はてなキーワード: 持たざる者とは
労働者階級の仕事はロボット・人工知能に取って代わられ、その利益を享受するのはロボットという資本を所持する資本家層となります。
ロボットに仕事を取って代わられた労働者は、(その時点で)ロボットができないより創造的な仕事をするか、ロボットという資本の投下が見合わない、生産性があまり高くない仕事を選ぶしかありません。ロボットの生産性や柔軟性はどんどん向上し続け、ロボットの所有者たちはどんどん稼いでいきます。ロボットを持たない大多数の人々が稼げる仕事はどんどん減っていきます。
かくて資本家層と労働者層の貧富の差は加速して広がり、人類はリソースを寡占する「持つ者」と、圧倒的多数の「持たざる者」に2分されていきます。
然しながら、「持つ者」は賢く、圧倒的多数の「持たざる者」が爆発してしまうような不満を持たせることはありません。ロボットによって生産性が底上げされる為、「持つ者」の安全を確保するための「防衛的投資」も余裕をもって行えるようになります。
或いは、「不幸な事故」によって「持たざる者」は減ってしまうかもしれません。「不幸な事故」なので仕方がありません。幸いにも「不幸な事故」に遭わなかった「持たざる者」たちは、画面の向こう側の悲劇を嘆きながら、自分とその家族のささやかな安全と毎日の食事に感謝を捧げるのです。
金や権力は革命で奪われ、今まで持たざる者が持つ可能性がある。しかし、「容姿」にはない。
金持ち 特に小金持ちというのはいつでも、金がなくなる恐怖がある。
自分はそうだ。父が無くなったら、ギリギリ己を保つためのツールである小金がなくなる。
今流行の日本国憲法を読むと、安倍晋三がなにもしなくとも、元から、国家によって公共の福祉という名目で財産権というのは侵害されやすいということがわかる。
憲法が実質無効化された現在なら、なおさらそうなのかもしれない。
おそらく都内に家を持っている人間は大抵、相続税を払わなければいけなくなるだろう。
国家だけでなく、個人でも、合法的に他人の財産を奪おうと思えばできなくはないものだ。
大企業が潰れて、銀行に何もかも奪われていく様というのはよくある。
まぁ、どんなに小さい企業もチャンスは無くはないのだ。
究極は革命だろう。
「革命」というのは起きない。
権力や富と違うのは、極めて身体に密着している。奪うといっても、手に入れるものができない。
美しく生まれたものは大事にされ、それを批判する者は醜いから批判を受ける。そんなボロボロにされる醜い者も「心の底では美しくなりたい、美しい人間とセックスしたい」という気持ちがあり、それが体制を強化し促進させる。
現在の科学をもっても、自分の容姿は良くなるか怪しい。自分は肌が茶色でクレーターや隆起、毛穴、赤みで大学でもたいていの人間よりも汚い。脂や膿がにじみ出てくる。朝には無くても、昼には白い膿の塊が出てくる。髪が陰毛みたいな髪質で、顔がとても大きいくて背は低い、現在の整形では技術的に美しくなれない。
整形をした女性の6割は、不満をもっていると某週刊誌のウェブサイトで見た。傷やしびれという意味で不満をもつ人間は少なく、結局のところ「思ったよりも美しくならなかった」という人間が大多数ということだ。
今日は窓を開けていると隣の部屋から、嬌声が聞こえて来た。男性は一部の女性を奪い合い、女性は一部の男性を奪い合う。
結局、どこまでもどこへいっても容姿が良い人間が快楽を、そして精神安定、ヘタしたら富も権力も享受する。自分だって鏡を見て、自分の容姿全体が綺麗だと思いたかったし、他人から富や権力とは違う容姿で評価されたかった
階級は「血筋金銭出自」に拠ってるのか「魔法」に拠ってるのかはっきりしろよ。
・物心ついた頃から孤児ってことは「血筋金銭出自」は無くしてそうだがなんで特権側に居られるんだよ。
・少数特権階級なのに同じ階級と認める孤児を少年兵にするの?変な奴等だなあ。
おいおいおい、近いところにラスボス居るなあ。
これもまた意味わかんない設定だなあ。
おおおい!
そこは非合法でもばれないようにうまく殺すこと考えろよ。
ばれない殺人を完遂する難易度より革命成し遂げる難易度のほうがはるかに高いだろ。
男がイカレポンチ過ぎて少しも葛藤できない。
みんなが苦しんでるのも全部そいつのせい(主人公の苦しみも含む)とか
殺すしかなさ過ぎるだろ。
父の仇とかどうでもいいレベルじゃねーか。
男「私が特殊能力によって世界、人々を操作、この歪を作り上げたのだー!
お前の父親が邪魔だったのだー!」
↓
反応が違うだろ
主人公「え、俺の親父始末するだけの為にどんだけ労力かけるの?
だろ。
↓
世界中の人類を救える(そんなアホ1人に追い込まれる世界人類に大草原や)んだから
お前の設定は
・あまりにも不合理でリアリティのかけらもない(リアルかどうかと言ってるのではないぞ)
・お前が得たいカタルシスにとってすら辻褄が合ってない(別に主人公が自己中になれてない)
中学生なのか?
それがあってこそ突飛なファンタジー小説のようなものも描けるようになる。
革命から一世代も過ぎてないのに歴史抹殺に成功してヒロインしか真相知らないって設定ガバガバすぎるし
あとヒロイン別にいらねえよなそのプロットだと。本ぐらい拾えばいいし。
ラッキースケベ要員かなんか?
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自分を正当化するためだけに動いちゃう「世界は主人公のもの!!!!!!」みたいな話が好きです。
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簡単に設定をちょっと考えてみました。
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10分で考えました(・ω<)
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【世界観】
・“持つ者”(血筋・金銭・出身)と“持たざる者”に二分した世界。
・“持つ者”にとって“持たざる者”は「人ではない」と差別、虐殺の対象。
・数は“持たざる者”の方が多く、反乱が非常に多い。
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【主人公】
血があることを知りアイデンディティー崩壊(^o^)
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・主人公の母に片思いをしていたことからその忘れ形見である主人公を拾いあげる。
・でもこの男を消さなかったら自分は世界においての存在が不明。
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【ヒロイン】
・“もたざる者”
⇒“もつ者”が廃棄した本を読むことが好き。
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【ストーリー】
?「お前、実はハーフなんだよね」
↓
↓
男「私が特殊能力によって世界、人々を操作、この歪を作り上げたのだー!
お前の父親が邪魔だったのだー!」
↓
主人公「えええええ 自分の存在が正しいことを証明するためにも
↓
男「それならば 私を倒さないといけないな」
↓
ヒロイン「私はなんとなく察しがついていたよ、
↓
↓
↓
↓
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思ってもみなかったトラバ数が恐いです。
沢山意見いただけて嬉しいです。ありがとうございます!
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面白くなればいいなー
ある時彗星が降ってきてあままこさんに能力が宿った。能力の名は怒り。しかしその能力は青春時代がすぎると失われるもの。途中怪しいシロk・・・やヨーク・・・科学者たちに命を狙われたりもしたが、無事生き延びて長く苦しい青春時代がようやく終わったようだ。めでたい。
この怒りについてだが、あままこの怒りはどこまでも身勝手なもので、それを正当なものだと信じる程度の愚かさがなければ持続出来ないものだったと俺は感じてる。いつまでも身勝手な怒りを持ち続け、それを正当だと信じ続けられる特殊な能力の持ち主をはてなアイドルという。その怒りを支えるのは圧倒的な被害者意識だ。自分の現状を惨めだと思って心の底から自分で自分を哀れむことができる。自分を卑下しつつもそんな自分を可哀想だと慈しみ恍惚の表情を浮かべながらキーボードを叩くことができる。表面的には自己卑下しつつもどこまでも自分をベタベタに甘やかすナルシス気質。これが才能でなくて何といえばよいのか。しかも己の悲惨さはすべて他人のせいにできる。なぜならぼっちだから。自分の苦境を訴える友だちがいれば、その友達に心を開かない自分のせいになる。それすらもなかったのだからナルシス気質のぼっち。何一つ持たざる者であることが逆にあままこの強さを作り出していた。
じゃあなんで怒りが失われつつあるかっていったら、たぶんだけどあままこさん、昔みたいにもたざるものじゃなくなったんだじゃないかと。なにか価値あるものを見つけたんだ。きっとそうだ。うん。
「ベンチャー役員三界に家なし」のユウタロスさんが、通りすがりの64歳無職に1歳の子供を殴られる被害に遭いましたが、
「持たざる者を擁護」って、ここで通りすがりの無職を擁護するようなものだと思うので。
ユウタロスさんの家族と、1歳児を殴るメンタリティの64歳無職だったら、後者の方が断然「持たざる者」じゃないですか。
恵まれないから暴力を振るってもいい、孤独で傷ついているから他人を搾取してもいい、
この手の「被害者面で自己正当化している加害者」からは、とにかく距離を置きたいと思っているし、支援する気は無いです。
毎月結構な金額だけど「金ならどうぞどうぞ、時間はやらないけど」という感じです。
haruharu1 『奪う者は弱者』『弱者の犠牲になって磨耗する必要はない』説っぽい。でも奪う者が弱いのではない。奪うことでしか得られない弱者の存在と、単純に奪う者の存在とを混在していると思う。悪はそんなに弱くはないぞ
「奪う者」になるのはヘドロがどんどん湧いてくる思考のクセを持っているからで、
そういう思考から抜けだせないのは頭が悪いからだから弱者だよねと思っています。
内面はというと、親にしてもらうのが当然で、親が自分に割いてるリソースを軽んじるし、親への不満ばっかりです。
子供は弱い。経済的にも精神的にも自立出来ないし、親次第のところが大きいです。だから「奪う者」になる。
低所得で孤独な人々の行動の特徴として、大人になっても中学生相当の考え方・ものの見方からアップデートしてないというのがあります。
私はそれを怠惰とか悪とかじゃなく、そういう脳のスペック、と思っています。器質的な話です。
大学生になっても64歳になっても「奪う者」から成長できないと、当然のように周りの人間を使います。
「奪う者」って、悪に目覚めて成るものじゃなくて、対等な大人同士で与え合う立場に一生成れない不具者ってことだと思います。
gazi4 程度問題かな。どんなに優れた人間であろうと、個々人のリソースは乏しい。分け合うことは必要だし、増田の言う頭のいい人は、与えたことも経験にできる。
与えるばっかりだと頭が良くても潰れますよ。頭は、自分が潰れない環境作りに使ったほうが良い。
元エントリの性犯罪者は、屋上娘にしてもらったことの価値を軽んじるじゃないですか。
屋上娘が子供の頃に大人の役割を期待されて、仕方ないと諦めさせられて、ケア役割を押し付けられて身につけた能力でも、
「屋上娘にとっては簡単なことだったのだろう。それが僕の救いになった!」みたいに軽んじちゃうじゃないですか。
いや、お前ソレ、「簡単だったらいいな」と「簡単に違いない」の区別がついてない案件だろ、と思いましたね。
プロのイラストレーターが「タダで絵描いてください」と乞食みたいなリプ受けて傷つくのも、
自分が身につけた能力の価値を軽んじられた気がするからじゃないですかね。
でも乞食ってそういう感じなので。リソースを無為に無限に毟り取られるばっかで、何の経験にもなりません。
Amarron 時代や文化で人間の価値が変わる所や、能力や環境が幸福に繋がりそれは功績ではなく運である所が少し理不尽だと思う事も共感できる。Pepperの話がテロスと定言命法を思い出す。哲学的な印象。
哲学は全く知りませんが、「功績ではなく運である所が少し理不尽」という部分を読んで、「分かっていただけた」と思いました。
結果を決めるのは運と努力、両方の要素が関わりますが、結果を出した人ほど努力が9割だと思いたがる。
私は運が9割だと思います。
運がいい人への攻撃の気持ちは無く、むしろ私は運がいい人が好きです。
運が悪かっただけの人を差別している!となじられようが、「そうで~す」という感じ。
ヒトラーのように障害者は死ねみたいには思わないので、社会保障費は喜んで支払います。
それは自分も事故や病気で障害者になる可能性があるとか、自分の能力が下がった訳ではなくても社会の変革によって
誰からも認められなくなり実質障害者状態になる可能性があるからです。不当な支払いとは全然思いません。
yamorca 世間が無神経に置き去りにしている処をしっかり見る人の声。増田は姥捨て容認派みたいだけど、同じ視点を持って公共の福祉の最大効力を求めてる人も居る。情けは人の為ならず
江戸時代は、姥捨て"容認"も何も、姥捨てするしか成り立たなかったですよね。社会が。
公共の福祉のレベルが上がった要因は、国の技術レベルが上がって豊かになったからですよね。
物質的に豊かになった結果、江戸時代と比べて餓死は減りましたが、
コミュニケーション乞食として、屋上娘さんやはせさんのような人に縋り付く人間は減らせて居ません。
「公共の福祉の最大効力を求めてる人」って何をやってるんでしょうか?
健康な人間に、福祉を必要とする人間に奉仕する義務を与える活動でしょうか?それ暴力じゃないですか?
それと、持つ者側、奪われることに怯える側でしか物事を考えない人に言いたいのは、
自分も事故や病気や加齢によって、奪う側に転落する可能性がゼロではないということです。
奪う赤ちゃんとして生まれ、与える大人になり、奪う老人になって死んでいくのが人間だと思います。
私は老人になっても出来るだけ、生きた人間を自分が生きるための奴隷にしたくないですね。
道具なら構いません。だから心についての言説より、技術についての言説の方が、愛に溢れているとすら感じます。
そりゃ「できない人がマイナスである風潮」を多少でも感じている本人に、自分はそんな考えではない、けどもやっぱり「出来る人は凄い」とだけ伝えたら傷つくよ。
もやもやするのもわかるけど。ライフステージの違いはあるけど、持てる者が持たざる者に向かって発言する時は、気をつけないといけない。デリカシーだし、それが持てる者に必要な品格だと思う。でないと持てる者は、口を開く度に恨みを買うばっかりだよ。
とは言いつつ、子供生まれた所なんだから嬉しいし、伝えたいよね。そういう所からもう、「子供が生まれなければわからなかった事」を知る機会が始まっていくんだと思う。ご出産おめでとう。
まあそこからスタートして、持つ者は持つことによる限界を、持たざる者は持たざることによる限界を、智恵と努力で克服しようとする姿勢と営みが人間の本質だよね。
人間とか言ったって所詮は動物の端くれで、原始的な力の支配下にあるんだから、神のような崇高な精神の中にあるのが人間、みたいな思考は、人間だと勘違いしてる飼い犬のように滑稽で愚かしいわ。
でもまあ、だからこそ愚かな人間は愛くるしいんだけども。愚かな犬コロのように。
不満と嫌悪と怒りの中にこそ、嗜癖することを耐え難い刺激が存在することに、気付かずとも本能が反応するからこそ、犬コロ達は引き寄せられるように憤懣と戯れる。
アベノミクスって発足当初は、
1.金融政策
2.財政政策
3.成長戦略
今の消費税増税とかまでをアベノミクスと名指して批判してる人を見ると違和感がある。
まあ、それはともかくとして、
日本経済はお金が足りてない貧血状態なのでお金を増やしましょう・・・金融政策
増やしたお金を率先して政府が使って市場にお金を回しましょう・・・財政政策
で、これは大恐慌時代にケインズが考案した実績ある対応策なんでしょ?成長戦略以外は。
これを続ければ経済はインフレになるわけで、インフレになれば銀行に貯金してるだけで実質的に貯蓄が目減りしていくので、
持つ者と持たざる者の格差がドンドン縮んでいくわけで、そうすると基本的にアベノミクスってちゃんとやればむしろ格差縮小に有効じゃんと思うんだが。
つまり、アベノミクスをやってるから悪いんじゃなくて、ちゃんとアベノミクスをやらないから悪いわけで、
なんかお前の言ってることおかしくね?と思うんだが。
プロレスは大河ドラマなので、歴史ある人はそれだけで有利なジャンルであって、
彼のキャリアを考えるに尊敬されるべきレスラーなはずなのだけど。
なんとなく丸っこい体つきがキモいとかでもない。髪型もまぁしょうがないと思える。
性格の悪い設定も、鈴木実はSだったわけなので、いじめっ子キャラは生まれつきだ。
この間、大社長が「飯伏と竹下が3団体所属」みたいなツイートをした直後に
あーなんかうぜえなこのヒトと思いつつ、自己顕示欲のないレスラーなんて
この大人げない感じは、レスラーとしてはむしろ美徳であるはずなのに。
もしかしてU系全般があんまり好きじゃないんじゃないかと思ってみたが、
船木の銀の衣装が剥がれてマットにくっついちゃってたり、
船木は嫌いじゃない気がしてる。今は興味ない。
田村はワリと好きですね。今でも好きかも。現役なのか知らんけど。
デンデンデデデンデデデデじゃなくて、チャー↑ラー↑↑ラー↑↑↑で
結論が出ないまま終える。
当たり前の顔をして電話をかけたりメールを打ったりしています。
そんなことはもはや当たり前であり、当たり前以外の何物でもない世の中です。
しかし、わたしは携帯電話が当たり前の顔をして出てこない物語が好きです。
こんにちのフィクションでは携帯電話は当たり前のものとなっています。
フィクションのなかの中高生も当たり前のように携帯電話を使っています。
そもそもわたしが中高生の頃には、わたしの周りの中高生にとって携帯電話は当たり前のものでした。
当たり前のように携帯無線機や携帯電話を使っている中高生がわたしの周りにいました。
あたかも気づいた時には軍靴の音が絶え間なく響いているように――。
気づいた時には、わたしの半径2万キロメートル圏内には携帯電話の音が絶え間なく響いていたのです。
知らずの内に、わたしは携帯電話によって世界征服が成し遂げられた時代の生き証人となっていたのです。
持たざる者が、いつしか持つ者へと塗り替えられていく過渡期を生きてきたということです。
中高生ではなくなったわたしも、ついに持たざる者ではいられなくなりました。
しかし、そんな時代にあっても、わたしは携帯電話が当たり前の顔をして出てこない物語が好きでした。
これは矜持です。
かつてわたしは、当たり前のように〈ケータイ〉と略されているそれらを〈携帯電話〉と呼ぶことで矜持を示し続けました。
普段のなにげない会話を通じて、それを人口に膾炙させようと努めていたのです。
それを人々の脳髄へと染み渡らせ、時代の潮流に逆らうべく教化しようと試みたのです。
わたしの活動は数年にわたって続きましたが、はたしてその潮目を変えることは叶いませんでした。
きっとこの先も人々はフィクションを生み続け、携帯電話もそれに当たり前ように関わり続けるのです。
そして人類が死に絶えた後も、そのミームを受け継いだ新たな種によって携帯電話は生まれ続けるのです。
それは人という種が永らく夢見たものであると同時に、極めて過酷な業と言えます。
携帯電話は人によって生み出され、人によって求められ、人によって業を負わされたのです。
いつ終わるともしれない今日の終わりを探すことが、いつしかさだめとなったのです。
そうして携帯電話というミームは終わりなき旅を終えるために旅を続けるのです。
そんな携帯電話を語り継ぐことが、携帯電話からどれだけの安息を奪い去っていったのか。
「ネット右翼/ネトウヨ」なる言葉が語られるようになってからかなりの時間が経ちますが、その間にネトウヨに対する揶揄の言葉というものがいくつか生まれ定型化してきました。
この記事で書かれている「そんなに韓国韓国って、本当は韓国が好きなんじゃないの?」「偶然日本人に生まれて、日本人という以外誇れることが何もないんだろ」というのはその代表的なものだと言えるでしょう。
はっきり言ってこういうのはあまり褒められたものではないです。「あなたの言っていることは間違っている」と発言それ自体について反論するなら批判として成立しますが、そうでなく発言の裏にあるものを勝手に決めつけてそれについてあーだこーだ言うというのは単なる揶揄にすぎない。「サヨクは反権力気取ってる自分が好きなだけ」とかそういうのと同じです。
そしてこの手のネトウヨへの揶揄が孕む問題というのは他にもありまして、というかこちらが本題なんですが、こういう揶揄って「ネトウヨ=底辺の負け組」という認識が前提になってるんですよね。まさにさきほど引用した「日本人という以外誇れることが何もないんだろ」なんていうのはその典型。
まあこれも無理ないことで、これまでネトウヨについての分析として「負け組の社会への不満が近隣諸国に向かっている」「持たざる者が日本人であるということにプライドを見出している」というような語りがされることが非常に多かったわけです。
これについてはいくつか理由があると思いますがとりあえずここではおいておきます。
問題は実際のところどうなのか、です。本当にネトウヨは負け組ばかりなのか。これについては批判的に見る必要があるのでは、と思います。
『日本型排外主義―在特会・外国人参政権・東アジア地政学― 』(樋口直人)について
実はここで紹介されてる本は読んでないんですが、興味深かったので少し引用します。
“まず最初の筆者の主張は、「欲求不満を抱え、下方へ転落し、社会の縁辺にある者が担い手になる」というのが誤りであり、さらにそれを社会病理の範疇で捉えるのは間違いであるということ。在特会の構成員も、桜井誠のように高卒で非正規雇用というような人はむしろ少ない。経済的には、どちらかという「中産階級」が多いとのこと。日本の在特会の調査でも、社会階層の共通点ではなくむしろそもそもあった保守的なイデオロギーの共通点が特長的。安田浩一が『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』 で描く「しんどそうな人々」(経済的・精神的においつめられた人)というイメージも無理があるのではないかというところから始まる。”
ネット上でネトウヨ丸出しの発言をしている有名人が何人かいます。「ネトウヨレベル」なんて言われたりしてますが身分を隠して匿名で書きこんだらネトウヨとしか思われないんで「ネトウヨレベル」ではなく「ネトウヨそのもの」です。ではその人は社会の底辺なのかというと、東大を出て大蔵省に入って議員になった人だったり航空自衛隊のトップに上りつめた人だったり、底辺どころかエリートなわけです。つまり、ネトウヨになる理由を不満や生きづらさに求めるのはちょっと無理がある。個人的な実感でも「ネトウヨ=底辺」という印象はなく、これまで実際に出会ったネトウヨ的な言動をする人の中にいかにも生きづらそうな底辺の人というのはまるでいません。
おそらく、ネトウヨ底辺説については誤りであると言ってしまって構わないのではないかと思います。ネトウヨ若者説についても同様で、世代はそこまで重要なファクターではない。
そして更に踏み込んで、社会情勢とネトウヨの台頭を結びつける言説自体がそもそも間違っているのではないか、ということをここでは主張したいと思います。ネトウヨが増えているという社会の変化を他の社会の変化の反映であるとする発想そのものが間違いである、ということです。心の闇というのも関係がない。
アポロの月面着陸はでっち上げであるという説があります。子どもの頃、僕はこの説をテレビで知って、そして信じてました。
でっち上げ論者はいくつもの疑問をアポロの月面着陸につきつけます。そのうちのいくつかを紹介しましょう。
・月面には空気がないはずなのに旗がはためいているのは何故だ?
・写真の中で影の方向や長さがバラバラなのは何故だ? 光源が複数あるのでは?
・宇宙飛行士は月面で宇宙服を着たままカメラを操作したようだがそんなことは可能なのか?
・月に行くまでには大量の放射線を浴びるはずだがそれを防護する技術が当時あったのか?
・アポロ計画以後アメリカが地球軌道の外に人類を飛ばしていないのは何故だ?
これはほんの一部で月面着陸への疑問点は他にもたくさんあります。ここでは文字だけなのでちょっとピンとこないかもしれませんが、これがテレビで画像や映像を参照しながら語られるとかなりの説得力を感じてしまうわけです。そして「月面着陸は冷戦の中アメリカがソ連に対抗するためにでっち上げたものであり月面着陸映像はスタジオで撮影されていた!」という結論に「なるほど!」と納得してしまう。一応筋が通ってますから。
念のため断っておくとこの月面着陸捏造説はトンデモの類です。少し調べるだけで上記の疑問への答えは出てきますし、大真面目に唱えたら馬鹿扱いされるんで気を付けてください。
さて、この月面着陸捏造説ですが、これを信じる人を分析して心の闇だとか社会への不満だとかそういったものが出てくるでしょうか。普通はノーでしょう。これを信じてしまう人は単に騙されただけで、その人が騙されやすいか騙されにくいかというのは関係があるにしても社会がどうのこうのというのは関係がない。騙されやすい人はあらゆる世代、階層にいますから世代や階層もあまり関係がない。ネトウヨもこれと同じなのではないかと思うんです。
つまり、右派プロパガンダ・修正主義デマに騙されたらネトウヨになるという単純な話なのではないか、ということです。
もちろん、月面着陸捏造説との違いはあります。月面着陸捏造説の先に反米感情は用意されていませんが、修正主義デマの先には嫌韓・反中感情が用意されています。これはひとつのパッケージとしてある。実は嫌韓・反中感情があるからネトウヨになるのではなく、ネトウヨになる過程でそういった感情が「注入」されるというのが実際なのではないか、というのもここでの仮説です。
この感情との結びつきの有無の違いは月面着陸捏造説は広がりを見せないのにネトウヨ言説は広がりを見せるという違いを支えているものだと考えています。
まあなんにしろ、「南京で30万人虐殺されたというが当時の南京の人口はそんなにいなかった! だから南京虐殺は捏造だ!」とか言い出すネトウヨのことを僕は「大気がない月面で星条旗がはためいている! だからこれは地球のスタジオで撮影されたものでアポロは月に行っていない!」とか言い出す人と同じ人種として見てますし、「韓国ってこんなにひどいんですよ! ちゃんと勉強してください!」とか言って国民の知らない反日の実態とかアフィブログとかのURL貼る人については「アポロの月面着陸は捏造なんですよ! あなたは騙されてるんです!」とか言って怪しげな個人サイトのURL貼るようなアレなことしてんなあというそういう目で見てますはい。
そうやって非コミュとかコミュ障をぼっちで放置するだけでなく、いじめとか引きこもりの原因にもなっていて、長らく社会問題になってるんだけど、どうよ?
「持たざる者が、持つ者にたいして、配慮しろ(=オレにも寄越せ)と説得する」ってのが現代社会のありとあらゆる場所に見られる。
才能があるやつはイイよな努力しなくても何でも出来て、とか。
これらにたいしてもちろん人権()とか平等()とかをお題目というか錦の御旗にして、持たざる者が持つ者に対してその是正を求めて行くわけだ。それは別段非難されることではない。自分の利益を最大化しようという行動だからだ。でも一方で「持つ者が持たざる者には一切オレの富をやらん」というのも同じく自分の利益を最大化しようという行動で、その点で両者に差はない。
「持たざる者が持つ者に対してその是正を求める」というのが社会正義をひいて絶対的に正しいと思う人もいるが、これは嘘だ。倫理的に一定の正しさはあるが、じゃあそれが「持つ者の私有財産権」を犯していいものかというと疑問である。その両者の間で良い具合のところで落としどころをきめるしかなくね? というのが現代社会のコンセンサスだ。
「持たざる者が、持つ者にたいして、配慮しろ(=オレにも寄越せ)と説得する」ときに、持たざる者が絶対に自覚すべき事がある。
長らく社会問題になってるんだけど、どうよ?
これは「俺たちに配慮しないと問題を起こすぞ(=いやならお前たちの富を寄越せ)」という意味だ。
デモやストライキもその意味ではまったくいっしょだ。「社会問題になってますねー(チラチラ」はサボタージュに近い。
「持つ者」が多数派で法を支配している場合、「持たざる者」のあらゆる抗議は違法であるとされる可能性がある。または適法の行動では「持つ者」の意志を一切変えられないという事態も予想される。法の支配や独占は言うまでもなく(適法ではあるのだろうが)ある種の暴力である。その場合「持たざる者」の抗議行動はテロになるだろう。
デモやストライキ、サボタージュとテロの違いは法律で許可されているかいないかの一点に尽きる。しかし手法としては同一線上にあるものだ。
持たざる者は、何かを得るには何かを捨てなければならないんだよ。
増田は何が欲しいわけ?そのために何を捨てられるの?そういう話。