追い出来なかったのを非常に反省している。
コロナ前から、妻はやたらとネットフェミの様な言動が増えていった。
男児脳がどうだの、男は仕事ばかりしてれば楽で良いだの、女性は社会で抑圧されてるだの、何だの。
じゃあお前が仕事して少しは家計楽にして欲しい、家事は今まで通り俺がやるから、と言ったら
「なんでそんな酷い事を言うの!?」ってギャーギャー泣き出すから話にならない。
次の日には忘れて「家事に無理解な夫を賢い妻がやり込める話」とか「オタクの性欲により搾取されてどうこう」
と言ったネット記事や動画を、仕事と家事で疲れてる俺に見せてきてうんざりさせられ、また喧嘩になる事もあった。
それでも子供の為、俺にとっては駄目な妻でも子供にとっては良い母なのだろう……と思って我慢してたんだけど
ある時、夜勤があって早朝帰宅、コロナで欠勤もあってその日の準夜勤(16時には出社)もあって、
せめて昼までは寝かせてくれっていって、とりあえず前日の皿洗い(妻は食洗機にもロクに入れないし入れても回し忘れ多い)
早朝と昼食作りと洗濯機回しといった最低限の家事だけやって寝たんだ。
でもトイレで11時頃に目が覚めて、部屋を出ると、座椅子に座って本を読んでいた長男(どちらかと言えば大人しい性格)がいて、
そこに元気に走り回っている長女(活発な性格)と、二人の奥側にはスマホ弄ってる妻がいた。
声をかけようとしたら、長女が目測を誤ったのか思い切り長男にぶつかったんだよね。
長女はひっくり返って「うえーん!」って泣き叫び出すし、長女も当たり所が痛かったのか横に倒れて「痛いよ~」って泣き始めた。
とりあえず長女と長男を落ち着かせなきゃって思って向かったら、近くにいた妻が走り寄って……思いっきり長男の腹を蹴り飛ばした。
長男は更に泣き出して、そんな長男の顔を更に叩いて「お前が悪いんだろ!ビービー泣くんじゃないオスガキうっせーんだよ!○○(長女)に謝れ!」って
怒鳴り散らしててさ……それで俺が余りのことに呆然としているのを見つけて、妻は驚いた顔した後に
「いや、これは違うの、□□(長男)が悪い事したから!」って言い訳。
俺はさっき起きて全部見てた、あれは無いだろどういう事だ、あれじゃ虐待じゃないか!って怒り、妻もしつけしてるだけ!
男が妻の育児に口出すな!って喧嘩になり、妻は怒って長女だけを連れて家を出て行ってしまった。
長男をなだめながら、「ママは普段あんな風に怒るのか?」って聞くと、泣くのが落ち着いた頃に、「うん…」とうなずいていた……
以前からも「ママは○○にだけ優しい」とか言ってて、その時は妻も必死で否定して「今日怒ったからスネてるのよw」とか笑ってて
俺も疑問には思ったけどその場を見ていないから何とも言えず、って事があったけど、疑惑は確信に変わってしまった。
その日は急遽、兄妻さんに事情話して来てもらって面倒を見てもらった。
仕事中に義父から電話があり、今後の事で話し合いしたいと言われた。
仕事終わって、長男をそのまま兄宅に泊まらせて貰ってから、義実家に行って話し合い。
妻は憮然とした感じでスマホを弄っており、義両親は怒っているのかと思ったら逆にこちらに平謝りだった。
何でも、以前から義母曰く「身勝手な」「○○君(俺)にそれは失礼では?(負担かけ過ぎでは?)」と思う様な事を愚痴として
義母には吐いており、その度に注意はしていたけど効果が無く、そして今回離婚前提で帰ってきて、俺と喧嘩した経緯と
慰謝料と今の家は貰って名義はそのままでローンはずっと俺支払いで養育費を毎月20万貰って暮らしていく~
という今後の予定を聞かされ、完全に俺では無く妻に非がある、って俺の話を聞く前に痛感したらしい。
俺自身も今までの事もありもう結婚生活は無理だな、って思って離婚はしたい、と告げた。
義両親も離婚はやむなしって感じだった。
妻はその間も「それは違う」「あんたら○○(俺)に甘すぎ!」とか毒づいてきて、その度に義両親に怒られて
さすがにこちらも頭に来たし、義母もスマホは止めなさい!って取り上げてこちらに渡してきた。
画面見たら、SNSで色々言ってる所だった。
こんな時にもSNSかよ……って思ったが、アカウント名で後で調べてみると、もうここに書くのも嫌になる事ばかり書き込んでいた。
妻の中では、俺は家事をしないDV夫で、大人しくて頭も良い長男は躾がなってないしアスペ義両親(自分の両親)に似たクソオスガキで
嘘をついてまで長男と俺と両親まで貶めて、SNS友達と家族や男の悪口言ってて、本当に典型的なネットフェミって感じだった。
さすがにその晩は吐き気がして眠れず、本当に辛かった。
そして親権の話し合い。
弁護士を挟んでやり合っているが、親権は正直難しいと思っていた。
でも長男をあの女の元に置いておくのは絶対に良くないと思い、せめて長男の親権だけはこちらにして欲しいと主張した。
意外な事に義両親も賛成で、それどころか親権も俺にしてあの子(妻)は我々が責任とって引き取るから、ってスタンスだった。
やはり強固に両方の親権を主張しているのは妻だった。
妻は義実家でとりあえず暮らし、義両親と子供と5人でやり直す、と言っていたが、義両親はそんなつもりは無い、
こちらを頼って俺から親権を奪うぐらいなら義実家など追い出す、と言って、実際に妻は義実家を追い出されたらしい。
そして俺に今は妻なんだから養う義務がある!って婚費を請求されている。
(それは払わなければいけないらしく、腹立たしいが仕方が無い)
子供達は、兄夫妻、両親(遠方から来て貰ってる)、シッターを駆使して何とかケアと育児に努めている。
お礼や交通費、シッターの費用、婚費もあり、正直経済的に辛い、が子供の為なら仕方無いと思っている。
シンママ家庭への保障は厚いし母親の権利は強いので正直勝ち目は薄いですって。
もう初めから親権は諦めて、義両親の元で育って貰った方が、まだ子供達にとってはマシな生活だったのかもしれない。
俺が長男を心配して、せめて長男の親権を(できれば二人とも)と主張したせいで、親権があちらにいったら、より苦しい生活を二人にさせる事になってしまう。
自分達を見ずに、ネットの「素晴らしい考えの人達」「敵である男達」「迷惑なオスガキ共」しか見ない妻の元に子供を置いたら、絶対に悪影響を及ぼすと思うのに。
そんな言動は親権には関係無い、継続的な虐待は今の所確認出来ていないから、というのが司法の判断なんだとか。
本当にどうしたら良かったのだろう?初めから全て諦めれば良かったのか。
どうりで授乳も平気で見にくるし、風呂の様子も見てきてにやにやするわけだ。
上記に関して一応許可はとってきたけど、許可取ればいいって問題じゃなくて、あー私は結局孫を産んだだけの嫁としか見られてないって。
退院後すぐのやむを得ない外出時には、我先にと子を抱っこするし、産後すぐの骨盤ぐらぐらの私はその間立ちっぱなしだし、15分くらいの検査室はずっとにやにやしながら覗いてきた。気持ち悪くて耐えられなくて早く帰ってくださいって言ったら私の態度と言葉がショックだったって泣かれた。こっちが子を盗られたみたいで泣きたいわ。
産後1ヶ月経たないうちには、自宅で義母がずっと子を抱っこしてるので仕方なく家事をやり始めたら、しんどくないの?私がそれくらいの時期は子どもの世話だけで身の回りのことは自分の実母に全部やってもらってたけどそれでもしんどかったと言ってきた。
いや、時代は変われどまだ子宮も戻りきってない風呂にも入れない24時間体制で睡眠不足で子ども見てる何十年前の産後1ヶ月のあなたと何ら変わりないんだけども?しんどいんだけど??何でしんどいって事まで想像がつくのに抱っこはやめないの???
何かもう言い返したりまた泣かれたくなくて家事好きなんですよとかテキトーなこと言って我慢した。
お宮参りも場所指定、旦那の母親が祈祷中抱っこする、衣装はこちらで用意するとか、うちは古風な家でもないし自由にしていいとか言う割にしきたり押し付けてくるじゃん。矛盾してるよ。
諸事情で義実家に何日か1ヶ月の子ども連れでお世話になった時はずっと抱っこ、近所に見せに勝手に出て行く、自分の余裕がないからだと思うけどあやし方がキモくて早く帰りたかった。
この愚痴を実母に話しても、話聞くのが苦手というかクソバイスばっかとか相手を貶す言葉ばかりで疲れるので話すのはやめた。
たまに行ってるカウンセリングのおばちゃんに話しても極論って感じの人なので、相手を貶して福祉につなぐ話されて終わった。
旦那は話は聞いてくれるけど聞いてくれるだけで解決にはならない。
旦那に重度障害で介助が必要な弟がいて、子育ては大変だった旦那は実母に見てもらっていて旦那をかまってあげられず申し訳なかったとか言ってた。
可愛い可愛い次男がいて現在進行形で育児してるじゃん。自分の免罪符に私の子どもを使うなよ。
誰も呼んでないニックネームを甘い声で延々呼び続けるなよ。キモいしうるさい。
この義母、イベント大好きなので子のイベントが落ち着くまでは我慢だなあー。しんど。