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はてなキーワード: 反動とは

2019-01-29

anond:20190129111017

法律にも背いてないし、「不快にさせる」のはみんなお互い様やで?

それを一方だけをエビデンスもなく弾圧したらそりゃ反動も出るってもんやで?

2019-01-27

生き物苦手板=動物虐待カルチャーの勢い

最近「生き物苦手板」文化ネット上でかなり浸透してるのを感じる

5年~10年前に2chに猫の虐待動画虐待画像を貼り付けたら

阿鼻叫喚でpart3スレまでは行く大騒ぎになっただろう(実際VIPで昔こげんた画像釣りスレが『祭り』になった)

だけど、今やなんJや嫌儲でgato動画やgato画像普通に鑑賞されているし、

twitterを軽く検索しても反動物愛誤、猫虐待愛好家のツイートが(まだ数は少ないとはいえ)に出てきているし、

猫を放し飼いにしている飼い主が『炎上』する事件も増えてきた。

アングラが主ではあるが、全体的に動物虐待コンテンツとして受け入れる土壌が形成されつつあるのを感じる。

真夏の夜の淫夢』が流行した時も、

まさかネット上でみんなでホモビデオを鑑賞する文化が大ブームになるなんて思いもしなかった。

しかしたらあと数年すれば、

gato=猫虐待動画が大ブームになって今の淫夢コンテンツポジションに立っているかもしれない。

anond:20190127173939

ベビーブーム時代はまだ農家人口は7割ぐらいあった上に、戦争終結反動だろ?あれは。

今は農家は1割もないぞ。

2019-01-23

躁がまたやってきた気がする

今日は朝5時に昨日作った化合物冷凍庫に入れ忘れたことに気付いて飛び起きて、5分くらい「この世の終わりだ…!」と泣き叫んだ後、今からでも冷凍庫に入れようと思っていつもより3時間も早く登校してしまった。

一連の行動とか心情とか凄くハイに病んでると感じる。

(冷静に考えて空気カラム出来るくらいだし、一晩くらい置いておいたところで大きく劣化はしないと思う。せいぜい収率が数%下がるくらいでしょう。)

躁になると、浪費癖常識的範囲に留めるように気を付けないといけない。大きな買い物はよく考えて一晩おきましょう。

早くも反動が怖いなぁ。2月あたり実験が行き詰まる予感がするから心配。今のうちに頑張ってるの貯金を貯めておくか。

躁鬱は高血圧と同じで治るとかそういうものではないらしいので、頑張って付き合っていきましょう。

anond:20190123030022

増田はじゅうぶん言い返せてると思うよ。

俺にはこんなに悪気がないんだ、俺だってお前に踏まれてる!! っていう被害者意識がびんびんに伝わってくる。

俺ってば弱者サマ、っていうしぐさの上手さ度で言ったら増田もなかなかのもん。

自分で思ってるほど言われてかわいそう、って感じじゃないし、言い返せてるから安心して欲しいと思う。

それがギスギスしてイヤだな、って思うのはまあ、マジョリティ傲慢だね。

昔は不快感の表明が手軽に出来なかっただけで、マイノリティ側はフラストレーション溜めまくってたわけだから

あんがい今の声のでかさも、これまで無視されてきた反動かもよ。

2019-01-19

お酒飲み過ぎはよくない

とはいえ昨日はビール1本チューハイ2本

たいして飲んでない

にもかかわらず、朝 微妙テンション落ちてた

若干の体調不良もある、気づかないレベルだけど

飲んでテンション上がるのはいいが

翌日反動で上がった分以上に下がる気がする

上がってるのは一瞬だが下がったら長い

2019-01-11

年々、というか毎クール毎にアニメ追うのがしんどくなってきてて見る量が減ってきている。

そんな中でも昨年の秋アニメ面白い作品が多くて、2018年としては見る作品が一番多かったクールだったと思う。

アニメが豊作で楽しみまくった反動か、今年の冬アニメを見る気が全く起きない。

多分、アニメ追う疲れ+充実しすぎて燃え尽き症候群ダブルパンチ食らったかな。

現状の所、気になる作品一つもないんだよなぁ……。

このままリアルタイムで追うの辞められたらいいんだけど、私の事だから多分、片手で数えられる程度の作品は見ちゃうんだろうな。

anond:20190111150415

性欲と恋愛感情が分離すると信じている人って肉体を汚れたものだと思ってるのかな

自分の肉体が女に属することで、個が女性性に飲み込まれるんだよね

その反動で愛に肉体はいらないとか言って、西洋思想にも飲み込まれていく

結局なんかに飲み込まれていく女

2019-01-10

anond:20190110144025

全部お前らから被害で笑うわ

それ全て女性差別されてる証拠じゃねーか

読み方によってはそうも見えるかもね。君のメガネは色が濃いから。

そんなこと言いだしたら医大の件にしても「女性が楽な科しか選ばず、男性過酷な科を押し付けてる男性差別反動」ということも出来る。

言い様はいくらでもあるんだが。自分たち側のみ有利な見方選択するのは失笑ものだよ。

それに男のDV被害者なんてほとんどいないだろ

君らの好きな言葉を贈ろう。「暗数」。

相談窓口さえ制限されるぞ男性はさ。

女性毎日殺されてるんだぞ?

ソース無しの誇張表現

2019-01-08

anond:20190108091258

貫通力とストッピングパワーの両方が必要なんや

かい銃のデカい弾はそれだけ多くの火薬を使えるし、銃のデカさは反動抑制意味もある。

重心の長さはそれだけ弾に回転をかけられるし精度に貢献する。

銃の威力

この銃はこっちより強いとか弱いとか言うじゃん

でも威力関係なく弾が当たったら普通戦闘不能になるし、どんな弾でも300mまでしか普通は当たらないんでしょ?

それじゃあ強い弾は反動が大きいから銃の精度が良くても身体がブレて命中弾が減って効果が下がるだけじゃない?

最強の防弾ベストとかも治療したらほぼ完璧に治るだけで怪我はするし体幹だけで手足は出てるから当たれば戦闘不能にはなるじゃん

全部ピストルマシンピストルスケールアップで良くない? 大きなライフルとかの存在意義ってなんなの?

2019-01-04

京大までの受験の思い出(楽に入る編)

書きたくなったので。

 

 

小学生とき、親の意向中学受験した。

学校ではトップの成績だったが、塾ではそうはいかない。頭のいい奴らがゴロゴロいた。

教育ママだったか小学生低学年から通信教育をやっていて、そのおかげか入塾テストではトップクラスに入れた。が、成績は二年間でどんどん落ちて、最終的には上から三番目のクラスだった。

志望校は二番目のクラスまでしか入れないというのが恒例だったので、周りにはあまり期待されていなかったようだ。しか自分絶対受かるだろと謎の自信が最後まであった。

結果は合格

二番目のクラスから合格者がでないおろか、一番上のクラスの奴も2/3くらいしかからなかったから、三番目から合格というのは驚かれた。

 

 

中学時代

中一からスパルタで有名な某進学塾に入った。入れさせられたの半分、入りたかったの半分。

塾も学校レベルが高く、ああ自分はだめなんだなとはやくも感じてしまった。特に中間試験という数字で結果が現れる機会は残酷だった。(今思えば勉強してないだけだったが)

それからは暗黒期。

小学生のころはゲーム禁止されていたこともあり、その反動中学入ってからはアホみたいにゲームした。当然成績は浮上することはない。僕はいわゆる「深海魚」になってしまった。

 

 

高校時代

大学受験が近づいた焦りで多少塾の勉強を真面目にやりようになる。が、それ以上に周りが頑張るので成績はあがらない。

この時期に塾の英語はついていけなくなってやめた。情けなさはあったけど、自分でやればいいかと思って逃げた。

高二までは学校行事を頑張ってて、勉強意識しないようにしてた。

高三になるといよいよ受験だ。

友人と図書館で集まったりして勉強したが、家では全く勉強できず学校模試では後ろから1/4に入ってしまう。

なのに夏の京大模試では運良くB判定。これで完全に油断して行ける気になってた。

ちなみに理系だったが理系科目の勉強をまったくやっていなかったので、二次試験ではそれがなくても入れるところを志望していた。夏の前にいろいろ情報を漁っていかコスパよく大学受験を終えるか調べてたのが、そのあとに生きてきた。

コスパよくというのは勉強せずに周りから評価が高い大学はいるということ)

こうやってあさっているうちに、二次試験の前に独自入試を受けることで、受験回数を純粋に一回増やせる受け方を見つけたので使ってみることにした。

 

から模試はせいぜいC判定だったのでどうせ浪人だろうと思いながら勉強してるのかしてないのかわからないような日々を過ごした。

 

そんな中での一度目の入試当日。

ほぼはじめての京大百万遍マックで緊張しながら時間を潰した。

試験自体は三時間くらいで、ひたすら長い文章をよんで、問に答えるやつ。

こういうのは集中しやすタイプだったから、あっという間に終わった。時間ギリギリで。となりの人は全部解けてなかった。

 

センターもD判定だったしどうせ厳しいと思いながらも、ほぼ最下位合格した。

パソコンでみながら手が震えてしまった。

実感を得るまでに相当時間がかかったが、その後京都一人暮らしをして、ようやく京大に受かったんだなあと思えた。

 

 

 

 

まわりが超難関校に多く進学する学校だっただけに、なんとかしてそういう学校に入ろうとした人間の末路(?)です。

参考にはならないかもだけど、こういう人もいるよってこと。

あと自分理系だけど、政治とか経済かに関する興味が高校の頃からあった。ただの逃避だが、みんなが図書館勉強してるのを横目に、新聞をずっと読んでいた。

こういうところで身につけた(?)論理性みたいなのは多少、合格寄与したのかもしれない。残念ながら、学校勉強はまったく関係なかったが。

 

はじめのうちは、自分のなかではズルして入学した感がぬけず、ずっと劣等感に苛まれていた。

落ちた人は過程より結果だと思うかもしれないが、僕は結果より過程だとずっと信じていたので、そのことが自分を苦しめた。

溶け込んでいくなかで多少は改善されたが、いまだに多少考えてしまうことはある。

 

"普通に"入った人たちは本当にすごい努力だと思う。こういう経験をしておくことは人生観を変えるはずだ。

受験諸君は、あと少し、頑張ってください。

2018-12-25

anond:20181225032558

から5年って言ってるんだよ

Amazon利益率確保のために他を犠牲にしてるが

それは今までの積み立てを切り崩しているだけの数字しかない

反動が来たら終わる

2018-12-24

anond:20181223134151

株の世界には「死んだ猫も二階から落とせば跳ねる」という言葉があってな。

マクロ経済一時的な落ち込みがあってもある程度反動回復するものなんだよ。

民主党政権経済成長率は、リーマンショックによる急落に対する反動回復を含めているので、つまりチートだ。

anond:20181224112415

これが、フェミがこれまで世に撒いてきた憎悪反動

加藤ナンタラの言ってることには賛同できないが、フェミを甚振るのはもっとやれと思う。

2018-12-23

親と話すとパニック発作が起きますが、実家に帰らされることになりました。

 タイトルが全てです。

 今の私には上手い対処法が思い浮かばないので、

おとなしく従おうと思います

以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。

疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。

再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。

わざわざ読んで時間無駄にすることはありません。

キチガイ勘違い被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。

1.経過

 幼少期から両親に苦手意識があり、情緒不安定子供でした。

理由不明です。

強いて言うなら、母は精神疾患持ちでヒステリックであり、

父は素面とき過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。

また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。

(※発達障害の診断自体は成人後に受けました。

 (ADHDASD協調性運動障害

 しかし、小学生の頃には担任発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います

変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙ラインだと自己認識しています

(※母に、子供日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています

 そもそもそれを私に告白してどうしたいのでしょうか。

 私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります

 n年前、就職と同時に上京し、一人暮らしを始めました。

(※家族親戚一同から地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)

就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、

生来不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活業務に困難を抱えるようになりました。

発達障害者社会適応、正直無理ゲーじゃない?)

一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、

それがとどめとなってか、

結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。

 診断は双極性障害の2型です。

現在の症状は典型的鬱状態のため、詳細な説明は省きます

なお、躁鬱の自覚症状自体はは高校生の頃にはあり、

ちょうど入社直後に大きく躁転したことを切欠に、

上手くコントロールできなくなりました。

 復職と失敗を繰り返した結果、

現在会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。

 休職となると私が東京に留まる理由もなく、

しろ経済的に厳しくなるため、

帰省余儀なくされているところです。

(父がそういうふうに展開を誘導したことは否めません)

2.実家の現状

 現在実家の状況は、あまり芳しくありません。

 私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。

なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代入院歴もあったことを知りました。

それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイからなのだと信じていました。

母はその後入退院を繰り返し、今は入院中です。

(※母の疾患に関する詳細は省きます

 父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。

般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。

また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。

彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。

部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)

そもそも何故か私は部活自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)

 我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。

(遅くなりましたが、私は一人っ子です)

ただし、ストレスの発散方向は、

父→母→私で固定されていたので、

直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。

もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリー悪化したため、

そのヒステリーを受ける私の精神ダメージは結局増大するのですが。

 また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。

休職中の同僚に対する悪態を聞いたことがあります

(なんで母と結婚したんだ?)

父は入退院を繰り返す母にあからさまにうんざりしており、

私が帰省したとき、父は明らかに母に精神DVを振るっていました。

正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣諌める元気はなく、

少し口出しはしましたが、ほぼ見て見ぬフリをしました。

そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。

 この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)

現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います

 余談ですが、入社直後に大きく躁転したのは、

入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。

あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。

(発生していたトラブルの詳細は省きます。思い出したくない)

3.懸念事項

 下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。

もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。

 まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、

父の不機嫌さがさら悪化する恐れがあります

父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢限界は来るでしょう。

 次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります

正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からDVによって悪化しているのではないかと私は考えております

しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。

一々病院に行くより近いですから

ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。

療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。

再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、

無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。

 3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます

私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。

また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります

父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、

母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。

(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)

 あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。

雑多なところで言えば

・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある

地元気候身体に合わない。

地元友達が(東京より)少ない

そもそも東京のほうが圧倒的に住みやす

などがあります

全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。

外出も覚束ない状態ではあまり関係のない話でした。

ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。

問題は何も解決していません。

 先程、父と2時間くらい会話した結果、

5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、

文章に吐き出せて良かったです。

そもそも書き殴りなので文章の体を成していない)

肉体は疲れ果てました。

 パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医相談したことはありません。

流石にこの状態では色々と怖いので、主治医頓服精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います

主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。

お金がないのは仕方がない。

治療する気があるのかって叱られても文句は言えない。

 カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、

カウンセリングできる病状ではない

・傷を掘り起こすことで悪化する

のでやんわりと断られました。詰んでる。

 実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、

父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。

私は父が怖いです。

 しばらく前に、母の蔵書の目立つところに

『「子供を殺してください」 という親たち』

が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。

 余談ですが、この話の最大の被害者は父です。

本人が身体障害手帳持ち)というハンデを背負っている上に、

妻は精神障害者(手帳持ち)、

娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。

私の将来の夢は、

私が責任を持って両親の介護をして、

解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老い死ぬことでしたが、

それも果たせそうにありません。

(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、

本人に気づかれない程度のちょっとした嫌がらせです)

 最後に。

上京してから色々なことがありましたが、

基本的地元にいた頃よりもずっと良い事ばかりでした。

初めて生活が少し楽しくなりました。

初めて泣かない日ができました。

挨拶をしてもしなくてもランダム罵倒されることがないのは、とても快適でした。

残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。

東京趣味に関するショップイベントコミュニティ豊富だし、

社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。

私の様子を見ておすすめ心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。

もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、

家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。

手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。

都会、楽しいです。

実家の外は、安心できます

 主旨も何もないメチャクチャ駄文を吐いてしまって申し訳ありません。

以上、乱文失礼いたしました。

(これで文章を締める癖が抜けないちょっと昔のオタク

追記(1223-1910)

はてなに長文を書くのは初めてなので常連ではないです。

誤解を産んでしまったならごめんなさい。

証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます

強いて言うなら、私はAセクかつ性嫌悪なので、

彼氏旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。

というか想像すると気持ち悪くて無理。

なお、生活保護の方向も検討しましたが、父をどう言いくるめるか考えて諦めました。

アドバイスいただきありがとうございます

2018-12-20

anond:20181220131635

喫煙者じゃないけど、依存性の高い嗜好品を辞めるのってだいぶ難しいぞ。酒とかならともかく、タバコは習慣依存の側面が非常に強い。習慣依存コンテクストを変えるのは、容易じゃないぞ。

しかタバコは周囲が「やめろ」とか平気で言うもんだから反動で余計吸いたくなる。

離煙パイプとか、アレン・カーメソッドとか、ニコチンパッチかいろいろあるけど、それでも簡単に辞められるわけじゃないからな。

かに奴らが辞めれば丸く収まるというのは否定しないが、「辞めたいけど辞められない」層に寄り添って一緒に解決を目指してやるのも肝心なんじゃねーの?

あいつらは「喫煙者」というより「喫煙依存患者」だからな。

anond:20181220132308

喫煙が「好き」っていうのは、単に錯覚してるだけなんだよなぁ・・・

依存性も高いし、周りから辞めろ辞めろ言われるから反動で「好きだから吸っているんだ」っていう洗脳自分自身に与えて居るだけ。

胸に手を当てて深く考えてみろ。タバコの事を考えるとワクワクするか?

ネットバカってほんとに異次元の脳構造を持ってる

議論する意味のないことに必死反論して自分知的だとでも思い込んでる

単なる科学事実だとか他人一種人生観だとかに反論」して何か建設的な意味があるとでも思っているのだろうか

こういう奴に特徴的なのは自分からは何も話題提供出来ないこと

他人が何か言ってからそれに対するコメントで暴れることしかできない

子供でもこんな行為がまったく知的じゃないことくらいわかりそうなもんだが

どうもこんな調子で本人は少しも恥じることなく満足感を得られているらしい

一体リアルではどんな人生を送ってきた奴なんだろう

リアルでよっぽど議論できない劣等感を抱えている反動匿名で発露するのか

はたまたリアルでは超レアな素で勘違いしまくってるだけの奴がネットでは多く見えるだけなのか

どちらにしろこういう奴らのおかげでコメント機能ほとんどが百害あって一利ないものであり続けている

2018-12-12

昨日まですんげー忙しかったせいか反動今日は何にも出来なかった。

やる気が出ないからしゃーないね

2018-12-11

anond:20181211145407

反動どころか日本特に変わらず差別万歳じゃん

批判されても別段それが原因で失職したりはしない

2018-12-10

ちあきなおみ喝采』の歌詞が嫌いだ

表題の通りだ。俺は昭和60年まれだが、この歌詞を尊んだ昭和人の感性がわからない(あえて術語をでかくするぞ)。

嫌いな理由を端的に述べると2つある。

まず、情景が飛び過ぎなのだ

そして、飛び飛びのシーンそれぞれが象徴的でゴテゴテと飾り立てられている点だ。

一番の歌詞

3つの空間がある。順に見て行くと、

A ステージで歌っている語り手に訃報が届く。

B 訃報の主が語り手を故郷? の駅で引きとめようとした3年前

C 故郷? での教会での葬儀の場面

ついでに二番の歌詞

D 教会白壁

E 故郷? 駅の待合室で、自分のヒットソング聴く

F 舞台でいつものヒットソングを歌う語り手

こう見ると、舞台立ては「都会のステージ――駅――教会――教会――駅――ステージ」と整っているように見えるが、実のところバラバラである

時の操作がめちゃくちゃなのだ

まずAが地味におかしい。

恋の歌歌う私に黒い縁取りの訃報が届くのだ。

冷静に考えるとステージ去ってから訃報を目にするのだろうけど、見かけ上ステージで歌っている語り手に郵便屋が届けたように書かれている。

それだけAの時点で時系列の運びが性急なのだ

そしてB。

Aがおかしいのにいきなり「あれは3年前」とか言い出す。

そしてC

いきなり時が戻り、そして故郷に帰って葬式に出ている。

空間バキバキになっていることが解るだろう。

そして良いシーンをこれでもかこれでもかと持ってくる。「ほれほれ良いシーンどんどん行くよー」的な過剰包装的な過度の装飾。


C-Dへの情景の経過はやや丁寧だ。昼下がりから夕方葬儀が行なわれたのだろう。

そしてE。

駅に戻ってきたのは解るのだが、対称となるべきBの位置と異なる。

B動き始めた汽車に一人飛び乗った:ホームでの出来事だろ

E暗い待合室

Eはラストへの布石になるし、一人になったことを示していて叮嚀な箇所もあるが、しかしどうも空間がずれている。


こんな感じで、情景が性急に飛びすぎな印象を強く受ける。

そして、それがさもありがたそうに語られ唄われる。今でも「昭和名曲」としてありがたがられる。でもそれは虚仮だと思う。

なんつーか、下品表現なんだけど、昭和にわか成金にわか教養人、にわか中流家庭に向けられた、安っぽい感動への舞台立てだなと思うのだ。

いかにも「名曲」のような装いをしているのだがその歌詞は人の死と愛を浅薄かつ性急にそろえただけのものだ。

こうした「インスタントな大作」感が気に食わないということだ。

このあともう少しすると、例えば米米CLUB浪漫飛行』みたいな具体性がほとんど何もない抽象的な歌詞流行る。

こうした傾向は、『喝采』に限らない具体的な情景描写稚拙さ、あるいは陳腐化の反動ではないかと思っている。

2018-12-08

破れた恋と屋上

中学生の頃、僕は好きだった子に告白をした。恥ずかしさが勝って直接言うことはできなかった。授業中や放課後にやり取りしていたメモ書きの延長線上で、思いの丈を書きつづった手紙をこっそり渡した。

その翌日、下校しようとしていた僕はその子から手紙を受け取った。

「じゃあね」

そう言うと彼女は足早に帰ってしまった。

間違いない。告白の返事だろう。結果は何も分からないのに、勢い余った嬉しい気持ちが胸にこみ上げてきた。

下校するのを止めた僕は、滅多に人が来ない最上階の踊り場に駆け上がると、すぐに手紙を読み始めた。




「好きになってくれてありがとう。」

手紙はそんな言葉で始まっていた。天にも昇るような気持ちになったものの、読み進めていくうちに徐々に冷静さを取り戻していく。

雲行きが怪しい。手紙最後は「ごめんね。」という言葉で括られていた。

じわじわと別の波が押し寄せてくる。悟った。ふられた。

優しい彼女は、言葉を選びに選びつくして、僕ができるだけ傷つかないように手紙をしたためてくれたのだろう。彼女真意にすぐに気づくことができず、それだけ失恋反動は大きかった。



しばらく独りになりたかった。日の当たらない最上階の踊り場は、陰鬱気持ち拍車をかける。ここではないどこかへ行きたくなった。



階段を駆け上がると、目の前に渡り廊下が伸びていた。

僕の通っていた学校は、最上階の渡り廊下から校舎の屋上を眺めることができた。そして廊下の付け根から手すりを乗り越えると、屋上まで歩いて渡ることができた。もちろん、そんなことをしてはいけないのは明白だった。

それでも、好きな子から手紙を受け取った高揚感とふられてしまった喪失感が妙に入り混じったその日の僕には、冷静な判断ができなかった。

渡り廊下の手すりを乗り越えた。




人生で初めて屋上に立ち入った僕は、屋上の床が見た目と違って意外とふかふかしていることに感動した。いつもは教室渡り廊下からしか見下ろせなかったグラウンドを見渡してみる。部活中の生徒が小さく見えた。周囲には学校以上に高い建物はなかった。空が広かった。

ふかふかの屋上に寝転がって、ポケットに突っ込んだ手紙を広げてみる。何度読んでも結末は同じだった。




つの間にか日も暮れかかって、少し肌寒くなってきた。下校時刻だ。屋上侵入したときと同じ手すりを乗り越えて、渡り廊下に戻ってきた。

その時、死角にいた初老先生と目があった。普段高等科担当で、週に一回は中等科でも授業を受け持っている数学先生。お互い顔は見知っていた。

血の気が引いていく。どう言い繕ってもごまかすことはできない。叱られる。終わった。

そんな絶望感に苛まれた僕に、先生がかけた言葉は意外なものだった。

「ピピーイエローカード。次にやったら怒るからね」

そう言うと先生は、何事もなかったかのように渡り廊下を抜けて職員室の方へと歩いていった。



何が起こったのか、しばらく頭の中で整理がつかなかった。

何となく落ち込んでいる雰囲気を察して、今回は見逃してくれたのかもしれない。先生ちょっとした優しさが、今の僕には嬉しかった。

この恋は諦めよう。彼女にお礼の手紙をしたためよう。踏ん切りのついた僕は、夕闇迫る校舎を後にした。

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