はてなキーワード: 正論とは
【主張】コロナと店名公表 私刑誘発の姑息な悪手だ - 産経ニュース
https://www.sankei.com/column/news/210111/clm2101110002-n1.html
これはまあ正論なんだけどさ。
でもねえ、日本社会の悪い所兼良い所って
「他人様に迷惑をかけない」「みんなが我慢してるのを破って迷惑かけたやつ村八分」というモラルであり相互牽制じゃん?
何故そんなもんが生まれたかって、この社会規範がまさにケガレとか伝染病とか色んな災厄を食い止めるからだよ。
「自分が良ければいいんだ」「やりたいことをやらせろ」っていう奴は安全で安定性の高い社会では新しい駆動力になることもあるけど
危機に瀕した場面では自分の感情だけで勝手にバリケード壊してセーフゾーンにゾンビを招き入れる定番の迷惑バカと同じ。
そういう奴を出した家ごと村の外に放り出して殺すぞ。
それが嫌なら周りに迷惑かけないように家族でちゃんと注意し合え。
周囲と相互に貸し借りを絶やさないようにしながら一蓮托生の意識を確認し合え。
村のみんなの川の水を独り占めしようとするなら生きていけなくしてやる。
一人一人がその独特の息苦しさで嫌な思いをすることはあっても
助かる人命は絶対増えてる。
豊かさや安全性が高まってきたらその息苦しさがただの不合理性になって
あーこんな田舎嫌だ都会に出るーって感じになってきてそれも合理性なんだけどさ。
いまこそ日本人の強みである村社会根性を発動するタイミングなんじゃねーの?
たとえば変異株持って帰ってきて隔離中に知人2人と会食してばっちり移したっていう奴。
もちろん公式発表とかは現代日本で難しいので、裏口からのリークだ。
そいつは仕事を失うし実家も引っ越しをしてさまよう羽目になるし会食相手の友達まで巻き込まれる。
じゃああいつも。こいつも。
民間の便乗含めて10人ぐらい特にケシカラン感染者や会食マンが晒されて私刑をくらう。
それぐらいやってみなよ。
あ、これ今はそういうフェーズなんだ。
みんなで足並みをそろえる時なんだ。
万が一隔離違反やクラスターかましたような奴がいたら全力で私刑しよう。
そういう空気が出来上がってみなよ。
「コロナ予防意識が甘い=みんなに迷惑かける悪」が世間の空気になった時の日本人は
元からそういう意味では強靭な方の社会だったけど、そろそろはっきり引き締め直す必要がある。
モラルって言うのは本質的にやべーものだけど、もっとやべーものが蔓延してる危険な環境では抵抗力になるんだよ。
我々はアベやスガに従ってるんじゃなくて世間の空気に従う国民だから。
はてなのリベラルだってコロナに感染しながらスーパー銭湯行っていいですか?とかほざく自分のことしか考えない愚民はモラルの下にリンチしたくてうずうずしてる。
ウヨもサヨも団結して頑張れるのは潜在DNAを刺激して村社会モラルを発動した時だよ。
こういうのはもちろん近代の自由主義の流れと完全に逆行するしそういう抵抗感はあると思う。
でも人の命がかかってるんだからさ。
これから増えるコロナ死者に「ポリティカリーにコレクトであることと引き換えにあなたは死んでください」なんて言える?
今一度村社会根性に戻って晒しと私刑を始めれば救える命があるんですよ。
どっちの悪を選んで何を掴むのか。
村社会の悪を選んで人命を掴むべきなのでは?
晒しと私刑は近代の社会にも普通に組み込まれている効率的メソッドなんですよ。
例えば大型脱税者の名前がマスメディアで報道されるのも国税局が裏口からリークしてるからだからな。
「一匹殺して吊っておく」を国税庁がやっているの。
韓国なんかは日本より危急時の法律が強いから不用意な感染者の晒しを公的にやれるらしいけど
日本はそんな法律なくたって世界1レベルにモラリスティックな遺伝子を眠らせているから。
でもあらためて要点を強調するための「バカな生徒の質問」として百点満点だから使わせてもらう。
我々日本人は政府やトップが主体性のある指導してくださる時より
世間の空気に従う時にこそ強い自制心を発動する民族だと言ってるんだ。
お前も日本人なら自分が自然に服するのはどっちか考えてみたらいい。
アベやスガの求心力なのか、世間の空気と「人に迷惑かけるな」という躾けなのか。
アメリカ人なんかはプレジデントのカリスマ性にうっとりして従うのが好きだ。オバマもトランプもうおおおお!!!ってなる国民が大勢いる。
日本ではあんな熱狂的な支持を受ける首相は保守にも革新にも表れないだろう。
自分が目立ちながら責任感ある演説ぶつことではなく、裏から手を回してケシカラン奴何名か吊って晒すことだ。
生きづらいぞなんて俺がはっきり書いてるだろ!
「息苦しくても近代の価値観に逆行してても人命の方が大事だよな?」って言ってんだ。
お前はほんとに国語0点ですげーよ。
今回は利用価値あったからいいけど、そこまで日本語読めないなら生意気にレスなんかしなくていいぞ。賛成反対以前じゃん。
閉じたコミュニティの掟や制限を受けるのは理解しても、公にして個人の人生を奪うのは下品の極み。そういう感性は理解できない。
後進的な悪のソリューションだと言ってんじゃん。
でも人の命がかかってるんですよ?
「あんたは品性のために死んでくれ」と言い渡すガッツでそれ言ってんの?
「弊害があるから」って選ばず検討せずなにもしないでタイミング流していくのも人殺しだからな。
そういう奴が一番多いんだけどさ。それで何らかの手を打った奴に対してこんなに弊害があるぞって批判だけ元気一杯やるんだよな。
私刑をなんだと思ってんだ?
語彙をまともに整備してください。
非常識ってのはつまり語彙がちゃんと揃ってないor精度が出てないやつのことです。
いや、本当にビックリするわ。
一匹殺して吊っておくカラスは極論無罪の濡れ衣でもいいだろうが。
こいつも話をまるっきり!理解してないよね。
3000人ちょっとでおさめてるのも我々の村根性DNAのおかげだろ。個人の権利だ自由だという意識より人様に迷惑かけんなという意識がガッチリ強い後進的国民性のおかげだ。
これ以上強く人命優先せんでもいいわってことならもちろんDNAブーストなしもオプションだな。
別にどっちの悪を優先しろとか特定方向へ説得する話する気はねーよ。
お前らだってお前やお前の家族が野放図に広まるコロナで死ぬ可能性考えてないんだから同じだろそれは。
それをやった太平洋戦争がどうなったか小学校で習ったことがないのかな。社会の価値観を単一に染めると別の脆弱性が生まれてどうなるか色々実例があるから調べてごらん
太平洋戦争が挫折したのはアメリカが日本より強かったからだよ。
今言ってるのは「総力戦で力を絞り出すときに村社会性より効率的なソリューションがあったのか」という話だ。
日本が限界まで効率を高めたって敵がそれより強けりゃ負けるが、それは効率を否定できる話か?
どうもあんたは妊娠後期くらいから思考力が弱りっぱなしのように見えるぞ。
誰が刑罰の話をしてんだよ。
法律や刑罰なんか関係ないところに国民性というものはあるぞと言ってんだ。
他にも何人かいるドヤ顔で憲法31条!とか言ってる奴らは、俺が近代的な人権精神尊重前提に同意してるように見えるのか?
頭が悪いとはまさにお前達のような奴のこと。
話の前提がわからない、相手がどういう奴かわからない、会話に当たってのフレキシビリティゼロで、どんな場面でも自分の覚え込んだ念仏唱えればタスク解決だと思ってる。
ほとんどの仕事や遊びで絶望的に使いでのない脳みそだろうそれ。
何を考えてどういうチューニングを加えながら生きてきてそんな絶望的な仕上がりの脳になったんだお前等は。
いやぁ、人間ってさらに愚かで残酷だから、ここで踏みとどまりたいなぁ私は。七人の侍を見直したくなった
わ。
自分の家が防衛線の外だと知った農民数世帯が村全体の防衛から抜けて自分達の家のみ守ろうと(守れるわけないんだけど)するんだけど、そこで普段穏和な勘兵衛が刀抜いて追いかけるだろ。
そんで腰抜かした農民に
「己のことばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!
今後勝手なことを言う奴は···!(軍規にかけてぶった斬る)」つって竹槍拾わせて列に戻らせる。
そのソリューションに合ってるのはハンセン氏病みたいなのだよな。
もう一歩進んでHIVくらいの感染力とキャリア数なら皆殺しでも追い付くかもしれない。
その程度のもん未読な訳ねーだろ。
コロナ自粛論は最近おかしいことだらけで俺もなんか不満を書き散らしたくて増田開いたけど、これ以上に痛快な正論で今の自粛強要の歪みを喝破するような内容を書ける自信はないから諦めたわ。
ともあれ、増田が自分にとっての良いコロナとの向き合い方を見つけられたようで、おめでとうございます。
そりゃ、リスクはあるけど、交通事故が怖いから車運転しないとか、落ちたらやばいから飛行機に乗らない、とか考える性格じゃないから。
この考え方は凄く大切なことだと思う。
さすがに交通事故よりは発症確率の方が高いと思うけど、そういうことじゃなくて、微小なリスクならば無視する、リスクとその対策に伴う損失とを比べてどちらの方が良いか選ぶという、普段誰もが意識しないほど当たり前に行っているハズの思考について、もっとこのコロナ禍の中でも見つめ直す必要があると感じる。
なぜかコロナに関してはこういう考え方がスッポリ抜け落ちている人が多いよね。
とくに、自分の基準を押しつけて他人に自粛自粛と叫ぶような人たちは。
もちろん、全体のために個人の利害を超えて街の人出を減らすのに協力してほしいって考えは分からないではないけれど、でもそうやって個人に損失を背負えと言うのならば増田の言う通り、協力を呼び掛ける時のお願いしますと、協力してくれた人へのありがとうございますは絶対に忘れちゃいけないことだよなぁ……。
日頃から交流している人の公開SNSから趣味アカウントまで特定するのが大好きなのだ。
といってもそれは悪意による行動ではなく(悪質に感じる人の方が多いかもしれないが)仕事やプライベートで関わりのある人の好きなものや思想を除くのが好きなだけである。(好きなだけ と書いているが本当に最悪な趣味である)
この度、長く付き合いのある友人の趣味アカウントを発見した。彼はわたしよりネットリテラシーが低かったので、「このツイートおもしろくない?www」と送ってきたツイートを遡り、いいね欄を開きそれっぽいプロフィールを見つけるまでさほど時間はかからなかった。
こういうのが好きなんだ〜へ〜といつものようにメディア欄を見ていたのだが、わざわざ見なければいいのに彼のbioに貼ってあるnoteを開いてしまった。
まあここまで書けば結末はお見込みの通り、noteにはわたしのことが書いてあった。正確にはわたしの悪口ではなかったが「彼といる時の自分が嫌いだ」とのこと。だが、そこに書いてあることはなんとも独りよがりで、「いやアンタも同じことしてるやん...」と思ってしまったのである。
もちろん彼に非はない。わたしと上手く付き合うためにこういうところに書き込んで溜飲を下げて社会性を保っているのは素晴らしいことである。ネトストが趣味のわたしよりよっぽど。
書いてある内容がド正論ならこっちも見た自分が100%悪いと思えるのだが、文章そのものに物申したいところがたくさんあったため、悶々とした気持ちを引きずっている。本当に見なきゃ良かった。最悪だ。
選挙行かないことに対して多少は悪いと思ってて、それと面倒臭さとかを比較した結果行ってないわけで、そんな人に正論だけ話してもウザがられて当たり前だろ
ネットニュースのコメント欄やSNS等で年末年始の家族連れや友達同士の買い物客に苦言を呈している人たちが多くいる。その人達の言い分として「コロナ感染者数が一日何千人と出ているのにこいつらは三密つくって危機感がない!!」というものだ。
たしかに正論であろう、行政が自粛を呼びかけ、緊急事態宣言が出そうかもしれない状況に対し、こういった危機感のない人たちに対して怒りが湧くのも必然かもしれない。
しかし私も実際近場の商業施設に行ったがそのような団体客も99%はマスクをしているし、通路に広がって喋ってなければ別にいいだろうと思う。
そもそも3蜜が問題なのであれば最近また満員電車が常態化している電車を通してもっと感染者がいてもおかしくはない。
では家族連れ客を批判する人たちが執拗にSNSで愚痴るのはなぜか?それは俗に言うリア充に嫉妬があり、コロナを大義名分に叩きたいからではないだろうか?
ここで家族連れ客を批判する人たちの人物像を私の今の境遇も元に書いてみた
●37歳、独身
●街中でカップル・夫婦や若者がグループを見かけると嫉妬してしまう
●流行りのアニメや音楽にハマる人を見下している(いくら鬼滅が人気だろうが絶対見ない、見たことがない)
●ネット以外趣味がない(空き時間はもっぱらヤフーニュースやTwitter等で社会や政治に対し批判、愚痴る)
●特定の国や組織、個人に対し長時間かけて情報収集し批判する(中韓死ね!とかNHK死ね!とかアベスガ死ね!とか右左問わない)
●できれば人と会話したくない
●コミュニケーション能力は低い方だ
●陽キャが苦手
●DQNを見るとビクビクする、怖い
これは性別を問わない。男女問わず上記のように社会に対し強い劣等感を抱いている人たちは多くいると思う。こういった人が家族連れ客や友達どうしのグループ客を批判しているのではないかと思う。
自分の人生が幸せでないのは社会や政治のせいであり、街中の幸せそうな人を見ると嫉妬する。こんなコロナ禍の中で3密作って買い物するグループ客が許せない!!でもその人達に対し直接言う勇気はないのでヤフーニュースやTwitter等で愚痴ることしかできない。これが現実であろう。
しょうもない低年収の仕事をし、帰ってやることはネットで社会に対し愚痴る人生…なんて悲しいのだろう。
あなたの人生が幸せでないのはたしかに社会や政治のせいかもしれない。しかし行動しなければ変わらないのは事実。ネットで政治や社会を批判したところでなかなか変わらない、行動し自分の人生を変えることのほうが世の中を変えるより楽なのは明白である。
お金がないなら高収入の会社に転職する、資格を取得する、ネットで愚痴ること以外することがないのであればなんでもいいから趣味を作る。
コロナなんて個人がどうこうしたって変わらない。昨年の今頃ここまでひどい状況になり、オリンピックが延期になると予想できた人は皆無である。
なるようになるしかない、コロナに関する情報収集はほどほどにして他人のあら捜しに時間を割かないで自分の人生を充実させようではないか。
辛坊氏 ベッド数即答できなかった黒岩知事に「医療崩壊とか言えないでしょ?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f1ee6486b1f43b522dd5c1117c10cee8c57ba59
黒岩知事は「これですね、神奈川県の中で1100床を目指してますね、コロナ対応」と話すも、辛坊氏は「全部のベッド数、神奈川の」と重ねて質問。黒岩知事は「全体ですか?」と聞き直し「ベッドの数だけじゃない。医療スタッフの数もある」と言うも、辛坊氏は容赦なく「東京はベッド10万(床)、コロナは3000(床)、3%。全ベッド数いくつで、コロナ用に対応されてるベッドはいくつですか?」としつこく食い下がった。
そもそも長年の喫煙や肥満とそれに起因する基礎疾患など一部の条件を満たす高齢者を除いては重症化リスクが殆ど無い新型コロナを年齢に関係なく致死率10%の結核と同じ二類感染症に指定し続けているのが保健所や医療現場ひっ迫の原因だとわかっているのに、指定を外すと濃厚接触者を追う必要が無くなることが新型コロナ研究に不都合な感染症学者の集まりである感染症学会と、指定を外すと季節性インフルエンザ同様、新型コロナ患者を受け入れざるを得なくなるのが嫌な開業医の集まりである医師会の猛反対で指定見直しの議論すら行われていないのが実態でしょ。専門家会議や医師会が「医療崩壊」、「医療崩壊」とどれだけ必死に危機感を煽ったところで世の中が聞く耳を持たなくなったのは当然では。
上記の指摘が妥当だとすると、国公立の病院は大変かもしれないけれど、コロナ受入を拒否し続けている私立病院(私立病院のほほ全部?)は無傷(むしろ暇)なわけで、結局のところ医療崩壊派のいうところの
は
残念ながら正論は伸びない。
役割を軸にして考えたとき、(コントと比較すると)漫才ではボケとツッコミの役割がはっきり分かれるパターンが多い。
これは、コントでは最初から最後まで「自分以外の役」に入り込んで「演技」をする形態が主であるのに対して、漫才ではあくまでも「自分」が喋っている体で「会話」をする形態が主だからである。
「だったらコント漫才(M-1優勝者ではアンタッチャブルやサンドウィッチマンなどのネタがそれに該当)はどうなの?」という疑問が当然あると思うが、これも基本的にはボケ・ツッコミ共に自分自身を投影した役であることが多く、純粋なコントに比べると言動にパーソナリティが大きく反映されるという点で違いがある。
つまり、漫才には純然たる役割が決められており、M-1が2001年から開催されひとつの「競技」となっても「ボケ担当の人はひたすらボケ続けるし、ツッコミ担当の人はひたすらツッコみ続ける」という形はしばらく変わることがなかった。
漫才における役割を軸にして考えたとき、まず最初に議題に上がるのが笑い飯というコンビである。
彼らは、最初どちらかがボケてそれに対してツッコむというやり取りが終わったあと、ツッコんだ側が「俺にもやらせろ」と言って役割が変わり、それ以降はツッコむごとに役割が交互に変わっていくというスタイルを持つコンビである。
しかし、ネタ全体の構成を見るとボケ・ツッコミの役割がハッキリと別れており、それが入れ替わるというギミックがなければ比較的オーソドックスなネタであるとも言える。
このボケ・ツッコミという役割を曖昧にした上で主要大会を優勝した最初のコンビは、M-1 2005におけるブラックマヨネーズである。
基本的に吉田がボケ・小杉がツッコミの役割を持ったコンビであるが、この年に披露したネタは後半になっていくにつれて小杉が突拍子もないことを言いだし、それに対して吉田が正論でツッコむというパターンが多く見られた。
これは「平場のトーク(ラジオなど)では面白いのにネタがいまいち」というブラマヨ評に対して彼らがたどり着いた一つの回答である。
つまり、漫才だからといって必ずしも役割をハッキリ分けず、普通の会話のようにボケとツッコミがシームレスに入れ替わるパターンがあっても良い、ということが世間にも認められた瞬間であった。
そして、その漫才における役割の曖昧性が頂点に達したのはTHE MANZAI 2012である。
この中で役割がハッキリと別れたネタをする千鳥はさておき(ここもベタとは言えないスタイルを持つコンビではあるのだが…)、注目したいのはハマカーンとアルコ&ピースである。
まず、優勝したハマカーンであるが、2012年以前は浜谷がボケ、神田がツッコミという役割が比較的はっきりと別れた漫才をするコンビであった。
しかし、この前年のTHE MANZAIで(本人曰く)惨敗したあと、スタイルを大きく変える決断をし、役割も主として神田がボケ、浜谷がツッコミという形に変更した。
そして、このスタイルのネタの中で一番特徴的なのは、神田が女子目線で物事を語ったあと、浜谷が著しく感情的に怒り、それに対してさらに神田が理論的に諭すというものである。
抽象的に言い直すと、本来は単なる導入部に過ぎないネタ振りがボケとなり、それに対してボケに限りなく近いツッコミをして、それに対してさらに言い返す、というパターンを構築しているのである。
彼らもやはりブラマヨがネタの構成を変えた理由に近いものがあり、優勝後に記者が彼らに「どっちがボケ・ツッコミって書けばいいですか?」と質問したというエピソードもあるくらい彼らの役割は曖昧であったと言える。
彼らは、漫才の代表作としてラテン語風の架空の言語を駆使して(しかし、よく聞くと日本語が散りばめられており内容がわかる)しゃべくり漫才など、(自分自身を投影した役割ではないという意味で)どちらかと言うと限りなくコントに近い漫才を得意としていた。
この年に披露したネタは、酒井がよくある漫才のネタ振りを平子が真剣に受け取り芸人として苦言を呈していくというものであった。
これは、見ようによっては役割上はツッコミであるはずの酒井がボケっぽく見え、ボケであるはずの平子がツッコミっぽく見えるネタであると言える。
決勝ではハマカーンに敗れてしまったものの、このネタにより一回戦を審査員満票で笑い飯を退け、決勝に勝ち上がったということの意味はとても大きい。
このようにして、漫才における「役割」を軸にして考えると、いろんなことが見えてくる。
つまり、伝統的な漫才とされているものが、役割だけで見ると必ずしもそうとは言えない(またはその逆)ケースが出てくるのだ。
昨年M-1を圧倒的な評価で優勝したミルクボーイであるが、ちゃんとやり取りがあるという点においては比較的ベタなしゃべくり漫才と言えるが、役割を軸にするとどうだろうか。
彼らのネタはボケである駒場が、母親がなかなか思い出せない物事があると語り、それに対してツッコミである内海がヒントを元に推測する、というスタイルになっている。
ここで、内海のツッコミに注目すると「〇〇やないか!」「〇〇ちゃうやないか!」という最初のフレーズを除き、推測対象(コーンフレーク及び最中)に対してやや偏見掛かった持論を語るという形になっており、取りようによっては最初のフレーズ以外はほぼボケとみなすことも出来るだろう。
ボケである駒場も、特に突拍子もないことを言うわけでもなく、ただ淡々と対象を推測しうるヒントとなるワードを言い、それがツッコミによりボケと気付かされるというスタイルになっている。
つまり、ミルクボーイは役割こそ別れているものの、その境界線はかなり曖昧で、実はツッコミがボケをリードする形になっており、しゃべくり漫才における主従関係が逆転したスタイルをもつコンビと言える。
この、ボケと言えるかギリギリのラインを攻めるボケと、それを埋めるように著しく強いツッコミをするというスタイルをもつコンビは、過去にもくりぃむしちゅー(海砂利水魚)などがいるため、前例がないわけではないが、漫才全体の歴史で考えると十分革新的なスタイルであると言えるだろう。
一方、漫才であるかどうかということが槍玉に挙げられたM-1 2020を優勝したマヂカルラブリーであるが、役割だけを見るとかなり保守的であると言えるだろう。
彼らのネタはボケである野田がひたすらボケ続け、ツッコミである村上が外側で解説に近いツッコミをし続ける、というスタイルである。
つまり、やり取りが序盤とオチ以外存在しないという点が従来の漫才から外れているというだけで、それ以外は至極まっとうなスタイルのコント漫才である。
この「やり取りが存在しない」という漫才の最右翼としてあげられるのがナイツだが、彼らが漫才師でないという意見はほぼ皆無であろう。
したがって、ナイツを漫才師であると評価している以上、マヂカルラブリーのネタを漫才でないと評価するのは無理のある議論と言えるのではないだろうか。