はてなキーワード: 企業とは
どの動画見てもコメントに走者が熱いキモいコメント残してる。新作が発売するので買ってくださいとか自分を企業関係者だと思いこんでいる一般人。いやあなたはゲームが上手いだけの一般人ですよ?
職場の中核って概念はまだ生きてるけど、これからはプロジェクトごとに雇う世界になってくんだから古臭くなるよ
あったとしても新卒生え抜きエリートと傭兵からの選抜継続組でしょ?
既存の社会のまま働けてる労働者や企業と、環境の変化に晒されてる労働者や長期的に物を考える深謀遠慮な日本政府の立場で齟齬がありすぎる
という事実に気づいてる人は意外といない。
何かを止めるということは、それに関わっている人達の仕事を奪ってしまうということだ。
20世紀終盤まではそれでも良かった。仕事を奪われた人がリストラされることはなかったから。だから青島幸男は都知事になれた。
しかし今はそうではない。仮に神宮外苑再開発プロジェクトが中止になったら、企画側はリストラ対象になるし、下請け企業は契約打ち切り、末端の労働者も契約打ち切りで失業だ。
蓮舫の敗因はいろいろ言われてるが、その1つに神宮外苑再開発中止を言い出し、三井不動産や伊藤忠の都内在住社員、そのグループ会社や下請けの都内社員が一斉に反蓮舫に回ったこともある点は間違いなくあるだろう。彼らにも投票権はあるのだ。
明治神宮の再開発にせよ、黒歴史な施設をだんだん小さくして消滅させてるぽいなぁ
昭和天皇も1989年まで存命だったが、それからもう40年たったからかい
検察はおでこに親米反中と書いてあるし、台湾有事の勃発により法曹権限を増やしたいようである
当然、格差を拡大させて、石丸(金融不動産)、小池(電力エネルギー)を推す方向である
暇空茜は立候補はしたが、女性ヘイト発言を繰り返していたことを考えれば真剣味は伺えないので、法曹から支援を得ているガス抜きヒーローの位置にある
いずれにせよ、都知事現職は自ら辞任するまで現職でいられるという硬直化がある
石原は築地市場を消滅させ、今は跡地に5万人スタジアム建設計画がある
しかし、明治初期の銀座に日本初の西洋式ホテルであった築地精養軒が存在した事実は消えない
(これは2003年以降は、ドイツのEPA通信と契約した時事通信社になっている)
やはりドイツ学協会派、青天会派の計画がどこかに潜んでいるようだ
大日本帝国憲法作ったのもドイツ人なら、流行りのアディダスもかつてはナチスドイツの企業だし、築地スタジアムも縄張りのひとつとして商売をすることだろう
8年前は小池氏に投票して、4年前は全く覚えてないので、今回の2024年都知事選で「ひまそらあかね」氏に投票した背景をメモしておきたい。
投票日当日午後に投票した小学校はラランド・サーヤの出身地域にあった。なお、都議補選は白紙で投票した。
小池氏及び東京の現状にはこれといった不満は無い。そもそも膨大な予算がある東京で現職が不利になることはあまり考えられないのではないか。ただ、「イス取りゲーム」のイスが固定化されてきている印象、ゲームが面白く無くなっている印象があるので、その辺の漠然としたものに対するルール変更の要請はしたかった。
なぜ、東京の「イス取りゲーム」がダメになっているかというと、基本的には「高齢化」と言う感覚が強い。人口動態で「高齢者」が占める割合が多くなっているので、否が応でも「今イスに座っている人」の発言力が強くなるのだと思われる。東京以外の地方政治は共産党 or not の大政翼賛体制になりがちらしいが、国道16号線エリアで30年ぐらい前はドーナツ化現象の最前線で輝いていたこのエリアでも、そうした流れを感じることがある。東京全体ではまだ大政翼賛体制ではないと思うが、そうした漠然した懸念ベースの投票を今回はしたいと思った。
4年後の自分が戦後復興計画を終了させられる人に投票出来ていたらうれしい。でも、他の地域に住んで、たまに東京を「訪問」してエンジョイ出来る人になれていたら一番うれしい。
両親とも中卒の家庭に産まれて、特に学歴が理由で苦労した母親の強い意向を受けて、小中高とほとんど拉致監禁に近い状態でひたすら塾通いさせられ、私も私でそれ以外の生き方を知らないから友達も作らず、遊びもせず、勉強だけをし続けた。
その結果、産近甲龍の一つに入って、それは中卒の親からすればさぞかし名誉(実際は産近甲龍なんて関西でしか通じないFランでしかないのだが)ではあった。
しかし入ってみたら周りは小中高とろくに勉強しなかった結果、複数の本命に全部落ちて妥協に妥協を重ねていやいや入学したって奴らばっかりだったし、そいつらは学生証を他の奴に渡して偽装出席して遊びに行ってろくに講義に出ないのに、試験期間中に売られる講義ノートだけ見て単位をとっている。
私はと言えば、全然講義についていけず必修を2年連続で落として留年が確定し、親に土下座して退学をなんとか認めて貰って、結局最終学歴高卒で工場の流れ作業員として、就職。
パワハラが常態化しているきつい肉体労働の職場で腰と頭を壊し、そのまま引きこもりコースにのって10年、今は親の年金に寄生して生きている。
こんなことなら高卒で公務員試験受けるか、高卒枠で地元企業に就職すればよかったと思うし、親からも冗談半分でそんなことを言われたこともあったけど、もはや後の祭り。
頭の良さってのは努力じゃどうにもならない上限ってのが設定されていて、それを見誤って身の程を超えたところを目指せば簡単に人生は破滅する。
馬鹿として産まれたなら、馬鹿として生きるべきでそれ以上を目指せば周りを巻き込んでみんな不幸になる。せめて私の失敗を踏まえて、一人でも不幸になる人間が減ることを祈っているよ。
スマホだってEVだって、中国製品のほうが安くて高品質だし、もう分水嶺はとっくに過ぎた感じはある。
あれだ、いまだに
「欧米の製品だけ買え!何故なら品質マネジメントシステムに準拠してるから!日本も認証取らなきゃウチらと商売許さん!」
みたいなことを言っても、医薬品なんか中国とかインドで合成した薬を各国で包装してるだけだし、大型機械なんか、中国で作ってるけど欧米企業の工場だからこれはいい中国製品って謎理論だし。
東京都知事選は本日投開票日らしい。私は都民ではないので対岸の火事感があるものの、56人の立候補者には驚かざるを得ない。ところで、これらの候補者のうち、行政経験者や議員経験者は数えるほどしかいない。何故皆議員を経ず首長を目指すのだろう。
「行政(政治)には民間感覚が足りていない」という言説はよく耳にする。なるほど、確かに行政はフットワークは重いし、採算・コスト意識に欠ける面がある。一方で、民間には行政感覚が足りていないとも言える。収益性を伴わない(伴ってはいけない)事業は多々あるし、大枠として議会という別の意思決定機関を経る必要があり、何かをする際には法令はもとより適正な手続によらなければならず、有形無形の規範に縛られる。
こういった「行政感覚」を経験するのに議員は最適であり、首長になった際も民間感覚と行政感覚を知る者として大いに役立つだろう。定数も多く、議員のなり手不足が言われる昨今は当選のハードルも首長に比べれば低い。首長に限らず議員で実現できる政策もある。何故いきなり首長を狙うのか。
都知事選の候補者の一人は、民間から自治体の首長になった。議会との対立を過度に煽り、無理な専決処分で政策実現を図り、任期満了直前とはいえ1期目で辞めてしまったのは皆の知るところであろう。多少なりとも行政感覚を持っていればここまではこじれまい。
当たり前だが、行政は企業とは異なる存在であり、首長も企業の社長とは異なる存在だ。民間感覚がそのまま活かせる面も、そうでない面もある。何故議員を経ず首長を目指すのだろう。
分かるわ
自分も1社目がクソ会社で、2社目になってからはいい企業に転職できたなと思ってたんだけど、数年経つと業務に飽きてきた
こういう飽き性ってどうしたらいいんだろうな
飽き性は流れが速い業界に就くのがいいらしいけど、それって具体的にどこ?になってるんだよなぁ
要件満たすため・社内政治的な理由でピンポイントで別のところ使う+併用はあっても、
ゼロトラストセキュリティは、「信頼せず、常に検証する」という原則に基づいています。主な特徴として、常時の認証と承認、最小権限アクセス、アクセスの継続的な監視があります。以下の技術やソリューションを組み合わせることで、包括的なゼロトラストセキュリティモデルを構築できます。
1. Microsoft Entra ID(旧Azure AD):
3. 多要素認証(MFA):
1. 暗号化:
道でお婆ちゃんが倒れてその娘が助けてくださいと叫んだら、近くのヤマト運輸のスタッフが出てきて対処してくれた、という話がXに投稿されて、世の中捨てたもんじゃないという反応が集まった。
今回の件は特に企業なので救助に手を貸すモチベーションはより高かっただろうが、別に一個人であっても、道端でお婆ちゃんが倒れて助けて助けてと叫んでいたら、助ける人はたくさんいると思う。
人は世の中が悪くなってると思い込みたくて、現代人は冷たくなった、都会の人は冷たくなったと言うけれど、実際それは昔のように密接に親交を約束して何かにつけて助け合うという文化が廃れただけで、人のために何かしてあげたいという素朴な心自体は都会人も普通に持っている。
自分に被害の被らない範囲で、少しの手間と時間、場合によっては少しくらいのポケットマネーを出してですら、見知らぬ人に親切にできる。
ただそれに付け込まれて被害を与えられたり、将来にわたってベッタリされ続けるのは嫌だから、慎重にはなるというだけだ。
今の世の中、かなり多くの人がこの程度の良心は普通に持ち合わせているのではないか?
そして、そうだということを、特別に意識はせずとも実はちゃんとわかりながら日々を過ごしていると思う。
webで読んだ「鍵がない」という漫画を思い出す。あれも、都会人の現実的な助け合いができるボーダーラインの内側を描いていた。
反応で「実際こんなもんだよね」と言われていたので、やっぱりこの感覚は合っているのだと思う。
人間が攻撃的な理由はわからないけれど、別に理由がわからなくても問題はないと思う。
大事なのは人間は、全員じゃないけど結構な数の人間はデフォルトで攻撃的だ、ということを知ることが大事なんだと思う。
この攻撃的っていうのは、本当に他人を攻撃するのが好きという狭い意味でだけじゃなくて、
もっと建設的な?そういう批判精神によって何かを改善しようという意欲に溢れている、
それを本能的に有しているというのを自覚することが大事なんだと思う。
で、当たり前だけど大抵の物事というのは生の批判精神をぶつけたからといってすぐに改善されるわけではない。
世の中には「悪いこと」や「悪党」がたくさんいるわけだけど、
何かがどうなるわけではない。
で、そうなるとフラストレーションが溜まってくるわけじゃない?
なんで世の中こんな風なんだ?みたいな憤りを感じて、怒りの感情を抱く。
そして、その感情がますます人の攻撃性をあげていくという悪循環に陥ってしまう。
企業とか客商売とかプレッシャーを圧力をかけたら屈するんじゃないか?
ああいうのはもうその内容じゃなくて相手に勝利することを目的としてしまってるのも、
私達の攻撃によって勝利することが出来る相手を選んじゃってるんだよな、と思う。
ちょっと長くなったけど、要するに人間というのは基本的に攻撃的なんだよデフォルトで。
だからさ、大事になのはちょっとそのままデフォルトで行くんじゃなしに、
頭の中のコントロールパネルとか、設定とか、オプションとかなんでもいいんだけど
そういう頭の中の設定を変えるためのアイコンをクリックするなりタップするなりして
「攻撃の設定」を「OFF」にするってことが重要なんだと思う。
これだけね、情報がすぐに入る時代になっちゃったんで、それだけ「憤ること」っていうのが目につくようになってる。
そして、もちろん現実世界に生きている私達の身の回りは不愉快なことで溢れている。
私達はそういう「悪」に対して敏感に反応して攻撃するように出来ている。
その理由は色々とあるんだろうけれど、とにかく私達は攻撃的なんだよ。
これがね10人とか30人とか、100人とかそのくらいの人間が集まって集落を作っていた時代なら上手く機能したんだと思う。
全員が互いを知っていて顔見知りな社会ならそういう息苦しいけど、集落を崩壊させないための批判精神は人間が生き残るために重要だったんだと思う。
でも、いまそういう時代じゃなくて、小さな「悪」というのは見過ごしても問題ないし、
そもそもがその「悪」というのは一方向からの見方でしかなくて、
大抵はまあ仕方ないよね、で済ましても問題がないことだったりする。
でも、それを見過ごせない、見過ごしては大変なことが起こってしまうと感じるのが私達の本能なのよ。
だからね。大事なのはそのデフォルトモードを設定画面から少し変更することにあるんだと思う。
他人を批判したり避難するための「悪」を見つけ出すんじゃなくて、
他人を褒めるための「善」に目を向けるように設定をトグルしたり、
世の中の汚い面を発見するレーダーを常に張り巡らせるんじゃなくて、
ついつい見落としてしまいがちな世の中の美しいところに気づくレーダーの感受性を磨く、
そういうことが大事なんだと思う。
そういうのって俳優本人も自分がどこまでがOKなのかってわかんないときがあって、なんとなく言われるままにやっちゃって実は傷ついてるみたいなことがこと性的なことには結構あるらしくて、それは大の大人でも意外に正しい判断をするのが難しいらしい。
確かにmetooとかってそういう話が多くて、だから訴えられたほうも合意の上だって思ってたのに後から言われてたまげるわけだけど。
じゃあ全てはその時にはっきり言えなかった人の責任なのか?っていうと、まあどうも権威勾配とかそういうことも複雑に絡まってるのでそれもちょっと違うぽいな?ってなるので、じゃあそういうのを未然に防ぐにはどうしたらいいか?って考えるわけで。
その結果知識を持った第三者をはさんで、いろんな過去のケースからこういうのは後から問題になるぽいので避けましょうとか再考しましょうとかそういうアドバイスをもらいながら綿密に計画をたてましょうってなるのは、そこに関わる労働者たちが誰も被害者にも加害者にもならずに済むようにする今のところの最適解なのでは。
企業が第三者委員会いれてなくて批判されるのとわりかし同じなんだと思う。
人は基本何かやらかすもので、特に問題になりやすい部類の仕事や状況というものは前例があって大体はわかってるわけなので、そういう状況を避けられない場合に予め対策を講じていないのは不備である、みたいな?
そんなこと起こるはずがないとか、はっきり言えなかった人が悪いって片付けて繰り返し同じようなmetooが発生しちゃうとかならそこに確かに何かしらの問題があるわけだし、それは雇用側がマネジメントしなければならない問題なのではないのか?っていう話になるのが昨今の資本主義の流れらしいよ。
ドラッカーの本で読んだ。
あるいはそこまで対策してそれでもmetooが発生したら、それは本当に正当なmetooなのか?っていう議論もできる。
対策してなかったら対策してない方も悪いよねって話になっちゃうから議論不足のまま不当なmetooが跋扈することになるのもまずいし、そういった対策は雇用者を守るためでもある。
草刈りの場合でもその業界で繰り返しそこで問題が起きてることがわかってたときに、被雇用者がやだって言わなかったからとかいう話にはならないし、被雇用者が対策をしてなかったからとかって言って放置したならそれも雇用者の不備だし、なんでそういう問題が起こるのかわかんなくて対策できなかったら専門の人呼ばなきゃじゃん?
まあそういうわけで方法論も確立しつつあって、そういうできるはずの対策をしてないのは結局その仕事自体にもケチがついちゃうわけで、それって仕事の姿勢として舐めプなんじゃないの?みたいな文脈なんじゃないだろうか。本来は。