はてなキーワード: 創作物とは
自信をね、持てればいいんだけどね。難しいよそれは。
それこそ、創作活動を始めたのも、自信を持ちたかったからというのがある。
もちろんもともと物語が凄く好きだったからなのはあるけど、それでも二十代半ばまで消費専門だったのが急に創作しだしたのは、作品という成果を作りそれを受け止めてもらうことで自信を持ちたいって気持ちがグワッと上がったから。
けど今のところは、創作物を読んでもらえるのは凄く嬉しいけど、それだけが私の許される部分、私の価値であって、作らなくなったら何もないし見捨てられるんだろうなって思う。
こんなのは別に私個人の特別な悩みじゃなくて、ちょっと前にツイッターで交わされた「人間のコンテンツ化」みたいな話なのだろうな。
自分の人生の面白い部分をツイートして人気アカウントになった人が、その面白い部分だけでしか承認を得られないから生活を壊してまで自分をコンテンツ化することの是非、みたいな。
私の創作の面白さなんてタカが知れてる上に創作のネタにするために生活壊す取材してるわけじゃないけど、「エンタメを発表する機能としての自分だけが受け入れられてる」っていう感覚は凄くあるし、その拭い方=根本的自信や自己肯定感の持ち方は分かんないや。
人との繋がりがこれを改善してくれるかとも思ってて、それが「繋がるために創作してる」と思われそうな雰囲気になってるのかもしれないけど、創作で繋がりを持つ努力も結果はかんばしくないしね。
今さらおそ松さん見たんだけど…おそまつさんの顔がウケる要因みたいに分析してた連中はやおい力が低いなぁ〜と思いました。ジャニーズが好きだったり、獄都事変が好きだったり、ヘタリアが好きだったりするのを見たら女の子の趣味わかるじゃんって感じのアニメです…はい。
僕個人的な経験と言うか腐女子やスイーツを観測した結果から言うと、腐女子って男への愛が割と「お母さん型(淫夢が分かる人なら「観賞植物ニキ型」の方がわかりやすい)」で、スイーツってどちらかと言うと「悲劇のヒロイン型(イケメンに騙されても、酷い目にあってものろけられる人)」だと思うわけ
で、腐女子の場合に関して言えば、男がイケメンである必要すらないし、自分が愛される必要もないんよ…。なんつったらいいの?兄弟とかチームメイトとか、仲の良い数人が悪ふざけやバカ話に興じてるところを、隣の部屋の壁の穴から覗いていたい人達というか、お茶しながら眺めてたいお母さんポジっす!
平たく言えば、俺の個人的な意見としてジャニーズの中でもグループ仲がいいヤツや、メンバーが多いグループを好むタイプの人は腐女子と性質的には近いと思うの。
逆にイケメン好きかイケメンに騙されたい(イケメンのすることなら自分でバイアスをかけまくって許しちゃう)系は少人数のグループを好む
どっちもその局地はホストに引っかかりやすいとは思います。ただ、どっちかというと腐女子は…貧乏くじを引くグループ(オタサーの姫、バンドマンの彼女)に入っちゃうタイプで、スイーツがホストぐるいしそうなイメージ
なんか、腐女子がV6のしゅうがくりょこうのパロネタ動画作る理由をおそ松くんでわかった気がしてきた。男は情報が欲しくてテレビ見るけど、女の子は男同士でバカなことしてるのを見たくてテレビ見る人(こっちが腐女子的)と、イケメンが見たくてテレビ見る人(こっちがスイーツ敵)がいるから
ちなみに、テレビと主婦に親和性があり、吉本的なテレビが一時期人気だったのは、アレは潜在的に腐女子的な好みの人(男同士のバカ騒ぎを見るのが好きな人)とテレビのマッチングだと思う。ちなみに、韓国ドラマとか福山雅治とかは腐女子的な系統ではなく、スイーツ的な系統。
よく、男の中でコンテンツオタクな人が「女が趣味に関わってくる・投票力を持つとその主観がつまらなくなる」なんて言うけど、アレは要するに見たいものが情報の精度や創作物としての完成度ではなく、「雰囲気」で判断してるからだと思うんだよなぁ…。特に腐女子寄りな人は
すごーくマーケティング的なわかりやすさで言えば、女性の中でも腐女子的な趣味とスイーツ的な趣味の人の分かれ目は「お笑い芸人達のバカトークを楽しめるかどうか」だと思うの。スイーツはイケメンじゃないとNGだからダメで、腐女子的な人は空間とか雰囲気重視だから、面白かったら不細工も下品も可
まぁ、面白いのは腐女子的な人がテレビのバカトークノリを楽しむ人種でありながら、いざ実際に付き合うとなるとそういうのに入れない孤独な人を選ぶって所。保護欲をそそるのか、集団ではなく個として認識してみてしまうかなのかは謎だけど、なんとなく腐女子の彼氏って友達多そうなイメージない
これがスイーツとの根本的な違いで、スイーツの場合は騙されようが酷いやつだろうがイケメンに恋するんだけど、腐女子って社交的でみんなとバカ騒ぎしてる奴に恋するかというと案外そうでもない。ヘタしたら社交的な人を怖がるんじゃないかな?
ただ、腐女子とスイーツという基軸で語ってきたけど「両方である女性」というのもいるからなぁ…こうなると本当に「無類の男好き」で、イケメンでもダメンズでも孤独な人でも許せちゃうと言うか、もうはたから見ててバカなんじゃないかと思うほど彼氏を甘やかす女の子になるからなぁ…壮絶ですよ
逆に腐女子でもスイーツでもない、どっちの性質を持たない「本当に男みたいに計算高くて理屈っぽい女」というカテゴリも僕はあると思ってる。ただ、そういう人って僕は嫌いだし、僕も彼女らに嫌われてるからお会いしたことも深くしゃべったこともないんだよなぁ…だから、仮説でしかない
この話書こうかな…。ただ、どうまとめたら反感を買わないか、いい感じに使えるかがわかんないんだよなぁ〜
メルマガ大先生はブサイクで下品な自分にも優しくしてくれる腐女子というイメージを着々と固めつつあるようです。逆にスイーツは自分を見下してるという被害者意識からこき下ろしまくっててめっちゃおもしろい。
昔から感想とか中の人同士の絡みをしたくて物を作る人は、もう創作が手段に成り下がってるけど、その成り下がりを認めたくないプライドが感想クレクレ厨になりきれない理由なんだろうと思う。
そういう所には綺麗にフタをし続けて本質を向き合う事を先送りにするから悪循環引き起こすんじゃね?
キャラが面白いとか話が楽しいとか、創作物の話じゃなくて作者の話に必ず絡めて行く同人屋さんが多いから大変だな。
あれだけ創作物と創作者の人格は並べて考えちゃいけないって言われてるのに、そういう議論や歴史的背景に配慮せず土足でずかずか上がり込んでればむべなるかな。
http://anond.hatelabo.jp/20160107215647
わかるなあ
私はこの人ほど規模の規模ではないけど、最初は自分が萌えるからそれを発散すべく書いていた
一度だけ200部近くだしたことがあるけど、これも見知らぬ人が対面で面白かったです~と一言くれたことがあったこと以外はなかったな
イベントで対面頒布しているから当然ではあるが、読んでくれた人がいるんだなって思ったけれど、それっきり
その後、本家の展開によって妄想の余地がなくなってしまったし、ジャンル移動した
当初はそういう理由で書き始めても、だんだんと自分はこれを書いていて良いのだろうかと気になり始める
反応がなくてもこれは趣味であって義務ではないと言い聞かせるようになると、自分の創作物の価値が気になって仕方がない
なにも発散するだけなら支部に上げなくても良かったんだけど、誰かと共有したいと思ったのが間違いなんだろうな
そこからだんだんと目的がずれていって、最終的には自分のためじゃなくて誰かのためになっている
二年間活動した終着地点がそこで、自分の創作はなんの価値も無い文字の羅列だという認識にしかならなくてしまって、書けなくなった
私はまだ同人活動を続けているけれど、やはりそれも、今は「萌えを発散したいから」という認識が強いためだ
少し前に拷問系AVがどうのとかTwitterで話題になっていた。そんなに多くのツイートを追いかけたわけではないのだけど思うところはたくさんあった。
だいたい落ち着いたところだと思うので、ずっと考えてたことをまとめて書いてみようと思う。
自分はDMMのアダルトビデオ、特に拘束、SM系の動画を手当たり次第見ることが以前はあった。話題になっていた拷問系?はそんなに見てないかも。まあ、最近はそういう欲求がほとんどないので、全然見ないけど。
見ると言っても大抵無料サンプルのみで、何故なら、…単に集中力が持たないからである。そんな感じなのでこの話題についてあまり詳しくはないと先に言っておく。
ちなみにxvideosで見ていたことも少しだけあったが、著作権の問題が気になりすぎてやめた。その点、DMMの動画なら安心だ。無料サンプルばかりで正直申し訳ないとは思っている。
Twitterでの例の話題で気になったのは、アダルトビデオでの行為は大手メーカーなら当然フィクションでありそんなことは当たり前で、ばかばかしい指摘だ、というような反応が割とあったことだ。
たしかに自分も見ているときはもちろんフェイクであると思って見ていたし、俳優の方々を本気で心配したことは一度もなかった。というか、妙にノリのいい音楽とアニメ声のあからさまに演技!という感じのものしか見たことがないので、正直あまり実感がない。趣味に合わないものは徹底的に見ないわけだし。
しかし労働環境はどうなのかという視点で考えると、劣悪なところは結構多いのではないかと思えた。
何しろこんな世の中で、一般的な職場でさえ驚くほど劣悪なところがあったりするのに、アダルトビデオ業界というオープンになりにくいところで劣悪な現場が全然ないとかそんなことがあり得るだろうか。
もちろん、優良なメーカーもあるだろう。それに一応審査があるはずで、映像倫理機構とかその他複数あるらしい。ちょっと調べただけでは詳しく分からなかった。あまりに過激な内容であれば多分審査の段階で弾かれると思われる。
(ただし自主制作のものだと審査があるわけでもなく、本物の拷問まがいの行為の動画がある可能性がある。そこまでいかなくとも、酷いものはあると思う。)
自分はメーカーとか全然詳しくないのだけど、色々工夫して映像を作っているという話は聞く。大抵は模型やらなにやらを使って創意工夫のもとで拷問というフィクションを生み出しているのだと思う。
ただ審査があるとは言っても作品を見ただけでは実際の労働環境までは分からないわけで、特にアダルトビデオの性質…素人だとか盗撮だとか本物のレイプ映像だとか、たとえ実際にはフェイクであっても創作性とは別のところが重要視される分野であることを考えると、そこらへんがホラー映画などとはちょっと事情が違うというか、これって大丈夫なのか、と思ってしまうポイントである。
過去に起きた事件というのも、本当に大丈夫なのかと考えてしまう一因である。また知的障害者などが被害にあっているという情報もあり、そういうのも気になるところ。
もちろん、そういった問題があるからといってすべてのメーカーがそうだというわけではないし、色眼鏡で見られやすい業界であることを考えると、極端なところを取り上げて騒ぐとみんな潰れてしまうのではという懸念も理解はできる。
ただ本当に、いかに興奮できるか、抜けるか、という実用性が重視されるものであり、過激になりやすくオープンにしにくい、しかも粘膜に直接異物が触れるなど相当にハイリスクな性質を考えると、映画やドラマその他の映像作品とはやっぱり事情が違う、フィクションだから大丈夫だと安心できないなと自分は思った。
こんなのフェイクに決まっているしいちいち騒ぐほどのことではない、映画の殺人シーンがいかにリアルであっても騒ぐ奴いないだろうというのは確かにそうなのだが、映画には訓練されたスタントマンやCG、精巧なセットを作り上げる美術スタッフが存在すること、莫大な予算と時間がかけられているということを我々は知っているし、
それによってリアルな残酷映像を安心して見ていられるのだと思う(まあ映画の撮影にだって問題は多くあったりすると思うんだけど)。
どうやってリアルな映像を作っているか、俳優がどのような努力をしたかなどが詳細に語られることも多い。
アダルトビデオも最近はどうやって映像作りをしているか語られることも割とあるとは思うのだが(メイキング映像とか)、その性質を考えると制作現場はもっともっとオープンにされるべきだし、それをアピールしていく必要があるんではないか。
表現するものが何であれ、というかどんな仕事であれ、労働環境は改善されるべきだし、どのような対策をとっているかなど具体的なことがもっと必要なのだと思う。危険を伴うなら尚更だ。
劣悪なメーカーが、努力している優良なメーカーの足を引っ張っているというツイートを見かけたけど、たしかに現状そんな感じなのだと思う。
また過激な表現を守りたいのであれば、アダルトビデオを安心して見るために劣悪な労働環境をなくそうという声を積極的に上げなければならんのではないか。
観測範囲にはなかっただけで、そういう声も結構あったのかもしれないが、自分はほとんど見なかった。異常者扱いされることへの反発の方が多かったように思う。
たしかにこんなのを見るなんて信じられない、醜悪だという声は結構な数あり、正直内容を考えると仕方がないと思う。
見ない人には慣れなどというものはまったくない分野であり、見る人だけが見るもので一般的な理解は得にくい。
だから興味ないならほっとけということではなく、表現は守られるべきだからこそ労働環境は厳しく問われるべきで、オープンになりにくいからこそ野暮な指摘は重要なんではないか。
「これは表現であり創作物である」ということをしつこいくらいにやっていく必要があると思う。
あんまり健全だと興奮できないという声は結構あると思うのだが、制作現場にまでそれを求めてどうするというか、そういう声を聞く必要はないだろうと。
労働者が死にそうになりながら作った製品でなければ満足できませんとか言われても。
俳優が危険をおかしていることをアピールして作品の価値を高めるというやり方もあるけど、程度によるかな。
あと当たり前だけど性教育は必要。人間の身体の正しい知識、他人の身体の扱い方が浸透してなさすぎる、幻想が溢れすぎていると思う。現実的な前提あってのフィクションでしょう。
と、まあこんなところ。もっと現場の声を聞きながら現状とか問題点とか表現についてとか考えてる人はいると思うので、そういう人の話を聞きたいかなあ。
目新しい何かを(特定の場所で)発表すると、すぐに、どこからともなく情報が漏れて世に広がってしまう。震源地が誰だかわからない状況が現在だ。
かといって、震源地が特定されても、今の時代、開拓者は命の危険もある。そして、全くといって情報が広まらないのもまた困る。
こうした状況では、震源地と出会ったとしても、人々はそれを震源地だとは分からない。「それは世の中で言われてることじゃないか」と判断してしまう。
そして、震源地がどこだか分からないというのはデメリットもある。
コピーのというのは、劣化した質の部分も多くふくまれていて素人目には、(一部オリジナルが入っているので)どこまでが劣化で、どこまでが良質かは分からない。すると、人間が消費できる量には限りがあるので、劣化を多く含んだ食べ物で、お腹一杯になってしまう。しかも、払う金額は同じだったりする。
失敗するプロジェクトに時間とお金をさいてしまった場合は悲惨だ。目も当てられない。時間が10年~20年と経って失敗だと分かる。
美濃加茂市ののうりんポスターの件についてダラダラと。長くてごめんなさい。
こんな一瞬でゾーニング事案だなーと判断できる事で賛否?と思ったけれど、
twitterで美濃加茂市を擁護する人たちの苦渋に満ちた様子を見るとなぜかそんな簡単に割り切れるものじゃないらしい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html
↑に賛否両論の要約があるが、
擁護派の多くの意見は各々の感情をそれ風な理屈で見えづらくラッピングしたものでしかなく、
ポスターを見た子連れの母親ひとりの「エロいポスター貼るな」の感情的な一言に耐えられる強度には到底達していないと思う。
本来、この話は「エロに限らず、パブリックな場に好き嫌いの分かれるものはやめよう。見たくない人が避けられないから」で終わりなはずなのだ。
表現規制とかフェミニズムとかセクシズムとか男女非対称性とかオタク差別とか逆差別なんてものよりずーっと前の段階の話をしている。公共の福祉だ。
しかし、賛否の溝は埋まらず、対話なき泥沼戦争、納得のない罵倒合戦に突入している(ネットの一部で笑)。
擁護派の不満と鬱屈は吹きだまり、彼らの苛立ちと諦念はつのっている。「これだからフェミは…」「PTAかよ」と唾を吐く。
彼らは何かにむかついている。自治体ではなく、自分たちへの強い抑圧を確かに感じている。ポスターをはがされた事以上の抑圧を。
多くの擁護派=いわゆるオタクがクレームに対し息苦しさを感じている、その根幹の感情は何か?
自分たちの愛する創作物が「猥褻物」とカテゴリーされたように感じるのが堪え難いのだと思う。
twitterで目についたオタクの多くが感じているらしい理不尽は、「実写の水着の女性ポスターはあるじゃないか」「コンビニのエロ本は…」「〇〇は…」そして、「何で二次元だけ」。
これらの不満はその例の全てが、適切なゾーニングが全ての性的な要素を持つものになされていないため起きた問題だ。
見たい人が望めば検索して1秒でエロにありつける時代に、見たくない人がコンビニでエロ本を目にしてしまう世界は絶対におかしいと私は思う。
そんなゾーニングの未熟な日本の「猥褻物」の定義は、ひとつ明確には、性器が見える事。
それに伴い法律逃れの暗黙の了解に基づいた謎文化”モザイク”はひどくガラパゴス的で、はっきり言って非常にバカバカしい。
二次元のちんこに黒線を引いているのも、裸のうんこと一緒にモザイク付きのまんこが映ってるのも、本当にバカバカしい。
一方でレスリーキーやメイプルソープ、ろくでなし子などのアート作品を「ムシュウセイだからワイセツ」と取り締まるなんて、もう、自分たちはエロにすらマニュアルがなければ判断の下せないアホですと言っているに等しい。
公的機関が定義におもねるあまり認知が歪んでいるから、今回の絵の性的な香りに自治体が気付けないし(アホか)、撤回されたらされたでファンは「自治体に猥褻とみなされた」と傷つくのだ。
もっと単純に考えよう。国が定めた「猥褻」なんていいかげんな基準に従ってものを取捨選択することが最早今の時代ではリアリティがないのだ。私たちは未来へ進まなくてはならない。
もうさ、全ての表現物は映倫みたいにレーティングしよう。写真も映像も文章も立体物も漫画も音楽もイラストも広告も製品も。一般、R12、R15、R18って。
R18以上は全ての表現規制禁止。性器にモザイク廃止。完全なる自由。
R15は今回ののうりんみたいな判断分かれるなってやつ。R12は水着とか肌面積多いやつみたいな。
んで置く場所を決めるの。公的だって判断された場所では最低でも一般以下の表現しか置かないようにしましょう。自治体、駅、公道とか。コンビニとかyahooなどのポータルサイトとかはR12とか。
大衆本屋なんかはそれぞれ置く場所を変えて、「嫌なら見ない」「触れない」ができるようにしてほしい。もちろん配慮しない店があってもいい。入らない自由があるし。
ていうのは超適当な妄想だけど、それくらいのグラデーションで分けてやっと個人の最大公約数的な”快不快”に寄り添えるんじゃないかな。
ていうかこの案、あまり今と状況が違うとは思わない。めんどくさいだけで。R15、12なんて自主規制の範囲でできるんじゃないの(それが理想)。
んで全てのものがこれくらいライトにレーティングされることが当たり前になれば、「猥褻物」なんて屈辱的なレッテル無しに物事を区分できるのではと思う。ちょっとくらい基準が明確でなくても、18歳越えたら何もかも見れるんだしいいだろう。
今の公的な「猥褻物」の判断はおかしいし、本当に目的の性道徳・性秩序の維持に役立ってるのか?といえば、ジュニアアイドルなんてものを放置してる。あれがエロ目的でないなんて言う奴がいたらぶん殴ってやりたい。
日本語に訳された(この場合はカタカナ英語のまま導入だけど)際に、元の意味(女性で主役)ではなく、日本的な概念で意味合いを変えた単語の典型じゃないの。
ホステスも同様。
まだ時折、
女は添え物、男主人公の性的よさを引き立てるアイテム(女性にモテるくらいいい男であるって描写の為)、あるいは男性主人公へのご褒美、みたいな扱い多いから。
アニメラノベなんかだと、男主人公に気のある美少女キャラは何人いてもみんな「ヒロイン」呼称だからね。元の英語の意味とちゃうw
尤も、そのアニメラノベですら、漢気ある「ヒロイン」キャラが活躍する作品は昨今枚挙にいとまがないけどね。攻殻を例にするまでもなく。
洋画はあんま見ないからアレだけど、たとえば「オズの魔法使い」はドロシーはヒロインだけど立派に主役だし、
「ベロニカは死ぬことにした」(映画は観てない、原作読んだだけでスマンが)も、恋愛こそ絡むがヒロインはきちんと女主人公として物語をひっぱってったし。
少人数の対人はサバゲーっぽくていいし、大人数戦争ゲーは軍人気分が味わえて、勝てると嬉しい。
オープンワールド系だと、街中で唐突に一般市民を乱射し始めるとかもいい。
ピストルだけでパンパンパン、アサルトライフルでババババ、ショットガンで吹っ飛ばし、スナイパーライフルで遠くの敵をヘッドショット。
とにかく、撃ち殺すのすげー楽しい。相手はゾンビやモンスターの時もあるけど、それらも殆ど人を模して作った創作物。
そこに善悪はなくて、とにかく弾の出るもので人型のものを狙って殺すこと自体が楽しい。
こんな僕ですが、先日好きになった女の子がゲームでも何かを殺すのはいけないと思うって言ってたので人を殺すゲームはよくないと思います。
追記(2015/11/05)
ホッテントリ入っててびびった。
今年はMGSV:TPPとFallout4とSTARWARSバトルフロントをやらないといけないから来年から人殺すゲームはよくないと思うことにする。
インターネットをぼんやりと眺めていると、熱気に満ち満ちている人に出会うことが多い。
その人達は、世界のあらゆる現象に対して、とにかく強い感情を持っていて、とんでもないほどの知識量と文章で武装して、論戦を戦わせたり、そうでなくても、継続的に呪詛を吐き続けたり、ラブコールを送ったりしている。
それを見てよく思うのは、自分は感情に対して鈍感な人間なのだろう、ということである。繊細な人間は、世界の持つ不条理だったり、優しさだったりに動かされてしまう。
そして、憤り、傷つき、怒り、或いは感動に打ち震える。それが創作物という形をとって現れるのだと思う。
物心がついた頃から、感情に薄い膜が張ってあるような感覚がある。心を動かされるような出来事は殆ど無いが、かといってそれが辛いわけでもない。常にぼんやりとした満足感と空虚感に包まれている。
伊藤計劃の「ハーモニー」で、感情が存在しない人間が登場するが、現実世界における人間にも、感情の強い人間と、感情の弱い人間が居るのではないか。
インターネットという世界は、感情の強い人間によって寡占されているように思う。感情の弱い人間は、そもそも何かを外に伝えようとする情熱も弱いからだ。
基本的にぼんやりとしていて、趣味もなく、仕事には黙々と打ち込み、不平を垂らすこともないが、なにかに喜ぶこともない。
そういう人間を(現実世界では)ちらほら見かける。それは、おそらく感情の弱い人間で、僕の仲間だと勝手に思っている。
その頃から既に、特に何でもないようなところで「女はバカでヒステリーだから良さが理解できない」
という『とりあえず女をけなしとけコミュニケーション』はあった。
別にこれは女が嫌いってわけじゃないんだよな。
おそらく女子便所で女子がおしゃべりに花を咲かせ自らのコミュニティに関係しない者の悪口を言うという
男子便所で男子がおしゃべりに花を咲かせ自らのコミュニティに関係しない者の悪口を言っていたというだけ。
特定の属性の悪口を言って団結するというのは人間の性なのでどうしようもない。
女子も自分の趣味の語り場を求めてアクセスできる場所なんだよな。
言ってる側は女性が見てるとは思ってなくても、
女叩きと呼ばれるようになったんだろう。
本人たちはコミュニケーションの一部のつもりだと思うが。
原則女と特定できるような書き込みをしていない相手は男、という雰囲気もあったし。
vipあたり経由で度を過ぎた女叩きコピペがあちこちに出張ってきたくらいから
自分個人としてはかなりウザいなと思ってた。
思慮の浅い人間がはしゃいで外に飛び出してやってた行為だと思ってる。
ゲームや漫画のスレにまで現実の女性観持ち出して処女だ中古だやられるのに
うんざりしてた男も多いと思うよ