はてなキーワード: 捕虜とは
https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Columbus
「そういうわけで、彼らはインディアンたちの手を切り落として、それが皮一枚でぶらぶらしているままにするでしょう、そして、『ほら行け、そして酋長に報告して来い』と言って送り返すのです。 彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場としました。彼らは、捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にしました。」
500年前にスペイン人がインディアスで行った悪行の数々・・・
英雄か悪党か‥コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン(前編)
米シアトル市、コロンブスデーの祝日を「先住民の日」に変更 | 世界のこぼれ話 | Reuters
Amazon.co.jp: インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫): ラス・カサス, 染田 秀藤: 本
Amazon.co.jp: 裁かれるコロンブス (アンソロジー新世界の挑戦 1): ラス カサス, Las Casas, 長南 実: 本
Amazon.co.jp: コロンブス 全航海の報告 (岩波文庫): 林屋 永吉: 本
https://en.wikipedia.org/wiki/L'Anse_aux_Meadows
コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。
NHK世界遺産 | 世界遺産ライブラリー [ランス・オ・メドウ国立歴史地区]
私の世界・面白い話のネタ―「バイキングの開拓地、バフィン島で発見」: masaki-signのブログ
非常に残念ですが、二人目の捕虜であった後藤さんが犠牲者となってしまいました。
ネット界隈や政治界隈では彼を偲ぶ声や、日本外交に対する不満などをちらほら見る事ができます。
なんですが、、
言葉を選ばずに書いちゃうと、後藤さんばかり取り上げすぎちゃいます??
先日、湯川さんが犠牲になった時よりも、後藤さんのニュースが流れたときの方が
「殺害された後藤健二さんを称える声がネット上にあふれている naverまとめ」
http://matome.naver.jp/odai/2142276628779095501
こんなまとめができたり、(湯川さんの類似のまとめはまだ見つかりません・・・)
SNSの投稿でも、後藤さんを取り上げているようなものが目立つ気がします。
命は平等なはずなのにね。
後藤さんの方が、ジャーナリストとしての活躍が取り上げられたり、
母親がマスメディアに出てきたりと、湯川さんの存在が薄れていくように感じていました。
皆様はどのように感じていたのでしょうか。
私は、「これを取り上げた方が、話題になるだろう」というメディア側の声が聞こえてきた気がします。
杞憂かもしれませんが、、、
何か、大切なことが他にあるのではないかと
本件、本当に残念です。
どうか安らかに。
斬首や奴隷が野蛮なものとして扱われるようになったのは、たかだか100年200年以内のこと。
イスラム法は1500年前の法律なので捕虜を奴隷にしたりするのは当たり前の話。
教義的には、イスラム法は神が定めたものであり、絶対に改変してはならないので、
現代に合わせていわば解釈改憲を繰り返しているのが大多数のムスリム。
元どおりのイスラム法に従って生きようとしているのが原理主義者。
だから敬虔な信者であるほど危険になってしまうのがイスラム教なんだけど、
それが「危険」だと感じられるのは、
2014年12月11日にヨルダンは8年間停止していた死刑執行を再開した。
●ソース http://www.hrw.org/news/2014/12/21/jordan-resumes-death-penalty-executes-11
ヨルダンの死刑囚でもっとも有名なのは、今回の件で一躍日本でも知られることとなったSajida Rishawiであり、死刑再開を伝えるアルジャジーラの記事にも写真入りで取り上げられている。
●ソース http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/12/why-did-jordan-resume-death-penalty-201412271125989644.html
イスラム国ならずとも、このまま行けば何が起きるかは明らかだった。
さて、イスラム国が現在握る握る一番強い対ヨルダン交渉カードといえば、やはりヨルダン空軍中尉、Mu'ath Safi Yousef al-Kaseasbehである(http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-264.htmlではMuadh al-Kasasbehと表記されているが、欧米メディアではこの形かMoaz al-Kasabaという表記が多いようだ)
「テロリストとは交渉しない」は建前であり大原則でもあるが、単なる人質でなく、軍務に従って行動していた人物が作戦行動中に捕虜になった、というのであれば、「捕虜交換」というのは、通常の交渉よりも遙かに名分が通りやすい。
確かにヨルダン国民にとって、サージダ・リーシャーウィー死刑囚というのは絶対に許せないテロリストで極悪人ではあるけれども、ではムアーズ・カサースベ中尉の命とどちらが上かというと、かなり天秤は拮抗していると言える。実際、そのせいでヨルダン世論は混乱している。
さらなる問題はイスラム国との交渉にはアメリカがあまりいい顔をしないことであり、たとえば身代金交渉であれば黙認される可能性はあっても、テロリストの釈放は反発を招く可能性は高い。
ヨルダンはもともと周りにイラク・シリア・イスラエル・サウジアラビア・パレスチナ・エジプトとそれぞれに付き合いの難しい国しか存在しない。
日本人には想像できぬぐらいサバイバル能力に長けた先代国王、フセイン1世の立ち回りの上手さだけで今日まで存続できたと言ってよいぐらい国家基盤は危うい。
「アメリカの不興を買う」というのはそれら隣国との関係を損なうのに勝るとも劣らないぐらいの危険である。
ここで、今回の日本人人質の話が入ると、ヨルダンにとって、事態は相当に改善される。
仮にリシャウィ死刑囚の釈放と引き替えにカサースベ中尉と後藤氏が解放される、という形で妥結すれば、ヨルダンは面子を立てつつ、日本に恩を売ることができる。
ヨルダン単独で取引に踏み切った場合よりも、アメリカの反発が緩和されるのは確かだし、「日本を助けた」ということで一応は国内世論対策にもなる。
シリア内戦開始後、ヨルダン国内に流入している難民はヨルダン総人口の1割、それ以前からの流入も含めれば人口の2割という破滅的な数字である。
●ソース http://www.taro.org/2014/05/post-1474.php
仮に「テロリストとの取引」を原因に、アメリカからの難民関係の援助金が削減されれば、それだけでヨルダンは存亡の危機に直面する。日本が加わってアメリカをなだめる、あるいはもっと直接的に日本が資金を肩代わりしてくれれば、話は変わる。
イスラム国にしてみれば、もともと日本は有志連合にも加わっておらず、テロを仕掛ける先としても足場がなさすぎる。もちろんカネを出してるから一応は敵であるが、さらにそこから踏み込ませて、本格的な敵に格上げする理由はない。
もちろん宝石よりも貴重な有志国連合の捕虜を釈放するというのは大問題だが、「獄中の同志の解放」はあらゆるテロ組織にとって、最優先といってよい問題である。それに加えて、日本とヨルダンが、アメリカとの関係を多少とも損なわせることができるのは確実で、取引手数料としては悪くない。
つまり、ヨルダンとの捕虜交換をまとめるための触媒として、今回の日本人人質事件を組み立てた、というのが本稿の主張である。
以上はすべて単なる仮説であり、妄想である。IS内でもトップに近いレベルでの判断が要求されるであろう事項であり、映像の出来が雑だったとか、発表の仕方が従来のやり方と違うとか、その種の辻褄が合わない点を考えると、推理と言えるほどの論拠は存在しない
あなたのように複雑なグラデーションで事態を見れる方に向けた批判ではないつもりなのでご理解下さい
最早日本国としては責任は負えないことは明確で、彼らがいかなる活動であろうとも日本人としては脱法行為をしていると言わざるを得ないことは確かです
そういった筋の通った、自己責任論なら納得できるのですが
元増田の様に捕虜となった方を貶めることで心情的に切り離そうとする向きが安易な自己責任論で増幅されている状況に居た堪れない気持ちを抱えています
胸の痛みを振り払うように唱えてる者から全く何の思慮も無く掛かる手間暇を無駄な迷惑と捉えてる者まで様々でしょうけど、切り捨てる痛みまで無かったことに帰結しようとする風潮は否定していきたいのです
ストレスなくして成長はありません
ジャーナリズムの有り方も、それらに対する政府権力側の扱い方もまだまだ暗中模索だと考えます
悲惨な結果にはきちんと心を痛め、もっと事前に出来ることはなかったのかと問う情緒がジャーナリズムを消費する大衆側から沸き続けるような社会で有るように願っています
まず最初に,湯川さんのご冥福を祈らせていただきつつ,後藤さんの一日も早い生還を祈ります.湯川さん・後藤さんのご家族には,とてもしんどいことであることでしょう.
さて,2014年夏に26歳の大学生がイスラム国に行こうとしていたというニュースで,キーパーソンとなっていた“元大学教授”が,今回,ニュースによく登場しています.共著書のあるU先生は全幅の信頼を置いているようです.そのことを鋭く批判していたI先生も,今回は,“元大学教授”への批判よりも人命をたっとんでおられるようです.当然のことと言えましょう.
しかしながら,僕は思いだすのです.2014年夏にアメリカのジャーナリストが処刑された時に,“元大学教授”が何と言っていたかを.
> どうも最初にISカリフ国が発表したように軍人でもあったようだ。
http://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/502114384395526144
> 私は出回っている写真の真偽は解りませんが、
http://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/502119043399036928
> "@Y????: 最初からISが拘束ということですかね。
> RT @HASSANKONAKATA: "@Y????: "
> 他の勢力から買った後で独自に調べて軍人と判断したのかも。
> 軍装している写真は本人でしょうか?
https://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/502121844669825024
“元大学教授”が「軍装」と思っているのは,戦場ジャーナリストなら誰でも着用しそうなヘルメット・防弾チョッキのことのようです.ここまでなら「軍事オンチ」と言うことで,生暖かい目で微笑ましく思って居れば良いのかもしれません.ですが・・・
> 信心深いカトリックなら敵のために祈りながら殺されて当然。
http://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/502212670624251904
> "@q????: 「信心深い○○なら敵のために祈りながら殺されて当然」って
> 無敵だなw → 信心深いカトリックなら敵のために祈りながら殺されて当然
> http://twitter.com/HASSANKONAKATAstatus/502212670624251904…"
> キリスト教徒なら誰でも知っているイエスsの言葉。他の宗教ではそんなことはない。
http://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/502221054975029249
本人は真剣に,真心でそのように思っているのでしょう.また,政治力のあるアカデミックらしく,相手を言いくるめることには長けているようです.この人が,あたかも賢者であるかのように扱われているマスコミ・アカデミックの現況に,僕はとても深く,憂慮させられます.
みなさん,この“元大学教授”のこの事実を,忘れていませんか.
https://twitter.com/dead_to_isis/status/516059407013011456
http://observers.france24.com/fr/content/20131030-journaliste-japonais-djihadistes-syrie-photos
えっ!この時代に?先進国イギリスの奴隷の数が想像以上だった -
NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2141740189417391401
これをみて思ったんだけど、慰安婦はセックススレイブではないって話が日本のいち部分では主張されてるけど、
Slaveという単語が日本と英語圏では意味合いが違うんじゃないかなと思った。
従軍慰安婦は、そういう労働を強いられた女性という意味でもはや強制性とは違うところに議論がずれているのに
日本国内ではあれは女性を奴隷として扱ったわけではないという議論になってて、
日本国内ではブラック企業の従業員とか派遣で安定した職につきたいのに不安定な職のまま同一労働同一賃金も守られて
かつて、日本軍に囚われた捕虜が日本の軍人が日本人の上司にされた非情な行いを日本軍の慣習だからとして受け入れていたことを
同じような行いをされたら捕虜に対する虐待として訴えたように、
そして奴隷が、他の非情な行いを我慢ならじと声をあげた他の奴隷を、そんなことだれでも我慢すべきだって叩いてるんじゃないだろうか
それを認めたら自分が奴隷だと気付いてしまうから、奴隷じゃないと思いたくないんじゃないだろうか
って思わなくもなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20141007125424 を読んで、「最近よくある意見」だなあ、と思ったので一言。まずは、例え話から。
たとえば、船同士が海戦で戦って、片方が「勝った」としても、それは、船の内燃機関にとっての勝利なのか? と言えば、違う。内燃機関は「道具」の一つであって、戦って勝利したのはそれを「道具」として=自らの戦いの条件の一つとして利用した人だよね。
内燃機関にとっての「戦い」って、たとえばもっとシンプルな他の内燃機関との性能競争とかそういうものであって、道具として利用され期待されたパフォーマンスを出したからといって、その成果の割り前が内燃機関にあるわけでなし、それは内燃機関にとっての「戦い」ではないよね。どんな優秀な内燃機関でも、提督がアホだったら戦闘には「負ける」わけだけど、それを内燃機関の「負け」とは言わない。
「道具として利用されたものが、主人の『勝敗』も我が身に負えるものだろうか? = 否。それは幻想に過ぎない。」
ということなんだ。言いたいことは分かっていただけるだろうか?
いや、まあ待て。人間と機械は違う、とか、そういうことを言いたいんだろう? だが、本当にそうだろうか。その内燃機関が、たとえばガレー船のように、人間だったとしたらどうなんだ?
ガレー船の漕ぎ手にも、いろいろな立場の人間がいたそうだ。いまWikipediaで見ただけけど。(※1)
兵士が漕ぎ手を兼ねることもあれば、認められてのし上がることを目指す無産市民、自分用の小さなスペースで交易ができた自由人から、囚人、捕虜などの奴隷まで。
さて、現代社会において「ガレー船」は、一人一人が働く「会社」のことだけでなく、増田がたとえたように「国家」であるとも言えるし、あるいはもっと大きく「資本」そのものであるとも言える(※2)けれども、その「漕ぎ手」である我々の立場は、上のどれに一番近いんだろうか。そう考えてみるのは、それほど無駄なことではないと思うんだ。
管理職以上なら、「会社」というガレー船では「兵士」と言ってもいいかもしれない。与えられた戦いであっても、自分用の武装や場所を与えられ、成果が褒章されるのだからね。もしその「会社」がベンチャーなら、社長以外の誰もが「無産市民」かもしれない。のし上がって、自分の戦いを自分で主宰する立場になることを目指しているのだろうから。
だが、多くの「会社」でほとんどの割合を占める一労働者は、やはりただの「奴隷」ではないだろうか。戦いの場ですりつぶされていくだけの道具。
そして、その全てが……社長も管理職も平も、あるいはその「会社」自身も、「国家」や「資本」といった巨視的な視点から見れば、所詮、代替可能な道具であり、つまりは「奴隷」にすぎないのじゃなかろうか。
「国家」や「資本」が「戦い」(※3)に身を投じるとき、そこに含まれる一個人や一中小企業に、一体どんな「自由」があるだろうか。
ちょっと前に話題になった、堀江貴文氏×瀬戸内寂聴氏の対談の内容の一つが、まさにそういうことだった。
http://news.livedoor.com/article/detail/9301931/
「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」
これに驚いた寂聴は「どこに逃げられる? 逃げる場所がある?」と聞くが、ホリエモンは「逃げる場所あるでしょ。第三国に逃げればいいじゃないですか」と、淡々と返す。
そして、寂聴から「行かれない人はどうするのよ」と突っ込まれると、ホリエモンは平然とこう言い放ったのだ。
「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」
たとえ「国家」や「資本」にまで話を広げても、堀江貴文氏という人間は、上で言う自由人だ。端から見れば国家や資本というガレー船の中でそれに奉仕しているだけに見えても、彼が戦っている戦いは徹頭徹尾「個人」の戦いだ。だから、現代日本でも「自由人」として行動する「自由」は存在する、と堀江氏なら言うだろう。
だが、寂聴氏が指摘するように、大半の人間はそんな「自由人」として振る舞うことなどできはしない、ということも事実だ。自由人になれない人が奴隷としてすりつぶされていくのは「しょうがない」という、堀江氏の立場。「しょうがない」では済まないと言う寂聴氏の立場。
前者から言えば、増田の言うことは別に間違っていない。だが、後者の立場……すなわち、そこで奴隷としてすりつぶされるのが、たとえば自分の「妹」であったとしても、同じ事が言えるのか?というのが、元増田が提起する問題なんだろう、と思った。
その意味で、元増田と増田の話は興味深い。で、ここまで整理して見せれば、結論は不要だろう。それは、各自が考えるべき問題だろうからね。
注※
※1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%BC%E8%88%B9 の「乗員」の項参照。
※2 国際的な金融取引の仕組みが整備された現代社会においては、「資本」はもちろん「国家」より大きいよね。
※3 野暮な説明だけれども、この「戦い」とは別に戦争のことだけを意味しているわけではない。戦争もまた、経済活動の一形態に過ぎないのだから、あらゆる経済活動は「戦い」であるとも言える、そういう意味。
素朴な疑問。
いわゆる「はてサ」の歴史観は自虐的だの現在の価値観で過去を裁いているだのとさんざん批判されるわけだけど、「はてな右翼」のみなさんは先の戦争をどのように理解しているのだろうか。「近隣諸国に迷惑をかけてなどいない。攻め込まれるほうが悪い」「朝鮮半島で日本は良いことしかしていない」「詫びる必要などなし」という点で合意はありそうだけど、それ以外でもすべてを全肯定するのだろうか。
負けたことも含めて大東亜戦争に反省すべき点など一切存在しない。対米戦にしても自衛戦争でしかなく、負けたという事実は結果論にすぎない。われわれがなすべきは当時の指導者層も含むすべての先人の苦労に感謝の念を示すことだけであり、いかなる批判も許容されるべきではない。亡くなった方々についてあれこれ言うのは日本人の美徳に反する。
(2)負ける戦争を仕掛けたという点では失敗を繰り返さないようにしたい
戦争をせざるえない状況に追い込まれたという側面はあれ、米国相手に負ける戦争を仕掛けてしまったという点においては、同じ轍を踏まないようにしたい。それ以外の面では中国への進出や戦術も含めて反省は不要。
(3)兵站を軽視し、大量の犠牲を出したという点では失敗を繰り返さないようにしたい
精神論に傾斜するあまり、兵站を軽視し、特攻のような非効率的な戦術を実行することで大量の犠牲を出してしまったという点までは肯定できない。中国人や捕虜がいくら死のうが知ったことではないが、多くの日本兵が病死や餓死してしまったという事実は重く、その点について軍首脳部の責任は免れない。ただ、特攻という戦術はクソだが、それに自発的に参加した若者たちの愛国心は素晴らしい。
はてサがギャーギャー言うのがうっとおしいだけで、本音を言えばもう昔の戦争のことなんかどうでもいい。自分が悪いことをしたわけでもないのに、なんでいつまでも文句を言われねばならんのだ。
意外に(1)は少なく、(2)や(3)、もしかしたら(4)が多数派で、外国からごちゃごちゃ言われるのが腹立たしいだけなのかもしれないとも思う一方、やっぱり(1)が多数派で「歴史に反省なんぞ不要」という発想なのかもしれないとも思う。辻政信氏も牟田口廉也氏も含めて腐れ反日サヨクに比べればみんな素晴らしい方々という感じ?なのだろうか。
ガンダムはよく知らないけどオペラ『アイーダ』参照してるらしいと聞いて飛んで来ました。
1,2話見た感じ、アイーダの周辺環境設定をうまくロボットものに落とし込んでいる感あり。
踊り担当の奴隷(みたいな身分の人)がいて、神殿・宗教があって、若い英雄(と思われる主人公)がいて、
そして何より敵国の姫という素性を隠して捕虜となっている『アイーダ』がいる…
俺得ですわ…
どのレベルで扱うか決定されるわけで、そこが楽しみ。
今の所、ピンクの髪の子をアムネリス+踊り子みたいな役でいくのかな?という感じだけど、
そうなると後半の裁判〜お墓でのアムネリスの見せ場が多いに減ってしまう。
あの場面は何もかもを持っているかのような高貴な女性が恋だけは実らず、
しかもアイーダとラダメスは名誉も未来も何もかも失うが恋だけは成就し…という対比、
また争いは終わり人々は平和を謳歌するものの、メイン3人は残念な結末を迎えるという対比、
この辺をもしガンダムでやるならアイーダのライバルとなる姫様が必要。
「まあ、可哀想な話だよね」くらいの程度で、重大な人権侵害だとは思ってないのでは。
それよりも「借りた金は(体を売ってでも)ちゃんと返すべき」というモラルの方が強いように感じる。
それから、貧しい人間、貧しい国からきた人間が思い通りの人生を歩めないのは(可哀想だとは思っても)当たり前のことだと思ってる。
自虐史観だとか何とか教科書に文句つける右翼も「わが国で人身売買が多発していたなんて書いたら誇りが持てなくなる!」なんて言って恐慌期の身売りの記述にクレームを付けたりはしない。
こういう理由から、「従軍慰安婦問題の焦点は強制連行の有無」というフレームが日本国内だけで流通することになる。
諸外国は「公務員が人身売買を取り締まるどころか、組織的に人身売買業者と癒着して人身売買の顧客となって、売春宿も公務する敷地内に作っていた」ってことを歴史的にも特異な人権侵害だとみなしているのに。
それなのに責任を問われた公務員上級職が「調査の結果、銃を突き付けて連れてきたのではなく、ちゃんと金も相場より高めに払っていたので問題ない」みたいな釈明しても、「こいつ頭おかしいな」と思われるだけだよ。
とはいえ、「恐慌期の農村の娘の身売り先が都会の市役所かどっかで、市役所の片隅に作った小屋の中で勤務する公務員が性欲解消に励んでいた」なんて事態だとさすがの日本人も異様だと思うだろう。
従軍慰安婦制度が異様だと思われず、それどころか「どこの国でもあったこと」なんて誤った認識をしてしまうのは戦争・戦場という舞台装置があるからだろう。
「戦争は悲惨」、「戦場は何でもあり」と思う日本人の戦争観が「戦争の時代ならばそんなこともあったろう」くらいで、この問題の認識を済ませてしまう。
これは南京事件で「無辜の市民を虐殺したわけではない、捕虜を殺しただけだから大した問題ではない」と考えてしまうフレームと共通している。
http://matome.naver.jp/odai/2140706664924864501
「ただの海水で、病気が治っては儲からない」のでウィキペディアから消えている人物:ルネ.カントン-人生は強く,たのしく、しあわせに☆ ネオヒルズというよりも,ネオ日本人。
上の3つの記事というか、2番めの記事が3番目の記事を引っ張り出してきてネバーまとめまで作られちゃって挙句の果てにFacebookやTwitterにガンガンシェアされてて気持ちが悪い。
でも、思ってることを直接伝えることも、友達から消すとかそういうこともしないで何とかならないかと思ってコレ書いてる。はてな記法よくわからん。
時期が来たらこれをFacebook上でシェアする。ロンダリング的なイメージ。
出典である「ザ・フナイ」を読んでいないのでここに書いてあることがすべて本当だとは思わない、嘘であるとも言い切れない。
医学学んでないからそんなこともあるのかもしれない。でも、私が知っている生物学ではこれは非常に胡散臭い。勉強不足なだけかもね。
引用に対する疑問
1.
彼は1907年、初めてのクリニックをオープンしてから、血液の濃度まで薄めた海水を病人に輸血し、1910年までにフランス国内で約70ものクリニックを開け、50万人以上の命を救った。
今の点滴との違いは各種プランクトンや海水中の養分の違いでしょうか。
不純物いっぱいある気がするけどそれでもいいの?
ていうか少なくとも現代の環境を考えると点滴のほうが安全だと思うよ。
2.
第二の実験は、体重10キログラムの犬の血液を瀉血法で抜き取り、極限まで血を抜いた後に、前回同様、海水を注入するということである。
太平洋戦争末期、九州大学生体解剖事件(相川事件)という事件があったらしい
捕虜の腕に海水が500ccほど注入されました。この時捕虜はまだ生きていましたが10分ほどして捕虜は死にました。
当時のそれぞれの医療レベルがどれほどだったかはわからないけれど、片や血液を全部海水に変えても問題なかった。片や500ccで死んでしまった。
犬に投与されたものが薄められた海水なら犬は極度の貧血で生死の境にあってどうにか回復したんだと思うけれど、海水ダイレクトだったら浸透圧の関係でアウトじゃないの?
3.
日本語版ウィキペディアにはそもそもルネ・カントンの記事は作られていない
削除されたらされたでその形跡が残るのがウィキペディア
https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Ren%C3%A9_Quinton&action=history
引用元のブログ記事が書かれた2013年10月13日の前後の編集点は2013年9月23日と2014年4月4日
この間記事は記事として内容を持って存在している。
4.
第一次世界大戦で負った傷から早死にしてしまったルネの葬儀には子供連れの母親からヨーロッパ中の医者科学者、首相を始め政治家など、100万人以上の人々が訪れた。
こればっかりは海水じゃ治らなかったのか、残念だ。
先週、ノルマンディー上陸作戦70周年で英米のメディアが騒がしかったので、ふと思い立ち、映画「プライベートライアン」を鑑賞。
サラリーマンになってからは初めて観るプライベートライアン。
労働基準法なにそれおいしいの系サラリーマンの私にとって、しみじみ感あふれるあるあるネタが満載で、別の意味で「ああ、戦争ってひどい」と思ったので、メモ。
ミッション「3人の兄が戦死した4人兄弟の末っ子(ライアン)を救うために、敵のど真ん中に8人で行ってくること!ライアンは必ず生きて連れて帰ること!」
会社上層部の指令だが、一人連れ戻すのに8人を高いリスクに曝すとかよくわからない。
しかし断れない。
「それって意味なくないすか?」と言いながら巻き込まれる下っ端。
ライアンがいた空挺部隊の1機が墜落、乗員のほとんどが亡くなったらしい。
戦死者のドッグタグ(識別票)が入った袋を受け取り、ライアンのものがないか、黙々と探すメンバー。
ドッグタグをトランプのように粗雑に扱いながら、「ライアンがこの中にいたら、俺たちこのクソジョブから解放されるなー」という下衆な表情を浮かべるメンバー。
それを軽蔑の目でみる、仲間を失った空挺隊員達。
中間管理職、ライアンの所在が分かり道を急ぐ途中、遠くの丘に陣取る敵部隊を発見。
任務遂行上、ちょっと遠回りすればその丘はスルーできる。そっちの方が安全。
「我々がやらなければ、この後に来た部隊が被害を被るかもしれないんだぞ!」
結果2名死亡。しかも逃がした捕虜が、その後自分達に攻撃してくるブーメラン。
ようやく見つかったライアン。
しかし自分の持ち場を離れたくない、一緒に戦いたいと言いだし、その熱意におされて作戦に巻き込まれる救出部隊一行。
あー、戦争ってひどい。
熱出して会社休んだ。
超ひさびさ。二年ぶりくらいか?
一昨日:午後から熱が出るが手足が冷えてきたのでこの時期だというのにストーブで暖める。何時間もやっていたら体温が上がりすぎたらしく危険粋に突入。熱で目が開けられない。明らかに熱中症の症状を呈していたが気付かず、風邪だと思い込み、たまたま風邪の時にいつも習慣的に買い込んでいるポカリを飲んだら一気に熱が下がり、脱水症状からも回復できた。(回復して、その余韻を感じて初めて「あ、これ脱水症状だった」と気付いた)
昨日:本来は休日だったが、職場とは別件の仕事があったのでそれに供えて必死に体調を回復させ、どうにか仕事を完遂できた。
今日:熱は下がったし動けそうだったが、また出ていって具合悪くするのも何なので休む。
休んで正解だった。出てくる咳が「健康体です」と言い張るのにかなり無理があった。
ただ、食料がないんだが外に出ると職場の人に会いそうで、どうにも出て行きづらい。
まあ一食くらい抜いても平気だろうけど。ああ、セブンイレブンのにんにくぺペロンチーノ食べたいなあ。
そろそろ風呂入って、薬飲んで、また一眠りするか。