はてなキーワード: 丸刈りとは
2月8日深夜、aki koniだかkoni akiだか、今は名前を変えているらしいユーザがリストカットをした。
まぁそんなことは珍しいことではない。
広いインターネット見渡せば毎日誰かしらがリスカをし自慢している。
aki koniだかkoni akiはそのうちの1人に過ぎなかっただけだ。
ちなみにaki koniだかkoni akiはいわゆる"炎上アカウント"で、中身は単なるオバハン。
女王のように振る舞い、自分が気にくわないことには執拗にケチや文句をつけ、
しかし一応Google+では初の例ということで注目を浴びた。
大半のユーザはリスカではほぼ死なねーよばーかといった感じで、中には頸動脈の正しい切り方なんて投稿も見受けられたが、
aki koniだかkoni akiはいうても東京でGoogle+飲み会や食事会などには顔を出すなどしていたので、「大丈夫?」と心配されたりもした。
ここまではまぁ正常。
つーか面倒なのでaki koniだかkoni akiは以下koniと表記する。
ここで発生したのがkoni信者である。いや彼らは潜在的に元々信者だったんだろう。
・koniを快く思わなかったユーザの、koniは死ねばよかったのに投稿に対する批判
・koniに他の人に見える形で「大丈夫?」「僕は味方だよ!」と言いまくる
前者はともかく後者である。数回言うのはまだしもこれがしつこい。異常なぐらい。
もちろん「大丈夫?」「僕は味方だよ!」ってのを快く思わない一般ユーザが現れるのも当たり前で、
「それがウザい」「なんなんのこれ?」という投稿で結構溢れかえった。
ここでの構図は
ネ申―koni
そしてそれが1週間経っても収まらなかった。
誰一人としてkoniに直接連絡が取れるユーザが居なかったのである。
「大丈夫?」「僕は味方だよ!」はkoniへのメンションだったが、
フォロワーの多いユーザに「koniを助けてあげてよ!」というメンションを飛ばし始めたらしいのである。
まぁメンションなので不明といえば不明だが、しかし複数ユーザの投稿から察するにこんなようなことがあった様子。
もちろんメンション投げられた方は「ウザい」と思うのは当たり前で、
とはいえこちらは大人なのでぼやかした形でウザいと言い出したのである。もちろん当たり前である。
そして「ウザい」に対する「確かにウザい」という投稿が増えるのも当たり前で、カオス化。
「浅い関係じゃない」「何も知らない奴は引っ込んでろ」
浅い関係じゃない?koniと直接連絡取れる間柄でも無いくせに?おかしいだろ?
そう思うのは普通で「koniに何求めてるの?体?w」みたいな投稿も増えてきた。
何かが変だ。話がかみ合わないのである。
ここで情報収集してみたらどうもこういう構図になっていたことが判明したのだ。
絶対ネ申―koni
「浅い関係じゃない」のはネ申で、ネ申が絶対ネ申と連絡とったりしようと努力していることを「茶化すな」と言っているのである。
じゃあ信者は一体何の存在なんだよwwwと言いたくなり、もはやそれは狂信者なわけだが、あれ?この構図って・・・
Google+といえばなんとか48が大量に居座りだしたSNSである。
なんとか48及び関係者及びファンはGoogle+のことを"ぐぐたす"と略すのは周知の通り。
ガチャピンが「Google+の略称はぐぐたすね、覚えたよ」と投稿したときは「違うよ、ぐーたすだよ」という投稿で溢れた。
ぐーたすというのも浸透してない気はするがさておき。
とあるユーザが(わざと)メンバーが丸刈りにした件について揶揄する投稿をしたところ、
しかしよく考えてみれば、丸刈りにしたメンバーの擁護は他メンバーと関係者がやればいいことで、
ぐぐたすと略すユーザがいちいち攻撃することに何も意味が無いのである。
つまるあたり、
狂信者―攻撃要員
信者―ファン
完全一致!最も、不祥事を起こしたメンバーと他メンバー及び関係者は連絡が取れるのでそこは一致しないが。
ネ申―狂信者という構図が全く同じで、批判すれば攻撃し、ことあるごとにヨイショする。
ぐぐたすと略すユーザは若年層なので若気の至りかで済む話だが、
Google+からぐぐたすと略すユーザを差し引くと6~7割が30~40代のおっさん・オバハンなので、もはや手の施しようが無い。
そして"そもそも直接連絡は取れないが浅くない関係とは一体何なんだろう?"という謎だけが残る。
さらにいえばリスカしたよ画像なんて検索すれば山のように出てくる状況下で、誰もkoniが本当にリスカしたか疑わなかった不思議。
AKB48のことは、もともと別に好きでも嫌いでもなく、しかしそれなりに好奇の視線を向けてはいた。
ところがだんだん気持ち悪さを感じることが多くなってきた。
彼女らに対してというよりはそのシステムやファンの存り方や、そのファンの言動をいちいち取り上げてバカにする声に対して。
それでもまあ、そんなものは2ちゃんまとめブログを読まなくなったことでだいぶ避けることができるようになっていた。
しかしどうしてもスルーできない事件が起きてしまった。あの丸刈り事件だ。
その話題を聞いて、ネットにアップされた丸刈りの女性が泣いて謝る姿を見たとき、とにかく不快な気分や怒りを禁じえない状態に陥った。
ひととおり怒って気持ちが落ち着いてから、今後しばらくは極力AKBの話題をネットなどで見ないように、発言もしないように気をつけようと心に決めた。精神衛生上よくないから。
ところがそうは問屋がおろさないのが現実というもので、翌日には、丸刈り状態で仲間と微笑む彼女の画像とそれを見た誰かの「全然反省してないじゃんw」というコメントが目に飛び込んできて、やっぱりイライラしてしまった。
どうしても情報を避けきれないのだ。それくらい衝撃的な事件だった。
本当に嫌なら見なきゃいいし、ネットに接続しなければいいんだけども。結局私が自らの好奇心に負けてしまっているのだろう。
丸刈り事件のとき、何を不快に思い、何に対して怒りを感じたか説明しようと思ったけど、いろんな負の感情が押し寄せてきて頭が混乱するのでやめておく。
まあ、あの動画を見て楽しい気分になる人はあんまりいないだろう。いるとすれば特殊な性癖の持ち主とか?
さて、あの事件の前にも、AKBメンバーが恋愛禁止ルールをやぶったことで騒ぎになったケースはあった。
この頃すでに、恋愛禁止ルールってなんだよ気持ち悪い、くらいの気分は私の中に存在した。
それと、人間同士を競わせて戦わせ、それを見物して楽しむという構造は、古代ローマ帝国時代のコロッセウムを彷彿とさせる(さすがに殺し合いさせるのとはわけが違うけれど)。まったくもって気分が悪い。
こんなことを言うと、「彼女らは自ら望んでやっているんだ。だから奴隷とは違う」と反論されそうだし、確かにそうだなとも思う。
でもどうして、彼女らはあんな厳しい環境下で競い合う道を選んだのか。
以前テレビで有名な脳科学者だったか心理学者だったかが、「人間はもともと競争するのが好きなのだ」と言っていた。つまり本能的に競争したいから、と言うことはできそうだ。少々乱暴かもしれないが。
見渡せば、世の中競争だらけだ。受験、就職は言わずもがな。メシを食うためモテるため、人々は競争し続けている。
現在私は結婚し、専業主婦(というかほとんどニートに近い。子どもはいない)生活を送っているので、競争からはほとんど降りている。しかし競争から完全に切り離されているわけではない。
まず、夫は世に出て働いている。働くことと競争はほとんどイコールだ(競争とは無縁と思われがちなかつての私の職場でさえ、そうだった)。働いて疲れて帰ってくる夫を支える必要がある(現実にはほとんどそれができていないというのがヘタレな私の現状なのだけれど)。
私が日々享受しているエンターテイメント(マンガ、小説、アニメ、ゲームetc.)は大抵、競争の中で勝ち残ってから私の元へやってくる。
エンターテイメントに限らず、日々消費しているモノにはやはり何らかの競争が関わっている。「どこよりも安い」「売り上げNO.1」といったキャッチフレーズを添えられて。まあそういったキャッチフレーズがついてなくても、モノを売る人間の競争力が関わっていることは間違いない。
そういうわけで、生きている限り、競争とは無縁でいられない。
自給自足の生活でもできれば話は変わってくるけれど、脆弱な私にそんなハードな生活はできそうもない。ていうかできない。
http://anond.hatelabo.jp/20130205114525
穢れは自然な物なの
これは同感です。 私がオシッコを入れたコップを例に出したのもそうで、
別に女性をコップに例えた訳ではなく、「どこにでも誰でも存在しますよねー」という事です。
別にコップに限らず人であれ、モノであれ普遍的にある感覚です。
そして穢れと清めは対なんだけど 清めは何になるのかな?
正しい日本語ではありませんでしたね。 ただ上記のように通じる人もいるみたいです。
もうちょっと前、高度な宗教が生まれる前の原始的な感情かな、とも思います。
そして清めはありません。あるいは「パートナーから愛される事」かな(相手は男性に限らず)。
清めになるのかは私は詳しく無いのですが、救いにはなるでしょう。
これは自然ですね。ただそれは相手と結婚した後、としておいた方が良いのでは?
「結婚してない男女のカジュアルSexも全然ありだぜ!」って感じ( http://twitter.com/#!/femibotjp/statuses/147645947466358784 )だと、
(嫁が非処女で悔しかった http://2r.ldblog.jp/archives/2940422.html)
昨今の草食系男子の主張のなかで「草食系なんじゃない、肉じゃないだけだ」(http://matome.naver.jp/odai/2133896287031611701)みたいな主張があってなるほどな、と。
「非処女は価値が下がりますよ」みたいな価値観がある程度ないと、
男の甘言でかるーくSexして価値を下げちゃう人が増えると思うのです。
(別の増田でしょうが。この辺から http://anond.hatelabo.jp/20130202215052
「男性からSexを求められる素敵な私♪」みたいな勘違いがあるように感じられました
今のover30にはそういう残念な女性が多数いらっしゃると思う。
皆さん恋(or Sex)の数だけ幸せになれたんですかね?(あるいはなれそうですか?)
本人が自覚してないとしても、例の体罰の高校の在学生女子が橋下に脅しの電話かけたのと同じだろ
あれが本当に自分の意思で決めたことならば、だが
丸刈りのあれ。
あれは何に対する謝罪なのだろうか?と疑問に思った。
ファンはそんな姿は見たくなかっただろう(多分)からファンに対する謝罪ではないのではないか?
恋愛は禁止で、それを破ったら絶対脱退しなければならないというグループに所属しているなら最初から恋愛をしないか、完璧に隠し通せば(=完璧なんてそんなのは多分無理で、運が悪ければバレる覚悟を決めて恋愛をすれば)よかったじゃないか。
その是非はひとまず置いといて、
そういうルールがある仕事でそれを破ってしまった(上手くやれなかった、運が悪かった)謝罪で、丸刈りに走る発想がわからなかった。
なんというか、もう、何のために恋愛禁止というルールがあるのかわからないのだ。
私は、そのルールがある理由はファンの夢のためだと解釈していた。
もしそうであるとして、それなのにファンの夢を壊すスキャンダルを起こしてしまったとして、それでもそのルールがある仕事をまだ続けたいと思うのなら、そのルールの意味を理解し破ったことを謝ろうとするならば、その謝罪はファンに向けてになるのではないか?
夢を壊したことを謝りこれからも夢を生み出したいと伝えたいならば、今まで以上に、髪の長くてきれいなかわいい女の子という夢を纏うのがアイドルであってほしかった。
少なくとも私には、ファンが絶対に見たくないだろうものを見せつけるという行為にプライドが感じられない。
これは恋愛禁止の是非とかそういう問題じゃない。
そもそもあれは誰に対する謝罪なのか?
ファンはそんなものは望んではなかった、と思う。結局あれは、脱退処分を下す立場の人間への謝罪に過ぎない。(それをわざわざ世界に公開しようという神経も恐ろしい)
残りたいので丸刈りで許してくださいってその行為自体が、そのグループの存在(ひいては運営側)に対しても、もちろんファンに対しても失礼な、全く敬意を感じられない行為に見えた。
残りたいからという自分の気持ちのために衆目を集める立場であんなショッキングな映像を晒すのは正気の沙汰じゃない。
グループ自体も、丸刈りで許すのなら何故恋愛禁止というルールを設けているのか?
恋愛がどうこう以前に、破ったら脱退か、丸刈り残留か、他の、よりショッキングな方法で残留するかしかないルールがあるというのがものすごい。
ところが思考を進めていると、たぶん私が思うこれは全く検討外れなことばかりだ、とも思い始めた。
つまりは、女の子が“何もかも”捨てて、与えられたり勝ち取った地位を守りつつもできる限り上位を狙う姿がAKB48の“夢”なのだろうと思いついた。
恋愛なんてものは捨てて頑張っている女の子の姿を見せるべきで、それを破ったなら泣いて後悔しながら何か別の大切なものを捨てて頑張り続ける姿を見せてくれる、という“夢”。
丸刈りに追い込んだ運営側が叩かれてるけれど、運営側にとってはそれでいい。世間にとって悪であった方がいい。一般的に見て悪であっても恩人である秋元さんに感謝をし、精一杯頑張る女の子たち、というのがAKB48が見せる“夢”だから。
身を削り傷付きながら頑張り続ける女の子にショックを受けたり同情しつつも強く心を打たれて熱心に応援を捧げ、身を削り傷付きながら頑張り続けていても支持を得られないと上れない彼女たちのためにCDを買い票を投じるのがAKBファンの在り方なんだろう。
私はAKB48に対して別段興味を抱いたことはなかった。
好きな人がたくさんいるらしいこと、握手券などを封入することで同じCDをたくさん買う人々がいるらしいこと、音楽チャート上位を獲得していること、AKB商法というものはえげつないところがあるらしい、というイメージを抱いている程度で、無関心と軽い好意と軽い嫌悪感を感じていた。それは今でもほとんど変わっていない。
私は、好む人、嫌う人が存在しているのなら、それはそれだけの価値を持っているものだと考える。
音楽は好きだけども、アイドルがチャートを独占している状況にも特に強い異議を感じない。……これはまた別の話だからそこに抱く感情をここに書き連ねたりはしないけども。
ここまで書いておいてなんだけども、無関心と軽い好意と軽い嫌悪感というそれはたぶんこれからも然程変わらない。今後あのグループをテレビや音楽チャートで見かけても、これまでとほぼ同じように特に感慨は湧かないと思う。
それらを支持する人々がいることを否定する気にはなれないから。
まあそれでも、今回の件に関してはこれ位の感想を抱いてしまった。
私個人は、今後確実にあのグループに対してお金を落とさない。応援もしない。
元々無関心と軽い好意と軽い嫌悪感の立場の人間で、当然お金を落としたこともないのだから、そんなことは特に影響は及ばさないだろうなと思いつつ。
Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。
(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)
AKB48メンバーの恋愛・丸刈り問題、フランスの新聞「リベラシオン」にも掲載されました。
タイトルは「日本のダンサー少女の丸刈りに衝撃」で、事実を淡々と伝えています。You Tubeの画像が24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦後ナチの将校と寝たフランス女性の懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本の懺悔の伝統に少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています!
私は、You Tubeは世界中から見られるので、日本の恥を世界にさらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485
どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。
Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスはAKBのような存在そのものが成り立たない成熟社会です。
商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。
AKBのような存在そのものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。
Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。
Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ
端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?
ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。は結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?
私の考える「成熟社会」とは、自由、平等、法の支配がより行きわたる社会です。子ども、女性、障がい者等、弱者の権利がより守られる社会です。
もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランスが成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本の新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスにももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童・暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っています。モーニング娘やコスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています。
Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドルが存在しえないことは「自由、平等、法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います。
児童ポルノ問題については、日本はアメリカやヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります。
今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランスの新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。
Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理のプロとかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性の商品化(差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています。
へジャブ禁止令もそもそもイスラムの女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています。
察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います。朝日新聞は、「アイドルの恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度からの意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。
今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性の商品化→即差別と考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性問わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。
ヒジャブ禁止は、フランスの差別解消についての独善性が出たものと思っています。ムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います。
それはともかく、AKBが存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性の商品化は差別である」→「AKBは女性を商品とするものである」→「AKBの存在は差別である」→「差別のある社会は成熟していない」→「AKBの存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?
女性の商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。
なので、上記の「女性の商品化は差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年を商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います。
このAKBの構成員たる若い女子の丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか、秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからきます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。
法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性、若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます。
Aさんの仰ること、私には大変よく理解できます。ロースクールも法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。
そうそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります。人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間がいるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。
謝罪って・・・誰に対して?写真集の犯罪については責任者=男性・権力者の落とし前は社会的にも不問で、労働者=女子は人権も人格も否定される不平等が搾取だし、キモい。日本はジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である。
AKBの女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子の丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います。
この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチスの収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。
こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界にさらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。
私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。
テレビのニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感の本質をついてくれない。
Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。
>Aさん
女性の商品化というよりは、子供の商品化が問題であり、また、それとは別に、処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしかに女性差別の意識の発現と言えるでしょうから、処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。
ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。
少数派の意見を正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈付けが必要です。もちろん、問題発見のプロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化のプロセスにおける理屈付けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。
>Cさん
「嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化のプロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分を安全地帯において評論する、というところからですかね。
Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性の意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代脳である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。
私たちにわかる事実は、「丸刈りにした峯岸みなみが泣いて謝る動画を、運営が公式チャンネルに載せた」ということだけだと思う。
スキャンダルが事実かどうかも、丸刈りが誰の意思なのかも、なぜあの動画を全世界へ配信したのかも、AKBに何が求められ、何がいけなくて何なら許されるのかも、もちろん、彼女の本心も。私たちテレビのこちら側にいる人間には、知りようのないことなのだ。
だからこそ、そのたったひとつの事実に対する批判は、あるべきじゃないだろうか。
「アイドル」とは、生身の人間によるエンターテインメントである。
それがわかる人は、あの画像、映像を見た時、違和感を感じなければならない。
これは、生身の人間によるエンターテインメントとして、認められていいのか?と。
夫が帰宅するなり「峯岸みなみの丸刈り、見た?」と聞いてきた。
「あれはひどいね。あんなことをさせるなんて、本当に怖い」と答えた。
すると、彼は「大げさだな、何が怖いの?そんなこと言うあなたの方が怖いよ」と何故か怒り始めた。
「あんなことを『自主的』にさせる同調圧力や、世界中に映像を公開させて晒し者にする行為が怖いよ」
「それが怖いって、全く理解できない。ルールを破ったんだから、仕方ないじゃん。それが不満なら、やめればいいのに続けるんだから」
「仲間内の理不尽で不自然なルールを破ったからって、自分の身を切り刻んで謝罪の証にする必要なんてないよ」
「ほんとに大げさだよね。たかが髪じゃん。似合ってるしさ。かわいいからいいじゃん」
「そんなこと言うの、あなたしかいないよ。オレの方が普通だからね」
「そんなことないと思う」
「そんなことないって?何が?」
「多くはないかもしれないけど、私のように感じる人は他にもいると思う」
「だから?それで?『数が多いから、私が正しいんだ!』って言いたいの?」
もう、そこで私は話を続けるのを諦めて、先に寝るねとその場を去った。
彼は私にどういう反応を望んでいたんだろう?いっしょに盛り上がってほしかったのだろうか?そこに冷水を浴びせるような私の振る舞いに怒ったのだろうか?
かく言う私も、彼に何を望むだろう?調伏したかったわけじゃない。完全な理解と共感を望んでいるのでもない。自分のコピーが欲しくて一緒にいるんじゃないのだ。
分かり合えない。
それでもいい。でも、せめて私を言い負かそうとしないでほしい。
第二次世界大戦時、パリ解放の際、ナチスと交際していたフランス女性が丸刈りにされて晒し者にされた件について、或る男性が言うには、
「同じ国の男たちが命がけで闘っているときに、よりによって敵の男たちに媚びて金を貰っていたんだから、これぐらいの仕打ちは当然」とさらっと言ってたっけ。
また、台湾で有名漫画原作者と有名女性タレントとの間の娘が誘拐されて惨殺された事件が話題になったときは、
「あの母親は日本の有名人の男に取り入っていい思いして成り上がったんだよ。親の因果が子に報いたんだ。娘だって金持ちの娘だってことでいい気になってたんだろうし、笑える事件だな」
「あの国でマフィアになる連中ってのは悲惨な生い立ちだろうし、金持ちのガキが憎かったんだろうな。俺は犯人たちの方がよっぽど可哀想だね」
……なんでこんな人と付き合っていたんだろうか、私。
若い女の子が丸刈りにすることがその子にとってどれだけ重たいことなのかは男の俺にはわからない。
わからないが、坊主姿の彼女が泣きながら謝っていることも、その動画を世界中に平気で公開してしまう大人たちも、それをただ庇おうとする彼女の仲間たちも、どこかおかしいのではないか、違和感を感じずにはいられないのだ。
内容の如何をとわず組織のルールなのだからそれを守ることは当然だし、「鉄の掟」を破ってしまった彼女が処分を受けることも当然だ。
でもやっぱりどこかおかしい。
あんな醜態を晒さねばならないほどまでに彼女を追い詰めたものとはいったい何なのだろう。
運営陣が悪かったのか、彼女自身の問題なのか、あるいはルール自体がまずかったのか。
俺には、ファンの存在も大きな要因の一つだと思わずにはいられない。
ファンの俺にも、彼女をあんな姿にした責任の一端があるのではないか。
基準が曖昧なルールの存在や、坊主頭で泣いている女の子を平気で晒す大人たち、そして身内同士で馴れ合う体質。
もしかしたら、この組織は、何らかの感覚が麻痺しているのかもしれない。
そしてその組織を構成してるのは、メンバーやスタッフだけでは決してない。
ここに今月の握手券が数枚ある。
握手会には行きたかったけれども、タイミングはもう今しか無い。
そうすることで初めて見えてくるものは、案外たくさんあるのかもしれない。
友達のAKBオタのここ最近のアップダウンっぷりにちょっと呆れてたんだが、
丸刈り会見みて、あまりにも完璧なダメージコントロールに戦慄したんで、
このトンでもなく黒いショービズ界のアイドルに対する非人間的扱いも含めて、軽く。
まず、週刊文春にAKB48の峯岸みなみと、GENERATIONSの白濱亜嵐とのお泊まりがすっぱ抜かれる、
ってのがあるけど、これどう考えても事務所が抑えきれなくなったって話で、
徐々に対策してるのが見て取れる。
http://news.livedoor.com/article/detail/7198155/
http://www.youtube.com/watch?v=-jbgnAG8jE0#t=178s
週刊文春発売 →1/31
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2306
んで、丸刈り謝罪会見 →1/31
http://www.youtube.com/watch?v=UlzrIgacADU
これなー、たぶんギリギリまで事務所かばおうとしてたんじゃないかな。
彼女が可哀想って言うことじゃなくて、「アイドル」としての利用価値として。
具体的に言うとCMとか、企業タイアップとか、超具体的には「峯岸みなみ」の価値がたぶん金額で出てる。
ただ、俺の友人であるAKBオタの様子を見てても、1/30の「恋愛は応援されない」云々は、
で、あまりといえばあんまりにもフツーのオタの反応見てさ、事務所も腹くくったんでしょ。
(傷害や強要にはたぶんならないけどね。本人が自分でヤッタって言い張るだろうから)
「AKBの峯岸みなみ」には、フツーに億の価値があるわけだろ。
ってことは、引退は本人が望もうがおそらくあり得ないし、
かといって、飛ばせるほどポジションが軽くもない、
なので、もしかしたらソフトにいけるかなーという淡い期待も込めて小出しにしつつ
「遊んでるんじゃなくて、結構真剣に恋愛もしたい普通の女の子なんだよ?」という色をつけつつ
丸刈り会見で落とすと。
秋元康の恋愛禁止言ってねえ云々は元々色々あるんだろうけど、この流れは見事すぎるだろ。
だってさ、どう考えてもこのご時世で、女の子が丸刈りしてYouTubeでてりゃイジメにしか見えんだろ。
この丸刈り会見を無視して、週刊文春にだけ触れるメディアは絶対に居ないだろ。
てことはだ、「恋愛禁止はおかしいとおもう」→「週刊文春が原因」→「丸刈り会見」の流れで、
『いや〜、峯岸みなみって子は、アイドルとしての自覚が足りないんじゃないですかね?』とかいう
コメンテーターが出てきたら俺は無条件でそいつのファンになるよ。
これで峯岸叩くヤツは人間じゃないよ。
んで、この後の流れは「カウンセラーへの通院も含めてバックアップしている」とか運営発表が出て、
どんなにゲスいワイドショーでも坊主頭の女の子の練習風景おっかけて叩く流れにはならんだろうし、
髪が生えてくるころ(半年〜1年くらい?)に、禊ぎを終えたっつって戻ってくるだろ。
パーフェクトなダメコン。
……でもな、これって峯岸みなみって言う20歳の女性にして良いことなのか?
金銭的価値があるのは判る。
アイドルはトイレに行かないとか、恋愛しないとか、そういう偶像を商売にしてるのもわかる。
でもな、やっぱ基本的人権すら守られていない感じがするこの対応だけは、許しちゃいけないんじゃないか。
いくら本人が叩かれても、莫大な損失を抱えることになっても、越えちゃ行けない一線だったんじゃないのか。
もう刈り上げちまった髪は戻ってこないけどさ、
ある種のゲームが楽しまれ、そしてネタで済まされたものは、同じルールを悪質に用いるものが現れた時に破壊される。
これはコンプガチャやその他のゲームにも当てはまることかもしれない。
ここで言う「ゲーム」とはこの世の中すべてのことだ。
アイドルファンもある種のゲームを行なっている。AKBの盛り上がりの根底にあるルールというものは数多の評論家が指摘している通りだ。
ファンやユーザーが自発的にルールを設定、あるいは読み込み行うゲームもあれば、仕掛け人がネタとして楽しめるゲームを提示し、ルールを設定するゲームもあれば、その両方もあるだろう。
しかし、このルールを行なってもっと悪質でもっと過激なアイドルゲームが行われ、そこに陳腐化や悲劇が起こったとき、AKBを始めとするアイドルゲームは毀損されるだろう。
過激すぎると話題になっていたAKBのドキュメンタリーをDVDで見たのだが、俺は2パックの悲劇を思い出さざるを得なかった。
「"DIS"って"ネタだけどリアル感はある"ってゲームじゃなかったのかよ....」と通じるものが、確実にある。
AKBとヒップホップシーンを(肯定的に)比較する評論がすでにネット上にあって、やはりなと思ったのだが、そこには肯定的にしろ否定的にしろ共通するものがある。
と前回書いたけど、思ってたことが起きた。峯岸の丸刈りだ。というか自殺じゃなくてよかったよ。
http://www.youtube.com/watch?v=UlzrIgacADU
ここら辺にしとけよ、まじで。危なすぎるよ。これもろ「2パックの悲劇」みたいなもんだから。
あとAKBを褒め称えてた(俺でさえ危惧していた)この行末を予見できなかった評論家どもを信用するのはやめろよ。
アイドルの女の子が恋愛バレたから死にそうな顔で丸刈りになって謝罪してる高画質映像を配信してて、それがこの国の音楽界の「トップ」なんだから。
日本って何、って言われたら状況説明してこの動画見せたら何となく分かるよ。
つーか、俺は吐きそうになってサムネだけで映像見てないけどよ。
"恋愛禁止"ルールで遊んでるなら、違反犯したらAKBすぱっと止めさせればいいのに
そこに日本文化の嫌な部分の「丸刈り反省」「指詰めで許す」「禊落とし」「体育会系=軍隊系」「学校空間」文化やらが入ってくるもんで超グロテスク。
「若いかわいい子が恋愛禁止なんて無理じゃん」みたいな良識気取りも「さすが峯岸!」とか言ってる小林よしのりみたいな奴らも両方バカ。
無理なのに恋愛禁止を謳ってるから「ゲーム」として成り立つんだろうが。
確かにアイドルが恋愛スキャンダルやらかすのと丸刈りになるのは共通項があるような。
商品価値がああ。
まあ、怪我だ病気だみたいに、命が危なくなるとかじゃ、ぜんぜん無いんだけどさ。
これからどうすればいいんだ。
話題になるぞ。みんなから注目を浴びて、ひそひそ言われるぞ。
取り返しの付かないことをしてしまった。
そのうち、時間が経てば、そんなことすっかり忘れて元通りになるんだろうけどさ。
アイドルなのに。どうしよう。
自分でやったんか、周りの大人にやられたのかは知らないけど、
「お前はなー! こんだけのことをしたんだぞ!!」っていう懲罰かなーと感じた。
アイドル然としてたかったら、アイドルになりたいっていう気持ちが強かったら
大ダメージだよね。ああ手口がいやらしい。
散々書かれているところアレなんだけど、・・・坊主になったらなにか変わるわけ(笑)?え?気持ちが変わる?
体罰と一緒じゃん。
AKB48というブランドに縋る少女たちは、その強大な権力の前では成す術もなく従うのみ、っていうか。
見捨てないでください、AKB48なしじゃ生きていけないんです、どうにかなりませんか、と・・・そこまで信仰しているわけじゃあるまい。
峯岸さんって名前は聞いたことあるし、テレビでも見たことあるんだから、AKB48から脱退したってやっていけるでしょう。なんのコネもないなんてことはないよね?
坊主にしてくれ、って随分とおかしな話ですよ。坊主にしたら、なにか解決するんですか。
このタイミングで秋元康もよく許したよね。ほんと、見ている側は気持ちよくないよ。
それに秋元康と相談して決めたことです、ではなくて私が独断で決めましたと言っているあたり、秋元康の鬼畜さが見えるよね。
全責任は、峯岸にある、と。
彼女が決めたことなので、他の誰にも責任なんかねーよ、知ったこっちゃねーよ、と。
けれど、彼女の決めたことであるとかどうこう以前に、これって見せしめじゃん。
とかなんとか言いながら。
これって秋元康と峯岸さんが世間にもっと体罰問題を考えて欲しくて、放り込んだニュースじゃないかなーとか思った。
どうにもAKB48のスキャンダルっていうのは、こう・・・数か月前から計画されていたことのようにしか思えないんだよね。
だって、このタイミングで坊主って、あまりにも酷すぎじゃない?AKB48ヲタじゃない人も快くないよ?
たぶんAKB48はグループとしての梃入れの為にいくつかスキャンダル記事を常に用意していて、その時代、その時期に応じた方法で罰を与えているんだと個人的には思っているので。
今回は、「体罰問題をより多くの若者に考えてもらうためにひと肌脱いでもらえないか」と秋元康が峯岸さんに頼んでやったことじゃないかな、と。
たぶん、世の中にいる多くの人が、この制裁の受け方について疑問を抱いたと思う。考えることになると思う。それっておかしいじゃん!って声を上げることになると思う。
ttp://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20100215
それにしてもこのしょうもない同胞バッシングはいつまで続くのだろう。成人式のときはいくつもの新聞やニュースを見たが、確実に新成人を祝うことによりも、叩くことに放送時間と記事のスペースを費やしていた。今回のオリンピックも応援とバッシングが代わる代わる。たぶんこの傾向はきっとワールドカップでも見られることだろう。応援よりも懲罰を求める声のほうがでかいかもしれない。サッカー選手は今のうちに丸刈りにでもしておいたほうがいいかも。成績かんばしくないし。シャツはきちんとズボンのなかに。エグザイルのメンバーみたいな髭を剃れ。日焼けサロンも許さん。
選手たちがきわめてまじめな態度で過ごしたとしたら、たぶんサポーターが狙われる。危険地帯の南アフリカの首都じゃ窃盗や拉致なんて犯罪が発生するかもしれないが、そうなれば嬉々として用心が足りないとぬかすタコが出てくるだろう。メディア自体が秘密警察よろしく燃料を投下してくれる時代だ。普段は「マスゴミ」呼ばわりしていても、こういうときはマスコミがくれるバイブをよろこんでケツに突っ込むネット住民ばかりだし。