妻と話をするなかで十数年間、軽い違和感を感じ続けるところがあった。「あの赤色の服が」などというとき、あれは橙(だいだい)色であって赤じゃないだろうとか思うのだが、別に反論するほどのこともないかと聞き流していた。
ところが最近、義理の妹(妻の妹)と一緒にいて軽く驚くことがあった。彼女は水色を緑色と表現していたのだ。妻は「それ水色でしょ」といい、彼女の子は「みじゅいろ」と呼んでいた。
色覚異常とは実は、珍しいことではないのではないか。色覚通常である。そもそも色をどのように知覚するかは個人差がとても大きいのかもしれない、人が知覚する色とは実は多種多様なのかもしれない、と考えるようになった。
どこが面白いのかさっぱりわからない文章
最近イデアしったんやろ
クオリアって言いたかったのか?
イデアですか?
小学生くらいがよく思いついて得意げに言うよね、こういうこと。
そうなんですか?
そうでないことは色覚調査の色相診断を自分ですればすぐわかるから スピリチュアルふしぎ発見みたいなノリで言われてもな
いや実際「色覚異常」をやめて「色覚多様性」にすべきってこないだ決まったやろ。
多様性になったら採用で差別できないじゃん
学力多様性・コミュ力多様性なら俺にもワンチャンあったかも
大学歴はしっかり多様性確保してるところあるよな よく見ると東大からFランまでしっかり平等に取れてる会社大手でも結構見るわ 学閥なさそうというか、形成してほしくないからそう...
どうせ下の方はコネとか運動部とかなんだろそれ
なるほど、そういうことか
それは知りませんでした。さすが増田殿は博識でござる。勉強になりました。
ヴィトゲンシュタインでも読んだか
ヴィトゲンシュタインがこのようなことを書いているのですか。読んでみますね。
色だけじゃなくて音もだね 年齢によって聞くことが出来る周波数の領域は違うというけど 個人差もあって、それにより同じ音楽でも感動できる、できないとか 他にも人によって小さな...
そのようなことは考えたこともありませんでした。いわれてみればそうですよね。聴覚異常・聴覚多様性というものでしょうか。好みの音楽が人によって変わり、同一人物でも年齢とと...
あ、お前まだいたの?