はてなキーワード: 正論とは
言葉を使う生物は人間以外にも過去にいたが、それらの生物は言葉を使わない方向で「進化」した。
その結果、人間以外が(人間が言うところの)文明を作ることはなかったが、言葉でお互いを傷つけたり、自虐することなく生きることができた。という妄想。
人間は言葉を用いたがゆえに、文明は発展してきたけど、今や暴力としての言葉がそこら中にはびこっていて、スマホを通して予期せぬタイミングで言葉で殴られたりする。
昨今のSNSによる社会への影響を見て、言葉を持つ人間は他の生物より優れているのか?と考えることがある。
刺激が欲しいがために、それらの言葉を好んで受け入れる側の人間もいたり。
正論を正義の剣として他人に振り下ろし、自分の正しさに酔いしれたり。
日本には戦争もなくて平和だけど、平和な状況で何が行われているかというと、言葉を使った殴り合いである。
結局人間は争いたいのかな。
「しなやかな心」とか「レジリエンス」とか、その辺の考え方が解決になるかもね。
フィードバックループは大事な考えだと思うけれど、それが唯一の改善モデルと考えると、やがて一歩も動けなくなってしまうから、自分で十分だと思った段階で距離を置いていい。
この世の大抵のことは「正論で」ケチをつけようと思えばどうとでもつけられる。瑕疵や足らずがひとつもない、完璧なプロジェクトもプロダクトもこの世にはありえない。
いつまでもチンチンは硬いわけではないし、
なら快楽で圧倒してやれ。
苦しみなど覚えるまもなくやってやってやってやれ。
年老いた時後悔するなかれ。
なんて気持ちにはなってほしくない、お前だけには。
なんて気持ちにはなってほしくない、お前だけには。
固く硬く堅くあってほしいんだお前のちんぽだけは。
固く硬く堅くあってほしいんだお前のちんぽだけは。
硬いちんぽはそれだけで価値がある。
硬いちんぽはそれだけで価値がある。
これは真実なのでした。お前たちが血眼になって若い女が息をしているだけで得をしていると指摘するように俺はお前たちに言いたい。
日に日に我々の精子は生産量を下げる。これは世界のミッシングリンク。誰も知らない知られちゃいけない。
でもお前にだけは知っておいて欲しい。精子の量は無限ではない。汲めども汲めども尽きること無い精子のも尽きる時が来るということなのです。
すなわち、オナニーをしていればよかったと後悔することなかれ。
もうちょっというと相対的なものであり、その相対値は客観的に決まっていない。
あらゆるものはあらゆるものを差別しているが、日本では差別は一方向のものである。
男性が女性を差別することは大問題だが、女性が男性を差別することはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
高学歴が低学歴を差別することは大問題だが、低学歴が高学歴を差ベルすることはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
日本に今もいる左翼筋の人々にとっては、差別は一方向のものでないとつじつまが合わない。要は社会的な強者が弱者を虐げていないと彼らの最終目的は達成できない。最終目的は要は世界同時革命なんだが、それが起きていないということは問題はまだあるはずだ、というふうにも理解しようとする。
そして、もう言いがかりとしか言えないような差別問題をどんどん生産していく。
今の一線で活躍しているフェミニストたちを見ればマルキストが多いことはすぐにわかる。
こういった基盤をもとに差別を論じるので、一方の差別ばかり拾い上げてもう一方の差別を無視する、とか、無いものにするとか、大したことがないものにしてしまう。もっと言うなら成り立たないガバガバな理屈を無理やり作り上げてしまうか、なにか言っているようで何も言っていない正論を飾り立てたことしか言えなくなる。
最終的に今差別を受けていると言われている人々が暴力的な行動で異論を封じ込めるしかなくなるが、これすらも「自分たちを守るために仕方なく行われる防衛だ」ということにしてしまう。
フェミニストたちが言う男性社会というのがある。男性が有利らしい。だが、男性が有利な社会の延長線上に男性が一生懸命働いて家族を養うのがあることに誰も違和感を感じない事に驚きを禁じ得ない。
男が有利な社会の延長にある究極は、男は働かないで女性が一生懸命働いて家族を養う、体力的に限界がある女性たちなので一夫多妻だ。男性は用途ごとに女性を嫁にし、その用途を満たせなくなった女性はポイだが男性が罰されることはない。だけどすべての家庭や社会における権限は男性が持っている。ヒイヒイ言いながら身を粉にして働く女性を尻目に男性は趣味だのレジャーだのに興じていて「人々は時間をもっと有効活用して創造的なことをするべきだよ!」とか平気で言えてしまう社会ではない。
一方海外では、ベクトルではない。誰が言ったかやったかは全く関係がない。絶対値として差別が定義される。当然当人に戦う気概が求められるが。
だがこういうことをいえば「お前らは差別する側だからわからない!」とか言っちゃうんだが、だめだ怒り始めたのでここまでにする。
そりゃ、自作ゲームを商用利用されたら心が折れるぐらい、「ガチ」で取り組んでる人からしたら、
テキトー~にやってるエンジョイ勢なんて敵みたいなものだと扱われるのは自然な話だろ。
「こんな衝突が起こるとは思わなかった!」とでも言わんばかりに今になって大騒ぎするのは想像力の欠如。
エンジョイ勢からしたら、自由にして良いと書いたのだから余計な連絡をするなとむしろ思う、たしかにそれは正論。
でも、「ガチ」でやってる人からしたらそんな「労力を減らしたい怠けてる人」の事情なんか知らんというのが当然だろう。
対立が起きるのはわかりきった話なんだから、エンジョイ勢はエンジョイ勢で、
「ガチ勢の人達はこんな要求をしているらしいですが、私はそうではないです」と1文どこかに書くぐらいすればよいのでは?
書かずにどうにかしてほしいなら、それもつまり「忖度させる」ことであって、結局は投げ銭を忖度して投げろと言ってる人と同類になる。
フェミと一緒で、弱者に決定権がないことを理解してないので正論言っても無駄です
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。
それはたぶんババアが期待していた内容は、増田がダメ二人をなんとか研究できるようにしてほしかったんだろ。結局一人でやってしまったのもわかるが、ババアが期待していたのは内容じゃなくて二人をなんとかしてほしかったんだよ。
ババアもババアなりに教育者としてなんとかしたかった、も正論だ。
どちらにも正しさが、どちらにも不満があり、どちらにも難点はある。
正論 VS 正論 の決着は簡単、強いほうが勝つ。正しいほうが勝つんじゃないんだ。
期待しているポイントが違ったんだ。
勝手に期待するなって?
そういうとこが噛み合わない人がいるってことさ。
いじめっ子がよくやっていたのが、自分の言動で相手を傷つけておいて相手がそれで泣いたり怒ったりしたら、泣くこと怒ることを茶化し、そんな事で泣いて怒るお前の頭がおかしいと言う。
当時はそれで「先に傷つけるようなことをしたそっちが悪い」と思ってたけれど、今やっといじめっ子の方が正論だと思い知ることができた。
同棲中の彼と些細なことでケンカになった。私からすると彼の些細な言動によって傷ついたのを発端に、ストレスから自傷や彼に何故そんなことをしたのか問い詰めた。一方、彼からすれば彼女が突然発狂し、責められ、問題をわざと大事にしているように見えていた。彼は至って冷静に私の方に問題があることを言い返したが、私は彼が問題の言動を認めずにこちらを責める意味がわからず、頭のおかしな行動はエスカレートするばかりだった。
落ち着きを取り戻した後日、話し合った。私の発狂、ヒステリーは、自分の意思でどうにかできるものだと、彼は思っていたことが分かった。虐められていた頃から治らない、筋金入りのものだと分かってもなお、薬でもなんでもいいからどうにか治してくれと言われた。しかし、治す協力はできない自力で何とかしてくれ、とも。
上記のエピソードで明らかにおかしいのは私の方だ。彼は正しい。よって私が問題の原因で、その問題点を自力で改善すべきである。
問題の発端がなんであれ、問題になるまで事を大きくした方に問題があるのだ。
いじめも、虐められていると認識し騒ぎ立てるいじめられっ子が問題で、いじめっ子はそもそもいじめだなんて思ってもない。いじめられっ子が騒がなければいじめは無かった。
ハラスメントも詐欺も、問題はされた側にある。された側の過剰反応ではないか?された側の頭の弱さや認識が間違ってるのではないか?
世の中いじめた者勝ちだ。搾取される隙を見せたやつの頭がおかしいのが問題なのだ。搾取できる人はドンドン搾取し、正しい競争を勝ち抜いていくべきだし、搾取される人は自力で搾取する側に回れるよう努力するか、できなければ死んだ方が楽だろう。