はてなキーワード: 楽器とは
アマオケで弦をやって10年以上経つけど、未だに管の人達の曲の嗜好がよく分からなかったりする。
とにかく管の人達って、ロマン派後期から近現代の音楽をやりたがる感じなのだ。
近現代くらいからしか定席のないトロンボーンやチューバがこの傾向なのはまだ分かる。
ティンパニ以外の打楽器も、やはり近現代から積極活用され始めたので、これまたそっちをやりたいだろうと思う。
しかし木管やトランペット・ホルンまで含めて、総じて上に書いたような、言い換えれば「割と大編成志向」なのはどういうことだろう。
スコア眺めてる限り、モーツァルトやベートーヴェンやブラームスの管楽器パートだって十二分に面白そうなのになあ。
木管ホルンの深みのある印象的なアンサンブル、トランペットとティンパニのカッコいいアクセント、どれも弦じゃ絶対経験できないし。
ちなみに弦の意見として言わせてもらうと「オケは弦の豊かな響きが基盤」という意識が非常に強いです。
またヴァイオリンやチェロのメソッドは古典的な造りの曲や、バロックを基本としていたり。
なのでそれに沿ったオーケストレーションをする古典派~ロマン派前期くらいが、どうしても好みになるわけで。
一方、楽器の限界に挑戦するような、弾いててやたらくたびれる書き方をしているロマン派後期以降はちょっと・・・という感じ。
管打楽器の数も多いので、それに負けないよう人をかき集めようにも、曲によっては技術的に難しすぎて、ゲネ本しか来ないようなエキストラにはまず期待できないなんて事情も。
http://anond.hatelabo.jp/20121001123743
件のコメントは俺がバカな厨房を装った釣りコメだから、何マジレスしてんの?ニコ動は初めてか?力抜けよ
え?全国大会でゴールド金賞できゃあああああああああああって黄色い声をあげることと楽器の歴史を学ぶことに何の意味があるんですかね?
そんなくだらないことグチグチ垂れてる暇あったら基礎練しろよ。甘えてんなカス
だって馬鹿にされる演奏ばっかりしてるし、音も濁ってて気持ち悪いし、バカみたいな味付けした演奏ばかり出まわってそれらが普門館で金賞なんて取ってるからバイブルになってるし、そういう業界がバカにされないわけがないよね?ww
だいたい歴史から学ぶならクラシックのほうが立場が上なのはわかりきったこと。吹奏楽はどこまで行っても「実用音楽」でしかないからねww
あとオケにサックスがないのはオケの歴史と比べてサックスが新しい楽器というのもあるけど、音が弦と決定的に合わないことが一番の原因だと思う。
そもそもオケにサックスは不要。協奏曲にたまに出てくる程度でいいんだよ。
以下余談。
知り合いのファゴット吹きに、中高の吹奏楽には憧れのファゴットが無くて、一人はバリサク、もう一人はユーフォニアムで過ごした人がいたっけ。
どっちも大学オケで初めてファゴットを手にし、たちまち名手になってた。
とても素敵な転向だと思う。
はいはい、おめでとうございま~す。すごいねー88888888。
で?っていう
ニコ動で合奏や打ち込みの動画を見ていると、たまに「木管五重奏なのになんでサックスないの?」とか「オケにサックスがない」というコメを見かける。
こういうコメを書く前に、毎日の練習がてらもうちょっと自分がやっている楽器の歴史も学んで欲しい。
こんなことでクラオタとかに「水槽厨」などとバカにされるのはつまらないし、見ているこっちが恥ずかしい。
あとオケにサックスがないのはオケの歴史と比べてサックスが新しい楽器というのもあるけど、音が弦と決定的に合わないことが一番の原因だと思う。
オケの基盤は弦の豊かな響きなので、それをスポイルしちゃう楽器は定席を得られないというわけ。
以下余談。
知り合いのファゴット吹きに、中高の吹奏楽には憧れのファゴットが無くて、一人はバリサク、もう一人はユーフォニアムで過ごした人がいたっけ。
どっちも大学オケで初めてファゴットを手にし、たちまち名手になってた。
とても素敵な転向だと思う。
主な仕事だと、楽器の選定、楽器指導、自主コンサート。録音の仕事
なんて年に1回呼ばれればいい方というか、1回しか呼ばれたことないし
楽器の選定は5000円くらいのもらえるイシ●シ楽器の試奏と選ぶ仕事。
このツテのお陰で楽器教室の先生にはなれた。コンビニの時給の倍くらい。
楽器指導は中高生の吹奏楽ボーイやガールへの楽器指導。1回5000円~8000
円くらいが相場。家から近ければ交通費込みだし、交通費別でもらえても
+5000円ぐらい。あとは飲み物とか夕食は出してもらえるケースが多い。
自主コンサートは自費でいろいろ客寄せしなきゃいけないから、自分の
ポートフォリオや経験としては良いけど。1回のコンサートで持ち出しいれ
れば+5万円行くかどうか。1年に1回くらいはできる。
時間が取れないから、定期的なバイトは入れられないのが厳しい。
これが現実
ずいぶん昔に流行った「13歳のハローワーク」に書いてある内容で気になったから書いてみる
ハローワークによると日本で指揮者だけを職業にして生活できる人は10人にも満たないそうです。
一般的な収入をいくらと定義するかわからないけど、そこそこ儲かるのでここに書き留めたい。
年収は結構幅があるのだけど大体ここ数年だと650~900万円くらい。貯蓄は1800万円を越えたぐらい。
月額の収入は手取り換算してると35万円~80万円くらいになる。
収入に幅が出てしまうのは、自営業の不安定さだと思う。自分が病気になったり倒れたりしたらそれで
おしましだし。
主な仕事だと
録音、音楽教室、国が絡む事業、舞台関係、ピアノ、アマチュア公演、アマチュア指導、プロ公演の仕事で
成り立ってます。
録音について
劇伴といわれる仕事だったり。まずは歌手とか芸能関係の人のCDのバックミュージックの録音。丸1日くら
いスタジオで録音に携わります。指揮者というより前に立ってアンサンブルをまとめる仕事。必要かと言わ
れれば必要だけど、斜陽産業だと思う。某テーマパークの録音とか、需要自体はまだまだ10年くらいあると
思う。
ギャラは今のところ悪くないけど 月々10万円くらいは何かしら録音がらみの仕事がある。
あとスタジオに呼ばれるミュージシャンは結構固定されてくる。1つの楽器ができる人よりも1人で3つ~4つ
できる人だと、かなりの率で遭遇する。
よく小学校とかにプロの人たちが1時間くらい体育館とかで演奏するやつ。
地方のプロは定期公演だけでなくてこういう地方巡業みたいなのします。これは比較的ギャラ安いので自分
のような定期公演を振れない指揮者に回ってきます。ギャラは限りなく安いけど、うまく気に入られれば大
きめな公演に使ってもらえる。ちなみに若手の仕事なので少し昔より減ってきたかなという感じ
これも月10~15万円くらいの収入で大体移動とか含めて3日とか使うケースがある。いろいろな地方にいける
ので音楽家になってよかったと実感できる・・時もある
国が絡む事業
国から支援金が出て海外に行く仕事。発展途上国とか日本よりクラシック音楽が盛んじゃない地域に教えに
いったり。月々には換算できないけど50万円くらいが1年のどこかのタイミングで入る
舞台関連
短期の仕事、舞台のオーケストラピットに入って歌手に合わせて指揮をしたりミュージカルの指揮とか
名の知れたタレントが主演している舞台は期間も長くて比較的収入が良い。1日の公演数にもよる。
昼夜公演のほうがギャラは高くて、大体2万円~5万円くらい。スポンサーも年々音楽に関わる予算が厳しい
ので1公演1万円というギャラもある。人気タレントの地方巡業はギャラが厚め。
アマチュア公演
クラシック愛好家は細く長く続いているので、若手の指揮者や自分のような中堅の主な長期仕事になる
常任指揮者が1つあれば少なくとも指導料で年間100万円くらいは確保できるのが良い。ただしアマチュアは
平日の夜か土日しか練習できないので、仕事のバランスを取らないと年中仕事することになる。
本番を1つ15万円くらいでやっているので定期公演が3回あれば1つの団体で45~50万円くらい。
素人さんのオーケストラ指導に行く。本番は振らなくても練習を組み立てる指導でのギャラ。これは短発
だけど気に入られれば年間で10~20回は1団体あたり呼ばれる。これも平日夜から土日。1回のギャラは安
プロ公演
これが定期的に入れば一番良いと思う。価格はオケの規模によって違うけど数回のリハーサル含めて結構
費用対効果が高い。50万円~85万円くらいと幅がある。プロのいいところはリハーサル回数が少ないこと。
だけどプレッシャーが痛いね。個性的な社会の縮図。あとチケットノルマも課されるのでこれも重圧
オケから自分への効果は「集客」だからね。指揮者だけで100人から200人の集客できるとそれなりに重宝
はされる(動員数よりもチケット販売数のほう)
これはど単発。録音で人が足らないとき。ピアニストに頼むにもギャラが出せないくらいの時に借りださ
れる。大体半日~1日の拘束で8000円~10000円くらい。人脈つくりと割り切るとやっていける
以上です。
アマチュアの公演を年に3団体くらいと音楽教室、プロの客演の仕事が年に1回から2回と録音があれば十分に
音大でて無職とかいってる人がいるので逆に気になったのでここに書いてみた。年間1000人くらい音大卒が
まだ慣れない発音のぎこちなさは初めて触った楽器のそれと同じ。
早い子で一歳くらいから言葉を覚え、どうにか自分の出したい音を発せられるようになる。
親に教えてもらった簡単な言葉だ。
楽器も一年やればどうにかコピー曲を何曲かは弾けるようになる。
大体10年くらい経てば自分の言葉で上手く伝えられるようになる。
だがまだまだ語彙は少ないし、誰かの言葉を鵜呑みにすることも多い。
このくらいからがその後の楽器との付き合いを決める分岐点になるのではないかと思う。
自分の中にあるものを楽器を使って伝えられるようになると面白さも数段変わる。
でも結局それが誰にとっても何の価値もないことならば、哀しいがそれまでなのだ。
こればかりはどうしようもないように思う。
言葉を覚えることは、嬉しくもあり、哀しくもある。
言葉は嘘をつく。
だが音で嘘を付くことの難しいこと。
それ故私達は楽器に惹かれるのかも知れない。
ただ、楽器の演奏も満足にできないであろう彼の何が「才能も努力も一流の音楽家」なのだろうか?
そんな人間が一流の音楽家を自称して、美しい音楽を作るために試行錯誤するプロを侮辱する姿は
あまりにおこがましいし、目に余ると感じた。
結局、DTMerは演奏して作ってる音楽家を否定するなって言ってるだけのような
それだったら何も言ってないのと同じような
「なぜ曲を聴いただけで楽器が出来ないとわかるのか」
以下ぐだぐだいっててすごいわかりづらそうだが
ですべてわかる
単純に楽器できない奴が曲作ると楽器を演奏することを前提にしない
メロディラインになるってだけ
ってだけだよ
だから駄曲っていうには弱すぎる
元増田が「音楽を作れない」「楽器を満足に演奏できない」人間なのはよくよくわかった。
DTMer如きで音楽やる人間に対して強烈なコンプレックス持ってるってことも。
どれだけ美辞麗句を書き連ねようとしても、それこそ薄っぺらで、中身が伴っていない。
『音楽が見えていない』。一躍時の人になった菊地を便乗して叩くことで、自分の稚拙な音楽観を肯定されたいだけ。
ある程度わかってなきゃディレクションできないし、
打ち込みになってる部分にしたって、実際の奏法がわからない人間の打ち込みじゃないし。
ただ、菊地の人間性を肯定できるかは別な。これは全く別の話。
http://anond.hatelabo.jp/20120828200034
少しだけ書き足すつもりが長くなってしまった。
当初言いたかったことをより簡単にまとめていく。
彼の曲を聴いてすぐわかったのは「彼が満足に楽器を演奏できる人間ではないだろうな」ということだ。
もちろん、せいぜい彼のシンプルな自作曲くらいなら弾けるかもしれないが。
彼はおそらく生楽器ひとつだけで満足に作曲も演奏もできないだろう。
演奏の技術レベルを問いたいわけではなく、それ以前の程度で「演奏ができない」はずだ。
私はそういう作曲家がいてはいけない、などと主張するわけではない。
当初書いた通り、機械での様々な試行錯誤の果てに楽器演奏の限界を越えた表現が提示される素晴らしさがデジタルミュージックにはある。
そういう音楽がもう四半世紀以上も私たちに音楽の新しい楽しさや心地よさを提供しているのは言うまでもない。
しかし現代は、機材だけ小手先だけで何となく音楽を作ることがあまりに簡単な時代になってしまった。
「ジャンクフードみたいな音楽があっていい」とその種のファンから反論もいただいたが、それは勿論だ。
手軽に作られて気軽に聴ける音楽はいくつあってもいいと思う。なくなって欲しいなどと思わない。
(ジャンクフードと表現したのは私ではなく、そのファンである。)
ただ、楽器の演奏も満足にできないであろう彼の何が「才能も努力も一流の音楽家」なのだろうか?
そんな人間が一流の音楽家を自称して、美しい音楽を作るために試行錯誤するプロを侮辱する姿は
あまりにおこがましいし、目に余ると感じた。
薄目で見ればきっと地獄のミサワのキャラに見えてかわいいかもしれない。
尚、指摘や批判が多そうなところについて以下に補足を。
「なぜ曲を聴いただけで楽器が出来ないとわかるのか」
これは、わからない人にはずっとわからないだろうし、どれだけ説明しても納得されないかもしれない。
もし幼少の頃から楽器に親しんでるような人間があなたの近くにいたら何人か掴まえて尋ねてみるといい。
本当に耳がいい人間というのは、その曲がどの楽器を奏でて生まれたのかさえもある程度わかるし、
人の声や楽器の音がどの程度加工されているかも感じ取ることが出来る。
耳にある審美眼が優れているとでも言おうか。
編曲が凝っていて分析が難しいという事もあるにはあるが、
「小手先で何となく作られた曲」はそれと全く違うのでその判別はたやすい。
実は、耳を鍛えるためには必ずしも楽器演奏の習熟を要すというわけでもない。
私の知人にも、楽器を殆ど弾けないけれど色んな楽器の特性を熟知していてDTMで表現する耳の豊かな作曲/編曲家がいる。
豊かな耳をもつことは、音楽が作られた背景を読み解く力にそのままなる。
それは音楽にきちんと向き合っている者ならば当たり前にできるし、出来るようになることだと私は思っている。
仮に高い音がどれだけ聞こえても、何も読み解けないようでは音楽家としていい耳を持っているとは言えない。
ところで「音楽的な美しさ」や「響き」という一言であまりに乱暴に済ませた概念についても当然批判をいただいた。
わかる人には当然わかる前提で書いたので解説を目的としていないからだ。
が、これを説明し始めるとものすごく長くなるし本題から反れる。
これもまた、音楽に造詣の深い人にあなたが直接色々尋ねてみるのが一番納得できるだろうと思う。
例えばどういう音楽が美しく、どういう音楽は美しくないとされるのか。
歴史にずっと名を残しているような音楽家の作品は、素人のそれと何が違うのか。
普段どんな音楽もBGMにして垂れ流しているような人間では、おそらくうまく答えられないだろう。
では改めて、私の音楽観について述べる。
『綺麗な音色で音が鳴っているならそれが音楽だ』という人も世の中にはいるだろう。
ただそれでは同じ楽器を与えられれば誰でも音楽家になれるので私は違うと考える。
よほど素晴らしいアイディアや豊かな音楽の下地がない限り、オリジナリティのある曲は生まれない。
前回問題にした彼の曲には下地を感じさせるような音楽の豊かさがあったか?全くなかった。
音楽の下地とは、その人がどんな音楽をどのように聴いてきたかということである。
私は、音楽は目先の消費のために小手先で生まれるものではなく、
連綿と流れる歴史から蓄積された文化を、次の世代に伝えていくために生まれて
そしてまた蓄積されていくものだと考えている。
いろんな人にいろんな音楽の楽しみ方がある。どんな曲にお金を出すかもその人の自由だ。
ただ小手先で生まれ落ちたようなものは多くの人に蓄積などされず、身内にだけ持て囃されるだろう。
(これは何も音楽に限った話ではない。)
そうしたモノは、美しい作品として語る価値がないことのほうが多い。少なくともそれは一流などではない。
初めて作品に触れる人を一瞬で虜にするようなアーティストが真に一流といえる。
無知な人を小手先でそれっぽく騙すのは二流や三流、それ以下だ。
私は、小手先で生まれるような音の連なりを「美しい音楽作品」として語るべきではないと考えている。
もし楽器を弾く人なら、その人のルーツとなった音楽が蓄積されている身体の内から指先が動きだし
演奏をすることで音楽が紡がれていく。決して小手先とは違うのだ。
つまり
「その人の内に豊かな音楽が溢れていて、それを自分の形にして他人に提示できる」のが作曲ということだ。
それはDTMでも勿論可能だし、実現している人だってたくさんいる。
(デジタル環境で作曲をする前段階として、その人の内に豊かな音楽が溢れているならばの話だ。)
ただしDTMは小手先だけで簡単に「音が鳴っている状態の連続」を生み出すことも出来る。
ちょうど玩具のピアノを叩く幼児のように誰にでも出来るからだ。
私たちはデジタル機材の普及や進化によって、誰でも簡単に作曲ごっこ・音楽家ごっこできるようになった。
しかし、ルーツの豊かさを感じさせるようなオリジナリティのある音楽こそが多くの人の心を揺さぶり、
愛されて残っていくことは今後も決して変わらないだろう。
その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。
曲を聴いてすぐわかった。
この人は楽器が弾けない人なんだ、と。
(電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い)
だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。
彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか?
ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、
全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。
音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。
この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。
例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか?
生まれて初めて玩具のピアノを与えられた幼児が、がむしゃらに鍵盤を叩いて音を鳴らすそれは音楽か?
しかしそれを音楽作品として、美しい音楽として扱われるべきものとは到底言えない。
eufonius 「Idea」はいかにもPC上でデータをいじって作った曲だなと感じた。
まるで自動生成されたような旋律がただ鳴っているだけだ。
機材があれば誰でも出来るレベルの作りこみ程度だし、オリジナリテイも感じられない。
他の曲も聴いてみたがどれも同様に「ただ音が鳴っているだけ」のものだった。
念のため裏付けとして菊地創について調べた。
使用機材を見るとやはりデジタルメインで作っていて、楽器と呼べるものは電子鍵盤しかない。ピアノではない。
鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るし、これだけの機材があって弄る方法さえ知っていれば
適当に音を鳴らして誰でも曲を作ることが出来るだろう。
Wikipediaによると彼は転調の多用や独特のコード進行が特徴であるそうだが、
それも作曲初心者が一番初めに思いつくようなオリジナリティの出し方で、余りにチープな試行である。
もし自分の中に美しい音楽の響きが備わっていて、それを自分のものとして提示できるならば、小手先で自己主張はしまい。
私は決して、楽器が弾けない音楽家それ自体を批判するわけではない。
楽器が弾けずともデジタル環境で素晴らしい曲を作る音楽家は何人もいる。
そうした人たちが様々な試行錯誤の果てに、楽器演奏では得られなかった新しい美しさを提示することも往々にしてある。
だが、ただ機材をいじって音を鳴らしたら出来た「音が鳴っているモノ」には試行錯誤の過程も、何も感じないのだ。
聴くだけで「これは子供がピアノを叩いてるだけと同じだ」ということがわかるからである。
楽器メーカーが機材のサンプルとして収録してユーザーに提供するような試聴曲にも作りが劣る。
菊地創はおそらく、いい音色で音を鳴らすだけのその程度が作曲だと思っているだろう。
では以下に挙げられた彼の発言から、彼の音楽観について考え、少し検証する。
(http://togetter.com/li/362865)
彼は自分の耳の良さが自慢らしい。おそらくは自分が誇る機材への自信だろうか。「耳」であって自分の「腕」の自慢ではない。
これは上述の「音楽の美しさ」である「響き」を彼が理解できていない証拠ともとれる。
一度聴けば耳から離れない程のメロディセンスも彼には無いようだが。唯一耳に残るメロディは菅野よう子の曲との著しい類似が見られた。
(また余談ではあるが、常に他人を罵倒していないと不安なのは自分に自信が無いから♪だろう。)
彼のプロフィールを読むと初めに記してあるのが専門学校のコンピュータミュージック科との事であった。
幼少の頃から楽器ではなく、入り口から楽器の素養があったわけではなさそうである。なるほどコンプレックスを裏付ける。
美しい響きを求めて、メロディを作り変える音楽家(作曲家)がなぜ苦しむのかが彼には理解できないだろう。
彼は「音が鳴る機械を叩いて鳴らすこと」が音楽だと信じているからである。
誰でも機械を使えば自動生成的に音が鳴る状態を簡単に作れるし、追求のために苦しむこともない。
まとめると、菊地創の音楽は、彼の中にある豊かな音楽から紡がれたものとは言いがたく、それを感じることが出来ない。
ただ指先で鳴らしたら鳴った音を組み合わせ、マウスで弄ったら何となく出来たような産物である。
もちろん彼自身が心地よく感じる音色に鳴る程度には調整されていることだろう。
そこにはせいぜい音色の美しさがあっても、音楽の美しさはない。
また彼が常に他者を罵倒していないと気が住まない理由がコンプレックスによるのは改めて言うまでもない。
とにかく色んな人間を罵倒して自分が上なんだ、自分はあいつらとは違う、と思い込まねば自信を保てない。
そうした奇行の原因は彼のアイデンティティーに関わる根深いコンプレックスにある。
彼は、良い機材を集めて、良い音色を鳴らして何となくそれっぽく作曲することは出来るが
自分の中にきちんと音楽の美しさを蓄えて、それを自分の形にして人に提示することが出来ていない。
ちょうど他人をおちょくるような感じで、ぞんざいに音の連なりの生成はできるが「きちんとした音楽」を作れないのだ。
彼はまともに楽器を奏でることが出来ない故に、きちんと音楽に向きあうことから逃げたままだ。
彼自身もそれは強烈に自覚している。
また菊地創はサイトのトップに(CDのジャケットではあるが)ピアノの画像を載せている。
ピアノはおそらく彼のコンプレックスの表れで「ちゃんとした音楽」の象徴だ。
もし自分に自信があるならば、普段使っているデジタル楽器の写真を載せればいいと思うのだが。
そうした写真はサイトの中に全く見られない。まるで隠したがっているように。
ピアノの写真をトップに載せているのはもちろん無意識だとは思う。
だが彼は自分を「ちゃんとした音楽家」として人に見せたいが故にあのピアノをトップに飾っていることだろう。
なぜなら自分が「ちゃんとした音楽家」などとは到底違うことを彼自身が一番理解しているからだ。
菊地創よ。
君は「eufoniusこき下ろしてみて下さい! 音楽的な視点で(笑)」などと言って自らを鼓舞したが
はっきり言って、菊地創の作曲、そして菊地創の自信作は音楽として評論するに足りないレベルのものだ。
もし音楽家として、また人間としてきちんとやり直すつもりがあるならば
天才の君は「その必要が俺には無い」などとまた妄言を吐くだろう。それも想像に難くない
だが音楽家として、人間としてやり直すチャンスはもうそこにしかない。
君のその強烈なコンプレックスはこれから先、誰を罵倒しても決して埋まらないのだから。
人も、世の中も、音楽もなめたまま生きるのはもうやめなさい。
友人女性の育ちがいいんです家が金持ちですアピールがだんだんうざくなってきた。
すげーセレブなアピールじゃなくて、平均的リーマン家庭との微妙なラインで上から目線なんだよな。
たとえば「弟が16万のホルンを彼女に貢いでたwww」みたいなのに
「16万のホルンwwww安いw ヴァイオリンはもっとお金かかるからこの彼女ヴァイオリニストじゃなくてよかったねw」
「あーわたしもホルンやってればもっとお金のかからない女の子だっのになーヴァイオリンは成長に合わせて買い換えなきゃだし……」
自分も楽器やってたんで、たぶんこれが初心者~中級者向けのやつだって分かるんだけど、なんだこのうざさ。わざわざ言って何が言いたいんだよ。
実家が保守的で金持ちアピールもしてるんだけど妙にしょぼい。その程度で何が言いたいんだって思う。
夏休みに一回アジアに海外旅行したらそんなにすごいのか。プレミアムエコノミーにしたらそんなにすごいのか。なら俺もすごいんだな!やったねたえちゃん!
知り合いの金持ちは自前のヨットで家族でパーティーしてたりマイアミの別荘で犬と遊んでる様子をさらっとFBにあげるだけだぞ。
さっきはてぶ見てたら、あきらかにジプシー嫌いなくせにレイシスト認定されたくないから奴らの過去の経緯とか関連本の感想とか交えて遠回ししながらジプシーdisしてるブログ見つけてワロタ。そりゃ固定ブログで正直な気持ちなんて書いたら民度の高い(笑)はてぶユーザーの皆さんから一斉にレイシスト認定されるからな。だから今回はあのブログ主に代わって俺が増田という最高の舞台でなぜジプシーがヨーロッパ全土で嫌われているかを教えてやる。
ロマ(ジプシー)の起源やら歴史やらは今回はどうでもいいんだよ。重要な事実はジプシーってのはヨーロッパ全土の各国で嫌われている連中で、ビザとか国籍とかお構いなしで勝手に自分たちの国に住み着いて、自分たちの子供にまともな教育も与えずに地元住人や観光客相手にスリやサギ行為ばっかして生計を立てている本当にヨーロッパの害虫のような連中だってことだよ。
我ながら酷い文章を書いているなwwレイシスト?そう呼びたかったら好きにしろよ。あのな、遠い日本にいて難しい本やらドキュメンタリー読みながら「ジプシーの人たちも辛い過去と歴史があって、仕方なくああいった生活を送っているんだ。」みたいな高尚なことを言い出す暇があったら2,3週間でいいからヨーロッパ旅行してみろよ。実際にヨーロッパで暮らしている連中や、俺みたいに仕事から四六時中ヨーロッパの都市に出張している人間にとったらウザい連中以外の何者でもないんだよ。しかもだ、日本とかでもヤクザやDQNヤンキーみたいに「お近づきになりたくない連中」はたくさんいるけど、基本自分たちが奴らのいる地区で暮らさなかったら大抵のトラブルは防げるだろ?だけどジプシーの場合はあいつらが都市の住民や観光客をカモにしているから、頼まれてもないのにあっちから近づいてくる。おまけに俺みたいな日本人なんて奴らからしたら最高のカモ認定だから一瞬のスキも許されない。本当にめんどくさい連中だよ。
実際に俺や俺の同僚、友人、家族があってきた被害を並べるとだな、
・美術館周りでアンケート募集してるとやってきて、不覚にも立ち止まって話を聞いたら周りに数人仲間が集まってきて、グダグダしているうちに貴重品を盗まれる。
・オープンテラスの店で食事をしてたらテーブル近くに勝手にやってきて下手くそな楽器の演奏を初めてお金を要求する。んで断ったり金額が少なかったらあからさまに「ケチ!」って目線を返してくる。
・満員電車やバスで油断していると後ろのカバンやズボンにカッターで穴を開けて財布を盗む
・大衆食堂的な店で食事してたらいきなりテーブルにやってきて人の飯を食おうとして、そいつらを追っ払おうとしたらその横で違うやつが貴重品を盗む。
・上記ケースの大半は基本的に子供。地元警察が事前に規制しにくいから。
ざっと思い出しただけでもこんだけあるぜ。あと南イタリアとかギリシャとかにいくと路地の影で立ちションやらウンコとかしてるジプシーも簡単に出くわすぞ笑
せっかくの旅行先でこんなクソみたいな連中に絡まれて財布やらパスポートやら盗まれて最悪な気分にさせられたり、自分たちの大事に街にこういう害虫が住み着いてせっかくやってきてくれた観光客に迷惑かけているとことか想像してみ?奴らに比べたら数万倍は意思の疎通が図れそうなホームレス相手にも冷淡な態度をとる日本人にジプシーのことを理解するなんて無理だからマジで。
しかもこれって南米やアフリカじゃなくてヨーロッパの話なんだぜ?ちと経済的にやばいスペイン、イタリア、ギリシャだけじゃなくまだ余裕のあるフランスやドイツの都市にも大抵はいる連中。んでこういった国々って本人たちがその気にさえなれば国の社会保障制度を使って違法移民でも仮住まいや食料の申請やら子供の就学手続きなんかはできるはずだろ?でもジプシーの連中はそれすらしないんだよ。ヨーロッパの社会に溶け込まずに独自の社会にとどまったままで、おかけに子供の就学の機会も奪って、そのかわりに観光客相手にいかに騙すかとかスリのやり方とかそんなことばっか教えてるんだよ。住んでいる住民にしたら自分たちの政府に対してこんな連中さっさと自分の街から追い出してくれ!(not in my backyard!)って要請したくなるもんだろ???
ここまで説明しても「それは彼らのいままでの過去があまりに過酷だったから」とか「根気よくコミニュケーションを続ければきっといつか分かり合える」みたいなお花畑なこと言う奴がでてくるだろ?ほんとウザいよな。まぁ100%不可能とは言わないけど、確率的には「世界中の経済が自由市場経済の元に成り立てば、最初は酷い格差はでるだろうがいつかはトリクルダウン理論のもとで富が全世界の人に行き渡って貧困は撲滅する」とか真顔で話してくるネオリベ野郎くらいには信じてやるよ。
ただ俺に言わせれば、そうやってバカ正直に「いつか分かり合えるはず」とか信じている奴のほうが怖いんだよ。そういった奴が善意のもとで必死にジプシーみたいな連中を俺らの社会に適応できるように「教育」しようとしても、奴らにとってはまた新しいカモが来たくらいのノリだから逆に搾取されるのがオチでさ、んでこうやって自分の善意が踏みにじられた先にある感情は「憎しみ」とかになるわけよ。ヒトラーとかポルポトのような連中は生まれてからああいう悪魔のような人間だったと考えるのは間違いで、本当は最初はピュアで本気で善意のもとで変革を望んでいた奴が、どこかのタイミングでダークサイドに落ちると一気に民族粛清とかはじめるんだよ。
だから俺やヨーロッパの住民みたく「ジプシー=害虫」みたいな対応で、日頃から害虫対策をしっかりしながらスルーしていくのが一番賢いし正しいんだ。もちろん俺らの社会のシステムやルールを尊重して、ちゃんと俺らのルールの元で努力してがんばろうとしてる奴はちゃんと認めてやらないといかんよ。でもそれすらせずに好き勝手して迷惑ばっかかける害虫はさ、死ねとまでは言わないから極力スルー&うちの近くにはやってくるなって対応をするしかないんだよ。俺とかいまだに自分の子供ができたらどうやってこういうことを教えるべきなのかいまだに迷っているんだぜ?だって下手に善意を見せて助けようとしたら逆に痛い目をみるだけだもの。子供とかだったらマジで誘拐されかねない。
こういう黒とも白ともつかない感覚って実際に現地で生活しないとわかんないんだよ。だからこれ読んでいまだに納得できない奴は頼むから2,3週間か1ヶ月でいいからフランスやらドイツに短期ホームステイしてみてくれよ。
裕福ではないのに、国公立全滑りで借金(奨学金)と貯金を使い果たして東京の私立なんてものに行ってしまった。
この世に存在する素晴らしい文化とか、それを可能にする裕福な人達の教育を沢山見てしまった。
そのせい?で、自分が子供を持ったら、大学の友人たちみたいな教育を子どもにしてやりたいよなあと思わざるを得なくなった。
たとえば、日本以外に選択肢をもてることってのがどれだけ強力なカードなのかを思い知った。
でもそのためには英語力やあちら式のコミュニケーションに慣れてる必要があって
友人たちはインターナショナル・スクールに通わせてもらったり、中高で留学したり
そうでなくても長期休みは必ずホームステイしたり、アメリカの大学に進学することを並行して考えてた時期があったり、交換留学したり。
そういう、田舎の公立にはいなさそうな教育を受けてきた人がわんさかいた。
そしてそういう人達と話す度、これはいいな、こういう選択肢があるってのは、いいなと思うようになった。
こういう人たちってもともとある文化資本をさらに増やして、ますます魅力的なコミュニケーションができるようになってくんだよな。
休みに長期の海外旅行は当たり前だし、上質のファッションに身を包むし、美術館と本をこよなく愛してるし、
飲み会はチェーン店を絶対に選ばないし、こだわりの料理と酒を楽しむ。
安っぽいものもちょっといいものも知ってるからこそ選び取れる強さ。
こういう人達と話すと本当に面白い。文化というものを愛し、人生を謳歌しているように見えた。
別にたいしたことないのかもしれないけど、田舎で貧乏ぐらししてきた自分には衝撃的だったんだ。
小学校からインターナショナルスクール(年300万だっけか)に通って、長期休みはホームステイして、留学して、
お金のかかるスポーツがやりたいなら背中を押したいし、金食い虫の楽器がやりたいならそれもいい。
おいしい料理をたくさん食べさせたいし、世界中の美しく面白い土地に旅行に連れてってやりたい。
小さくやりたいならそれもいい。でも希望すればそれが叶うような環境を整えたい。大学の友人たちみたいに。色んな選択肢から好きなものを選んでほしい。
そして、同じ体験を田舎の両親にもしてもらいたい。そのためには金がいる。
見てはならぬ夢だった、と思いたくない。
時機に遅れようがこれだけは言っておかねばならない気がした。
そもそもアマチュア楽器演奏者が少なすぎる、またアマチュアの地位も低すぎる。楽器メーカの数なら世界屈指の国のはずなのに……。
日本のアマチュア楽器奏者が少ないってどこソースよ? 少なくとも管弦楽の世界では、日本のアマチュア奏者及び団体の数は欧米と比べて著しく多い。
>ミードの社会学に照らしてIとmeに置き換えてみたんですが、なんかちょっと違うような。
うんなんかちょっと違うような。
ニコ動っていうのは社会の「一部」であって決して社会そのものではないから、そもそもme形成に至るような「動かしようのない他者性」って発揮しえないんじゃないですか、という話でもあるし、ニコだけ切り離して「社会」単位とするとそれはそれで独特のme形成があるんじゃないのとも言えそう。
「化膿してる」っていうのはどっちかというと後者的な意味でヤバいってつもりで言ってます。でも社会がヤバいっていうレベルじゃなくて、ボカロだけで形成した社会単位が通用しない場面に適応できないタイプの個性みたいなものを純粋培養するかたちになりかねないのでそうなっちゃった本人がつらかろうみたいな感じです。
そもそもボカロだけでme形成っていう時点で相当特異だし。ボカロのプラットフォームと言えば当然ニコニコ動画ですがあのサイトはボカロだけでなりたってるわけじゃなくて、生放送だの討論だのニコニコ技術部の野生のプロ動画だのとオモシロかつやや社会派みたいな動画番組もないではないのでニコ巡ってるだけでも言うほど社会性欠如しなさそう、というのが体感。
>一般論としても公共の場で鬱々としたことを言うなって感じ
これも暴論。そんなこと言い出したら既存のアーティストのうち一体何人が曲を引っ込めねばならなくなるか知れたもんじゃないw
谷山浩子とか倉橋ヨエコあたりニコでも人気ですが全滅しますね。
ニコ動って基本的にライブ会場的な「公共」性を持ってるサイトであるわけなので「イヤなら見るな」でおしまいです。
>社会的な役割を放棄している以上、社会の総体をコントロールしてる側のやりたい放題ってことにもなりますし。
何か飛躍していませんか。ボーカロイド曲にハマることと「社会の総体をコントロールしてる側のやりたい放題になる」ことの関連性がわからないしその仮想敵みたいな「コントロールする側」が何者かもよくわからない。
ビートルズやマイケル・ジャクソンならいいの?
ImagineもMan in the mirrorも社会派ソングで熱狂的に支持されましたけど未だに宗教弾圧や戦争やホームレスの問題って根本解決に至ってないですよね。
>こういうのがボカロ曲と同じ土俵(ありていに言えば無料でフルで聞ける状況)でもっと対等な状況になるといいんですけどね。ボカロ曲がIに埋没してるのと同じくらいその他の場所でmeたる活力を得るような曲が流行ってるわけでなし。
「ボカロと同じ土俵」っていうのはタダでフルで聞けるだけじゃなくてそこに聴き手が関与する余地が必要で、その点では既存型のアーティストは物凄く不利なので無理です。あなたの主張としてはむしろ逆で、ボカロをアーティストの土俵で対等にさせるには、という風にもっていくべきところだと思います。そう考えるとボカロはたちまちただの楽器に堕してしまって人間と同じ土俵に乗せてはっけよいしたところで何も起こりませんけどね。
今思いついたことですがボーカロイド曲の流行り方っていうのはどれくらい関与可能であるか(派生動画が作りやすいとか面白いとかテーマや歌詞であれこれ言ったり考えたりしてどれくらい遊べるか)にかかっているので、テーマが暗い方が関与しやすい=流行りやすい傾向はあるのかもしれません。暗い曲や裏がありそうな曲の方が解釈余地が広がるしifが作りやすい。で、そういう遊び方をするとなると前向きな歌の勝機は薄いです。同調してアツくなって終わりなので。
環境だけなら既にponponponはyoutubeで無料でフルで聞けるし現に3000万再生の大台に入ろうとしてるレベルです。今調べたらニコにもあって120万再生くらいだった。
ただしニコの方はボカロカヴァーが本家を上回る再生回数、かつそのまたカヴァーである「歌ってみた」が再生回数最大だったりしてます。これは流石に予想外。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-6.html
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120623/1340426744
「芸術も音楽も、なんとなく理解してるつもりになっている」というのが今の日本人の感覚なんじゃないかと思う。
欧米の場合、芸術と音楽には明確に宗教的なニュアンスが含まれていると思う。そういう宗教起源という文脈の元に現代芸術なり現代音楽があって、その文脈を大衆が理解している、という差が日本との大きな違い。
西洋が何百年もかけて積み上げてきた文脈をうわべだけすくって、ビジネスにしようとしてもそれは波があるから売れない時もあるだろう。
音楽業界や音楽好きな人は、1から文化そのものを作っていくつもりでアプローチしていかないとダメだと思う。だから、機材やら音作りに投資するというのも違うと思う、そういう職人的なこだわりが受け入れられる土壌がそもそも無かったという事にもっと早く気付くべき。
そもそもアマチュア楽器演奏者が少なすぎる、またアマチュアの地位も低すぎる。楽器メーカの数なら世界屈指の国のはずなのに……。
それとやっぱり、ミュージシャンが音楽家を志した動機「初期衝動」として「モテたかったから」というのはダメだと思う。だってジョンレノンが同じ事言ったらきっとみんな幻滅する。でも日本人のアーティストはみんな言う、プロになっても「今でもモテたい」から音楽やってますと言いかねないぐらい声高に言う。でも最近のアーティストは言わなくなったのでそれだけで昔より信頼できる。
変わったなと思うのは、確実に昔にくらべて「モテたい」と表明する事がダサくなっている、若い人にほどその傾向がある。彼らは生まれながらに潤沢な音楽情報の中育って、かつ流行に惑わされず音楽を聴けるので、彼らの時代が来たらきっと日本の音楽はまた次のステップに進むのだと思う。
かさこ たかさんから取材依頼のメッセージが届いていたので下記の返信をしました。(興味ない方はスルーして下さいね~!!ご迷惑かけたくないので)
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かさこさん、早速のご連絡ありがとうございます。
かさこさんが懸念しておられる「音楽が金持ちだけが楽しめるものにしたくない」そんな時代はいまだかつて(中世ヨーロッパ貴族の話等は別。音楽が大衆化して以後)ありませんし、これからもありえないでしょう。殊更それが大衆音楽である以上は。何故そんな時代が来るとお考えなのか全く理解できません。まさかダウンロード一曲100円から無料化にすら向かっているこの時代が金持ちの為の時代に向かっているとはお考えではないでしょうから。
逆に言えば、こんな時代1曲を10万円で売るアーティストが出てきたって一向に構わないわけで、それですら「金持ちだけが楽しめる」方向に向かうとは言えないでしょう。
僕がFBにそれ以後書いた一連の文章をお読み頂ければ自明とは思いますが、音楽そのものの善し悪しに予算などもちろん関係ありません。ただ、より良い作品としたい時の手立てとしてコストがかかることはある訳です。それは一義的に制作者(アーティスト)の自分達の音楽に掛ける意識とビジネスとして或いは趣味に投じる金銭的意識次第になります。
これはライブの場合でも同様で、もっといい楽器が欲しい、もっと衣装に金をかけたいとなれば同じでしょう。
さて、取材依頼とのことですが、目的は何でしょう?個人的なご興味でしょうか?
「ブログを書いた意図、誤解されている部分、予算がない状況で日本の音楽業界がどうあるべきか、直接お話聞かせていただけませんでしょうか?」
とありますが、意図や誤解されている部分はご自分で読み取って下さい。わからないことは何でも人に聞くのは子供のすることです。わからない言葉、考え方があればググって下さい。
「日本の音楽業界がどうあるべきか」は僕にすべき質問ではありません。僕は音楽業界にあまり興味は持っていないスタンスですので。僕自身は音楽を作ること、その作り方・作られ方、使われ方くらいにしか興味ありません。
話しを戻しまして、取材依頼がご自身の興味レベルであるなら当然そんな取材はお断りさせていただきます。
通常取材をお申し込みになるなら、その使用目的(雑誌なのかWEB媒体なのか)等を先に連絡いただけるものと考えますが。ご興味頂けたことは嬉しいのですが、残念ながらとても常識を欠いた取材依頼としか受け取れません。
またお考えお聞かせください。
このメッセージを僕のFBに投稿いたしますので、もしコメントありましたらそこで公開やり取りをしてみるのもいいかと思いますが如何でしょう?他の方々にも有益な話にもなるかも知れませんし。
↑に対して
取材依頼したらレコーディングで忙しいというわりにマメにフェイスブックで擁護コメントにコメント返し。深刻に暇なのかな。自分で誤解があるっていうんだから誤解は何ですか?って聞いてるのに、ググれだの人に聞けだのまもとま返信できないのかな。私から彼にメッセージしたわけではないし— かさこさん (@kasakoworld) 6月 21, 2012
もうちょっとまともな批判はないのかな。佐久間信者には。やれ誹謗中傷だ、親の顔がみたいだ、2ちゃんレベルだ、曲解だ、誤解だ、読み取れって。具体的な批判がほとんどない— かさこさん (@kasakoworld) 6月 21, 2012
ああ、こんな感じのやりとり、武雄市あたりで見たわー 超見たわー 自分の意に沿わない意見は全部馬鹿扱いって世界共通ですね。
ついでに
BLOGOSはそんなにPV欲しいんですか。