インターネットをぼんやりと眺めていると、熱気に満ち満ちている人に出会うことが多い。
その人達は、世界のあらゆる現象に対して、とにかく強い感情を持っていて、とんでもないほどの知識量と文章で武装して、論戦を戦わせたり、そうでなくても、継続的に呪詛を吐き続けたり、ラブコールを送ったりしている。
それを見てよく思うのは、自分は感情に対して鈍感な人間なのだろう、ということである。繊細な人間は、世界の持つ不条理だったり、優しさだったりに動かされてしまう。
そして、憤り、傷つき、怒り、或いは感動に打ち震える。それが創作物という形をとって現れるのだと思う。
物心がついた頃から、感情に薄い膜が張ってあるような感覚がある。心を動かされるような出来事は殆ど無いが、かといってそれが辛いわけでもない。常にぼんやりとした満足感と空虚感に包まれている。
伊藤計劃の「ハーモニー」で、感情が存在しない人間が登場するが、現実世界における人間にも、感情の強い人間と、感情の弱い人間が居るのではないか。
インターネットという世界は、感情の強い人間によって寡占されているように思う。感情の弱い人間は、そもそも何かを外に伝えようとする情熱も弱いからだ。
基本的にぼんやりとしていて、趣味もなく、仕事には黙々と打ち込み、不平を垂らすこともないが、なにかに喜ぶこともない。
そういう人間を(現実世界では)ちらほら見かける。それは、おそらく感情の弱い人間で、僕の仲間だと勝手に思っている。
根本からして自他の区別がつかないキチガイなのよ ネットに書こうとする気が起きない方がまともな感覚だから安心していいぞ http://anond.hatelabo.jp/20151025180105