はてなキーワード: 事故とは
漫画読みとしては、原作者が死にたくなるほど追い詰められるなら、作らない方が良かったのでは?と素朴に思ってしまうな…。
ーーー
脚本家の人に同情できるか、考えてみた。
今回たまたま死者が出てしまったけど、追い詰められて極端な行動に出る危険性があった関係者は、原作者にせよ脚本家にせよ、いままでもいたんんだろうな。みんなが危険な運転をしている中で死者を出す事故の当事者になってしまった不運はあると思う。
今までたまたま誰の目にも明らかな形での死者が出てなかっただけで、鬱その他の疾患、なんならニュースにならないタイミングでの自殺者なんかもいたのかもしれない。
なぜこうなってしまったのか、製作の当事者の人は、現場の細部はわかっても、分析はそんなにうまくできないんじゃないかと思う。
理想的にはジャーナリストとかが上手く分析してくれたらいいんだけど、できるかな。あんまり期待できないのかもしれない。
脚本家の人個人を火祭りにあげるのは溜飲を下げる以上の意味はないと思う。
ーーー
漫画家とか小説家の人にできる事って何があるのか考えると、悲観的に言うと自衛のためにどんどん実写化断っていくことくらいしかできることはないのかもしれない。(弁護士雇って契約書を分厚くしていく方向の話もありそうだけど)
でも難しいのが、芦原さん、砂時計の実写化はすごくいい経験だったみたいなんだよね。
実写化は、ビジネスとして重要という側面もあるけど、いい形での実写化は普通に作家の人にとってとても嬉しい話であるらしいので、ざくざく断るの難しいんだろうな。
ーーー
漫画の世界だと、今も色々と無理をしているけど、昔より漫画家が休めるようになってたり、昔に比べると人気作の終わりどきを決める権限が作者にあるみたいで、昔よりは、良くなってる印象がある。
何をどう改善するのがいいのかわかんないけど、少しでも良くなって欲しい。けど、変わるかな?
ーーー
追記:
“こんくらいで自殺なんかされて罪悪感植え付けられて可哀そうと思う”
自分は漫画を書いた先生の方に感情がよってるから、先に書いたような書き方になっちゃうけど、脚本家の人に共感する人は、そう思うよな。
先生が生きてたら、過去の笑い話になったりしたかもしれないし、あるいはお互い一生のわだかまりが残ったんだけど、それはそれとして次に進んでいったみたいな展開になったかもしれない、ともかく別の展開があり得た。
個人的には、こんなことが起こらないように改善してほしい気持ちと、ギョウカイのカイゼンとかどうでもいいから死なないでほしかった気持ちが両方あるな。
漫画の続きが読みたかったという気持ちはあるけど、もし読めないなら読めないでそれでもいいし、なんでもいいから生きててくれたらよかったんだけどな。
漫画読みとしては、原作者が死にたくなるほど追い詰められるなら、作らない方が良かったのでは?と素朴に思ってしまうな…。
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脚本家の人に同情できるか、考えてみた。
今回たまたま死者が出てしまったけど、追い詰められて極端な行動に出る危険性があった関係者は、原作者にせよ脚本家にせよ、いままでもいたんんだろうな。みんなが危険な運転している中で死者を出す事故の当事者になってしまった不運はあると思う。
今までたまたま誰の目にも明らかな形での死者が出てなかっただけで、鬱その他の疾患、なんならニュースにならないタイミングでの自殺者なんかもいたのかもしれない。
なぜこうなってしまったのか、製作の当事者の人は、現場の細部はわかっても、分析はそんなにうまくできないんじゃないかと思う。
理想的にはジャーナリストとかが上手く分析してくれたらいいんだけど、できるかな。あんまり期待できないのかもしれない。
脚本家の人個人を火祭りにあげるのは溜飲を下げる以上の意味はないと思う。
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漫画家とか小説家の人にできる事って何があるのか考えると、悲観的に言うと自衛のためにどんどん実写化断っていくことくらいしかできることはないのかもしれない。(弁護士雇って契約書を分厚くしていく方向の話もありそうだけど)
でも難しいのが、芦原さん、砂時計の実写化はすごくいい経験だったみたいなんだよね。
いい実写化、ビジネスとしての重要という側面もあるけど、普通に作家の人にとってとても嬉しい話であるらしいので、ざくざく断るの難しいんだろうな。
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漫画の世界だと、今も色々と無理をしているけど、昔より作家を休めるようになってたり、昔に比べると人気作の終わりどきを決める権限が作家にあるみたいで、今も色々と無理のある世界だけど、昔より良くなってる印象がある。
何をどう改善するのがいいのかわかんないけど、少しでも良くなって欲しい。けど、変わるかな?
同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々のことを家族という。
私が生まれ育った家庭では、物心ついたときには一般的に「お父さん」や「パパ」と呼ばれる事が多い父親は「爺さん」と呼ばれていた。
「爺さん」はどこかおかしかった。
今思えば、何かしらの不定型発達があるのだと思う。
時代が時代であったからかもしれないが、子供がちょっとした悪戯をしたら思いっきり殴られるのは当然。
脚や身体にできたアザのことを今でも覚えている。
話によると、横領をして窓際に左遷させられ、退職たらしい。子供であった私は良く分からなかったが、横浜某所にあるピカピカの借上げ社宅を追い出され、韓国系菓子工場の近くに引越す事になった。夏場、ドアを開けた時に広がった人工的な葡萄の臭いで吐き気を催した事で、今でも葡萄のお菓子は苦手である。
「爺さん」はその後も職を転々とした。
ある時、「爺さん」の身元引受人になるよう、母のもとに連絡があった。
当時勤めていた、自転車整理のバイト先にあった放置自転車を自分のものとして乗っていたら、警察に職質をされ、「妹の旦那が癌で…」と逃げようとして、捕まったらしい。
家族全員で責め立てたところ、沸騰したてのお湯をかけられそうになった。
ワタシが二十歳を超えた時の事だったと思う。
この時から親しい人に父親のことを話す時、「便宜上(やむを得ず)の父親(と呼んでいる人)」と呼ぶようになり、癌で母が死ぬ前に久しぶりに見かけた「爺さん」はいつもと変わらないおかしな「爺さん」だった。
母の葬式後、「爺さん」とは絶縁した。
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
そうなんだよなー
なんでかわからんけど口にすると社会的地位を失うから言わないだけ
先天的重度知的障害とか限定された間引きは脳死患者からの臓器移植と大して変わらんと思っている
よくある反論①
お前も次の瞬間去勢されるかもしれないぞ
現時点で間違いなく強者側の属性を持ってるのでまったく実感がないし、事故で弱者側になったとしても家族に介護で迷惑がかかる前に殺して欲しいと思う
反論②
現時点で子供はいないが、自分の死後確実に社会の荷物になるような先天障害の子が生まれたらむしろ合法的に殺す方法を探すと思う
反論③
そのうち限度が緩くなって大半の人権が無くなるぞ
最初にどこにラインを引くかは、障害者手帳だって級があるわけだし障害を客観的に評価して分類することは可能だし、たくさん議論したらいいと思う。優生思想だからダメ!で議論すらできない現状には納得いかない
そのラインが拡大して自分の身に危険が及ぶようなら国外逃亡でもするからやっぱり別にいいや
正直先天性の障害でほぼ意識がないなら親が間引きの判断が可能(嫌なら自費診療)、
先天重度の知的障害で精神年齢が婚姻可能年齢に達さないなら避妊去勢、
ヘルパーがいないと成り立たない夫婦(双方障害者など)は避妊去勢推奨、子の面倒をヘルパーが見ることは禁止(家族で見れないなら里子強制、実質子作り禁止)
正直これくらいやらないと日本の福祉はもう終わりでしょ。なお現実は家族が望んでも避妊も去勢もできない。健常者が収めた税金がドブに消えてっても平気なほどこの国はもう豊かじゃないよ。
2024年は1月1日の能登半島地震、1月2日の飛行機事故、最悪の事態で年が明けしました。
東日本大震災同等の大型地震で甚大な被害により、230人以上の方が亡くなられました。
お亡くなりになられた方に心よりお悔やみ申し上げます。
余震も続いている状況なので、二次災害に遭われないことを願います。
現地の自衛隊員の方々の支援活動をテレビニュースで拝見しています。
行方不明者の捜索活動、ライフラインの復旧活動に尽力されている様子を見ると頭が下がります。
早急に、水道、ガス、電気が復旧して一日も早く普通の生活が出来ることを願います。
被災者の皆様引き続き頑張って下さい。
ボランティアの方も災害に遭われないように行動を気を付けて下さい。
細川徳生
子供Aが子供Bを誤って(事故的に)殺してしまい、子供Aの家族はその日のうちに夜逃げしたという話。
Aは親に従わざるを得なかっただろうけど、殺人して逃げて、一生罪を背負わないといけなくなったと思うと、やり切れない。
正直に殺してしまったと言うべきだっただろうが、それはそれで親が賠償金を払えない等の問題があったんだろうな。
これは昔の話だけど、現代だとやはり夜逃げなどせず正直に警察に話すべきだよな。
嫌な話だ。今もAは生きてるんだろうか。もういい歳だろうに。
お前がやったんだろ?と言って認めさせて、それで終わりになるだけだろうが
テレビ番組の撮影のために貴重な文化財を貸したら返ってこなかったor壊された、
こういうのは有名だけど、根本的に『みんなのためのことにはみんなが協力するべき』って思ってる人たちがいるんじゃないかと。
あのね。
おれが言及してるのは、おれに全くもって何一つ関係ないドラマの中の出来事なわけ。
おれと相手のどちらかに責任があると考えられる事象について、相手に責任を押し付けようとしてるわけじゃないのよ。他責とは全然違うの。
世の中で事件が起こったり、事故が起こったりしたときに、明らかに誰かに責任があるケースってあるじゃない?
例えば赤信号無視して交差点に突っ込んだタクシードライバーが横断歩道渡ってた幼稚園児轢き逃げしました、とかさ。
そいつが「あの子どもが車を避けなかったのが悪い」とか言ってたら、他責思考だなーって誰でも思うでしょ?明らかにそいつに原因も責任もあるわけだから。そういう話してんのよ。
仕事でもし自殺念慮のある人と下手に関わって、あとあと事が起こったときに、自殺のきっかけだ!とか言われたりして、これって完全にもらい事故でしかないよな。
そのへんのリスクを避けるための周りとの関わり方(極力一対一でコミュニケーションを取らない、とか)って大事だな、と今日思った。
ここに生まれたくなかったと思いながら、戦わなければならない
大川原化工機、不自然で計画的殺人の可能性が否定できないはずなのに、シレっと「手違い」で済ませる司法
高額年金の高齢者を事故に見せかけて殺せば裏金がもらえる、イスラエル人よりも醜く汚い、そういう国を国と呼ぶことすら吐き気がするようなもの
個人でやるときは垂れ目がキライなのでアイラインはバチっといれる
口紅は極力(血色の悪い)肌なじみのいい色、ベージュでしかし地唇よりちょい明るめの色を選ぶ、
そのために手の甲テストも欠かさないんだがそれでも度々事故る(ド派手な顔になる)
これなら合うとおもえたくすみピンク色、廃盤になって長い。たぶんもう市場にないんだとおもう
そうだなーたぶんキャラでいうとドラルクの顔色した水星の魔女といえば口に何かぬった瞬間死ぬ気分がわかってもらえるかもしれない
カタギじゃない顔になりやすい顔
バラエティ番組で死人出てるウンナンが人を傷つけないはどう考えてもおかしいだろ!!!!!
1993年6月24日未明、フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港のロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷)となって東京女子医科大学病院に搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。
6月26日、番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組の最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送が結果的に最終回となる。
6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビの村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体が野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ(平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。
7月1日、フジテレビの記者会見で番組の打ち切りが正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。
7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町のニッポン放送でウッチャンナンチャンの2人による謝罪の記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。
7月3日、ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番「あなたの心のスター大全集!!」(司会:峰竜太、中山秀征、鷲見利恵 制作:ジャパンプロデュース)が放送された。
上述の6月26日の放送で予告された7月10日にJリーグ中継[注釈 7]、7月17日に上記の「あなたの心のスター大全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社・スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。
12月、被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組のプロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。
1994年4月11日から『やるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。
さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャンの年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。
その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。
土日は昼過ぎまで親が起きてこないから、物心ついた頃には土日の朝昼は冷蔵庫にあるもので妹と二人で勝手に済ませて、テレビ見たりゲームしたり近所の公園や図書館に行ったりと好き勝手に過ごしていたし、周りもそうなんだろう、と特に気にもしていなかったけど、世間の親は土日子供を連れてどこかへ出かけたりするものだと知った
小学生上がるまでは、まだ存命だった祖父母が食事の世話はしてくれていて、簡単な調理(ご飯炊くとか目玉焼き作るとかお湯を沸かすとかリンゴを剥くとか)も祖母仕込みだった
親になってみて、土日疲れ果てて昼まで寝たい気持ちもめちゃくちゃわかるし、一方で、子供が一人で調理して怪我とか火事とかあるのも心配だし勝手に出かけて事故とか事件とかも心配だし、バランスが難しい