はてなキーワード: 白髪とは
3年ぶり?くらいの帰省だった。
帰省しなかった理由は、面倒だったし交通費もかかるし、何よりもまったく誇るところがない自分をわざわざ見せたくなかったから。
親からすれば子どもがかえってくるだけでいいってもんなんだろうけど。
あとはいろいろと実家にいるときにやらかしちゃったことがたくさんあるから後ろめたいっていうのもある。
母親は前日に白髪を染めたらしい。慌てたせいで風呂場に染料がめっちゃ飛び散っててごめんと言っていた。
あと仕事で無能でしゃばり上司にいろいろと心労がたまっているらしい。精神科に行って漢方薬を飲んでいるらしい。
やたら饒舌でこっちの返答なんかお構いなしでしゃべるしゃべる。
ふだん父親が無口でまったく会話がないからその反動もあると思うけど。
父親は完璧主義で、自分がやらないとやる人がいないという潔癖的に強迫的な信念に突き動かされてほぼ休みなしで働きまくって心を病んでいる。
うまく力を抜くことができない人間。ごく少人数の職場で自分ひとりで負担を被って、生来の気質と悪い意味で歯車がかみあってしまってどんどん悪い方向に進んだんだと思う。
いくらがんばっても昇進もせず、今年で定年なのに最後まで働けないかもしれないらしい。
いくら外野が力を抜けとか健康を大事にしろって言ったって頑固で聞く耳もたないからどうしようもない。
妹がわりと実家に近いところにいてつきイチくらいで帰ってるらしい。
親孝行もあと10年だか20年だと思うけど、誕生日プレゼントを送ってたまに帰省するくらいでいい。
実家は疲れる。次帰るのはあと2,3年後、30すぎるかもしれない。
割と家族の夢は見るから、帰省したことも夢だったようにすら感じる。
基本的に一人でいいよ。
うわすげえ。話が通じてねぇ。しっかり伝わってるんだけど全然通じてねぇ。
言ってる事は正しいし、その案も妥当で適切だし、世相に合ったものだとは思う。
ただ、実際に提言としてどこかに会議に出されたら多分、重鎮の官僚やら政治家やらが白髪頭を抑えてちょっと笑うと思う。
なぜなら絶対に利益本位にしてはいけない部分、というのがあるんだ。
そこを利益本位で考えて動けるようにすると、確実に本来の目的から逸脱して暴走を始める制度、みたいなものが。
「ブラック企業を摘発したらボーナス」制度を適用したとしよう。
ボーナス欲しいから公務員頑張るよな。そりゃもうたくさん摘発する事だろう。
で、ブラック企業以外の企業もたくさん摘発され、抗議の声が上がるよな。
そしたら「この企業が本当にブラックかどうか」をお役所仕事でチンタラ検証している内に、風評被害であっさり潰れたりするのも出てくる。
弱い奴から死んでいく。
かなり犠牲が出て、「公務員のボーナスの為に働き口を奪われた!」みたいな異見が噴出して、結局は何も変わらないと。
政府が何もかも利益を中心に考えて動くようになったら、それは政府ではなくもはや国を実効支配するだけのただの私企業だ。
だから、利益をエサに釣ってはいけない部分、というのは確かに存在する。
少なくともだ、ブラック企業に苦しむ労働者の救済は、公務員の受け取る利益とは無関係に、行われなければならない。
「国家が密告を勧奨して、政体の悪口を言う人間の密告に褒賞を出すようにしたら、見事に言論を封殺された監視国家になりました!」
みたいな実例もあるしな。
仕事が終わると彼は、モニターをかちゃっと音をするまで折り畳まず、三十度くらいの絶妙な位置でキーボードにお辞儀をさせたままにさせておく。
ウィンドウズのアップデートの関係でそんなことをしているのかと思ったけど、
別にそんなことはなく、スリープ設定でコンプライアンス課に目を付けられることなくPCを落とさない苦肉の策とかそういうことでもなさそうだ。
まぁ、疑問には思っていたが、別にそれ以上になにか感じていたわけではなかった。
その後、上司が今の業務で相談したいことがあると、私の隣の席、
つまり同僚の席に座ったのだが、
『いつもいつも、どうして中途半端にしておくのかしら。』
ノートPCから、五十枚入りの資料をホッチキスで止めるような音がして思わず肩をすくめてしまった。
お客さんの動向がちょっと不透明になってる先行きの不安だとか、それなのに自分の要件だけ済ませて定時に賢く帰った同僚への苛立ちとかいろいろ有るのだろう。
だが上司らしくない気もした。
この、ちょっとした何気ない挙動が積もり積もってどれだけ彼女に影響を与えていたのだろう。
それは顧みれば自分も同じで、大抵のことは口には出さないから気づかないけど、自分の意図しない手癖や口振りが相手にいらっとポイントを与えてるのではないかと落ち着かない。
そう考えると、家族の明け透けな言動、また白髪を見つけたと邪気を含んだ顔で指摘してくれるおかんと妹には時々感謝をしたくもなるのだ。
大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイトを夜中に読んで
今では連絡先も知らない色んな人の事を朧げながら思い出したので少し書いてみる
自分は今から10年前くらいから日雇い派遣労働の事が問題になるくらいまで
きっかけは就活もせずに大学卒業して、色々あって精神的にやられてしまい
手っ取り早く社会と関われるものとして、まぁ簡単に言えばリハビリ感覚で登録した。
日雇い派遣労働者はその名前の通り、毎日色々な工場、倉庫やらの配送や検品、オフィスの移転作業などで都内近郊に派遣されて
肉体労働、単純作業をする。
仕事を終えたら事務所に連絡して、また次の日の派遣先を確認して次の日そこで働く。
その繰り返しの毎日。
体動かせたり、余計な事考えずに出来たのでその時期の自分にはちょうど良かった。
ある日、家から1時間半程かかる都内の工場、倉庫しかない島に派遣された
オフィス移転などの現場では大人数で同じ事務所の派遣労働者と仕事をするので、その現場で
「あそこは体力キツいよ 人も長年入っている派遣と変な社員しかいないから新しいのが派遣されても
続かない」と噂に聞いていた。
肉体的にキツいのは大なり小なり様々な現場があったが、人は派遣労働者にも派遣先にも変な人が択山いたので気にも止めなかった
当日倉庫の最寄りの駅で長年そこに派遣されている大きなピアスをいくつかしているAさん26才と待ち合わせ
特に嫌な感じのする人ではないが日雇いの暗黙のルールで身の上話等しないし、今までどこに派遣されたのかを話すくらいで
自分も精神的にやられた直後だったのでうまく会話も続けられず倉庫へ
倉庫内にいる人は
倉庫のお偉いさんのBさん 昔チワワが出ていた消費者金融のcmの男性俳優が白髪になった感じの神経質そうな人。
日雇い派遣のCさん 20代後半で倉庫内にギターを持ち込んだりして、たまに気ままに弾いているパーマの掛かったイケメンで
捕らえ所のなく飄々としていて力持ちな人。
社員のDさん いつもニコニコしている30代後半くらいで 倉庫内を高速でフォークリフトを乗り回し
社員のEさん 40代前半いわゆる身体障害者の人で障がい者枠で働かれていて
体は180近くある自分より体格も身長もデカくて 顔は厳つい人。
初めにピアスのAさんに作業内容を軽く聞いたら
整理したり積み込んだりしてEさんと一緒に行動を共にする
かなり重い物だったので初めはうまく運べずEさんに良く怒鳴られた
それをEさんは軽々持ち上げて運んでしまう。
障害が原因なのかとても滑舌が悪くて言葉は聞き取り辛く、食事の食べ方は汚かった。
注意も良く聞き取れない時があった。
Eさんはずっとそっけなく やたら冷たかったが自分はそういう人だと思って仕事をした。
派遣先の社員の人は派遣を見下してると感じさせる人が多かったので特に気にしなかった。
初日最後に「もう来ないでしょ?」っとEさんにそっけなく言われるが
自分は分からないです。という風に軽く首を捻る事をするだけしてその日は帰った。
だが、その後事務所から頼まれたら断らずそこに行くようになった。
今まで他の派遣されてきた学生やニート、リストラされたおっちゃん達にEさんが陰で色々言われているのは想像がついた。
案の定、その帰り道にEさんの悪口を聞かされる事になる。
作業はキツかったが、そこの倉庫の人達はジメジメした空気感もなく、かといって変にベタベタしたり
お互いに干渉する訳でもないのでその時期の自分にはとても居心地がよかった。
後々、Eさんは若い頃のヤンキー時代のすごい剃り込み入った写真を見せてくれたり
フォークリフトを走らせながらエロ動画を再生した携帯を不意に見せて笑わせたりしてくれたり
お互い下ネタを話したりしながら作業して、いつのまにか仲良くなっていた。
自分は殆ど笑う事のない時期だったのがおかげでいつの間にか少し笑える様になっていた。
大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイトのブログのような
最後は自分の就職先が決まり特に誰に最後ですとも言わずにフェードアウトした。
遅刻する時などの為に倉庫内の人たちとアドレス交換していたがその事について
特にお互い連絡することもなかった。
良くも悪くも個人的には派遣で妙にスレてしまった部分と感情を少し取り戻せた部分両方がある。
そんな時期やあの人達はどうしてるのかと少し思い出した。
日雇い派遣ではちゃんと働きだしてから出合う事がなくなった人を見たり、
いろんな事があったので、自分の原点再確認じゃないけど
また気が向いたら書いてみようかとも思う。
あれって白髪になるんでしたっけ?
自分の祖父母のそれは記憶になく、両親のそれもずいぶん長いこと見ておらず、温泉などで中高年の方の陰部を見たことあるはずなんですが、
やはりどんな感じだったかを思い出すことができないのです。
ただ、10年くらい前に職場の飲み会の際、当時40代の男性社員たちが白髪を話題にしておりまして、
そのなかの一人が「頭の白髪はともかく、下で発見したときはさすがにショックだったなー!」と言いますと、みながどっと笑った…という光景を少し離れたところから見たことがあるのです。
やはりショックで目をそらしてしまったため、きちんと確認できませんでしたが、おそらく。
母が認知症になった。
5年以上前、母は首が痛いといい寝込みがちになった。
そのときは、更年期だから数年すれば治るのだろうと思い、接骨院には定期的に通ってるのだからとあまり気にしていなかった。
それが間違いであった。
自分や兄弟が高校生、大学生となるにつれ家から離れることで、母は居場所を失っていたのだろう。
皆が高校を卒業すると同時に母の仕事が1つ減った。お弁当を作ることである。
自分が中学受験の塾に通うことでお弁当が必要になって以来、10年以上お弁当を毎日作り続けた。
その中には必ず卵焼きが入っており、食べている当時は飽き飽きしていたものの、食べなくなってから何年もたつというのにどのような味だったのか思い出せる。
母が一時期入院したときに代わりに伯母がお弁当を作ってくれたが、そのときの卵焼きの味の違いに気付いてから母の味は卵焼きであった。
そんな母は最近は朝起きるとまず洗濯物を洗い、アイロンをかけ始める。
やりながら、テレビを見、しばらくするとまた同じところにアイロンをかける。
それ以外の家事はほぼしない。
料理も品数が限られてきて、最近ではほぼしないため家族から文句が出る。
母は非常に綺麗な髪を持っていた。
50近くになっても白髪がほとんど生えず、綺麗な黒髪をしていた。
なんだかんだ、美人な母であった。
そんな状態でも髪を洗おうとせず、軽くお湯を流して終わりの様子。
化粧もしなくなり、外に出るときはすっぴんで出て行く。一時期は化粧に相当時間をかけていたというのに。
元々、東京にあこがれ都心の短大に田舎から推薦でいき、そのまま大学にはいったほどである。
父と結婚して少しは近畿の田舎で暮らしていたが、すぐに首都圏に出てきたことでそれ以来ずっと都会の人である。
嫌いになるのも無理はないかもしれない。
半分無理に連れて行ったことで、母は家に着いてから終始不機嫌だった。
そんな母がちょっとしたことで、本気で怒り出した。
母は怒ると周囲の人はとまどう。
元々、性格はしっかりはしていたものの優しく、かつまた真面目な性格であったからである。
そんな母が怒り、そばにいた妹は泣き出す始末。
そして家を飛び出した。
車で探し、無理矢理最寄り駅まで連れて行き、母方の実家に帰した。
つい先日は字がかけなくなりはじめていた。
それを見かねた父が字の練習をしてみようと勧めてみた。
すると、馬鹿にするなと本気で怒り紙をびりびりにやぶきはじめた。
それも周囲ところかまわず。
母にとっては、誰も自分を理解してくれない、孤独なのであろう。
そんな中で壊れてしまった。
無理矢理伯母と協力して病院に連れて行き、MRIをとることで初めて認知症であると分かった。
軽く調べてみると治療法は無い。
いつかはしゃべれなくなってしまうという。
それは、私にとっても、母にとっても。
誰も分からない。
情けは人のためならずという言葉があるが、それはめぐりめぐって自分に返ってくるからであろう。
せめて、残りの人生、母のためにありたいと思う。
あの頃の、元気な母は、変わってしまった。
でも、一番変わったのは自分なのかもしれない。
母のために、今からでも出来ることをしたい。
ずっとこのパン工場で働いてきて、最近ようやく工場長にまで昇格した。
もし工場で何か問題があると全て俺の責任だ。この重圧、ハンパねーぜ。
勤めはじめてもう35年っつーとこだ。特に大きな問題もなく、こうして工場長にまで
還暦近くなって言う台詞でもねえんだがよ、最近、恋をしちまったんだ・・・。
へっ、笑っちまうだろ?この白髪のジジイが、恋とか言ってんだぜ?
でもよ、自分の心に嘘はつけねえんだ。
ずっと独身でパン工場一筋でやってきて、この立場まで上り詰めて、
あと少しで定年。だのに、この年でこの立場で、恋なんだぜ?
その恋の相手だが、最近この工場に入ってきた「バタコ・カサンドラ・エミリア」、24歳だ。
若えだろ?俺と30以上も離れてやがんだ。
正直、顔が美人だとか端正だとか、そういうんじゃねえ。
言葉はわりいが本当に平均レベルの顔で、ちょっと面長で団子っ鼻な感じだ。
だがよ、そこじゃねえんだよな、この歳になっちまうとな。
尻なんだよな。尻。さいっこうの尻を持つオンナなんだよ。
オーバーオールから突き出たサイコーのシリがよ、俺の目の前にぐいぐいやってくるんだ。
ぐいぐいとやってきた魅力たっぷりのサイコーのケツがよぉ、工場長生命を脅かしてくるんだぜ。
まさかな、この歳でサイコーのシリに出会うとは思ってなかったぜ。
神よ、おめえも知ってるだろうが、世界中のパンを集めてきても、
そうさ俺は恋に落ちている。そして同時に憂鬱な気持ちにもなっている。
恋は激しく興奮をもたらし、そして同時に憂鬱をもたらす、。
憂鬱じゃなければ恋じゃねえ、なんつってな。
俺の人生のパンは、きちんと焼きあがんのかな。な。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37682
まぁ、さもありなんって思いながら読んだわけですが、もしその通りになったら怖いなーと思うのが、情報の格差というか理解力の格差というか。
上の人は下の人の考えがわからず、下の人は上の人の考えがわからず。
てか、実際今もあるよなーとは思うけど。おそらく、自分の生まれから考えると、私なんかは、ヤンキーといわずとも下のほうになってたと思うんですよね。
運よく?抜け出せたけど。
しかし、そんな生まれなせいか、一緒に仕事してる人を見てると、「嗚呼、こいつら私の知らん世界の生まれだな…」と思うことがしばしば。
まぁ、運よくそれなりの生活ができる時代に生まれたんで、実際に体験してるわけじゃないですが、私の親父の世代なんかは、まぁ厳しい生活だったらしい
ですよ。聞いてる限り、今の途上国とは変わらん生活してたような感じ。白髪三千丈で話してるのかもしれんけど。
一方で、そういうことが日本でもあった、ってのはこいつらわかんねーんだろうなー、だから途上国見下して見れるんだろうなーとか思ったり。途上国では
1台のバイクに家族で乗ってる?いやいや、そんな風景、日本でもあったでしょ?実際そんな写真ネットで見たし。
あと、実際に親父がガキだったころのジニ係数とか、所得分布とか調べて、今のインドとかわんねーよ?インドの統計がおかしいのかもしれんけど、「こいつ
ら、親とかの稼ぎはだいぶ上のほうだったんだろうねぇ…」とか思ってしまう。
お母さんみたいになりたい。
明るくていつも笑顔
早寝早起き
素直で一生懸命
人の役に立つの大好き
ママさんバレーでもそろそろ最年長になるけど頑張ってる
そもそも体を動かすのが好き
よく笑うからたるみがない
使ってる基礎化粧品はわたしのより慎ましい
お化粧もドラッグストア
歌ったり踊ったりたくさんする
変なゲームも思いついてすぐする
怒っても次の日になれば元通りにしてくれる
いやなことはすぐ忘れる
今でも仕事と家庭と両立してる
すごい大変だと思う、それでも今ある幸せに目を向ける
わたしたちからするとおばあちゃんお母さんに厳しすぎだろって思う
おばあちゃんは教えてるだけだって言う、確かに普段は普通だけど、
実際わたしたちはお母さんもおばあちゃんも好きだから、すごい複雑
でもお母さんはたまに喧嘩はするものの、わたしたちにおばあちゃんの悪口は言った事ない
お父さんのことが大好き
お父さんのことが大好き、なんて優しくて頑張り屋で偉いんだろう、お父さんよりいいひとはいないって言う。
デートに行くと、すっごく喜んでる。お父さんだーいすきって言葉にして言う。
そうやって育てられたから、わたしたちは思春期でもお父さん臭いとか思ったことないし、嫌いになったことない
はっきり言って育児とかすごい協力的ってわけではなかったと思う。
仕事すごく頑張り屋、体が心配になる、お父さんも人の役にたつこと、喜ばれることがだいすき。
すごくいいお父さんではあったけど、所謂仕事忙しくてあんまり家に居れないお父さん。
それでも、お父さんへの不満より、感謝の方が多いんだと思う。
もうとっくに成人したわたしたちにも、抱きしめぎゅっぎゅーとか歌いながら抱きしめてくれる
いつもより少し長い時間話をすると、ありがとう、しあわせだなーって言ってくれる
お母さんみたいになりたい
ここのとこ2ちゃん脳になりすぎて、女であることに恐怖しか抱けなかった
どうせみんな本当は女が嫌いなんだろって、どんな立場になっても叩くんだろって
家庭板とか鬼女とかきだんとかでまとめられてるようなことばっかり起こる
自分もどんどんひねくれて、醜い心になって、なにかを磨り減らして生きていくのかと思うと真っ暗だった
可愛くて若い女の子にしか生きる資格はないと思って自分で自分をいじめてた
なにもかもを信じる心を失ってた
でもお母さんみたいに生きればいいんだってなんか今気づいた
お母さんありがとう
お母さんの子どもだから頑張ればお母さんみたいになるのは無理じゃないはず
そう思うと頑張ろうって気になれた
のほほんと育ってきたから、色んなことを真に受けちゃって、
正直ひねくれきったこの心だけど、
今からでも遅くはないかもしれない、頑張ろう
<追記の追記>
なんかたくさんブコメとかありがとうございます
お母さんのいいとこ並べたかったり、自分の気持ちをメモりたかっただけなので想定外ですが、嬉しいです
一度消したのですが、少しだけ言いたくて無粋ながら追記します
色々言葉やお話を並べてもきりがないので、なるべく短く済ますのですが
なんかお父さんおばあちゃん下げみたいになっててすごく罪悪感が。
お父さんもおばあちゃんもいいとこいっぱいで、色んなことや見方があって
だから、そこにお互いに大前提として大好きの気持ちがあるのとないのでは、違うかな、と。
今回はお母さんのお話だったので、なんだかお父さんとおばあちゃんはそういう側面だけの話になってしまいました。
もしみなさんにそう思われちゃってるって知ったらお母さんも悲しむ気がするので、書かせてもらいました。
とりあえずこの度のわたしはお母さんが、お父さんのことずっと好きでいれてるってことが、希望になったので。
どんなところで生きるかよりどんな風に生きたいか、みたいな。心のおはなしです。
そういう心を持ったお母さんみたいになりたいなって思ったんです。
やなことないことなんてなくて、やなことあるけど、いいとこたくさん集められるようになりたいなって。
せっかくコメントくれたのにごめんなさい。
助言どうもありがとうございます。
お母さんの環境については今後もわたしなりに努力してもっと幸せにできるよう頑張ります。
すごく急いで書いたので支離滅裂な乱文でごめんなさい。
気分を悪くした方居たら、ごめんなさい。
禿は遺伝であれば、こんなの参考にも何にもならぬ。
【朝】
・ねぐせをとるため、洗面器でお湯のシャワーで髪をたっぷり濡らす。バスタオルでゴシゴシ拭き、その後ドライヤーで乾かし、出社
【昼】
・とにかく、髪、地肌をよくいじる。気付くと髪をいじっている。手ぐしも頻繁
【夜】
・シャンプーは容赦なく指の腹でゴッシゴシ擦る。髪の毛は抜けるが、ここで抜けるくらいの髪は、どうせ明日歩いてるときに抜ける。
シャンプーは特価品。コンディショナーも同レベル。こだわりなし
【食生活】
・酒は、日曜以外毎日。制限なし
・特に夜。ご飯&油物は食べない。
大皿のサラダ。キャベツ、パプリカ、チクワ等。ドレッシングはいろいろ。ただ、控えめ
・パックのもずく。
・キノコ炒め。黒ゴマ(すりゴマ)、七味唐辛子はたっぷりとかける。
【スポーツ】
ここ20年ほど、何もしてない。
【体形】
【その他】
後、先に、できれば相手の親に相談したほうが良いよ。
いくらそこで文句言われようとも、無理だということをしっかり話したほうが良い。
一方的な話をしてしまうのも良くないけど、現状を夫側からもしっかりと先に話しておいたほうが良い。
まあ、相手の親が相当な毒親だと微妙なところだけど。
奥さんにいきなりいうと、離婚したくないからってんで、あらゆる手段を課してくる可能性があるから。
そういう時、もう奥さん側ってのは、夫と一緒に居たいとか全然関係なしに、
自分の生活を守ることしか頭にないから、余計にヒドイことをしてくるけど、手を出したりしない。
はい、私です。
日々朝方まで文句を言われ続け、自分の家なのにベッドに寝ることもせず、物を壊されたり間接的に座っている所を蹴ったりされ始めた頃、
一度ひっぱたいてしまったらもうDVで訴えてやるからって。その時は逆にこちらはもうこれでDVでもなんでもいいから別れてくれ、って土下座して頼んだくらいだけどね。
それでも暫くこっちのタイミングでやるんだからお前が決めることじゃない、って言われてそんな生活が続いたが最終的にそのことを向こうで親と話したらしく、
親が激怒して引き連れてった。
勿論、それまでの妻の行動なんて一切知らず、こちらが日々殺す勢いでDVをしてたとのこと。あなたを殺人犯にしないため、あなたのために娘を連れ帰った、と言われた。
まあそんなこんなで結構こじれたけど、何とか住んでからは、白髪が超減ったり(まだ30代前半で白髪がひどくてほんとにどうしようかと思ってた)
あ、それな、私7年くらい続けた。
それで最後の1年は働いてるのか働いてないのかもう分からん中で働いてた。
現実感まるでなし。褒められても叱られても無感動だった。
社員全員(どころか顧客までグルになって)自分を欺いて除けもんにしてる気がしてた。
殆ど使い物にならない状態まで神経やられて、自律神経やられたわ。
途中で病院行ったりしたけど全然意味なかった。効かない薬代に無駄金使っただけだった。
辞めるんなら早いほうがいいよ。ただ家族とか支えなければならない場合はも少し環境を改善したほうがいいかも。
二日酔いにより目覚めは最悪。
隣のテントで寝泊まりする人々と軽く会話するも、気分悪すぎてどうにも調子が出ない。
前日多大なる迷惑をかけた方々とYo La Tengoにて待ち合わせをしていたため、けだるい体に鞭を打ち、なんとかグリーンステージへ。
3ピースながら曲ごとにパートチェンジを行うという器用さを見せつけていた。
そして極めつけはこれぞ90's USオルタナ!って感じのノイズギター。
しかしながら全体的に音量不足で、折角のノイズギターが後ろまで届いていなかった。
普通のアメリカ人が、まるで灰野敬二かのようにノイズギターを弾きまくる姿は面白かった。
今年一月に「ガンとはもう闘病しないことにしました!おそらく最後の来日!」と称して南青山レッドシューズにて行ったライブは記憶に新しいが(行けなくて口惜しい思いをした)、なんとフジロックでは二回もステージに立っているではないか!!
前日深夜にはクリスタルパレスでもライブを行なっていたが、入場制限&長蛇の列で諦めた。
満を持して迎えたグリーンステージでのライブだったが、期待通り演奏されたのは全てドクター・フィールグッドの曲!
演奏内容も、ウィルコ・ジョンソンが歌っているだけで他は昔と変わらず。
ギターソロではキチガイ風ダンスをし、ライブはJohnny B. Goodeで終わるところまで、私が普段聞いている37年前に録音されたライブ盤とほとんど変わらず。
ライブ中盤では、女に見立てたギターを抱きしめ語りかけた後に腰を振り始めるなど、元気すぎる一面すら見せていた。
・Jazzanova feat. Paul Randolph
実はJazzanovaを見るのは本年二回目であり、前回はチケット3500円のフェスにてDJの横でPaul Randolphが歌うだけというクソみたいなライブであった。
今回はちゃんと管楽器も含めた10人編成であり、迫力の生演奏。
安定感抜群のJazzanovaの演奏がなかったら憂鬱すぎてどうにもならないほどの豪雨もなんとか精神的にはしのげた。
そして、改めて日本のバンドに足りないのは電子ドラムのパッドだなぁと痛感。
もちろん、テクノロジーによって表面的な個性を演出するのは本質的でないが、Jazzanovaの様にフィジカルなプレイとテクノロジーを共存させているバンドを見る度に電子ドラムや管楽器へのエフェクター使いなども選択肢として考えるべきだと感じる。
・Toro Y Moi
今年のフジロックで一番期待していたし、期待を裏切らないベストアクトだった。
直前に見たJazzanovaと同様にフィジカルなプレイとテクノロジーを完璧なバランスで共存させているバンド。
予習としてライブ映像を見た時から上述のバランス感は素晴らしいと思っていたが、生で見ると改めてその完璧さに惚れ惚れとしてしまった。
編成はToro Y Moi本人がボーカルキーボード、そしてギター・ベース・ドラムという四人組であった。
そう、編成だけ見ると通常のロックバンドとなんら変わらないのである。
しかし、この4人によって生み出されるサウンドは現代版にアップデートされたディスコサウンドであり、編成からは想像もつかないものだ。
どのようにしてそれが達成されてるか考えてみると、ギターの役割が象徴的であったように思える。
というのも、通常のロックバンドにおいてギターはリズム(バッキング)ギターもしくはリードギターと呼ばれることが多いが、Toro Y Moiにおけるギターはその両者とも言い難い役割を果たしていた。
つまり、通常のロックバンドにおいて固定化されている、パートごとの役割が解体されてつつあるのだ。
それはまるで「ジャコ・パストリアスはバンドにおけるベースの立ち位置を変えた」といわれるように、ロックバンドの様式をアップデートするものだ。
いやー、Toro Y Moiまじですごいよ。
Toro Y Moiはチャズ・バンディックによるソロプロジェクトなわけだから、バンドはワンマン化してもおかしくないはずが、ライブでは個々人のプレイアビリティが絶妙に生かされていた。
この点において後述するThe XXとは対照的。
The XXはバンドの形式をとっているにも関わらず完全にJamie XXのワンマン化していた。
ワンマン化というのはつまり、他のメンバーは言われたとおり楽器が弾ける人なら誰でも代替可能ということ。
実際は曲作りの段階であったり人間関係の上で代替可能なんてことはありえないのだが、ライブ演奏においてはワンマン化していた。
さらに言えば、フィジカルなプレイとテクノロジーのバランスという意味でも、The XXはテクノロジー寄りで、ステージに立っている人間は割と置物寄りと言わざるを得ない。
そんな感じで最高だったToro Y Moi、唯一ケチを付けるとしたら演奏が予定より13分も早く終わってしまったこと。。。
やはり、PCで作成した曲をバンドアレンジしているため、持ち曲が少ないのだろうか。
そういえば余談だが、Toro Y Moiのルックスは若かりし頃アフロだった釣瓶にそっくりであるということに気づいてしまった。
個人的にはツボな発見だったのだが、どうやらこの話はウケが悪いようなのでここまでにしておく。
とりあえずEasyという曲が完全に小西康陽サウンドだったのと、Heartbeatの時だけ盛り上がりが尋常じゃなくその他新曲中心の演奏はウケが悪気味だったのは覚えている。
あと、レッドマーキーは屋根があり、音が篭っているためしゃがんでしまうと上ものが全く聞こえなくなってしまうことに気づいた。
恐らくTAHITI 80はボーカルの声も高いし、上ものたちがバンドの個性を演出しているから気づいたんだろう。
まぁHeartbeatはよかったよ。
文句をつけるとすれば、カッティングギターの音作りが悪かった。弾くのが下手くそなのと相まって、16分のカッティングが全然気持よく感じられない。
・Vampire Weekend
ライブ音源を聞いて知ってたけど、A-PunkはCD音源よりもテンポが遅く踊るにはちょいと物足りない感じ。
CDでは1stのヌケ感がだんだんなくなって壮大な曲作りになってしまい残念だなーとか思っていたが、いざライブで聴いてみると初期の曲ですら壮大に感じられ、「なるほど、もともとこういうバンドだったのか」と思わされた。
Vampire Weekendでも上述のバランス感は感じられたが、Vampire Weekendは従来のバンドであり、やはりゼロ年代のバンドという感じ。HURTSもTAHITI 80もそう。
そういう意味ではJames Blakeとかもやっぱり10年代を感じさせる。
・LETTUCE
大学の先輩と合流し、The XXまでのつなぎとして一応見る。
ジャズファンクとかあんあり好きじゃないんすよねーとか言いつつ見ていたが、思いの外よい、というかよさがわかった。
あの手のものは工芸であって美術じゃないだよなーみたいな風に思っていたのだが、ギタリストは芸達者で素晴らしかった。
でもやっぱり管楽器とかはどれも同じに聞こえてしまう。それは単に自分がやってるかやってないかの違いかもしれないが、Jazzanovaみたいにエフェクトかけてみたりすりゃいいのにーとか少し思ってしまう。
とはいえ全体的に楽しく、アパッチを演奏し始めた時にThe XXへと移動したのだが、なかなかに後ろ髪を引かれてしまった。
・The XX
上述したが、Jamie XXのワンマン感がすごかった。
どういうことかというと、フロントでは女性ギタリストと男性ベーシストが共にボーカルをとっているのだが、それぞれ楽器の演奏はしていたりしていなかったりという感じ。
対照的に後ろにはMPCが二台、電子ドラムパッドが4つ、シンバル、スネア、極めつけにはスティール・パンが並んでおり、これら全てを演奏していたのがJamie XXだ。
バンドの世界観をショウとして演出するという面では完璧だった。
全員恐らくKOMAKINOの服を着て、ステージは照明を落とし、白いフラッシュとレーザーが空間を埋める。
すごかったのは、レーザーを反射させてステージ全体に広がるスモークの中に巨大なXを描く演出。
そういえばホワイトステージにおいても聞く位置によるサウンドに良し悪しは顕著で、ちゃんとした音で聞こうと思ったら人混みをかき分けてセンターのPA前くらいまではいかないとダメだなと思った。
最初は左サイド後ろで聞いてたが、これではモノラルイヤホンで聴いているようなものだ。
まぁ屋外フェスで音がどうこうとかうるせーよって話だが。
なんとアンコールを40分もやって日付が変わっても演奏し続けていたそうで。
The XXが終わってから戻ってきてもゆうに30分以上見られましたし、ちゃんとBoys don't cryも聞けた。
個人的にはメンバーのルックスが気になってたのだが、白髪をワックスで固め昔と変わらぬ化粧を施したボーカルの姿はそれだけで泣けるレベルであった。
演奏に関しては、CD音源をハイエンド・オーディオで聴いているかのような解像度で驚いた。
各楽器の音が完璧に分離しててすっげーと思いながら踊っていた。
・GOMA and The Jungle Rhythm Section
ディジュリドゥ奏者GOMA、ドラム、ジャンベとコンガ、その他パーカスみたいな4人編成。
ディジュリドゥは普通にすごいんだけど(循環呼吸が必要で、音出せるだけでちょっとすごいらしい)、ずーーーっとアフリカンなパーカスたっぷり4つ打ちで若干退屈であった。
しかしこれまたしゃがむとディジュリドゥとキックしか聞こえないというw
部分的に聞けばめちゃくちゃ踊れるし最高なんだが。
そういえばGOMAさんは未だ高次脳機能障害のリハビリ中であり、MCはカンペを見ながらだった。
GOMAさんが音楽の力を信じて病と戦うというか克服していく様はドキュメンタリー映画にもなってるし、インタビューとかで読んでも普通に感動できる。
・Jamie XX(DJ)
The XXの曲もかけつつアフロビートとか80'sディスコとかまでかけて見識の広さとセンスの良さを見せびらかすかのようなDJ。
こいつあってのThe XXだよなーと感じさせる。
・石野卓球
富士山とかかけるのかと思ったら、おふざけ要素一切なくガチテクノをストイックにかけ続けるDJスタイルだったので途中で退場。
僕のフジロックはここで終わりました。
途中でCan you dance tonight?という声ネタを何度も挟んでいたが、もう既に朝だったw
俺よくここまで頑張ったよ…と思いつつテントに帰る。