はてなキーワード: 宴会とは
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
わかるわー
宴会も業務時間にしてくれたら朝まで飲んでも妻に「給料出るから」って言えるしな。
炎上中の案件にアサインされたからってそんなクソ案件に律儀に付き合いたくないし、出来ればリモートとかしたり連休も取りたいよなー
親戚の集まりがあると女であれば中高生でも配膳を手伝わせられる文化
どちらに転んでもクソな文化だ
私が高校生までは年に1回、飛行機の距離にある父方の本家へ行っていた。
集まりには、車の距離から私達のように遠方に住んでいる10家族ほどと、多分血縁の遠い親戚が年によって顔を出したり出さなかったりな感じで集まっていた。
成人男性だけでも最低でも10人、でかくなった息子や息子夫婦を連れてきたりもするので多い時は20くらいいたと思う。
嫁と女の子たちはもちろん台所に籠って一日中料理を作り、運ぶのが仕事だった。
そうすると中学〜大学生の娘に、家事なんてお母さんたちに任せてこっち来てお酌しながら飯を食えと男衆から声がかかる。
しかし大学生くらいの娘がいる叔母さんは配膳を手伝いなさい!あんなところに行くな!と厳しく言ってくるのだ。
もちろん小中学生の私もなぜ同い年くらいの男の子は座ってご飯食べれて、私は料理を運ぶだけ、余った酒のつまみを台所の隅で食べなきゃいけないのかと言う不満もあったし、私の母も嫁の立場で、こう言った親戚付き合いの経験がなかったので配膳を手伝わせるのは可哀想と思い一緒にご飯食べてきなさいといってくれるので、私は喜んでお酌しに行った。
お酌しに行くと毎年、生理は来たのか、彼氏はいるのかという質問をされた。はじめてお酌しに行ったのは小学3年生くらいでその質問をされる意味も様々な質問の意味もあまり理解できなかったのだ、酒のつまみの話題としてのセクハラだった。中学生になり体も成長するとお触りも増えてきた。この頃になるともう気持ち悪さが理解できるのでお酌はしに行かなくなった。また、高校生や大学生のお兄さんは来るのに、仲良かったお姉さん達が来なくなる理由も分かった。毎年母と私に台所仕事してなさいと年長の叔母さん達が私と母を諌めてた理由がわかった。私と母に無理やりにでも台所仕事をさせて叔母さん達がお酌しに行く事もあり、自分ばかり楽しいことをしてずるいと思う事もあったが、ああいうセクハラから守る為だったというのも今なら理解できる。
高校生の頃本家当主が亡くなり葬式に参列したのが本家に顔を出した最後である。
その日の宴会の時当主の伴侶(おおばぁと呼んでいた)に呼ばれ、本家により近い家に30代独身の男性がいるので夜の相手をしろと言われた。
勿論意味はわかっていたが、ここまでさせるのか!?と怒り?悲しみ?かは分からないが配膳をしようとしなかろうとどう転んでもよく扱われない文化やそれを良しとする文化全てが嫌になり、何も分からない振りをして宴会の席に行き、おおばぁに〇さんの夜の相手をしろって言われたけどどういう意味?と大声で聞いてやった。
その日は一晩本家側の女性達に蔵に閉じ込められ、次の日には葬式の一貫でやることがまだあったが、家族共々帰らせられた。
その時以降は両親も出向いてないそうなので所謂村八分?親戚八分?になったのだろう。
本家に集まった時によく遊んでくれたお兄さんに今高校生の娘がいて、あの時の事を思い出して連絡をくれた。
本家には家族で行くことは避けていたが、家族で顔を出せと言われたらしい。
ちょうど私が問題発言をした時と同じくらいの年齢だから何も無かったとしてもバックれると言っていた。
もう当時の半分にも満たないほど集まる親戚も少なくなり、高齢化し賑やかではなくなったそうだ。
このまま滅びて欲しいし、うち以外でも似たような文化は残ってるところもある。
須らくクソなので全て亡びて欲しい。
本当に必然性が皆無ならもう廃れてると思うんだよな。
三国志とかの時代からなんやかんや宴会が続いてるってことは何かメリットがあると考えるのが妥当で、それを考えてみようとしないのは、元増田が言うところの思い上がりなんじゃないかと思う。
言った手前自分でも考えてみるけど、まぁ単純に飲食とかのイベント絡めないで2時間とか喋るのって大変、っていうのはあるだろうね。
酒を飲むことで「プライベートな雰囲気であなたと交流する意思がありますよ」ってポーズを(実際の意図はどうあれ)表明する効果もあるのかも。
ボードゲームカフェで親睦を深める会みたいなのに参加したことあるけど、飲食じゃなくてそういうのでもいいのかもしれない。
神 食糞、尿イッキ飲み
九段 公開オナニー、ア○ルセックス、ビール浣腸(女ならマ○コでバナナ切り、「産卵」、人間燭台)
八段 路上で全裸全力疾走、ラップなしフェラ、全裸で擬似SM(女なら路上で全裸全力疾走、わかめ酒、女体盛り)
七段 ケツで生け花、きゅうり、花火挿入、ラップ有りフェラ、女の頭にちょんまげ(女なら野球拳で全裸になる、下着姿でザーメンぶっかけ)
六段 陰毛ファイヤー、男同士でディープキス、エリマキトカゲ、ケツにプリッツ挿入(女なら野球拳でパンツ一枚まで、公開フェラ)
五段 マジックで体に名前書いてお盆使わず裸踊り、路上でセミ、ちょんまげ(女ならトップレスでだっちゅーの、男と公開ディープキス)
四段 革靴でビールイッキ飲み
三段 取引先の前でお盆使って裸踊り、ウォッシュレット(女ならバニーガールのコスプレやハイレグで踊る、非公開売春、野球拳で下着まで)
学生時代に死ぬほど嫌なことしてきたやつが、某グルメサイトの会社に勤めていることが判明した。
当時は、嫌がらせを受けたというか、怒鳴る、泣き叫ぶ、自分の思い通りにいかないと机や椅子を蹴る、
女特有のキンキン声でヒステリーを起こすなど、手がつけられない子供みたいなやつだし、
とにかく我儘な人で、私がすることやること考えることに対して反対の行動をしてくるし、何かと否定された。もちろん人格否定もされた。
また、会話が成り立たず、相手に押されてしまうと嫌とはっきりとは言えず、精神的にも非常にダメージを受けていた。
今思えば、キャットファイト位しておけばよかったと思っている。
私にとっては思い出したくもない人なので、そいつが来そうなコミュニティとは縁を切っている状態である。
「いじめ」の定義には当てはまらないと思うのでいじめでは無かったかもしれないが、私は死ぬほど嫌な思いをした。
まあ、何回か本当に死のうとしたけど。
ふとしたことがきっかけで、その人が某著名(?)グルメサイトに勤めていることが判明したので、
私は宴会の幹事をしたり、友達と集まるときにお店探しや予約をすることが多い。
昔はネットで飲食店の情報を調べたり、お店を皆に知らせる時はこのサイトを使っていたし、
食べログは口コミ評価の操作があった時から印象が悪かったので使わなかったけど、
今回、そのグルメサイトや関連サービスを一生使わないと決めたので、これからは食べログかGoogle口コミかホットペッパーかOZmallかヒトサラにお世話になると思う。
加えて、一生使わないと決めたその会社は楽天グループみたいなので、楽天も今後使用は必要最低限にすることにした。
楽天カードも解約しようかな。とりあえずアプリは全部削除した。
ポイントは今後、ファミマや他のお店で使う位にとどめようと思う。
人間、こういうことで関連サービスを使いたく無くなるんだなと我ことながら滑稽に感じる。
私1人位、そのグルメサイトや楽天を使わなくなってもその会社に影響は無いかと思うが、私のちょっとした復讐なのである。
当時からその後10年位は精神的ダメージをずっと引きずってて、今もちょっとした後遺症みたいなのが残っているけど、
もう今後、ぜってーあの会社のサービスは使ってやらんぜ!収益を逃したな!!うっしっしとアプリを消しながらスカッとしたので深夜のはてなに書いてみた。
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ホットエントリーに入っていてびっくりした。
自分の中で整理させるために書いたので、記事への反応やブクマがつくとは思っていなかったので、ありがとうございます。
色々なコメントをいただく中で、正直、ちょっとスッキリした自分がいます。
一番良いのは、過去にとらわれず、その事について行動や思考のエネルギーを使わないことだと分かってはいるものの、
当時されたことを思うと、割り切れない部分はどうしても残ります。
年々その考えは薄くなってきているのは感じますが、それでもされたこと、起きたことは事実なので、それは一生消えないし、
同じように、私がしたことも事実として消えないのだと思います。
とはいえ、アプリを消している時の私は「ぐへへへェ〜消してやったぜぇ〜あのサイトも関連サービスも一生使わないぜ〜」と
ギャグ漫画の悪人になった感じ&絵を思い浮かべており(もちろん1人の時にやりました笑)面白おかしく昇華できたのではないかと思っています。
ちなみに、キャットファイトは女同士の取っ組み合いの喧嘩という意味で書いております。興行的な方の意味では無いです。
なお、もう転職してるのではと書いて下さっている方がいましたが、気が付いたふとしたきっかけは、
あるコンテンツの紹介記事でその人の名前&画像がネットにあったのを見つけたからで、
その記事の日付は比較的最近だったので、流石にまだ転職はしていないのではないかなぁと思います。
当時から、人から注目されたりスゴいと思われるのが大大大好きな人だったので、
記事が出て2ヵ月位の現在は、まだ転職はしていないんじゃないかなと思っています。
どなたかも書いていますが、その人は自分がやったことも忘れて、たぶんパフェ食べてます。
こんなこと思っている人が存在していることすら想像できないでしょう。
こちらちょっとフェイクを入れていますし、万が一、該当の記事はこれ?と書いていただいても、その事に私が言及することはしないです。
たとえ冤罪だとしても何も書きませんので、探し当てても晒すようなことはおやめください。
こっそり個人でお楽しみください。
死んだ爺さんがやらかしたのは責められて仕方ないとして、タレントに「お前ら知ってたのに組織ぐるみで隠蔽してた!悪だ!」ってのは無理があるんでねーのかと思ったりする。
いや実際全員がやられてたって言うならそりゃみんなで隠蔽してたってことになるけど実際自分の息子とか弟事務所に入れてるジャニタレがいること考えると全員が全員被害にあってるとは言えなさそうな気がするんだよな。
んで、芸能人なんて毎日のようにマスコミにあることないことないことないこと書かれてるんだから、暴露本とかネットで爺は性加害してる変態だって言われてるって知ってたって自分や周囲にそんな被害なかったら「まーたなんか外野が適当なこと言ってる(呆)ほっとこ」ってならないか?
当時子供を安全に預かる責任のあった、運営に携わってた人間はちゃんと噂にも危機感もって調査なり対処しろよって思うけどタレントにそこまで求めるのは酷だろ。
ていうか当時Jrを統括してたとかいう旧SMAPのマネが爺の加害知らねーって言ってるほうが問題だろ。知らねーのかよ。そこをつつけよ。どうなってんだよ。タッキーもJrのボスだったんだろ。なんか知らねーのかよ責任ねえのかよ。
あと新社長のソーセージ()が叩かれてるけど昭和の接待飲み会とか若手が裸になって踊ったりちんちん頭に乗せたり靴にビール注いで飲んだりしてたって言うじゃん。先輩も言ってたわ。ちんちん皿の上に出すの今の感覚だとキメーなって思うけど、それが許されちゃった時代じゃん。某◯優も先輩が寝てる後輩の顔にちんちん乗せたとか笑ってしゃべってたわ。
どうせマスコミとかも宴会で暴れて男芸者とかなんとか言ってた時代経てるのにソーセージ()必死に叩いてんのクソキメェな
とりあえずジャニは意味わからん中途半端な会見やってないでしっかり調査して当時在籍してて被害にあったという証言が真実と思われる相手には謝罪と補償を粛々とやれ。過失とそれに対する対応をしたかどうかがわかるように調査はきっちりやれ。膿は出しきれ。んで爺とは無関係だろう未成年のちっこい所属タレントとかかわいそうだからちゃんと守るって態度を示せ。セカンドレイプは許すな。
事務所は後手後手だしマスコミは掌クルーで都合よすぎだし何もかもがキメエしテレビつけるとこの話ばっかでイライラする。出てくる人間みんな頭わるすぎだろ。
やれセキュリティカードでドアロックを解除するのが普通だの、ペーパーレスで紙の書類なんて扱わないだの、働き方改革で残業なんてないだの、内勤じゃスーツなんて着ないだの。
なあ、自分の観測範囲内を、まるでこの国の常識のように語らないでくれ。
昭和45年創業従業員80名前後非上場地方企業の弊社にはセキュリティなんてない。最初に来た人が解錠して最後に帰る人が施錠してそれまでは開けっぱだ。
男はスーツ女は制服で、繁忙期には寝袋持ち込んで泊まり込みで、メールどころかFAXが現役で、タイムカードもない。
田舎の特異例を挙げてるだけだと思われるかもしれない。だが、同一市町村内で地方中小を4社ほど渡り歩いたが全部の職場がこんな感じだった。少なくともn=1ではなくn=5くらいではある。
東京が1,400万人。500万人以上いる北海道、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡を差し引いても5,600万人と半分弱が残る。
(仙台やら京都やらはどうだって意見もあるかもだが、県単位で丸めてるから差し引きでそんなに変わらんだろ、たぶん)
んで日本企業の99.7%が中小企業で、全被雇用者のおよそ7割が中小企業の社員だ。500万人以上の県を差し引いても全被雇用者の3割いる。
まあこんな雑な比率なんてどうでもいいんだ。田舎の中小企業で働いてるやつは何百万人もいるってこと。
そんな当たり前のデータがなんだ。そんなことはわかっている、とお前らは言うかもしれんが、本当にわかっているか?
女子社員が男子社員全員のお茶を毎朝淹れたり、強制参加の宴会でコンパニオンのオネーチャンを呼んだり、経営者と労基がズブズブだったり。コンプライアンスなんて言葉すら知らねえ。
これが海の向こうの遠い国の物語でも、親戚のジジイの昔語りでもなく、すぐ隣近所にいまもある話だって実感があるか?
まあ全部の中小企業がそうだとは言わねえ。福利厚生が整ってる今風の勤務環境を提供してる中小企業もあるんじゃないか。
だがうちみたいな会社はまだまだ相当な数があって、掻き集めりゃ相当な人数が働いてるだろう。
次にお前らはそんな企業は潰れろ、淘汰されろって言うだろ?
なあ、中小企業を使って利益上げてる大企業が影響受けないと思うか?
これは(というかこの駄文全部が俺の)偏見だが、中小企業には仕事中にパチンコ行くようなカスが大量に在籍してるぞ。
中小企業が潰れまくったら何百万って人が職にあぶれるわけだ。カスが大量に含まれてるうち、いったいその何割がまともな職にありつけるだろうな?
その功利主義の行き着く先は、キラキラ社会人たちが毎日の通勤で通り魔ガチャを回す社会か?
お前らは本当にそれでいいのか?