2015-09-27

性犯罪者ブログと、はせ おやさいさんと、少しはてこさんについて

「仕方がないよ」という言葉は、本心からではなく、そう言っていないと、本当に、心が死んでいってしまうからでした。大きすぎる問題に立ち向かうには、当時の自分はあまりに幼く、力も、知識もなかった。ただ「受け容れる」、そうするしか方法がなかったからです。

生き延びた人たちが身に付けた対処法は、あくまで死なないための技術であり、能動的に欲しがって得たものではありません。それなのに、その技術を頼りにし、よくない言い方をすれば、利用して、自分を救ってもらおうとする人が、残念ながら存在します。

はせ おやさいさんと同じ環境に育っても、脳のハードウェア的なスペックイマイチIQEQが低い場合

どんなに心が死にそうでも「死なないための技術」を身につけられなくて、潰れる/詰む/死ぬ、という状況に陥っているし、

そういう人は魅力的な文章を紡げないので、知られる機会が無く、無かったもののように葬り去られます

 

自分もっと頭良く/悪く生まれていたら?というところは想像しにくいものですが、

はせ おやさいさんは、やっぱりすごく恵まれた脳に生まれていると思います

そのせいで周囲から余計に期待されて、余計なものまで負わされて、余計に苦労もされたのだと思いますが、

それでもIQEQが低いよりは、未来がある分、ずっといいのだと思います

皮肉ではありませんし、「だからIQEQが低い人を助けろ」と言うつもりは全くありません)

 

賢い人ほどうつ病になるイメージがあるのは、うつ病を外に向けてわかりやす説明できる人が、

結局賢い人しか居ないから、そういうことになっているのだと思います

実際には、環境が悪ければうつ病にはなりますし、IQEQが低いとそこから抜け出すことが出来ません。

精神疾患持ちに、賢い人やお金持ちは少ないです。少ない例のみがメディア露出します。

 

そういう思考をする人間を、元エントリのような人は敏感に察知し、近づいてきます。表面は「あなたの苦しみを理解しているよ、だから僕の苦しみも理解できるよね」というふうに親しさを装い、近づき、自分のヘドロのような感情をわたしに押し付けて、用が済むと、去っていきます。わたしは一方的ゴミ押し付けられて、ひとり呆然しますが、ただ笑ってこう言うしかできないのです。「仕方がないよ」。

エントリのような人は、ヘドロが四六時中沸きあがってくるような「思考のクセ」を持っていますし、

誰かに押し付けないと自分から湧き出たヘドロで窒息するので、常に痰壺にできる人間を探し回っています

IQ一定より高くないと、「思考のクセ」に自分で気づいて、年単位時間をかけてじっくり治していくということは出来ません。

脳のスペックが足りている人は、ストレスから解放されて、「思考のクセ」に向き合う時間を設ければ治ります

脳のハードウェア的に出来ない人が居ます。どれだけ休んでも「思考のクセ」を手放す力が無いのです。

痰壺探しに明け暮れて、そのまま加齢して死にます

 

暴力衝動遺伝します(それを研究している人も居ます)。やっぱり、私が一番可哀想だと思うのは、

現代社会で生きにくく、人に迷惑をかける身体(脳を含む)に生まれて、そこから死ぬまで出られない人です。

戦時中狩猟採集社会では英雄になり得た身体が、平和現代社会では前科者になります

どんな時代・どんな身体に生まれるかは運です。自力コントロール出来ないことが人生の多くを決めています

 

でもはせ おやさいさんや、くたびれはてこさんのような人が、可哀想な人を身を挺して救う必要全然無いと思います

助け合いが出来る対等な関係の中に留まる権利があると思います

一方的に救う役割は、SiriPepperが負えばいいのではないでしょうか。

Pepperは既にクレーマーみたいなおじさんに暴行されてましたよね。

人間がやる必要は無いです。人間を道具にしてはならない。道具を道具にするべきです。

 

追記:

で、何が言いたいの?みたいな文章になってしまいました。

要は、奪う人よりも奪われる人の方が、生まれとしてはマシという主張です。

「50歳男性セクハラされて困ってる25歳女性」と、

「25歳イケメンに本気で恋愛感情を持ってしま気持ち制御出来なくなって苦しんでいる50歳女性」だったら、

多くの女性は前者で居たいです。前者の方が、怖い思いをするけど、未来があるので。

しつこいようですが、25歳女性は50歳男性セクハラ笑顔で受け入れる必要は無いです。

25歳イケメンも50歳女性を「男の甲斐性」とか「据え膳食わぬは男の恥」とか言って受け入れる必要は無いです。

まれている側は身体的・知的資本自分のために使い、「俺は被害者だ!」とか訴えて集ってくる他者から守る権利があります

コミュニケーション能力、傾聴能力事務処理や工数管理などの業務遂行能力など知的能力も、自分のものです。

能力を独占するか、取引に使うか、自分愛する人のために無償で使うか、それは自分次第です。

身体的・知的資本を持っている人は、その使い道を考えることができるし、未来があります

「ゆすり、たかりに応じなくてはいけない」という洗脳が解けたあと、幸せが広がっています

資本が無い人は、洗脳されているかどうかに関係なく、周囲から無視をされます

構って貰えるのは、加害行為をして周囲から叩かれるときだけです。高齢者が変なことになるのも、そういうことだと思います

 

あと私が書きました。@hmmpic

  • http://anond.hatelabo.jp/20150927002331 はせおやさいは、おんなゼゲンだろ!

  • wiz7 これを書いた本人は、持たざる者を擁護したいのかな?自分がそうだからかな いや、擁護する気はさらさら無いです。 「ベンチャー役員三界に家なし」のユウタロスさんが、通り...

  • 関わりたいから関わってくるのだろうし関わりたくない人は関わってこないようにするだろう 関わらない人を関わらせてくる事はものすごく迷惑なのじゃないか 神だろうが蛆だろうが...

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