はてなキーワード: 秋葉原とは
どうもこんばんにちはおはよう世界。
まだ日は昇っていないようで暗いです。夜は17時だと真っ暗なのにな。
この前ワインをボトル半分と9%一本飲んだら、その時は気分良かったけど次の日まじで吐きました。
そういう時って気分最悪ですけど、お酒好きはそれでも吐いた次の日からまたけろっとした顔で飲むらしいですね。
ぼくがお酒好きのレベルに達するには、一生かけても無理な気が師走。街はイルミネーション君はイリュージョン、なぜ冬の空気は身が引き締まるような気がするのか。
そう、RAKU SPA行った話でした。サウナ行こうつって行ってきたんですよ。秋葉原・神田ら辺に最近できたやつ。銭湯神が広告記事書いてたやつ。
死ぬほど人いましたね。もうずっと人多杉ってくらいいました。
あそこ元々別の銭湯施設で、RAKU SPAグループが改修して今の形になったみたいなんですけど。
だからテルマー湯なんかと比べて、お風呂の中が、狭いんスよネ。
狭い空間にネット記事を読んだ人たちなのか常連なのか大量の人がひしめいているものだから、なんだか江戸の銭湯ってこんな感じだったのかなと想起させるような、古さと新しさが同居する、変な空間でしたよ。
4Fに、館内着でしか行けない、リラックススペースあるんですけど。
パッと見、静かな空間に大量に人がひしめいていて若干怖いんですが、その中に入って漫画を読んでいると、何も感じなくなりました。
漫画に夢中になってふと気づくと、普段じゃありえない距離に赤の他人がいたり。(都民はパーソナルスペースが広井王子)
男も女も館内着着てるから個がなくて、ただ自由にダラダラしてる人たちがそこにいる、あれは子供のころ遊んだ児童館みたいでしたね。
館内着っていいものですね。原理的には盗撮おじさんとか湧いてもおかしくないんだけど、湧かないだろうな、そういう雰囲気でないから。館内着は医大。
何の話でしたっけ。まあ、銭湯戦争が勃発するかというとそこまでの満足度はないと思うけど(サウナも常時満員で、ほぼ入れない)
では、ぼくは朝ゲームからのリングフィットを申し訳程度にして、出社と相成ろうと思いまする。
一月からの仕事まだ決まってないから、割とピンチなんですけどね。焦るべきところを焦ってなくて、おっさんになるって怖いですね。
焦りと不安で何もしなかったのが、面倒くさがるのと億劫なのとで何もしないに変わるだけ。
オタクっぽい格好して模型コーナーの売れない商品の棚を歩いてると店内放送で応援要請がかかって警備員がずーっとついてくるんだが もちろん泥棒なんかやったことは無し
模型好きにはあんまり売れない電池ケースとかタミヤの工作パーツの類を近所で買おうとして悪かったな 秋葉原の千石電商までいちいち行くのは面倒だから重宝してるんだがそんなに売れない商品に注意を向けて欲しくないならこれからはカメラレンズもHDDも全部アマゾンで買ってやるよ
今まで特に不自由なく稼げてきたのでこのバイトに不満はなかったが、コロナが流行り始めたあたりからうちの店はおかしくなった。客足が減っているにもかかわらず強気の値上げ、ほとんど迷惑条例に引っかかるような客引きの指示、深夜営業の再開、ポンと呼ばれるシャンパン類を強請るような指示など。そのお陰もあってか、去年に比べてぐんと客が減り、今では出勤のたび外で客引きをさせられる始末だ。
Twitterで「秋葉原」と検索するとサジェスト上位に「秋葉原 客引き」とある。恐る恐るその文字をタップすると、客引きメイドに対する罵詈雑言の数々があった。気持ちはわかる。秋葉原で買い物をしたいだけなのに四方八方からメイドに声をかけられたら歩きづらくて仕方ないと思う。本当に申し訳ない。しかし、こっちもマジなので手加減はできない。狂ったような猛暑の中でも、凍えるような寒さの中でも、店の中に客がいなければ外に出なければいけないのだ。こっちは店の中に入りたくて必死である。
こっそり映画館に居座ってブレードランナー三周観た話でもすればいいんだろうか
夜通し喋るかもよ?
というか、フィリップ・K・ディックを激怒させたというのは本当なんだろうなあ
俺がディックだったとして、いくらリドリー・スコットが巨匠だとしても原作まったく無視された映画観せられたら怒ると思う
あれ?俺の小説は?俺が原作って書いてあるのに意味ねーじゃんw俺の文章を完全に無視すんじゃねーよ(怒
(映画の幻魔大戦も平井和正を特に大友克洋が激怒させたらしいけど
あと、スポンサーとか制作サイドから、ルナ姫を可愛くしてほしい、という要求を大友が却下した話は本当に凄いと思うw)
なんとなくだけど、ディックの原作に沿った方向で作り直したら今の時代ならウケる気がする
彼の現実と虚構の境目が危うくなる、白昼夢みたいな世界観は今ならウケる気がするんだよなあ
逆にブレードランナーのような未来感は今からするとありえないというか、古さを感じる
まあ、あの治安の悪い歌舞伎町と昔の秋葉原を中国で合体させたみたいなロサンゼルスというのも面白いのだけど、
ブレードランナーはあまりにもビジュアルを優先させすぎた嫌いがある
バブルではあったかもしれないが経済成長によって個人レベルでも資本蓄積が進み、零細でも起業できる個人が増えていったのではなかったのか?
1990年代末のモルフィーワン騒動を覚えているネット老人も少なくないだろう
UMPCの名器HP200LXの後継機を作るという企画で、いまのクラウドファンディングみたいに金を集めて、実態は主催者がフィギュアを買って浪費してしまったって顛末だった
先日ついうっかり足を捻挫してしまい、しばらく松葉杖生活となった。
その際に気付いたことがあるので書き留めておこうと思う。
「男性はぶつかってくる」
男性は駅や街の雑踏でぶつかってくる。それは女性を無意識に見下していて、避けないからだ。
これは女性なら多かれ少なかれ心のなかに共有された理解であると思う。私もそう思っていた。
もちろんわざわざぶつかってくる一種の変態もいる。彼らを置いておいて、男性一般に関しての話だ。
これらは集団としては成立するが、これを個人個人に還元しようとするのはナンセンスだろう。あくまでもマクロな話であると念を押しておく。
私が気付いたのは、「女性はぶつかってくる」ということである。
私は定期の関係で新宿や秋葉原でよく下車するため、コロナ禍の中でも雑踏を通る機会は多い。
それらの街は動線がグチャグチャだが、周囲に注意しつつ動けばなんとか動ける。そんな感じだ。
性別問わず誰も彼もぶつかってくるように見えたし、実際何度もぶつかりかけた。
結局どうしても動けず電話で友人を頼って一緒に助けてもらうこともあったが。
何日か経つと、なんとなく動けるようになった。
人の動きに意識を向けていると、なんとなく今まで意識していなかった法則性がつかめてくる。
真正面から来る人を避けるには、二人合わせて1人分の幅を譲り合えばいい。簡単のため、これを「人幅」という単位で表すことにする。
まずは男性。男性は比較的早い段階、10メートルほど前方から回避を始めている。これは意外だった。
男性は平均して0.7人幅ほど回避してくれる。(松葉杖をしているときはほぼ1人幅避けてくれていた)
あとの0.3人幅はあなたが避けてくださいね、ということだろう。
会計で女性に少額だけ出させて貸し借りにしないというのと同種の心遣いであろうか。(もちろんそこまで深く考えてのことではないだろうが。)
こちらも少しだけ避ければ回避できる。これは実にスマートなやり方である。
これはたまたまだが、検証の段階でわざとぶつかってくる男性とは遭遇しなかった。
一方、女性。
女性はあと数歩という段になって、ようやくこちらを認識し、迷惑そうな顔をしてきっかり0.5人幅回避する。
繰り返すが、平均である。きちんと回避する女性もいるのは当たり前である。
しかしその数歩、1.5メートル前後で回避できるのは運が良い時だけ。
他の通行人や互いの相対速度など、他の要素が入れば容易にその安全距離は消え、ぶつかってしまう。
こちらが検証ということで十全に注意していたから良かったものの、普段ならぶつかってしまうようなインシデントは多くあった。
ここから導き出されるのは以下の仮説だ。
1.男性と男性は互いに0.7人幅ずつずれているので、ぶつからない。
2.男性と女性は、男性が0.7人幅ずれている状態で、残りの0.3をずれるかどうかでぶつかるかが決まる。
3.女性同士は相対速度が小さいため、ぶつかりにくい。
さらなる検証が必要である。自分に加え、同僚の男性A氏の協力(意識と記録をしながら一週間通勤してもらった)もとりつけて実験を続行した。
1は、新宿駅中央通路での観察の結果、おそらく正しいという結論に至った。A氏の経験と観察からも、恐らく正しいということだった。
A氏は検証のため何度もぶつかりかけながら、正しいと結論付けた。
体感として「あと数歩で女性が0.3人幅避けるパターン」は4割、「女性が避けないため自分が避ける」のが6割ということだった。
6割のうち、男性が避けないことがあれば、それが「ぶつかった」ということであり、女性からすれば「男性がぶつかってきた」ということになるのだろう。
実際は男性が0.7避けてくれていて、大体の場合1.0人幅を丸々回避させてしまっているだけなのにも関わらずである。
自分でも観察したが、恐らくこれは正しい。もっとも、私の観察する限り男性が避けるパターンが8割ほどだった。
「女性が0.3人幅避けない」パターンだった。男性はきちんと避けていた。女性が全く避けなかったのだ。
男性は不快そうな顔をしただけで行ってしまったが、女性は痛そうにしていた。体格が違いすぎるのだ。私は自分の苦い思い出と重ね合わせつつ同情した。
男性の方も少しくらい心配しても良いではないか、と怒りが込み上げてきたが、彼からすれば「自分は0.7も避けてやったのにぶつかってきた」ということになるのだろう。これは客観的に見て正しいし、彼は道理としては被害者ではある。が、やはり痛そうにしている人のことを放っておくのは見ていて忍びない。
女性にとっては「男性がぶつかってきた」という記憶となって残ることだろう。誰も得をしていない。
3は、間違っていた。
女性同士は軽度の接触事故を多々起こしている。ニアミスもこのパターンが最も多い。
しかし運動エネルギーE=1/2mv^2の、mもvも互いに小さいために痛くない。(威力に握力は関係ない)
恐らく記憶に残りにくいのであろう。
ここまでの実験で「女性はぶつかってくる」ということがある程度立証できたと思う。
では何故ぶつかってくるのか。私は生物学にも文化人類学にも社会学にも明るくないため、門外漢(門外女?)の適当な妄想ではあるが考えてみた。
仮説1: 女性は動体視力や空間認識力がよくないため、相手の動線を上手く認識できない。
これは女性が運転が苦手な理由としてインターネットで見たものを流用した。狩猟を行っていたために動体視力が発達した男性に対し、女性は採集をしていたため静物を見るのが得意なのだ、という主張だ。が、これはいくらなんでもおかしい。現に私はきちんと認識できたし、人間の歩行速度なんてたかが知れている。トンデモ説として却下した。
これは若干迷ったが、却下した。確かに女性の方が歩きスマホ率は高かった。しかも見ていて気付いたのは、男性は歩きスマホをしていても前をこまめにチラチラと見ている場合が多いのに対し、女性は前を見る周期が低いかあるいは全く前を見ていない場合が多いということである。全く前を見ない女性は今までよくもまあ無事に生きてきたものだと感心してしまった。が、これも論拠としては弱いように思われる。スマホをしていなくてもぶつかってくる女性は多い。
仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない
これだろうという気がした。
相手が避けてくれるだろう、自分が避ける必要はない。何故自分が避けなければならない? こういう意識で歩いているのではないかという気がする。そうすれば最もうまく説明がつく。上の危険歩きスマホもこれが根底にあると思われる。考えてみれば口喧嘩でもなんでも、女性の方が自説を曲げることが少ないような気がする。
これがポジティブに女性が胸を張って歩ける社会が来たと見るのか、ネガティブに女性が社会的に甘やかされているためだと見るのか、女性が本能的に傲慢だからと見るのか、どれが正しいのかは分からない。
これだけは言える。
そして世の女性諸氏に、ぶつかっているのは男性ではなく自分自身なのだと気付いてほしい。
ただ、男性には申し訳ないがもう少し避けてくれることをお願いしたい。あなたがたが避けてくれていることはよく分かった。でもあなた方はぶつかってもなんともないだろうが、女性との体重差は2倍近い。ぶつかられた方は、ものすごく痛い。少しだけ進行方向を変えるだけで救える命があります。
長くなったが、このささやかな研究に協力してくれた同僚のA氏、同居猫のB太、それから勝手に観察させてもらった新宿駅の通行人の皆様に感謝を伝えたい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
ブコメのブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。
「おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的な意味に転じた言葉に
「クイア (Queer)」がある。
「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、
「オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者の意思・意識とは関係なく、
経産省やその界隈、メディアの都合でメジャーの舞台に引き上げられ、なんとなく、
(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)
したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、
ゲイ・プライドの文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、
侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツのカテゴリーとしての「オタク」の用法は、
なし崩し的にゴッチャになっている。
というか、役所やメディアが勝手にでっち上げたメジャーの舞台に乗せられてるという自覚がない
今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然
という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした
不満を募らせている (らしい)。というのは…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
というブコメから「保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、
オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。
それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、
明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的な意味をもつ「オタク」に読み替えて、
それを世間に認めさせたらいいじゃないの?
萌えキャラや、乳袋や、スカートの股間の謎の影がそんなに大事なら、
…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…
知らない人のために説明すると、「おたく/オタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる
ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代、80年代、90 年代に思春期を過ごした
第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって
「おたく」という侮蔑語が発明され、エヴァのシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤の事件によって
「おたく」という言葉が世間にひろく知られるようになり、お笑い番組で宅八郎がネタとしてイジられたり、
オウム真理教が布教アニメ作ったり、秋葉原に PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら
十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。
いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫、宮崎駿クラスの巨匠でも
「アニメ・漫画なんて下らない。なぜならアニメ・漫画だからだ」という評価をされる風潮がまだあった。
(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)
そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的に自称しないけど)
(1) 「おたく」から卒業して、世間的に認められやすい映画・文学などの周辺領域に流れる
(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ
(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う
の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。
そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が
自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…
みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである「宅八郎」をもって、
昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような
「自分が欲しい地位や女や人生を手に入れた側の人間たちが、どれほどの努力や難しいことをこなしているかが理解している」けど
ここ最近のそう言うクズどもは「あいつらは大した努力をしてないはずだ」という決めつけがまず最初から入って、実際自分の欲しいものを持っている側の人間が
そこに至るまでどれほど苦労しているかというのが、根本的に理解できない(というより想像できうる経験や人間づきあいさえないので本気でわからない)に近い
秋葉原なり行って自作のパソコン一つ作るなり何でもいいからフィギュアでもプラモでもやれば
パーツやなんか作るにしても一つ一つ大変な手間と技術で作られてんだな、こんなの作る人らってすごいなってことくらいはわかるじゃん?
そういうのさえ現実体験でないままにネット知識だけの世界で願望と欲望だけは毒虫のように肥大化したら
自分が悪いとさえ思考できることができなくなってるのでやりたいものや欲しいものを手に入れるには自分のどこを直せばいいかさえわからない
俺は田舎の出身で、big4と呼ばれるコンサル会社を経て今はフリーランスとして仕事を受けている。高級派遣と揶揄されるが、月単価100万は優に超えるのでアラサーとしてはまあまあ稼いでる方だろう。
そんな俺は大学から東京で暮らしているが、一度東京で生活してしまうと田舎に帰る気がなくなってしまった。それは東京の持つ以下3つの魅力が大きいように思う。
基本的に家事は自分ではほとんどしない。家事代行サービスを利用するからだ。最近利用し始めたが、水回りを中心に2時間6,000円ほどで見違えるほど綺麗になる。基本的には土曜の午前に頼むことが多い。寝てる間に部屋が綺麗になるのは極めて費用対効果が高い。
AmazonフレッシュやUberEATSも便利なサービスだ。Amazonフレッシュは利用エリアが限定されることから、エリア内で部屋を探したぐらいだ。今の家に住んで2年ほどだが、その間スーパーでの買い物をしたのは数回ほど。基本的に夕食は自炊するようにしているにも関わらずだ。
②遊ぶ場所に困らない
博物館や美術館といった文化資本へ容易にアクセスできるのも大きな魅力だ。国立科学博物館は、頻繁に展示内容が変わり、何度行っても飽きない。
大型の本屋がいくつもあるのもいい。特にお気に入りは新宿の紀伊國屋書店本店だ。店内を歩くだけでも新しい発見がある。本を買ってから地下のレストラン街でカレーを食べながら本を読む時間は至福のときだ。
基本的に飲食店のレベルが高いというのも東京の魅力だろう。日本全国ないしは全世界の美味しい物が東京にはある。秋葉原のちゃばらはアンテナショップの集まりだが、ハズレがない。イギリスで食べたフィッシュアンドチップスよりHUBの方が美味い。
③人間の質が高い
最後の理由については、完全に主観によるものになるが田舎出身の自分にとって、高校までの地元の交友関係と大学以降の東京の交友関係では人種が全く異なることを感じている。地元の人間は社会的ルールを守らない人間があまりにも多いのだ。なぜ万引きを平気でするのか、なぜ免許証を携帯せずに飲酒運転を平気でするのか。その神経が俺には理解できない。そして口を開けばギャンブルの話と同級生同士でヤッた話を永遠にするわけだ。お互い結婚しているにも関わらずだ。
東京で出会った人間達はそんなことは無かった。万引きも飲酒運転はダメな事だと理解している。結婚をしていれば、他の異性とヤッてはいけないことを理解している。地元にいる時は自分の感覚がおかしいのでは無いかと感じるが、東京にいると自分の感覚は間違ってないと実感出来るのだ。
3つ上げたが、正直3つめの理由が全てのようにも思う。地元の人間で今でも交友関係があるのは、同じように東京に出てきている人間だけだ。
そして自分の観測範囲の中ではある程度優秀な人間は皆東京に出てきているように思えてならない。地方にいる人間は人材の質が低いのではないかと感じてしまうのだ。
東京から田舎へ転勤となったエントリーが最近話題のようだ。田舎から東京へ来た人間、少なくとも俺にとって東京は極めて魅力的な都市である。コンサルならびにフリーランスとして働いているのも、全国転勤の必要が無いというのも理由のひとつだ。将来子供を持つことになった時に東京で子育てをしたいからだ。自分の子供には自分が地元で接してきたような人間達と接することなく人生を歩んで欲しいのだ。
光造形もピンキリだと思うけど
Togetterにまとめがあったと思うけど、FDMと違って積層痕はなくなるけど、出力が曲がることはある
FDMでも筐体のフレームなどの剛性が強く、精度が高ければ積層痕はできるけど、棒とそれが貫通する穴などは図面通り機能するように仕上がる
(もちろん、そうなるようにパラメータの設定を試行錯誤する必要があるかもしれんけど、良いプリンターほど調整の手間はかからないはず
未だに3Dプリンターでこれ買っとけば大丈夫と言いづらい状況がある気がする。
どれを買っても出力に大失敗する可能性が排除できていないと思われるからだ
エプソンだろうがキャノンだろうがHPだろうが、多少の差や不満はあるかもしれないが、どれを買っても印字結果はあまり変わらない
しかし、3Dプリンターは、まあ原理的に仕方がないわけだが、どんなに高価な機種を買っても目を離してた隙に、
気が付いたら失敗して出力されていた、という3Dプリンターユーザーあるあるがなくならない気がする
15〜20万ぐらいだったらどうか、5万以下ならどうか、みたいな目安を決める
そこからまず機種を絞る
ここで困るのは、サクラがあるから駄目な製品だろう、と思ってしまいがちだが意外と良いものもあったりするw
サクラの中にサクラでなさそうな日本人のレビューがあったら、それも読んでみる、でも、読んですぐに信用してはならないw
でもある日、日本人の勇者がそれを購入し、自分のブログやレビューで、
ゴミだと覚悟して買ったが意外と使えたし良かったので2台目も買った、
もう何を信用すればいいんだ…、というカオスな3Dプリンター市場
秋葉原のパーツやジャンク購入ではないが、完全にギャンブル、駄菓子屋精神が必要
とんでもない詐欺(製品が届かない等)を抜かせば、多少の損失は甘んじて受ける覚悟が必要
Amazonのレビューより信用できるのは個人のブログやTwitterなどのSNSでの批評であろう
特に大手メーカー企業の研究所に勤務している人などは葉に衣着せないレビューを書いてくれることがある
どんな高価な3Dプリンターを買ってもこういう大失敗をする、
怪しい激安中国3Dプリンターを金を溝に捨てるつもりで買ってみたが意外と出力はまともだったので2台目を買うことにした、
などサクラではない、まともな評価を読めるし、その人が何をどうやって作ってるかも参考になる。
基本的に3Dプリンターも同様で値段相応だし、激安すぎて写真でも作りが華奢な3Dプリンターはゴミだったりするけど、
安い中国製品でもフレームが金属とかでしっかりしていて、それも精度良く加工された部品で作られていれば、
それなりの出力をするはずである
あと、自分で組み立てるとかも地獄を見ることがあるみたいだけど、
完成品の3Dプリンター買っても試行錯誤の日々が続く気がする、
最近大病したりしたんで埃被らせてるけどw
出力に失敗しても中途半端な出力結果を無理矢理補修する能力とかそういうのも求められる気がする
ホームセンターにも大金を落とすようになる、ホームセンター大事
とズラズラ書いて思うのは、やっぱ3Dプリンターは万人向けじゃないよねw
エプソンのシャッチョさんが、台湾や中国みたいな3Dプリンターは作らないんですか?の質問に、
うちは産業用の3Dプリンターは開発するけど一般ユーザー向けはやりません(儲からないし)
みたいな回答してたけど、やっぱり正解だわ、うん
こういう怪しいガジェットみたいなものは、中国や台湾、アメリカのベンチャーとか、
3Dプリンターで何か作るのは楽しいけど、ものが中途半端なだけに「沼」があると思う
なんかこのシート設置すると出力が成功する確率が上がるみたいだけど高いなー、
でも、導入したら散々待ったのにゴミが出力されてたみたいなストレスから解放されるんだったら買っちゃえ、
って買ってみて、最初はうまく言ってたんだけど、なんかシートが熱に弱いみたいで、
使ってる途中でベースの熱で柔らかくなってしまったんだろうか、
出力結果をスクレイパーで取るときに、シートにスクレイパーがぶっ刺さってしまい、
シートは破けるわ、ベースは傷つくは、FMDはこんな感じばっかだったよなあ
でも、アメリカ製のPrusaとか精度は良いはずだけどね
自分もPrusaと同じぐらい精度高いの15万で買ったはずなんだけど
光造形にしても結局積層していくことには変わりなさそうだし、
うっかり目を離した隙に大失敗がなくならなそうなんだよね
だから、ワンフェス?とかで他人に売る品質にするのはちょっと難しいのではと思ってる
でも、光造形だったら問題なさそうだけど、FMDは気温にも左右されるんだよなあ
あと、自分も光造形安いのでいいから買いたいなあと思ってもいるけど、肝心のレジンが高いよねー
フィラメントもレジンもどこでどうやって製造しているかよく分からんのが多いし、
体調とか生活が落ち着いたらまた作りたいよ
あ、あと光造形は出力した後の後処理が面倒だったと思うんだよなあ
まあ、プログラミングも大変だけど