2015-10-25

感情には個体差があるということ

インターネットぼんやりと眺めていると、熱気に満ち満ちている人に出会うことが多い。

その人達は、世界のあらゆる現象に対して、とにかく強い感情を持っていて、とんでもないほどの知識量と文章で武装して、論戦を戦わせたり、そうでなくても、継続的呪詛を吐き続けたり、ラブコールを送ったりしている。

それを見てよく思うのは、自分感情に対して鈍感な人間なのだろう、ということである。繊細な人間は、世界の持つ不条理だったり、優しさだったりに動かされてしまう。

そして、憤り、傷つき、怒り、或いは感動に打ち震える。それが創作物という形をとって現れるのだと思う。

自分は、そのような人間にはなれない。

  

物心がついた頃から感情に薄い膜が張ってあるような感覚がある。心を動かされるような出来事殆ど無いが、かといってそれが辛いわけでもない。常にぼんやりとした満足感と空虚感に包まれている。

伊藤計劃の「ハーモニー」で、感情存在しない人間が登場するが、現実世界における人間にも、感情の強い人間と、感情の弱い人間が居るのではないか。

  

インターネットという世界は、感情の強い人間によって寡占されているように思う。感情の弱い人間は、そもそも何かを外に伝えようとする情熱も弱いからだ。

基本的ぼんやりとしていて、趣味もなく、仕事には黙々と打ち込み、不平を垂らすこともないが、なにかに喜ぶこともない。

そういう人間を(現実世界では)ちらほら見かける。それは、おそらく感情の弱い人間で、僕の仲間だと勝手に思っている。

  

以上、感情の弱いけれど、匿名掲示板文章を書く程度には感情の強い人間がお送りしました。

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