はてなキーワード: マイノリティとは
正確には「『素晴らしくないものは馬鹿にしても良い』という態度自体が問題なんだと思われない風潮」が苦手
たとえば良識について普段熱心な人達の多いはてブで公立中学を動物園呼ばわりしても問題と思わない人達が多かったじゃん?
馬鹿にしても良い物があるって態度自体が問題なんだと、そう普段から思ってれば
決して動物園呼ばわりには与しないで済んだと思うんだよね
馬鹿にしても良いものがあるって考え自体を改めようとする人が増えない限り
結局その馬鹿にしても良いものを力の強い派閥が決める結果になると思うんだがな…
そういう考えをマイノリティの権利に気を配ってるつもりの人ですら持ってたりするけど
主張はタイトルの通りだよ。
『同性愛をカジュアルに消費されて現実のゲイは迷惑してる』という言説はもっともらしく振り回されてきたが、当事者がそれを細かく砕いて反論してやるよ。
長文読むのが嫌なら結論だけ先に書く。
現実の同性愛者を傷つけてるのは上の論を持って『同性愛表現は表に出てくるな』と堂々と主張しやがる差別者共の方だ。
今の日本にシスゲイとして生まれれば、今は大体思春期頃に『自分はマイノリティである』と自覚する人間が多いだろう。
昔よりオタク文化が一般的になり、その中には当然オタクも多い。
オナニー覚えたてのそんな俺達がマジョリティ向けだらけである漫画やアニメ・ゲームのキャラクターに何を感じるか。
『好きになったこのキャラが"自分と同じ側"だったらいいのに』だよ。
嘘だと思うか?冗談だろ。『ゲイが選ぶ本当に付き合いたいジブリキャラクター』みたいな動画はさんざん面白がっておいて。
そしてそれが形となっているBL二次創作にハマるゲイのオタクは全く珍しくない。自分と同じ属性の作品を好めば"腐っている"と表現されるこの屈辱。
ゲイが自尊心を削られるのは『フィクションのキャラクターが同性愛者にされているのを見た時』じゃない。
それに対して『同性愛表現は表に出てくるな』と平気で言う連中の大きさと、それを『仕方ないよね…』と安易に受け入れてしまう腐女子の態度だ。
自虐しながら息をひそめてないと2chで晒されたりコメントで叩かれる時代があったもんな。知ってるよ。
でも今のネットはもう個人サイトという隔絶された空間じゃない。
Twitter等開けたSNSでBL表現を『腐』と表現するのは当たり前にゲイを踏みつけている自覚を持て。
そもそも『腐女子向け』がどんどん省略・変化して同性愛を描く作品とキャラクター自体を『腐らせる』『腐っている』と表現するのがどれだけ差別的な表現か、一旦頭を使って考えてみろ。
pixivもひでぇもんだよ。
『同性愛表現は不快に思う人も居るのでサムネイルには映らないようワンクッション置きましょう!』とという記述が作品別腐向けタグの説明文にすらある。
男女・女女のカップリングや女キャラのエロは普通に作品名とキャラ名で出てくるのに男キャラは隠語タグを調べないと出てこない。
腐女子がこれをせざるを得ないほど『ホモ叩き』が当たり前だったのは知ってるけどな。
pixivなんて女オタクの方が先に食いついてたのに後から入ってきた男オタクが『ホモが検索結果に出てくるのが不愉快だから別サイトでやれ』みたいな呼びかけすら立ち上げてたことがある。
他にもイナズマイレブンの人気投票なんかが有名だよな。ネットの声がでかい層による腐女子への嫌がらせというのは枚挙にいとまがない。
知らん世代は調べろ。
じゃあ『BLを嫌うゲイが本当に居ないのか』という部分についても話しておく。
でもその大半は『BLに憤っている』わけじゃない。『BLを口実に女を叩きたいだけ』なんだよ。
元々身バレが怖くて匿名でのやりとりが望ましいゲイにとって、ネットの発展というのが非常にありがたいものだったのは想像に難くないと思う。
ネット以前は雑誌の投稿欄でやりとりしてたのが一気に世界が変わったわけ。
そして匿名文化の中心として発展した2chにあった『同性愛板』は間違いなくゲイ文化の中心でもあった。
2chやネット全体が女は男のフリしてないと生きづらいものだったという話、聞いたことある人は多いと思うけど
『ゲイ向け』じゃなくて当然レズビアンや今で言うその他のセクマイも含まれただろう『同性愛者向け』の板でこれなんだぞ?
これだけでそこにあった女への憎悪がどれだけ一般的で強いものだったかよくわかるだろ。
なんjとかが『ま~ん』というスラングで批判される10年以上前からジジイ共は女を平気で腐れマンコ扱いしてたよ。
セクシャリティ関係なく特に高齢の男は女や女文化をバカにしがちだけど、異性愛者の場合女の肉体には未練があるから関わりたがる。
ゲイの場合それがないから更に一歩踏み外したこんなひでぇ言葉が普通に使われてたわけだ。
その中には『自分が女だったら普通に男と恋愛できたのに』という嫉妬も多分に含まれてたね。
閑散とした現在の5chの中でも同性愛関連の板は特に加齢臭と死臭がやばい。
時代についていけない同性愛当事者がオネエ言葉でブスと腐れマンコを叩くだけの空間。
ゲイ同士のやりとりはTwitterより前からゲイ向けのmixi的なものやGPSアプリに移行してたから
その時点で取り残されてた筋金入りの老害しか残ってなくて凄いぜ。
でもそんな連中がかつてはネットの中心に居たんだよ。
『ゲイ当事者はBLや腐女子を嫌っている』というのはその中で生まれた都合のいい女叩き棒でしかない。
当事者から言わせればそんなものはお前らが丹念に作り上げてきた『BL重罪論』へのバックラッシュでしかない。
自分の子供がLGBTQや病気や障害、その他マイノリティに該当したらそれだけで彼らはまじで人生大変になるというのが身近にいる当事者見て嫌というほど分かったのでそれをなんとかしようともしない日本では絶対子どもを産みませ〜ん🥰
生んでほしけりゃどんな子どもでもちゃんと生きていける世の中にしてくだちゃ〜い💕
子どもが健常者でマジョリティで自分もそのマジョリティの立場をくずされるはずがない(まぁなったとしても良き親のアテクシが味方になってあげれば大丈夫🥺本人の人生が辛いとかそんなこと知らん☺️)と思ってる、そういうクズレベルの考えの人間がへらへらセックスに興じて子どもできた途端に大変なんですけど?!とか宣ってる。馬鹿か、馬鹿なのか。
上辺だけ育児支援〜みたいなやってる感出しときゃ「子供ちゃんかわゆい〜🥺」って生んでくれるんだもの。楽なもんやな自民党。
子どもを生んでも良いと思える社会を育児当事者や出産当事者に聞いて叶えてやることもなく
バカ女達になんとしてでも俺の子を産ませる!!っていうエロ漫画みたいな発想でしか何もできない自民党ちゃんかわいいね〜😂
俺様と違う名字だなんて奴隷感出ないから夫婦別姓なんて認めないぞ!だもんね💕
一生そうやって女をセックスの道具にしながら、でも馬鹿女にはそれに気づかれずに馬鹿の一つ覚えみたいに「子供かわゆい〜🥺」とか言って育児するアテクシ、夫ちゃんのためのアテクシ💕に身を落としてくれる女を増やそうと非実在バカ女幻想いだきながら明後日の方向の育児支援(笑)を続けて出生率下げ続けてくれよな、自民党ちゃん。
会社でも一緒だろ。馬鹿みたいに喜んでサビ残してくれるやつに腐った企業が採用とか残業減らす為の何かしてくれるか?
いまの日本で子供産んでるやつは喜んでサビ残してそれを子供にも押し付けてる害悪だよ。
一緒に滅びようぜ日本😇
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
何故なら、低評価のレビューを入れることを由としない連中が多すぎるからだ。
彼らの目を気にして仕方なく評価を上げる人間が増えるほど、そのレビューは信頼できなくなる。
結果としてマイノリティがテーマの作品はみかけ上レビューが高くなってきた。
だがそれが単に状況をハックしているだけだと気づかれて今では信頼を失った。
この作品はマイノリティが出てくるからレビューが信頼できないと皆が気づき始めた。
食べログと同じだ。
食べログで評価が高くてもそれは食べログにお金を払っているだけだと気づかれたのと変わらない。
今や創作の中のマイノリティを出すことは食べログにお金を払うことと同じなのだ。
この作者(店)は、自分の作ったものに自信がないからマイノリティを出しているのだ(食べログにお金を払っているのだ)という疑いの目で見られる。
悲しいことだ。
女性を好きになったことは何度かあるが、男性で明確に好きになった人はいない
ほとんどスカートを履かない女だけど、例えば制服のスカートを履くことに抵抗はなかった
普段は最低限のメイクをして、Tシャツにジーパンとか、そんな感じだ
シンプルなのは性自認どうこうではなく、おしゃれへの興味度合いの問題だと思う
こんな私だが、婚活を始めようとしている
あとは将来の孤独と暇さを考えると、やはり結婚制度というのは長く残るだけの理由はあるのではないかと思えてきたからだ
無理に男と結婚しなくても恋愛していればいいじゃないかと思うが、
もう5年以上何もなく、自分から恋愛にアクションをしていくタイプでもない
女性が好きな女性だからといって、恋愛に前のめりなタイプではない)
そして拘束力の弱めな恋愛関係で、もし40代50代くらいに別れることになったとして、
おそらくその頃もマイノリティであるレズビアン市場で戦う精神力なんて残っていない気がするのだ
人間なんて、そんな簡単に区分で分けられるものでもないじゃないかと思っているからだ
セクシュアリティに関するコミュニティと関わることもなく、自分のセクシュアリティを公言することもなかった
悲しいかな「非モテ」属性なので、なぜ彼氏がいないのか聞かれて困るといった漫画みたいなことも起きたことはない
それに、モテないからこそセクシュアリティが曖昧なだけで、男性から言い寄られて付き合ったりすれば、好きになれるんじゃないか?と淡い期待も持ったりしている
嘘をついて婚活して、それでも時間とお金をかければ、おそらく結婚できると思っている
しかしそれでいいんだろうか
結婚したいと思って時間とお金をかければ同性と結婚できる、それで十分な世間体が担保されている、そこまでいかないと、足りないと思う
なるほど… 難しいお悩みを打ち明けてくれましたね。
現代の科学でも性欲のしくみはよくわかっていない部分があるようです。
恋愛欲と射精欲が結びつかないタイプのマイノリティもいらっしゃいます(アロマンティック)。恋をした特定の相手にしか性欲を抱かないデミセクシャルという種別もあり、後天的にこういった性愛の形に変化しているのかもしれません。
うつ病的な状態でも性欲は下がるケースがあると聞きます。いろんな可能性があり得る一方で、費用のこともありますし、この問題にはゆっくり付き合っていくのが良いかと存じます。
私の場合は、朝、陽の光を浴びるようにしたら性欲は顕著に向上しました。人間に失望していた時期があって、その時はエピソードのあるエロ漫画を使えなくなりました。代わりに顔の出ないタイプのポルノビデオやデフォルメの効いたイラストを重宝していました。持病が影響しているのか、恋愛欲求は低下気味です。
『統合失調症になった話』(理解のある彼君はいません)という漫画、漫画自体は良かった(内容が内容だけに面白いと言ってしまうのには抵抗があるが)
……が、「女性は理解ある彼くんがいないと言わないとエッセイ漫画も描けないのか」とかいうコメントがあって絶望。
いやいやいやいや…これまでにいくつの理解ある彼くんエッセイ漫画があったと思ってるんだよ
そういう漫画が圧倒的に大多数だから、少数派である独り身女性も自己発信してみたってだけでしょ?
同じような立場の独身女性に希望を与える良い試みだと思ったよ?
しかも別に強要された訳でもなく、当人が自発的に書いている注意書き。何処に問題があるんだ?
異性愛のフィクションが何千何百とあっても誰も気にしなかったのに同性愛のフィクションが1個出てきただけで「ポリコレガー」とか言い出すのと何も変わりないじゃん
統計上はパートナーのいる女性の方が圧倒的に多いんだし、そういう女性によるエッセイ漫画の方が大多数なのに
先住民や少数民族の文化表現も知的財産の一形態であるが、それらはコミュニティの共有財として特定の個人に所有されているものではない
既存の知財に関する法は一人の個人、一つの法人が排他的に独占するときの仕組みで
コミュニティの共有財として個人に独占させない、一個人が他人に譲渡させないための防衛的な仕組みが
十分に整備されていない
と言われてる
「子育て支援」というのは本来、シスヘテロ対人性愛出生主義者の特権構造なので、平等の観点からすると認められるはずがないのだが、「社会全体にリターンがあるんだから、(シスヘテロ対人性愛出生主義者以外のマイノリティも含めた)社会全体にとって得だよね」という論理を認めないことには、子育て支援そのものがいずれ無くなるんじゃないかなぁ。
「政教分離があっても、文化的価値のある寺社を税金で守ることは、信仰とは無関係にすべての市民にとって得だよね」という話をしているのに、「信仰の自由は人権なんだから、俺たちの信仰を税金で守れ!」と叫んだところで、税金で守ってもらえないマイナー宗教の信徒としては面白くないよね。
まあ、「家庭の特権を解体して、子供の人権を第一として、行政や地域が育児に積極的に介入すべき。結果として、家庭内の育児負担も減るだろう」という方針を私は支持したいけど。