はてなキーワード: お歳暮とは
日本がアメリカに協力することでアメリカに守ってもらえるというが、それって上司にお歳暮を贈ったら昇給するかもしれないレベルで、可能性としてはあるので無視できないだろうけど、実のところはわからないとしか言いようがない。
それに対して、日本がアメリカに協力することで、日本自身が標的になるというリスクは確実に上がる。自衛隊が海外に派兵することで、日本近海の国防が手薄になるという指摘ももっとも。
で、こういう状況で、「メリットは大きいけどデメリットは大したことない」って議論は聞いたことがない。賛成派でまともに議論しているの見たことないよ。
狙ってるわけじゃない=攻める必要がないなら
ある程度は日持ちして、個装されてるのが無難では?
予算3千円だったら、ここらへんかなー?
http://www.yokumoku.co.jp/products/cigare.html
http://www.toraya-group.co.jp/shop/purchase/yokan/small/mbox10
空前のかまぼこブームなので歴史の次は科学か、ということで食品化学履修した俺が書く。
うろ覚え+検索知識で補完しながら書くから専門家からのツッコミ期待しながら書くぞ。
まずかまぼこの作り方。
たんぱくな白身魚を原料に作る。
魚は皮と骨を取り除いて身を刻み、水さらしして絞る。
水溶性たんぱく質や腐りやすい色々な成分とか油分が取り除かれて良質のたんぱく質だけが残る。
(赤身の魚でもできるけど油分とか他の成分多すぎて大変なんだと思う。)
これを塩と一緒にすりつぶすと魚肉の筋肉中の筋原繊維のミオシンが溶け出して
ここに砂糖や酒、でんぷん、保存料などを添加して練り、成形して蒸すとかまぼこになる。
棒につけて焼くと笹かまやちくわ、揚げるとさつま揚げ、ゆでるとはんぺんやしんじょうになる。
塩はこの工程で必要になるのでそれほど減塩ができなくてすたれたのではないかと思う。
かまぼこのゲル化は、魚が死んでから時間が経ったり温度が上がるとたんぱく質が変性して弾力が悪くなる。
獲ってすぐ船で加工する冷凍すり身がかまぼこ作りに向いているのはこのためだ。
魚から加工する昔ながらの手間がかかるかまぼこは手間の部分で高価になるんだろうが、
元増田が高級だからおいしい訳ではないというのはこの部分が関係しているのではないかと思う。
(水に晒しすぎないことで冷凍すり身より魚の味は残ったりするかもしれない。その分日持ちしなさそう。)
ちなみにかまぼこのピンク色はコチニール色素が使われていることが多い。
(コチニールでググると色々出るがおいしく食べたい人は知らなくていい。)
かまぼこ板は蒸したり冷却したりするときに余分な水分を吸ったり出したり調節してくれるらしい。
プラスチックの板になったりしないのはそのせい。
オススメのかまぼこ教えてな話題も需要あるみたいだから書いておくと、
東北民の俺には白謙揚げ最強。板かまじゃなくてすまない。
コミケの差入れを探そうと軽い気持ちで入ったクリスマスまっ盛りのデパ地下を小一時間ほどさまよってしまい、進歩のない自分にちょっと辟易したので
筆名晒してはちょっと言いづらい「差し入れ文化」についてつらつらとまとめてみる。
・コミケ参加歴3年(うち2年は売り子、直近1年は直接参加)
・常に島中
・ジャンルは2~3年ごとに変更してるけど年々常駐率上がってる
どのジャンルでもそうとは言いがたいものの、女性向け二次創作ジャンルでは「差入れ」を渡す文化がわりと定着してる節がある。コミケだとお歳暮とお中元の時期にあたるし何か風流だ(嘘)。いつだったかTwitterで差し入れのマナー講座的なものが話題になってたので、やはり渡したい人とか言いたいことがある人(主に受け取る側)は多いように思う。
差し入れははっきり言って人間関係ベースで品物を決めると思うので、「買い専→描き手(書き手)」と「描き手(書き手)→描き手(書き手)」とは選び方が異なってくるものだと思うし、マナー講座で正義となっていたお菓子の選び方は前者に寄ったものだと思った。あれはほとんどアイドルにファンがプレゼントするような物で、実際、前ジャンルの中堅(誕生日~壁)の知人に「もらった差し入れどうしてる?」と聞いたところ、食べきれないから会社の訳知りの同僚とかに配ってると聞いた。大行列のさなかで貰うから、渡す人はメッセージカードなんか渡さないととてもでないが個人識別してもらうのはつらいだろうなーという印象だった。
しかし、弱小ながら作り手側として参加すると若干話は変わってくる。マナー講座で出されてたような「500円前後のデパ地下菓子の詰め合わせ」だと、人にもよるけど個人的には予算オーバーになってしまう。なんとか3000円程度におさめたいと思ってるけど、大体理想の数そろえると全然間に合わない。
というのも、ジャンルに1年程度常駐してると顔見知りが増えてきて、大抵の場合どんな弱小サークルでも知人は10人前後にはなるからだ。本の数がはけなくてオンデマンドでしか刷ったことないレベルでもまあ、それくらいの数の知り合いはできる。しかも私は押しが弱くて好きな作家さんにアタックとかしてないので、アプローチちゃんとしたらもっと数は増えると思う。
しかも、最近腐女子に出戻りして分かったことは、最近の人気ジャンルは昔(※ジャンプでるろうに剣心が連載してた頃合い)と比べて、ふとした弾みで知り合いが出来やすい。何でかというと、ナンジャタウンとか大江戸温泉とかアニメイトカフェでやってる期間限定イベント(予約とかメニュー制覇の関係でグループ参加になりやすい)、グッズの譲渡・交換、あとはスタンダードに即売会で知人の知人として話すとかなんとかで、「あのときお会いしましたね」レベルの人はぞろぞろと増えていくのだ。
で、何が辛いかというとその「あのときお会いしましたね」レベルの人がイベントに来るかどうかというのは把握しにくいし、来たとして差し入れを渡すリストに入れるかどうかというのも怪しく、もし一方的に渡されて日にはその後お返しをするめどが全く立たないので何となーく気まずい感じがするのだ。それで石橋を叩くように人数を算定して、一人あたりの単価がぐんぐん押し下げられ、買える物の幅がぐぐぐっと狭まり、しかしながら年齢もそれなりなので、「デパ地下菓子」か、「駄菓子だけどジャンルに縁があってネタになるアイテム」あたりでぐるぐる悩むはめになる。駄菓子だと数多いから不測の事態に対応しやすいけどなんか渡してがっかりされるのもあれだし、かといってちょっと気張ったデパ地下菓子だと弾数に不安が……という塩梅。
ただ、差し入れってあげる時はめっちゃ悩むけど、人からいただいた時は細かいこと気にせず「ありがてぇ」って思うしムシャムシャ食べるので、これだけぐるぐる悩むのは一般論でしか語れないネットの悪影響なのかなとも思わないでもない。そりゃ生ものとか夏場にチョコとかは当然避けるけれど、それ以外の細かな好みとか、ウケるかウケないかまでは担保できないし、それよりはちゃんと原稿書けって話だよなあ、と。ちょっと気の利いた差し入れで惹ける注意なんてほんの一瞬なんだから、作り手としては作品で勝負!といきたくても、アマチュアの作品発表は人間関係込みってところも大きいので、このジレンマはなかなか抜け出せない……。
それでも差し入れがウケた時のおんなのこたちの笑顔が忘れられなくてまたデパ地下うろうろしちゃうので、どうしようもないなあとは思う。
敢えて釣りっぽいタイトルにしたが、エントリではなるべく客観的な記述を心がけたいと思う。
また、当事者は筆者ではなく、74歳の父である。父は私の援助を一部のみしか受け取らず、生活保護の受給も拒んでいるため、フルキャスト等の登録制の派遣バイトで生計を立てている。
本エントリは紹介者のフルキャスト(所沢支店)と紹介先のSBSロジコム株式会社の対応に不満を持ったために、個人を特定されることを覚悟で、抗議の意味を込めて書いている。加えて、派遣法改正によって成立した”日々紹介”というシステムに強い疑念を持ったことも、投稿する理由となった。
以下、時系列的に。
2014/12/03
・無事審査を通過して、紹介先決定。
2014/12/04
・「○○(父の名前)とSBSロジコム株式会社は、次の条件のとおりに雇用契約をいたします」と書かれた労働通知書を貰う。
・年齢を理由に1分も働かされずに、帰らされる。
( 父は以前に、何度も違う会社でも仕分けやピッキングの経験あり)
父からこの内容を知らされ、フルキャスト側の対応に不満があったので、筆者が代わりに電話。
以下、電話の内容を羅列する。内容が繋がっていない部分も多い。
1.
フルキャスト(以下、フル)「派遣先の会社は多くの経験を積んだ人事が人を見極めている。したがって、合理性がある判断だ。そもそもうちは紹介業務を行っているだけなので、正式に雇用契約を結ぶのは派遣先へ着いてからである」
2.
フル「交通費の支給はしても良い。しかし、その場合は、今後紹介先を減らしてもらう。なぜなら、貴方の父を紹介するのはリスクがあると判断したからだ」
3.
私「もし、年齢を理由に断るのなら、募集要項に力作業が必要などと明記しておくべきだ」
フル「それは確かにそうだ。書きなおしておく」
私「それは責任を認めるということか?」
フル「いや、リスクを軽減するための処置である。そもそも『お歳暮のピッキング』と書いているのだから、力作業であることは予想できたはずだ。責任を転嫁するつもりか?」
(今思えば、転嫁するも何も父に責任があるとは考えにくい。大体、『お歳暮のピッキング』が力作業だとは限らないだろう。)
4.
フル「そんなことする人は、リスクが高すぎるので、今後の紹介先をぐっと狭めるけどいいのか?大体、弁護士を雇うほうが金かかるぞ」
私「友人が弁護士なんだから、ちょっとした相談くらいは簡単にできる」
5.
フル「時間が経つと、有耶無耶になってしまうから、早めに解決してもらわないと困る」
電話での対応はこんな感じだった。あちらも慣れているようで、どんな言葉にも即答してきた。私のほうは抗議するべきポイントを押さえられず、何度もどもってしまった。悔しい。
【所感】
派遣法改正によって、日雇い派遣は原則禁止となった。そのために生まれたシステムが”日々紹介”というのはよく知られているところだ。このシステムの実態は、派遣とほとんど変わらないが、建前上、派遣先企業に「紹介」という形を取っているので、派遣としては扱われない。「紹介」であるから、実際に採用・不採用を決めるのは、その紹介先に到着してからである。不採用となったとしても、紹介者及び紹介先企業には、給与や交通費支給の義務はない。
不採用の場合、フルキャスト等の斡旋業者には法律的な責任は無いであろうが、道義的には責任があると考えられる。なぜなら、派遣法改正の目的は、被雇用者の処遇を改善するためであるから、「紹介」が改正前の「派遣」より劣悪な処遇(不採用の余地があるにも関わらず補償はない)になることは道義的に許し難いからだ。 また、被雇用者(正確には被紹介者)がどんな人物であるかということは、紹介先企業よりも斡旋業者のほうが格段に詳しいはずであり、紹介先の業務内容に関しては被雇用者(被紹介者)よりも詳しいはずである。その点も斡旋業者の責任が大きい理由と言えよう。
今回のケースで考えてみる。
被紹介者である父の年齢や就業記録等、人物像を把握していたのはフルキャストである。もちろん、紹介先の業務の内容(力作業が多いこと)も把握していた。それにも関わらず、就業内容的に無理がある紹介先を決定して、いざ不採用となったら交通費も給与も1円も補償しない。 法改正の目的を無視して、被雇用者の処遇を悪くしているのは倫理的に問題がないだろうか。
こんな対応を続けられていては、不安定すぎてたまったもんじゃない。これでは斡旋業者が潤うだけで、被雇用者の処遇は悪化する一方である。派遣法改正は、まさに本末転倒の政策と言えよう。
最後に思い切り、主観を言うが、フルキャストには腹が立って仕方がない。
遅刻やら欠勤をしたら、ペナルティだ!とうるさい割には、自分たちが不適切な紹介をしたときは責任を全く被らない。それどころか、こちらに責任があるような言い方をする。どんだけてめえは偉いんだって。
追記
賃金の60%全額が支払われることで解決した
→http://anond.hatelabo.jp/20141205230214 (『続・74歳だがフルキャストの日雇いバイト紹介先で1分も働かしてもらえず帰らされ、給与も交通費も支払ってもらえなかった件→一言でフルキャスト側の対応が変化。賃金の60%を支払ってもらうことになった』)
自己啓発とか引き寄せの法則とかが大好きな社長が経営する会社に勤めてた。
年がら年中、絆とか、心とか、自分たちが日本を良くする、とかそういう話ばかりしてた。
社長は、「主婦とか障碍者とか、そういった人たちが働きやすい会社を作る。自分たちがそういう会社を作れば、地域のほかの会社も追従してくるはずだ」っていつも熱く語ってた。
6年くらい勤めたけど。従業員が10人以上にならない。多くても7,8人。
腰ぎんちゃくみたいな従業員が2人いて、それ以外はたいてい半年以内に辞めちゃう。社長が少しでも気に入らない点を見つけると徹底的に潰すから。自分は相当続いたほう。
社長が熱く語るたびに、キャー社長ステキー、自分たちも社長の夢を実現するためにがんばりますー、なんて盛り上がってた。
自分にとっては些細なことで、ただ社長にとっては天地がひっくりかえるようなことを自分がやらかして、退職に追い込まれた。
辞めるときに「お前のような条件の人間を雇ってくれる会社なんてないんだからな」って懇々と語られた。
けど、なんか、あっさり仕事就けた。地元ではトップクラスの規模の企業。
働いてみたら、その会社すんごいたくさん人いるのね。当たり前だけど。
男性もいる、女性もいる、若い人も、年配の方も、健常者も、障碍者も。
半年以内で辞める人なんていない。何年も、何十年も勤め続けてる。
あ、なんだ。社長が目標にしてた会社ってあんじゃん、って思った。
しかも、ツイてるとか、ありがとうとか、呪文のように唱えなくてもいい。
残業よりもツイてるツイてる、ありがとう、感謝します、私は幸せです、と唱えているほうが辛かった。
転職できたのは前職でいろいろと経験させていただいたおかげだと思う。それはすごいありがたいと思う。
でも、お歳暮やお中元を分けてもらったこととか、毎日3時のおやつがあったこととか(その分残業になる)、毎月行う飲み会(全員参加が必須)はすべて会社負担だったとか、
お金で渡すとすぐ使ってしまうからとかいう理由でやたら物をもらっていたこととか(給与はかなり少なかった)
社長が「こんな社員思いの会社はないぞ」とアピールする理由になっていたことは、たいてい「あれなんだったんだろ」と思う。
人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。
で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリーが話題をさらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。
人類学の宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK」問題というのがある。
「日本人って、デートは神社の縁日で金魚すくいで彼女が浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?
まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。
例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。
いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠に学説を全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。
『トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。
Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。
というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、
彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。
単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険な海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的な権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。
また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアンの伝統的な贈与経済だと言われている。
ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。
簡単に例えよう。
日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元やお歳暮を無視する気かよ」と返しているのと同じだ。
普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。
というかだ、人類学をチョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。
フランスの文化人類学者である、マルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。
文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。
で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的に儀礼的だったり政治的だったりする。
そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。
で、この物々交換をお金の起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミスの国富論(The Wealth of Nations)だ。
ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。
言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。
が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。
信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的な義務や政治的な権威とは切り離される。
この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。
古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。
それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。
これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)
つまり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、
「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。
その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。
譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。
文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。
あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、
そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。
極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてなで流通させても良いわけだ。
ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモンで
ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。
これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位でしか無い。
「今回は私が解説したので、3シナモン分相殺ですね」とかできるわけだ。
それが「5シナモンくれたら、Microsoftの戦略について語るよ」とか
そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金の本質になる。
シナモンという評価価値は無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。
この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。
ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨が金本位制でなくなった時点から、お金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。
沈黙交易に代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。
ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。
しかし、クラ交易やポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的な権威を背景にした贈与文化であるとされている。
それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的な価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。
つまり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。
---
http://anond.hatelabo.jp/20140727192313
そもそも服を買うこと自体がめんどくさい
社会人なので服を買いに行くための服がないとまでは行かないけど、
季節が変わるといつも同じ店に行って布が薄くなったり分厚くなったりした同じような色形のものを機械的に買っている
センスがないとかじゃなく興味がないんだ
まだ秋冬はマシだ。
それを3つか4つくらい買えばそのシーズンは持つ。
きついのは春夏だ。
服なんてなんでもいい。
それこそ月二万とかの定額を支払うから定期便でお米や飲み物みたいに宅配してくれればいい。
うちは公務員の家系。ある日、お中元でうちに民間会社の社長から『ベンツ』が届いたったwww
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられない
エージェンシー・スラック(agency slack)とは、エージェントが、プリンシパルの利益のために委任されているにもかかわらず、
第11回 暴走する"エージェント"――食べログ不正問題と宮根アナ隠し子騒動の類似点
互恵的利他主義(ごけいてきりたしゅぎ)とは、あとで見返りがあると期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返り無しでとる利他的行動の一種である。
[学歴][学閥][シグナリング理論][ハロー効果][情報の非対称性]
[リスク][ストックオプション][損][既存株主][メリット][デメリット]
ステークホルダー(英: stakeholder)とは、企業・行政・NPO等の利害と行動に直接・間接的な利害関係を有する者を指す。
「これを送ってください」「分かりました」→「いついつに届きます(メール)」「ありがとうございます(メール)」→「届いた(メール)」→「礼儀がなって無い。電話で謝礼して下さい(メール)」
確かに俺の礼儀がなってなかったのかもしれないがこれは酷くないか。
俺の中では「ありがとうございます(メール)」でもう終わった話だと思っていたわけで。この謝礼の要求って
って二重の強迫じゃねえのかと
前者って自分の礼儀以外は礼儀として認めないって事ですよね。どんだけ余裕が無いんだよ。指定してんじゃねえよ。トレーディングカードゲームのタイプ指定かよ。
これが「金足りねえぞ」なら分かる。だがこれは感謝をどう表現するかの話であって(さきに書いたように)俺は自分なりに表現したと思っている。それに対して「感謝足んねえぞ」ってのは、言ってみれば送ったお歳暮にイチャモン付けて「これ送れよ」って命令するものじゃないですか。もうこれただの売買・交換じゃないですか。
後者は論外ですよね
もう文面から卑しさしか感じないのでもう駄目だなこりゃと。なのでこちらは無視するという贈与しかないなぁと。俺も道理に合ってねえけどな
大企業の一ケース
・基本的に表に出ない。
・不況時は社員に少しでもモチベーションを上げられるよう懇親会等を経費で行う。
・サービス残業を強いらない。
・残業を強いても残業代は1円単位で支給する。(約25%増し)
・休日出勤はできるだけさせない。
・出来る限り社員全員で定時帰りをさせる。
・同族経営でない。あるいは同族でも有能でない者は起用しない。
・M&Aに消極的だ
・離職率より定着率を重視する。
・社員が独立したり離職したりする場合餞別を渡すか慰労会をしてやる。
・有給休暇の消化などを積極的に勧める。
・お歳暮
・その分実力や人脈がすごい。
・フレックスタイム制を導入してる。
・常に新しい試みを社長自ら率先して行う。
・失敗を部下のせいにしない。
ちょっと横道に逸れるが、「義務感」がだんだんと消失していってるのは「今の」日本人の感覚だろうな。
お歳暮お中元、年賀状、少しずつなくなりつつあるけれども、「お金が掛かって意味がないからやめましょう」とメディアを通して声が掛かるまで、
止めようにも思い切って止められない状況だったんだよな。
誰もが、一生の節目などでお世話になった(例:仲人、就職の口利き)ので、ちゃんとお礼をしないといけない。貰った厚意を返すのは当然で、返せないのは不義理で恥ずかしいことだった。
そういう大事もなく、お金もなければ、同じ年代の子どもがいる世帯同士をメインに年賀の挨拶回りをした。昨年、ご近所づきあいをしてもらったお礼だ。
その時、子どもにお年玉をあげるからということで、お歳暮を省く。翌日に、お年玉をくれた家の子どもに、同額のお年玉を出して、その家庭同士はプラマイゼロで済む。
年賀状は遠方へのお年賀回りを省いた物で、これすらもったいないと思うのはどうなんだと、今自分で書いていて驚いたぐらいの現象だ。