そういうのって俳優本人も自分がどこまでがOKなのかってわかんないときがあって、なんとなく言われるままにやっちゃって実は傷ついてるみたいなことがこと性的なことには結構あるらしくて、それは大の大人でも意外に正しい判断をするのが難しいらしい。
確かにmetooとかってそういう話が多くて、だから訴えられたほうも合意の上だって思ってたのに後から言われてたまげるわけだけど。
じゃあ全てはその時にはっきり言えなかった人の責任なのか?っていうと、まあどうも権威勾配とかそういうことも複雑に絡まってるのでそれもちょっと違うぽいな?ってなるので、じゃあそういうのを未然に防ぐにはどうしたらいいか?って考えるわけで。
その結果知識を持った第三者をはさんで、いろんな過去のケースからこういうのは後から問題になるぽいので避けましょうとか再考しましょうとかそういうアドバイスをもらいながら綿密に計画をたてましょうってなるのは、そこに関わる労働者たちが誰も被害者にも加害者にもならずに済むようにする今のところの最適解なのでは。
企業が第三者委員会いれてなくて批判されるのとわりかし同じなんだと思う。
人は基本何かやらかすもので、特に問題になりやすい部類の仕事や状況というものは前例があって大体はわかってるわけなので、そういう状況を避けられない場合に予め対策を講じていないのは不備である、みたいな?
そんなこと起こるはずがないとか、はっきり言えなかった人が悪いって片付けて繰り返し同じようなmetooが発生しちゃうとかならそこに確かに何かしらの問題があるわけだし、それは雇用側がマネジメントしなければならない問題なのではないのか?っていう話になるのが昨今の資本主義の流れらしいよ。
ドラッカーの本で読んだ。
あるいはそこまで対策してそれでもmetooが発生したら、それは本当に正当なmetooなのか?っていう議論もできる。
対策してなかったら対策してない方も悪いよねって話になっちゃうから議論不足のまま不当なmetooが跋扈することになるのもまずいし、そういった対策は雇用者を守るためでもある。
草刈りの場合でもその業界で繰り返しそこで問題が起きてることがわかってたときに、被雇用者がやだって言わなかったからとかいう話にはならないし、被雇用者が対策をしてなかったからとかって言って放置したならそれも雇用者の不備だし、なんでそういう問題が起こるのかわかんなくて対策できなかったら専門の人呼ばなきゃじゃん?
まあそういうわけで方法論も確立しつつあって、そういうできるはずの対策をしてないのは結局その仕事自体にもケチがついちゃうわけで、それって仕事の姿勢として舐めプなんじゃないの?みたいな文脈なんじゃないだろうか。本来は。
なんか、数年前には影も形もなかった職なのに、使わないなんてけしからん! みたいになっててビビるんだよな。え? それ必要? #MeTooの影響で導入とか言われてるけど、それは理屈...
そういうのって俳優本人も自分がどこまでがOKなのかってわかんないときがあって、なんとなく言われるままにやっちゃって実は傷ついてるみたいなことがこと性的なことには結構あるら...