はてなキーワード: 水商売とは
https://twitter.com/MaiaUmetani/status/1214483127445245952
大抵のアイドルはいつもニコニコしていて嫌われたくないよう貴方のことを否定しない
だから何を言っても自分は許されてると思いがちな人も多いみたいだが
そういう店に行けと思う
嫌われたくなければつまらない揚げ足を取らず寄り添えば良いのに
「「推し変しようかなー」とか言って脅しをかけてくるアイドルオタクやめろや」とぶちギレるアイドルプロデューサーの一連のツイートのうちのひとつ。
主張の大方はなるほどそりゃそうだろうと思って読んでたのだけど、ひっかかるところが一点あった。
「構ってほしくて推し変をちらつかせてもアイドルは嫌うだけなので、そういう店に行け」とこの人は言っているわけだけど、“そういう店”ってつまりどういう店なのか。「気持ち悪いこと」を客が言っても、キャストは嫌ったり引いたり傷ついたりしないシステムの店とは。
多分だけど、この人は漠然とキャバクラとかの水商売を想定してる気がする(もっと漠然と、「いかがわしい系の店」とかかも)。
でも悲しいかな、キャバクラ嬢がキモ客クソ客のLINEを晒して笑い者にするのもよく見る光景になりました。まして「指名しようかなー別の娘にしようかなーどうしようかなー」なんてシーソーゲームをやってるつもりの客は普通にキャバ嬢も大嫌いだろう。アイドルに限らずね。
つまり、推し変をにおわせるなどして他人の気持ちをコントロールしようとしたり、過剰なサービスを求めようとする人間の行く場所なんてどこにもないということ。アイドルもキャバ嬢も笑顔の下ではそんな奴のことを嫌って怖がって蔑んでる。他の業界のどんな職業の人間だって。男だって女だって。誰だって。
残念無念。
あと、この人は多分“そういう店”や勤めてる人を、無意識にかどうか、下に見てることは伝わってくるね。これは助言だけど、よその業界のことをよく知らないままゴミ箱扱いしないほうがいい。
こういう物言いはどっかで跳ね返ってくる(現にこうやって言いがかりをつけてくる奴がわいてきたわけだし)。
「やたら物販で会話を粘ってくる…そういう店に行けばいいのに」だったらオッケーだった。
もう何年も前の話になる。仕事が忙しくストレスが溜まる生活を繰り返していた俺は、週に1、2度都内のあるバーで飲んで帰ることが習慣化していた。繁華街からは少し外れたところにある特徴のないショットバーで、特におもしろいメニューも嗜好ももないが、質の悪い酔っぱらいも居らず、1時間程滞在しても自分以外に客がいないことも珍しくないことが魅力のバーだった。
ある金曜日の夜、多分22時くらいだったと思う。流石にこの条件で他に客がいないことは珍しいのだが店は空っぽだった。半ば指定席と化しているカウンターの一番奥に私が座ると、店を一人で切り盛りするマスターは慣れた手つきで私におしぼりと灰皿を出しながら「タイミングが良かったですね。さっきまで戦場のようでしたよ。もう今日は静かだと良いのですが」と語っていた。
しかし、私の最初のオーダーが手元に届き煙草に火をつける時、もう一人客が入ってきた。大学生くらいの若い女性だった。派手さは感じないが華やかさを感じさせる美しい女性で、失礼ながらこんな小さな雑居ビルに入っているバーが似合うような女性ではなかった。おそらく恋人か何かと待ち合わせだろうと思いながら、私は驚きのあまり不躾にも凝視してしまった目線をバックバーに移した。カウンターしかない小さな店だから、普通こういう状況ではマスターは私とは反対の、入り口に近い席を進めるはずだ。俺にできることは、後から来る連れが騒がしい男でないことを祈るだけだった。
ところが、どうやら驚いて一瞬固まっていたのはマスターも一緒だったらしい。なぜか一度俺と目を合わせたマスターが「いらっしゃいませ」と言い切るころには彼女は私と一席空けた隣に座ろうとしていた。奥から詰めたほうがいいだろうと考えたのだろうし、これだけならそれほどおかしいことでもないのだが、何だか少しドキドキしたことを覚えている。
マスターもそれは同じようで、どこかぎこちない動きで彼女にお絞りを渡した。この店はマスターの気配りだけは一流と言って差し支えないため、一見の若い女性が一人で入ってきたら、さも常にそうしていますという素振りでメニューを渡しそうなものだが、マスターは彼女にお絞りを渡したまま姿勢を正して硬直するようにオーダーを待っていた。妙なことになってきたぞ、とそう思った。
私とマスターがそうして硬直していると、彼女は小さな、それでいて良く通る声で「ザンシア」と呟き、私とマスターをもう一度硬直させた。居酒屋やダイニングバーで出るようなカクテルではないし、スタンダードであるかも怪しい。私もショートカクテルということ以外はどういうものかは記憶にないカクテルだった。流石のマスターは「はい」とだけ答え慣れた手付きでオーダーを作り始めたが、私は混乱し始めていた。彼女は確かに華美ではあるが水商売には見えないし、偏見だろうが女子大生がこんなカクテルに詳しいというのも不自然だ。見た目通りの年齢ではないのかもしれないと思いながらチラリと彼女を横目で見ると、バックバーを眺める彼女からはどこか幼さも感じ、余計に俺は混乱することになった。
彼女の正体について私が思いを巡らせながらマスターがカクテルを作る様子を見ていると、ザンシアというのはかなり強いカクテルのようだった。シェイクする分を考えても、40度はあるかもしれない。それがカクテルグラスになみなみと継がれる様子を見ると、本当にあのあどけなさの残る女の子がこんなものを飲めるのだろうか、という余計なおせっかいを考えざるを得なかった。
しかし私の心配は杞憂に終わったようで、横目で見ていると彼女は一息でカクテルグラスを半分ほど開けていた。私も酒に弱いわけではないが、真似できる気はしなかった。少なくとも試したところで酒を楽しめないだろうことは間違いなかった。ますます混乱する私がこの後彼女に声をかけられて、挙動不審にならなかったことは奇跡だと思う。
「ねぇ」彼女は俺のことを見て確かにそう言った。「煙草、分けて下さらないかしら」、と。一字一句間違いない。確かに彼女はそう時代がかった口調で私に煙草を求めたのだ。混乱に次ぐ混乱の中、重ねて言うが私がどもらなかったことは奇跡でしかない。
「どうぞ」と言いながら私は彼女に箱を開けた煙草を差し出した。彼女は慣れた手付きで私の持つ箱から煙草を一本取り出し「ありがとう、火もいいかしら」と答えた。またしても「かしら」だ彼女はいったいどこの世界からやってきたのだろう。
ごめん書くの飽きた
両親は最終学歴中卒・高校中退で現トラック運転手・水商売の絵にかいたような元ヤン。
下に一回り離れた妹、弟がいる。
子どものころは男なのに母のお古を着せられたり、体操服やランドセル、日用品の諸々は親戚のお古が当たり前なレベルの貧乏だった。
正月にもらったお年玉はすぐさま回収されて子供たちの学費か生活費に充てられていたので、お年玉でほしいものを買うとかいう経験をしたことがない。
お年玉で買ったゲームソフトを見せ合う同級生たちがいつも羨ましかったけど家が貧乏なのはわかっていたので、新聞チラシの裏に俺が考えた最強のゲーム主人公を描いたり伝説の剣を作ったりして過ごした少年時代だった。
そうやって成長していったから貧乏の辛さはわかっていたし、将来はちゃんとした企業に入ってふつうの生活ができる大人になろうと思ってたけど、貧乏な家に生まれた時点で将来もほぼ決まっている。
高校生で進路を決める時もちろん大学進学を希望したが、貧乏な我が家では大学進学費用を捻出することは不可能だ。
反対する親に「頑張ってバイトして学費を貯める、入学後の生活費も自分で稼ぐ、金のことで迷惑はかけない」と訴えたけど、「そんな金があるなら実家に入れろ、家の状況をわかっているのか、妹と弟のためにも高卒で働け」と押し切られ、俺の大学進学の夢は散ってしまった。
元ヤンの親父はめちゃめちゃ怖くて、口答えすると鼻血が出るまでボコボコにされるからチキンな俺は怖くてそれ以上言えなかった。
同級生たちは将来の夢も決まってないけどとりあえず大学にいく、という奴が大半でそれがひどく妬ましかった。
みんな大学に進学できるという事のありがたさを何一つ分からず、ぬくぬくと親に守られ真っ当な人生を歩んでいく。
今思い返すと笑えるが、当時の俺は世界で誰よりも自分が不幸だと思っていた。
そうやって高校を卒業した後は、地元の携帯ショップや工場、呉服屋などを転々としながら死んだ目で働き続けた。
田舎の資格不要高卒可の仕事なので、月給は手取りで10~13万ってとこかな。
そこから家へ6万、残りで自動車学校のローン返済や日々の車維持費、食費、日用品費などを捻出すると貯金もなかなか出来ない。
それでも3年ほど掛けて引っ越し代と当面の生活費を貯めて実家から逃げてきた。
色々あったので簡単に言うと安月給過労で体と心を壊し、先月退職してめでたく無職になったという感じか。
26年間生きてきて、いいことがあったかと言われると何も思い出せない。
親への感謝なんて毛ほども感じないし、大事なものも何一つ作れない人生だった。
唯一の救いは現在の実家は若干だが裕福になったようで、妹弟は希望の進路に進み特に不自由なく暮らせていそうなところか。
とにかくもう疲れ果ててしまった。
真っ当に育ってきた人と話すと「貧乏でも努力すれば幸せになれるよ」「死ぬくらいなら頑張れば何でもできる」と言われるが、大体そういう人は家族に恵まれ自分の知らないところで色々な人に助けられて生きてきた人たちだ。
生まれてきた環境ですべてが決められてしまうやるせなさや頑張っても頑張っても次々と困難にぶち当たる辛さを知らない。
死ぬ人間は本当に死にたかったわけじゃなくて、すべての事から逃げ出したくて最終的に死という手段しか残されていなかっただけだ。
続き。
Aさん。
出張かなんかで一か月もいなかったがその間勝ちまくってた。
とにかく鳴きまくってツモ上がるという、なかなか真似できない打ち筋。
相手がリーチかけようがどんどん突っ張って、変なタンキ待ちとかもツモ上がってしまう。この人が大きな役に振り込んだのはあまり見なかったと思う。
長時間打つ客が多い中、この客は3時間くらいでスパッと止めて帰ったのも勝率の高さに関係してると思う。
勝ち逃げは常連客から文句出やすいけどこの人はなんかすごく強くて貫禄あったから許容されてた珍しいケース。
Uさん(社員)
唯一給料からマイナスされなかった店員。30代くらいで若い店員。
ママに気に入られていた為、ほかの店員と比べて常連客からもあからさまにやられたりしてなかったのもあるが、卓に入ると人が変わったように全く手加減などなく、上がるときはとことんまであがりまくって、勝つ時の点棒やチップの数は凄かった。鳴きが多くなるルールの中、面前あがりも多く、あがった時の点数が大きくツモ上がりが多かった。
勝率は高くないけど、勝つ時の金額が大きかった為トータルプラスに持って行けたんだと思う。
オーソドックスな打ち筋だがメンタルが強く打ち筋が全くブレなかった。
あと、男ながらに指がキレイで牌の扱いがやたら手慣れていたのを覚えている。
この人と2入りした時は楽しかったけど容赦なくやられまくった記憶。
この2人は別格の強さだった。2人に共通してたのはツモあがりが多かった事かな。
Iさん(店員)
僕が入った時の教育係的な人。
若いけど長髪でタオパイパイみたいな感じで、麻雀っぽい風貌だったけど、麻雀はあまり上手くなく負けが混んで2ヶ月くらいで飛んだ。
製薬会社勤めという噂だが、ナメック星の最長老みたいな見た目で、髪の毛はいつもフケだらけで見た目は汚かった。
店にアウトが100万近くあったが、昼間の立ち番の女を買ってたという噂。(ママが面白くないから言いふらしてたっぽい)
打ち筋は、すぐ鳴いて安いあがりが多かった。負けが混むと日和ることが多く、勝敗がうち筋にモロ影響が出ていた。
そのくせ麻雀が大好きで12時間とか平気で打ち続けていた記憶。
赤ウーピンが入ると必ず食い仕掛けして安い手役作るのでわかりやすかった。
負けが混むと目先の500円が欲しくなるんだと思う。
向かいのぱちんこ屋の住み込みの店員さん。見た目はハゲのコアラみたいなおじさん。
店の2階に住んでいるので、いつも遊びに来ては負けて、お金がなくなっても店の中で冷やかしていた。
店のアウトは最終的に100万超えていたが、卓割れしそうになると店がアウト追加して無理やり打たせてたらしてたのでアウトはどんどん増えてった記憶。
麻雀もふざけながら打ってる事が多く、本人は本気かもしれなかったけど笑って冗談言いながら打ってたのでカモにされていた。おっちょこちょいで打牌のミスも時々あった。
この人も日和るとすぐに鳴いて500円のために点数を下げてた。(他の客もだいたいこのタイプ)
手に油汚れがいつもついてて、作業着で店に来たこともあるからたぶん工場勤めなんだと思うけど詳細は不明。
この人は店に50万くらいアウトあったと思う。競輪も大好きだったので、店から借りた金を競輪につぎ込んでた疑惑あり。
上がらなかった自分の手配を見せつけたり、人のあがりや捨て牌にやたら文句つけたりする、いわゆる講釈垂れるタイプ。
そのくせ、他の人の三味線には厳しく(やめたやめたと言ってあがりを諦めたかのように見せてロンした客と喧嘩してた事もあり)僕にしてみればどっちもどっちかなと思っていた。
最初はあまり強くなかったけど一年後くらいからなんか強くなった印象。
僕はこの人は苦手だったけどUさんはこの人をめったくそにやっつけるので見てて爽快だった。他の客と違い、勝ち負けより麻雀を楽しんでる感じなので、Uさんが勝ちまくっても逆に喜んでた節すらあった。なぜかMさんと仲良しだった。
リリーフランキーと吉田鋼太郎を足して2で割った感じの人、小指がない。
たぶん金貸し。ちょっと小綺麗な身なりでいつもセカンドバッグを持ってた。
僕はこの人になぜか凄く嫌われてて、あからさまに邪険にされたけど理由は今だによくわからない。
嫌われてたので一緒に打った事が少ないのもあって打ち筋の特徴はあまり覚えていない。金持ちだからアウトはなかったけどトータルでは負けてたと思う。
バーのボーイ。20代半ばくらい。
見た目は嵐の二宮っぽい感じ。
深夜の閉店後の明け方に店によく打ちに来てくれた。
僕にスロット教えてくれた先輩(Uさん)もすごいイケメンで、同じバーで働いてたから仲が良かった。
年が近かったのもあって僕にもよくいろんな事を話してくれた。
ちょっと奇妙な打ち筋に感じる時もあり、変わった麻雀を打つなあと思う時もあったが、後からなんであの時こうしたんですか?って聞くとなるほどなあと思わせられた事が何度もあった。
下手ではないがトータルで勝ち切るほど強くもなかった(勝つにはゲーム代分はプラスにしないと一般客はゲーム代で負けます)
Oさん
焼肉屋の店主。
深夜の閉店後に来て本当に楽しそうに麻雀を打ってた。
打牌に勢いがあり、手役を作るのが好き。
優しくて、半分遊び感覚で打ってるように見えたから負けてた事が多かったように見えるが、楽しそうに打ってた。
赤のみであがったり、汚い待ちで引っかけたり、変なアンカンしたりする、いわゆるチップだけ取りに来る麻雀をする年寄り客を嫌っていた。
後から知ったけど実は同じ大学の先輩だった。(私も先輩も在学中)
最初はMさんと一緒に客として来ていたが、ママがスカウトした。
この人も変な打ち筋。テンパイしてもなかなかリーチをかけずに手代わりにつぐ手代わりで手牌をこねくり回して他の人に上がられてしまう、というパターンが多かったのが印象的。基本門前で全然鳴かなかった。
この人はなんだかんだで結構負けてたと思う。
流れ者の従業員が入れ替わり立ち替わりだったが、この人と社員のUさんと僕はなんだかんだで長かったと思う。
自民党の石破茂と野村沙知代を足して2で割って顔を黒く塗った感じ。
怒ったら凄く恐いらしいけど、怒ったところを見ることがなかった。
笑う時は「グフフ」って笑う。
顔が広く、定期的に新規の客を店に連れてきていた。
卓割れしそうな時はいつでも電話するように言われていて、客が1人だけになってもメンバー2人と社長で打つ事もあった。
手加減してたのかわからないけど勝ちまくってたところはあまり見た事がなかった。
立場上なのか、汚いあがりやノミのあがりはあまりなかったと思う。
競輪が大好き。
ヤクザから金を借りてるという噂が流れ、闇金ウシジマ君を思わせるジャージ姿の怖い人たちが時々店に出入りするようになって、ある日突然ママを置いていなくなった(という噂)
中国人の女。たぶん30代半ばくらい。
麻雀に関しては基本、おりるという事をせず、他者からリーチがかかろうが自分の手配のみ見てあがりに向かうというスタイル。
そのスタイルゆえ、他者の明らかな染めてにも構わず牌を鳴かせまくったり、字牌も全く絞らなかったので、場が荒れまくっていた。
社員のUさんはこの人と一緒に打つのは苦手そうにしていた記憶。
まだまだ他にも、タクシーの運転手×3人、明け方に来る志村けんのコントに出てきそうな入れ歯のお爺さん、同じく午前中に来る玉置浩二っぽいおじさん、泉ピン子を2倍に太らせたような定食屋のおばちゃん、それほど背が低くないけど池のめだかっぽい角刈りの寿司屋の大将、外車を乗り回し金のネックレスやら高そうな時計やら服のファッションが素晴らしい成金チンピラっぽい人、広島カープの菊池っぽいヒゲ面のバーの兄さん、サングラスしたキャバ嬢送迎の兄さん、優しそうなおじさんと思いきや上半身刺青だらけで行く店店で呼び名が違ったおじさんとか、やたら講釈垂れまくってメンバーイジメまくってた髭のおじいさんとか、棒テン即リー全ツッパのおじさんとか、金髪の謎のおじさん、スーツにネクタイのいかにもサラリーマン風の人、ヤクザあがりでラーメン屋やってる人、
メンバーは毎月何人かは入れ替わっていたのでまだまだかなりの人達がいた。
ここまで書いて、大体スタイルは
「麻雀を楽しむ人」「チップ最優先の人」「自分の手役優先でブンブン来る人」に分別される気がした。
チップ最優先の人は目先のチップ最優先なので、出あがりしてしまうのに対して、上手い人はツモあがりが多かったのでチップ負けもしてなかったと思う。
親を老人ホームに叩き込んだ娘の話を読んですごくうらやましいと思ったので、
背景:
・母子家庭
子供の頃
・幼稚園の頃よくある、◯◯君が好きー(無邪気)みたいな異性に関することを言うと顔がこわばって無言になる
・私が外出するのを極端に嫌がるので友達と遊びに行くのも「図書館に行く」というような正当っぽい嘘をつくようになる
・とにかく親の機嫌を損ねないために嘘を重ねる
・異性と関わってることを少しでも見せると、反応が異常に過敏。
「お前はそんなことばっかり発達して!(ブチギレ)」
大きくなってそれを認識したので異性に関する話題は避けるようになる
大学生後半:
→ブチギレ(なぜ?)
↑の母の反応を見て、こいつはやばい、大学卒業次第逃げなきゃ!と思い海外就職を決意
社会人:
逃れた!
実家帰るたびさみしいと言われ、毎月日本に帰る(給料全部航空券に使ってた)※洗脳
毎月実家に帰るたび、2人きりの家族なのに二箇所に住むのは家賃が勿体無いと責められる
せっかく母と離れられたのにと思いながら、なぜか母の住民権を頑張って取ろうとする※洗脳
→不可→東京支社に移動
母がどうしても一緒に住みたいと言うので東京に家を借りる。
今まで地方住みだった母「狭い家は嫌だ!」
→東京で同じぐらいの広さの家を借りる(手取り給料の1.5倍)※無意識
→そのために水商売を始める
朝から朝方まで働いて死にそう
毎日夜働くのをやめて土日体を売る
==============
ここまでで気付いたこと
■親が自分を養ってくれる期間は0〜20,22歳ぐらいだけど、親を養う期間はその倍ぐらいあるということ(50〜90)
※うちは特殊だけど
■生活保護受けて欲しい
私は仕事してるとはいえ、普通に働けば手取り20万円代、水商売か風俗して+40万円ぐらい
さすがに私も体力的にしんどいよ、本業でスキルを積みたいし体売るのも心が壊れるんだよ
って思って母に伝えたけど、
「私は働けないんだから仕方ない」(働ける体力ではないのは確か)
「貯金もあるし家族(私)もいるのに生活保護は受けれないよ〜」
(その貯金は一切出してくれないです。生活保護受けない分減っている私のお金と体力は無視?)
すみません。ここまで長くなりましたが、
これからも母が寂しがり、老人ホームに入ることも嫌がり、私の体力や収入を食いつぶし、私の人生は母を養うためにあるということが絶望すぎる
それなら老人ホームに叩き込みたい
睡眠時間が2時間になっても、風俗で働いても、病みすぎて心が死んでも、求められることをこなしてしまう、誰か助けて
ということが言いたかったです。
親が死んだ頃には働き尽くして何も残っていない廃人になってるのでは?
親を老人ホームに年金でカバーできる範囲で叩き込めればどんなにいいかと思います。
一人っ子だけど一人暮らししてる!とか、海外1人旅!みたいな友達がうらやましくてしょうがないです。
私はどうすれば人並に幸せになれるんだろう...
一日中遊びまくって帰路に就く頃にはクタクタだったので、帰りの電車ですっかり眠り込んでた。
しばらくして近くのおばさんの喋り声があまりにうるさくて目が覚めたんだけど、寝ぼけたままおばさんの話の内容を聞いてるとどうやら自分の悪口を言われているようだぞ?と気づき一気に覚醒。
びっくりして顔を上げるとすぐ前の座席に座っている水商売風の50代くらいのおばさんとおっさんとばっちり目が合った。
おばさんとおっさんは目が合ったままなおも電車の中に響き渡るくらいの声量で悪口を言い続けている。
周りにはちらほら他の大人もいたし状況にも気付いてたと思うんだけど止めてくれる人は一人もいなかった。
延々と自分の悪口を聞かされながら10分くらい固まってたんだけど、内容はヒートアップしていくしニヤニヤ笑うおばさんとおっさんの顔が気持ち悪くて、耐えられなくなって別の車両に移動した。
具体的に悪口ってどんな事言われたのよ?と聞かれると、正直あんまり思い出せない。
時間経過で忘れたわけじゃなくて、ショックすぎて自分の防衛本能が記憶を抹消したんだと思う。
その日の服装とかおばさんおっさんの嫌な笑顔とかは鮮明に思い出せるから。
思い出せる範囲だと「芋くさい」「気持ち悪い」「親の程度が知れる」とかそんな内容だった気がする。
それからしばらくは何か自分が悪口を言われるような事をしたのかとずっと思い返しては悩んでた。
優先席に座ってたとか座席を荷物で占領してたとか股開いて座ってたとか、考えられる限りの理由を考えてみたけどどれにも当てはまらなかった。
大人になった今ならわかるけどこういうのに理由なんてないんだよね。
でも当時まだ幼くて周りの大人や友人に恵まれぬくぬく育ってきてた自分からすると、『まったく面識のない他人』で『親よりも年上であろう大人』に『面と向かって謂れのない罵倒を受ける』という3連コンボはあまりにもショッキングだった。
当時は大人を信じられなくなったし大阪嫌いになったし、今でも水商売風のおばさんと客っぽいおっさんの2人組とか見かけるとちょっと怖い。トラウマです。
もし今当時の自分の立場になっても上手く受け流せる気がしないし、逆に当時居合わせた大人たちの立場になってしまった時、上手く対応できるのかと言われると自信がない。
でも当時の自分と同じような目に合っている子供がどこかにいるかもと思うととてもやるせない。
こういうのってどうするのが正解なんだろうね。
20代の半ばの良い時期に新宿で働いてたことがあるからかもしれない。なんというかあの年の瀬も近づいてきた雑踏が落ち着くのだ。歌舞伎町や三丁目よりは、西口から東口のあたりがより良い。
あの街ではみんな他人で、無関心で、誰かと笑いあっている人も居れば、一人疲れて帰路に着く人もいる。色んな日常が混じり合って、でも黒く塗りつぶされてしまう程ではない灰色がとても落ち着く。
欲望に近いのも良い。すぐそこに歌舞伎町の風俗やホテル街があり、新宿の日常は欲望と隣合わせだ。女友達と飲んでいたら流れでホテルに居た、みたいなことがあの街では毎日たくさん起きてるし、水商売の女性が仕事に向かう姿はなんとも言えぬ美がある。
人混みから少し離れてみるのもいい。すぐそこにある沢山の人の営みを感じながら静かに飲むのも乙なものだ。
最もあの街の優れている点は、雑踏の中の孤独が街に同化されないことだ。あの街では孤独は誰のものにもならず、ただ自分の孤独のまま存在する。ただそこにある。それが認識できる。
元増田本人が絶対妊娠することはないし、おそらくは健常児しか育ててきていない父親ということもあって、全体的に「望まれない妊娠」「重篤障害児だと出生前に分かったケース」に対する想像が甘いし、仮に運悪くそうしたケースが娘さんの身に起きてしまった場合のフレンドリーファイアになりそうな点が少々気がかりではあるな。
もちろん世の中には性に関する話し合いをできない親の方が圧倒的に多いわけで、その親たちに比べれば増田はずっとずっと立派な親だと思うよ。
ちなみに自分は30代で結婚後に妊娠した者で、まだ子供も小さいけど、その子が腹の中にいる時に新型出生前診断(NIPT)を受けたよ、陽性だったら中絶するつもりでね。
「生んですぐに特別養子に出して二度と会わない」ということが可能なのでなければ、結局その妊娠が望んだものであろうがあるまいが、産んだ子をメインで育てる羽目になるのは産んだ当人なのだから、出産の決断において産んだ当人のQOLが最優先されなくてどうするんだと思っている。
だからってもちろん中絶なんか望んでしたいわけじゃない。だから独身の時はピルを飲んで、子供を産み終わった今は避妊リングを入れて、望まぬ妊娠を九分九厘せずに済むよう自衛をしてきたし、しているよ。
おそらく平穏な家庭に育っただろう元増田や娘さんの世界には、夫との間に子供を妊娠したけれど家にお金がなくて、その子を産んだら上の2人の娘を中卒にして水商売で働かせなれば家が立ち行かなくなる状況とか、長く同棲していて親にも紹介していた恋人が妊娠した途端に態度を翻して別れたがり、そのショックで薬を大量に飲んで救急車で運ばれ、服薬が胎児に障害をもたらしている可能性があると医者に言われる状況とか、そんなものなかったんだろう(まあ大抵の家の人がそうだろうけどね)。
私は自分ではない身内がそういう目に遭うのを見てきたから、ゴムだけの男頼りの避妊がどんなに不確実で恐ろしいかを知ってるし、未来の我が子のいかなる妊娠に際しても「我が家の孫なのだから中絶は絶対に認めない」なんて言葉を使うことはできない。
「中絶は認めない」なんて言葉を使っていいのは、腹の子の遺伝上の父親が娘への愛情のかけらもない卑劣で醜悪な性犯罪者でも、腹の子が生まれてから死ぬまで一度も言葉を発さず、親や祖父母をそれと認める能力を持たず、仕事も余暇もすべてをなげうって介護しなければならない重篤障害者だったとしても、その子を受け入れて責任持って育てられる人間だけだと思っている。
恥ずかしい話だが俺は当時大学生の彼女から借金をしたことがある
彼女の親はいわゆる公務員のお偉いさんのたぐいで彼女もオートロックのキレイなマンションに住んでいた
大学院まで行ったのに、いや行ったからか?嫌気がさして朝から店に並びぼーっと1日金を溶かして帰った
たまに会う彼女は俺のことを心配していて、スロットにズブズブの生活を始めてから、半年くらい経った頃かな
俺に何かあったのか聞いてきた
実際その頃は院での居場所はなくなっていたし俺は奨学金とバイト代から学費と生活費を捻出して生活していたので、とっくにそんな金はなく
彼女には言えるはずもないから適当にごまかしていたけど結局だめで
というか俺の甘えで借金のことを話した
彼女は思い詰めた顔をして、四万渡してきた
なんで?と思ったけど彼女にも余裕はなかっただろうし、そもそも彼女の思う「大きな借金」ってせいぜい5〜10万円くらいだったんだ、全然俺とは違う世界にいたから
そのころから彼女はまだ俺の様子がおかしいと言ってほとんど俺の部屋で暮らすようになった
パチ屋でタバコ臭くなる俺の服を不思議に思っただろうにいつも何も言わなかった
俺はどんどん金を借りた
一年経つと彼女の後頭部にでっかい十円ハゲが出来てることに気がついた
あれ、やばいんじゃねと思った
大学にも行けるだろうし
とはいえ彼女にそんなこと言えないし、俺はそろそろ潮時かなと思って親に今までのいきさつを話した
俺は彼女が好きだけど、正直彼女はちがうんじゃないかなと思うと答えた
俺は黙って彼女の携帯から彼女の実家に電話をかけた、今思うとやめとけばよかった
彼女の親はとにかく一度顔を見て話したいと言って彼女の実家近くの駅を指定された
俺は彼女に黙ってそこに向かった
駅に着くと彼女がいた
泣いていた、酷い顔で
彼女のお母さんが冷たい目で俺を見ていた
お父さんは複雑そうな顔だった
彼女の実家ではなく喫茶店の奥に連れて行かれて、どうもウチのを傷物にしてくれたみたいで、とお父さんがいった
俺はすみませんと頭を下げたけど、お母さんの方は「もう縁を切ってください、それでいいですから」と言って俺のことを見もしなかった
お父さんの方は「コレはこっちで面倒みるからお金は返さなくていい」と言った
俺はあまりにも酷い、彼女をコレって呼ぶなんてと思って、俺はこんなことしたけど彼女のことが好きですと言った
ふうんとお父さんがどうでも良さそうな返事をして、コレはウチのものなんで、使い道はこっちで決めてあるからと言った
金は返す、俺は彼女と別れたとしても彼女は大学を卒業させてやってほしい、金は俺が自分で稼ぐと言った
それでも彼女は1週間くらいして帰ってきた
痩せてはいなかったけど目が落ち窪んでた
死人みたいな目だった
金は俺の両親に土下座して借りて彼女の親に返したし、俺が返済すればいいと思ってた
彼女はポツリと「何でわたしの親に連絡したの」と言ってボロボロ泣いた
親娘仲は悪くないと思ってたし、俺にできる誠意だと思ってたけど違ったとわかった
彼女が地元や親をあまりよく思っていないことは知っていたけど、そんなに深刻そうじゃなかったから
俺はひたすら謝って、彼女はやっぱり許してくれた
それから6年経つ
俺はおととい30になった
彼女に結婚してくれといって彼女の好きなブランドの指輪を渡した
とりあえず趣味が解ってるものを先に渡そうと思ってただけで、ダイヤを買わないつもりとはちがうよ
彼女は嬉しそうな顔をしたあと、でも親がな、といった
きっと彼女の両親は俺のことを恨んでいる
彼女のことも恨んでいるだろう
彼女はずっと親が怖いんだろうか
死んだ目をして両親の隣に座っていた彼女
とにかく指輪はプレゼントするよといって、彼女の返事は決まったら教えてくれと伝えた
かけおちなんかして幸せになれるわけじゃないんだろうなと思う
死んだ顔した彼女がずっと怯えて生きてるなんて耐えられない
俺がもっと立派ならよかったのかな
長くなってしまった
もし読んでくれてる人がいたならありがとう
書いたら気が楽になった
彼女には申し訳ないことをしたと思ってるし、繰り返し謝っているんだけどやっぱりどこかおかしいんだな
仲間内唯一この話を知ってるやつにも彼女はおまえには過ぎた子だから、かわいそうなことをするな、彼女のためにちゃんとしてやれと怒られたことがある
まあこう思うくらいだからどこか現実味がないのかもしれない、そんなこと言ってちゃいけないけど
スロットは2年半かかったがやめられた
今は暇つぶしにも行かないようになった
でも改めて考えると正解がないな
彼女の意思としたら「何も問題がなければ結婚したい」って感じなんだと思うけど
俺が自信を持って彼女のためになると言えることといえば彼女の性格を他の人よりはかなり理解できるところだけか
彼女は頭はいいが世間に合わせすぎてストレスがたまるタイプで、何年も経ってやっと愚痴を話してくれるようになったくらいだから
仕事も顔も性格も、別に彼女がその気になれば俺より上の男を手に入れることなんて余裕だろうし
わかんないなあ、わかんないってことはやめておくべきなのかな