はてなキーワード: 絶対値とは
もうちょっというと相対的なものであり、その相対値は客観的に決まっていない。
あらゆるものはあらゆるものを差別しているが、日本では差別は一方向のものである。
男性が女性を差別することは大問題だが、女性が男性を差別することはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
高学歴が低学歴を差別することは大問題だが、低学歴が高学歴を差ベルすることはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
日本に今もいる左翼筋の人々にとっては、差別は一方向のものでないとつじつまが合わない。要は社会的な強者が弱者を虐げていないと彼らの最終目的は達成できない。最終目的は要は世界同時革命なんだが、それが起きていないということは問題はまだあるはずだ、というふうにも理解しようとする。
そして、もう言いがかりとしか言えないような差別問題をどんどん生産していく。
今の一線で活躍しているフェミニストたちを見ればマルキストが多いことはすぐにわかる。
こういった基盤をもとに差別を論じるので、一方の差別ばかり拾い上げてもう一方の差別を無視する、とか、無いものにするとか、大したことがないものにしてしまう。もっと言うなら成り立たないガバガバな理屈を無理やり作り上げてしまうか、なにか言っているようで何も言っていない正論を飾り立てたことしか言えなくなる。
最終的に今差別を受けていると言われている人々が暴力的な行動で異論を封じ込めるしかなくなるが、これすらも「自分たちを守るために仕方なく行われる防衛だ」ということにしてしまう。
フェミニストたちが言う男性社会というのがある。男性が有利らしい。だが、男性が有利な社会の延長線上に男性が一生懸命働いて家族を養うのがあることに誰も違和感を感じない事に驚きを禁じ得ない。
男が有利な社会の延長にある究極は、男は働かないで女性が一生懸命働いて家族を養う、体力的に限界がある女性たちなので一夫多妻だ。男性は用途ごとに女性を嫁にし、その用途を満たせなくなった女性はポイだが男性が罰されることはない。だけどすべての家庭や社会における権限は男性が持っている。ヒイヒイ言いながら身を粉にして働く女性を尻目に男性は趣味だのレジャーだのに興じていて「人々は時間をもっと有効活用して創造的なことをするべきだよ!」とか平気で言えてしまう社会ではない。
一方海外では、ベクトルではない。誰が言ったかやったかは全く関係がない。絶対値として差別が定義される。当然当人に戦う気概が求められるが。
だがこういうことをいえば「お前らは差別する側だからわからない!」とか言っちゃうんだが、だめだ怒り始めたのでここまでにする。
高校生の時、大学生の時、この友情はいつまでも続く…なんて一度も思ったことはなく、わたしは社会人になったらどうやって人生を埋めるんだろうって思っていた。
周りの友達はきっと結婚して子供を産んで、専業主婦になる子もいれば、働き続ける子もいるだろう。その子たちの人生はきっと意識しなくても埋まっていく。きっと人生を埋めるなんて発想はなくて、あっという間に20.30年駆け抜けられるんだと思う。
私なんて、仕事終わった後とか土日はソファーに横になりながら、さっきも見たんだから更新されてるわけもないTwitterとインスタを更新し続け、興味もないトレンドを辿り続け、挙げ句の果てにははてなを見るような、そんなので時間埋めてるのに。
今25歳で、まあ80歳くらいまで生きるとして、約2万日をどうやって埋めていけばいいだろう。もっと具体的に考えると、(有給を入れて年間休日140日×起きてる時間18時間)+(労働日225日×平日の自由時間4時間)を定年まで毎年過ごして、退職したらずっと何もない時間があるなんて、途方もない。
ずっとインスタTwitterはてなみて時間を潰していくのだろうか…
学生の頃はよく友達と旅行してたし、海外も行ってたけど、社会人になって知ったのは友達と旅行に行くことのハードルの高さ。まあ9連休あったら彼氏とどっか行きたいよね。これからは家族旅行がよくなるかな。わたしといけるならせいぜい国内だよね。
友達にとってわたしの大切さの絶対値は変化ないんたけど、相対値はどんどん下がる。彼氏、旦那、子供、、、。
は〜しんどい。わたしもみんなみたいに普通に結婚して子供できたら人生埋まるんだろうけど、きっとできないんだろうなぁ〜外面だけ見てるとなんでこの人彼氏いないの!?みたいな人いるじゃん。多分わたし、一生そういう人な気がする。自慢とかじゃなくて、身なりはきちんとしてるし、仕事に情熱を注いでそれだけで生きていきます!って姿勢になったこともないし、もちろん悪いところもたくさんあるけど、許容範囲外のことはあんまりないと思いたい…自覚してないだけだったら最悪だけど。誰かに心の奥底から、全部の心を傾けることができない上に、それができてるフリも出来ないから、ダメなんだだろうなぁ。そもそも人生埋めるために結婚してその人の人生消費させたり、子供を産むなんてかわいそうすぎるから一人で人生を埋める方法考えないと。
ということで、人生の埋め方募集中です。本当になんでもいいので…漫画とかアニメ、本、場所、体験、買い物…あとなんだろ、思いつかないや。でも、やったらちょっとでも人生埋まるやつ、あったら教えて欲しいなぁ。
大人・子供間に対しては条例やその厳罰化で足りてるからここでは省く。
・未成年は不純異性交遊なんかせずに勉強してろ!年齢引き上げに賛成だ!←暗い青春時代だったのかな?まぁ言いたいことはわかる。
・対象年齢の絶対値で決めるのではなく、年齢差で決めるべき!←子供の判断能力が違法性の根拠になっている以上、大人相手だと判断できないが数個上の先輩だと判断できるようになるというのは苦しい気がするが、そういう点も含めて法改正、場合によっては憲法改正も視野に入れるというならわかる。
・子供間は”大丈夫”にしろ!←何を根拠に”大丈夫”とするのか理論だてられるならわかる。
・13歳という設定に科学的根拠はない!←引き上げにも科学的根拠なんてないんだが。だから大半が「欧米は~中国ですら~」って話をしてるんだが。
・同意があれば不問にしろ!←未熟故同意する能力がないから、同意を無かったことにするというのがこの問題なんだが。
・子供同士の行為で判断力の未熟さゆえの行為を罰するのはおかしい。引き上げに賛成!←引き上げ範囲の子供が強姦で逮捕されるようになるんだが・・・
これだけ丁寧にまとめられた記事を読んでこんなコメント・トラバが付くんだから、大人もまともな判断能力があるか怪しいところ。
久々に見たと思ったら相変わらずを通り越して危ないことをやっていた
https://togetter.com/li/1630899
深夜に木製バットを何も隠さずに剝き身のまま持ち歩く
「バットケースを買いましょうよ」って結論に落ち着きましたが、バットケースって高いんですよ…
一番安くても1000円。
平均的なやつで2000円
イチローがメジャーに浸透させたような金属のケース型のやつだと1〜2万円。
なんで酔っ払いに通報されるのを避けるために1000円払わなあかんのや
ただ、これ悩ましいのは、野球経験者が「安全な持ち方と配慮した時間で素振りしたりバット持ったりしてる」って言っても、未経験者はわかんないんですよね。
自分でその経緯をtogetterでまとめて同情を得ようとする
思惑に反して周りの人からさんざんツッコまれるがやはり反省なし
わざわざ自分でtogetterでまとめたせいで批判されたのに「抑圧されたインターネット」などと意味不明なインターネット批判を行う
コンビニでプロテイン買ったことがツッコミどころになってるから少し事情書いとくか。/時間を選んで素振りしてる性質上、「夏・秋には素振りしようとしても雨」みたいなのが続いて継続してプロテイン使うのが難しかったからコンビニで買うようになったんや…
プロテインはまとめ買いした方が安いってのはわかるけども、そこまで負荷をかけて追い込む事が多くなかったらコンビニで飲料のやつを買ったほうが普段牛乳や豆乳飲まない人間からすると、絶対値は低いんや…。安いからって何でもかんでも業務用スーパーで買う人おらんでしょ?そういう感覚
あとは、「バットケースの1000円が高い」ってのも「何も悪い事してないのに、【誤解されない自衛】で1000円払うのは高い」って話ね。別に世の中は酔っ払いに絡まれるかどうかを基準で回ってるわけじゃないし、そのために法律ってものがあるわけで。(本当に違法なら今頃留置所)
あと、ぼくがこのまとめをわざわざ警察から帰ってきてげっそりしながら作った理由だけども…【通報するやつが正しいわけでも、時代だからって法律で許されてることまで抑圧するのが正しいわけでもないでしょ】って感じたから書いてる。…まぁ、抑圧されたインターネットが皮肉にもそういう流れだったわけですが
まだまだ言いたいこと山盛りだけど、『ここが伝わってないのは、さすがに嫌だ』と思うことは伝えたからあとはご自由にどうぞ。(酔ってるかどうか関係なしに)話そうとしても伝わらん人に誠心誠意対応するほどぼくも暇ではないんで
「数学ゾンビだ…」分数の約分の問題は完璧に解ける息子さん、意味を理解しないまま計算してたことがわかった時の話
https://togetter.com/li/1610041
約分の意味はひとまず置いといて、この中に「3を3分の1で割るとなんで9になるのか」という話が出てくる。要は1/3で割ることが
なぜ3を掛けることになるのか、という話である。
これに対しては、コメント欄で「3から3分の1が何回引けますか? ってのが割り算の意味」という説明が多くの賛同を得ていた。
これ、数字の上では間違っていない。一見分かりやすい。しかし符号がマイナスになったり、割られる数の絶対値<割る数の
絶対値になった時につまずくのでは?と感じた。個人的には「割る数」の考え方が逆な気がするし、割り算の本質に迫っていない気がする。
この考え方だと、例えば具体的に単位がついた場合、「6個のリンゴから3人を引く…?」と、子どもによっては混乱するかもしれない。
問1:6個のリンゴがあります。3人で分けると、ひとり何個になりますか?
答1:6÷3=2 答え:2個
でもここでもう少し考えてみる。6÷3の結果の2、これの意味は何だろう?
6個を3人で割って、出てきた答えである。2個?いや、正確に言えば違う。
それは 6[個]÷3[人]=2 [個/人] である。単位は[個/人]、つまり「ひとりあたりの個数」を示している。
問題文に「ひとり何個ですか?」と書いてるので、答えとしては「2個」で正しいが、この割り算自体は
いきなり結論だが、私は、これが割り算の本質的な部分だと思う。
割り算は、割るという行為によって、「ひとりあたりの」「ひとつあたりの」などの、
ではここで、問1の言葉を少し変えてみる。
問2:6個のリンゴがあります。これを3人分だとすると、ひとりあたり何個になりますか?
これは同じ問題である。言葉を変えて、定義づけを少し強調しているだけである。
答えは6÷3=2、ひとりあたり2個である。
それでは本題。次の問題はどうだろう。
問3:6個のリンゴがあります。これを1/3人分だとすると、ひとりあたり何個になりますか?
まず直感的に考えてみる。6個のリンゴで1/3人分にしかならない。ひとり分を計算するには
ところでこの問題、これは1つ前の問題の「2人」が「1/3人」になっただけの問題である。
答3:6÷(1/3)=6×3=18 ひとりあたり18個
となる。ここらで何となく、1/3で割ることは3を掛けること、という事が理解できるのではないだろうか。
割り算をやりはじめる小学生の場合、問1のように問題は単純化され、「ひとりあたり」というのもほぼ暗黙の了解と化している。
だから単純に見えるし簡単に解けるが、そのために割り算の本質的な意味に気づきにくくなっているかもしれない。
しかし、ある程度後に進んだ時点で、一度立ち返ってこの事を考えると理解が進むかもしれない。
割り算の適用範囲は広く、符号が変わろうが「ひとつあたりの」量を出すという性質は変わらない。
(0で割らない限りは)
問4:3回株の取り引きをして-300万になりました。1回あたりの儲けはいくらですか?
答4:-300÷3=-100 答え:-100万円/1回あたり
冒頭にあった「何回引けるかが割り算」という考え方ではこの計算は説明しにくいかもしれない。
しかし割り算が「ひとつあたり」「ひとりあたり」「1回あたり」という、単位あたりの数を出す性質を
知れば、より深く割り算を理解できるのではないだろうか。
最近よく身内から肯定的に評価されるので思うところを書く.多分オチや結論はない.雑記.
ここで身内というのは親族というより内輪の仲間と言えるような相手だが,
大学の研究室の教授とかも含むので公的な関係でも身内と思ってる(これは自分がボスと仲良いからだが).
自分の専門は機械学習で,友人とかラボゼミとかの間ではかなり詳しい方に分類されると思う.
実際いろいろ教えたりコメントしたりで良好にコミュニケーションして関係を築いているし,
前述したような師匠や友人からの評価を雑に丸めると,僕は機械学習できる人といったところだ.
一方,会社での仕事はデータ分析で,これは普通に回している感じ.
特に会社で高評価されている印象は全くない,むしろ嫌われているきらいもある.
こうなると,人間は信じたいものを信じてしまうので身内からの肯定を高い信頼度の情報として受け取り,
会社では(不当に?)評価が低くて不満を感じる,という心情になってくる.
ただ,身内以外でも,機械学習系の解説資料がネットでなかなかにバズったり,学会でしか会わないような人からも上々に評価されている.
ある程度客観視された場合でも,自分を優秀層として認知する人がかなりいるということになる.
うちの会社は学術活動にもかなり前向きで,会社のHPには社員の発表実績リストとしてずらーっと学会発表や論文掲載結果などがリスティングされている.
決して学会活動がメインだから評価が低くなるという風土ではないはず.
この状態がしばらく続いており,日に日にイライラが募っていく.自己評価に見合った待遇を受けれていないと.
現在の年収に絶対値として大きな不満はないが,同じ業界かつ近い職種で自分より優秀でない人が自分の1.5倍も年収があると思うと本当に腹が立ってくる.
LinkedINや個人ポートフォリオサイトからの経由でリクルータから簡単な声かけはよく貰うものの,そんなにマッチングした案件が来ている気もしない.
いったいどうすればいいのか.まずそもそも自己評価が過剰に高いとは考えにくいのだが,会社や市場からの評価が正確とも思えない.
仮に自己評価の方が過剰に高いとして,外様からの評価と自己評価や身内からの評価との乖離について,人はどうやって折り合いをつけるのだろうか.
民度という謎の指標には±10があって、0もしくはプラス方向なら普通のオタク。マイナス方向なら厄介オタクと分類される。
この時オタク民度の計算式は (普通のオタクの民度の和)-(厄介オタクの民度の絶対値の積)=民度 何だと思う。
指標としては普通にオタク活動(原作やアニメやっててTwitterで感想つぶやきますーレベル)で2とか3。ライブ会場でゴミ拾いしてますレベルまでいってようやく5とか。
厄介と呼ばれるような人(騒ぐ、ヲタ芸する、場違いなペンライトする)でも-1とか-2とかじゃないだろうか。-5までいくと明らかにやばいやつとしてブロック推奨とかいわれるレベルだろう。
全体の9割が普通のオタク、1割が厄介オタクなので、9人が普通、1人が厄介ということになる。
仮に9人の平均民度が2を超えていれば厄介が10のマックス厄介であっても民度がプラス方面に転じるため民度が良いとされる。
これが20人のグループになったとする。18人が普通(平均2)であったなら、2名の厄介が-6ぐらいの民度でトントンとなる。
オタク活動や推しとかはしているもののそれを率先してアピールして「○○民」とかいわない連中だ。
そいつらは行動してないので基本的に民度「0」(無害)なわけだ。
コンテンツが大きくなるにつれて、実際はこのサイレントオタクが増えているんじゃないかと思う。
例えばFG○をやってたとき、たしかに自分の周りにもどんどんやってる人が増えてきたなと思う一方、何万ID!とかいわれてもイマイチピンと来ない数字だなという感覚に襲われる。その差が多分サイレントオタクなのだ。
そうすると民度0をもったサイレントオタクと普通のオタクの比率がサイレントオタク寄りになっていき、結果的に民度がプラス方面のオタクと、民度がマイナス方面のオタクの比率も変わってくる。
そして、民度2とかな普通のオタクも民度の悪さが高まってきたらサイレントに転じる。
って考えると、大げさに書いたつもりだけど
(普通のオタクの民度の和)-(厄介オタクの民度の絶対値の積)=民度
じゃなくて
(普通のオタクの民度の和)-(厄介オタクの民度の絶対値の和)=民度
でも良いんじゃないだろうか。
最近よくある「辛かったら休んでいいよ」みたいな漫画あるじゃん。
ああいうの見ると大体作者の人一時すごい病んでたりする。仕事ができなくなって〜とか泣き出してしまって〜とか。
あーいうのみて、「繊細すぎるだろ…」と思う反面私も本当はさ、毎日泣きたいの。普通に毎日仕事してるような感じだけどさ、些細なことで傷ついたり査定が気になったり将来不安になったりそもそも好きでもない仕事を毎日12時間もやる虚しさだったり。
健康診断で再検査になってメンタルボロボロになっても1週間とか仕事休めないし、親が遠いところで入院して心配でメンタル不安定になっても朝はちゃんと起きなきゃいけない。
学生の頃はまだ奨学金で暮らせてたからこんなに苦しい思いはしてなかったと思う。泣きたいときは泣いて、ダメなときは寝て、笑いたいときは笑って。
自分の生活を守るためにお金を稼ぐために心を殺して大人になって毎日のほとんどの時間を仕事に費やすようになってから、なけもしないけどバカ笑いする事もあまり無くなってしまった。
落ち込んだ時のダメージが大きいから、自分を守るために感情の振れ幅の絶対値を本来の三分の一くらいに狭めて設定している感じだ。
つらい。泣きたい。きっと色々ちゃんと振り返ったらすぐに泣けると思う。
女の子が電器屋で商品を見ていると、見ず知らずのオッサンがいきなり講釈を垂れてくる。女の子は「おっ?マンスプか?オッサン」とバッサリ。怒り出すオッサンに「はいミソ男決定〜」などと追撃、怒り狂うオッサンを尻目に颯爽と立ち去る。
この漫画、「この女の子を見て『失礼だ』と感じたならそれがジェンダーバイアスです」という言葉とともに紹介されていた。
内容はまあどうでもいいんだけど、この女の子が「失礼」かどうかって結構意見が分かれそうだよな。
いきなり不躾な態度をとってきた人間に対してこっちもタメ口でバカにしてかかるのは「失礼」か?という問題!
少なくとも礼儀正しい振る舞いではないような気がするし、失礼か非失礼かでいうと失礼ではある気がするんだよな。
オッサン同士だったとしてみよう。オッサン1が電器屋でイヤホンなんかを手に取る。すると別のオッサン2が現れ、「ダメやダメや!そのイヤホンはゴミやで。こっちにしとき」これに対してオッサン1が「おっ?マンスプか?オッサン」と言った時これは失礼か?
まあ失礼じゃないか?
相手がいくらキチガイのKKOだったとして、とりあえず明確な敵対行動を取られてないんだったら丁寧語くらい使うのが礼なのでは、というか、相手への礼はこの場合べつにいらないと思うし、礼儀正しくある必要もまあないんだけど、それはそれとして絶対値的な礼儀としては「失礼」判定もしかたないというか…
戦闘の場においては礼の概念が消滅するので失礼もクソもない、って前提のツイートだったんだろうけど、にしたって失礼か失礼じゃないかで言うならまあ失礼やろ…という気はしてしまうし、まあその二元論をやめろって話なんだろうけど、言っても道端で殴られて殴り返すのを見て「礼儀正しい!」とは思わないし、なんだかなあ…と思うのであった
服の質
値段が格段に下がってるからコスパは上がってると思う。30年前にデパートで買ったポロシャツ1万円近くしたよ。
古いものが新しいものに代わっていく、時代とともに世の中が良くなっていく、自分はもう古い側なんだと気づいたときは悲しいよね
40年前のアッパーミドル・ミドルより、今のローワーミドルのほうが生活は充実していると思う
それができないという話だけど
夏の暑さ、地方衰退
これは同意
地元地方の農村だけど、モールやEコマの発達で買い物は便利になっている気もする
同意。欧州主要国は2.0付近あるみたいだけど、日本はいつまで本腰いれないの
今も悪いけど、昔から悪かったろう。
賄賂系は、昔は表に出なかった、問題視されなかっただけじゃないの
同意。キュレーションの跋扈にGoogleの対策が追い付いてない。広告ありとはいえ、まあ無料なので
30年前の日本人に戻りたいですか?と聞かれたらほとんどの人がNoだろう。
子供のころに戻りたいかなら多くがYesだろうが、2020年のおっさんおばさんが、1990年のおっさん、おばさんになりたいか、という問いだ。
エクスクラメーション二連続とか、「鬼のような速さで」とか普通にチープだった。
「というか正直にいえば~できごとだと思っていた」
ヒラく部分もくどい。
「①」などの記号をいきなり小説文体に出すのは奇妙だし、本来使うべきではない。
昔を思い出す自分と中程の本文、そしてまた現在へ、というオーソドクスな三幕構成。
実話と想定する場合、全項が繋がっていないのは別段問題はない。
ただし創作なら冒頭と終わりに中間段落の意味が含まれていないため、うまいとは言えなくなる。
以前のラズベリーの人に似た構成力でしかなく、実際同じ人ではないか、という勘ぐりが脳裏をよぎる。
欲を言えば三段の項のバランスが整ってないので整えたほうがいい。
メッセージ性はほぼない。
あるとすればベンツへの犯罪も含めた来客の賑やかさと、現在の侘しさの対比か。
しかしそれがやたらうまいとも思えない。転調が効いてないから。
あれは詰められてないだけです。
パスしてたけどこれ見て原文読んだわ、サンキュー。テンポがあそこだけ違うのは心の中の澱がべトーっとしてるのを表現できてるし、むかしの女子高生なら当時の比較表現で「鬼」使うしおれは"加点ポイント"だった。
ただ、こればっかりは元増田に聞いてみなきゃわからないですね。
コギャル設定はないようですし。
元のやつに「『ひとりぶんの食事』を作ろうとして思い出したのに導入部で水ようかん食ってる齟齬だけは気になる。」とブコメしたんだけどそこどう思う?自分はいい増田と思ったから、なお惜しいなと思うんだけど。
ここは時間経過した、という行間を読めばよいのだと思いますが、だとすれば多少進行が映像作品的ですよね。
すごくおかしくはありませんが、水ようかんと過去回想を比喩で結ぶとかっこよいかな、くらいは思います。
私もブコメほど感心しなかったのですけど、私はむしろ技巧に走らずもっと素朴に書いたほうが面白かったんじゃないのという立場です
そうです。あまりにも大げさに褒められると、逆にそうでもないポイントが見えたりしますよね。
一方、この文章もやはり元増田への興味を引くことになっています。
“重箱エクスクラメーション” 椎名林檎みがある
閃光少女ですか。これはまあ、ザ・重箱ですね。
重箱の隅を重箱と略したり『普通にチープ』とか、他人の文章の正しさを指摘するにしては微妙な言葉遣いだと思った。件の増田も評価はしていないが。
予測済みでした。この内容が小説風なら指摘はそれで良いと思います。
「インターネッツ、評価(の絶対値)がインフレしがち問題」のあらわれという気がする。玉石混交(石多め)の増田の文章としては面白い部類な一方で、大絶賛のブコメを読んでからだと、言うほどか?ってなりそう
トラバにも「場所に応じて」と書きましたが、これがすべてを物語ってるとは思います。
ルンバだのドラム式乾燥機だのは生活を見直さなきゃいけない面があって万人にお勧めはできない。
真の男の時短グッズは生活スタイルを変えず必要な時間の絶対値が下がるものだ。
そこで、ここではまず3つをお勧めしたい。
短髪だと1分で乾くから必要ないと思っていたがこれを使うと30秒で乾く。
圧倒的な風量。
毎日30秒減る快適さ。
どの程度短縮できるかは人によるが、必ず時短となる。
そろそろ3年が経つがこれなしの生活は考えられない。
コンロがなくなった分は、ホットクック×2とヘルシオと卓上IHで十分にまかなえている。
正確に言えばグッズではないがこれは外せない。
ケツを拭く時間が圧倒的に短くなる。腹の調子が悪い時は尚更だ。
更に言えば介護されるようになったら介助者にとっての自担にもなる。
費用は高いところでも5万程度だろう。
それで一生快適になるならやらない手はない。
人間は気温の絶対値を感じ取っているわけではありません。肌表面の水分気化(=気化熱の移動)を暑さ寒さとして感じ取っているのです。
夏のビーチって灼熱のはずなのに、結構快適ではありませんか?逆に、雪の降った朝が暖かく感じることありませんか?
ビーチでは常に風が吹いていますから人間の汗がすぐに気化して涼しさを感じることができます。逆に湿度が高くなると気化が抑制されるので、室温が低くても寒さをあまり感じません。雪があると寒さが抑制されるのはそのためです。(氷点下の場合を除く)
ですので、同じ室温26℃でも、湿度40%の部屋と80%の部屋では快適さが全く異なります。この辺りの快適さを官能評価実験により可視化したのか不快指数です。
通常の冷房でも湿度は下がります。それはエアコンの機能ではなく、温度を下げれば空気中に止まることのできる水蒸気の量(飽和水蒸気密度といいます。中学校で習いますね)が減るという物理法則によるものです。
Xの点列(x_n)は以下をみたすとき、Cauchy列であるという。
任意のε > 0に対して、ある自然数Nが存在して、n, m ≧ Nならば、d(x_n, x_m) < ε。
収束する点列はCauchy列である。実際、lim[n→∞] x_n = x ならば、任意のε/2>0に対して、ある自然数Nが存在して、n>Nならば|x - x_n|<εとなるので、任意のε>0に対して、n, m>Nならば|x_n - x_m|≦|x - x_n| + |x -.x_m|<ε。
逆に、Xの任意のCachy列がXの点に収束するとき、Xは完備であるという。
(x_n)を実数のCauchy列とする。
まず、(x_n)は有界である。実際、ε>0に対して、Nが存在して、n>Nならば|x_n - x_N|<εなので、任意のiに対して、|x_i|≦max{|x_1|, |x_2|, ..., |x_N|, |x_N|+ε}である。
Bolzano-Weierstrassの定理より、有界な実数列は収束する部分列を含むので、自然数列n_1<n_2<...<n_i<...と実数xが存在して、lim[i→∞] x_(n_i) = xとなる。
xが(x_n)の極限である。lim[i→∞] x_(n_i) = xより、任意のε/2>0に対して、ある自然数Iが存在して、i>Iならば|x-x_(n_i)|<ε/2。(x_n)がCauchy列であることより、任意のε/2に対して、ある自然数Nが存在して、n, m>Nならば|x_n - x_m|<ε/2。この2つより、任意のε>0に対して、n>max{I, N}ならば、|x - x_n|≦|x - x_(n_n)| + |x_(n_n) - x_n|<ε。□
√2に収束する数列(1, 1.4, 1.41, ...)はCauchy列だが、Qの元に収束しない。
f_n(x)を以下で定める。
xが有理数で、xを既約分数a/bに表したとき、bがn!の約数ならば、f_n(x) = 1。それ以外は、f_n(x) = 0。
各f_nは有限個の点で1になる以外0なので、Riemann積分可能で、∫|f_n(x)|dx = 0。
しかし、その(各点収束)極限は、xが有理数のとき1、無理数のとき0となる関数であり、これはRiemann積分不可能。(有理数の稠密性から、区間の細分をどれだけ細かくとっても、各区間に1を取る点と0を取る点がそれぞれ存在するため、Riemann和が収束しない)