はてなキーワード: 侮蔑とは
妻を「ホー」呼ばわりは無いわと思った。
だって、
スラング英語.com : 【hoe / ho】スラング英語の意味
http://www.slangeigo.com/archives/21228489.html
hoe/ho/whore (あばずれ・嫌な女・売春婦) [ホー]
サッカー一筋な人で英語あまり知らないのかな?とちょっとググったら、
澤 結婚相手は38歳元Jリーガー!英語堪能、頼れる兄貴タイプ ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/08/12/kiji/K20150812010922000.html
同じくアメリカでの生活経験有る澤は、サッカー一筋で音楽はヒップホップ聞かないならスラングの「hoe」を
映画レビューの信頼度を測って順位付けとか映画好きとして看過できない記事を見かけた。
結論から言えば、言葉の使い方から数字の使い方までテキトウで、普通に侮蔑になっててヒドイ。
(たぶん自分が何をしたいのかよく判って無いまま数字を弄ったからだと思うけど)
みんなも、自分の感性に似てるレビュアーを見つけるようにしてみよう!
映画は感性に大きく左右されるので、万人に正解があるレビューは存在しない。
端的に言えば、アンパンマンが好きな人と、チャイルド・プレイが好きな人とで、レビューの読み方は違う。
どんなに高評価だろうが、子連れがポルノの帝王「ドン・ジョン」みちゃダメなのだ。
どんなに高評価でも、ゴア好きがモキュメンタリーホラー「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」はダメだろう。
なので、映画のレビューの優劣を決めよう、成功や失敗を検定しようというのは、無意味な行為だ。
「オレが映画を観る参考にする為に、ある人のレビューが利用できるか知りたい」なら別に問題ない。
これは言い換えると「オレの感性に最も近いレビュアーを探したい」と言う意味だからだ。
そこで、自分の映画評とマッチングさせるにはサンプル数が少なくて使いづらいので、
自分の感性の近似として「Filmarks」スコアを用いる、なら良いと思う。
これは「Filmarks」の評価集積に良く近似するレビュアーを見つける事になるからだ。
(これなら、近似しないレビュアーが別に劣っているわけではないことは自明だ)
故障率とか、稼働率を出す際に利用されている、工業的な用語だ。
(ある業界内の定義通りに使えという意味ではなく、キチンと意味付けして使う必要があるってことだ)
「Filmarks」が2点以下なのにレビューが4点以上なら「故障」と意味づける、ならまだ判る。
Filmarksの低スコアを高スコアにしちゃう人、つまりオレの地雷判定とは違う≒壊れている、だ。
(それだって相当失礼な表現だが。本来この手のは第一種過誤と第二種過誤(偽陽性・偽陰性)の話だ)
ある値(真値)に近いかどうかを示すのは、「正確度(accuracy)」と呼ぶ。
1点を1点と言うか、4点を4点と言うか、ということだ。マッチングだね。
計測値に再現性があるかどうかは、「精度(precision)」と呼ぶ。
2点の映画を1点と言ったり3点と言ったりバラつきが無いか、ということだ。
元々やりたかったことが「地雷を踏みたくない」なら、信頼度(故障率)を測るべきだ。
件の雑な記事では、正確度を測ろうとしている。しかも測り方が輪をかけて雑だ。
そもそもの「地雷を踏みたくないから、低評価映画を高評価付けられたら困る」なら、
「Filmarksで低評価を付けられてる作品に、何点付けたか?」を数え上げないといけない。
件の記事のFilmarksスコアで2点以下は、「ワイルドカード」ただ一本である。(2.9点)
そうすると「地雷避けレビュアーを探す」意味では、コレと比較しないと無意味だ。
(4点を4点と評価してても、2点も4点と言っていれば、地雷避けにならない)
一本しかないので誰でもすぐ判る。
- 中山 治美(2点):こんなジェイソンはイヤだ!
- 森 直人(3点):意外にもオフビートな面白さ
- くれい響(3点):ハゲがハゲを嘲笑する深い意味。
- ミルクマン斉藤(3点):強引に派手な展開を狙わない余裕のステイサム映画。
- 相馬 学(4点):ハードボイルドな味が活きたステイサム最新作
- なかざわひでゆき(4点):これぞ男が惚れる“男の映画”
(http://www.cinematoday.jp/movie/T0019688 短評順序は引用者入れ替え)
同率2位が、3名。Filmarksで低評価なのに4点が2名。
件の記事では中山 治美が7位、相馬学、なかざわひでゆきが4位と、
地雷避けには全く使えない順位になっていることが、ひと目で分かる。
あのランキングでは、ワイルドカードは観るべき映画になるのではないか?
(そもそも1本で検証する滑稽さは伝わると思うが、10本でも同じであるのはお分かりいただけるだろうか?)
目的を忘れて地雷避けにすら使えないランキングをドヤ顔で載せるぐらいなら、
レビュアーのお名前を書いた紙飛行機を飛ばして、飛距離順に並べたほうがマシである。
ミルクマン斉藤さんがFilmarks近似である(その他の方がFilmarksと乖離がある)と主張する件の記事は、すぐに取り下げるべきだと思う。
タイトルに「【検証】シネマトゥデイ映画短評ライター信頼度調査 ~映画評論ライター9人の頂点は誰だ?」としているのは、即取り下げて謝罪すべきレベルの侮辱記事であると思う。9名全員を愚弄している。
(最低でも【お遊び】【ジョーク記事】と入れるべきだし、調査や頂点という単語を使うべきではない。はてなブックマーク - 【検証】シネマトゥデイ映画短評ライター信頼度調査 〜映画評論ライター9人の頂点は誰だ? - YU@Kの不定期村に冷静なブコメが付いているのが不幸中の幸いだ)
という感じです。
ちなみに別に百田擁護とかそういうわけではない。個人的には百田大嫌いだし。
さて、以下のブクマをみてほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4896703.html
沖縄の現状が凄いことになっているのではないかというまとめサイトの記事だ。
ここまでならいつも通りだ。
しかし、問題はこれがまとめサイトで、しかも割合詳細に2大新聞の内容まで踏み込んでいることだ。
まとめサイトの拡散力はとんでも無いもので恐らく早晩他のまとめサイトでもこの手の内容の記事が増えてくるはずだ。
そこでもんっ代になってくることがある。
ブコメを見ていくとわかるが 反対派と賛成派に既に分かれ始めている。
これもいつもどおりかもしれない。
しかし、問題はどうもネトウヨ側がついに沖縄のこういった現状に目を通してしまったということだ。
これまでのまとめサイトでの内容などを見るとわかるが基本的には左翼の活動家と一部の沖縄県民という見方が一般的だった(ネトウヨ達の中でな)
ところがついにこれが沖縄の中でもかなり主流の政治思想の一つであるということが広まってしまった。
その時に何が起こるのかということが問題になる。
恐らくネトウヨは手のひらを返したように猛烈な勢いで沖縄を叩き始める。
簡単に想像できるところで言えば、沖縄を日本扱いせずに 琉球王国 呼びをはじめ、あいつらは日本人ではないと言い始める。
そしてその内に侮蔑擁護で沖縄を呼称し始めるだろう。大阪民国などと呼ばれたりするあれだ。
そういったところを手始めにとんでもない勢いで拡散が始まる。
「もしれこれを ネトウヨは幼稚だ、こんな認識だから沖縄の人が怒るんだよ。」
などと片付ける人がいるとすれば今後そんな軽薄で他人ごとのようなことは言えなくなるだろう。
ネトウヨと活動家の対立が激化し(ネット上のこととはいえ)第二次世界大戦の擬似的な戦場の様な雰囲気になる。
凄まじい勢いで沖縄独立論が台頭し始め、中国の干渉が膨大に増え始める。
中国語のサイトを見ているとわかるが中国人の大半は沖縄を日本とは見ていない。
もはやこの流れを止めることは許されないだろう。
通常
人間が社会生活を営む上で生きていくために人は消費者であり生産者または労働者である
特殊な事情があって一時的に働かない期間があっても、または一生働かない人がいたとしても労働体系からは基本的に逃げられないようにできている
それがインターネットはなんだ?
ほぼ全員ニートじゃないか
はてぶでコメントを書いている人、スターがRMTで金になるのか?2ちゃんに書き込んでいる人、まとめサイトに転載されたら金になるのか?全員ただサイトを消費しているだけのニートだ
インターネットを使用する上で決定的に重要なのが能動的に使うか受動的に使うかにかかっていると言ってもいい
僕ももうネットを利用して8年ぐらいはたつがそのすべての時間をプログラムを書いたりサイト作成に費やしていれば今ごろそこらのマンションでも買えるぐらいの金額にはなっていただろう、アダルトサイトでも作っていれば一軒家だって建ったかもしれないが今は昔やってたブログの収入で月1万程度にしかならない
しかし現実社会と違うのが現実にはニートは侮蔑の対象になるのにインターネット上ではニートであってもまるで軽蔑されたりせず自尊心が損なわれもしない
むしろ優位に立っているのは労働者であるyoutuberやまとめサイト管理人ではなく何もしていないニートのほうである
現実では働いてもいないのに飯を食うな、いっぱしな口をきくなと叩かれるべきはニートのほうなのにネット上では立場が逆転してるのは不思議だ
女の帽子はお洒落アイテム、そして似合う人は似合う。それはわかる。本題は男だ。謎ベレー帽 室内でもツバ付き帽子脱がない何処で買ったのよ?と突っ込んでほしい帽子、貧乏臭い麦わら帽子、どれもこれも軽蔑の邪念が湧いてしまって困る。
なるべくリスペクト成分多めに生きていきたいのに、男が帽子かぶってると冴えない感じが多いので軽蔑にまわってしまうモヤモヤ感。だが、まて。そもそも、モヤモヤ感や軽蔑感を発生させる風貌と帽子が悪いんじゃなかろうか?少なくとも、ダサイ帽子をかぶってなければ、内心、冴えない男子一匹発生で完全スルーしておけばいいのに、帽子をコンデンスしてしまったがために軽蔑の情が湧いてくる結果を生じさせたとも言える。私の心の中への業務妨害。
うん。帽子とそれをチョイスする男が悪い。
社会には、「清純派です。」という考えで自分を肯定する人(俺もそうだった)がいる。
周りには汚い考え、行いなどがたくさんあり、
そうしたものを侮蔑して、自分を特別視し、ちょっとした優越感に浸るというものである。
特にこの考えは、異性と喋ったことがない、接したことがない男子によく見られる。
この文章では(俺は女性ではないので異性の気持ちは測り兼ねる)ので、男性についてのみ述べようと思う。
俺はそのような考えに陥ってしまうのには、いくつか理由があると思う。
一つ目としては、周囲とのズレから起こるコンプレックスである。
それは、自己防衛と言い換えても良い。
例えば、自分を例に挙げるならば、
俺はどのようなプロセスを経てそのような考えに至ったかと言うと、
俺は小学生の頃、異性と接したことが皆無だった。
しかし、心の奥底では女性と接したいといつも思いながら、すまし顔をしていた。
だが、人見知りで重度のコミュ障だった俺はその本音を隠してまるで、
「自分は異性には興味ないですよ。別に話せなくても悲しくありませんよ。」
これは完全に、コンプレックスであるし、自己防衛である。
恐らくこの文章を綴っている俺だけではなく、かなりの割合の「清純派でした。」、もしくは今もなおそうである人は、このような過程を経たのではないのかと思う。
二つ目は、自己陶酔である。いわゆるナルシシズムと言われるものだ。
恐らくこれも、何らかの精神的なストレスを受けそれに対する自己防衛として発現したものなのではないかと思う。
何故、「清純派」が自己陶酔と結び付くのかと言うと、 それは清く正しい自分の理想への憧れだからである。
その理想への処女信仰じみたものは どういったプロセスで形成されるかと言うと、
「自分はこうでなければならない。」
という強い思い込みによって、少しずつ周りからズレていって、だんだんと引っ込みがつかなくなり、
最終的には
「この自分が正しいのだ。自分を好きでいていいのだ。」
という結論に至り、ストレスを受ける度に周囲と著しくズレている為に、周りからのバッシングが激しくなる場合がある。
俺の場合はそうであった。
現時点で考えつく限りにおいては、この二つが主要因だと思われる。
多少なりとも周りとの軋轢が生じるかもしれないが、自分を真に好きであればそれは本人の自由なのではないかと思った。
気合一発、春日部の野原一家からフアレスのノハラ・ファミリアを目指す。まずは地道にご近所づきあいからだ。ジャパニーズ・トラディションである引越しそばを振る舞おうとする。
ところが、誰も受け取ってくれない。地元住民はみな警戒心まるだしで、野原一家を寄せつけようとしない。陽気なラティーノの国と聞いていたのに、聞くと見るのとでは大違いだ。
なに、よそものなんて最初はどこの国でもこんなもの。時間をかければきっと仲良くなれるさ……夕食のテーブルに並んだトウモロコシ粉製の本場のトルティーヤに舌鼓を打ちつつ、四人は新生活に思いを馳せる。
だが、その家族の団欒には一匹、足りない。夕食の時間だというのにシロはどこへ? 慣れない街で迷子になってしまったのだろうか?
就寝の時刻をすぎても戻ってこないシロを心配して、しんのすけが探しに行こうと言い出す。今日はもう遅いから、とためらうみさえ。ひろしが家長の威厳をもって立ち上がり、おれに任せろ、と鷹揚にわらう。しんのすけはお留守番な、お兄ちゃんは妹を守る義務があるだろう?
夜が明けてもひろしは戻ってこない。
「ただのペット探しじゃないんです。大の大人がひとり行方不明になってるんですよ」
机を叩いて抗議するみさえ。だが、応対した警官は苦笑して肩をすくめる。
「日本の奥さん、この街で一年に何件殺人が起きてるか、知ってますか」
「三千六百人((2013年は500件程度にまで減少))です。フアレスでは一日におよそ十人のペースで人が殺されてるんです。事故や病気での死じゃない。脳髄を銃弾でぶちぬかれてたり、生きたままマチェーテで首を切られたり、バットで全身をボコボコに叩きのめされたり……そういう方法によって二時間半ごとに人間が不本意な死を迎えているんです。でもそいつらはまだ幸せなほうですね。死体も残らない死に方をしている人間となると、果たして何人いることやら」
絶望と憤慨が入り混じった名付けられない感情を奥歯のあたりで噛み殺しながら、みさえは新居に帰宅する。居間で、しんのすけがテーブルに乗った見慣れぬアルミの缶ふたつを茫洋と見つめていた。缶にはコーヒー豆を写したラベルが貼られている。日本で市販されていたものとは違い、巨大で、威圧感すらただよっている。海外はなんでも日本より大きいと聞くけれど、コーヒー缶までビッグサイズなのかしら?
「しんのすけ、なにこれ?」
「さっき知らないおじさんたちが来て、『先日のそばのお返し』だって。『この街の特産品だから、ぜひどうぞ』って置いてった」
『特産品』。警官のツアーガイドを聞かされたみさえには、なんの変哲もない穏当な単語が不吉に響いた。そもそも引っ越しソバを受け取ってくれた人はいなかったのではないか? 騒立つ胸をおさえ、凶兆を否定しながら缶に手を伸ばす。
「『必ず、お母さんといっしょに開けてね』ておじさん言ってた。だから、オラ、ずっとみさえを待ってたんだゾ」
嘘だ、とみさえの直感が告げる。しんのすけなら、そんな言いつけはきかない。さきに缶を開けようとするはずだ。事実、缶は蓋のしまりが甘い。ずさんな隠蔽工作、しんのすけらしくないミスだ。
らしくない、といえば、なぜしんのすけはこんなに平坦な口調で喋るのだろう。
なぜ缶をじっと見つめたまま動かないのだろう。
「缶の中身なんか見なかった……」
なぜこんな温度の低い瞳をしているのだろう。
あらゆる情報が、缶を開けるべきでないとみさえに警告を発していた。「それ」には決定的ななにかが入っている。開けてしまえば、もう戻れない。だが、止められない。みさえは蓋を回す。
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これ本当の話なんだな。女の浮気って、淫乱とかビッチとか、そんなん居ない。99%寂しいだけの話。
エロい=さびしい。満ち足りてる娘はエロくない。付き合いたいなーって思う明るい子は、エロに興味薄い。誘わないのが吉。
軽く誘ってヤレちゃうケース。これは寂しい気持ちがある。つまり危険。
となると、エロい子は危険だし、エロくない子は誘っても無駄と?? そう。それが目当てだと、そうなる。
そもそも、女性と付き合う欲求が、自分は性欲しかなかった。自分で分かってなかったけど。「互いを高めあえる人がいい」とか、漫画・小説・ドラマのまま思っているつもりだった。
自己判断するなら、同性の友人の多さ?かな。他人といると疲れるとか、人間自体に興味が持ててない、、、そういうのを自覚しているなら、女性に興味もってる( ような気がする )のは、性欲が原因です。別に悪いことじゃない。性欲がなければ、他人に興味ゼロなんだから、それよりは良い。ただ、相手はけっこう傷つくらしい。さすがに分かってくる。
キスしたあとに 「ずるい」 って言われたり、やったあとで 「好きな人ができたら、あなたにも分かるよ(侮蔑)」って言われたり。うるせー、俺はお前が好きだし、俺はわかってる。誤解だ。 とか思ってたが、相手の言うことが本当だった。
実際はお荷物になってるだけな人が侮蔑の対象となる=叩かれる。
そもそも、それまで優秀だったり人望があった人が子供産んだ途端に手のひら返したように叩かれる、なんて事は普通は有り得ないんだよ。
子供が居る事で多少パフォーマンス落ちたとしても「子供が大きくなればまた活躍してくれるはず」「あの人には世話になったんだから」と周囲も寛容になるもんだ。
叩かれるWMってのは、元々仕事出来ないとか性格悪いとかで嫌われていた人達だよ。
周囲の反応が「嫌いだけど害がある訳じゃないからスルー」だったのが「嫌いだし迷惑だからさっさと辞めろ」になっただけ。
はてなのWMクラスタの中にも「子供居ないときは周囲のWMウザい辞めろと思ってた」とか言ってたやついたなあ。
それで今になって周りがWMの私を支えてくれないの!ひどい!って訴えてたけど、ブーメラン食らってるだけじゃん、としか。
普段から周囲を支えてた人なら、自分が困った時にも支え返して貰えるもんだよ。
なので元増田に付け足すと
8.(みんなから)元々嫌いな人が以前より弱い立場になったからとここぞとばかりに叩いている
→叩かれるなら、まず自分を顧みて直せるところは直す。すぐに「周りが/会社が/社会が悪い、私は悪くない」と自分以外のせいにするのは止める
・ハムを数字にすると86、つまり8月6日の広島への原爆投下の日である。
・ハムスターを英語にするとhamster、つまりham韓国語のハン、恨をster、作る人。となりハムスターは韓国では日本人を侮蔑するときに使われる。
・ハム将棋はハムスターと戦う、もとい日本人をこてんぱんにするゲームである。
・将棋は戦争の暗喩であり、飛車は戦闘機を表すものだから、初めて戦闘機が使われるようになった戦争つまり第二次世界大戦の比喩である。
・ハム将棋では「ハム裸玉」というモードがありこれはハムスター側の駒が玉のみ、つまり一億総玉砕し天皇のみとなった日本をいたぶるためのモードである
・そもそもハム将棋は数千万回遊ばれており、サーバー代もバカにならないのに無料で遊べるのは、巨大な反日企業がバックについていることを窺わせる。
この前富士山に上った時、最近は中国人ばかりだとオッサンが喚いていた。昔はこんなことは無かったと。
土産物屋で「どうしてこういうのを売ろうと思った」と言われるようなおもちゃや、長年放置され過ぎて包装のビニールが
カチコチになってしまったようなものまでなんでも買って行ってくれる。
食べ物はバスで分け合って即食べるらしく、人数分色んな種類を沢山買って行く。
いま日本の地方の観光地を支えているのは間違いなく中国人だ。日本人は全くお金を使わない。
そりゃそうだ、俺だって上に書いたようなものは買わない。だけど中国人は買う。
中国との関係が悪化したら収入が減るリスクももちろんあるし、日本人を呼び込めないような観光地じゃないのが悪いと言われるかもしれない。
だけど俺たちだって生き残りをかけて必死に中国人バスを誘致し、中国語パンフレットを作り、中国人店員を雇ってるんだ。
中国人誘致を始めてから明らかに前向きになった。久方ぶりに在庫が入れ替わり、観光用の歩道の整備もできた。みんな念願の公共無線LAN設置もできた。
別に日本人にもっと金を使えとは言わない。そんな事が言えるほど物凄い観光地なんてほとんどないから。
だから中国人が嫌いなら観光地に来ないでくれ、来ても嫌な顔しないでくれ。あのオッサンみたいに、あからさまに侮蔑したような顔をするのは止めてくれ。
スタジオジブリ「かぐや姫の物語」のストーリー批判については既に玖足氏が記されているゆえ、ここにおいては多言はしない。
かぐや姫の物語 感想その二 高畑勲監督は原作の良さを自己中心的に曲げたダメ映画
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20150316/1426441543
僕がここで記したいのは、高畑氏のあまりに32年テーゼに縛られたかの如き貧弱な反天皇観である。
例えば、高畑氏の擁護をするツイートまとめとして以下のようなものがある。
この中でCDB氏は「帝の性暴力と女性性の収奪」を描いたと言っている。しかしそれは高畑氏の平板な反天皇観をあげつらうことでしかない。
天皇は決して収奪や暴力に結び付けられて語られる存在ではなかった。天皇もまた征旅に行くことはあったが、軍の最高司令官として赴くことはなかった(「我国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」という軍人勅諭の出だしは山県閥の西周が西洋の歴史に準じた擬制に過ぎない)。例えば斉明天皇が百済救援のために親征の途上、崩じられても軍はそのまま百済へ上陸している。天皇はむしろ巡狩(みそなはし、視察のこと)して各地を平定したのであり、軍隊は中大兄皇子や武内宿禰のような皇子・臣下に統率されて敵を討ったのである。天皇が自ら軍を指揮することは東洋古制の兵学から見ても邪道であった。東洋において軍の戦略を決定する軍師は軍司令官の任免もできるゆえに、天皇がそのような地位に就かれることはあり得ないのである。
では天皇とは何であるか。それは何よりも「社稷を祀る」存在である。具体的にいえば、五穀の豊穣を祈り天照大御神が宣らされた「斎庭の神勅」を奉じることであった。それゆえ自らは何も所有されないのが天皇の原則であった(詳しくは保田與重郎の『述史新論』『鳥見のひかり』『方聞記』などを参照せよ)。作中で「御門」は支那趣味(侮蔑の意味を込めて使うのではない)の俗な人物として描かれているが、これなぞは共産党仕込みの「収奪する権力者」の図式に無理やり天皇をあてはめたものに過ぎない。何も所有されない天皇だからこそ、天神地祇を祀り権力者を束ね日本を統らすことができるのである。権力といえば外交権を一手に握った大宰府の方がよほど強く、「遠の朝廷」と呼ばれたほどだった。聖武天皇が大宰府へ下る節度使たちに下された御製の長歌の冒頭「食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平らけく 我は遊ばむ 手抱きて 我はいまさむ」は権力や所有とはほど遠い天皇本来のあり方を示している。
明らかに反差別思想を有しているだろう高畑氏が「御門」の顔をわざと崩してかぐや姫に生理的な嫌悪感を催させ、それが月からの使者が来る原因となっているのも氏の醜悪な思想が垣間見える。氏は容姿差別は良くて身分差別は悪とでも思っているのだろうか。先に述べたように、天皇は五穀の豊穣を祈る点で国民とつながっていたし、今もなおつながっている。明治大帝は「子等はみな 軍のにはにいではてて 翁やひとり 山田もるらむ」と詠まれているし、昭和帝と香淳皇后は戦後まもなくの国内を行幸啓されて国民の暮らしぶりをみそなわした。今上陛下が東日本大震災で津波を被った田を心配されたのも記憶に新しい。天皇は宮闕の奥深くに居ましても農土を、漁場を、金山を離れてはいないのである。高畑氏の浅薄な思想はこの国史上の事実にどう応えるのか。
女は、美人だと口説かれるし、普通でも口説かれるし、ブスでもイジられたり痴漢には遭ったりする。
良くも悪くも純粋な無視を受けることは少ないし、「嫌な構われ方をするのが辛い」というのがメインの悩みだ。
でも、もてない男は本当に、本当に無視されている!いじめられる以前に、存在を認識されていない。
セクハラ、性犯罪が悩みの女にとって、純粋な無視というのはピンと来ない問題で、そこに関心も無いからこそ、
もてない男の現状というものが本当にわからないのだろうと思う。
もてない男が唯一女に認識されるのは、酷い内容の主張をしたときで、
たとえば恋愛工学のような「女性の人格をないがしろにする系」の言説をして、女を怒らせたときだけだ。
無力な男にとって、唯一女に構って貰う方法が、女を侮蔑して怒らせることなので、辞めることはないと思う。
容姿を磨き、金を稼ぐことで美女に構ってもらうという方向に動ける男なら、既にそうしているはず。
女を侮蔑して構って貰おうとする男はそれが出来なくてそうしているのだろうし、やめろと言っても無駄。
相手にせず、自分の時間のロスを最低限に抑えるのが最善策だと思う。
賢い女は無視の純度を上げる。
PTAって「働いている人は免除」なんて時代もあったのに、今やそんなのは理由にならない所が多数。
でもそうなった理由は何となーく分かる。
一時期酷かったよね。「アテクシ働いているからPTAなんてクダラナイ事には付き合っていられないザマス、あんなの暇な能無し専業主婦がやればいいんザマス」が大発生で。
てめえの子供を他人にタダで世話させるってんだからせめて感謝くらい示せばいいのに、逆に侮蔑するというモンペっぷり。
そりゃタダ働きさせられた上に侮蔑までされるんじゃ、皆馬鹿馬鹿しくなって誰もやりたくなくなるよねえ。
んで「働いているから出来ないなんて甘えた事ぬかすなボケ、全員必ずやるのが義務」な時代になってしまった。
首絞めまくりだよなー。
当方168cm、47kg。
顔見知りの人間に、「ちゃんと食べてる?」とことあるごとに言われる程度の体型。
まあ、ちゃんと食べてる。少なくとも見た目よりは。
痩せ体質の人間ならわかると思うけど、たくさん食ったところで、そのまま下に出ていっちゃうんだよね。腹痛を伴って。
家系で麺300gを平らげ、食後のデザートでみたらし団子とドーナツを食べても(多分少ないと言われるのだろうな)、なんの影響もない。
となると、太るためには消化を良くするサプリメントを毎日摂取して、栄養を吸収できる胃腸に作り変え、その上で適度な運動をこなさないといけないのだ。
正直、めんどくさすぎる。食費がかさむ分、ダイエットより大変じゃないか。痩せていることにコンプレックスがないわけではないが、そこまでして太りたいかというと疑問符がつく。
なんだかんだ、「そんだけ食ってその体型?」と言われることに快感を覚えるようになってしまったのだ。その言葉がたとえ侮蔑を伴おうとも。
被差別者のノーマライゼーションが進んだからといって、その過程ですぐに、主流社会(とりわけ異性愛男性システム)に対して依然として続く痛罵を「逆差別」としてやめさせようとするのは承服できない。
https://twitter.com/masayachiba/status/566265388262887424
被差別者による主流社会への武力でない文化的な復讐は避けられないと思う。健常異性愛男性社会は長く女性や少数者を排除してきた。だからあと500年?くらいは女性や少数者に痛罵され続けてもしかたないだろう。どちらも責めるなというのは500年後の話であって、我々が到達できる段階ではない。
https://twitter.com/masayachiba/status/566266466593292290
これだと「女性や少数者を排除してきた健常異性愛男性」は痛罵されることなく死に逃げて、「女性や少数者を排除していない健常異性愛男性」が痛罵される500年になると思うんだけど…?
あといま「痛罵されている健常異性愛男性」って、健常異性愛男性全員ではないよね。
男尊女卑が著しかった時代って、男性が徴兵されたり、男性が集団就職して過酷な労働条件で働かされていた時代とイコールで、
「男性だから強制的に負わされる過酷な義務」と帳尻を合わせるために「少数派や女性を侮蔑する権利」を与えられていた構造だと思う。
だから徴兵も強制労働もないのに、徴兵や強制労働があった時代と同等の「少数派や女性を侮蔑する権利」を求めたら、痛罵されるのも仕方ないというか。
ジェンダーの問題っていうよりも、「食い逃げ」や「借金の踏み倒し」に対するものに近い嫌悪感なんだよね。
「贈与」や「交換」はいいけど、「収奪」はダメだろ、っていう。
「健常異性愛男性社会」っていう言い方もよくわからない。社会って…?