はてなキーワード: 進学校とは
そういう裏ワザを知ってて使ってるんだよw
なんで「わかるだろ」と言ったかというと、九州と関西の学校ばっかりあげた上に、鹿児島くらいでしか知名度の無い純心や長崎ローカルの海星や京都ローカルの洛星を挙げてあるから。
お前はこれだから彼女を作るのに苦労するし、嫁さんともケンカになる。同レヴェルの話できる女を作るには進学校行かなきゃ無理だゾ
皆もそうだと思うけど、中学生卒業までは1分も勉強しなくたって、90点以下とか取る方が難しいじゃん?無理に勉強する必要なんかないと思うんだ。
首都圏に住んでいて、中学受験の娘にどちらがいいのか考えてる。
中学共学、高校別学(またはその逆)という人はいるが、中学や高校で共学と別学の両方にたとえば1年以上通った人はほとんどいないので評価が難しい。
別学の中学に入ったが1~2年通ったあと事情で共学校に転校したというような人の話を聞きたい。
そもそも公立か私立か、進学校かどうかでも変わってきそうだし校風や本人の性格にもよるだろう。
結局人それぞれということになるのかもしれない。
女子校は異性の目がないため自立心が育まれ抑圧が少ないのがよさそう。(重い荷物を運ぶのを頼める相手がいないので自分で工夫する、変人が排除されない傾向)
共学校は最低限の免疫がつきそう…?(夫婦そろって別学なのでよくわからない)
共学に行った人に、別学よりいいところを挙げてもらいたい。
anond:20210910013227は共学に行ったが女子校がよかったという。
現代において共学を避け、男女別学の学校に行くと計り知れないデメリットを受ける。
まず、恋人ができない。まあこれは別にいい。所詮確率の問題なので共学に行けば必ず恋人ができるわけでもないし。
在学中に問題になることはまあない。が、卒業した途端ヤバいことになる。
ちょっとこの人変わってるな、ちょっと変だなと思った奴の女子校率100%。
こうなる。こうなってしまう。
あの眞子さまだって共学出身ならあんな男にあそこまで入れ込んで駆け落ちすることもなかっただろう。
あるいは逆に学生時代の抑圧の反動からホストに狂って風俗堕ち、風俗にハマって借金、円光に手を出して逮捕のパターン。
どちらか、だ。
①中学受験
もう後がないと言う試験でゾーンに入り奇跡的に難関進学校へ合格。
鉛筆の音ふくめ周りの音が一切しなくなった。
存在をわすれていた4000字×2本のレポートをゼロから10時間で書いた。飲まず食わずで気づいたら夜だった。
当時の先生が鬼のように怖く、一音でもミスれないという状況。極度の緊張状態で頭が真っ白になりそうだったが過集中に入って気がついたら弾き終わっていた。
優勝したが先生が怖すぎてやめた。
④就活
どうしてギリギリにならないとやれないのか流石に鬱になりそうだった。エントリーシートは全会社通ったが面接でほぼ全て落ちた。
⑤卒論
計画性とかあるわけないんだよなぁ
⑥単位
193単位取らなくてはならなかった。
過集中だけは自信があったのでまあやれるだろうと思い教務課の反対を押し切って履修した。
2週間で13本くらいレポートを書く羽目になったが過集中を使えば楽だった。
⑦マフラー
冬休みの課題だったがコツコツ編むなど無理だったので、10時間ほど飲まず食わずで編み続けて完成させた。
中学時代の成績はオール5、高校は地域の進学校、大学は早慶、入社した会社は大企業。
人口5万人にも満たない田舎で、中卒の父から生まれた身としては頑張ってきたつもりでした。
でも、入社2年目からうつ病を発症し、抗うつ剤や発達障害の薬を飲みながら仕事をし続ける
日々を送るのが辛くて休職すればよかったのに、転職活動をして、転職エージェントに乗せられる
がままにコンサルに転職して更にメンタルを悪化して短期離職となり無職になりました。
この間実家では、兄がずっとニートをしていて、母親は3年ほど前に振り込め詐欺で1000万
騙しとられてたからずっとメンタルを壊していたのに、自分は何もしてあげられなかった。あげく自分が
転職に失敗したことによって、将来に絶望した父は自ら命を絶ちました。
自分はもう今年で30。職歴も経歴もボロボロ、何のスキルも身についてない、おまけにうつ病
持ち。どこも採用なんてしてくれません。まともな社会はもう受け入れてくれません。
自分が昔通っていた高校は、地方のトップ進学校でとにかく自由だった。髪型や服装を始めとした校則なんて無いに等しかった。それでも勉強、部活動を真面目にする空気というのが保たれていたのは、入学当時に自由には責任が伴うよと先生に口うるさく言われたからだと今になって思う。各々が自分の属する小さな社会のことを考え、全員がルールを守っているからこそ行使できる自由。何が起こっても自己責任ではあるが、その責任を取るのは個人ではなく自分たち学生全員であるとよく皆が理解していたと思う。自分自身のためではなく、集団のためにルールを守る。生活していて非常に気持ちが良かった。
コロナ禍における日本と他の国の対応の違いを見ていると、日本は非常に自由だ。その自由がなぜ成り立っているのか、よく考えた方が良いと思う。
今日、緊急事態宣言下で行われた音楽フェスの様子をSNSで見た。ルールを守る他の国民の自由が侵される日も遠くないかもしれないと思った。
俺は反抗期なかったわ。
昔から自分のやりたいことやら主張やら趣味やらを人に知られるのがなんとなく嫌で、ならそういうものを持たなければいいと従順なフリをしてた。
勉強も結果がニートじゃ意味ないがまぁやるにはやったし、進学校→地方国立ならまぁ最低限くらいの頑張りはしたんじゃないかなと思う。
部活も小中高あんまり好きじゃなかったけど続けたし、大学時代はサークルもちょくちょく顔を出していたし4年近くバイトも続けていた。
引きこもりがちだけど普通に外に出れるし店員と会話できるし友人に誘われれば遠くに遊びに行くこともできるが、自発的な行動がとにかく面倒で仕方がない。
大学出るまで自己主張を禁じるような風潮やら価値観やら大人に囲まれて、いざ働くとなると面接などで自己主張をしなければ職に就けないってバグだろ。
「そういうの誰に言われたの?親?先生?」とかよく訊かれるけども、誰に言われたかなんて重要じゃないと思うんだ。
鬱病とか精神病とかの類ではなくただただ学生時代からずっと内に篭りがちのニート気質だったのを誰からも咎められず、いざ出荷という段に至った際にそれが表出したにすぎないんだと思う。
「やりたいことはないの?」
中学2年生のとき、優しかったのにだんだん豹変していった父は破産して消えた。
小学校卒業くらいまでは、工場で働く薄給の父と夢を追う専業主婦だった母のもとで豊かではなかったが兄弟と一緒に愛されて育った。小学校高学年になって三兄弟になり、小さい公営アパートが手狭になったので家族で新築に越した。田んぼ広がるド田舎の、小さい町の中での引越しだった。そこから全部が変わっていったと思う。
幼稚園の頃に高い遊具から下りるのを怖がる私に、「俺が死んでも受け止めるから安心して降りてきな」と私を受け止めてくれた優しい父はいつしかたまに容赦ない暴力を振るうようになり、夜は帰ってこなくなり、身なりはどんどん派手になっていった。そんな父を見て、子供の前でもなりふり構わず自殺未遂を繰り返す母の姿を幼い弟に見せないように頑張って守った(つもりだったが、最近弟に聞いてみたらバッチリ覚えていた)。
ある日父は全く帰ってこなくなり、突然住んでいた家を追い出されることになった。父が破産したと聞かされた。当時高校1年生、破産の意味はよく分からなかったがとりあえず母の知り合いが倉庫に使っているという今にも壊れそうな「かろうじて」一軒家に越した。踏切の近くでいつもうるさかった。
「鬱は甘え」と思い込んでいる、ド直球に鬱病を患った母はベッドから動けなくなった。ベッド脇にはいつも首吊りの縄が吊られていて、踏切に飛び込もうとする母を兄弟全員で羽交い締めにして家に引きずり込むことすらあった。
学校はパワハラが横行する自称進学校で、勉強しないできない者に人権がないレベルの病んだ所だった。未だに高校の時の同級生と再会するとあの場所の凄まじさが1番の話題になる。
そんな毎日を過ごして、私も鬱病を患った。母と同じようにベッドから動けなくなり、死ぬことばかり考えるようになった。その時の記憶が曖昧になってしまっているが、弟もそういう様子だったと思う。家族全員がそうなってしまって、もちろん家にはお金がなかった。最近母に聞いてみると、祖母にお金を借りて何とか生活していたらしい。
ある日、母が「明日の米がない」と泣いた。母はご飯だけはなんとか作ってくれていた。もうそれを見て情けなくて情けなくて、私は出会い系アプリを使って援交しせめて自分の食費は自分で持つことを考えた。処女だったので、小学校の時に使っていた縄跳びの持ち手を使って体を使えるようにして、早速中年の男性と会った。それを繰り返して自分は外で食事を済ませ、パンなどのすぐ食べられる食料を買っておいてそっとリビングの卓に置いておいたりした。
ある日しばらくぶりに顔を合わせた母を見て、なんとなく綺麗になった気がした。言いづらそうに、全身の医療脱毛を始めたと言われた。
全身の医療脱毛は40万もするという。そのお金で私や兄弟が食べられたんじゃないの?一体お金の出処はどこなの?地獄に突き落とされたような気分だった。同時に、顔立ちがよく女として魅力的な母は、私たち子供がいなければ気兼ねなく美容にお金を使って人生を楽しめたんじゃないかと思うともうどこにも自尊心はなくなった。その次の日私は中型犬用のリードを使って(確か完全自殺マニュアルかWEBか何かに効率の良い自殺はそうだと書いてあったから)、首を吊った。死ねなかった。それから嫌なことがあると首を吊る習慣がついた。ドアノブ吊りではなかなか死ねない。死にたいのに死ねない自分がダサくて余計に情けない。死にたいのに異様に腹が減って、援交して得たお金で過食を繰り返した。死にたいのに食うのか(笑)と自嘲してまた首を吊った。体重は身長下2桁+20Kgを超えたのに、そんな醜い体を買いたがる中年男性も、そうして体を売る自分自身も気持ち悪くて仕方がなかった。
もはや記憶が無いに等しいがなにかのきっかけで私は何とかしなくてはならないと急に思い立ち、ダイエットのために絶食し(極端だ)、朝起きて夜眠ることを心がけた。色々あって今は関東の大学を卒業し、学費と生活費を兼ねて借りた700万円の奨学金を返すべく働いている。今は元気でそこそこ幸せに1人で暮らしている。
当時の自分を抱きしめて、コンビニのご飯じゃなくてちゃんとしたご飯を適量食べさせて話を聞いてやりたい。居場所はどこにもなくても生きていていいんだよと教えてあげたい。
世の中頭で考えた方がいいことは多いけど、頭で考えない(身体性や突発性的案件)ほうがいいものってあるじゃん。
拙速をたっとぶという言葉がある通りスッと動いた方が総合的にみて良い場合がある。
経験を積んで時と場合により使い分けたりブレンドさせて振る舞った方がいいんだけど、進学校出身のやつって頭でばっかり考えて勝手に可能性を想定しすぎてプレッシャーに押しつぶされてない?
例えば明日朝イチでメール見てから判断すればいいのを、前の日の晩に想定されるメールの内容と対応を何パターンも考えすぎて寝不足になるようなやり口で仕事するやつ多くない?
他にメールの内容では、何度かやり取りする中で意見のすり合わせを微調整していくところを一発で細かく正確な表現を決めようとして失敗してない?
だからこそ一発で決めないでやり取りの中で方向性を互いに掴んでいくべきなのだが、頭の中で完璧や理想を考えてばかりで、簡単なメール打った方が速いということに気付かない奴が多い。
← これは確かにそう。通っていた高校(県立進学校)の教師たちの大半には参った。知的レベルとかの点で。まあ、立派な先生たちもいたけどね。
僕の父親も大学教授だけど、地方の旧帝大を出て地方の国立大で教えているが、正直言ってあまり頭がいいとは思えない。単純な頭の良さでは僕の方が上。(地方大にも凄い人達も勿論いるが)
さすがに旧帝大レベルだと教授のレベルも凄いと思う。本当にビビるレベルの教授たちがいて怖いくらい。
あと、学生の平均レベルが高いし、僕もやっと居所を見つけた感じ。話の合うやつが見つけやすくて気が楽。(特にサークル仲間がそうなので良かった。まあ、そういうサークルを選んで入ったわけだが)