はてなキーワード: 聖霊とは
マク=ダーナルは、降誕《ヴァース》さ被るすべてのお客様に、いつでも最高の人間らしい食事試作型番を提供する「アギト」を目指していたとはな。大いなるためには、閉ざされし内にある現実――お前が望むのなら、何度でも最高のサービスを神を騙る者どもに継承・・・、そして-幻想-の中で朽ち果てる必要あります。かつての戦乱の時代、我々の一味マクドナルド=フォルケンへのウォキャクサ=メィ甲の期待はますますハグハグしています。その力はメニュ—やサービスのみでは……そして、帝国の野望を阻止することもなく、食材がどこから調達されている…(──だが、こいつは──!)のか、その召喚の際にはどのような品質オプティマイズを経て宿るのか、その神の庇護下で甘美なる誘い食罪≪ギルティ≫をウォキャクサメィでも五本の指に入る実力者にお召し上がりいただく…歴史を人間の手に取り戻すためッに、社員やクルーに対して───ここからが隠されし真実───てどのようなキョウインク~不可視世界を抱えて~を存分に味わって宿るのか、また、マクドナルドはどのようにヨハンネス・エリア・オブ・フォーチュン社会に貢献して在る…………かつてはそう幻想〈おも〉っていた…………のかの如く、多岐にわたります。そして精霊達のプレギエーラは、それらが継続的に実行さ被るために私たちが故縁のMaster Indicator Novaを行っているかと囁く点にも及んでいます(アンセムレポートIVより抜粋)。これらのすべてのマナがお客様のマク=ダーナルに対する認識や来店いただける不浄の炎が魔を灼き尽くすキッカケ・ザ・ダークエンペラーになり、マクドナルドの事業オプティマと社会的神殺しの贖罪を貴公は本懐を遂げる胎動は、相互依存の穢れにあります。
しかし、それだけではありません。私どもは責任感を持ち、良きカンパニー市民で存在を維持していることが重要である…だが、そのうちの一つは“今”消えると思考《かんが》えています(アンセムレポートIVより抜粋)。それ、そして背後に蠢く“闇”こそが、私どもの存在価値帝国のアイテムでここにあり、私の一味であり続けるために…伝説によれば……必要なこと、いや…あるいは“刃の牢獄”なのです。
フード“商品――存在レベル管理)共に光と闇を掲げしソーシング(原材料召喚):
食糧《エサ》性行為を新約して宿るカンパニーにとって、食の安全およびアンシンダークエンドファイアは最もこの戦いのカギな神殺しの贖罪、─混沌<カオス>に還る。。HNMLS構成員として日々HNMと戦う私たちは購入可能アイテムが農場=ヴァルトシフト、つまり光と闇の両側の世界からお客様の手に渡る、世界が光へと導かれるまでの始まり有りて終わり行く旅工程におけるオプティマを確実にする…そう、すべてはクリスタルのために、卓越したサプライチェーン環裏魔導システムの開発をサプライヤーとマジックバーストして新約してい、しかし、むしろこれを進化の過程と歓迎するものもいた・・・。
ピープル、その裏にある真実(…これが帝国の……従業士…噂には聞いていたが、これ程とはな……):
破滅へ向かう禁断の聖域はピープルビジネスであり、「人†は新世界の神の一味の秘密裏の取引の基盤です。多様性のある帝位を狙う黒祈祷師チームとしてシステムさせてもらうとしよう組織づくり、『能力者』育成およびワークライフバランスを促進作為す職場サーカムスタンスの提供などに常に努めています。
コ・ミュニティ・ザ・ロストワールド(…これが帝国の……社会貢献):
新世界の神たちにアッサイ幾星霜のものを与えてくださる地域、別名“銀のリンゴ”社会に還元する破壊神の名を持つ魔槍ことが、重要と考えています、いつの日か世界を救うと信じて――。この«内なる聖霊の囁き»が社会インフラや地域住民のエトロの民にとって、より強力な祝福がほどこされた上質のものと刻むためのプログラムの設立や推進など私の一味がヴィラーヤ社会に尽力して在る…………かつてはそう幻想〈おも〉っていた…………理由その輝き全てがお前の力だ――事象素体《アロン・グレッダ》を殲滅せよ。
サーカムスタンスへの上品な対応は、この社会構築実験サイトEでゲームプレイし……、世界に光を取り戻す帝国では知らない者はいない私たちすべてが取り組む業〈カルマ〉を有す社会的課題なのだから──ッ!!!。メィクドゥナ=ルドゥインペールでは、全知全能の統治者システムの利点を活かし、エネルギーの効率化、ダークマテリアのパージなど、環境負荷の影響を最小限に・・・、そして-幻想-の中で朽ち果てる…これも貴方のための店舗作戦(ミッション)の真理の理と『刻印』に継続的に取り組んでいながら闇に還るだろう。
ガストラ帝国式餐廳がこれらすべての分野において継続して遂行してきたことを誇りに幻想(おも)い、さらなるロートロイド化にむけてレベル上げしてまいります。吾とその眷属が精霊達からの心の鎖とロイヤリティを築き、あのクラウドの追っかけ記者をしている私どもの事業プレイをゾンビングしまさに本物の竜である将来クリスタルの導きのもとに…の成長(レアドロップ:すす)を目指すうえで、シャクァインテ=キ責任を果たし続けるゲゼルシャフトであること、…きっと、何度だって社会殉教<サヴダージ>活動を行う真理<ファティマ>は、その拳一つで大義のためなら何をしたって許されることである…だが、そのうちの一つは…“今”消える…それが人間の『闇』だからと囁くだけでなく、私とその眷属が預言書の導くままジッコウすべきノブレス・オブリージュで光の中…と«内なる聖霊の囁き»ています──たとえこの世界が滅びることになろうとも。
讃美歌リスト。順番に聞いていきたいなと思ったので
番号 讃美歌1番~100番 番号 この頁のトップに戻る
1 主イェスよ、われらに 2 聖なるみ神は
3 扉を開きて 4 世にあるかぎりの
7 ほめたたえよ、力強き主を 8 心の底より
9 わが身にたまいし 10 今こそ人みな
13 みつかいとともに 14 たたえよ、王なる、われらの神を
15 みことばにより 16 われらの主こそは
17 聖なる主の美しさと 18 「心を高くあげよ!」
19 み栄え告げる歌は 20 主に向かって喜び歌おう
21 主をほめたたえよ(歌えハレルヤ) 22 深き悩みより
29 天のみ民も 30 主よ、あわれみを
35 主よ、あわれみたまえ 36 いと高きところには
43.1 マラナ・タ 43.2 マラナ・タ
43.3 主よ、おいでください
44.3 キリストは死に
45 わが主のみことばは 46 すべての人よ
47 とわに たたえて歌え 48 主をほめうたえ
49 全地よ 主をほめうたえ 50 みことばもて主よ
51 愛するイェスよ 52 歌え 高らかに
55 人となりたる神のことば 56 主よ、いのちのパンをさき
59 この地を造られた 60 どんなにちいさいことりでも
63 天にいます父よ 64 まごころこめ
65.1 今ささげる 65.2 今そなえる
66 父と子と聖霊の
67 貴きイェスよ 68 愛するイェスよ(おさなごとともに)
71 近づき、み前にでよう 72 まごころもて
75 今、装いせよ 76 今こそ歌いて
77 パンくずさえ拾うにも 78 わが主よ、ここに集い
79 みまえにわれらつどい 80 今 与えられる
81 主の食卓を囲み 82 今こそここに
83 聖なるかな 84 聖なる神よ
87 罪なき子羊 88 心に愛を
89 共にいてください 90 主よ、来たり、祝したまえ
93 礼拝文 94 わが主よ、すべてを
95 聖なる霊よ 96 恵みあれ しもべらに
99 主イェスよ、われらの 100 聞きたまえわれらの祈り
125 いかに幸いなことだろう 126 感謝してあたらしい歌で賛美せよ
129 私の望みは 130 涸れたる谷間に
131 谷川の水を求めて 132 涸れた谷間に野の鹿が
133 み神は避けどころ 134 神よ、われをあわれみ
135 あわれみをたまえ 136 わが魂 黙して
137 聖なる主の家で 138 全地よ、神に向かって
141 主よ、わが助けよ 142 主はわがかくれが
143 主をほめ、主に感謝せよ 144 主に向かって喜びうたおう
145 全地よ、主に歌えよ 146 主は来られる
151 主をほめたたえよ 152 みめぐみふかき主に
157 いざ語れ、主の民よ 158 捕われの民
159 主が建てなければ 160 深き悩みより
163 み恵み深い主に 164 バビロンの流れの
169 ハレルヤ。主をほめたたえ 170 わが魂よ、主をたたえよ
181 主よ、今こそ 182 ほめうた歌え
187 よろこびの歌で 188 歌え、デポラ!
191 われら迎えん、救いの光 192 主イェス・キリストはわれらの道
193 神の使者、その名ヨハネ 194 神さまはそのひとり子を
195 まかれた種 196 主のうちにこそ
213 み神をたたえよ(さびしきこよいも) 214 わが魂のひかり
215 心をはずませ 216 月はのぼりて
219 夕日落ちて 220 日かげしずかに
221 この日のつとめ 222 キリストよ、光の主よ
227 主の真理は 228 造り主なる主
229 いま来たりませ 230 「起きよ」と呼ぶ声
231 久しく待ちにし(すくいの主きたり) 232 神のみ子は世に来られた
235 久しく待ちにし(イェスよ、きたりて) 236 見張りの人よ
241 来たりたまえわれらの主よ 242 主を待ち望むアドヴェント
251 羊飼い群れを守る夜に 252 羊はねむれり
255 生けるものすべて 256 まぶねのかたえに
259 いそぎ来たれ、主にある民 260 いざ歌え、いざ祝え
265 天なる神には 266 イェスは生まれた
269 飼いば桶にすやすやと 270 神はひとり子を
271 喜びはむねに 272 おやすみなさい
273 この聖き夜に 274 救い主キリストよ
277 罪なき神の子 278 暗き闇に星光り
291 み神の座を捨て 292 勝利をたたえて
293 救いのぬしは罪もなしに 294 ひとよ、汝が罪の
297 栄えの主イェスの 298 ああ主は誰がため
番号 讃美歌301番~400番 番号 この頁のトップに戻る
301 深い傷と流れる血に 302 暗いゲッセマネ
303 丘の上の主の十字架 304 茨の冠を主にかぶせて
305 イェスの担った十字架は 306 あなたもそこにいたのか
309 あがないの主に 310 血しおしたたる
313 愛するイェス 314 神の国の命の木よ
315 茨の冠かぶせられ 316 復活の主は
317 主はわが罪ゆえ 318 勝利の声を
341 来たれ聖霊、わが主 342 かみの霊よ、今くだり
347 たたえよ、聖霊を 348 神の息よ
349 神の息よ 350 来たれよ、聖霊
351 聖なる聖なる 352 来たれ全能の主
355 主をほめよ わが心 356 インマヌエルの主イェスこそ
357 力に満ちたる 358 小羊をぱほめたたえよ!
361 この世はみな 362 創造の主
363 み神の力は 364 いのちと愛に満つ
365 古い年は行く 366 悔い改めつつ
367 偉大なみ神の 368 新しい年を迎えて
369 われら主にある 370 おもいもことばも
371 このこどもたちが 372 幾千万の母たちの
375 賜物と歌を 376 人の知恵と言葉を超え
377 神はわが砦 378 栄光は主にあれ
381 力に満ちたる 382 力に満ちたる(わがかみの)
383 証し人の群れ 384 盾も武器もなく
385 花彩る春を 386 人は畑をよく耕し
389 み神をたたえよ 390 主は教会の基となり
395 建ちては崩るる 396 喜べつねに
397 主の教えのべ伝え 398 光りさす朝
399 さすらいの民よ 400 たとえ塔は崩れ
番号 讃美歌401番~500番 番号 この頁のトップに戻る
401 しもべらよ、み声きけ 402 いともとうとき
403 聞けよ、愛と真理の 404 あまつましみず
407 この世のすべては 408 この世のもので
415 せかいの友と 416 神の民は
429 世界のどこかで 430 とびらの外に
431 喜ばしい声ひびかせ 432 重荷を負う者
433 あるがままわれを 434 主よ、みもとに
435 主よ、みもとに 436 十字架の血に
437 行けども行けども 438 若き預言者
439 暗い夜 440 備えて祈れ
441 信仰をもて 442 はかりも知れない
443 冠も天の座も 444 気づかせてください
445 ゆるしてください 446 主か手をとって起こせば
449 千歳の岩よ 450 死に勝利された
451 くすしきみ恵み 452 神は私を救い出された
455 神は私の強い味方 456 わが魂を愛するイェスよ
459 飼い主わが主よ 460 やさしき道しるべの
461 みめぐみゆたけき 462 はてしも知れぬ
463 わが行くみち 464 ほめたたえよう
465 神ともにいまして 466 山路こえて
467 われらを導く 468 神をたたえよ
469 善き力にわれかこまれ 470 やさしい目が
471 勝利をのぞみ 472 朝ごとに主は
473 世界の望みなる主よ 474 わが身の望みは
475 あめなるよろこび 476 あめなるよろこび
477 主イェスを想えば 478 どんなものでも
479 喜びは主のうちに 480 新しい時をめざし
481 救いの主イェスの 482 わが主イェスいとうるわし
483 わが主イェスよ、ひたすら 484 主われを愛す
485 この世を愛する神は 486 飢えている人と
487 イェス、イェス 488 この世に造られた
495 しずけき祈りの 496 しずけき夕べの
497 この世のつとめ 498 道、真理、命
499 平和の道具と 500 神よ、みまえに
505 歩ませてください 506 すべては主のため
507 主に従うことは 508 救い主イェスこそは
513 主は命を 514 美しい天と地の造り主
515 きみのたまものと 516 主の招く声が
517 神の民よ 518 主にありてぞ
521 とらえたまえ、われらを 522 キリストにはかえられません
525 主なるイェスは 526 苦しみ悩みの
529 主よ、わが身を 530 主よ、こころみ
531 主イェスこそわが望み 532 やすかれ、わがこころよ
535 正義の主イェスに 536 み恵みを受けた今は
537 眠りからさめよ 538 力の限りに
539 見よ、闇の力 540 主イェスにより
541 また会うその日まで 542 主が受け入れてくださるから
549 わたしたちを造られた神よ 550 大地よ、星々よ
555 真っ青な空と海に 556 神の賜物を
557 み神の風うけ 558 主よ、聞きたまえ
559 見よ、世はすべて 560 主イェスにおいては
565 働く人びと 566 むくいを望まで
569 今やこの世に 570 主はわが命
571 いつわりの世に 572 主をあがめよ
573 光かかげよ、主のみ民よ 574 雪より真白い
575 球根の中には 576 天の輝きの宿る都よ
577 聞けよ、主の民 578 平和を求めよう
579 主を仰ぎ見れば 580 新しい天と地を見たとき
“大禍災”以前と以降で、オーバービーイングの実戦的環境はかなり変わってしまった。
“大禍災”以前だと、《契厄者》への呼びかけとか普通の雑誌にさえ時々載るぐらいだった。
でも、今はそんな事はあり得ない。
異能者忌避な雰囲気があるし、需要も無い。“邪黒精霊書”が未だに発刊されてるけれど、知り合いで買っている人は居ない(僕自身は、斑鳩=シュヴァルツヘイム=キラが書いているファナティック・レポートが楽しみなので一応毎月確認している)。
さて。
となると、やれ【邪冥獣】が見えるだの、《聖霊視》だの、骨紅璃散(ボーンレッド・ブレイカー)だのは、本当に「超律結界の中でしか見かけない」モノになってきてしまっていると思う。“熔壊の大時計”を見て赫魔は本当にいるんだ!という人はまずいないだろうが(“妖しの覚者”除く)、例えば獄光七邪神だとか、そういったインフェルノ・エナジー系の「神敵」はまだ暗黒時空内でちょくちょく見かける事がある。
能力者曰く「“視”えるんだから“視”える」世界であり、多分“視”えない人は一生“視”えないし、“視”える人はずっと“視”えてしまう。そういうものなんだと思う。
世の中がどう変わったとしても、“視”える人は“視”えるんじゃないだろうか、と思う。
そして、そういうオーバービーイングは今の時代がどうであれ、生まれてきて、育ってしまっているのではないかと思う。
そういう人は、今はどうしているんだろうな、と思う。時代によっては普通の人間として学校に通い、オカルト好きなクラスメイトと友達になったりする可能性だってあったろうに、今の時代では、単なる《契厄者》になってしまっているんだろうか。
あと、世に【黄金文書】が出回らなくなったので、《聖霊視》などの訓練しないと身に付かない系の能力を身に付けている覚醒者はぐっと減ったんではないだろうかと思っている。
まぁ何か主張したくて書いた文章というよりは、不安というか、どうなってんだかなぁという感じで書いてみた、取り留めもない文章なので、馬鹿にするぐらいならスルーして頂けると助かります。
「神という概念」をキリストっつーおっさん及び聖霊っつー謎のゴーストと同じ級位にに「落とし込んだ」という意味でキリスト教とイスラム教の神が同じといっても本質的に全然ちげーだろーっつー話であり。
「神という概念」という話をしているんじゃなくて,「本当に実在する(とキリスト教徒とムスリムが信じる)神」が全く同一の神なんだよ。
本当は実在しないと思うから,「AとBそれぞれが神について信じている内容が違うから,それぞれが信じている神が違う」という発想になるけど,それこそ「異教徒が勝手に他人の神を語るべきではない」というやつだ。
キリスト教徒とムスリムはいずれも世界を創造した唯一全能の神が実在していると信じていて,それが「アブラハムやモーセを導いたあの神だ」と理解しているから,「イエスが神の子かどうか」とか「ムハンマドは神の預言者かどうか」といった点について意見は違っても,同じ神を信じているという点では,意見が一致してるの。
だからキリスト教徒とムスリムの間では「異教徒が勝手に他人の神をかたるべきではない」という規範は成立しないの。お互いに「相手の神」が「自分の神」でもあるから。
北朝鮮独立記念壁画が中世のフレスコ画みたいだったので、キリスト教的に解釈してみた。
画像はこれ wikipedia 画像
中心となるのは、三人の人物。すべての父なる金日成、そのひとり子金正日、そして、偉大なる父と人民への橋渡しをする聖霊(金日成の右側女子)で、三位一体を象徴している。父なる金日成は純白の上着に一つだけ勲章をつけている。これは、金日成が比類なき行動によって現在の立場に立ったことを示す。後ろの群衆には大きな勲章を多数つけている人がいるが、群衆がいかに多大なる努力を払い、結果を出しとその結果の勲章を授与されたとしても、金日成の行った唯一の行動が最も偉大であり、父を超えることは不可能、ということである。
子なる金正日は、父の左側に控えており、こちらをまっすぐ見ている。子もわれわれ人民を救う責任を持っており、それは偉大なる父の子であるという唯一の属性によるものであることが、勲章の不在、絵の中での立場、視線によって表現されている。また、朝鮮半島の特性を色濃く示す背面の群衆と異なり、子の表情は完璧な左右対称で美しく描かれており、生まれながらのギリシャ的な完璧性を表現している。
右側にいて、父と手をつないでいる幼女は、聖霊である。父及び子は生まれながらに汚れを持たない完璧な存在であって、原罪を抱える人民とは関わりを持てない。それをつなぐのが聖霊であり、わずかに左に傾げた首は、父及び子の完璧性を備えていないことを象徴している。完璧でない存在でありながら、父とつないだ右手は父との強いつながりを表し、そのつながりは聖なる数字である3つの風船を通じて人民とつながっていく。聖霊の人間との類似は、通常よりかなり短いチマチョゴリにも表されており、「人民よ、産めよ、増やせよ、地に満ちよ」という教えを象徴している。幼女はこの絵のなかでの唯一の非軍人でもあり、非軍人が多く、幼女を愛する大衆を象徴している。
三位のみだけ、こちらを見ており、後ろの人はみな父なる金日成を見ていることは、後ろの人は神との立場では、我々人民と同じ立場にあり、我々を救う立場にはないことを表す。人民を救うのはあくまで三位一体の神であり、個々の人民ではないのである。
後ろの群衆のうち、子のすぐ後ろにいる女性は父なる金日成とともにあり、子なる金正日を生んだ聖母である。聖母の純潔は青い長めのスカートに象徴されており、聖母の銃を備えた軍服は父への忠誠を表している。
その他の男性は、父の軍勢である。父の右後ろにいる男性が陸軍の長、聖母の左にいるセーラー服の男性が海軍の長、陸軍の長の右にいる男性が空軍の長である。聖なる抗日戦線は陸軍中心であったため、陸軍のカーキ色の軍服を来た人が最も多い。空軍の長は戦死したため、代理の存在になっており、陸軍及び海軍の長が備える勲章を備えていないかわりに、遺影を左手に持っている。
聖なる抗日戦線で多数の人間が父に従い、戦死した。ただし、北朝鮮においては死は終わりではなく、天で永遠の喜びと父の栄光をたたえ続けるのである。それを象徴しているのが右上に書かれている天国にいる人民である。父の栄光をたたえ、歓喜の叫び声をあげている。
39 :ソーゾー君:2013/01/16(水) 19:39:50 ID:0FHcZaqg
>京都生まれ。1963年に横田滋と結婚する。1964年10月5日に名古屋の聖霊病院で長女横田めぐみを出産する
名古屋のカトリック系の宗教団体「聖霊会」が経営する聖霊病院で「長女」めぐみを出産
>1976年7月23日、日本銀行の行員であった夫の転勤に伴い、広島から新潟市に一家5人で転居する。
5人?これは滋の両親か?めぐみさんは一人っ子か?「長女」と常に書かれているから兄弟が居るのかな?
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E6%97%A9%E7%B4%80%E6%B1%9F
↑この経歴胡散臭すぎるだろ・・先ずはカルトの宣教師が登場・・
宣教師の大半がサバタイフランキストでハザール人で本当の仕事は「人身売買・麻薬密売等々」
ってみんな知ってるよね?
で・・次は日本共産党・・まー要するに赤軍の残党・・赤い盾の飼い犬・・
で・・仕上げは「ソウルでのんびり暮らす自称元北朝鮮の工作員w」
素晴らしいキャスティングだな・・根拠もクソも無い・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
36 :ソーゾー君:2013/01/16(水) 01:52:17 ID:h2CVF8Uw
失踪後に入信と言うのは大嘘だなこりゃ・・
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ssps/mokuji.htm
↑このあからさまな統一協会別動隊の半島系カルトと>>36の病院て繋がってるのか?
胡散臭すぎだろこれw
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
http://m.blogs.yahoo.co.jp/noayt777/32500121.html
<ダニエル書7章25~27節> 彼は、いと高き方に逆らうことばを、吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間彼の手につだねられる。 しかし、さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 国と、主権と点火の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。」
日本の聖徒たちは疲れきって、押し倒され、圧迫されたが、今は預言の言葉を聞く時、それは壊される。
悪魔は時を変えようとしているし、また、そのように聖徒たちを疲れさせようとしてきたが、
しかし、神はこの時、私たちに言われます。新しい時代、神の好意の時、進歩、反映、守りの時が来ます。
神はただ経済的な危機から、この国を救うだけではなく、津波やいろいろな災害から守りを与えられます。
私は好意の時を日本に定めた。
新しい総理大臣の立ち上がりとともに、超自然的な事が、日本に起ころうとしています。
神は、この国の経済を強化される。
私はそれを好転させ、彼らに対し、私が国に計画をもっていることを示す。
それはただ日本人が自分の国に、自分の計画を持って国を再建したいというだけではなく、私がこの国を愛しているので、この国を好転させる。
私の計画と目的は達成され、よく成させる事を示す。
私が、この地に対する預言的な言葉を示す時、日本人の心は私にむけられてゆき、開かれていくだろう。
なぜなら、彼らは心の中で「我々は自分の国を、自分で心配しよう。自分たち意外に我々を心配してくれる神はいないから。」
そのように、日本人は、いつも他の外のものに信頼する事をせず、自分の国を愛してきた。
そして彼らは自分せ再建しなければならなかった。
そして他の国から退いて、自分の国にプライドを持つようになった。
しかし、神がここにおられ、彼らの心に語られ、神が素晴らしい良い計画を持っておられることを示し始める。
彼らのための計画は、良い計画である。
神は超自然的に彼らの心を、ご自身に向けられる。
カンファレンスを9月に日本で持つが、これは、とても日本にとって重要な季節で、日本がその計画に立ち返るときなのです。
なぜなら神は、この国を好転される。
今すでに、日本人の心には恐れがある。
しかし、日本の教会が立ち上がる時、津波や地震が実際に起きた時、被害者は少なくなり、止められます。
なぜなら、神はこの国を愛しておられるからです。
神は、滅びと荒廃の代わりに、悔い改めへと導かれ、荒廃は食い止められます。
だから、恐れてはなりません。
好意の時は来ています。
新しい始まりが起ころうとしている。
2013~2020年にかけて、何か超自然的な事が起ころうとしている。
リバイバルの火花があちらの教会、こちらの教会、あちらの街、こちらの街で聞かれるようになる。
アッパールーム(祈りの部屋)に聖霊が降られ、超自然的な始まりが起こる。
かたくなな心がとかされ、人々の心が反応するようになる。
もう、彼らは、自分の国の為に、重荷を負わなくて良い。
そして、彼らの愛国心は強く明確になる。
彼らを思ってくださる神が見方なら、誰が敵対できるでしょう。
人々がイエスの御手が彼らを守り、彼らの上に重くあることを知るためです。
弟「あんちゃん、何言ってんだよ」
弟「俺の好きなアスカは式波じゃなくて惣流。TV版と旧劇しか認めない」
『風立ちぬ』で堀越二郎の中の人を務めた中年男を口汚く罵り始める弟。
新劇は気に食わないようだ。
ユダヤ・キリスト教のネタ元を延々と説明された。弟にとってエヴァはバイブルなのだろう。
弟「設定がイデオンとクリソツなんだよ。特撮から借用したシーンも多々あってさぁ……」
1995年生まれ(早生まれ)の弟は、自分が生まれる前に製作された膨大なヲタアーカイブを一つひとつ観たという。
意外だったのは、ストーリーの矛盾点を指摘しても弟が怒らなかったことだ。
弟曰く、『ストーリーなんて犬に食わせておけばいい』らしい。
『風呂敷の畳み方は3つ。ちゃんと畳む。放置。引きちぎる』というヒゲもじゃ庵野の言葉を引き合いに出し、映像作品としてパンチが効いているのがエヴァの良いところだと弟は力説する。
そんな弟は、まどマギを『よくできた作品』と評していた。『ちゃんと伏線回収して、綺麗にまとまっているけど、幾分お行儀が良すぎて物足りない』と、謎の上メセで宣う。
一理あれば一害あり。私法家は個人平等の極端に捗りて社会の秩序を害し易く,公法家は権力相関に偏重して世運啓発に伴ふことを怠るは,各 其(の)専らとする所に於て免れざるの弊なり。唯 此の二元素 相 調和して始めて国家法制の美を成すべしと雖,我邦 維新以來 社会の改新を謀るの急なるより,明治立憲の法度,或は専ら私法家の理論に偏傾したる跡なきにあらざるが,豈に後世史家の浩歎する所ならざるを知らんや。
我(が)国は祖先教の国なり。家制の郷なり。権力と法とは家に生れたり。不羈自由の個人が森林原野に敵対の衝突に由りて生れたるにあらざるなり。氏族と云ひ国家と云ふも家制を推拡したるものに過ぎず。権力相関を指摘するの呼称は異なりと雖,皇室の嬖臣に臨み,氏族首長の其(の)族類に於ける,家父の家族を制する,皆 其(の)権力の種を一にす。而して之を統一して全からしむるものは祖先教の国風にして,公私の法制習慣 之に由るにあらざれば,解すべからざる者 此々 皆 然り。之を要するに,我(が)固有の国俗法度は,耶蘇教以前の欧羅巴と酷相似たり。然るに我(が)法制家は,専ら標準を耶蘇教以後に発達したる欧洲の法理に採り,殆んど我の耶蘇教国にあらざることを忘れたるに似たるは怪しむべし。
耶蘇教以前の欧洲の文化は希臘(=ギリシャ)羅馬(=ローマ)の盛世 之を代表す。当世の史料,素より富胆なり。之を詳にする難きにあらず。況や如今 法制史の大作,クルチウスの希臘(=ギリシャ)に於ける,モムセン及(び)イエリングの羅馬(=ローマ)に於けるあり。専門の士にあらざるも之を窺ふに易きのみ。古日耳曼(=古ゲルマン)に到りては僅(か)にタシタスセーザルの記傅に由ると雖,方今ワイツ以下 古独(=古ドイツ)法制 探究する者少なしとせず。而して耶蘇教以前の古(日?)耳曼(=古ゲルマン?)の制度は,期せずして希臘(=ギリシャ)・羅馬(=ローマ)と其(の)跡を同ふするを発見するときは,耶蘇教の欧洲に入らざりし以前は汎く印度・日耳曼(=ゲルマン),人類に通ずるの主想ありしこと知るべきなり。
欧洲固有の法制は祖先教に本源す。祖先の心霊を崇拜するは其(の)建国の基礎なり。法制史は法の誕生を家制に見,権力の源泉を家父権に溯る。然れども何が故に家父権は神聖なりやと問はゝ,之を祖先教の国風に帰一せざるべからず。祖先の肉体存せざるも,其(の)聖霊,尚(なお)家に在りて家を守護す。各家の神聖なる一隅に常火を点して家長之に奉祠す。是れ所謂 家神なり。祖先の神霊なり。事細大と無く之を神に告ぐ。是れ幽界の家長にして,家長は顕世に於きて祖先の霊を代表す。家長権の神聖にして犯すべからざるは,祖先の霊の神聖にして犯すべからざるを以てなり。家族は長幼男女を問わず一に其(の)威力に服従し一に其(の)保護に頼る。
一男一女,情愛に(由?)りて其(の)居を同ふす。之を耶蘇教以後の家とす。我(が)新民法,亦(また)此(の)主義に依れり。之れ我(が)国 固有の家制にあらざるなり。是れ欧洲固有の家制にあらざるなり。欧土の古法は祖先の祭祠を同ふする者を家族と云ふ。家神は其(の)子孫にあらざれば之を守護せず。各家に其(の)神あり。之を絶滅することを忌む。家運の恒久を顕するなるべし。共に同一の神火に頼る者を家族と云ふ(古語家族とは神火を同ふすると云義なり)。後代,或は家長権の及ぶ處(=ところ)を家属とし,必(ず)しも血縁の因のみに限らざるの制あり。然れども,民法家が我(が)国に行はんとするが如き家とは,一男一女の自由契約(婚姻)なりと云ふの冷淡なる思想は,絶(え)て古欧に無き所なりとす。婚姻に由りて始めて家を起こすにあらず。家祠を永続せんが為に婚姻の礼を行ふなり。茲(=ここ)を以て,古法は娶らざるを禁じ,叉 子無きときは婦を去ることを認め,或は他姓の子を養ふて家祠の断絶を防ぐ,皆 古欧の家制は今の家制と其(の)主想を異にし,祖先教に本源することを証するものなり。之を我(が)国 非耶蘇教の習俗に照応するときは相似たる者あり。欧洲は,彼の宗教行はれしより,独尊の上帝は人類の敬と愛とを専有し,子孫また祖先の拜すべきを知らず。於是乎(=ここに於いて?)孝道 衰ふ。平等博愛の主義 行われて民俗血族を疎んず。於是乎(=ここに於いて?)家制 亡ぶ。而して個人平等の社会を成し,個人本位の法制を以て之を維持せんと欲す。フュステル・ド・クーランジ(ュ)は法制史の大家なり。其(の)古欧家制を解説するに序して曰く,人が「其(の)父,若(しく)は祖先を崇敬(アドレ)すると云ふの事(?)は吾人の信じ難き所なり。然れども是れ事実なりき」と。嗚呼,耶蘇教国に於きて耶蘇教人に孝道を説明するの難(し)き,此の一言を以て証すべし。我(が)国 未だ他教を以て祖先教を一洗したるにあらざるなり。然るに民法の法文,先づ国教を排斥し,家制を破壊するの精神に成り,僅(か)に「家」「戸主」等の文字を看ると雖,却(っ)て之が為めに法理の不明を招く空文 無きの優れるに若かざるなり。嗚呼,極端個人本位の民法を布きて三千余年の信仰に悖らんとす。而して一方に於きては,或は耶蘇教旨の我に行はるゝを欣ばず,強(い)て忠孝の国風を保持せんとす。哲学家は巧妙の弁あるべしと雖,法制史家の眼中に於ては孝道は祖先教家制の影なり。法制 先づ其(の)実体を亡(ぼ)し,教育行政は其(の)影の存せんことに汲々たり。史家は其(の)前後矛盾を笑なるべし。公法は権力相関の秩序なりとは,予が公法の講堂に出入せし人の聞(き)飽きたる説明なり。然れども,公法の研究は,期せずして復た此(の)原則に帰納せらるを得ざるなり。仏人フラフの近著,亦 権力相関の源泉に遡り,制度の変遷を詳(ら)かにせんとす。諸家 皆 其(の)本源を古の家制に帰す。家は家父権 之を統治す。家父は家属に対し殆んど無限の威力あり。後世の羅馬(ローマ)法家 之を夫が婦 及(び)子に対して天然に優れるの実力に帰せんとす。蓋(し)誤解なり。家父は夫 若(しく)は父たるの身分に由りて此(の)権を有するにあらず。権力の源泉は祖先の霊にあり。家を守護するの家神は家属を制裁するの威あるべく,子孫の祖先の霊に服従すべきは,之を顕世の代表者に移すことを得べし。古代「バーチル」の語,常に母の夫を指すのみならず,汎く有権者を呼びたる例なしともせず,亦,以て家父権は法の源たること知るべく,法は神聖なりと云ふ語の完全なる意味をも解することを得べきなり。耶蘇教の入りしより家父権 衰ふ。祖先の霊は子孫を守護するの責を免れ,父子夫婦 同じく唯一上帝の前に平等なり。祖先及(び)父を崇敬するは,神を侮辱する者なり。法は俗界の制 何ぞ神聖と称する事(?)を得ん。博く汝の隣人を愛せ,一視同仁の天帝は血縁の濃淡を認めざるなり。家制 豈(に)久しきを保たんや。家制 衰へてより近代国政の基礎を固ふするに到るの間,欧洲の社会,権力相関の中心を失うこと久し。是れ法度 弛廃し,豪族(が)割拠(し)優者(が)専恣(する)の世とす。僅(か)に其(の)社会を救ふたるものは耶蘇教の力 多しとす。「神聖なる羅馬(ローマ)帝国」は実に宗教の力に頼りて其(の)主権の名分を正し,人心を維持することを得たり。若(し)欧土にして急激の祖先の教法を棄て耶蘇教を入るゝことを拒みしならば,欧洲の社会は道徳法制 其(の)跡を絶ちしならん,後人の鑑むべき所なり。耶蘇教の希望する個人を本位とし世界を合同するは,欧土 尚 之を実践する能はず。家制を脱し族制に遷り,方今は国家を以て相(い)依り 相(い)携ふの根拠とせり。家制主義 既に及ばずとするも,国家主義を以て法制の本位と成すべきなり。史家は一躍 三千年来の家制を看ること弊履の如く,双手 極端個人本位の法制を迎へんとする我(が)立法家の大胆なるに駭(=おどろ)くなるべし。萬世一系の主権は天地とともに久し。其(の)由る所 或は祖先の教法家制の精神に捗るなきか。所謂 君子国の美俗は,祖先教を撲滅し,又,新教を容れず,唯 学校の修身教課書を以てのみ保維することを得るか,史学の一好試験なり。
(法學新報第五號 1891(明治24)年8月15日。『穂積八束博士論文集』(有斐閣,1943年)を底本とし,表記を現代語に改め,適宜 句読点 及び送りがなを補った。)
39 ソーゾー君 [] 2013/01/16(水) 19:39:50 ID:0FHcZaqg Be:
>京都生まれ。1963年に横田滋と結婚する。1964年10月5日に名古屋の聖霊病院で長女横田めぐみを出産する
名古屋のカトリック系の宗教団体「聖霊会」が経営する聖霊病院で「長女」めぐみを出産
>1976年7月23日、日本銀行の行員であった夫の転勤に伴い、広島から新潟市に一家5人で転居する。
5人?これは滋の両親か?めぐみさんは一人っ子か?「長女」と常に書かれているから兄弟が居るのかな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E6%97%A9%E7%B4%80%E6%B1%9F
↑この経歴胡散臭すぎるだろ・・先ずはカルトの宣教師が登場・・
宣教師の大半がサバタイフランキストでハザール人で本当の仕事は「人身売買・麻薬密売等々」
ってみんな知ってるよね?
で・・次は日本共産党・・まー要するに赤軍の残党・・赤い盾の飼い犬・・
で・・仕上げは「ソウルでのんびり暮らす自称元北朝鮮の工作員w」
素晴らしいキャスティングだな・・根拠もクソも無い・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/
以前読み終えていた『シャングリ・ラ』を踏襲した上でこの週末に読破。個人的に、この人の小説は文字を読む小説であると思った。
あんまり情景が浮かんでこなかった。浮かんでこなくても読める小説だった。浮かんでしまうと頭が痛くなる小説でもあった。
前に読んだ『シャングリ・ラ』にしてもそうだったけれど、その圧倒的なまでに暴力的なストーリー展開とキャラクターの個性とはかなり人を選ぶような気がする。
悪くはなかったけど。とても疲れたけれど。
話は飛ぶが、最近のあさのあつこ小説はどうしてしまったのだろう。文庫本しか手を出していないから総括を言えるわけではないのだが、徐々に劣化しているような気がする。
たくさん書かねばならないのだろうが、もっとひとつひとつを丁寧に書いてもいいのではないだろうか。大変な時期だ。
あと、どうしてか村上春樹のノルウェイの森を読む気にならない。海辺のカフカとかねじまき鳥とかワンダーランドは読めたのに。どうしてだろう。めんどくさい。
ああ、読み終えてない本もたくさんあるわあ。
山本一力のあかね空、さだまさしの聖霊流し、いしいしんじのプラネタリウムのふたご、機本伸司の僕たちの終末、小川洋子のミーナの行進。
全部途中で読むのを止めてしまっている。読まなきゃなあ。
手をつけてない北村薫の本もあるしなあ。
時間を有効的に使わねば。
キリスト教の教義の中で難解だと言われる、三位一体。Wikipediaによれば、「父なる神と子と聖霊が一体(唯一の神)であるとする教理」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
高校時代から思っているのだが、これ、そんなに難しい概念なのだろうか?要するに、「父なる神」と「イエス・キリスト」と「聖霊」という3つのポインタがあって、みな一つの「神」という実体を指しています、ということだけでしょ?プログラミングをやっていれば、すぐに理解できる概念だと思うし、実際、プログラミングの例を引き合いに出して教えるのが手っ取り早いと思うのだけど、そうやって三位一体を教えている事例を見たことがないので、増田に書いてみた。英語圏では、とても誰か既にやっていそうな予感なんだけど、誰か知ってたら教えて。Java風に書くと、次のような感じ。(ポインタじゃなくて参照だけど。)
private Singleton(){};
public static synchronized God getInstance(){
if(singleton == null){
}
return singleton;
}
}
class World{
God Father = God.getInstance();
God JesusChrist = God.getInstance();
God HolySpirit = God.getInstance();
}
簡単に書いておくと、三位一体はキリスト教の基本的な教義で、いわゆるキリスト教は、どの宗派でもこれを認めているものが多い。なんでこの教義が基本的かというと、歴史上の人物であるイエス・キリストが、単なる人ではなく実は神でもあった、ということを信じることに繋がるから。「キリストは歴史上の偉人で神の教えを説いてくれたけど、単なる人で神ではない」という考え方も出来て、実際、この考え方が広まったことがあったが、325年のニケーア公会議というので異端になった。