はてなキーワード: 事象とは
男はいくつになっても結婚できるが女には出産含めて比較的早い段階で「リミット」がくるから、というのがその理由だ。
確かに出産まで含められると生物学的にどこかでリミットがくるのだろうが、結婚ということに限定するならむしろ女のほうが簡単でいいと思う。
なぜなら、女は見た目さえよければ簡単に男を手玉に取ることができるからだ。
いくら見た目等が好みでも急に男から迫られて引いてしまう女は多いだろうが、見た目等が好みなら女から迫られて引いてしまう男はそう多くはあるまい。
性欲という本能的欲求に逆らうのは容易なことではないし、「むこうから迫ってきたのだ」という唯一にして最大の言い訳を与えられているのだから。
マネジメントは対人関係の総合的な体系化だから学ばなくとも環境で成果になるから学習は必要ないよ
必要なマネジメントはそれが必要な環境に長くいると自然になりたつ
人材の偏りや業務の特性 具体的な発生事象の内容と対策はそれぞれその現場ごとにあるので
役職を重ねることで自然になるし逆にそれを座学で学んでも意味がないし逆効果
班分け指示だし進捗管理は臨機応変にひらめきや毎回異なる状況で発生しないしするような現場ではマネジメントは意味ない
あらかじめ準備しておいた装備に訓練された人材で対策の練れる対象に目的をもって行動するのにマネジメントがいる
そのマネジメント単位をとりしきるのには未知なものへの判断を行うさらに上の役職があるがそれはマネジメントではない
投資や役員といった外部の大きな目的意識をもつものがそれを達成する手段としてマネジメントされた組織を必要とする
新しく配属された能力もわからない部下の練り上げ方というのはマネジメントではない
そういうわけわからん組織で成果をあげるための方法もマネジメントではない
どういうコンテキストをもっているのかというのを時間をかけて経験で理解したチームになってそれをどう使うかがマネジメント
言葉で説明しきれない細かい要素も判断基準に含んだチームを運営して効果をだすのにどこかで学んだその現場の特性を含まない文字列が役に立つわけがない
最近はそのいきなり役職をまわされてしらない部下の集団をなにか作業させるのにそつなく動作させるための心構えみたいなものをマネジメントと
いっているところがあるようだがそんなのでよければ本屋でビジネスコーナーにいけば一人で大企業をなせるほどの文字情報はあるだろう
それは全く別の事象だろ
今日は爆サイにコンドームつけない男性の対処法を紹介する記事が掲載され爆サイ民の間で話題になっていた。
コンドームをつけない彼氏 避妊しない、ゴム嫌いな男性の理由と対処法
https://bakusai.com/thr_res/acode=9/ctgid=137/bid=1150/tid=8138511/bk=1/
このような主張や記事でよく言われるのが「外国人男性は付ける人が多いのに日本人男性はつけない」という言説である。↑の記事でも言われている。
日本人男性は『コンドームの使用率が、世界ワースト3位』であるという統計をご存知でしょうか? インドやベトナム、スペインなどが75%程度であるのに対して、なんと日本人のコンドーム使用率は42%なのだそう。
かくいう私もできればつけたくないと考える日本人男性のひとりである。
私は仮性包茎で、ゴムをつけてセックスすると何らかの拍子でゴムが余った皮に押し出されてペニスの先端側に寄ってしまう。
さらに先端側に寄ったゴムが締め付けるせいで同時に寄ってしまった皮が根元に戻らなくなってしまい、ペニス全体が皮に覆われてしまう。これではまったく気持ちよくない。
ハンバーグなどをこねる際、手が汚れないようにビニール袋を手にかぶせてこねることがあるが、
こねているうちにだんだんビニール袋が指先側に寄って外れそうになる事象に似ている。
言葉で伝えるのが難しいがとにかく包茎の男性にとってゴム付きセックスはまったく気持ちよくない。
そして日本は海外と比べて男性の包茎率が高い国。日本人男性がコンドームをつけない理由は「包茎が多いから」ってこった。
コンドームつける海外の男性は日本人男性と比べて紳士なんだ!ってわけじゃなくてただ単に気持ち良さの影響がないからつけるのを断る理由がないってことでしょう。
↑の記事で着用率が高い例として挙げられている国はどれも割礼の習慣があるところだしね。
「私のパートナーは絶対コンドームつけてくれる」という女性よ、彼のペニスを見てみろ、ズル剥けだろう。
もしズル剥けじゃないのなら彼は相当な聖人君子なので一生大切にしてあげてやってくれ。
何が言いたいかというと、日本も、いや全世界で割礼やるべきだよなって思うのよ。
割礼ではないが少し前に幼い頃から剥いてあげるといいよーって記事を読んだ。
News Up ママたちが集う “おちんちん教室” | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190904/k10012063061000.html
ブコメでは「男児への虐待だー」みたいなコメントがいいね集めててとても残念だった。少なくとも俺はこれやっといてほしかったな、って思ったよ。
一般的にみて予見可能である、という事象においては回避が可能であると同様の意味を持つ
そして被害者の非を大きく見る人は増えるはず
ただ、被害者が本当に予見していなければ、被害者も悪いのか、無知なだけなのか、無知も悪なのか、そういうところに目が行きがち
クマが人を襲う時はクマの非を問う人はおらず被害者に原因を求めるのに、性犯罪に限っては犯罪者のみが悪く被害者の原因に言及するのはタブーになるのが不思議
例えば、山の木を切りまくった。大洪水が起きた。山の神が怒ったからだ!山の神を怒らせないようにしよう。木を増やそう。洪水が収まった。山の神が落ち着いてくれた。
今であれば、木の保水能力が落ちたからだというのはわかる。わかったとしても、木を切りまくったら大洪水が起きるのは変わらない。
科学的検証でわかるものが増えてきたから木の保水能力というものに着目するようになった。
だけど、科学的検証は細かく見て分析していくものだから、どうしても大きな物事や人に関わる事象には弱い。
なので、こういうことをしたら罰が当たる。あるいは、よく生きていくためにはこうすればよい、という経験的要素、過去の伝承に立脚する要素がある。なので、宗教由来の知識が生きる側面がある。
その過去の伝承がどうか?というのも、測定方法の進展や、統計手法、何よりも金をかけての調査で少しづつ広がってはいる。けども、人が断定できない部分はまだまだ広い。
元増田は「子供は性的主体性を持つには未熟」が「ちょっと子供の判断力をナメすぎ」とおっしゃるけれど、現代の社会は性行為に限らず、子供のさまざまな権利を制限しています。飲酒や喫煙や公営ギャンブルは禁じられていますし、民法では制限行為能力者といって「私法上の法律行為を単独で完全におこなうことができる能力」を持っていないとみなされています。その理由は、未成年の自己決定能力の未熟さを鑑みて適切に保護するという観点から、未成年に対しては愚行権を含む自由権に一定の制約を課すべきだという社会的コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルのパターナリズム(保護者的統制主義、当事者の能力やリソースの不足を社会が保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない、というのが近代国家の原則です。
あなたの論法に則ると、たとえば未成年が法的契約の十全な主体になれない(正確には、未成年者契約はいつでも無効にされうる)こと、つまり「子供は法的主体性を持つには未熟」とされている現況に対しても、「ちょっと子供の判断力をナメすぎ」と言えることになりますが、これに同意する人はほとんどいないでしょう。大人と同等の判断力を持つ子供もいますが、そうでない子供もたくさんいます。
元増田は「一生のトラウマ」というメンタルな問題のみを取り上げていますが、そもそも性行為というのは適切な知識と配慮をもって行わなければ様々な身体的リスクがある行為です。たとえば性感染症。未成年のクラミジア感染率は、少し古いデータですが、15~18 歳健康高校生 6,000 人での陽性率が男5%・女子13%。そして19歳までの未婚妊婦の27.3%が感染しています。http://www.jspid.jp/journal/full/02301/023010063.pdf また女性の場合、HPV(ヒトパピローマウイルス)のように、若いうちに感染するほど、後の子宮頸がん発症の強い因子となる性感染症もあります。そして多くの性感染症は、たとえコンドームで避妊していても咽頭経由で感染します。これらの事実を正しく認識している未成年者は決して多くありません。
そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊の知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています。未成年の人工妊娠中絶数は、2014年の厚労省データで約18,000件/年です。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年で中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。妊娠はゼロリスクではなく、母親にもそれなりの周産期死亡率がある、非常に身体的負担の大きい事象です。臨まない妊娠の妊娠中断(中絶)にも多大なお金がかかります。また、学校や家庭などのコミュニティでのサンクション(制裁)も発生します。そうした性行為にまつわる事実を正しく認識し、そのリスクを踏まえた上で行動できる未成年者ばかりではありません。
結婚して嫁の実家である地方へ引っ越して友達も自由な時間も無くなり、いるのは嫁と嫁の両親だけ。共働きで子供はいない。
二人の時はテレビパソコンは嫁に占拠されている。ここ一年くらいろくにSEXもしていない。
完全に自由な時間は週に一度自分が休みで嫁が仕事の日、朝起きてから昼過ぎ、晩飯の買い物行ったりする時間まで。こういう生活を数年続けた結果、何も趣味が無くなり生活が死ぬほどつまらない事にふと最近気付いた。
んで、やばいと思って婚前の趣味だったゲーム、ダーツ、旅行をやってみたんだけど
ゲームは好きだったゲームを引っ張り出してやってみたけど10分で飽きたし
ダーツは滅茶苦茶下手になってて今からまた練習しようにも時間ないしなぁ…と思ったし
旅行はそもそも今通勤に往復数時間かけてるので移動にかける時間の無駄感が凄く感じて辛かった。そもそも数時間しか時間は無いので行けるところもそんなにない。
現実的にはニンテンドースイッチとか買えばテレビ使わなくても楽しめるかなとは思ったけど、毎月の小遣いは食費も含まれてて足りない分は個人の過去の貯金を切り崩してる有様なので、もし買ってやらなかったときの恐怖が強くてなかなか手が出ない。
というから全ての事象についてやる気が出ない。どうでもいいという絶望感がある。嫁の事は愛しているし、嫁も自分のことを愛してくれていると思うけど、嫁に貢ぎ続けるだけで何もできない今の生活は辛い。生きてて楽しくない。死ぬのは怖いけど自分の預かり知らぬタイミングでポックリ逝くのはいいかなあとは思う。
断定は出来ないけど、95%、がん、だそうです。
それはそれはびっくりしたよね。
仕事中にメールで知らされたときは文字通りゾッとして、目の前が真っ暗になったよね。
わたしは夫がいなくなったら生きていけない。
夫と出会ってからずっと夫が大好きで、多少の諍いはあっても日々が大好きで満ちていて、夫を大好きなまま一緒にシワシワになって、いつかは夫の腕の中で生を終えると疑いもなく過ごしていたから。
どんな顔をして家に帰ればいいんだろう。
1番不安なのは夫のはずで、わたしが泣いたりしたらいけないのではないか。
などと思いながらおりましたが、いざ帰ってみれば夫は普段通り犬と遊んでいたので、少し潤む目を気取られないように普段通り振る舞えたと思います。
家に帰ったあと夫から詳しく話を聞くと、腫瘍のサイズから見てステージ1の中の1番低めの分類。切除してしまえばこれきりの手術になるでしょう。と言われた、とのこと。
がん、って強いワードだなと思ったよね。
そんなことが新年あけてすぐの1月2日に起こりまして、あけましておめでとうとか言っている雰囲気でもなかったのですが、状況をきちんと理解していくうちに落ち着いてきました。
つぎの木曜日に手術です。
ドクターは大学教授ということもあってか、かなり説明が上手くて、2時間ぐらいかけて基本的な事から現在の事象へ掘り下げて説明をしてくれました。
取り得る策を全て挙げてくれたのちのディスカッションをもとに、プランAはロボット手術にて部分切除、腫瘍が膀胱に触っていて部分切除が難しいようであればプランBの全摘出、出血した場合はプランCの開腹手術、みたいな予定です。プランDまであったのですが忘れました。
色々とざーっと落ち着きはしましたが、こういう局面に遭遇するとそれぞれの人々の人間性やその人の人生の優先順位などがよくも悪くもあけすけに見えてしまうものです。
いまとても、夫の母に幻滅しています。
夫の母にとっては、どうやら息子の手術及び健康よりもご自身の面子の方が、全く比較にならないレベルで優先順位が高いようです。
おそらく今後、夫の母との付き合いは大きく変化する事と思います。
あまり夫の前ではあらわにしないように努めていますが、わたしとしては軽蔑に近い気持ちを抱いています。
という事を記しておこうという増田です。
ようやく合点がいきました。
デザイナーズ物件が済みにくいというのはもう昔から言われてることですが、なぜなのか。
なぜ建築のことを勉強し続けてる人たちが作った家が住みにくいのか。
デザインにステータス全振りしたらそりゃ住みにくいだろうというなんとなくふわっとした理由づけにみんな納得してきましたよね。
でもデザイン物件に住みたい。高くておしゃれな家は住んでて気持ちいい。
でもトイレ風呂が妙な位置についてたり、ほかの部屋に行くのにいったん外に出ないといけなかったり、子供部屋が鬼のように狭かったり暑かったり、プライバシーがなかったり、ベランダが洗濯物を干すには狭すぎたり、でかすぎて物置になっていたり…まあとにかく妙なことになっています。
田中卓志と遼河はるひが仮装夫婦になって人様の建てたばかりの家を見に行く番組なんですが、私はずっと引っかかっている回がありました。
その回で紹介された美容師夫婦の建てた家は、建築素人の妻が家の設計をして建てた家でした。それに遼河はるひが食いついた。
設計したのが素人と知る前から、家に入った時から、彼女はくいついていました。いつもとは違う熱量だったのが印象的でした。気に入ったんだなあと誰もが思ったでしょう。
そして見終わって、遼河はるひが言った言葉は「この家を真似しよう、このままの家が欲しい」でした。
そこまで?私は正直思いました。
おそらくその場に立ってみないと見えないところがあったんだと思いました。
個人的には今まで番組で紹介された家の中にはもっと素敵であこがれる家はたくさん出てきていました。でも彼女が食いついたのはその家だったんです。
その後も毎週、建築にこだわりがあり、趣味にこだわりぬいた家が紹介されていきます。
そしてある回で二階にプールのある家を紹介したときのことです。
その夫婦の奥様が中国人だったためでしょうが、どの夫婦も濁してきた「住んでみての失敗点」のコーナーで、彼女は住みにくくて不満ですとはっきり言ってしまいました。
やはりデザイン性を追求すると住みにくくなるのか……、そう思いながらも、あの美容師夫婦の家を思い出していました。
陳腐な言い回しだがパズルのピースがはまるように突然わかりました。
それは理由としてはごくごく当たり前のことでした。
「普段家事をしない男がデザインした家が住みやすくなるわけないだろう」。
いわんや、「士業の男」をや、です。世の中建築デザイナーの妻が10歳以上年下で専業主婦でなかったためしがありません。そこに見える男のロマンといわれるような傲慢な思想。ブラジャーを作っている大手企業の幹部が全員男だった時と同じ構図です。
主人よりずっと長く家に住む女子供を思いやれる建築士の顔が浮かびません。彼らは良い服、靴、時計、自分の趣味に興味があるだけで、妻や子供は自分の家にも住まわせてやってるという意識が働いているのです。代々木上原にあるような賃貸のデザイナーズ物件などに至っては「俺の設計した賃貸に住まわせてやるよ」という傲慢が見えるようです。
彼らの設計する家は、デザイン性によって生じる利便性の悪さをすべて自分の居住区以外に押し付けており、表から見える場所はきれいでも裏方がぞんざいです。
子供部屋は狭く、暑かったり寒かったり、子供が大きくなったら壁を作って狭い部屋をさらに二つに、とリビングの二の次、三の次の扱いです。私が子供なら成長につれ狭くなるような子供部屋は嫌です。
そして自分のこだわりのために毎日家で長時間家事をする妻の動線は無視されています。自分の金をつぎ込みたいところにつぎ込み、自分が使わない場所への節約が顕著にでた家の数々。そんなものが「家族」にとって住みやすいわけないのです。
そしてデザインに大きな権限を持つ建築主はこう言った番組で必ず言うセリフがあります。
丸投げなのです。そして換気扇が恐ろしく遠い位置だったり、キッチンの規模に対して小さすぎたりするのです。料理をしないからわからないのでしょう。
日中は家におらず家事なんかするわけない、家事がどういう流れで行われるかなんて考えたことも実践したこともない人間が、特に家事労働時間の長い家族の住み心地になんか元より考えられるわけないのです。
そういうめんどうな質問をしてくるやつに的確な返答が思い浮かばないから簡単な否定文を自己にあてることで反面の質問者と同じ行為をしてる感があるな
次そういう話になったらどう論破してやろうかではなくそういうやつはすぐに縁をきったほうがいい
一緒にいることで何の得もないというかそいつは他人とかかわらないことが最も効率的だと考えているはずだからなにかしてあげるすべてが損になる
自分はこうして人生大成功したのになんでみんなこんな簡単なことしないの?と同じ系統でそんなにラッキーなら目をつぶって横断歩道わたっても大丈夫だろうよ
再利用性や再現性に確度を高めなくてもいつでもそこにあるはずのものがいつまでもそこにあるとか必ずそうなるのは自分以外が手を付けない場所だけ
一般人は
皿は次に使うときにどの皿が何に使えるかという選択選別判断をいちいちしなくていいように洗っておいておくし
タオルを洗って毎回風呂上りが風呂上りであるようにまた風呂に入りなおす羽目になる確率にさいころをふらないし
ファスナーをしめることで予想外の出来事に自分の装備品をまず全部確認するという作業をしなくていいようにするし
除雪することで認識可能範囲での事故の予防や被事故の発見をすることでその手間よりも多い面倒ごとから回避するし
洗濯物をたたむことで時節にあわせた服装ができるようにする程度に再利用スパンが短くないし
しおりを挟むのは知恵がどうのということとは関係なく物理的にページをめくる動作作業を軽減させるものだし
科学というのは、明証、分析、総合、枚挙と、合理的批判からなる知識の集合体。
デカルトが提唱してから400年、科学がおおう範囲は非常に広がってきた。世の中のすべてのことが科学で解明されるかのように思えてきた。
例えば、農作物を雀が食べるから、雀を全部殺してしまえば、農作物は大量に作れるように思えた。
例えば、なにか思いついたら、すぐにそれが期間、費用、収益見込みが作成できて、投資に馴染むもののように思えてきた。
すぐに期間、費用、収益見込みが作成できて投資をうけれるはずなのに起業が起きない。なぜだ?ただ単に起業家精神が足りてないだけだ。
それ以外の物事は無駄であり、費用をとにかく削減すれば良いように思えてきた。
結局、共産主義も、新自由主義も、今までにわかっていた科学でこれからの事象も全部わかるという誤解のもとに生まれたのだろうね。
そうして、どんどん社会は衰退していった。
無論、わからないものはこれからもまだまだあるのだから、科学でないものを科学にするのに金は出していかないとならない。
後、社会科学は、偉い奴の言った物事に忖度するための学問じゃなくて、現実世界を解明するツールだぞ。合理的批判が難癖と紙一重だからなかなか難しいところはあるし、文系不要論なんて生まれるが。
「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」内で2018/08/31~開催されたイベント『新しい季節、その前に』で実装された楽曲ガールズコードに関してのお話です。
ガールズコードはPoppin'Party11th Singleとして2018/10/03にリリースされ、イベントストーリーをそのまま書き出した様な歌詞になっています。
この曲の特徴としては今までのPoppin'Partyにはあまり見られない無い「語り口調」の歌詞で曲が進行していきます。
「明日みんな何着ていくの?」
「そんな事を真顔で言わないでよ」
以前私の友人が以前この様に言っていました。
私もこれには全くの同意見であり「語り口調」ではあまり考察の余地が無いと考えており、正直ゲームにて実装されたワンコーラスを一聴した際の感想としてはイベントストーリーと歌詞の照らし合わせ以上の「余白」が無い様に思えました。
初めてフルコーラスを聴き終えた後、私の楽曲に対する印象が一変しました。
「夜を止めて」
そしてこの曲自体が他のPoppin'Party楽曲に見られる、ある言葉の比喩になっていることに気付きました。
『永遠』
これは中村航氏がバンドリを通して描き続けてきたテーマとも言える言葉。
「昨日が今日になって、明日になって、未来になって、永遠になってた」(キラキラだとか夢だとか ~Sing Girls~)
「CiRCLING! 永遠の途中」(CiRCLING)
「夜空をいろどる 刹那の花 永遠を焼き付けて」(夏のドーン!)
この「永遠」は共有した想い、共有した時間、所謂「思い出」や「経験」それら全てを内包する確定した事象であり、永遠に変えることが出来ない「過去」の事だと考えています。
楽しいや苦しい、嬉しいや悲しい共に過ごし感じた全ての事象が「永遠」であり今のPoppin'Partyを構成する物である。
経験した一瞬一瞬を繋ぎ合わせ、永遠という言葉で表現し歌としてアウトプットする。まさにタイムラプスの様です。
その「永遠」という言葉で比喩された彼女たちが過ごした時間を、より多くの方にわかり易く伝える為の楽曲だと気付かされました。
『新しい季節、その前に』のイベストの各話サブタイトルに必ず「時間」という言葉が入っており、作中の彼女たちにも我々と変わらない「時間」が流れている事を意識させる工夫がされてます。
そしてガールズコードの歌詞構成にも曲タイトルの「ガールズコード」以外の言葉が重複しないという工夫がされており、『同じ時間は二度と無い』という事を意識付け、楽曲が進行して行きます。
決して止めることの出来ない時間。
学校が楽しみであり、夏休みが早く終わらないかと言っていた香澄。
それらを理解しながらも作中で「後十分だけ!」曲中で「後五分だけ!」と過ぎた時間に後ろ髪を引かれる香澄。
その思いが歌詞としてアウトプットする際に、作中では決して言葉にしなかった思いが香澄から溢れます。
「夜を止めて」
『永遠』を願った瞬間でした。
「夜を止めて」
曲中で初めて繰り返される言葉により切実な香澄の思いを感じることが出来ます。
多くの方々が一度は「この時間がずっと続けば良い」と考えたことがあると思います。
だからこそ、この歌詞を書いた時の香澄の心境は多くの方が理解できるものであり、彼女たちが歌う「永遠」という言葉に込められた物の輪郭がとてもわかり易く描ける様になれたのではないかと思います。