2016年09月30日の日記

2016-09-30

なぜラノベ主人公努力をしていないという勘違いが生まれるのか

d:id:kazenotori:20160929

こちらの記事を読んで思ったことを書きます

なのでこの記事を読む前に先の記事を読んでください。

主人公努力しないことがラノベの売れる秘訣だ(意訳)」と言うのは散々指摘されている通り事実ではないと思います

そもそも「ラノベ主人公」で括って一概に語れる訳がない。それが一般的な傾向に言及しているとしても。

色々な主人公が居て、それぞれ色々な特性を持っています。それは作品を素直に読めば理解できるところであると思います

ではなぜそのように思うに至ったのか、川上氏がそのような偏見を持ち発言するに至ったその影響の大元となるものはなんだったのか、自分なりに考えました。

主人公が(何かと比べて)簡素努力描写で強さを手に入れたり、最初から強さを持っていたりするパターン作品は確かにあります。それは本当にラノベに限った話ではないですし、欠点ではなく特徴でしかない。

そういった作品は「成長物語」ではないのではないかと思います

成長物語」ってなんだ。

成長物語」という言葉は私が過去何度か某掲示板で見かけた単語で、「無力かそれに近い主人公が鍛錬(=努力)や葛藤をすることで身体的・精神的に強くなり、敵を倒していく」そのような物語類型であり、そのような面白さや内容が主である作品のこと、という意味で以下使います

ソードアートオンライン主人公キリトを例にあげてお話します。

(しかし、私はソードアートオンライン電撃文庫版のアリシゼーション編に入った1巻目あたりまでしか読んでいません。プログレッシブについては漫画版で確か3巻まで読みました。)

これも某掲示板での話なのですが、アインクラッド編においてキリトがしっかり努力をして強くなっているという主張を私がすると、奇異の目で見られたりします。

俺TUEEEE」という言葉イメージが一人歩きしてしまった所為かと思うのですが、実際にキリト努力をしているシーンとしては、月夜の黒猫団の話。夜にモンスターを狩って経験値を稼いでいたものが挙げられます

ですが、それ以外で努力・鍛錬をしている印象的なシーンというのはなかなか思いつかないです。しかもそういうところを指して「努力描写が少なくキリトの強さに納得できない」と言っていたりします。某掲示板での話です。

違うんですよ、そうじゃない。逆です。

まず読者には「キリトが強い」という前提があるわけです。それに対して「強いということはそれだけ努力をしているんだろうな」と推測する。それを裏付けるための努力描写な訳です。なるほどこれをコンスタントに続けていたんだなと理解する。だから垣間見える程度の努力描写で構わない。

そしてキリトは二刀流スキルを手に入れます。これはソードアートオンラインプレイヤーの中で反応速度が最も速いプレイヤーひとりに授けられるユニークスキルです(この事実が明らかになるのがいつだったのか失念しましたが)。これはVRとキリト自身の適正なども関わってくるそうなのですが、もっとさなからVRで自分英才教育を施した結果とも考えられます。「結果」が「努力証拠」として提示されるわけです。

成長物語」は面白い。そこに異論は有りません。主人公が血の滲むような特訓の中で何かに気付き、成長し強大な敵を乗り越えていく。素晴らしいじゃないですか。努力大切なことだと子供に知ってもらいたいがために勧める気持ちもわかります

しかしこの「成長物語」は数ある物語類型ひとつしかない。

ソードアートオンライン努力の尊さを説くところに主眼を置いた物語なのでしょうか?

私は違うと思います

脱線しますが、ソードアートオンラインを読んでいくと、ゲームの中であるのに「死」や「性暴力」という強い現実の要素が登場したり、現実剣道場でゲームスキル再現出来そうになる。ユウキ自分人生を終える場所としてゲームの中を選択し、アリシゼーションは記憶を無くしたキリトが、精巧に作られた「ゲーム」の中をひとつ世界、つまり現実」として認識するところから始まる。

どうも「現実」と「ゲーム」の境を敢えて曖昧にしていくことで、「ゲーム真剣に向き合うように促されている」そのような物語ではないかと思います

もちろん、勧善懲悪ものの面もありますし、フルダイブ型のゲームという仕掛けを使うことで、効果的に努力の尊さを解く、そういう成長物語もあり得るのではないかと思います。でも、このソードアートオンラインはそうではないだろうと思います

からこそ、主眼でない努力描写は、垣間見せたり、証拠として結果を書くだけに留めてあるのではないかというのが個人的ソードアートオンライン観です。

纏めると、キリトはしっかり「努力をして成長している」が「成長が主眼の物語ではない」ので垣間見せたり、証拠としての結果を見せるにとどまっているのだろうということです。

ダンジョン攻略事件解決で奔走する姿は多く書かれていますが、所謂鍛錬というか努力描写の量は「成長が主眼の物語」だとすると少ないと感じます

成長物語」として見るからおかしく見える。そもそも成長を主眼に置いた物語ではなかったりする。そう言った勘違いが、ソードアートオンラインに限らず様々な俺TUEEEE主人公ものと呼ばれるラノベ批判に見受けられます

そのようなところが勘違いの原因になっていたりするのではないかと思いました。

正直、このようになんでもかんでも「成長物語」としての観点で見てしまうのは、少年漫画誌の作品を読んで育ったせいなのかとも勘ぐるのですが、それは少年漫画誌に対する偏見ですし、その少年漫画誌の作品にも最初から強い主人公で、成長物語でない作品というのはそこそこの数存在すると思います

成長が主眼ではない物語が沢山あることは、本当は知っているはずなのですが。どうしても成長物語として見たいのでしょうか。

12時間働けなくなった

1日11時間くらいで体力と集中力限界が来る

一昨年までは15時間くらいだった気がするんだけど

年かな

 

でも昔のほうが異常でこっちの方が平常な気がする

 

ただ終電まで帰りにくいときはどうすりゃいいのだろう

頭が回らなかった。

今日は本当にヤバかった。頭が全然回っていなかった。

デザイン修正ミスを重ねてしまった。

キツイことを言われてるんだろうなとぼんやり思いつつも、それに傷つけるほどの心の余裕がなかった。

傷つくのにも余裕がないとダメなんだろうなって思った。

そもそも、今の私にとってはキャパオーバー案件だった。

他にやる人がいないからやってくれと言われた仕事だった。

一応は終わったけど、まだ頭がうまく回転していない。

土日で元に戻るだろうか?

http://www.asahi.com/articles/ASJ9R3H0MJ9RTPOB002.html

"辺野古基地移設って結論から言って、アレ良いの? たぶん、駄目だと思うけど、マジで邪魔なんだけど。いや、私はまだ見たことないし、そこ、全然通る道じゃないか関係ないんだけど、同じ沖縄県民としてはかなり憤慨してる。むしろ、あの人たちって、どこから来たの?地元民じゃないって報道を、ツイッターとかで見かけるんだけど。どっかの軍事国家から送られてるスパイって認識でいいの?とりあえず、地域住民には超迷惑!! 以下はSNSから拾った情報から信ぴょう性はちょい薄いけど、

> 私は地元に住んでいて、親戚が遊びに来たから周辺を車で案内していたら、いきなり民間人検問されて引き返せって言われた。民間人にそんな権限は全くないにも関わらず、しかも、車内にいる親戚を勝手カメラ撮影し始めるから、抵抗したら、傷害事件として扱われた。確かに掴みかかったこっちが悪かったが、そのニュース記事を読んだら、完全にこちらの過失100%の様に書かれていた。確かに悪いのはこちらだが、そもそも、こいつらの無許可検問や無断撮影は許されるの?

記憶を頼りに、今、↑コレを書いてるけど、本当に憤慨もの!!!

あと、相手が軍だからって、何しても良いと思ってるのホント許されない。道路に寝そべって、戦車が通る道を物理的に邪魔しているけど、組織の末端を困らせてどうすんの!!!! あの自衛隊の人たち、それで遅刻して罰則を受けたと思うけど、彼ら全然悪くないよ。例えるなら、アメリカが憎いから、適当アメリカ人を殴ってもOKとか、そんなレベルだよ。

正直、デモ方法とか、真面目に考えて欲しい。周りに迷惑を掛けるとどうなるか、この人たち、周囲がどんな反応を示すか理解できないのかな。別に私は、軍事必要な物だと思っているか最初から応援しているけど、こうした違法検問や悪質なデモが多くなったら、こいつらを嫌う人達は爆発的に増えるよ。敵の敵は味方って感じで、「アメリカ軍不要だ」って思ってた人たちが「アメリカ軍必要」だと心変わりするよ。まさか、それを狙っているという高度な情報戦じゃないよね・・・・・・

あんまり、と言うか、絶対にこの人たち、増えて欲しくない。完全に自分よがりな意見だけど、うちの方に来たら超困る。デモに対する「デモやらせないデモ」とか開きたくなる。那覇の道、封鎖されたらマジで国家レベルテロ扱いだよ。まぁ、普通に警察が動くと思うけど。辺野古には申し訳ないけど、田舎道の巡回はあまり行われないのが、日本の現状なので。むしろドライブレコーダーで記録した映像警察に届けた方がいいのかな。うちの車まだ搭載してないから、ちょっと検討してみる。

うちの付近、封鎖されたらかなり困るどころじゃないよ。サンエー那覇とかトイザらスベビーザらスとかエステ美容皮膚科)とか私の行きつけのお店に通えなくなったら、干からびる。ダイソーも良く行くけど、そこは行けなくても我慢できるかな靴下良く買ってるけど、最終手段通販かな。まさか、この封鎖チーム、通販トラックまで停めませんよね。正直本気で「デモをやめさせるためのデモ」を結成すべきかも。

こうゆうの、口コミで誰か意見してないのかな? 2chhttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/war/1326021815/)があるけど、なんか会話がカオス過ぎて、しかスレが多すぎて読みにくいし、かといって、こうゆうクリニック系の口コミサイトhttp://clinic.e-kuchikomi.info/datsumo/pref_47)で、「変な人たちが居て、行きつけのクリニックに行けなかったよ」という声が在る訳でもない。

駄目だ、お腹空いてきた。もっと色々と書き込みたいけど、お腹が空いたのでひとまずこの辺で筆を置く。辺野古基地問題に関わらず、こうした違法座り込みデモ活動は、自衛隊にもアメリカ軍にも周辺住民にもマジで迷惑以外の何物でもないので、これを読んで何かしら思うことがあれば、幸いです。"

FF15が予定通り9月に発売されれば前田仁さんは自殺しなかった!?

いやね、この人のHP見たけど

http://daruma0724.web.fc2.com/

FF15とVRやりたいと書いてたのを見てふと思った。

まあ精神的にすごく病んでるだろうし仮にFF15が予定通り発売されてても寿命が少し伸びただけかもしれない

死にたい

一年の3/2は死にたいって思って過ごしてる気がする

飲み会がつらい

お酒が一滴も飲めない。

ゆえに飲み会がつらい。

今日の立食パーティーもつらくて途中から会場外のスペースで泣いてしまった。

世の中の下戸(本当に全く飲めない人)はどうしているんだろう。

幼稚園の時、サンタさんにお願いした

「働かなくても食べていけるくらいたくさんお金をください」

パパとママが苦しい思いをしなくていいように。真剣にお願いした。

その年のクリスマスから私はサンタを信じなくなった。

神も仏も信じない。今の私が信じるのは、自分筋肉だけだ。

三つ子の魂百まで ←意味わかる?

子供の頃の理不尽出来事が忘れられない、という話を親にしたところ

「三つ子の魂百まで」と言われた。

以下、アホ親子の会話。

子「それ意味あってる?」

親「子供の時に感じた恨みは一生忘れないってことだ」

子「いや、え?そうなのかぁ。全然違う話かと」

親「どんな?」

子「三つ子の魂百まで ってそのまま」

親「は?」

子「だから『三つ子』の魂は百まで。双子でも三つ子でも100まで生きるってこと」

親(爆笑

子「知らなかった」

親「まぁ今の子に三つ子と言うとそうなのか(?)」

子「六つ子もなかった?」

親「六つ子は……おそ松くん

子「(おそ松さん)」

てなわけで違和感バリバリだったためググった。

【読み】 みつごのたましいひゃくまで

意味】 三つ子の魂百までとは、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということ。

ちなみに一応学生時代トップクラス国語の成績は良かったし、文章系の資格もとっている。

いやぁ、勘違いとは恐ろしいものです。

http://anond.hatelabo.jp/20160930220926

なにいってんの?

寮に入らなきゃいいだろ

浪人生です

今年の3月高校卒業し、現在大手予備校に通っています

昨年度は、東北大学法学部入学しようと頑張っていましたが、二次試験不合格でした。

併願として、早慶中央法学部受験しましたが不合格でした。

今年度も同じ大学受験すると思います

夏休みに、現役で大学に進学した友人たちが地元に戻ってきました。

数か月ぶりに会う友人たちは、大学生活のことを色々と話してくれます

東京に進学していった友人は、地下鉄の何線が混んでいるとかなんとか言いながら、地元馬鹿にしていました。

この話を聞くのが4月であったなら、悔しくて悔しくて友人に悪態をついていたと思います

しかし、さすがに落ち着いたのか、話を聞いても悔しいという気持ちはなく、逆に、「来年はお前より良い大学に行くしなぁ」という感じで内心何故か優越感に浸っていたのでした。

振り返ってみると、どう考えても強がりしかなく、悔しい悔しいと机に向かう方が健全であるように思います

しかし、頭の中ではわかっているのに、そして事実浪人しているにもかかわらず、俺の方が優秀だという気持ちがぬぐえないのです。

浪人したことのマイナスを補う価値が俺にはあるという気持ちがあるのです。

この気持ちとどう付き合っていけば良いのでしょうか。

何か勉強以外で自分価値を高めていく努力をすべきでしょうか。

通勤に1時間が当然な世界が辛い

中学時代は朝7時に家を出て田舎の割に混んでる電車バスに揺られて1時間位で通学をしていたけど、高校からは雪が降るまで自転車飛ばしたほうが楽なことが分かって通学時間が1時間を切った。

大学に入ってから仕事始めて今までは親と相談したり、会社が持ってる寮を用意してもらったりで自宅~大学(会社)間を徒歩で30分も歩かなくても良くなった。

そういうことで通学、通勤は短くて当たり前と言うかこんなもんだと思ってた。

でも、今度転勤する東京会社が僕に用意してくれた寮は埼玉県の寮だった。

しか通勤時間も1時間以上(通勤時間に混む方向に乗るので更にかかるかも?)と言われて今すごく頭を抱えている。

なんでこんなのが当然のようになっているのか理解しようとすると頭とおなか痛くなってくるし、多分数ヶ月もすれば慣れてくると思うんだけど慣れたら慣れたで後輩とか同じような悩みを持ち始めた人に対して「それくらい当たり前なんだから我慢しろ」みたいなこと言ってしまおっさんになるんじゃないかと思うともっと辛くなってくる。

幸い仕事内容自体は辛く無さそうなので、東京だし給料も前よりそれなりに増えると思うしでさっさと貯金して会社の横にアパート借りて住みたい。

ある程度自由(仕事時間以外でゲームしたりヌイたり)が効くんだったら会社に住んでも良い。

運営相手にされない腹いせにファンイベ潰すアイナナ著作権警察キモ

運営相手にされない腹いせにファンイベ潰すアイナナ著作権警察キモ杉ワロタ #ダズドリ #コスつく

http://matome.naver.jp/odai/2147523682235506201

感動ポルノ試論

ポルノポルノたる所以は,女性の複雑な主体性無視して,その劇中での人格を観客である男性性的興奮を刺激することにのみ隷属させることにある。

で,24時間テレビバリバラ近辺で知られるようになった感動ポルノもまた同様に,障害者の複雑な主体性無視して,その番組中の人格を観客である健常者の感動を呼び起こすことにのみ隷属させることを指している。

食欲ポルノというのもあるらしいが,それもまた,料理本来の複雑なありようを無視して,その映されかたを視聴者の食欲を刺激することにのみ隷属させることを言う。つまり本来不要クリームなりチーズなりが,本来不要なほどに熱せられて溶けしたたっていた方が美味しそうなのであればそう見せる,ということだ。

からポルノか否かの違いは,岡田斗司夫が言うように安直であるかどうかにあると言ってもいいのだが,同時に彼が言っている「感動させようとしているかどうか」にはない。

そんなの,誰だって感動させようとはしている。

ただ,感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。

クライマックスいかにもなBGMを流すのは安直だと,岡田安直否定するが,話はそう単純ではない。

例えば対位法はいかにも安直ではない雰囲気可能にする手法だと言えるが,何故そうなのかといえば,例えば残酷なシーンであればそれが持つ複雑さの中にある悲しさや可笑しさをBGMに担わせれば対象の複雑さの一端が担保されるからである

しかし,本当の現実に寄り添えば,そもそもBGMなんて流れないわけで,何かしら音楽を流した時点で対象の複雑さを毀損してるとも言える。BGMが流れていなければ如何ようにも解釈できたはずの対象に,一定の方向付けをしてしまうからだ。

それでも,繰り返しになるが何かしらの芸術的作品を作るからには誰だって受け手に感動してほしいと思っている。ただ世界の複雑なありようが描かれていればそれが正義だというわけでもない。

もう一度言う。

感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。

まり,例えば目の前の女性に対して,自らの性欲に隷属させようとして彼女主体性を踏みにじるような,そんな行動様式で何かを伝えようとすることこそがポルノを作るという行為なのだ

女性の,障害者の,料理(を丹精込めて作った料理人の心)の,その尊厳を一顧だにせず自分勝手目的手段にすることがポルノを生むのであれば,それはもはやレイプと言えよう。

感動ポルノに感動するということは,レイプ映像を見て性的興奮を覚えるのと同じくらい,道徳的には救い難く,精神分析学的には,まあしょうがないのかもね。

今日は昼にうんこをした

昼食後にうんこでる!とトイレに駆け込んだ

近年うんこは朝2回するもの、とペースが決まっていたのに

ダイエット食事の量が少なくなったせいで、朝しっかりうんこが出なくなった

ダイエットを取るか、規則正しいうんこペースを取るか

悩ましいところである

JTビジョンひとつずつですが、未来へ。

JT VS 国立研究開発法人国立がん研究センターを読んだ感想

流れ:

1. 国立研究開発法人国立がん研究センター受動喫煙による日本人肺がんリスク約1.3倍あり,肺がんリスク評価を「ほぼ確実」から「確実」へと評価日本人非喫煙者対象とした受動喫煙肺がんとの関連について、科学的根拠に基づく評価を示し、受動喫煙の防止を努力目標から明確な目標として提示

2. JT: それを認めず,「迷惑」や「気配り、思いやり」の問題解決しようとする.

上記とは別に,元々の公式見解喫煙健康に関するJTの考え方)も酷すぎる.

https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html :喫煙健康喫煙健康に関するJTの考え方)]

そもそもJTが目指す社会って何?

公式HPに載っている全文を引用します.

https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/index.html: JTが目指す社会]

吸う人も吸わない人もここちよい世の中へ。

たばこの吸われる方、吸われない方が

強調して共存できる社会の実現を目指して、

様々な活動に取り組んでいます

吸わない人で,ニコチン・タールの混ざった煙を吸わされて心地よく思う人は全くいません.

煙は拡散されていくことをご承知でしょうか?

煙を完全にシャットアウトするような分煙禁止することを強く望みます

CM映像ではそのような描写はまったくありません.

JTビジョンって何?

こちらも公式HPに載っている全文を引用します.

https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/vision/index.html: JTビジョン]

たばこ好きな人がいますたばこを嫌いな人がいます

世の中には、さまざまな暮らしがある。さまざまな人がいる。

そのひとりひとりに、それぞれの思いや感情がある。

たばこについても同じように、いろいろな考えがあると思います

たばこを吸うことは、健康上のリスクを伴います

それを認識したうえで、たばこを吸う大人には、それぞれにたばこを愛用する理由があります

一方、たばこを吸わない人にとっては、たばこの煙が迷惑になることがありますたばこを吸う大人は、つねにマナーを守ることに心がけるべきです。

から私たちJTは、吸う人、吸わない人が共存できる世の中をめざし、さまざまな活動にいま取り組んでいます

私たちは「分煙環境の整備」を進めています。それぞれの場所に合うさまざまなやり方で、吸う人も吸わない人も心地よく過ごせる環境を増やしたいと考えているからです。

私たちは「マナーの啓発活動」も進めていますたばこを愛用する人は、周りを思いやることが、何より大切であると考えているからです。

さまざまである、ということ。

それを認め合い、尊重しあえる未来社会想像しながら、私たちJTはこれからも、いろいろな活動真摯につづけていきたいと思います

ひとつずつですが、未来へ。

マナー問題で片付けようとするのは,もともとの企業体質のようでこの文章からひしひしと伝わってきます

健康上のリスク認識したうえで,迷惑マナー・心がけの問題にするのはやはり間違っているのではないでしょうか?

他人健康上のリスクより愛用する理由が勝る場合などあるのでしょうか?

大人」云々よりも社会生活する人間として間違ってませんか?

また,今回のがんセンターの報告で,あなた方のいう未来ひとつ進んだわけですが,なぜ認めようとしないのでしょうか.

あなた方のいうビジョン尊重共存に背く行為ではないでしょうか>

喫煙健康に関するJTの考え方」が酷すぎる

引用https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html : 喫煙健康]

厚生労働省は、「21世紀における国民健康づくり運動」において、たばこは、肺がん心筋梗塞等の虚血性心疾患、肺気腫等の慢性閉塞性肺疾患など多くの疾病や、低出生体重児、流・早産など妊娠に関連した異常の危険因子 ※1であるとしています


※1:

危険因子(リスクファクター)という用語は様々に使われていますが、定義としては以下のようなものがあります

「”リスクファクター(risk factor)”という言葉は、病気の発生リスクを高めるが、単独では、病気を引き起こすのには不十分な要因を意味する言葉として一般的に用いられています。」(木原雅子木原正博訳『WHOの基礎疫学』、三煌社 )

科学的知見に基づいて、意味のある健康関連状況との関連が知られている個人の行動や生活様式の特徴、環境曝露、先天性や遺伝特性などである。」 (日本疫学会訳『疫学辞典 第5版』、財団法人日本公衆衛生協会

病気の発生あるいは他の特定結果の蓋然性を増加させる属性ないしは曝露」(日本疫学編集疫学 基礎から学ぶために』、南江堂)

私たちも、喫煙特定の疾病(妊娠に関連した異常を含む)のリスクを高めると認識しています。また、喫煙とそれらの疾病との関連を具体的に解明するため、今後の更なる研究必要と考えています。※2

※2:

わが国における男女別の肺がん死亡率と喫煙者率の推移をみると、最近50年間で男性喫煙者率は明らかに低下し、女性喫煙者率はほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女ともに1950年から1995年ごろにかけて顕著に増加し、以降減少傾向に転じているという事実がみられます喫煙の影響が現れるには20-30年のタイムラグをみる必要があるとの意見がありますが、タイムラグ考慮しても肺がん死亡率の動向を喫煙者率のみで説明することは困難です。

日本における喫煙者率と肺がん死亡率の推移(グラフ1)

困難であることの理由の一つとして、男女間における喫煙者率と死亡率の関係に違いがあります喫煙者率は男性では顕著に低下、女性ではほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女で同じ傾向を示しているという事実がみられます

男女別の喫煙者率と肺がん死亡率推移(グラフ2 軸間隔をいじっているので比較不可能

また、罹患でみた場合肺がん罹患率は男女ともに増加しており、タイムラグ考慮しても罹患率の動向は喫煙者率の推移と一致しません。

日本における喫煙者率と肺がん罹患率の推移(グラフ3 データ数が少なくて役に立たない)

さらに、世界各国を男女別に比較すると、喫煙者率と肺がんによる死亡率との間には必ずしも相関関係がありません。

各国の喫煙者率と肺がん死亡率の関係グラフ4 2009年喫煙者率と1年前の肺がん死亡率での散布図,過去を見ても意味がない)

これらのことから私たちは、喫煙健康への影響については今後の更なる研究必要と考えています

喫煙が多くの疾病の危険因子であるとの厚生労働省見解は、主として喫煙者集団非喫煙者集団の間での疾病発生率等を比較する統計に基づいた研究疫学研究)によるものです。疫学研究は、喫煙者集団において特定の疾病のリスク非喫煙者集団より高いことをほぼ一貫して示しています。※3

※3:

喫煙健康に及ぼす影響に関する厚生労働省見解および関係情報については、厚生労働省ホームページ中の「たばこ健康に関する情報ページ」別窓で開くをご参照下さい。

疫学研究は、疾病とその要因との関連性を探るにあたり有用学問です。しかしながら、がん等、喫煙と関連があるとされる諸疾病の発生には、住環境大気汚染等)、食生活運動量ストレス遺伝的要因等様々な要因が影響しており、喫煙以外の全ての要因を同じにした集団比較することは困難です。また、疫学研究喫煙者非喫煙者集団同士を比較するものであり、個々の喫煙者について疾病のリスクを明らかにするものではありません。

喫煙の人体への影響を解明するために、疫学研究のほか、動物実験等が行われています動物実験において、たばこのタールをマウスの皮膚に塗布する実験では、皮膚腫瘍の発生が確認されていますが、たばこ煙のみを吸入させる方法により、腫瘍を発生させることは困難です。※4

※4:

たばこ煙を長期間吸入させる試験において、肺腫瘍が発生したとの報告もありますが、多くでは腫瘍の発生が認められていません。

喫煙健康への影響については今後更なる研究必要であるものの、私たちは、喫煙特定の疾病のリスクファクターであると考えています喫煙するかしないかは、喫煙健康への影響・リスクに関する情報に基づいて、個々の成人の方が決めるべきものです。


まるで,警察麻薬撲滅ビデオに出てくる麻薬を勧めてくる悪い大人のものである

ほとんど意味のない統計グラフもやめていただきたい.

疫学研究において,特定の疾病のリスク非喫煙者集団より高いことを示されているのに対し,

全ての要因を同じにした集団比較することは困難という反論ナンセンスであり,

様々な条件で喫煙が疾病のリスクになっていると結論付けるのが妥当だろう.

腫瘍が発生したとの報告もあるのに,ほとんど起きないか大丈夫のような文言も謎.

せめて,リスクは最大で見積もれよ.そんなに人を殺したいのか.

論文データよりもインチキキトー統計を過信されているようですし,

自分たちが何人人を殺したかの下限もわからないのでしょう.

即刻分煙でなく禁止する運動をするか,解体されてください.

あなた宇多田ヒカルありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

私の父は厳格な人だった

ゲームテレビ子供教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた

お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった

高校入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった

しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた

2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった

それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった

母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた

ゲーム漫画もうちにはなく、テレビ自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由時間を満喫していた

今考えれば迷惑子供だっただろうと思う

そして中学入学した頃、色々なことが変わった

私は休日に外出するのを禁止された

私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した

父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた

ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった

流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった

父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた

母は何も言わずに私を見ていた

父は家族食卓という時間を設けた

私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族食卓に遅れた

父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った

私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった

ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と

それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒病院に運ばれた

私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた

それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった

私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た

父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった

私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった

父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった

私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした

私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家平穏を取り戻していった

私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった

私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った

愚かな私は他人気持ちを考える事が出来なかった、自分気持ち正当化するために家族悪者に仕立て上げた

父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった

私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった

父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった

父の症状はみるみるうちに悪化していった

私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した

私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと

それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった

なのに私は全てを無視して、他人気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った

その日父は死んだ

私が高校2年生の春だった

父は書き置きを残した

私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった

知人だけでなく親族にも自死だという事は隠した

家族3人しか知らない

父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった

私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った

私には明確に父を殺したという意識がある

ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと

同時に思う、自分はそんな可哀想自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと

しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと

そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間死ねば良い、どちらにしても自分死ねば良いとそう思う

自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが

ひとえに母と弟のお陰だと思う

私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったか

高校に行きながらバイトをして、大学入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した

お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金実家まで持っていった

それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た

母は私が死なないように心配していたのだと思う

私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった

父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う

でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった

時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる

おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う

そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ち確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない

今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた

用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた

弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった

弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した

続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した

どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた

泣きながら、ごめんごめんと言っていた

ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた

兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった

ホントもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった

でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう

弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた

本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ち無視していた、自分のことだけを考えていた

弟は帰りに誕生日プレゼントをくれた

私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストアルバムをくれたのだくらいに思っていた

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った

しかしたら弟はこのプレゼント話題きっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが

とにかく、知ることが出来てよかった

衝動的に書いたので読み辛いだろうけど

ありがとう

追記

昨日発作的にこの文章を書いてから、少し後悔していました

笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした

父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです

意を決してこのページを開き、はてなブックマークコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました

おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした

結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません

もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分気持ちを本当にこんな簡単言葉で表す事ができるかは分からないのですが

今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます

改めて元の記事を書いてくれた方と宇多田ヒカルさんへ

そして優しいコメントをくれた皆さんへも

ありがとうございます

ゲスい考え

モニタリングスペースに最近テレビで見かけないあの人が・・・


ゲースゲスゲスゲス〜 ゲースゲスゲスゲス


そうなのです。

なんとそこには水森亜土ちゃんがいたのです!

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