はてなキーワード: 色覚異常とは
オスは色覚異常者ばっかだし仕方ない
毎期アニメが終わるたび一生分のアニメを観たような気になるので、今期もまた新作アニメのPVやニュースを憂鬱な目で見ていたはずなのだけれど、気づけば今期もまた新作アニメを浴びるほど観る毎日に身を投じていたので風呂敷を広げすぎないうちに感想を書く。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
ちなみにここに書く作品すべて2話まで観ているわけではなく、まだ1話しか観ていない作品もいくつかある。あと解説の中に殆どキャラクター名(固有名詞)が出てこないのは、単に全く記憶していないからだったりする。表題のキャラ名(グリッドマンとか)や2期のキャラを除くと、真面目に「伝説の山田たえ」くらいしかフルネームを覚えていないかも。
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私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
良い最終回だった。百合は百合でもガチの百合。花の学生生活を描くアニメ。
今年観た百合アニメで非常に印象的だった「citrus」と比較すると、citrusは主人公が性愛の目覚めに至ってから物語が始まるのに対して、本作は自分の気持ちにどんな意味があるのか?というところにフォーカスしていく物語みたい。「やがて」という言葉を冠しているところからも、同性愛に至るまでを描く内容なのだろうか。「わからない」っていうセリフが控えめに言って最高。あとcitrusにもあったけれど、最初に「男性から告白されて(恋愛対象とみなされて)、それを断った上での百合展開」というのがよりガチっぽくて好き。特に2話以降で言えば、同性愛の目覚めがけっしてみんな一緒のタイミングではなく、キャラによって気づきの早さが異なり、それゆえのすれ違いが描かれているところが最高に良い。
本作の脚本を手がけるのはあの花田十輝。「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督がどこかのインタビューで「花田脚本は絵で語る表現がうまく、例えば誰かが喋っているとき、そのキャラの顔をアップにするのではなく別のキャラの顔をアップにするとか、そのキャラの手元を写すなど「行間を読ませるような演出」に優れた脚本」と評価していたけれど、本作もそういった意匠のある演出になっている。「響け!ユーフォニアム」「宇宙よりも遠い場所」などでも見られるモノローグなど、花田十輝の良さが出ている作品。キスシーンめっちゃエモかった。
大島ミチルの音楽が非常に良い。校舎や制服が少し時代を感じさせる一方で、すごく特別で隔世感のある華やかな雰囲気に包まれていて、それを音楽が加速させている。また、パリッとしたわかりやすさを持たない、複雑な心情とよく合っていて痺れる。
それにしても制服のデザインがめちゃくちゃ好き。「ゆるゆり」「あまんちゅ!」の制服に似た優雅さがある。
AmazonPrimeVideo独占
制作:P.A.Works、背景:スタジオ・イースター(監修・東潤一)、音楽:出羽良彰、脚本:柿原優子。ゴリッゴリのP.A.Works作品。高校生の青春を描く物語。割とやさしいせかい。
なんやかんやで色が見えなくなった女の子がふさぎ込んじゃって、魔法使いのおばあちゃんが彼女のために云々・・・というシナリオ。色覚異常をテーマにした作品と聞いて「聲の形」が一瞬よぎったけれど、扱っているテーマが違う(あっちはいじめが大きなテーマになっている作品)。
演出的には「主人公を見守るような視点」が多く描かれていて、全体的に優しさに包まれている。魔法が日常に溶け込む世界感は「凪のあすから」くらい生活感のあるSFに仕上がっている。
生活感といえば1話の「魔法ショップの店内の様子」みたいなシーンを見て「ふらいんぐうぃっち」を思い出す人もいたと思うけれど、それもそのはず、本作の劇伴・出羽良彰はふらいんぐうぃっちの劇伴も担当していた人なので、圧倒的ふらいんぐうぃっち感のある、優しさに包まれた作品になっている。透明感のあるビブラフォンが骨身に沁みる。劇伴買おうかな。
それにしても、背景美術のクオリティが異常。一旦OPEDを観てほしい。タイトル通り本作は「色」が大きなテーマになっていて、物語のキーとなる背景が主役になるカットが多い。「(世界はこんなに美しいのに)主人公の目には世界が灰色に見える」という、暗闇の中にある思春期の心象風景に説得力を持たせるためには相当美しい背景が必要なのは分かるのだけれど、それにしても書き込みや彩色がエグく、特に彩度については主人公の心象とリンクして白黒〜極彩色まで変化するくらい凄まじい仕上がりになっている。なので、1話ラストの抽象的な、印象派のような絵画っぽい心象風景によって世界が彩られる演出は痺れた。
湘南のご当地アニメ(舞台が湘南なのは、原作者の鴨志田一曰く「湘南で青春の日々を過ごすことに憧れてたから」とのこと)。
鴨志田一といえば「Just Because!」がアニメ放送されたのは2017年10月だけれど、本作も学生のヤキモキした感じが漂う青春群像劇(ボーイ・ミーツ・ガール)になっている。
タイトルは章ごとに変わるらしい。ひたぎクラブ→まよいマイマイ→…的な。なお原作も各巻ごとにタイトルが異なる仕様だっため、先日発売された新装版は「タイトルを見ても巻数が分からない問題」が修正されている。ちなみに、2話で登場する少女(CV.水瀬いのり)のエピソードは、来年に劇場作品として公開が決まっている。
バニーガール先輩も青春豚野郎も非常にクレバーなキャラなので、ライトノベルっぽいタイトルやバニーガールのキービジュアルからは想像し難いような会話劇だったりする。「サクラダリセット」に近い。ともに主人公を演じるのは石川界人。彼の淡々とした口調がすきだなあ。ってティラミス見ながら思った。
本作は「思春期症候群」という都市伝説がテーマ。例えば「根も葉もない噂」とか「誰も自分のことを知らない世界に行きたい」とか「なんとなくみんなに合わせないといけないような、ハブられないようにしないといけない、という空気」とか「いじめを受けたことによる、目には見えない心の傷」など、特に学生時代に抱えやすい、可視化の難しい問題を「思春期症候群」という舞台装置によって可視化しているのかな。ある意味残酷ではあるけれど、逆に救いのある物語だよね。
会話の意味のなさが良い。「サクラダリセット」に出てくる相麻菫と浅井ケイの会話を思い出す。哲学に片足を突っ込んでるあたり特にツボ。1話なら「ありがとう」に「ありがとう」という意味が無いとか、2話なら「キスしよっか」が「キスしよっか」という意味を持たないような。そんなバニーガール先輩を見ていると「打ち上げ花火」のナズナちゃんを思い出す。会話にほとんど意味がないために、彼らの感情をうまくキャラクターの表情で表現しているのが言葉の軽さと対照的になっている。エモい。
特に2話は、問題の解決と同時に解消されるであろう二人の関係を思うと、どこか漂う諦め、虚無、寂寥感がある。
音楽を担当するFox capture planはシンセの曲が多めかつ特にEDのようなジャズっぽい
雰囲気があるので、「Just Beacause!」と比べて本作は精神年齢高めな作品に仕上がっている。
三浦しをんの小説原作。制作はproduction I.G。大学生10人がある日突然、箱根駅伝出場を目指してみた話。
原作が一般小説なので、大学生たちがアニメっぽいキャラクター性を持っていない。性格が地味な子が多い。しかもキャラの表情やしぐさにコミカルな表現(今期「うちのメイドがうざすぎる!」みたいな動き)をほとんど使用していない。なのに表情が非常に豊か。しかも10人とも顔のデザインがかなり異なっているのに(双子を除く)どのキャラも表情含め丁寧に描き分けしている。
アパートの飲み会中後ろでガヤガヤしている人(アドリブ)とか、アニメならキャラ同士のイチャコラを中央に据えて順番に映して「ガヤガヤしてる感」を演出しそうなのに、全くのガヤになっていて「仲がいいキャラクター同士のあつまり、という空気感」として描かれている。2話では特に青竹荘の日常が描かれていて、朝食のシーンなんか「大学生の住んでる古いアパートの日常風景」がそこにある。そういうリアルな空気が「見える」作品。
カットの特徴で言えば「やや見下ろすような視点」が多い印象。その場の雰囲気を描くためなのかな。
あと背景の情報量が多い。特に1話ラストのランニングシーンとか見ると何枚街のカットがあるんだ。全体的に黒っぽいのも実写っぽさがある(普通アニメでは夜の暗さを青色で表現する事が多い)。
ランニングシーンで言えば、走りモーションの躍動感とチャリを立ち漕ぎしてる体の触れ具合が好き。
死んだ女の子がアイドルとして歌って踊る佐賀の日常に異世界転生する話。大人が本気で悪ふざけしているアニメ。大人の悪ふざけxアイドルなアニメで今年放送された作品だと「魔法少女☆俺」が思い浮かぶけれど、本作はあっちよりもずっとアイドル寄りに仕上がっている。不和→衝突→団結を繰り返しながら一つになっていく物語の中にライブパートが含まれており、毎話ライブがエモい。特に2話は、ライブシーンのアニメーションもさることながら主人公を演じる本渡楓がめっちゃすごかった。日本語のラップに抵抗のない人なら楽しめると思う。
概ねギャグアニメになっていて、ゾンビというB級モチーフも相まって福田雄一っぽさを感じる。特に宮野真守が演じる巽幸太郎がだんだん佐藤二朗に見えてくる不思議(「全部宮野さんにおまかせで!」っていうディレクションだったらしい)。
ゾンビというモチーフを積極的に使った作品で私が観たことのあるアニメは「さんかれあ」くらいなのだけれど、どっちも「ゾンビ化」→「第2の人生」みたいな、特にこの作品では「異世界転生」みたいな機能を持っているみたい。つまり佐賀は異世界。
ちなみに「さんかれあ」では、ゾンビについて「生きているのか、死んでいるのか」「魂はどこに?」「自由意志はあるのか、ただの反射なのか」「自己同一性」「どこまで肉体は不変なのか」「どれくらい肉体が朽ちると、彼女は彼女でなくなるのか」みたいな視点に触れているややハードめな作品なのに対し、本作は(2話時点で)そういう視点がざっくりスルーされているので、安心して観られる。
なぜだろう、ただ若干肌が土気色で目のくぼみが強調されているくらいなのに…なんだか…あれ?…かわいいぞ…?
すすすすっ。”SSSS.”は発音しない。グリッドマン。アニメ版特撮ヒーロー。アニメ(ーター)見本市からの長編アニメ化(過去に長編化したのは「龍の歯医者」だけ?)。監督、美術、音響効果など一部スタッフが続投している。アニメで観る特撮ヒーロー。
作品のコンセプト的に子供向けっぽいのかな、と思っていたけれど、OP見ると本来あるはずの白文字テロップ歌詞が無いので、なんか大人向けっぽい。
作品の雰囲気を象徴している背景美術のフェチズムがすごい。何あの電柱の書き込み。他にも教室の雰囲気や町並みなども懐かしさを感じる雰囲気。
強烈なのは、日常と非日常が交錯する日常パート。「なんかヤバそうなんだけど、別にみんななんともないし大丈夫なのかな」という正常性バイアスに支配された日常っぽくてしびれる。特に1話の日常パートには音楽がなく、緊張感がある。
それはそれとして、モブ同士の会話がすごく良い。文字通り何気ない会話なんだけど、モブが活き活きしている。なお公式では毎週期間限定でボイスドラマを公開していて(脚本:雨宮哲監督)、内容としては各話の幕間を描いている。1話4分位なので聴きやすい。
そんな日常パートが終了するキッカケとなる怪獣の登場シーンがまた強烈。デザインとか暴れ方はまさに特撮ヒーローに出てくる怪獣そのものって感じだけれど、直接怪獣を描くのではなく「混戦する無線通信」「燃える街」「ビルの向こう側でなんか大変なことが起きてるみたいだけど見えないのであんまり慌てていない電車の乗客」等、雰囲気を描くことで怪獣の怖さを描いている。私はあんまり特撮ヒーローモノを観ないけれど、これを観てて「シン・ゴジラ」と同じ感動を覚えた。本作の音楽も鷲巣詩郎であり、無音からの劇伴→勝利用BGMという演出が見事に決まっている。
グリッドマンのアクションシーンもやはり特撮ヒーローライクな演出(というか再現)になっていて、重量感のある着地や舞い上がる瓦礫はまさにという感じ。特にアニメで見るライダーキックは迫力がある。アニメなのだからもっとデフォルメして空高く飛んだりしてもいいのに、中に人間が入っているような動きで繰り出すキックらしい迫力がある。これを観たかった。あとたまにフィギュアが動いているように見えるのは、監督含むトリガーの人たちがフィギュアオタクだからなのかも(職場が足の踏み場もないくらいフィギュアで溢れているらしい)。
心・技・体の揃った「未確認で進行形」の紅緒お姉さまがロリ小姑を追い詰める。
動画工房の持ち味である、ヌルッヌルのコミカルなアニメーションを観ることができる。特に本作はチーム太田(監督:太田雅彦、副監督:大隈孝晴、シリーズ構成・音響監督:あおしまたかし、音響監督:えびなやすのり、音楽:三澤康広。代表作は「みつどもえ」「ゆるゆり」「琴浦さん」「さばげぶっ!」「干物娘!うまるちゃん」「ガヴリールドロップアウト」等)による新作であり、作品のベクトルはあんな感じの日常コメディ。ついニコニコ動画で観ちゃう。
盛夏の候、涼のお供に
まず、色覚異常の人と健常者では明確に違う。「赤」と「緑」の区別が付きづらい人と健常者では見ている色の世界は違うだろう。
そして、色覚異常には複数のタイプがある。人には色を感じるための細胞が3種類あって、その3種のどれに異常があっても分別できる色が変わる。複数が合わさった場合もまた変わるし、その一つ一つが軽度か重度かでもまた変わる。
そこまでタイプがあるなら、「異常とは検出されないし生活に何の支障もないけど異常がある人」ってのがゴロゴロいてもおかしくはない気がする。一人一人の能力にはブレがあるように、錐体細胞にもブレがあって、一人一人の見えている世界が違うかもしれない。というわけでタイトルに対する答えは、「もしかしたら違うかもね」だ。
色覚異常補正レンズがインチキか否かということで揉めているが、まず、医療器具として医療保険の対象では無いということが何を意味するかは大人であれば解ると思う。
ついでに、目が色を識別する原理について、色弱の人も普通の人も少し勉強してほしい。
とりあえずWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%90%E4%BD%93%E7%B4%B0%E8%83%9E
何が言いたいかというと、注目してほしいのは、「人間の錐体細胞 (S, M, L) と桿体細胞 (R) が含む視物質の吸収スペクトル」というグラフ。
普通の人でも、緑を感じる錐体細胞(M)と、赤を感じる錐体細胞の受光特性(L)は、ごく僅かしか違わないということだ。
大部分が重複してしまっているので、これを色覚異常補正レンズで補正する事は難しい。かといって、完全にムダとも言いきれない。
緑と赤の錐体細胞の受光特性は、ごく僅かしか違わないのに、なぜ普通の人は赤と緑をしっかり明確に識別できるのかということは、おそらく脳内で複雑な処理をしているからだろうと色々な推定が為されているが、はっきり「これだ!」と解明されている事はごく僅か。だから、色覚異常補正レンズで少し補正しただけでも、結果的に予想以上の効果をもたらす可能性も否定できない。脳内の信号処理のもんだいまで絡むとなると、解らない事だらけなのだ。
ポイントは、「普通の人手も、緑と赤の錐体細胞の受光特性は、ほんのちょっとしか違わない」ってこと。今日はこれを覚えて帰ってほしい。色弱の人が、健常者と何か根本的に大きく違っている訳じゃない。ほんのちょとの差でしかない。ここは本当に声を大にして言いたい。
色覚異常補正レンズは、原理的に、残念ながら望みは薄い。が、かといって「完全にインチキ」と証明できるほどの根拠が揃っている訳でもない。少しでも役にたっている人が居ることも事実。過度な期待はせず、ダメモトで試してみる、ぐらいの感覚がちょうど良いのだと思う。
元増田です。
少しでも色んな方々の目に入ってもらえると嬉しいなと思っていたが、
なかなかリアルでは話題にもならないけど、けっこう関心が高いなぁと思った次第です。
また、温かい言葉をかけていただき、ありがとうございます。
ここでは日記の補足・疑念に対する回答をつらつらと書いていこうと思います。
違う。
ただ、日記を見返してみると感動の押し売り、嘘っぽいというのも頷ける。
日記を書いた動機としては、文字として今この気持ちを残しておきたかったということ。
「メガネ買ったー。おおー青空が綺麗だ。」くらいの内容だと、何となく味気ないし、
折角の機会だから体験談みたいな感じで分かりやすく書いてみようかなぁ……、そんな軽い感じである。
色が鮮やかに見えるという感動を分かってもらえる例を考えてみたが、
例えば、ゲームボーイカラーがゲームボーイアドバンスになったときの画面の鮮明さ、なんかが近いと思う。
ただ、リアルとの違いとして、今までこういう色だと思っていたけれど実はもっとこういう色だったみたいな、
新しい発見が加わることで、より一層の感動を体験するのかなぁと思う。
ではないと思う。
一応、レンズを買う前と後で色を並び替えるパネルD-15テスト(http://www.color-blindness.com/color-arrangement-test/)をやって、
色覚異常のP型、D型、T型を判別し、レンズ決定後、再度同じテストをやってうまく並べられることを確認するというプロセスを踏んだ。
ああいうテストは通常どう頑張っても勘に頼るしかなかったが、レンズ越しで色を見ると何故か完璧に並べられたのが、自分でも不思議である。
なので、「識別困難だった色が識別できるようになった」という効果は確認できた。
が、ここ(http://takeganka.exblog.jp/16552848/)でも指摘されているとおり、単にテストに合格出来るようになっただけで、正常な色覚は得られてはいない(と思う)。
このレンズを使えばどんな人でも、健常者と同じ景色を見ることができるかというと、それはぜんぜん違う。
まず、レンズは色の補正をかけるので、本来はちゃんと見えている色まで補正がかかってしまう。
例えば、自分の買ったレンズ越しで見ると白は若干ピンクっぽい色として見える。
あとは全体的に光量が少ない気がするし、レンズの反射も気になる。
レンズは雪山でかけるようなゴーグルくらいにキラキラ光るので、人目に付くのもネックの1つである。
ここぞというときのワンポイントでかける使い方では、せっかく買ったのにもったいないと思う。
自分はメガネユーザなので、メガネにマグネット式でサングラスを掛けられるフレームを新調し、サングラス部分を特殊レンズに差し替えてもらったが、
メガネをかける習慣がない人だと、煩わしくて、そのうち使わなくなってしまうのではないかと思う。
まれなケースだが、色覚異常のタイプ(S-錐体の異常あるいは重度の異常)によっては、そもそも適したレンズがない。
やはり、最後は値段(7万円)に尽きると思う。
この仕組みでこの値段が限界値なら、別の仕組みで実現される日を心待ちにしている。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
色を受け取る錐体細胞は本来3種だが、これを2種以下しか持たないのが色覚異常。色覚の「低下」ではないのだ。特定の領域に限り、全く無いのだ。レンズで補正してどうにかなるものではない。
「色覚異常は錐体が全く無い」と言うのは厳密には誤りで、ケースバイケース。大きく3つのパターンが有る。
1.一部の錐体細胞の感度が低い。
2.一部の錐体細胞の波長感度がズレている。
「3つの細胞が脳に刺激を送る度合い」によって、脳内で色が表現される。
「一部の細胞の感度が低い」場合は「他の細胞の感度を弱める」ことによって、脳に送られる刺激の度合いを健常者と同じにすれば、理論的には健常者と同じ色が見える。もちろん、感度のレベルが低くなるため「明るさ」は暗くなるが。
色覚異常を色覚多様性に言い換えたこと自体はポリコレの問題ではなく正確性の問題であって、ただしアンチポリコレ民たちはポリコレ大好きだから勝手にポリコレポリコレと騒ぐのは仕方ないかもね、というところからの、最近はゲームでもカラーユニバーサルデザインに気をつけてるしポリコレの範疇でしょからの、ポリコレは主に言葉遣いなどの表現上の差別問題のことであってユニバーサルデザインの問題はその範疇じゃねえよ、という文脈だろカス。
たしか嫌儲にも「色盲絵師」とかいうおかしな人がいたよな……。なんでこの手の人たちって自分の不得意分野に敢えてやってくるんだろうか。
色盲ならモノクロ写真の一流になればいいじゃんと思うのだが、そうはいかないものなのか。
あなたは自分が趣味で撮った写真が周りから好評だと言うけれど、それは色覚異常者に気を遣った発言ではないのか。
なんていうか……「僕は知的障害だけど将来は声優になりたい!」って言ってる人を見るような……。
いや、「生まれつき難聴だけど、どうしても歌手になりたい!」って言ってヘタクソな歌を晒してる人を見るようないたたまれない気持ちになる。
自分の好きなこととできることは違うし、
自分の好きなことと向いてることも違う。
妻と話をするなかで十数年間、軽い違和感を感じ続けるところがあった。「あの赤色の服が」などというとき、あれは橙(だいだい)色であって赤じゃないだろうとか思うのだが、別に反論するほどのこともないかと聞き流していた。
ところが最近、義理の妹(妻の妹)と一緒にいて軽く驚くことがあった。彼女は水色を緑色と表現していたのだ。妻は「それ水色でしょ」といい、彼女の子は「みじゅいろ」と呼んでいた。
色覚異常とは実は、珍しいことではないのではないか。色覚通常である。そもそも色をどのように知覚するかは個人差がとても大きいのかもしれない、人が知覚する色とは実は多種多様なのかもしれない、と考えるようになった。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
これだけ見るとすごく暗いしコントラストが小さいよね。
ただ、暗い部屋での人の目の順応性のことを思うと、わりとホワイトバランスをうまく調整してくれてそれなりに見えるんじゃないかとも思う。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
これは同感。そこまで未知の色彩があるわけない。それもたかがフィルター通しただけで。
ただ、自然界がすべての光の波長のパターンを網羅しているわけでもないと思うので、より色鮮やかに見えるパターンというのはあり得るかもしれないと思う。
実際自分の場合、紅葉や赤いバラは肉眼で見ても暗い赤にしか見えないが写真やテレビで見るとものすごく鮮やかな赤に見える。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
この辺は微妙。
そもそもこの世に存在するRGBやらCMYKというのは色覚正常者にとって最適化されたものなので、色覚異常者にとってはそもそもがずれたものだ。
光というのは本来様々な波長を含むもので、全く同じ色に見えるものでも物質が違えば違う波長の光を含んでいる。
そういう性質を利用して色覚正常者だけが、自然光と同じに見えるようなRGBの三色光とCMYKのインクを選んでいるにすぎない。
とても繊細な調整が必要で、モニターによって色は変わるし、インクのロットが違えば色も微妙に変わる。再現度を高めるために色校正が必要とされる理由である。
モニターや印刷物は1つ1つで発色の加減が微妙に違うのに、色覚正常者はだいたい同じように見えるように調整している。
言い方を変えると、本当は違う色(光)が出てるのに色覚正常者はその違いを認識できない。
これはあくまで色覚正常者向けの調整なので、極端に言うと色覚異常者にはどれも違うように見えてしまう。
だから、作例がないというのは仕方のない話で、やろうと思っても画像ファイルだけを用意すればいいというものではないのだ。
専用のモニターを用意してそのモニターだけで見るようにすればできるかもしれない。
印刷物の場合、指定のインクを使ってきっちり色校正するようにすればできるかもしれない。
(これを実際にやっているのが色覚検査表。あれって自分で買うとものすごく高いのだけどそれだけ手間はかかってる。
http://www.neo-dalton.com/side/check/が簡易的と言っているのもそのため。これは専用のモニターを使ってるはず。)
これまでの自分の実感だと赤緑色弱は本当に個人によって見え方が全然違う。
この増田自身は赤緑色盲(2色型色覚)なのではないかと思うが、赤緑色盲向けの作例であれば可能ではないかと思う。
ただそれをやるのは結構お金がかかると思うよ。レタッチで済むというものではないだろうから。
分かる。
でも彼らには見えてないものが僕らには見えているはずでそっちを楽しんで生きていきたい。