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2021-11-12

二刀流メジャーリーガー東大生翔谷王平VS東京六大学

投手としてサイヤング賞、打者としては三冠王

野球の頂点を極めた二刀流メジャーリーガー翔谷王平

彼が35歳にして選んだ次なる道は、東大生

受験は昨年の冬に済ませていました。今は休学中です。来年の春から大学生として勉強頑張ります

六大学野球には出場するんですか?」

可能ならばぜひ!」

東 京 六 大 学 野 球 に は 年 齢 制 限 が な い

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「翔谷の球を受けたい」

全国の進学校野球キャッチャー受験をめちゃくちゃがんばって

翔谷のボールを受けられるキャッチャーが入部

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慶応いくら翔谷が加入したからと言って初戦は東大野球部」

「正々堂々と勝負して、叩き潰してやりますよ!」

東大VS慶応

一番・ピッチャー翔谷

本塁打

本塁打

三塁打

本塁打

東大 3-0 慶応

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早稲田慶応のアホは正々堂々勝負するとか言ってたけど、俺たちはどんな手だって使うぜ」

打席で翔谷を敬遠すると宣言卑怯なり早稲田!!

東大VS早稲田

一番・ピッチャー翔谷

敬遠→二盗→三盗→ゴロの間に生還

敬遠

敬遠→二盗→三盗→スクイズの間に生還

敬遠

東大 2-0 早稲田

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法政「結局点を取れなければ勝てないってこと」

東大守備の弱さをついてセーフティーバントエラーを誘う作戦に出る

東大VS法政

一番・ピッチャー翔谷

敬遠→二盗→三盗→ゴロの間に生還

敬遠

敬遠→二盗→三盗→スクイズの間に生還

敬遠

東大 4-3 法政

まさかキャッチャーホームランを打たれるとは」

選手たちは全力を尽くした。敗因はあのキャッチャーを見くびったこの田岡」

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こっから先は思いついてないし、そもそも「ロクダイ」「ビッグシックス」「クーロンズ・ボールパレード」でもうやってる

2021-11-11

anond:20211111071238

ワイの親父はそういうことを言ってたけれど、ワイからしてみたらそれは異世界の話だった。

ワイは大学生のころ夜遅くまでレポート実験計画書を作成し、土日もレポート課題をやってた。

まあ、進学校で塾に行っていたか高校時代も予習・復習で夜遅くまで起きていたし、土日は塾に行っていたわけで、そういう生活にすでに慣れていてそんなに苦じゃなかった。

大学院もまあ、そんな感じ。違いは誰かが課題を与えてくれるわけでないので、ひたすら論文を読んで研究ネタになる話を探し続け、ネタになりそうなものを試してみる生活

シーナアイエンガー氏が研究者は牢屋自転車をこぎ続けるようなものと例えていたが、言い得て妙だと思う。

まあ、増田が思うようなファンタジーもどこかにはあるんだろうけれど、少なくともワイには当てはまらなかったな。

2021-11-09

田舎者の僻み

話の流れで、都会の女子高生いかに楽しく、華やかな生活を送っていたかを聞いた。

アルバイト学校帰りのスイーツCD

あくまでも15年前の妻から見た世界の話だし、それと比較する自分経験も同じく15年前のものだけれども、

その3つのどれもなかった。

アルバイト校則禁止だし、学校と家の間にはコンビニしかないし、自転車で一人帰るだけだったし、

当時買ったCDなんて「image 3」と「ハッピーマテリアル」くらいだった。

世俗を嫌う教育熱心な母親と、田舎公立自称進学校によるひどく抑圧された生活性差もあるんだろう。

思い出してもいいことが何もないから、触れないようにしていたのに。

ここに吐き捨てて、もう一度封印します。

2021-11-07

anond:20180316221116

ヘッセの『車輪の下』の自然描写がとても印象に残っている。学校勉強に押し潰されそうになっている主人公には自然の美しさ優しさが痛々しいほどに沁み入って感じられるのだけれど、その描写主人公の苦しい状況を却って浮き上がらせていて読んでいて痛々しいほどだった記憶がある。(当時は僕も進学校勉強でふうふう言ってた頃だっけ)

2021-11-06

選挙をまともにしたいなら生徒会選挙をやめよう



と、こうやってみんな選挙茶番だと学習していくわけである

まあ間違ってねえんだけど

しか小学校とかならまだしょうがないにしても、一応進学校の中高でこれだったからな

そりゃ選挙に興味も希望も湧いてこないのなんか当たり前だろう

せめてもうちょっとなんか生徒の側に権限をよこせ

それが嫌なら形だけの下請け生徒会なんかもうやめちまえ

害にしかなってねえから

2021-11-04

「周りとは違う」って生きていくのがつらい

プロフィール:26歳 男 Webエンジニア

 

地方ちょっとした進学校に行ってたけど、全く勉強できずにFラン大学に行った。

けど大学では独学でプログラミングを学び、難関といわれる資格も取ったし、周りよりは良い企業就職した。

就職してからも、頑張って勉強して、同期に頼られるようになった。

 

「独学でプログラミングできるようになったなんてすごい」

なんて言われるし、自分でもすごいと思う。

ほとんどの人は独学でプログラミングを学んだり資格を取ることはできない。

なぜかというと、モチベーションがないから。

 

じゃあなんで俺ができたかというと、そこにはモチベーションがあったからなんだけど、それが悩みになってる。

俺を今まで突き動かしてきた力ってのは、「俺は周りとは違う」って反発することだった。

高校勉強できなかったのもこれ。周りがみんな勉強してたし、それに勝てると思えなかった。

Fランにはプログラミングまともにできるやつなんかほとんどいなかったし、周りとは違うって思いたかった。

 

Twitter見てると、純粋に楽しんで上達したり、周りを認めて生きていけてる人がいる。

対して俺は周りよりも上に行こうとかいう薄汚れた感情で動いて、それをアイデンティティにしている。

本当に惨め。もっとピュア人間に生まれたかった。

26年間ずっとそうだし、これからもそうなんだろう。

 

正直、これは性格問題から、一生付き合っていくしかないと思う。

解決策もたぶんないと思う。

ももし、自分も同じような性格だって人がいたら、教えてほしい。

2021-10-29

初恋のことを思い出してる

背が高くて、涼しげな顔立ちの、一つ上の高二の先輩。

みんなが同じような傷んだ茶髪に切り刻んだミニスカートを履いてる中で、黒髪ボブと膝上5cmを貫いていたのが印象的だった

時々きらめく青いピアスをよく覚えている

先輩とは体育祭で、看板制作する係で一緒になった

誰も通らない踊り場に大きな紙を広げて、裸足になって絵を描いた

本当は他の看板係も何人かいたけど、初回の顔合わせ以来ほとんど姿を見せなくて、放課後はいつも2人きりになった。

ぺたぺた絵の具を塗りながら、先輩の話を聞いた。

中学生の頃から美大を目指して絵の勉強をしていたらしい。

なんで美術科のある高校じゃなくてわざわざ進学校のうちに来たんですか?って聞いたら、さらりと

「家が近いから」

と言われた。

必死勉強して受かった自分なんかとは大違いで、凄い人なんだなと素直に尊敬した。

休憩と言って2人でファミチキを食べに行ったり、どうせ塗りつぶすからって足元に落書きしたりしてるうちに、私は先輩のことが好きになっていた。

 

スカートについたおそろいの絵の具の汚れが嬉しくてたまらなかった。

こう思い返すと漫画みたいな恋だったけど、オチは本当にくだらない

体育祭はあっさり終わった。

先輩から「一緒に写真撮ろう」と言ってもらえてドキドキしながら肩を組んで、やっぱり私はこの人のこと好きなんだって思って、でも自覚すると気持ち悪いと思われるのが怖くなって、自分から連絡できなくなった。

卒業式の日にお祝いのラインをして、「ありがとう美大生になれたよ✨」と返してもらったのが最後の会話。


同性愛者というわけではない。

でも後にも先にも、人生で先輩に名前を呼ばれて手を振ってもらえたこと以上に嬉しくなった出来事はない。

からあれは初恋だったと思う。

2021-10-22

から僕はイラストレーターを諦めた

から絵を描くのが好きだった。いや、絵を描くのが好きだったというのは違う。

正しく言えば、絵を描いて褒められるのが好きだった。勉強運動も得意というわけでは無く、進学校だったので周りより相対的能力があったのが絵なだけだった。

それなら絵の学校に進めばいいじゃないか、と言う人もいる。いろいろ理由をつけてはいるが、今考えると行かなかった理由簡単だ。

絵を描くのが当たり前の世界で、自分には勉強運動も絵もダメな凡人だと自覚するのが嫌だっただけだ。

絵は努力世界だ。才能じゃない。しか努力の才能が無ければ居られない世界だ。

特に日本という国は芸術大国と言っても過言ではない。所謂現代アート西洋美術等の『古典美術(笑)』には認められてない世界だが、マーケティングの精度や技術的なレベルから言ってもそれらは優に超えている。

そんな世界に僕は憧れた。しかし僕は努力ができなかった。絵が好きじゃなかったからだ。

絵が上手い人というのは、絵に対する異常な執着心がある。同時に、その時の流行りや廃りに敏感だ。いわば凡人でミーハー感性と、絵に対する非凡な執着。

人が好きだと言う作品二次創作に、対価が無くとも熱い思いを込めて何時間も集中して書き続けられる力。そんな職人的な、ともすれば搾取されがちな思考が神絵師を形作っている。

僕はそのどちらも無かった。世間からズレた非凡感性と、凡人レベル努力。やっとの思いで掴んだ絵の仕事、時給200円の末端底辺背景イラストレーター

時給100円で神絵の依頼を受ける絵師を見て、この世界に俺の居場所は無かったと気付いた。

何度も出される無料リテイク、思いを込めた部分が雰囲気に合ってないと修正される。仲介会社は足元を見て、いかに安く絵を完成させるしか考えていない。

そんな中ふと手を出したライター業。2ch増田文章を書きまくり、凡人でミーハー感性と、文章人間に対する非凡な執着を身に着けた大衆仕事。誰でもできるお仕事

時給換算すれば1000円は当たり前。2000円、4000円も行ける。

「この文章を読んで理解できたでしょうか。」ありきたりで形式的なまとめ文を書く。多分これを読んだ人は、解ってるんだか解らないような神妙な顔でアフィリンクを押すのだと思ったりする。

僕がイラストレーターを諦めた理由なんて多分この文章を読んだ人には一ミリも伝わらないだろうなと思いつつ。数年後には「だから僕はライターを諦めた」なんて文章を書くのかなと思ったりもする。

その時の媒体は多分紙。遺族はそれを見てどう思うだろうか。

2021-10-21

anond:20211021175913

日本弱者男性が多いから。そりゃ執着するやね。

中国なんか進学校は朝7時から18時~20時まで勉強部活青春なんてないらしいけど

エロに向ける精力まで勉強で搾り取ればいいんだな。

レイプ痴漢ものに執着してんの?

2021-10-19

マグちゃんひぐらし

破壊神マグちゃんの60話で、成績の良い桔梗高校受験進学校に進む事を薦められ

親友の唯歌と進路が別れる事に悩んで、結局唯歌達と同じ高校に行く事にしたって話

これ単体で見たら将来のために本当にそれでいいかとか思ってしまうので評価微妙なんだけど

アニメひぐらしの泣く頃に卒の最終話とほぼ同時期に見ていたせいかそれとの対比で

これはこれでいいじゃん…優しい世界…と、割と肯定的評価になってしまった。

ひぐらし卒を見ていた時は親友はいつまでもベタベタ一緒にいるものじゃない本当に親友なら巣立ちを祝福しろという魅音説教に非常に悲しい気持ちになって

だって同性の親友同士や恋愛じゃない絆は、いつも別れるのが成長でいつまでも一緒にいるのは不健全ってオチにされるんだよー!

梨花と沙都子があの家で、おばあちゃんになるまで一緒に暮らしたっていいじゃんなんで駄目なの!?

こんなんだから、何でも恋愛にするなとか言われようが好きなキャラ同士の絆は恋愛であって欲しいと思うんじゃん!!

…と、非常にフラストレーションが溜まったので。

女の子が同性の親友と離ればなれにならず一緒にいる決断をした話って、それだけで感動してしまった。

2021-10-16

anond:20211016171310

東大を3回落ちたので東大進学をあきらめて滑り止めの早稲田に行くことにしたんじゃなかったっけ。トップレベル進学校だと本命東大滑り止め早慶ってのはよくある受験パターンかと。

2021-10-08

ガチャのせいにしたら楽だろうな

中卒の両親の元に生まれ末っ子の私は、学費はもちろんの事、大学受験料すら自分で払えと言われ、おまけに宗教一家三世だか四世のため宗教絡みもダルダルで、親ガチャ当たりとは到底言えない人生だったと思う。

両親と同じように10代でデキ婚するだろうと思われていた私は、両親の期待外れに真面目に育ってしまった。

無駄進学校に行きたがり、大学に行きたがり、学費がかかって迷惑まりない子供だったんだろう。

さっさと子供を作り家を出てってくれたら親孝行になっただろう。

楽観的なもの見方が出来ず、常に何かを疑い、批判的にものを見る私は、後先考えずに行動する家族毎日いらついていた。

子供に払う金もないのに犬猫は飼いたがる両親の金感覚にはほとほと呆れ絶望していた。

生きてるだけで金がかかるし、自分に莫大な金をかける価値も無いんじゃないかと思うと、生きていることすらバカバカしくなって死にたいと思った。

でも、自分の力でここから抜け出すために、幸せになるために頑張ろうと思った。

そして、子供が出来たらこんな思いは絶対させないと誓った。

だって学費も、留学費用も、通学代も、全部出してくれる親の元に生まれたかった。

入学祝いブランドのバッグを買ってくれて、20歳の成人祝いには花束ブランドアクセサリープレゼントしてくれるような親の元に生まれたかった。

宗教のしがらみもない、普通の家庭に生まれたかった。

でもここが私の人生だし、仕方ない。

ほんとにきつくなったらまあ死ねばいいかライト希死念慮はずっとあった。

大学卒業し、まともな会社就職した。

やっと自分の思い通りの人生が始まった気がした。

25歳まで実家暮らし貯金をしてから家を出て良い人がいたら結婚して、そんな将来が来たらいいなと夢を見た。

そんな矢先、姉が実家に舞い戻ってきた。

恋愛でズタボロになり精神疾患になっていた。

まるまる太って誰かも分からいくらい醜い姿になっていた。

姉のせいで家は崩壊した。

私も疲弊した。

家の手伝いも何もせず、何を言っても言い訳ばかりの姉に、存在しているだけで腹が立って仕方なかった。

朝ごはんもお弁当も作って貰って、部屋をゴミ屋敷のように散らかしては掃除も親に任せていた。

もうただの怠けた豚にしか見えなかった。

友達彼氏もいない、職場でも散々な態度をとってる姉はどこに居ても孤独で、それを発散するかのように自宅でYouTube大音量で流して大爆笑し、耳障りで仕方なかった。

それを申し訳ないとも思わず他人迷惑をかけっぱなしで、自分がこうなったのは、親のせいだと他責思考で居続けた。

幼少期にまともな環境で育たないと愛着障害精神的に不安定になりやすいのだと主張し、自分の現状をただ親のせいにして何も反省しなかった。

そうやって親のせいにしてたら楽だろうな、自分は何も悪くないって思えるから

同じ親の元に生まれた私は、朝ごはんもお弁当自分で作って、職場人間関係も良好で、友達もいて 、彼氏もいる。違いはなんだ?

親のせいにして自暴自棄になってたって、そこからまれものがないってわかってるから。現状を良くしたいなら頑張るしかないのにそうやってずっとずっと親のせいにして1ミリも成長してないなんて恥ずかしすぎるから

こんな思いを募らせて、不快感をためこんで、限界が来た。

から、家を出てけよとLINEが来た。

迷惑をかけてない私が、なぜ?

出ていくべきはお前のはずなのになぜ私が責められないといけないのか分からなかった。

でも限界なのは姉もだったのだろう。

妹にナマケモノのように扱われ、疎まれ、妹のように上手く行かないことが辛かったんだろう。

わたしは今は一人暮らし費用のために、仕事を終えてからパパ活をしている。

夜遅くに帰れば姉と接触する時間も減らせるし、お金も貯まるから

けれど、どれだけ疲れていようと、遅くに帰ってきても、翌日も早起き仕事をこなさなければいけないのはさすがに疲れてきた。

どうして、私だけがこんな思いをしなければならないのだろうか。

パパ活をしてるなんて彼氏には言えないし、誰にも言えない

だらけた姉が家で母の作った夜ご飯を食べている時に、どうして私はおじさんとご飯を食べていないといけないのだろう。

早く幸せになりたい。

なるほど

本質的ITに向いてない人がIT業界に入っちゃうと、

「正解」がある毎日が耐えられなくて、

たとえば文字添削とか「正解が自分で作れる」ことに精を出しちゃうんだな

馬鹿コネかなんかで進学校に入ったらストレスうんこ漏らすのと同じか

2021-10-05

貧困や発達や毒親育ちの増田が憎しみを募らせてる理由ってさ


他のインターネットの場でも俺らや普通増田みたいに普通文化資本を持ってて、普通進学校いって、普通大学行って就職した層や、親に理解があってSSTと投薬治療でさっさと小さいうちに治しちゃったみたいな普通の家の増田がさ

「〇〇大行っておけば」とか「投薬治療で発達なんか治るのになんで病院行かないの?」とか神の目線から正解を知ってる状態での返答するから底辺ゴミのような存在増田たちが憎しみを募らせるんだと思うんだよな

まずそう言うゴミみたいな底辺ってその情報までアクセスするっていう工程知識無視されてるから実情と程遠くなる、親だって似たようなガイであることがほとんど

事実上知識もない貧困層がどうやって国立とか事実上学費タダになる申請方法とか防衛大に行っておくって選択肢が思い浮かぶんだよ、すごく医学進歩して発達だって投薬でほぼ完治できるなんて情報に触れられるんだよ?

それこそ日がな一日はてなに張り付いてる低脳先生予備軍みたいな社会不適合者の増田たちが喚く「教師が教えろ、周りが教えろ」って発想は、コジキ根性丸出しじゃなくてそれ以外に方法がないから叫んでるんだよ、彼ら彼女らって

でも実際そんなアティ先生やぬ〜べ〜みたいな素晴らしい教師

ドクターKみたいになんでも教えてくれるスーパードクターなんてそうそういるわけないわけで

ネット毎日見てるのはなんのためだ?とか彼らにとってはそりゃ侮辱や見下しにしか聞こえないんだよな結局

ネットの発達で独学でも一流になれるとか夢見たいな寝言ほざいた結果が絶望的な教育格差によって会話が成立しないほどの地力の差が離れていくなんて

底辺増田たちはネットない時代の方が幸せだったんじゃないかなぁ

2021-10-04

anond:20211004141234

進学校にもカスみたいな人間いっぱいいたなあって思って頭のいい集団でも人格正規分布なんだなあって笑った

回避性パーソナリティ障害なのではと感じている

30代男性です。

本を読んで「これ、自分じゃないか?」と思った。

 

そんなレッテル貼りをしたところで何も変わらないんだけど、最近なんか息苦しくて、この生きづらさに理由がほしい。

 

思い当たる過去の行動を挙げてみる。

中学時代

テニス部顧問から「強化リーグ出てみないか?」と誘われるも断る。

夏休み一定回数プールに行かなければならず友人を誘うが「もうクリアしてるから行かない」と断られ電話先で絶句する。

・中3夏の高校受験模試商業高校はS判定、進学校はB判定だった。塾講師に「進学校も十分狙える」と言われるも商業高校に進学。

 

高校時代

メール告白されたが返信しなかった。2週間ぐらいして、その子クラスメートに責め立てられ渋々お断りメールを送る。

反抗期が無かった。

 

大学時代

電気料金の支払いを放置して電気が止まる。

・親とのメール電話がなぜか敬語

ひとつ上の先輩となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。友人宅にいたところを突撃され別れを切り出された。

・同学年の子となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。自宅で寝坊したタイミング突撃され別れを切り出された。

インターン先の大手SIerから採用試験の案内電話がくるも運悪く取れず。1次面接免除&志望度高かったはずなのに折り返さずに選考不参加。

大学時代の後輩となあなあに付き合い出す。PHS契約するも自分からは全く電話しない。

 

社会人以降】

・↑の後輩と遠距離恋愛となるが、自分からほとんど電話しない。そして別れを切り出される。

合コンで連絡先を交換した子から遊びに行こうと連絡が来るも、返信せずに終わる。

・現妻(お互い社外人)となあなあに付き合い出す。

プロポーズを実行しようと奮い立つも、部屋でボソっと「結婚しよう」と言うだけ。ノーサプライズ。その後具体的なアクションを起こさず、痺れを切らした妻に促され両親に挨拶に行く。

業務上電話秘密にするようなことでもないのに、周りに話声が聞こえていないか気になる。毎回ではないが、気になりだすと止まらない。

転職面接内定辞退を繰り返す。将来に危機感を抱いての行動だが、いざ内定をもらうと新しい環境ビビって撤退している。

・そして転職したいことや内定もらったことを妻に相談できない。

 

【その他】

・とにかく電話が嫌い。何をするにもまずWeb手続き、問い合わせができないか確認する。

・道を歩いていて向こうから知り合いが来た時にドギマギする。

・友人と歩いているときに、別グループの友人と会うとめちゃくちゃ居心地が悪い。

 

こうして振り返ると、どう転んでも幸せにはなれなさそうな人生だなぁ。

 

ただ、本で紹介されてるような酷い家庭環境では無かったし、成人期迎える頃には寛解することが多いらしのに、むしろ最近になって気になりだしたから、ただのクズなのかもしれない。

2021-10-03

性欲を無くしたかった

それこそ小学生のころから性欲が強かった.頭の中はエロい妄想ばっかりの青春だった.

笑い事に聞こえるかもしれないが,ずっと苦しんで,悩みつづけていた.とくに女性を無理矢理襲うような妄想に興奮し,いずれ自分が実際にそうしてしまうんじゃないかととにかく怖かった.胸や尻をついつい見てしまって,そういうのはいけないことだとわかっていたから,とても自分が嫌いになってしまった.実際の女性に対して手を出してはいけないと自制して,それが実際の女性に対する恐怖にかわり,本当の女性とはかかわらないままずっと彼女もできず,今も独身童貞のままだ.風俗も考えたが,1回でもいけば自分ストーカー化しそうで怖くいったことはないままだった.妄想現実は違うことをわかっていても,自責の念をうんだ,

性欲が勉強邪魔もし続けた.すぐに集中できなくなって,でも毎日何回も自慰ができるわけではなく,1回でも抜いたら体力を失って,その後は寝てしまってなにもできなくなるような人間だった.去勢たかった.進学校だったのもあって,とにかく受験邪魔で,性的なことへの嫌悪と同じくらい,集中できないこともいやだった.誰にも相談できなかった.今から思えば,体育会系的,ホモソーシャル的なところに属し考えが普通である思い込みミソジニーマチズモ内面化できていれば自分幸せになれたと思う.でもコミュニケーション力も人並み以下であり,ナヨナヨとした人間で,上手くはいかなかった.

大学に入っても変わらず,これだけが原因ではないがコミュニケーションに失敗して友達もできず,鬱になった.性欲だけはなかなか消えなかった.性欲に苦しみながらも勉強はして,なんとか卒業し,なんとか社会適応して生きてきた.加齢に伴い性欲が少しずつ減ったことで,ある程度自分を受け入れることは出来た.女性は怖く恋愛経験もなく童貞のままだが,女性を憎んだりはしないでいられた.むしろ自分男性性を否定するからか,フェミニストよりな考え方になった.

ところが,最近睾丸病気になり,どうやら男性不妊になった.性欲が激減し,ほぼ勃たなくなった.

そうすると,世界が前よりもクリアになった.余計な考えが邪魔をすることがなくなった.やっと人生に向き合える気がしてきて,とてもうれしく感じている.

うちの母親、軽めの毒親だったかもしれない

社会人になるまで部屋の隅々まで掃除してもらってた(めちゃくちゃ嫌だった)

・いとこ(イラストレーター)みたいになるな、公務員になれって言われてた

・当時の偏差値からは無謀なレベル進学校を受けるよう泣きながら勧められた

新卒で入った大企業辞めるときに「人生終わった」って言われた

・お母さんが好みそうな服を選んで着ていた

・私の悩みごとは無視してテレビを見てた

・私が体調を崩すと「具合悪いアピールやめろ」って言われてた

多分まだいろいろあるんだけどこれくらいは普通範疇かな…

2021-09-28

ガチャという言葉が嫌いだ

僕は親ガチャという言葉が嫌いだ。

だが、だからといって親ガチャという語が内包している階級固定化格差問題否定する気はないし、寧ろそれらは問題であるとさえ考えている。

しかし、個人的感情からこの言葉は好きになれない。

世間一般的には僕の家庭は経済的には恵まれている。父親大手に勤め、兄弟2人とも首都圏中高一貫私立から難関国立大学に進学した。

これだけを見れば親ガチャに勝ったのだといわれるだろう。

だが、僕達兄弟の親は所謂低学歴教育ママと無関心の父親”だった。“低学歴教育ママ”のデフォルトである束縛は勿論、それに加え暴力もあり、僕の体には未だに刃物の傷が残り、弟も親に殴られ骨が折れたことがある。

それに加え僕個人としては、「あなたは〇〇なんだから黙っていなさい」と中学時代母親に言われたことが子供ながらに心に来た。

これは国内有数の進学校入学していた弟に対して、中堅進学校に通っていた僕に母親が放った言葉だ。

多分自分で考えているよりもこの言葉より強烈なもので、それからは親に対し面従腹背で何を言われていてもヘラヘラするようになったと思う。

それなのにそれ以上酷い状況に追い込まれのが怖くて、いつもビクビクしながら親の顔色を伺い、先回りしてよく家事などをしていた。このような生活が続く中で、精神は摩耗していった。

だが大学入学一人暮らしをするようになった。一人暮らしは本当に精神的に楽で、そこで一時期は“毒親”といった言説にハマったりもした。(今はある程度は抜け出せたと思いたい)

途中から気持ち悪い唯の自分語りになってしまっていたが、要するに言いたいことは、一部分だけを見て“親ガチャ”という言葉を使うのはあまり乱暴ではないかということだ。

ガチャという語が内包する、階級固定化格差毒親などの問題をそれぞれの問題として本来捉えるべきであり、親ガチャといったような雑な言葉を使うのではなく(雑な言葉であるから使われているというのもあるが)、より問題を明確にすることで解決の糸口も見えてくるように思える。

またそう考えないと、自分にとっての地獄であったあの中高時代をまるで存在しなかったようにされているようでやりきれない気持ちになる。

2021-09-21

anond:20210921222129

まともに部活やるような層であれば、ほぼ大学慶應義塾高等学校塾高)と部活交流あるし、遊んでばかりの帰宅部合コンしてるから田舎進学校(実質男女交流なし)と比べたら全然まし。

しかも、慶應の中でも親金持ち率高い。

幼稚舎から上がってくる奴、中高受験で入る奴と、男子以上に偏差値いから、親がしっかりしてるからそれなりのが多いし。

anond:20210909210614

死んだばーちゃん戦前女子校出身だったけど、昔の女子高校』って、進学校というよりは実業高校みたいなタイプの「大学に行くのを前提とした」ほうが少なかったんじゃねーの?で、戦後になって、それが変わってしまったというか。

2021-09-20

anond:20210920123745

一応進学校行ってたけど定期テスト文章量が多くていつも間に合わなくて75点しか取れなかったわ。俺ガイジなんか…?

2021-09-18

貧困家庭ほとんど選択肢がない人生だった

小中学生とき学校必要ものは、いとこのお下がりばかりで新しく買うなんてことがなかった。

自分のものだけ色褪せていたり、デザインが一昔前のもの子供ながらに引け目を感じていた。

みんなが持ってるゲーム自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、

何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。

高校の進学先を決めるときには、公立しか選べないのはもちろんのこと、進学校かどうかではなく就職率が高いところを選ばなければならないような感じでしか決められず、

勉強を頑張ってきたにも関わらずランクを下げての進学になってしまった。

もしも余裕のある家庭だったのなら、ちゃんとした進学校に通って、ちゃんとした大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。

就職してからは、同じ仕事でも大卒の方がお金が貰えてたり、出世コース高卒だと限られたものしかないように思えた。

一向に生活はよくならないし、幸せな家庭を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。

ご飯毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。

でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。

もう消えてしまいたい。

2021-09-13

anond:20210913131754

別学の進学校出身40代だけど

単に別学なだけじゃなくてはっきり「志望大に受かるまでは恋愛禁止」って言われてたなあ

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