はてなキーワード: 最高傑作とは
『無惨戦はクソ』『黒死牟までは面白かった』『薬で全部解決』とか言われてたので期待してなかったが、十分面白いやん!
薬ぶっかけて倒したわけでもないし、薬はあくまで補助で、しっかり当初の作戦を貫徹して日光で焼却するのが良かった。
(「分裂阻止の薬」のピンポイントさはどうかと思うけど)
最後の方は本当に総力戦で、モブも活躍したし、車とか大正時代なのも生かして、積み重ねて届いた勝利なのがいい。
『ヒノカミ神楽の意味がなかった』とかの批判も見たけど、元々延々と攻撃続けて足止めするための技だし、継戦の役には十分立ったからいいんじゃない? 主人公のすごい技で倒すよりは。
ジャンプの最高傑作はダイの大冒険だと思ってるが、ラストバトルは『最初からダイが竜魔人化してれば済んだんじゃね?』という印象は拭えない。人間に戻れないかもってリスクも、戦い終わったらあっさり戻ってたし。
ディオ戦は『最初から手袋燃やしてれば』、DIO戦やフリーザ戦は『最初からプッツンしてれば』、双子座のサガ戦は『最初からアテナの盾取りに行ってれば』とどうしても思ってしまう。
吉良吉影戦は割と積み重ねの勝利だったけど、偶然要素が多かったのは否めない。
その点で鬼滅はこれ以外に勝つ方法がない道を、苦労しながら着実に積み上げて達成したのが新鮮だった。
カナヲちゃんどこ行ったんだよ!と思ったら最後に大活躍してくれて萌えオタにも優しい。
無惨が赤ちゃんになると聞いて白面のパクリかよとも思ってたが、実際は防御の肉団子がそう見えただけで、本人に白面みたいな殊勝さは皆無なのも安心した。
新聞広告にもなってる『人の想いは不滅』に感動して改心したと思わせておいて、その結果が最後まで本当に身勝手で迷惑なのが笑える。
フェイスレスの『信じれば夢は叶う!』もそうだけど、悪役がこういうこと言うの、綺麗事が綺麗事でなくなる皮肉な感じがいい。
『私を置いていくなァァァ!』はツイッターで散々流れてきたので知ってたけど、こう繋がるのか。ざまあとしか言いようがない。
本当に印象深い悪役だった。
現代編は……別になくてもよかったし、特に甘露寺と伊黒は同じ顔の別人が幸せになったから何なの?とも思うが、まあ物語としては一つ前の回で終わってるからな。
あってもなくてもいいエピローグに目くじら立てるほどのこともない。
本編を過酷にしすぎた作者の罪滅ぼしなんだろう。
ありがたいことに2018年に出した同人誌を通販で頒布することが出来た。
毎回自分最高傑作のつもりで小説をpixivには上げてるし、お金を出してくれるわけだから本は持てる技術は全部入れるくらいの気持ちで作ってる。
けど、どうしたって印刷後に誤字は見つかるし恥ずかしさのあまり「〇ページがよかったです」って頂いた感想なのに該当ページが読めないこともある。
けど久々に2018年の本読んでみたらすごい面白くてびっくりしたし、もっと部数出てもよくない!?って自画自賛するくらいに良かった。
それで勢い余ってその時のpixivの小説読み直してみたけど、やっぱ自分が書いただけあって性癖から好みの展開、掘り下げてほしい部分を何もかも網羅されてる。
それに私自身が書いた内容忘れちゃうタイプだからとても楽しく読むことが出来た。
笑わないはどうかと思ったけどその後のVSイマジネーターと夜明けのブギーポップと歪曲王は普通に面白かったなぁあのアニメ
元増田がジンクスショップまでを薦めてるのはそれ以降は上遠野浩平が別の作品に力を入れるようになったからかな?
事件シリーズとかナイトウォッチシリーズも面白いし好きだったなぁ
個人的最高傑作は元増田も挙げてる「ペパーミントの魔術師」かな。あれは多分いきなりペパーミントから読み始めても楽しめると思う
ブギーポップで扱われる痛みと今よく見る痛みが違うのはネットで誰でも自分の痛みを簡単に誰かに伝えられるような事になったのも大きいかな
乙一作品なんかもそうだけどあの手の作品に出てくる「痛み」は同じ傷を持つ者同士の傷の舐め合いというかコミュニケーションに使われているというのは何か分かる、元増田はとても言語化が上手い
まあブギーポップその物はメジャーの中のマイナーっぽい扱いだけどブギーポップフォロワーがどんどんメジャーになっていくのはいかにもブギーポップらしくて(まあいいじゃん)と思う
流石にいくらネタバレでも、最後はあまり語りたくありません。最後の方で私、めっちゃ泣きました。今思い出しても泣けます。戦後になっていたのだと思いますが、少年は孤児院で保護されているのですが、父親と再会したからって、少年はちっとも嬉しくないのです。あんなに帰りたかった家に帰れると言うのに、です。そして、少年の感情が爆発します。ここでもう、私いきなり涙腺崩壊。
それまで、映画としては淡々と話は進むのです。会話もほとんどありません。あるサイトで監督が言っていましたが、3時間の映画でたった9分しか会話はないそうです。そりゃそうですよね、インタースラブ語なんてスラスラ話せる役者がいるわけもないですしね。でもそれがいいのです。そして、音楽すらありません。聞こえるのは自然の音がほとんどですが、これがまた抜群に良いわけです。モノトーンでしかありえないめちゃくちゃ綺麗な自然。ずっと見ていたいぐらい、素晴らしい映像美ですよ。比較するならそうだなぁ、あのレオナルド・デカプリオ主演の『レヴェナント』に匹敵するくらい自然が綺麗です。個人的には超えますね。
ともあれ、そんなにドラマチックな展開もないので、こっちもそんなに感情の起伏はありませんでしたが、ほんとにラスト、泣いた泣いた(笑)
そして、本当のラストで、もうめっちゃ感動しましたね。これは、ホロコーストの歴史を少し知っていたからだと思います。あの筆舌に尽くし難い前代未聞の悲劇がたったそのラスト一分にも満たない映像の中に凝縮されていたのです。もちろんこの映画本編があったからですけど、これほどにハードに残酷で残虐な表現をした映画でこれほどに感動した映画は記憶にありません。
そしてエンドロールが始まると同時に流れる女性ボーカルのこれまたハマり方が最高すぎて、涙を止められませんでしたね。
と、ちょっと絶賛しすぎてますし、これはもちろん見る人に依ります。耐えがたいと思う人もいるだろうし、淡々としすぎてつまらないと思う人もいるだろうし、何が感動かもわからない人も多いかと思います。でも、私は個人的にこの映画は近年見た中で最高傑作に推したいくらいです。以上。
あのさ、
「変な顔!!!」って言うのが100点だということを学びました。
どちらとも言えない煙に巻くグレーな感じだし
みんなもさ、
そういう時は「変な顔!」って言ってあげてね。
誰も傷つかないわ。
ところで、
ってテツアンドトモさんの
なんでだろうってメロディーに合わせて歌いながらピコピコハンマーで叩きたくなる気分だけど、
人がせっかく数えているときに声かけるの気が散ってしかたないから
ちょっと今数え中です!って
メールで送ってくれてもいいのよ!って隣の部署の人たちに言いたいところだけど、
エクセルを見て下さい!って言うと、
エクセルをうまく見ることが出来なくて、
プリントアウトしてって言うのなんでだろう~って
ピコピコハンマーで叩きたくなるんだけど、
そこは常識にとらわれないで、
一瞬ハッとしてグッと我慢よ。
せっかくピコピコハンマーで叩くんなら、
穴の空いた箱から頭出してもらって、
テツアンドトモさんのメロディーに合わせてモグラ叩きゲームが出来たら
ストレスも同時に発散と発汗!
ちょっと韻を踏んじゃってるけど
ラッパー並みに何かに感謝したい気持ちをぶつけることも肝心かなと思ったわ。
数を数えているときに、
呼び掛けられても
マジ感謝!
今日の学びね。
人は日々何か一つを学んでいけば、
一生までに65535個のいいことを学べるから
もうそんな小学館が発行してそうな学び大辞典なみの学びを学ばなければならないし、
まず学ぶ前にはお腹が空いては始まらない戦の火蓋が切って落とされるわけで
もう何十回と過ちを犯している、
蟹食べに行きたい歌を予約したつもりだったけど、
「アジアの純真」が掛かって、
一向にあのサビの蟹食べ行こう!って気持ちよく歌えないあの曲なんだったっけ?って現象はいわばパフィーとも言い過ぎても過言ではない、
昼でも夜でも、
とにかく私は蟹食べたい気分を収めるために、
いい加減その蟹食べに行きたい歌の題名を学ばなければと思う今日この頃でもあったわ。
蟹よりも香り箱食べたくなったわ。
やっぱり人は日々学びね。
うふふ。
それ以外の何か最強に美味しそうなその日のサンドイッチのスタメンのなかから先発を選ぶのが私の監督業としての仕事かしら。
ほどよくピンクの色の付いたレモンの香り豊でミントの爽やかさも併せ持つという、
二度と再現出来ないのが玉に瑕だけど、
そこはしょうがないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
不破さんカッコイー! おわり
🗣️✨✨✨✨✨✨✨✨終わるなビーム✨✨✨✨✨✨
ゆうて話すのは不破さんヨイショぐれーなんですが。
不破さんの何が格好いいって設定ですよね。
偽りの記憶に振り回され怒りのままにヒューマギアを滅ぼそうとした初期のダークヒーローぶり。
自分の在り方に疑問を持ちながらも正義のために暴れ続けた中期。
カラクリが明かされた後に自分の怒りの空虚さに失望しながらも目の前の悪を見過ごさない正義の心で戦い続けた終盤。
そしてその思いにより敵サイドのヒューマギアの心を開いて味方につけ、ボロボロの状態で合体変身して産まれるオルトロスバルカン。
作品の裏テーマである「人と機会の確執」「破壊者としてのヒーロー」「テクノロジーの恐ろしさ」「思いはテクノロジーを超えるのか」をガッツリ背負った上で、表のテーマである「人と機会の共存」「残された希望としてのヒーロー」「テクノロジーに心は宿るか」まで網羅してしまってますからね。
最終話直前に敗北してラストバトル参加してませんが、いっそこれを龍騎みたいなもんと解釈すれば本当の主人公とすら言えるでしょう。
なにより強いのは、相容れぬ存在に思われた滅亡迅雷を説得して共同変身を果たしたことですね。
最終話直前に変身アイテムの投げ渡しという最高の展開をやってますからね。
変身アイテム渡すのって信頼の証なんですよ。
たとえば仮面ライダーオーズ/OOOなんてまさにそれですし、仮面ライダー剣の「俺を信じろ」でワイルドカリスになるのだってこれです。
「敵としてではなく手を取り合うパートナーとしてともに生きること」を仮面ライダーで表現する方法としての最適解ですね。
アルトも「人と機械が共に戦う」というテーマでゼロツーを作ってますし、そもそもシャイニングホッパーからしてライダーの正義を信じるヒューマギアとの合作です。
が、アルトの場合は飛電の社長という立場から全てが始まってるんですよね。
人と共存するという命令にまだ疑問を持っていないヒューマギアが命令通りに協力してる姿なんですよ。
でもバルカンの場合は、人と敵対する道も存在するのを知ったヒューマギアと改めて共闘するんです。
「自由意志に目覚めたヒューマギアは果たして人の敵なのか味方なのか?」という問に対して、「人の敵となったヒューマギア、ヒューマギアの敵となった人、それらに対して共に立ち向かえる仲間にだってなりうる」という回答を示してくれたのが、オルトロスバルカンなんです。
最高すぎません?
これの何が凄いって、人がヒューマギアを救うために、ヒューマギアが人を救うために戦うことなんですよ。
なにこれ、ゼロワンの正解でちゃった。
ゼロワンって作品のストーリーが色々しっちゃかめっちゃっかで、肯定的にも否定的にも好き放題独自解釈できるのは私も認めます。
だからこの考えが単なるこじつけって言われてもいいように、今のうちにそうだねと白状します。
でもね、でもね。
私の中ではオルトロスバルカンは、マジで超カッケー令和ライダーの最高傑作なんすよ。
そしてそれに変身する不破さんの物語、それを取り巻く悪意に満ちていた人間関係が、人の悪意とそこから産まれたテクノロジーに対して正義感を燃やし力づくで道をこじ開けていくヒーローって最高に仮面ライダーな代物になってると解釈します。
力づくでこじ開けた道の先で、昨日の敵が今日の友になるんですよ?
成長、しちゃうんですよ?
「後藤さんのこと」を読んでめちゃくちゃ面白いと思ったのがおよそ10年前。大学生の頃だった。
この短編集は今でもかなりの名作だと思っているし、ハードカバーを買って大事に持っている。(小説は絶対に文庫版で買うという決意を持っているこの俺が、だ)
どの短編もこれまでに読んだことのない新鮮な後味で、何度でも読み返した。
そこで読書メーターやレビューサイトを見ると、「数学や物理を使って書かれた純文学」みたいな書評が目についた(ちゃんとした表現は覚えていない)。
そうかな。と思った。
なるほど。確かに、「さかしま」「考速」「ガベージコレクション」あたりには、理系的なモチーフがふんだんに埋め込まれていたし、その中には確かに数学や物理の単語もあった。
どちらかというと情報系分野の香りの方が強く感じたけど。まあ情報も数学の一部だしな。
でもなんか、「数学や物理を使って書かれた純文学」みたいな批評にはなんとなく頷けない感覚があった。
言い忘れてたけど、自分は一応ちゃんとした大学の数学科出身であるので、数学や物理の単語を言われたらそれが何のことかはわかるし、学問においてどういう立ち位置だったりどう使われるか、はおよそ知ってる(あんまり高度なのは無理だけど)。
だからこれらの話はすごく面白く感じた。理系用語が雑に使われてたから引っ掛かったとか、そういうことじゃない。むしろ日本語としてこれ以上ない適切な位置にそれらの単語は置かれていたのではと思う。
次に「バナナ剥きには最適の日々」を買った。これも素直に面白いと思った。
「equal」には妙な居心地の悪さを感じたけど、「捧ぐ緑」は今考えても円城塔の最高傑作なのではと思えるくらいだ。
なので最初に違和感がはっきりと形になったのは、その次に買って読んだ、「Self-Reference ENGINE」ということになる。
しかしとても残念なことながら、あなたの望む本がその中に見つかると言う保証は全くのところ存在しない。これがあなたの望んだ本です、という活字の並びは存在しうる。今こうして存在しているように。そして勿論、それはあなたの望んだ本ではない。
皆はこの小説をどのように楽しむのだろう。
言っていることは理解できるし、示唆的ではある。人に何かを「考えさせる」文章でもある。しかしそれは「考えさせる」だけで、後に何も残さない文章でしかなかった。
ストーリーもあってないような状態。各章の繋がりもバラバラだし、場面は突然切り替わるし、急に新キャラが出てきて急に退場するし、何もかも説明が不十分で、衒学的な、鼻につく文章だけが延々と続く。
端的に言って、「最初から最後まで何も言っていない」。文字を無駄に消費しているだけの、中途半端な文字列らしき何かだと思った。
そして「エピローグ」を買った。
何故って彼はエージェントで、エージェントとは人間よりも器用にチューリング・テストをクリアすることのできるスマート・クリーチャにしてオーバー・チューリング・クリーチャだからだ。
人間に理解できるのはせいぜい、N文字を利用して作成可能な全ての文章であるにすぎない。Nはある程度の大きさのところに留まり、そこには有限個の文章しかない。
「敵艦影、三。天頂方向より接近。ダミー放出。並列存在を開始。複雑性迷彩が起動しました。オーバー・チューリング・テスト実行。成功。成功。失敗。失敗。失敗。当該宙域には、法則69805f9944ed4298311d0cdaa75da2629d6f3bb3756455d504243fla6c565f75が適用されていません。」
はあ。これでやっとわかった。
彼は詩を書いているんであって、小説なんか最初から書く気が無いのだ。
円城塔の紡ぐ文字列の並びは確かになんとなく美しいと思う。なんか感性に訴えかけてくる。なんか良いこと言われているような気にさせられる。
しかしその実、中身が全くない。その点に限って言えば詩としても程度が低いように思う。詩にも訴えたい内容とかあるからね。
そしてそれに「ていよく」使われているのが、SFだったり、数学や物理の言葉だったりする。
数学やSFが、詩を美しく紡ぐための新しい言語の代わりにさせられている。これがなんとなく違和感を覚えた原因だったのだ。
つまりこれを「詩集」ですと言われて手に取ったら、「おお、面白い詩だね」といえるんだけど、「小説です」と言われたから、「小説か??」となってしまう。
軒並み、「なんだかわからないけどすごい」「深淵」「自分には理解できない新境地と感じる」「文系殺し」といった単語が並ぶ。
端的に口をそろえて「理解できませんでした」と言ってるだけだろうが。理解できないものを、適当に高評価するんじゃないよ。ボーッと生きてるにもほどがあるでしょ。
詩の材料にされている数学や物理の言葉がわからないものだから、その意味不明さに脳が酩酊させられてるだけだよ、それ。酒飲みみたいにその酩酊を楽しみたいなら、いいんだけどさ。
自分は文系だから、知識がないから、それらの語彙が入ってこないだけで、ちゃんと語彙力があったらそこに何か深い意味が込められているんじゃないかと思った?
なかったよ、なんにも!!
さらに頭にくるのはそのやり口で芥川賞なんか取っちまったところだよ!
選考委員も、軒並み騙されてんじゃないか。誰か一人でも意味わかってたんか?「道化師の蝶」のモチーフとなっているという、自己言及プログラムを一人でも書いてみたんか??
俺は、この世に理系人間と文系人間とやらがいるとはあんまり思ってないけど、もし芥川賞の選考委員がそういったSFや数学物理に疎い人で構成されているんなら、円城塔作品はまさしくその脆弱性を突いたクラッキングだよ。
以下が「道化師の蝶」受賞時に高評価をつけていた選考委員のコメントだ。高評価だぞ?低評価じゃない。よく読んでほしい。
- 今回の「道化師の蝶」で初めて私は、「死んでいてかつ生きている猫」が、閉じられた青酸発生装置入りの箱の中で、にゃあ、と鳴いている、その声を聞いたように思ったのです。
- 小片たちがつなぎ合わされ、一枚のパッチワークが縫い上がり、さてどんな模様が浮き出してきたかと楽しみに見つめてみれば、そこには模様など何も現れていなかった。/もし自分の使っている言葉が、世界中で自分一人にしか通じないとしても、私はやはり小説を書くだろうか。結局、私に見えてきた模様とは、この一つの重大な自問であった。
- それ自体が言語論であり、フィクション論であり、発想というアクションそのものをテーマにした小説だ。/この作品は夢で得たヒントのようにはかなく忘れられてゆく無数の発想へのレクイエムといってもいい/こういう「やり過ぎ」を歓迎する度量がなければ、日本文学には身辺雑記とエンタメしか残らない。いや、この作品だって、コストパフォーマンスの高いエンタメに仕上がっている。二回読んで、二回とも眠くなるなら、睡眠薬の代わりにもなる。
『二回読んで、二回とも眠くなるなら、睡眠薬の代わりにもなる。』
完全に酔っぱらってるじゃねえか。
あと、円城塔は、いい加減に繋がっているようで繋がっていない短編の寄せ集めを長編と言い張るのをやめて、最初から最後まで一貫して繋がった長編を書くべきだ。詩集だから無理か。
もとよりアイネクライネをはじめとしてLOSER、ピースサインなど若者を中心に認知はされていたけれども、Lemonがこんなにも幅広い年代に聴かれる曲になるとは思っていなかった。音楽といえば昭和歌謡で止まっている私の母でさえもCDで何度も聴きライブDVDを繰り返し観た。その母よりもさらに流行りに疎い父でも、とりあえずは「米津玄師」の名を知っているというほど、Lemonは彼の存在を世に知らしめた。
そして8月5日、米津玄師の3年ぶりとなるアルバム『Stray Sheep』がリリースされた。Lemon、flamingo、馬と鹿など数多の人気曲を引っさげた「最高傑作」と評価されたアルバムだ。
当然私も買った。そして全曲聴き終わった後、脱力してしまった。「みんなのものになってしまった」と、ほんの少しの絶望と寂しさを感じたのだ。
私は彼の大古参ファンという訳ではないが、それでもハチ時代の曲はそれなりに聴いてきたし、米津玄師の名でメジャーデビューしてからはずっと彼を追いかけていた。ボカロPとしては伝説級の人物で、ボカロ全盛期と言われたあの時代を生きた人間にしかこの感覚は分からないと思う。多分この感情を持っている時点で、これからの米津玄師についていける人間のふるい落としにかけられていた。
「ハチ(ボカロ)の曲をバカにしていた友人が米津玄師の曲を褒めているのを見るとムカつく」というのはLemon以前、もっと言えば一回目の転機になったであろうアイネクライネ以前から応援しているファンの中でのテンプレ感情である。「応援してたインディーズバンドがメジャーデビューしてちょっと寂しい現象」と似たものなんだと思う。かくいう私もLemonが大ヒットを飛ばしている最中、自分の事のように誇らしい気持ちの裏にどこかそれと同じ感情を抱いていた。それを拗らせに拗らせた結果がこのブログだ。(そのようなテンプレ感情を患わせた古参米津オタクのみんなにはなるべく新規ファンに優しくしてくれることを祈る)
ただ、それはある種仕方の無いことだ。ハチから米津玄師初期、アルバムでいうとdioramaやYANKEEあたりの曲と、BOOTLEGやStray Sheepの曲の雰囲気はまったく異なるから。新海誠で例えると『秒速5センチメートル』と『君の名は。』くらい違う。
それでも私はあからさまに変わった彼の音楽に対して感じる寂しさを拭えきれなかった。
音楽の専門的なことはよく分からないので「この曲のこの音が〜」などと詳しい話はできないが、単純に昔の彼の音楽が大好きだった。好みの別れそうなおどろおどろしいサウンドや、少し毒々しい歌詞、名前も付けられないような感情を代弁してくれたような優しい歌詞も。米津玄師は私にとって、教室の片隅にちょこんといる人間を、誰も知らないアミューズメントパークにこっそりと連れ出してくれる魔法使いみたいな存在だった。そこで集まったみんなは似たもの同士だった。一種の選民思想的なものさえ感じていた。
だけど今では「好きなアーティストは米津玄師です」と言うのがはばかられる程の人気者になった。好きであろうと嫌いであろうと、とにかく新曲の情報が入ってくる。そんなポップアーティストとなった。
「米津玄師」の名のついたものはなんでも売れる。それくらい、彼は彼自身のブランドを築き上げた。もう小学生が適当に作った曲でも、米津玄師が製作と銘を打てば売れるんじゃないかって、そんな意地悪なことも考えたりするほど。
そして彼を好きであることはアイデンティティでもなんでもなくなった。
みんなが彼の曲を聴くから。彼の音楽が大衆文化として消費されるようになったから。純粋に彼の心地よい魔法にかかっていたのが一変、彼の噂を聞きつけた野蛮な人間に土足で村を踏み入られたように感じられて、なんだか居心地が悪くなった。
米津玄師は度々インタビューで「普遍的なものを作りたかった」と語っていた。そしてそれがLemonであった、と。
その言葉を聞いたときに、「みんなの歌」じゃなくて「私たちの歌」を作ってよ、と叫びたくなった。しかしそれと同時に勘違いしていたことに気づいた。私は勝手に自分のエゴを押し付けていたのだ。彼を自分の代弁者だ、「こっち側」だ、と祭り上げていた。彼が見ている世界は、そんな小さなものではなかったのに。だけど、どうしてもそれが、置いていかれたみたいで嫌だった。
よくよく落ち着いてみると、こうして純粋に彼の曲を楽しめなくなってしまったのは、私が本当に好きだったのが「あの頃の米津玄師」ではなく「あの頃の米津玄師を好きな私」だったからかもしれない。それはそれでかまわない。
どれだけ私が寂しがったところで、彼はこれからも素敵な曲を書きもっともっと愛されるアーティストになっていくだろう。コンサートで「誰一人この船から落としたくない」と語ったように、これからも米津玄師という船は正しく真っ直ぐ平等に、より多くの人を救うような、より多くの人が楽しめる方へと舵を切っていくのだ。
彼の素晴らしい旅路に祝福を。無惨にもその船から零れ落ちて溺れ死んだ人間から、ささやかな反逆心を持って言葉を送らせてもらう。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 159 | 25927 | 163.1 | 36 |
01 | 134 | 22210 | 165.7 | 60 |
02 | 55 | 7698 | 140.0 | 54 |
03 | 47 | 3688 | 78.5 | 46 |
04 | 42 | 6002 | 142.9 | 44.5 |
05 | 44 | 4609 | 104.8 | 55 |
06 | 54 | 7040 | 130.4 | 68.5 |
07 | 62 | 8446 | 136.2 | 53 |
08 | 83 | 10540 | 127.0 | 45 |
09 | 139 | 21775 | 156.7 | 62 |
10 | 116 | 9692 | 83.6 | 49 |
11 | 182 | 17965 | 98.7 | 40 |
12 | 155 | 12494 | 80.6 | 37 |
13 | 131 | 16279 | 124.3 | 35 |
14 | 148 | 17028 | 115.1 | 40 |
15 | 212 | 20469 | 96.6 | 33 |
16 | 148 | 35322 | 238.7 | 52 |
17 | 132 | 13169 | 99.8 | 43 |
18 | 148 | 12298 | 83.1 | 29 |
19 | 134 | 10994 | 82.0 | 31 |
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1日 | 3005 | 350607 | 116.7 | 40 |
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で「母をたずねて三千里」という文字が出たので語りたくなった。個人的に高畑勲監督の最高傑作だと思ってる。
主人公マルコの親父は医者としては良い人なんだよ。貧しい人からもお金を取らずに診療をしてあげたり、本当に医者の鑑みたいな人間だった。
ただ父親としても夫としては良い人ではなかった。借金のカタに女房をイタリアからアルゼンチンまで出稼ぎに行かせるとかどんな男だコイツは、と今でも腹が立つ。
それでもマルコの母はアルゼンチンに行ってから1年間は働いてたんだよ。それが1年後には手紙が故郷のイタリアに全く届かなくなった。
そりゃお母さんが大切なマルコは心配するよな。ところがあの親父は「便りが無いのは元気の証拠」みたいな事を言ってろくに妻を心配しなかったんだよ。
それどころかもしお母さんが病気にでもなっていたら、と心配するマルコを怒りやがった。テメエがろくに稼がないからそのツケを女房が払ってんのにな。そういやマルコの兄も進学を諦めて働いてたっけか。
知っての通りマルコは最終的にブエノスアイレスでお母さんと再会する訳だけど、お母さんは悪い病気になって死にかけていた。手遅れになる前にマルコが到着した事で何とか気力を取り戻して一命を取り留めた、って感じだった。
良い話なんだけど、これマルコが10歳でありながら無理をしてイタリアからアルゼンチンまで行かなきゃお母さん死んでたんだよね。親父はろくに嫁の心配もしなかったけど、あいつの不甲斐無さと無責任な行動のせいで嫁が死ぬ所だった。
「母をたずねて三千里」は正しく「世界名作劇場」の名に相応しい名作だけど、マルコの親父は今でも大嫌いだ。フランダースの犬のハンスも嫌いだけど、マルコの親父は人格者とか善人的な立ち位置で描かれてるのが本当にムカつく。
40年以上前の作品も多いけど世界名作劇場は面白い作品が多いから見て損は無いと思う。宮崎駿・高畑勲・富野喜幸の三巨匠が同じ回に携わってる事も多いからアニメが好きな人には本当にオススメだ。古典っていいよね。