はてなキーワード: 社会関係資本とは
どこに質問の要素あるんだよ笑
まずこの時点で頭悪い。
そういった逃げる選択肢をとりがちである理由や真剣に取り組むという行為に社会関係資本等が必要であることなんかも統計的に示されてる。
お前の頭が悪くて思慮も学もないから知らないだけで、お前の話に沿った反論してる。
俺の成功と幸せの中心となる要素が可愛い妻であるってだけなのに、それを出す理由が「想像力が足らないことに原因がある」って頭悪すぎる。
恵まれていたり幸せであることを表現するのに何を持ってするかは自由なんだけど、馬鹿だからブランド物の服や高級車じゃないと意味ないとかSNSに毒された頭の悪い価値観を内面化してるんか?笑
弱者男性が丁寧な暮らしをした、という増田についているブクマの内容に対して書き散らしたいと思ったので書きます。
日本に住んでいる一人暮らしの若中年男性について、金銭的な面で多少の余裕がある(少なくとも、数万円程度の余暇を使う)ことは貧困ではない、という観点はそれほどおかしいとは思わない。
もちろん社会関係資本が多少なりとも存在するからこそ、現在の生活が維持出来ているということはあるだろうか、それが今後も継続する、という期待を持ってはいないのではないか。
仕事、健康、それらの資本が一つでも崩れれば、一気に崩壊するだろうことが明白な生活だからこそ、それに金銭資本を投下して向上させるというモチベーションよりも、今後に備え可能な限り貯蓄する、あるいは娯楽に逃避するために散財するという選択に追いやられたのではなかったのだろうか。
まぁ、孤独な人間が孤独に死んでいくことは誰も気にすることじゃないから、適当なことを言っておけばいいって、自分の生活に支障はないから、そうしているのだろうけれど。
社会関係資本の欠落はそれ自体の増加を妨げることにもつながる、なんてことはまぁ、一般的な資本主義の様相を見てもらってもだいたい分かることだと思うのだけれども。
一度他人と関わる伝手を失うと、そのまま転げ落ちるか藁を掴んで金すら失うかのどちらかに陥ることが多い(もちろんそうではない幸せな結果に至ることもあるのだろうが、それはおそらく多数側ではないだろう)。
一度お金を失えば、生活に投資できなくなり余計にお金がかかるようになるのと同じで、家族や知人と呼ぶべき資本を最初から欠落している人間は、コミュニティへの参画が極めて困難に陥りやすい。
特に、社会的な弱者を取り囲もうとする罠というのは、面白いくらいにあちこちに散らばっていて、しかし資本に富んだ人たちは「あんなものにひっかかるなんて、なんて馬鹿なんだろう」と嗤って楽しんでいる。
「弱者男性はまずクロワッサンを読め。丁寧な暮らしをして、自分の機嫌を取れ。」
絶賛してる多くのはてな民と、ブチギレてる弱者男性擁護派に見事に別れたこの提言。
でもこれ冷静に考えると正論なんだよな。珍しくはてな民がマトモなことを言っている。
反発してしまうのもわかるが、全くの正論としか言いようがないのだ。
現代の弱者というのは結局の所、自分で自分の世話ができないことがストレスとなり
他人のリソースを注入せざるを得ないのに加害性が高く、コミュニケーションも高コストになる、というところに本質がある。
おとなしく機嫌の良い弱者ならなんとでもなるが、暴力的で不機嫌な弱者は支援もしづらく、相互扶助のリターンは小さく、支援者にも避けられ、ますます弱者になっていく。
社会関係資本という最も重要な資本を自ら失ってしまう。たとえば公的支援も後回しになり、金銭でサービスを受ける際にも追加でコストを取られる。
私的関係なんて当然言うまでもなく壊滅していく。それが弱者たる所以。
だから、「まず自助努力で丁寧な暮らしで自分の機嫌を取れるようになり、そこから支援を受ける」というのは理想的な流れと言える。
とはいえ、これを弱者に向かって直接いうと当事者や、同情している人々に激怒されるのも確かだ。むしろそれこそが真の問題である。
答えはわかっているのに、納得したくないというケースが非常に多い。
最近の別の典型例は車椅子クレーマーで、あれは弱者が敵対的コミュニケーションによって周囲に加害していた例だろう。
一般人の反感を買ってますます支援と理解を得られなくなるのだが、「あれが戦略的に正しい」という意味不明な擁護が左派の中で多かった。
もちろんそんなわけないのだが、当事者に寄り添うと、認知が歪んでしまい、客観的に物事を見られなくなるのだ。これ自体は仕方がない。一般的な話で、左右の問題ではない。
今回の件で言えば弱者男性擁護派もブチギレていた。全く同様の心の動きだろう。
そこにさらなる正論で反論しても、ますますヒートアップするばかりで、納得が得られる可能性は低い。
忠言耳に逆らう、というのは普遍的な話だ。最も重要な提言ほど、正面から言うと理解が得られない。
だからこそ、様々な弱者に対して「弱者はまず黙って丁寧な暮らしをしようよ」という正論を投げかけるのは有効だと思う。
障害者、マイノリティ、弱者男性、いろいろな弱者がいるわけだが、その全てに同情している人間はそれほど多くないだろう。
自分がまったく同情していない、あるいは嫌悪している対象ならば、「弱者はまず黙って丁寧な暮らしをしよう」という正論の合理性が簡単に理解できると思う。
もちろん同情しているとか、実際に当事者なら怒るだろうが、その場合にはまた別の対象を持ってくればいい。
弱者男性擁護派も他の弱者に対しては同様の論理を持ち出していることは多い。
そこからはじめて繰り返していけば、弱者一般に対しても全く同様の論理が成立することも、最終的にはみな理解できるだろう。
実際に今回、はてな民の大多数は理解できた。地道にやっていくことが大事だ。
そうすればだんだんと加害性の高い弱者が減っていき、協調性の高い社会にたどり着くことができるだろう。
今回の提言は図らずも多くの学びを得られた。
余談だが、以下のような論理は全く空転しているといいたい。
今まで言っていたことと矛盾している人間がいたからといって、今回の反応が間違いだ、というのはレトリックにしてもあまりにも短絡的だ。
むしろ、今までが間違っており、今回正しい結論に至ったと見るべきであろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210503143456
(追記)
ブコメに明らかに文意が読み取れていないはてな民が見受けられる。
私は福祉を否定しているわけではない。弱者に助けが必要なのはそのとおりだ。読めばわかるだろうが、共助や公助を受ける「ために」自助努力が必要だという話をしている。
文化資本と社会関係資本を測れる指標があるならそれに加点すれば良いのでは?結局はどうあがいたところで最強の指標なんてものはないしだからこそアファーマティブ・アクションなんてクソなんだよな。最初から下駄履かせないのが一番平等だわ
根本的な対応なんか取れないから、表面的な対応として「アファーマティブ・アクション」取ってるだけだろ。
政治なんて「平等っぽさ」や「正当っぽさ」を打ち出してるだけで、本気で「平等」なんか目指してるわけじゃないのは見てたら分かるじゃん。
それに、ハーバードから人種関係なく云々で起きた問題は、文化資本と社会関係資本による問題が大きいから、年収逆比例の加点なんか効果がない
あと蛇足だけど、点数の問題云々で言えば、今アメリカとかで問題になってるのは北東アジア系による高級ポストの占領、白人の優位性をペーパーテストによって正当化をしてた現状があるなか、北東アジア系によるペーパーテストでの好成績と進学先の占領が問題になってて、白人が優位になるルールをなんとか考えられないかアメリカ社会は四苦八苦してるところなんだよね。
結局は「白人優位」のためのシステムであって、「平等を謳ってる白人も本当の平等なんか目指してない」ってことは平等を本気で考えてる白人の活動家が散々指摘してる。
ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~
アメリカにおける共同体の衰退を論じた Bowling Alone. は大きな反響を巻き起こした。ソーシャル・キャピタルの概念の提唱者でもある。
「日本の売上高トップ50社に主要銀行と商社を加えた75社の取締役の血縁を調べると、その7割以上が親戚・姻戚関係にあり、更にその周りに無数の系列企業が連なって壮大な閥族支配の網を形成し…」
ttps://twitter.com/akaikebasutei/status/1435087315957784577
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4334971539
ttps://takapapa.hatenablog.com/entry/19980121/p1
私にブルデューを教えてくれた女性は「大衆は愚かで無力」と語った - はてな村定点観測所
その投稿に対して、「両親の年収よりも両親の学歴や教養の方が子供の学歴を決定する影響が大きいですよ」というレスを書いてきた人がいた。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=http%3A%2F%2Fcyberglass.hatenablog.com%2Fentry%2F2015%2F11%2F13%2F042324
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/8515013/comment/hisamichi
社会関係資本の試金石は一般的互酬性の原則である。直接何かがすぐ帰ってくることは期待しないし、あるいはあなたが誰であるかすら知らなくとも、いずれはあなたか誰か他の人がお返しをしてくれることを信じて今これをあなたのためにしてあげるというものである。
ttps://www.amazon.co.jp/gp/product/4760129030
また、自分も相手も互いに同じグループに属していることが周知されているときには、内集団ひいき的な行動が観察されますが、自分は相手が同じグループであることを知っていても、相手が自分のことを同じグループの一員かどうかわからない状態では、内集団ひいきは観察されなくなります。
つまり、自分と同じグループの人に対してひいきするのは、見返りが期待できると思うからであって、同胞に心から同情するせいではないということです。
なぜ北イタリアの経済パフォーマンスが良くて南イタリアはだめなのか。
会社に学閥ができる心理学的な理由と上手な付き合い方 | From G to R
Apo's 心理学 の勉強部屋 内集団ひいきってなんだよ???
自分が属する集団を高めることによって、自分の評価をも高めること。
ttps://seesaawiki.jp/w/qualia_s/d/%BC%D2%B2%F1%BF%B4%CD%FD%B3%D8
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%A5%89%E4%BB%95%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
このご時世に学閥つくって群れてるくせに、都合のいい時だけ利用しようとして協力しろとか言って来て、どんだけ自分勝手やねん。— YanoTakeshi (@divivid) 2017年3月17日
派閥と学閥を私は成立の違いから本質的には違うものだと理解しているが、それは派閥が異端者を排するものであって学閥は排しないものを異端者とする構図だと考えているから— あき秋刀魚 (@abc3aki) 2015年8月7日
ttps://bit.ly/2K5LWk2
SNSやブログで、仕事が上手くいかなくたって人生なんてなんとでもなるさというような主張を良く見る
そういう主張はだいたい「私は就活失敗したけど、こういう縁があってなんとか就職結婚して今に至っている」とか
「勤めていた会社をやめてしばらく無職だったけど、知り合いからの連絡で別の会社を手伝うことになって云々」とか
そういうのを見ると、あぁ人生なんとでもなるだなぁ。肩の力抜いて生きよう。という気持ちになるんだけど、
同時に自分が就活失敗したり仕事辞めたりしても、こんなに上手くいかないだろうなと思う。
人生なんとかなるという主張を読むと、だいたい共通して友人知人、インターネットの繋がりに救われてる。
私のような人間関係がひどく希薄な人間はたぶんこういう救われ方はされない。
仕事辞めたけどなんとかなったという話を読んでいても、そんな友人関係持ってないぞとどこか思ってしまうのだ。
この手の主張をする人は、ちゃんと人間関係を築いてきたから助かってるじゃないかな。
自分で築き上げたのか、あるいは生まれた環境がめぐまれていたのかは分からないけど、ちゃんと助かるべくして助かってるようにみえる。
苦境に立たされた時、こんな私でもなんとかなるんだろうか...
困ってない
家族以外は同性の知人も異性の知人も一人もいない
当然ながら同性と異性を比較しようがない
同性と比較して異性を嫌いになれるくらいの人達はコミュ力があって知人が多いんだろうな…文化資本や社会関係資本みたいのがあるというか
本当に羨ましい
普通の弱者なら家庭環境や対人関係で悩むのに ミソジニストやミサンドリストは性別比較できるくらい人間関係作れるんだもんなあ…強者以外の何者でもないよ
「異性を嫌いになれる程度には人間関係作れますけど何か?」みたいな自慢と嫌味と余裕を感じる
それを感じずに男女対立を楽しんでいるってことは社会的強者ってことだ
「ま~ん」「ジャップオス」なんて言葉は強者しか使わないし強者の余裕っていうものだよ