はてなキーワード: 進学校とは
彼が35歳にして選んだ次なる道は、東大生?
「受験は昨年の冬に済ませていました。今は休学中です。来年の春からは大学生として勉強頑張ります」
「六大学野球には出場するんですか?」
「可能ならばぜひ!」
東 京 六 大 学 野 球 に は 年 齢 制 限 が な い
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「翔谷の球を受けたい」
全国の進学校の野球部キャッチャーが受験をめちゃくちゃがんばって
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一番・ピッチャー翔谷
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早稲田「慶応のアホは正々堂々勝負するとか言ってたけど、俺たちはどんな手だって使うぜ」
一番・ピッチャー翔谷
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法政「結局点を取れなければ勝てないってこと」
東大の守備の弱さをついてセーフティーバントとエラーを誘う作戦に出る
一番・ピッチャー翔谷
「選手たちは全力を尽くした。敗因はあのキャッチャーを見くびったこの田岡」
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ワイの親父はそういうことを言ってたけれど、ワイからしてみたらそれは異世界の話だった。
ワイは大学生のころ夜遅くまでレポートと実験計画書を作成し、土日もレポートと課題をやってた。
まあ、進学校で塾に行っていたから高校時代も予習・復習で夜遅くまで起きていたし、土日は塾に行っていたわけで、そういう生活にすでに慣れていてそんなに苦じゃなかった。
大学院もまあ、そんな感じ。違いは誰かが課題を与えてくれるわけでないので、ひたすら論文を読んで研究のネタになる話を探し続け、ネタになりそうなものを試してみる生活。
地方のちょっとした進学校に行ってたけど、全く勉強できずにFラン大学に行った。
けど大学では独学でプログラミングを学び、難関といわれる資格も取ったし、周りよりは良い企業に就職した。
就職してからも、頑張って勉強して、同期に頼られるようになった。
「独学でプログラミングできるようになったなんてすごい」
なんて言われるし、自分でもすごいと思う。
ほとんどの人は独学でプログラミングを学んだり資格を取ることはできない。
じゃあなんで俺ができたかというと、そこにはモチベーションがあったからなんだけど、それが悩みになってる。
俺を今まで突き動かしてきた力ってのは、「俺は周りとは違う」って反発することだった。
高校で勉強できなかったのもこれ。周りがみんな勉強してたし、それに勝てると思えなかった。
Fランにはプログラミングまともにできるやつなんかほとんどいなかったし、周りとは違うって思いたかった。
Twitter見てると、純粋に楽しんで上達したり、周りを認めて生きていけてる人がいる。
対して俺は周りよりも上に行こうとかいう薄汚れた感情で動いて、それをアイデンティティにしている。
26年間ずっとそうだし、これからもそうなんだろう。
正直、これは性格の問題だから、一生付き合っていくしかないと思う。
解決策もたぶんないと思う。
背が高くて、涼しげな顔立ちの、一つ上の高二の先輩。
みんなが同じような傷んだ茶髪に切り刻んだミニスカートを履いてる中で、黒髪ボブと膝上5cmを貫いていたのが印象的だった
時々きらめく青いピアスをよく覚えている
誰も通らない踊り場に大きな紙を広げて、裸足になって絵を描いた
本当は他の看板係も何人かいたけど、初回の顔合わせ以来ほとんど姿を見せなくて、放課後はいつも2人きりになった。
ぺたぺた絵の具を塗りながら、先輩の話を聞いた。
なんで美術科のある高校じゃなくてわざわざ進学校のうちに来たんですか?って聞いたら、さらりと
「家が近いから」
と言われた。
必死に勉強して受かった自分なんかとは大違いで、凄い人なんだなと素直に尊敬した。
休憩と言って2人でファミチキを食べに行ったり、どうせ塗りつぶすからって足元に落書きしたりしてるうちに、私は先輩のことが好きになっていた。
スカートについたおそろいの絵の具の汚れが嬉しくてたまらなかった。
こう思い返すと漫画みたいな恋だったけど、オチは本当にくだらない
体育祭はあっさり終わった。
先輩から「一緒に写真撮ろう」と言ってもらえてドキドキしながら肩を組んで、やっぱり私はこの人のこと好きなんだって思って、でも自覚すると気持ち悪いと思われるのが怖くなって、自分から連絡できなくなった。
卒業式の日にお祝いのラインをして、「ありがとう!美大生になれたよ✨」と返してもらったのが最後の会話。
同性愛者というわけではない。
昔から絵を描くのが好きだった。いや、絵を描くのが好きだったというのは違う。
正しく言えば、絵を描いて褒められるのが好きだった。勉強も運動も得意というわけでは無く、進学校だったので周りより相対的に能力があったのが絵なだけだった。
それなら絵の学校に進めばいいじゃないか、と言う人もいる。いろいろ理由をつけてはいるが、今考えると行かなかった理由は簡単だ。
絵を描くのが当たり前の世界で、自分には勉強も運動も絵もダメな凡人だと自覚するのが嫌だっただけだ。
絵は努力の世界だ。才能じゃない。しかし努力の才能が無ければ居られない世界だ。
特に日本という国は芸術大国と言っても過言ではない。所謂現代アートや西洋美術等の『古典美術(笑)』には認められてない世界だが、マーケティングの精度や技術的なレベルから言ってもそれらは優に超えている。
そんな世界に僕は憧れた。しかし僕は努力ができなかった。絵が好きじゃなかったからだ。
絵が上手い人というのは、絵に対する異常な執着心がある。同時に、その時の流行りや廃りに敏感だ。いわば凡人でミーハーな感性と、絵に対する非凡な執着。
人が好きだと言う作品の二次創作に、対価が無くとも熱い思いを込めて何時間も集中して書き続けられる力。そんな職人的な、ともすれば搾取されがちな思考が神絵師を形作っている。
僕はそのどちらも無かった。世間からズレた非凡な感性と、凡人レベルの努力。やっとの思いで掴んだ絵の仕事、時給200円の末端底辺背景イラストレーター。
時給100円で神絵の依頼を受ける絵師を見て、この世界に俺の居場所は無かったと気付いた。
何度も出される無料リテイク、思いを込めた部分が雰囲気に合ってないと修正される。仲介会社は足元を見て、いかに安く絵を完成させるしか考えていない。
そんな中ふと手を出したライター業。2chや増田で文章を書きまくり、凡人でミーハーな感性と、文章や人間に対する非凡な執着を身に着けた大衆の仕事。誰でもできるお仕事。
時給換算すれば1000円は当たり前。2000円、4000円も行ける。
「この文章を読んで理解できたでしょうか。」ありきたりで形式的なまとめ文を書く。多分これを読んだ人は、解ってるんだか解らないような神妙な顔でアフィリンクを押すのだと思ったりする。
僕がイラストレーターを諦めた理由なんて多分この文章を読んだ人には一ミリも伝わらないだろうなと思いつつ。数年後には「だから僕はライターを諦めた」なんて文章を書くのかなと思ったりもする。
その時の媒体は多分紙。遺族はそれを見てどう思うだろうか。
破壊神マグちゃんの60話で、成績の良い桔梗が高校受験で進学校に進む事を薦められ
親友の唯歌と進路が別れる事に悩んで、結局唯歌達と同じ高校に行く事にしたって話
これ単体で見たら将来のために本当にそれでいいかとか思ってしまうので評価は微妙なんだけど
アニメひぐらしの泣く頃に卒の最終話とほぼ同時期に見ていたせいかそれとの対比で
これはこれでいいじゃん…優しい世界…と、割と肯定的な評価になってしまった。
ひぐらし卒を見ていた時は親友はいつまでもベタベタ一緒にいるものじゃない本当に親友なら巣立ちを祝福しろという魅音の説教に非常に悲しい気持ちになって
何だって同性の親友同士や恋愛じゃない絆は、いつも別れるのが成長でいつまでも一緒にいるのは不健全ってオチにされるんだよー!
梨花と沙都子があの家で、おばあちゃんになるまで一緒に暮らしたっていいじゃんなんで駄目なの!?
こんなんだから、何でも恋愛にするなとか言われようが好きなキャラ同士の絆は恋愛であって欲しいと思うんじゃん!!
…と、非常にフラストレーションが溜まったので。
中卒の両親の元に生まれた末っ子の私は、学費はもちろんの事、大学の受験料すら自分で払えと言われ、おまけに宗教一家の三世だか四世のため宗教絡みもダルダルで、親ガチャ当たりとは到底言えない人生だったと思う。
両親と同じように10代でデキ婚するだろうと思われていた私は、両親の期待外れに真面目に育ってしまった。
無駄に進学校に行きたがり、大学に行きたがり、学費がかかって迷惑極まりない子供だったんだろう。
さっさと子供を作り家を出てってくれたら親孝行になっただろう。
楽観的なものの見方が出来ず、常に何かを疑い、批判的にものを見る私は、後先考えずに行動する家族に毎日いらついていた。
子供に払う金もないのに犬猫は飼いたがる両親の金銭感覚にはほとほと呆れ絶望していた。
生きてるだけで金がかかるし、自分に莫大な金をかける価値も無いんじゃないかと思うと、生きていることすらバカバカしくなって死にたいと思った。
でも、自分の力でここから抜け出すために、幸せになるために頑張ろうと思った。
私だって学費も、留学費用も、通学代も、全部出してくれる親の元に生まれたかった。
入学祝いにブランドのバッグを買ってくれて、20歳の成人祝いには花束とブランドのアクセサリーをプレゼントしてくれるような親の元に生まれたかった。
でもここが私の人生だし、仕方ない。
ほんとにきつくなったらまあ死ねばいいかとライトな希死念慮はずっとあった。
25歳まで実家で暮らして貯金をしてから家を出て良い人がいたら結婚して、そんな将来が来たらいいなと夢を見た。
そんな矢先、姉が実家に舞い戻ってきた。
姉のせいで家は崩壊した。
私も疲弊した。
家の手伝いも何もせず、何を言っても言い訳ばかりの姉に、存在しているだけで腹が立って仕方なかった。
朝ごはんもお弁当も作って貰って、部屋をゴミ屋敷のように散らかしては掃除も親に任せていた。
もうただの怠けた豚にしか見えなかった。
友達も彼氏もいない、職場でも散々な態度をとってる姉はどこに居ても孤独で、それを発散するかのように自宅でYouTubeを大音量で流して大爆笑し、耳障りで仕方なかった。
それを申し訳ないとも思わず他人に迷惑をかけっぱなしで、自分がこうなったのは、親のせいだと他責思考で居続けた。
幼少期にまともな環境で育たないと愛着障害で精神的に不安定になりやすいのだと主張し、自分の現状をただ親のせいにして何も反省しなかった。
そうやって親のせいにしてたら楽だろうな、自分は何も悪くないって思えるから。
同じ親の元に生まれた私は、朝ごはんもお弁当も自分で作って、職場の人間関係も良好で、友達もいて 、彼氏もいる。違いはなんだ?
親のせいにして自暴自棄になってたって、そこから生まれるものがないってわかってるから。現状を良くしたいなら頑張るしかないのにそうやってずっとずっと親のせいにして1ミリも成長してないなんて恥ずかしすぎるから。
迷惑をかけてない私が、なぜ?
出ていくべきはお前のはずなのになぜ私が責められないといけないのか分からなかった。
妹にナマケモノのように扱われ、疎まれ、妹のように上手く行かないことが辛かったんだろう。
わたしは今は一人暮らしの費用のために、仕事を終えてからパパ活をしている。
夜遅くに帰れば姉と接触する時間も減らせるし、お金も貯まるから。
けれど、どれだけ疲れていようと、遅くに帰ってきても、翌日も早起きで仕事をこなさなければいけないのはさすがに疲れてきた。
どうして、私だけがこんな思いをしなければならないのだろうか。
だらけた姉が家で母の作った夜ご飯を食べている時に、どうして私はおじさんとご飯を食べていないといけないのだろう。
早く幸せになりたい。
他のインターネットの場でも俺らや普通の増田みたいに普通の文化資本を持ってて、普通に進学校いって、普通に大学行って就職した層や、親に理解があってSSTと投薬治療でさっさと小さいうちに治しちゃったみたいな普通の家の増田がさ
「〇〇大行っておけば」とか「投薬治療で発達なんか治るのになんで病院行かないの?」とか神の目線から正解を知ってる状態での返答するから、底辺やゴミのような存在の増田たちが憎しみを募らせるんだと思うんだよな
まずそう言うゴミみたいな底辺ってその情報までアクセスするっていう工程や知識が無視されてるから実情と程遠くなる、親だって似たようなガイジであることがほとんど
事実上知識もない貧困層がどうやって国立とか事実上学費タダになる申請方法とか防衛大に行っておくって選択肢が思い浮かぶんだよ、すごく医学が進歩して発達だって投薬でほぼ完治できるなんて情報に触れられるんだよ?
それこそ日がな一日はてなに張り付いてる低脳先生予備軍みたいな社会不適合者の増田たちが喚く「教師が教えろ、周りが教えろ」って発想は、コジキ根性丸出しじゃなくてそれ以外に方法がないから叫んでるんだよ、彼ら彼女らって
ドクターKみたいになんでも教えてくれるスーパードクターなんてそうそういるわけないわけで
ネット毎日見てるのはなんのためだ?とか彼らにとってはそりゃ侮辱や見下しにしか聞こえないんだよな結局
ネットの発達で独学でも一流になれるとか夢見たいな寝言ほざいた結果が絶望的な教育格差によって会話が成立しないほどの地力の差が離れていくなんて
30代男性です。
そんなレッテル貼りをしたところで何も変わらないんだけど、最近なんか息苦しくて、この生きづらさに理由がほしい。
・テニス部顧問から「強化リーグ出てみないか?」と誘われるも断る。
・夏休みに一定回数プールに行かなければならず友人を誘うが「もうクリアしてるから行かない」と断られ電話先で絶句する。
・中3夏の高校受験模試で商業高校はS判定、進学校はB判定だった。塾講師に「進学校も十分狙える」と言われるも商業高校に進学。
・メールで告白されたが返信しなかった。2週間ぐらいして、その子のクラスメートに責め立てられ渋々お断りのメールを送る。
・反抗期が無かった。
【大学時代】
・ひとつ上の先輩となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。友人宅にいたところを突撃され別れを切り出された。
・同学年の子となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。自宅で寝坊したタイミングで突撃され別れを切り出された。
・インターン先の大手SIerから採用試験の案内電話がくるも運悪く取れず。1次面接免除&志望度高かったはずなのに折り返さずに選考不参加。
・大学時代の後輩となあなあに付き合い出す。PHSを契約するも自分からは全く電話しない。
【社会人以降】
・↑の後輩と遠距離恋愛となるが、自分からはほとんど電話しない。そして別れを切り出される。
・合コンで連絡先を交換した子から遊びに行こうと連絡が来るも、返信せずに終わる。
・現妻(お互い社外人)となあなあに付き合い出す。
・プロポーズを実行しようと奮い立つも、部屋でボソっと「結婚しよう」と言うだけ。ノーサプライズ。その後具体的なアクションを起こさず、痺れを切らした妻に促され両親に挨拶に行く。
・業務上の電話で秘密にするようなことでもないのに、周りに話声が聞こえていないか気になる。毎回ではないが、気になりだすと止まらない。
・転職の面接と内定辞退を繰り返す。将来に危機感を抱いての行動だが、いざ内定をもらうと新しい環境にビビって撤退している。
・そして転職したいことや内定もらったことを妻に相談できない。
【その他】
・とにかく電話が嫌い。何をするにもまずWeb手続き、問い合わせができないかを確認する。
・友人と歩いているときに、別グループの友人と会うとめちゃくちゃ居心地が悪い。
こうして振り返ると、どう転んでも幸せにはなれなさそうな人生だなぁ。
ただ、本で紹介されてるような酷い家庭環境では無かったし、成人期迎える頃には寛解することが多いらしのに、むしろ最近になって気になりだしたから、ただのクズなのかもしれない。
それこそ小学生のころから性欲が強かった.頭の中はエロい妄想ばっかりの青春だった.
笑い事に聞こえるかもしれないが,ずっと苦しんで,悩みつづけていた.とくに女性を無理矢理襲うような妄想に興奮し,いずれ自分が実際にそうしてしまうんじゃないかととにかく怖かった.胸や尻をついつい見てしまって,そういうのはいけないことだとわかっていたから,とても自分が嫌いになってしまった.実際の女性に対して手を出してはいけないと自制して,それが実際の女性に対する恐怖にかわり,本当の女性とはかかわらないままずっと彼女もできず,今も独身で童貞のままだ.風俗も考えたが,1回でもいけば自分がストーカー化しそうで怖くいったことはないままだった.妄想と現実は違うことをわかっていても,自責の念をうんだ,
性欲が勉強の邪魔もし続けた.すぐに集中できなくなって,でも毎日何回も自慰ができるわけではなく,1回でも抜いたら体力を失って,その後は寝てしまってなにもできなくなるような人間だった.去勢したかった.進学校だったのもあって,とにかく受験に邪魔で,性的なことへの嫌悪と同じくらい,集中できないこともいやだった.誰にも相談できなかった.今から思えば,体育会系的,ホモソーシャル的なところに属し考えが普通であると思い込み,ミソジニーやマチズモを内面化できていれば自分は幸せになれたと思う.でもコミュニケーション力も人並み以下であり,ナヨナヨとした人間で,上手くはいかなかった.
大学に入っても変わらず,これだけが原因ではないがコミュニケーションに失敗して友達もできず,鬱になった.性欲だけはなかなか消えなかった.性欲に苦しみながらも勉強はして,なんとか卒業し,なんとか社会に適応して生きてきた.加齢に伴い性欲が少しずつ減ったことで,ある程度自分を受け入れることは出来た.女性は怖く恋愛経験もなく童貞のままだが,女性を憎んだりはしないでいられた.むしろ自分の男性性を否定するからか,フェミニストよりな考え方になった.
ところが,最近睾丸の病気になり,どうやら男性不妊になった.性欲が激減し,ほぼ勃たなくなった.
そうすると,世界が前よりもクリアになった.余計な考えが邪魔をすることがなくなった.やっと人生に向き合える気がしてきて,とてもうれしく感じている.
だが、だからといって親ガチャという語が内包している階級の固定化や格差の問題を否定する気はないし、寧ろそれらは問題であるとさえ考えている。
世間一般的には僕の家庭は経済的には恵まれている。父親は大手に勤め、兄弟2人とも首都圏中高一貫私立から難関国立大学に進学した。
これだけを見れば親ガチャに勝ったのだといわれるだろう。
だが、僕達兄弟の親は所謂“低学歴教育ママと無関心の父親”だった。“低学歴教育ママ”のデフォルトである束縛は勿論、それに加え暴力もあり、僕の体には未だに刃物の傷が残り、弟も親に殴られ骨が折れたことがある。
それに加え僕個人としては、「あなたは〇〇なんだから黙っていなさい」と中学時代に母親に言われたことが子供ながらに心に来た。
これは国内有数の進学校に入学していた弟に対して、中堅進学校に通っていた僕に母親が放った言葉だ。
多分自分で考えているよりもこの言葉より強烈なもので、それからは親に対し面従腹背で何を言われていてもヘラヘラするようになったと思う。
それなのにそれ以上酷い状況に追い込まれのが怖くて、いつもビクビクしながら親の顔色を伺い、先回りしてよく家事などをしていた。このような生活が続く中で、精神は摩耗していった。
だが大学に入学し一人暮らしをするようになった。一人暮らしは本当に精神的に楽で、そこで一時期は“毒親”といった言説にハマったりもした。(今はある程度は抜け出せたと思いたい)
途中から気持ち悪い唯の自分語りになってしまっていたが、要するに言いたいことは、一部分だけを見て“親ガチャ”という言葉を使うのはあまりに乱暴ではないかということだ。
親ガチャという語が内包する、階級の固定化、格差や毒親などの問題をそれぞれの問題として本来捉えるべきであり、親ガチャといったような雑な言葉を使うのではなく(雑な言葉であるから使われているというのもあるが)、より問題を明確にすることで解決の糸口も見えてくるように思える。
またそう考えないと、自分にとっての地獄であったあの中高時代をまるで存在しなかったようにされているようでやりきれない気持ちになる。
小中学生のときに学校で必要なものは、いとこのお下がりばかりで新しく買うなんてことがなかった。
自分のものだけ色褪せていたり、デザインが一昔前のもので子供ながらに引け目を感じていた。
みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
高校の進学先を決めるときには、公立しか選べないのはもちろんのこと、進学校かどうかではなく就職率が高いところを選ばなければならないような感じでしか決められず、
勉強を頑張ってきたにも関わらずランクを下げての進学になってしまった。
もしも余裕のある家庭だったのなら、ちゃんとした進学校に通って、ちゃんとした大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、同じ仕事でも大卒の方がお金が貰えてたり、出世コースも高卒だと限られたものしかないように思えた。
一向に生活はよくならないし、幸せな家庭を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。