はてなキーワード: 営業所とは
ずっと営業だったのだが、異動して企画職になるのに憧れていて、念願かなって企画部の配属となった。
自分は営業職時代にもお客さんに響くちょっとしたサービス(営業所内の予算でできる程度のもの)のアイディアを出して自分で試してみたり、資料を作ったり広告を打ってみたりと、新しいことを思いつくのが得意で、会社全体を対象としてそのような仕事をやりたいと考えていた。
実際に異動してやってみたら、アイディアを出すのは得意なのだが、いろんな人から意見を聞くために時間を割いてもらったり、人に説明して理解を得て一緒に動いてもらったり、イベントに社員を駆り出すために依頼したり、そういった周りの人を巻き込むための段取りがとても苦痛であることに気づいた。
うちの会社には社員会みたいなやつがあって毎月2000円ずつ強制徴収され
その金から忘年会とか飲み会補助金とか冠婚葬祭の礼金とかが出ている
それ以外に、休日に行事が行われ運動会や遠足や勉強会なんかが開かれている
そのお金にも充てられている
親が死んだときに金が出たのは正直助かった部分はある
(いや、そもそも毎月2000円も徴収されていなかったらもっと財布に余裕があったのでは?)
だが、俺個人としては給料も出ないのに会社の行事には全く出たくない
出たくないので出ませんと言う話をしているのだが
うちの上司はそういうイベントが大好きみたいで出ろ出ろとうるさい
出ねーよバーカ
強硬に出ないと主張すると「そこまで言うなら自分だけリターンが少ないとか文句言うなよ」とのたまってくる
言ってねーよバーカ
俺は給料も出ないのに休日に会社の行事には参加しないと言ってるだけだよアホ
勝手にお前の中だけで言ってもないことを捏造してお前の中だけで怒ってんじゃねーよ
こういう勝手に金とって押し付け福利厚生って今日日しょうもないと思うんだが
いつまでたってもなくなる気配がない
今年も忘年会の季節が来るがよく知らん他所の営業所の奴と一緒に飯食っても楽しくねーんだよ
しかも年末のクソ忙しい繁忙期をなんとか仕事詰めに詰めて早く切り上げて参加
やってらんね、もうやめちまえよ
という当たり前の話が出てくるだけでは。職務の範囲を限定しないメンバーシップ型の雇用を行っていた日本の一部企業(ただし大企業に多いので目立つ)では、ある仕事が無くなったり手が余るようになった時には企業が別の仕事を充てがう努力をしなければならないから、事業縮小をする時にさえ解雇は難しく、解雇の4条件が満たされにくいというだけであって、特定の職務を決めてそこで雇用をするというメンバーシップ型でない企業においては昔から日本は解雇がしやすい国。むしろ中小企業ではあいつ気に食わないから解雇なんてのまで横行してたりする。メンバーシップ型企業では職務を限定しないので社員を自由に配置転換したり、地方営業所に飛ばしたりできるメリットが企業側にはあったからそれと引き換えの解雇の難しさなのであって、Twitter社のようなケースにはそもそも関係がない。ポリコレに反する投稿AI検知のプログラマーに外回り営業をさせることは難しいし、そのかわりAI検知の仕事が縮小する時に解雇させやすい。今回のTwitter社の件は単にもっと単純な労働法抵触があるだけ。手順さえちゃんと踏んでいれば解雇は容易なはずで、でもそれはメンバーシップ型の他の企業にとって、あるいは日本経済全体にとって参考になるところが乏しい話だ。
正月に家族で旅行中、親の代わりに車を運転することになった。その車の任意保険は本人(親)のみだったので、コンビニで一日任意保険に加入することにした。コンビニのマルチコピー機で必要事項を入力するのだが、自分の免許証の有効期限を入力するとエラーとなる。よく見ると、和暦が去年のもので、更新期限を11か月過ぎていた。最近の免許証には西暦も併記されているが、当時は和暦のみだった。
このことに気づいたときは血の気が引いた。マイカーを有効期限が切れていたときも運転していたことになり、宅配便の営業所止めの本人確認証として免許証を提示したこともあった。
旅行中はスマホでググりまくって、今後の方針を検討した。運転免許試験場が自宅から自転車で30分の場所にあるので、自動車学校ではなく試験場での一発試験(飛び込み受験などとも言われる)で受けることにした。
旅行から帰宅後、免許証の更新案内のハガキが冷蔵庫に貼ってあるのを見てショック。うちの冷蔵庫には書類や封筒が大量に貼ってあり、ハガキはその中に埋もれていた。過ぎたことはどうにもならないので、試験場に行って免許証の失効手続きを行う。失効から6か月以内なら免許証が再発行されるが、6か月超から12か月以内は仮免許からのスタートだ。やむを得ない理由があれば期限が延長されたりするが、ただの忘れはもちろん対象外だ。自分は普通(準中型5t限定)と中型二輪の免許を持っていたが、限定なし普通のみの仮免許となった。
試験場に隣接して、安全運転協会が運営する練習場があって、ここでは試験場と同じ車種で模擬場内コースや、実際の路上試験コースを走ることができる。仮免許でも指導員(免許取得3年以上)の同乗で公道を走行可能だ。早速、路上試験練習を申し込み、その日のうちに練習することにした。申し込む際、指導員の方にMTでええのか、久しぶりならエンストしまくるでとアドバイスをもらったが、マイカーがMTなこともあり、当然MTで進める。料金は50分・約9,000円。
当地の路上試験コースは3つあり、どれになるかは路上試験が始まるまでは分からないため、3コースを覚えておかなければならない。まあ、経路が重複するコースもあるし、所要時間は15分くらいなので、それほど難しいことではない。指導員の方にコース上で気を付けておいたほうがよいポイント、悪い癖の指摘を受け、今後の練習に大変役に立った。練習終了後、路上練習申告書というもの書いてもらった。学科試験を受けるには5日間の公道練習が必要で、練習日や同乗者の氏名などを申告書に記入するものだ。ちなみに、エンストは練習車に乗り込み、駐車場から発進するときに1回だけした。恥ずかしいね。
仮免許で公道を運転する場合は、仮免許の標識(自動車学校の車のついているやつ)を車の前後に掲示しなければならないため、Amazonでマグネット式ものを購入。マイカーに父親が同乗してもらい、路上練習をしていくことに。23時くらいに自宅を出発、路上試験と同じコースを数回走って帰宅する練習を2時間×4日行い、路上練習はクリアだ。特に意識するのは、ウインカーのタイミング、交差点右左折時の寄せ、見にくい横断歩道の徐行、ポンピングブレーキ。路上コースのうち一つだけ、片側二車線で交通量が比較的多い国道の路肩がスタート地点のものがあり、試験がこのコースになったら嫌だなと思ったりした(フラグ)。路上試験後の場内課題は縦列駐車と方向転換があり、縦列駐車は父親の会社の敷地内で練習させてもらった。方向転換は駐車場に後ろ向きで止められるなら余裕、と思っていたので大して練習しなかった。
次は学科試験に合格する必要がある。自動車学校では技能試験→試験場で学科試験の流れだが、一発試験では逆なのだ。参考書を買って勉強する。特に重量制限などの数字は忘れていることが多いので、これを機に復習する。問題をランダムに出してくれるありがたいサイトも活用した。学科試験・路上試験は平日しか実施していないので、有休を使って会社は休むしかない。結果、学科試験に無事合格。受験料は約3,500円。
これで路上試験を受けられるようになったが、受験は予約制で、電話ではなく現地窓口でしか予約できない。その日のうちに予約して、2週間後の受験となった。会社に有休の申請も忘れずにしておく。ここからはYouTubeで運転動画を見て勉強する。
路上試験の当日。緊張しながら自転車で試験場に向かう。一発試験の合格率は5%とかなり低いことや、落ちてしまったらまた有休を使わなければならないので、挑戦は数回だけだ。受付後、受験時間まで待合室にあるコース図を見ながら脳内で何度もシミュレーションする。あのコースだけはやめてくれとついでに祈る。受験料は約5,000円。
集合場所は試験場の発着場で、時間前に自分を含む受験生3名が集まった。40代くらいのおじさんと、30代くらいのお兄さんだ。緊張しているためか、会話は無い。集合時間となり男性試験官2名が登場。ここでコース発表が行われ、自分は例のコースとなった。最悪だ…。同乗はおじさんと試験官2名、お兄さんは受験生同乗なしのコースで、自分達が終わってからのスタートとなった。まずはおじさんの番で、お手並み拝見だ。何回かすでに受験されているらしい。手荷物をトランクに載せ、自分は左後部座席に乗り込む。
おじさんの運転といえば、加減速はスムーズだったが、信号待ちで毎回サイドブレーキを引いていたり、内掛けハンドル(手のひらを外に向けて握る)で曲がっていたり、ポンピングブレーキをしていなかったり。どうなんやろ、と思いながら見ていた。
そんなこんなで例の片側二車線の路肩に止まり、自分にスイッチ。乗り込み、シートベルト、ミラー類確認。エンジンスタート。サイドブレーキを解除しつつ左右後方確認後、発進。ここで状況は、200m前方の信号が赤、右車線は埋まっており、自分の車線の前方は空いている。クラッチペダルから足をゆっくり離していくもなかなか動かず、焦って回転数が4000くらいまで上昇。試験官から「ゆっくり」とアドバイスをもらいつつ、やっと動き出した次の瞬間、試験官が補助ブレーキを踏む。ちょうど、右にいたダンプがこちらの車線に入ってこようとしたのだ。ダンプのクラクションのおまけつき。試験中の車両になんてことするねん…。すみません、と謝りつつ再度安全確認をして無事発進。試験官にブレーキを踏まれたことで一発アウトやん、でも降りてくださいとは言われてないし、なんでやろ?慣らし走行(スタートから100mくらいまでは減点しない)扱い?まあアカンやろうし次の試験日はいつがいいかな~と、ため息をつきながら上の空で運転していた。態度悪い。
何事もなくコースを走り、ゴールの試験場の発着場に到着。合格ならこのあと場内課題があるが、試験官から2人とも降りて手荷物をトランクから出すように言われ、やっぱり落ちたんや…と確信。おじさんが試験官と話しをしている。どうやら落ちたらしい。自分の番、試験官から車に乗ってくださいと告げられ、テンション爆上がり。すまんな、おじさん。おじさんはリタイアし、ここからは試験官2名が引き続き同乗。
場内課題は方向転換。この課題は時間無制限で、安定を取るためアクセルを吹かさずクラッチワークだけでノロノロと後退。何なら1回だけ前進して切り返しちゃう。発着場に戻り、合格を告げられ、やった!と声に出る。試験官にあのときブレーキ踏まれましたよね?と聞くと、踏んだ。けどその後はよかったので合格とのこと。具体的な点数みたいなのは教えてもらえない決まりがあるので、詳細はわからないがよかった。
このあとは待合室に戻り、技能試験合格証を受け取る。その際、免許交付まで練習運転はしないように言われる。たしかにそうだ。それと、取得時講習(危険予測講習・応急処置・高速教習)を自動車学校で受けなければならず、県下の受付学校リストも貰う。自分で自動車学校に電話して、取得時講習の予約を取らなければならない。取得時講習を休止しているところもあった。朝から夕方まで丸一日の講習だ。同県内ではどの学校でも料金は統一されており約15,000円。2月だったせいか、直近はほとんど予約が取れず、一番早い学校で1か月後という感じ。しかも平日しかやってない。
取得時講習はその学校の教習生と一緒に運転する機会もあり、これが一発試験合格の運転やでと心の中で自慢しつつ、無事講習終了。
翌日、免許証を受け取りに試験場を訪れる。免許の発行は平日限定。免許の受け取りは教室で行うが、自分は自動車学校の卒業生とは違う列(一発試験や再発行組?)で、他に4人くらいいた。無事、免許証がもらえ、マイカーを運転できるようになった。仮免許練習後、1か月半くらいは乗ってなかった。ただし、緑色なので初心者マークは必須だ。
一発試験の話はここで終わり。かかった費用は5万円くらい。期間は3か月。仮免許から自動車学校に入校すると、費用は倍以上するのではないだろうか。問い合わせていないのでわからないが。
後日談として、初心者マークなのはなんだか癪だと思い、中型一種を取得時講習を受けた自動車学校で取得することにした(さすがに中型以上を一発試験は無理なので)。中型以上の免許では初心者マークが不要となる。ほかに不要となる条件があるようだが、これが確実だ。本来、中型一種は2年以上の普通免許所持が必要だが、免許再取得前の期間でも適用できるので、運転免許経歴証明書を試験場で発行してもらい、これを自動車学校に提出すればOKだ。2か月くらいかかって無事卒業、青色免許となって初心者マークも卒業となった。ただし、初回更新扱いは継続で、3年後に更新手続きが必要だ。ちゃんと更新手続きしてきたので、同じような境遇にあった人の助けになればと思って書いてみた。
学生時代勉強は程々になんとなくで短大に入り、卒業した後は転職すること無く、大学の先生に進められて入った中堅メーカーの営業所でずっと営業事務をしている
残業は無いから定時後は即家路につき、夜は母親のご飯を食べたあとはダラダラNetflixを観ながら過ごすだけで無為な毎日を反復している
20代の頃は同じ独身の友達とランチや夜ご飯に行ったりしたものだが、
歳を重ねるにつね周りの友人も結婚し始め、今はもう遊びに声をかけてくれる人もいなくなった
仕事では中堅メーカーの営業所レベルなので事務の女性は欠員が生じない限り採用はせず、入社してから誰も辞めなかったため事務の中では私がずっと一番下だ
入社当時からの先輩・大先輩も同じフロアにいるが、私と同じでみんな実家暮らしの独身には変わりない
昔はお昼休憩のときに事務同士で少しは会話があったかと思うが、時が経つにつれて自然と会話がなくなり、誰が何しているとかもう知る由もない
仕事場の男性は全国転勤ありで、各地から営業所に配属されている
でもみんな各々家庭を作っており、先週は2年前に配属されたばかりの新人君が朝礼で結婚報告をしていた
仕事でもプライベートでも、歳を重ねるごとに孤立感を感じて心が段々と締め付けられていくのを感じる
普通の人は進んでいくのに、私はマスの無いすごろくで無意味に止まれを繰り返している気がする
かといって特に何をするとかは考えていない
私はこれまでのように誰かが私の人生を進めてくれる、流してくれるのを期待しているのかもしれない
定年後再雇用で給料下がったから下がった分の仕事しかしないって吹かしてるジジイがいるけど
お前の同期は同じように定年後再雇用で定年前と同額もらって働いてるぞ
お前の給料が下がったのはさ、これまで年功序列だからとりあえず上げてた分を
ゼロベースで再計算したら「お前の仕事に払える給料ってこんなもんだよね」って結果になったからでさ
仕事の質を落としていいから安い給料で我慢しとけってわけじゃないんだわ
どうしても下がった分の仕事だけしかしたくない!って言うんならいいんだけど
今日の会議で、お前の仕事ぶりが変わらなかったら10月の期変わりで
本社はそれなりに忙しいからあんま仕事してない奴が混ざってると士気に関わるし
お前のペースに合わせた仕事ぶりでも大丈夫な場所でのんびりやってもらうしかないよなハハハ
だってよ
大事なのはこれを国民がちゃんと知っておくこと。統一教会はこの手順でつぶすのだと理解しておくこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E6%84%9F%E5%95%86%E6%B3%95
1984年、後に明覚寺の管長となる男性が千葉県野田市に水子菩薩を扱う訪問販売会社を設立[30]。地元の曹洞宗の寺と協力して販売していた男性が、1987年に醍醐寺の末寺として茨城県大子町に1987年に宗教法人「本覚寺」を設立し、関東一帯にそのグループを展開した[30]。1988年に真言宗 醍醐派を離脱し独立の寺として霊視鑑定を行っていたが、消費者センターに苦情が寄せられて詐欺商法だとして損害賠償請求が次々と起こったため、一時的に活動を中止した[30]。その後、休眠状態にあった和歌山県の高野山 (高野町)[31]にある「明覚寺」を買収し、関西地区で同様の活動を再開したが、こちらでも損害賠償請求が多数起こった[30]。愛知県警は明覚寺系列の満願寺(名古屋市)の僧侶らを摘発した[30]。1999年12月16日に、文化庁は「組織ぐるみの違法性が認められる」として和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求し、和歌山地裁は2002年1月24日に解散命令を出した[30]。明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった[32]。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった[30]。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/shuukyo/giji_list/index.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/shuukyo/gijiroku/1329788.htm
第2段落でございますが、「「修行目標」が定められていたこと自体、詐欺行為が組織的なものであったことを裏付ける事実というべきである」。その2つ下の段落でございますが、「さらに、抗告人が相談者から供養料が振込入金されることを確認し、その金員を管理していたことについては、抗告人も自認しているところ、この事実も詐欺行為が組織的なものであったことを裏付ける事実というべきである」。以上の理由から、抗告人の主張はいずれも採用できないということで、結論といたしまして、原判決は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却するという決定を行っているところでございます。これに対しまして明覚寺は、10月4日に最高裁に対しまして特別抗告を行っておりましたが、資料3-2にございますように、本件抗告理由は、民訴法第336条第1項に規定する特別抗告ができる理由で特別抗告をしていないと判断して、棄却する旨の決定を行ったところでございます。以上によりまして、明覚寺は解散をいたしまして、資料3-3の法人登記簿の3枚目の一番下にございますように、平成14年9月27日、和歌山地方裁判所の解散命令の決定の確定により解散となったわけでございます。
阪神・淡路大震災が発生し、このときばかりとオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした1995年の春のことです。和歌山県高野山に拠点を置いていた宗教法人・明覚寺グループの「霊視商法」詐欺事件が明るみに出ました。
この明覚寺グループは、茨城県大子町に本拠地を置く本覚寺グループをルーツにするもので、関東一円で霊感詐欺商法を展開していたのですが、被害者たちの訴訟が増えて1994年から1995年にかけて中部から近畿に転身して霊視詐欺事件を起こしていました。
ルーツである本覚寺時代の霊視商法というのは「相談料3000円」という宣伝文句で客を引っ張り込んで相談に来た主婦などを巧みに誘導して霊視鑑定し、祈祷料や供養料を要求するものでした。
問題視した消費者センターは「相談料という宣伝文句は、占いの見料に相当するもので商取引にあたる」と主張。すると「相談料・お布施として」という文句に変更し、あくまでも”宗教活動行為”であることを主張しました。
本覚寺の管長(宗派を管轄する長)は、西川義俊という男で、大阪府立大学経済学部を卒業したあとに大手製薬会社の営業マンとして働き、やがてコンドームなどを販売する訪問販売会社「協和」を設立しました。
1984年からは千葉県野田市を本拠地にし、地元の曹洞宗の寺と組んで、「水子菩薩」を売り出して蓄財。一方では京都の真言宗醍醐派の寺に通っては修行(笑)し、1985年「修験道教師」となりました。翌年には剃髪して得度に至たります。
これらは、”宗教は最大のビジネスである”と考えていた西川の予定の行動で、西川は日本仏教指導会という団体を開設、「仏教商法」に手を染めることになる。1987年に醍醐寺の末寺という位置づけで本覚寺を本山とし、関東一円に昇運寺、法輪寺、迎春寺、実証寺、春光寺、幸福寺、明星寺、光明寺などの”道場”を開設していきました。
いずれも宗教法人格は持っておらず、謂わば「霊感商法のための営業所」のようなものでした。それぞれの道場には霊能者はいましたが、その多くは避妊具訪問販売員が霊能者に扮していたものでした。
自分は、契約社員なので転勤とかもほぼ無く、あったとしても首都圏な為自宅から通える範囲でしか職場は変わらない
とある総合職の女性社員が時短で働いてるのだが、転勤は自分と同じ様に通える範囲の支店や営業所らしい
「総合職なのに殆ど首都圏から出ないのズルくない?お前だけじゃないけど〇〇(男性社員)も転勤決まったら奥さん離婚するって言い出してずっと関東。そんなに転勤嫌なら総合職辞めて、転勤無しのエリア職になるかそれも嫌なら退職しろよ。」
同じ給料貰ってるのに時短だけじゃなく、転勤の有無も優遇されてたらそりゃ不満は出るわな
自分は、転勤も嫌だし転職する時に柔軟に働けそうな契約社員に応募した訳だが……
やっぱり本音はこれなんだろうな
https://basefood.co.jp/news/929
ベースフードでは、夏場の配送及び倉庫・営業所が40度になった場合での保管を想定しテストを実施しております。
全商品で、高温保管(40度)7日間保管したものを官能評価し、味の劣化がないこと、賞味期限の短縮がないことと、安全性に問題ないことを確認済みです。
包装紙の材質は賞味期限が短いパンとは違い酸素を透過しないものを使用し、静菌性が高い状態を保つため脱酸素剤及びアルコール蒸散剤も封入しております。
全商品、35度の環境下で保管し30日後に菌数が食品衛生法で定められた範囲内でおさまっており衛生上問題ないことを確認しております。
ワイは彼らを信じとるで。