はてなキーワード: 連帯責任とは
立憲が政権とったら間違いなく共産党に都合の悪い政策を実行したりするよね
そのときにどうやって支持してもらうんだ?
ドラえもんに、のび太がひみつ道具に頼ってテストを切り抜けようとしたか何かで、最終的に自力で対処することにしたのか、ママに「30点も取れたの、よかったわね」と褒められておしまいというエピソードがあった。もう細部はだいぶ忘れたのでこんな書き方になってしまうが。
これはしばしば言われる「他人と比べるより過去の自分と比べよう」を想起させる。他人、まあ当然のように100点取ってそうな出木杉あたりと比べりゃ30点なんぞハナクソみたいなもんだが、0点コレクターののび太にしてみりゃ自力で30点取ったのは大したものであろう、そりゃ。かくて彼の自己肯定感が育まれ…
イヤ、でも。そうは言ってもお前30点だろ。親子してそんなんで喜んでる場合かよ。
俺はこのエピソードをそのようにしか受け取れない。中学受験のため小学校生活の後半を進学塾通いに費やし、成績が悪いと連帯責任でクラス丸ごと正座で授業を受けさせられ、さらには講師から帝國海軍の甲板整列よろしくケツバットを頂戴仕り、苦労の甲斐あって入学した進学校にも学内の成績によって歴然たるカーストが存在しており、定期テストで30点にも満たないような赤点を叩き出したりと底辺に甘んじた俺はやはりハナクソのような扱いを受け…という、曇りガラスの十代であった。常に他人との競争であり、成績上位の者が勝ち組で、最終的に東大や地元の旧帝大合格者こそが価値ある生徒だった。過去の自分との比較などに甘んじる余裕はどこにもなかった。
まあそんな自分語りはどうでもいい。いくらね、当社比で成績向上したといってだ。常に他人と比較「される」のだよのび太くん。自力で30点も取れたぞ、なんてのは自己満足もいいところなのだ。シャブ中が壁に向かって「俺かめはめ波撃てるぜぇ」とヘラヘラ笑ってるのと変わらんのだ。
3年前、世間一般にはメーカー系SIerとして知られている会社を退職した。ただ俺のポジションはパッケージソフト開発であり純粋なSIerとは異なる。
客ともSEとも会話せず、ひたすらドキュメントとプログラムを書く部署だ。といっても別にペーペーではなく主任クラスであり、
会社の業績がとてもよかったこともあり年収は1000万弱はあった。35歳。
これだけ見るととてもいい待遇に見えるだろう。でも耐えられないことがいっぱいあった。
Linuxで動くアプリなのにVMを動かすのも苦労する8GBしかメモリのないWindows PC、紙にコードを印刷して説明しないと納得しない品質保証部、
手作業で実施しExcelにチェックを付けていくテスト、jquery一つ使うのに3ヶ月かかる承認フロー、開発中にバグを一つ出すごとに
ひたすら反省文を求める品質保証部と一緒になって詰めてくるマネージャー、常にコンパイルできないtrunk、
Java 5の時代から進化しないコード、使いにくい社内ミドルウェアの利用を強制される設計、開発期間の半分以上を占める最上流設計、
一旦書いたコードは消してはならずコメントアウトしないといけないコーディング規約など、数を上げればきりがない。
色々改善活動を頑張ったものの、結局Subversionの導入も品質保証部がついていけないから、ということでClearCaseといわれる
今ではほぼ誰も使ってないであろうバージョン管理ツールが使われ続けることになった。使いにくい社内ミドルウェアは
研究所がその道のプロと聞いたので一緒に改善を図った。そしたらRubyしか書いたことがない文系新卒の子が出てきた。
一応研究所の人だし…と思って新バージョンのプロトの開発を依頼したら、1分以上稼働できない状態になって出てきた。
研究開発は準委任相当なのでそれ以上修正を依頼できずに期間が終わった。
また前の会社独特の文化として、大きなバグを出した開発者の反省会(社内ではとある固有名詞で呼ばれている)があった。
この反省会のターゲットになった開発チームはその資料準備で開発が1〜3ヶ月ほど止まるほど大掛かりなイベントだ。
このとき、担当の品質保証部は「連帯責任だから」という理由で資料レビューに大変な精を出す。余計なお世話だ。
このため10〜20ページほどの資料を毎週レビューにかけて最高のものにしていく。でも結局本番では幹部からの怒号が飛んで終わりである。
連帯責任とかいっていた品質保証部は幹部と一緒になって詰めてくる。連帯責任ではなかったのか。
幹部によると、この反省会があるから今の会社があるんだそう。これを経験して一人前らしい。
こんな感じで開発の体制はひどかったが、世間一般ではホワイト企業と見られている通り有休は取りやすかった。
そのため、転職活動を始めた。そしたらなんと「メモリ32GBのマシン」「mavenが気兼ねなく使える回線」「自動テスト」
「GitHub」「CI/CD」 という発言がポンポン出てくる。メルカリだのGoogleだのといったイケイケWeb系ではなく、
いわゆるSIerでもだ。最初は何だこの格差はと思ったが、まぁ営業トークなんだろうな、と思い直した。というわけで
イケイケWeb系も内定は出たものの、つい安定をとってしまい某大企業のDX系の部署に転職した。
そしたら何だこれは。最高スペックのMacBook ProからGitHubにpushするだけで自動デプロイで即サービスイン、
問題が発生したら社用携帯に通知が飛んできて、クラウド監視サービスでログをチェック、即修正即デプロイ。
社内の連絡はSlackで、スタンプを押せばIssueがたち即関連部署が対応に走る。OfficeツールはGoogle Docsで、
計算表はちゃんと表として使っている。開発者はちゃんと開発をしており、反省会の準備や品質保証部の接待なんて業務はなく
純粋にエンドユーザーだけを見ている。ここはなんて最高の環境なんだと歓喜した。また個人的にはおまけ程度であるが、
年収は30万ほど増えて大台に乗った。
さて、それから3年がたった。人間というのはいい環境になれると対して喜びを感じなくなる、というのはそうだと思う。
今では別にdeployブランチにマージされたらCIが走って自動でテストが走りデプロイされるのも、だから何?
って感じだしまぁ普通の仕事として淡々とやっている感じはする。待遇面で悪化した点もちらほらあるし
(例えば年間休日が5日ぐらい減った、残業が月5時間ぐらい増えたなど)などもある。
ただ一つ言えることは前の会社には戻れないな…ということである。人間一度生活レベルを上げてしまうと下げるのは
ただ、一つだけ今の会社に転職してよかったと感じ続けられることが一つある。それは人だ。
前の会社では家でプログラムを書いているなんていった日にはおちょくられたり、人生楽しいの的な目で見られたりした。
芸能人とゴルフの話ができないとコミュ障扱いされた。そのため仕事の話はしても、飲み会にはできるだけ行きたくなかった。
でも今の会社では雑談としてFastlyが落ちても大丈夫なCDN構想とか、AtCoderの話をして盛り上がることができる。
ダイバーシティなんていうが、人間は所詮同質な人間同士で集まったほうが快適なんだな・・・という複雑な思いを抱いている。
皆さん読んでくれてありがとうございます。いくつか質問が出ているので答えられる範囲で答えます。
真面目な疑問なんだけど、Java5のコード書いてる人を1000万で雇う会社があるの?どういうモチベーション??
製品自体が90年代から脈々とバージョンアップしている企業向けのソフトウェアなので、コードベースが古いというのがあります。
またユーザーからすると中身がJava17だろうがJava5だろうが関係ないわけで、要は業務が滞りなく進めばよいわけです。
そのため昔から受け継がれたスパゲッティコードを地道に解き明かし、新しく出てきた要件を今までのコードベースを壊さずにバグなしで追加していく、
もとからあったバグについては、その他の数百万行のユニットテストもないコードに影響なしで修正を施す、といった技能が必要になります。
こう考えると意外と希少なスキルなんだな・・・と思えるかもしれません。
clearcaseよりもsubversionの方が100億倍導入も運用も簡単だと思うんだけど品管どうなってんの?
ClearCaseご存知な方がいるんですね!一から作る製品だとSubversionのほうが簡単かもしれません。ただ、ClearCase専用の
社内ツールがいくつかあり、そのツールで出力した情報を社内資産として持っているという理由があったりします。
例えばお客さんから「この機能がバグってるっぽい」というクレームを受けた際、その機能周辺の情報をそのツールから検索し、
コードレベルで再発防止策を関係部署総出で練った上でお客さんに回答する、という運用フローになっています。
そのため、Subversionに変えるためには開発陣の一存では無理で、品質保証部やマネージャー層など全ての知識のアップデートが
必要になり、そこまでコストをかけて説得して回る必要はあるのか・・・という話になってしまうわけです。
ただ、社内の生産性を向上させるのが目的の部署としてはSubversionやGitを社内に浸透させたがっているのも事実で、
新規プロダクトなんかはGitを使っていました。ただしGitHubはプロキシでアク禁されているだけでなく、サービス名名指しで使用禁止
になっているので、相当の理由がない限り使えないかと思います。
主任クラスでも1000万円近くもらえるのか。すごい。
1000万という数字に興味のある方が多かったので参考までに書いておくと、等級ランクというものが存在して管理職を除く最上位のランクに
なると2人の子持ち、賃貸住まい、標準評価で大体900万になるという感じです。年功序列だが部署ごとに違うというイメージで、
研究所だと20代で到達する一方、利益を上げていない事業部や間接部署だと定年間際まで到達しない人も多い、ぐらいの感じです。
平均では30代中盤ぐらいでしょうか。
ちなみに私の場合は基本給は33万程度ですが、そこに裁量労働手当と住宅手当、家族手当がついて月給で50万を超えるぐらいでした。
ボーナスは個人評価よりも部門業績に大きく左右されるのですが、部署が最高評価の場合は夏冬とも150万以上でした。
最後の最後のダイバーシティについては、ダイバーシティを勘違いしているように思う
まあそれはそうなんだろうが、濃厚接触者特定はある程度特定可能で学生全体で白黒散らばってるはずなのを一括で700人待機(自治医大の全学生数よな?)させてるのは連帯責任メソッドの気がしてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yuruhuwa_kdenpa/status/1397921768740835340
これ。
「学生は大学生にとってお客様」「学生は大学に金払ってる側」みたいなクルクルパーマ頭発言が目立つけど、自治医大って防衛大学と同じく「学費無料、給料も出る」ビジネスでやってる大学じゃねえぞ。
それに今回コロナ感染者が出たから寮内の人間が外出禁止になってるんだろ? これはただの「連帯責任ペナルティ」じゃん。
不条理なのはそうだしいわゆるパワハラではあるが根本的には意識が成っていないものがいたことに無関心であったことに対しての去勢だろ。
というか軍隊とニアリーイコールの組織なんだからこの対応が悪手でもなんでも何でもない方が良いだろ。
つうかこのメールを報道機関に送ったやつこそ賊軍的な扱いしなきゃいけないんじゃないのかね。医者には守秘義務あるんやで? (このケースが守秘義務に該当しないかどうかの判断は結構センシティブだぜ?)
中学時代、下着の校則違反を数えて、体育祭の得点から減点するという「伝統」があった。
悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。
違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ。
赤組・白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。
もちろん、これに反抗する生徒は多かった。
二年生のあるとき、体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度はおかしいという話になったことがある。
やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。
いま思えば、先生自身もこの制度はおかしいと思っていたのだろう。
しかし、新人の立場ゆえ学校の方針に逆らうことはできなかったのだ。
すこし黙って考えたあと、彼女は落ち着いた声でこう言った。
端的にいって、先生は毎日のようにエッチな下着を履いていたのである。
赤、ピンク、紫、Tバック、紐パン、ハイレグなど、色とりどりの大胆な校則違反によって、いままでにない大規模な減点が生み出されていった。
そして私たち生徒は、その集計に追われる日々を送ることとなった。
集計にあたっては、色や形状など要素ごとに配点が決められていたので、その日の下着をよくよく調べる必要がある。
たとえばレースの場合は1ひだ5点の設定なのだが、先生は前後に幾重にもレースの連なったピンクのパンツを履いているときもあって、それを数えなければならない。
このときは最終的に84ひだで420点に決まるかと思ったのだが、その後ピンク色は減点2倍だというルールの存在が判明し、結局840点という結論になった。
こうして、体育祭を迎えるころには、16450点という天文学的な減点が積み上がっていた。
さて、ここで問題になるのが、私たちの先生は赤組・白組のどちらに属すかという問題である。
この中学では、体育祭の当日まで、先生たちの赤・白は決まらないことになっていた。
事前練習中の不公平感をなくすためか、最終種目である「教員リレー」のときにはじめて、赤・白がクジ引きで決定されるのである。
両チームともに熱戦を繰り広げ、お互い一歩も譲らない戦いとなった。
「教員リレー」の時点で、赤542点に対して白551点と、白組が優勢。
この種目ですべてが決まるのだという緊張感があった。
先生はどちらのチームなのか。
入場ゲートに全校生徒の視線が集まる。
そうだ。
それでも私たちは、落胆などしなかった。
「先生、がんばれ!!」
声援がどこからともなく起こり、増えていった。
それはやがて大きな波となり、校庭を包み込んでいく。
そうして積み上げられた16450点の減点。
こうやって先生が私たちに教えてくれようとしたのは、この校則の不条理ではなかっただろうか。
歓声の渦に包まれながら、先生は猛スピードで左コーナーを走る。
まさに瞬足だ。
……こうして赤組は「教員リレー」に勝利し、10点を獲得した。
しかし、不思議と負けた感じはしなかったことを、いまでも覚えている。
それから数十年、私もいまでは大人になり、日々エッチな下着を履くようになった。
そうですか。それでは過去にあなた方の遠い先祖の市民が住居の二階の窓から通りに向けてうんこやションベンの入った桶の中身を道路にぶちまけて通行人に臭い思いをさせてしまった責任を、今あなたが住んでいるパリの一市民としての連帯責任という形で、元増田に謝罪して下さい。
あなたならどうしますか?ある日突然24時間で300発以上のロケット弾がテロリストによって撃ち込まれ、愛する家族の命や、家を奪われたら。イスラエルにはテロリストから自国を守る権利があります。最初にロケット弾を一般市民に向け撃ったのは一体誰だったのか?私達の心はイスラエルと共にあります。
現職の防衛副大臣 中山泰秀(なかやまやすひで)氏は、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への空爆行為に支持を表明した。
多くの人にとって、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区の問題はニュースでちらっと耳にしたくらいだと思う。
確かに、イスラエル側の言い分を鵜呑みにすれば、パレスチナはテロリストで、イスラエルは被害者で、パレスチナ側がロケット弾を打ち込んで来るから反撃するのだというのは筋が通っている。
イスラエル支援国のアメリカの同盟国日本の防衛副大臣としては、「立場」を弁えた発言かもしれない(なお、政府見解は異なるのだが......)
だが、何故パレスチナがロケット弾が打ち込むのか、何故報復としてわざわざ空爆するのか、君は考えたことがあるか。
そして結論を言えば、イスラエルによる空爆を肯定するのは、ウイグル族迫害を、香港の言論弾圧を、ミャンマーの軍事革命を正当化することに等しいのである。
これを知っても、イスラエルは正義でパレスチナは悪だと思えるか。
現在のイスラエルを建国したのはユダヤ民族である。彼らは流浪の民で、民族固有の土地がなかった。安寧の地を求めた彼らの主張はこうだ。
「君の家は2000年前、俺の先祖が住んでいた土地に建っている!不法占拠者め!今すぐ出ていけ!!」
こうしてパレスチナの人々は隅に追いやられ、イスラエルが建国された。
パレスチナとイスラエル間で停戦条約が結ばれたこともあった(現在も本当は停戦中のはずである)。
その際、両者不可侵の境界線が引かれたのだが、イスラエルは入植・侵攻を止めることはなく、パレスチナの土地はみるみるイスラエルのものとなった。
そこに住む人々は住む家を追い出され、ガザ地区に身を寄せるか、難民となるしかなかった。
先に手を出したのは、どちらだろうか?
「ロケット弾300発」と聞くと、ああ何と恐ろしいのかと思うのかもしれない。
しかし、この「ロケット弾」はお手製工作レベルの代物であり、イスラエルの持つ最新軍事兵器とは天と地の差がある。
防御の面でも、イスラエルは「アイアンドーム」と呼ばれる最新ミサイル迎撃システムを備えており、万全の体制を立てている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Qassam_rocket
イスラエルは、これが撃ち込まれたからと、世界トップレベルの軍事力を持って徹底的に空爆するのである。
イスラエル側にロケットが飛んでくるという緊張感はほとんどない。境界沿いで、空爆されるガザ地区を花火感覚で楽しむイスラエル人が多くいるほどである。
(ちなみに、イスラエルは定期的に空爆を行い、それを「草を刈る」と比喩している。繰り返される”報復"の空爆は、彼らの想定内なのだ)
イスラエルは「ここにテロリストが潜んでいるかもしれないから」という建前のもと、医療施設の入っているビルや一般市民が住む地区でさえ無差別に空爆する。
「ここら辺にテロリストいるみたいなので、空爆して全員〇します。無関係?連帯責任っしょ」
「ははは、近くに住んでたなら仕方ないね」と君は許せるだろうか。
中山氏は、国際法違反を散々指摘されているイスラエルの軍事行為を肯定している。
少なくとも私の心はイスラエルと共にない。
私の通ってた中学校は生徒の起こしたある事件で生徒らがバッシングを受けたせいで10年ほど荒れたからね。真面目な生徒は荒れた雰囲気と連帯責任で怒られることの板挟みで苦しかったな。
加害者は被害者に謝り償うのは当然としてさ、その次に同じ中学校の真面目な生徒に対しても謝らなきゃいけないと思うわ。
加害者のせいで中学校に対して抗議やバッシングが多数来ているけど、その責任をまともに負うのは真面目な生徒もおなじなのよ。連帯責任で彼らは自分がしていない罪を負い償いをするの。それも今の生徒だけではなく後から入ってくる生徒も。それで学校が荒れると今度はそちらも対処しなくてはならなくなるの。加害者は同じ学校の無関係の生徒を生贄にするのよ。
私の中学校は生徒が誘拐殺人を起こして、犯人の情報が2ちゃんとかでバレてウチの学校の生徒が謂われなきバッシングを受けたのよ。それで学校が荒れてねそれは10年ほど収まらなかったと聞く。私は事件が起きてから4年後に入学したけども、本当に生贄にされている気分だった。学校が荒れてて気分はよくなかったし、その荒れているコミュニティに強制的に組み込まれているから連帯責任との板挟みで苦しかった。それで自傷行為をしたこともある。
その上で加害者に言いたことがある。・・・・・・加害者たち!あんたたちは同じ学校に通う生徒にとっての悪魔であって疫病神であって邪神なんだよ!!これから謂われもなき殺意を何百もの生徒に向ける殺人鬼なんだよ!!罪なき真面目な生徒に苦しみの理由を与えた大層な神さまだこと!!これからあんたたちはいじめ被害者だけではなく同じ学校というコミュニティに属する人間から恨まれるんだよ!!言っとくけど自殺はするなよ!死んで何とかなるほどの価値は無いからな!!同じ生徒の恨みを買って呪われ続けることによって初めてゼロから始まるんだよ!!・・・・・・・というのが、人を殺した加害者と同じ中学校に通っていた人間からの素直な気持ちだな。その気持ちは正直10年以上経った今でも忘れることが出来ない。加害者は同じ中学校の生徒に迷惑をかけているしそれに沈黙することは重罪であると思う。こっち(同じ学校の生徒)だってそのような苦労をせずに生きる権利はあったと思うし、あとからその意味をどうこう言われてもうるさいわとしか思えない。こういう放埒な迷惑と殺意を振り撒く犯罪者は磨がれた鋭いナイフのように憎んで初めてこちらと対等であって、こちらに許しを請うことすらも罪だと思う。だから加害者にはその辺の分をわきまえてこれから暮らしてほしいと思う。
加害者は被害者に謝り償うのは当然としてさ、その次に同じ中学校の真面目な生徒に対しても謝らなきゃいけないと思うわ。
加害者のせいで中学校に対して抗議やバッシングが多数来ているけど、その責任をまともに負うのは真面目な生徒もおなじなのよ。連帯責任で彼らは自分がしていない罪を負い償いをするの。それも今の生徒だけではなく後から入ってくる生徒も。それで学校が荒れると今度はそちらも対処しなくてはならなくなるの。加害者は同じ学校の無関係の生徒を生贄にするのよ。
私の中学校は生徒が誘拐殺人を起こして、犯人の情報が2ちゃんとかでバレてウチの学校の生徒が謂われなきバッシングを受けたのよ。それで学校が荒れてねそれは10年ほど収まらなかったと聞く。私は事件が起きてから4年後に入学したけども、本当に生贄にされている気分だった。学校が荒れてて気分はよくなかったし、その荒れているコミュニティに強制的に組み込まれているから連帯責任との板挟みで苦しかった。それで自傷行為をしたこともある。
その上で加害者に言いたことがある。・・・・・・加害者たち!あんたたちは同じ学校に通う生徒にとっての悪魔であって疫病神であって邪神なんだよ!!これから謂われもなき殺意を何百もの生徒に向ける殺人鬼なんだよ!!罪なき真面目な生徒に苦しみの理由を与えた大層な神さまだこと!!これからあんたたちはいじめ被害者だけではなく同じ学校というコミュニティに属する人間から恨まれるんだよ!!言っとくけど自殺はするなよ!死んで何とかなるほどの価値は無いからな!!同じ生徒の恨みを買って呪われ続けることによって初めてゼロから始まるんだよ!!・・・・・・・というのが、人を殺した加害者と同じ中学校に通っていた人間からの素直な気持ちだな。その気持ちは正直10年以上経った今でも忘れることが出来ない。加害者は同じ中学校の生徒に迷惑をかけているしそれに沈黙することは重罪であると思う。こっち(同じ学校の生徒)だってそのような苦労をせずに生きる権利はあったと思うし、あとからその意味をどうこう言われてもうるさいわとしか思えない。こういう放埒な迷惑と殺意を振り撒く犯罪者は磨がれた鋭いナイフのように憎んで初めてこちらと対等であって、こちらに許しを請うことすらも罪だと思う。だから加害者にはその辺の分をわきまえてこれから暮らしてほしいと思う。
今年中学になった子がいるが
・このデジタル時代にもかかわらず、相変わらずの教科書利権すごいな。「子どもには重い教科書を背負わせて成長曲線を緩やかに!かつ苦痛を味わせるべし!」みたいな二宮金次郎崇拝でもあるのかと思うレベル。
・宿題無理やりやらせてると本当に勉強嫌いになる可能性見えてます?(あっ、そもそも奴隷は勉強好きじゃなくてもいいのか)そしてスクールGIGA構想で一体何がしたいんすか?SDGs掲げてるんだったらもうちょっと多様的用途あるでしょ?(そうか格好だけでやってんのか〜現場大変だしね〜)
・人様の子どもに主観的な評価を下す内申制度、まだあるんですね?笑っちゃいます。
ここまで書いても腹立たしいけど、文科省と経産省仲良くやってるくせにこれは酷いわ。イーター計画やムーンショットなんかぶっ飛んだ構想掲げているくせにこれはあんまりじゃないの。相変わらずの「奴隷」教育。
考えるな!従え!!
そしてよき駒であれ!!
(我が子には、無理だとおもったら直ちに抜けろと伝えてある)
予想通りゆだぼんアンチ沸いててワロタ
・もっと真面目に言うと、支配構図が変わらない限り日本の公教育はまず良くはならない。これが分からないなら話にならない。おそらく大多数はこの話の意味すら分からんだろう。可能なら親(自分)がかけられるだけの金を子どもに投資するもよし、(但し将来見返りがなくても子どもを責めるなよ)支配構図の影響が出来るだけ及ばない生き方を模索するもよし。ちゃんと自分の頭で考えましょう。
「上の言いなり」なら何やらかしても許されるんですかって。
悪党を叩くために小悪党を持ち上げるのは時代劇の中だけにしておいてくださいよって。
そもそもあの件だって、騒ぎにならずに被害者側が泣き寝入りしてたら、あの学生だって何も問題だなんて思やしなかったでしょう。
よくやったと褒めてもらいレギュラーにも戻れて、卒業すればいいとこに就職もできて、もう人生万々歳。
たまたまああやって騒動になっちゃったものだから、にわかに「いや俺も被害者なんです」みたいなポーズを始めただけ。
冷や飯食わされたのならそれこそそんなクソな部活なんか辞める選択肢だってあったのに、相手ケガさせてでもレギュラーの座にしがみつくことを選んだのは、他でもない自分自身ですよ?
こういうの確かセカンドタックルとか言うんでしたっけ? 知りませんけど。
もちろん、一番悪いのが悪行を命令する側なのは確かで、逆らいづらい事情があったであろうことも別に否定はしません。
しかし、だからってやらかした奴の評価をマイナスからゼロに、しまいにゃしれっとプラスにまで持っていこうとするふてえ仕草は、当事者であろうと野次馬であろうといただけない。
「沈黙は加担」とか抜かすんならさあ、実際ドツいた奴の一体何が加担じゃないっていうんだよ。
だいたい「学生さんがカワイソウ」って言うなら、その前にパワハラのせいで辞めちゃって、しかも話題にもしてくれない学生たちの方がよほどカワイソウだろうが。
でもその時は気に食わないものを殴るのに都合がよかったものだから、責任を問うどころか「勇気ある学生だ!」とか賞賛する動きまであって、みんなして日大叩きの神輿に祭り上げちゃったわけ。
当時そういう流れに突っ込んでも、まともに耳貸してくれなかったけどな!
もうおわかりですよね?
自分の思い通りに使えるから、下っ端のアスリートを勝手に免責しようとする。
自分の思い通りに使えないから、下っ端のアスリートも連帯責任とばかりに叩く。
本当にこれだけ!