はてなキーワード: 攻撃対象とは
主に発生順序ごとに各ブーストを並べてみた。
・顔出しブースト
ゲームの配信だけではいまいちフォロワーが増えない女性配信者がまず最初に行うこと。
今まではゲームカテゴリーで配信していたのにJust Chatting(雑談)での配信が増える。
一般的にシャツの胸元がゆるくなり、肌着の一部が顔を覗かせるようになる。
レースなど下着と誤解されそうなぎりぎりの肌着を選ぶ。勝負肌着。
・谷間ブースト
使える武器は使えと言わんばかりに主張してくる。
・生足ブースト
普段は顔もよく見てもらいたいのでバストアップを中心に配信を行っているが、ショートパンツ生足という嗜好性の高いユーザーを容易に獲得できる方法に気が付き手を染める。
この頃からゲームの配信頻度と雑談の配信頻度が逆転し、ゲーム画面とプレイヤーカメラの画面占有率が逆転する。
とにかく健康的な肉体が弾けていれば勝手にエロスを求めたおっさんどもが釣れる。
主にネコ。適度なハプニングを起こしてくれて、クリップが作られやすくなる。
ただしフォロワーを増やしたい魂胆が見え見えだと、動物好き全体を敵に回すことになりかねず、アンチの攻撃対象になりやすい。
ギリギリを攻めすぎるとBANされるだけでなく、低俗なフォロワーばかりが増えてむしろ収益を落とす結果になりかねない。
何食わぬ顔で普段着にノーブラ、もしくはぴたっとしたスポーツブラで乳首の凹凸をさり気なくアピールする。
やりすぎるとBAN。
twitchの練度が低い視聴者では一覧のサムネでは気づかないことも多く、今までのフォロワーに対してのご褒美的な扱いになることも多い。
フォロワーは一度でもこれを経験してしまうと、もう一度やってくれるのではないか?という期待のものに足繁く通うようになり、それ欲しさに課金してしまう人も出始める。
一通りフォロワーが増えると、それを自分自身の人気だと勘違いするようになり、普段着での配信が増える。
画面比率や配信カテゴリーの比率も、だんだんとゲーム中心になる。
もちろん徐々にスケベ目的のフォロワーが離れていき、ある意味では質のよいフォロワーだけが残るが、熱狂的な投げ銭はここで止まる。
・魔物化
普段着ブレーキとは逆に、透け乳首を経験したフォロワーが、次の透け乳首を見たいためだけに訪問をやめられなくなったり課金をしてしまうようになったりするのと同じで、一度でも高額の投げ銭を受け取ってしまった配信者は、もう一度同じ思いをしたいという一心で格好も配信内容も過激になっていく場合がある。
そうなると元からいたフォロワーは徐々に離脱していき、過激な行為を望む質の悪いユーザーばかりが残るようになる。
こうなればあとはBANされるまでギリギリの行為を繰り返すか、twitchを抜け出して自らの身体を切り売りするサービスに移動するかしか方法は残されていない。
https://anond.hatelabo.jp/20200823122452
以上を書いた後にこの記事を見ました。
本当に酷い目に遭ってしまわれた方をカバーする言葉は持っていませんが、ここで取り上げられているフェミの問題は二次元対象を客体化した自己と捉えていることではなくて、自分の言動を客観視できないことにあると思う。
自分の思考が社会の一般的な思考なんだから私の意見に従えと言ってくる奴が一番うるさい(≒主語がでかくて攻撃対象を一括りにする)。
フェミに限らずオタクにも同じく自分を客観視できない奴はいて、そういう奴ほど自分の思考を声高に叫ぶ癖に相手の思考を拒否して、というよりむしろ相手の人格そのものを否定してくるもんだから、そういう奴こそフェミやオタクが受け入れられない思考を持ったアンタッチャブルな存在であると受け取られる原因なんじゃないのかね。
本当に受け入れられる思考なら強要せずとも勝手にその思考は共有されていくだろうし、主張する人間が男か女かはどうでも良くて、あなたはあなた、私は私、が成り立たないことが何よりの問題だと思う。
私は小学生のときから、GARNET CROWというアーティストがずっと好きだった。というより今も大好きだ。
今日まで四半世紀とちょっと生きてきて「夢みたあとで」以上の楽曲に私はまだ出会っていない、本気でそう思っている。in little timeやholy groundも未完成な音色も、全ての楽曲がたまらない。捨て曲なしだ。これを読んでくださった皆様もどうか一度騙されたと思って聴いて欲しい。
"幸せの中に潜む不幸せ""大切なものをなくす痛み""過ぎ去ってしまったものが戻らない無情感"そういったものを拾い上げて歌ってくれる、そういう楽曲が当時小学生だった私には衝撃的だった。解散しても何年経っても、彼らの曲の魅力は色褪せない。今も私は魅了され続けてる。
けど、この思いを私は信頼できる1人の友人と夫以外には伝えていない。他の友人はGARNET CROWを好きなことすら知らないと思う。友人に嘘をついているわけではない。答えたアーティストが好きなのも本当だ。ただ一番ではないというだけで。
私は自分が本当に一番好きなものを誰かに打ち明けられずに、今も生きてる。
別に最初からこうだったわけじゃない。少なくとも小学生のときはこんなんじゃなかった。
変わったのは中学生の時。
私の中学は田舎ということもあって、荒れた学校だった。幸いにも私は人数の多い運動部に所属してたおかげもあっていじめなど被害を受けたことはない。けど、俗にいう"陰キャ"をバカにする空気がそこにあって、なんだか生きづらいなと思っていた。
きっかけとなったその出来事のことはいまだによく覚えてる。中学に入ってすぐ「どんな曲聴いてるの?」なんて話になった。小学生高学年から中学生になるとみんな、音楽に興味が出てきだして好きなアーティストの話にもなったりする。同じクラスになったばかりの子に私は「GARNET CROWとか好きだよ」と答えた。好きだから。他のどんなアーティストよりも大好きだから。
でも返ってきた言葉に私は衝撃を受けることになる。GARNET CROWにピンときてない様子だったその子の隣にいた別な子に「コナンの歌でしょ。なんでそんなの聴いてるの?」と言われた。なんでって、好きだからじゃだめなの?そんなのって、なんだよ。
やっとのことで「好きだからだよ」と返した私にその子は「普通聴かないよ、変なの」と言い放った。きっとその子は何の気なしに放ったその当時の率直な感想なんだと思う。GARNET CROWがじゃなくて、中学生の私が聴くのが変わってるって意味だったんだろう。けど当時の私には衝撃的だった。
今まで自分のすること、興味があることを否定されたことがなかったわけじゃない。けどそれは私が何かをするという行動が伴っているからだと思っていた。つまり否定されるのは私の言動であって、私の気持ちや趣味嗜好ではないとそう思っていたのだ。
けど今回は違う。そこに目に見えた私の言動はない。"ただ好きなだけ"という誰にも迷惑かけてないはずの嗜好ですら否定の対象になる。
私の勝手でしょ、なんて言ってやればよかったのに言い返せなかった。変に反論してこじれるのも大好きなGARNET CROWが否定されるのも怖かった。彼らが悪いわけじゃないのに、あんなに素晴らしい曲を作る人たちなのに、私が好きってだけで変なの呼ばわりされるのも耐えられなかった。
その子とはそれなりの友達ぐらいの距離感のまま卒業して、それ以降私から連絡することはなかった。同じ部活で汗を流しても結局あの印象が抜けなくて最後まで本当の意味で心を開くことができないままだった。
高校はやりたいことがあって、知り合いのいない少し遠い都市部の学校を選んだ。そこでも同じ質問をされる。正直に答えようとして、名前が喉の奥につっかえて出てこなかった。
このまま唇を跨いだとして、本当のことを言ったとして。また否定されたらどうしよう。その時私は目の前の、これから仲良くしていきたいクラスメイトのことを好きでいられるだろうか。そう考えたら一番好きなものを好きだというのが途端に怖くなった。
結局当時一番ではないものの、好きだったチャットモンチーの名前を挙げた。「私も好き」と返してくれたことにひどく安堵した。そのまま仲良くなって、友人も増え、知り合いが一人もいない学校にきたにも関わらず私は友人に囲まれ穏やかで楽しい高校生活を手に入れたのだ。
その時分かったことが2つある。
1.好きなものを好きだと馬鹿正直に打ち明けなくてもいい。自分がわかっていればそれでいい
2.下手に答えてその人を嫌いになってしまうくらいなら、当たり障りのない答えをしておいた方が圧倒的に楽だ
人生を穏やかに楽しく生きるためのコツを掴んだ気がした。あの質問をされるたびにその時聴いているアーティストのなかから、流行ってて人気がある人を答えるだけでよかった。答えたそのアーティストが好きなのも一部分では本当のことだから、すんなり信じてもらえた。
自分の友達にそんなことをする人がいると思いたいわけじゃない。実際多分いないと思う。けど誰にも迷惑かけていないただの自分の嗜好を否定された時、その友達を好きでいられる自信がない。友達ならまだしも、生きてく都合上ある程度関わらなくてはいけない程度の思い入れしかない人だったら尚更許せる気がしない。
だからこれは私なりの予防線だった。なるべく人を嫌わずに生きていくために必要だった。
大学に入ると自分が大人に近づくにつれ、周囲も大人になり、人との違いに寛容になっていった。当たり前だけど大学にはいろんな人がいる。多分ここでなら何を好きと言おうと否定してくる人間はいなかったと思う。それでも言えなかった。
社会人になりいろんな世代の人と接するうちに、ご年配の方には人の嗜好にまで口を挟んで否定してくる人が多いことにも気がついた。それでも付き合っていかなきゃいけないから、もはや言う努力なんてやめてしまった。
数少ない私の一番好きなアーティストを知っている二人、夫と親友にGARNET CROWの話をしたのは去年のことで、好きなものを正直に話してもいいと思えるまで出会ってから10年かかった。
私はこれからもきっと本当に好きなものを誰にも言えないままだと思う。この先も「普段何聴いてるの?」と聞かれるたびにそのとき比較的流行っていて聴いてるアーティストのなかから、適当に答え続けるだろう。
あの子が何気なく発した言葉が、十数年経った今でも未だに私に刺さったまま抜けない。
この増田を読んでくださった方々にそんな方はいないだろう。本当に私が届けたい、いつかのあの子にこの言葉は届かないんだろうし、そもそも私が傷つきやすいってだけなんだと思う。でも、
「自分の好きなものを否定されていい気持ちになるやつなんて、この世に存在しない」
これは誰にでも当てはまることだと思うから。いつか誰かに抜けないトゲを刺してしまう前に、言葉を発する前にどうか一度思いとどまってほしい。私も気をつける。
その"好き"をあなたが理解できなくてもいい。しなくてもいい。どうか、否定しないであげてほしい。理解出来ないってだけで攻撃対象にしていいわけじゃない。
否定の言葉の代わりに「そうなんだ」と相槌を打つだけで世界は少し優しくなる。誰も傷付かずに済む。
誰もが一番好きなものを素直に好きと言える、言っても傷付かない優しい世の中になってほしい。
バンプが好きだと言ってた中学生、チャットモンチーが好きだと言ってた高校生、クリープハイプが好きだと言ってた大学生の私が救われることはないけれど。世界が少し寛容になればそれで救われる誰かがいる。いつか変わることが出来る。そう、信じている。
話題にしてるのと、
自分事として考えることと、
防衛のために、積極的に特定の人間を排除したり攻撃することは、全部別物だぞ。
でも自粛警察みたいな思考にはなってない、というか攻撃対象が自分の生活圏に入ってこないしわざわざ行動を起こすバイタリティもない
近くに観光施設はあるにはあるけど普段から近づきもしてなかったんだから、こういう御時世だからわざわざ声を上げて排除しましょう!みたいな突飛でアグレッシブな思考に至ってない
「触らぬ神に祟りなしじゃほっとこう関わらないようにしよう」みたいな感じだよ。それはコロナか前と変わらない態度には違いない。
増田こそ、都会の人が面白がる類の田舎の陰湿さみたいな話に照らし合わせようとバイアスかけてないか?
田舎の陰湿さは何もしないこと、無関心であること、故にレッテル貼りが大きな意味を持つことだと俺は思うけど
それって敵認定して対立を煽るっつう態度とわりと対照的だから増田の話聞いてると変な気分になるんだわ
派閥をはっきりさせてばちばちするのって都会的な考え方なんだわ
田舎で誰かに喧嘩売るとどんな事情であれ和を乱す奴とみなされ忌み嫌われるからな
「観光業は敵だ!締め出せ」みたいなことを隣人が言い出すと「なんかめんどくさそうだからもうこいつと関わるのやめよ」ってなるのが田舎者メンタル
「無関心」って言葉が誤解させたのかもしれない
都会的なさっぱりした態度ってことじゃなくて、
あそこには回覧板回さないとかはあるかもしれないけど、わざわざ「出てけ」って言いに行くような挑発的な行動する奴いるか?っていうのが俺の話
深夜の世迷言にゲイの人っぽいのも女性っぽいのもヘテロ男性っぽいのもトラバついててちょい考えたんだけど、やっぱゲイ男性とヘテロ女性の対立は見ててしんどいなーと思った。
性欲が絡むと冷静になれない云々は本当にそうで
ヘテロ男性(女性)から女性(男性)への評価はやっぱ顔なり金なり体なり、性欲が絡んでるから正当じゃない。
でも性欲が絡んでないはずのゲイ男性からヘテロ女性への評価は正当ではないし
ヘテロ女性からゲイ男性への無遠慮な興味(ところで腐とかBLとか以外にもあるんだろう)が不愉快なのも理解できる。
でも顔が見えないネットで自称・腐女子と自称・ゲイのそれぞれの発言を見てると、結局男と女の対立になってるのがなんか見てらんね〜と思うんだよな。
防御のときは「腐女子」「ゲイ」が発動してるのに攻撃対象は「男」「女」って言ったら伝わるのか?
流れ弾っつーか、「女はうっすら男全員が嫌い」ってのと「男は性欲の対象全員うっすら好き、そうでない女は嫌い」ってのが浮き彫りになって、傍で見てて勝手に辛い。
現実でその属性の人とどう接してるかってのはもちろん大事なんだろうけど、顔が見えないし人格の立体感がない場所でその属性の人にどう接するかってのも「本性」って感じするな。
お前まじで真面目なポンコツだな
A, ソシャゲを揶揄した段階で、男だけなんて限定してないだろ、そこを君が読み間違えてるわけ。
B, ソシャゲ揶揄されてブチギレてるようなやつってのは、攻撃対象がソシャゲじゃなくて自分だと読み間違えて難癖つけてる。
AとBは状況として似てるだろ、だから君みたいなのが多いって言ったの。
君について興味ないし知らんけど、君の言動は俺が例に出したソシャゲを揶揄したらブチ切れるやつに似てるから、君みたいな人が結構いるって言ったの。
そんで
「勝手に勘違いして難癖つけてくるアホ」は二次創作にブチギレてるお気持ち長文オタクとかと変わらんって主張を補強してくれて有難う。
社会人になって以来パートさんがいる職場で正社員として働いてきた
(勿論ゴシップの嫌いなパートさんもいるだろうが、大勢の中年女性が集まると会話で主導権を握る者が現れる。そういう人はゴシップが好きなのだ)
私も人並みに噂話への興味や理不尽な生活への愚痴はあるので彼女らとの世間話に口籠ってしまうことはなかった
しかしどうやら私自身の置かれている環境が彼女らにとっては攻撃対象なのだ
大学生の頃は意識してなかったけどうちの一族はお金持ちの地主で子々孫々まで約束された高学歴だったのか
どんな悩みを話してもその一端に滲む金持ち要素、高学歴要素を抽出培養されてそこにだけ着目される
でも日々口を滑らせて皮肉で返されるたびに私って本当は金持ちで高学歴なんじゃないかという傲慢が膨らんでいく
幼い頃から十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人とは聞かされてきたけど実は今でも自分のこと、ことさら昔から夢見ていた今の仕事に関しては天才だと思ってるし
小学校の頃は家に使用人がいて床が大理石なことや海外旅行の頻度、学校の設備が整ってたことやクラスメイトの親も社長とかだったことを謎の根拠に自分はお嬢様だと思い込んでいた
そういう気持ちがでかくなりすぎるのが怖い
自慢ばかりしてまともに人と会話できなくなりそうで
テトリス99ってあるじゃないですか。
ゲームは苦手だけどちょっとだけ勝てるようになってきたので、遊んでるけどあまり勝てないという人向けに何が重要だったかなどを書きます。
どのくらいの苦手か、について
同じバトロワの(ひどく括りがでかい)Fortniteはシーズン3からやってるけどソロで勝ったことないです。
基本的に「負けないようにする」ことを考えていきましょう。
Tミノ(紫色のTっぽい形のブロック)を使い、一定条件下で2列消すと「Tスピンダブル」になります。詳しくはググって~
2列消すだけで最低4列攻撃/相殺ができます。普通にテトリス(ここでは4列一気に消すこと)をしても最低4列攻撃ができますが、Tスピンダブルのほうが短い時間で積むことができます。
というかこういう情報は従来のテトリスの攻略情報で出てきますね。
テトリス99では攻撃する相手を「とどめうち」「バッジねらい」「カウンター」「ランダム」(とマニュアル)で選ぶことができます。
「とどめうち」
負けそうな相手を選んで攻撃します。自分が相手に攻撃するたびに再度相手を選びます。基本的にはこれが一番いいと思います
テトリス99では最後に攻撃して相手をKOした人がバッジ(集めると自分の攻撃力が上がる)を手に入れられます。別の敵によってピンチになった敵に最後にちょっかいをかけて戦果を横取りしましょう。
「バッジねらい」
選んじゃダメ。
「カウンター」
自分を狙う人全員に攻撃できます。一度に複数人攻撃できるのはこれだけ。
自分が負けそうで「とどめうち」を選んでる相手から一斉に狙われたときに、狙われボーナス(後述)で一斉に反撃できるのでとても良さそう...なのですが、攻撃量の飽和(後述)の問題があるので実のところ「見た目が気持ちいい」以上の意味はないのではと思います。相手の戦意を削ぐために数回に一度はカウンターで攻撃してもいいと思いますが、基本的にはとどめうちでいきましょう。
「ランダム」
自分が相手に攻撃するたびに相手をランダムに変えます。逃げるときなどに。
敵に一方的に攻撃されて相殺しきれないときは攻撃相手が変わらないことに注意。
敵をたくさん倒してバッジを手に入れたり、複数の相手に同時に狙われたりする(狙われボーナス)と自身の攻撃量が上がります。
そういったバフが効きまくると、相手に表示上は20列とか攻撃できちゃうこともあるわけですが
攻撃が相手に届いた時点で攻撃量が12列より多いとそれ以上は切り捨てられます。
さらにテトリス99では攻撃されてから実際にフィールドがせり上がるまですこしの間猶予時間があるので、例えば同じ人に連続で10列を2回とかもあまり送る意味が無いです。
逆に自分が攻撃される側になることを考えると、どんな攻撃が飛んできても自分のフィールドを8列までの高さに抑えていれば(∵テトリスのフィールドの高さは20列)即死はしないということです。
大火力の攻撃が何度も送られてきて困る! というときは逃げましょう。
こういう人はたいていの場合狙われボーナスによって攻撃力を手に入れ、戦略を「カウンター」にして自分を狙っている相手全員に攻撃して気持ちよくなっています。
こういう時は、スティックを1回転して適当に攻撃対象を変え、相手のカウンターの対象外になることで攻撃をかわしましょう。
また、テトリス99ではREN(コンボ)が続く限りは攻撃が届いてもフィールドがせり上がることはありません。
負けそうなときは、常にRENを続けられるように意識してちょっとずつ消していきましょう。
テトリスで勝てるようになりたい! とググるとたいてい「開幕テンプレ」が出てくると思います。
1対1の対戦なら覚えていいと思いますが、テトリス99とはかなり相性が悪い気が...
あんなことをさせてまで、戻れないことは、想いに応えられなかったことになりますか。
戻らないことは、言葉を、想いを、理解できなかったということになりますか。
あんな昨日ですら、届いた悪意は、こんな風に見えるべきではないとわかっているけど、隠し通すのならば、「あの場所に戻る」という選択肢しかないのであれば、私はもう本当に、そこにはいられない。
必要な時だけ、必要なことだけ、できることがもし万が一あるのなら、その時だけ、その旨だけ、言ってくれれば、なんでもするよ。
伝えるべきではない。
隠しきるしかない。
笑っていればいい。
笑っていなきゃいけない。
幸せだけ見ればいい。
楽しいだけ伝えればいい。
隠し切らなきゃいけない。
痛みなんてない。
無視すればいい。
そう言い聞かせて、言い聞かせて、また一睡もできずに、布団から出られずにいる。
涙と鼻水の量で、いいデトックスとダイエットにはなったかもな。
最近はひとりで手帳に文字を書いて書いて、躓いた漢字は10回ずつ練習したりして。
一昨日は、「滑稽」っていう漢字がスムーズに書けるようになった。
どれだけ文字を書いても、知りたいことは自分の中からは見つけられないし、どれだけ眠れずにひとりで泣いていても、次の日にはまた同じことで涙が出ちゃったりする。
1/100でも言えてたら、スっと消えてたはずのモヤモヤが、ひとりだと、消化したつもりが、何度でも蘇ってくる。
そろそろ限界かなって、なんかこう、わーってしたくなる。わー!!!って。叫びたい。
でも。
そんなふうに、「ひとりじゃ無理」なんて、いつまでも言ってるわけにはいかなくて。
何かがなきゃダメだとか、誰かが居なきゃ無理だとか、そういう、自分以外の何かに貰う幸せは怖い。
自分次第で変えていける以上のことは、もうやらない。
ひとりでいなきゃ。
ひとりでも大丈夫なようにしなきゃ。
だって。
早く慣れなくちゃ。
所詮私はこんなもんだよ。
夢なんて見なくても、生きていかなきゃ。
楽しくなくても、毎日を乗り越えなくちゃ。
そうやって、キラキラしたものから目を逸らして、うつむいて、必死でこうやって、何も見ないように、何も聞かないようにして、見たいものも、聴きたいものもシャットアウトした中で、それでようやく、最近ようやく少しずつ、眠れるようになった。
それでもほんの少し聴いただけで、すぐにまた世界がキラキラしてしまう。
そんなことを繰り返してきた。
出された結論が、正しいってことは、すごくよく、ちゃんと、わかってる。
私はそれ以上もそれ以下も望んでなんていない。
いつだって変わらない、正しくて、まっすぐな姿勢に、すごく安心している。
そういうところにすごく惹かれたんだと、改めて強く思う。
本当に、そう思う。
でも。
それが本質じゃないって、確信じゃないって、ちゃんとわかってる。
言葉尻を捕えるのはよくない。
伝えたいのは、そういうことじゃない。
わかってる。
ちゃんとわかってる。
けど。
死んでしまった感情やえぐれてしまった傷は戻ることはないし、悩んで悩んで泣いた日が無かったことにはならない。
そもそも。
痛みを感じずにいられるくらいなら、そうしてた。既に何度もそうしてきてた。
傷を見せずに笑える程度なら、笑ってきた。
ねぇ。ちゃんといつも、笑ってたでしょう?
許容できない、許せないとか、認められないとか、そういうことではなくて。
別に誰かがどうとかじゃなくて、そんなことはどうでもよくて。
んー、なんて言えばいいかな。
言わなければ、出さなければいいとか言う問題ではなくて、「殺意」や「悪意」がある場所に、私はいられない。
それは、合うとか合わないとか、好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない。
だって、合わないからと言って、攻撃や反撃をしたいってなる心理が、私にはわからない。
だからそれはつまり、「合わない」以上に、【「私」に「徹底的な落ち度」がある】ということになる。
いくつも直そうとしてきたけど、原因をいくつ潰しても、止むことは無かったし、何をした?何が悪い?ずっと考えて、直そうとしてきたけれど、そのどれもが、攻撃対象としていいという程の落ち度だとは、思えなかった。(もちろん完璧でないしできた人間ではないし、落ち度は沢山あるのは重々承知しているけれど)
これからもそんなことに気を使って、気を配って、神経をすり減らして、自分を殺して、それでも笑っていくことは、もう限界。
何がそんなに悪いのか。
何がそんなに不満なのか。
何がそんなに嫌なのか。
何がそんなに迷惑なのか。
いっぱいいっぱい考えた。
直そうとした。
変えてきたこともあった。
でも、解決しなかった。
いっぱいもがいた。
だけど、これを「努力不足」と言われるのであれば、私に努力はできそうにない。
これからは、自分を変える努力ならば、自分自身か、喜んでくれる人のためにしていきたい。
快感も幸福も喜びも幸せも全部ぜんぶ、そんな恐怖も痛みもかき消すほどの威力があったから、ずっとそこにいたけれど、だからといって、恐怖も痛みが、無かったことにはならない。
マイナスなんて、そんなの簡単に超えるくらいに幸せよ。もちろん。そりゃそうよ。そんなの、わざわざ言わなくたってわかってるよね?
私がどんなに救われて、どんなに楽しくて、どんなに幸せだったか。
そんなこと、さすがにちゃんと、伝わってるよね?
嬉しいし、幸せだし、本当にどうしようもないくらい、泣けるくらいに最高!って震えるよ。それだけが事実だよ。
それが足りないなんて聞こえたら、それは悲しすぎるから、それだけは本当にやめてよね。
だけどね。
興奮が穏やかな日常に戻ったとき、切り刻まれた傷を、隠しきれる自信がない。
傷ががちょっとあったから気に食わないとか、妥協できないとか許容できないとか、そういうことじゃない。
聞かなければいい、見なければいい、そういうことには、できなかったよ。毎日毎日。毎日さ、頑張ってみたんだよ。しようとしたんだよ。
でも、痛かったし、怖かったよ。
“くだらない、しょーもない”と言われても、私には、もう限界だった。
心の中の細胞が、壊死したみたいになっちゃって、腐って動かなくなっちゃったしこりができた。切り取って、無機質な何かで埋めるしかなくて、ちょうど、私のからだとおんなじみたいに。
「信じて」くれる人も「いない」のに、馬鹿みたいに図々しく、笑ってなんていられないよ。
守るとか、そんな労力、こんな私に使う必要なんてない。
守ってほしいわけじゃない。守らなきゃいられない存在であるのだとしたら、そんな自分が悪いと思う。
そのチカラは、もっと大事な、「信じてて」「感謝してる」「大切な」人たちに、使ったらいいよ。
だって、そんなキレイで、みんなが幸せで、《平等で対等な世界》は、〈私の目の前の現実〉とは、【イコールじゃない。】
これが水平だという説得力は私にはないし、そもそも、そんな歪んだ世界を見せたくないから、説得するつもりもない。
“鵜呑みにしていない”と何度も言うなら、だったらもう、そんな事実、全部ウソだと思って、何も無かったことにしてくれていいよ。
全部私の嘘で、被害妄想で、かまってちゃんで、歪めてるのは私で。それでいいよ。私に、信じるだけの、日頃の行いが、価値が、足りなかっただけのこと。
ううん。そうじゃなくても、あの発言も、決断も、鵜呑みにしないことも、全部正しいと思う。そうするしか無いと思う。
だから、別に責めているわけでも嘆いている訳でもなくて、本当に心から、正しいと思う。
だけど、全部私の嘘で、被害妄想で、かまってちゃんで、歪めてるのは私、ってことにしたとしても、私ひとりが違って見えてしまっている世界には、い続けることはできない。
歪んでいるのが私の方だって、美しい世界を見ようとしても、ハッキリと突きつけられる現実の、矯正の仕方がわからない。私には、私に見えている現実が、言葉が、態度が、つらい。それだけのこと。
これは私の問題で、だから、どうして欲しかったとか、責めているとか、間違っているとかじゃない。正しい。そうでしかない。そうするしかない。ちゃんとわかってる。
信じてほしかったとか、寄り添って欲しかったとか、味方が欲しいとか、そんなワガママを言うつもりも、そもそも、そんな願望も微塵もないけれど、だったらじゃあ何が望みなんだって聞かれたら全然わかんないし。
だったらどうしたらいいんだって言われても、そのままでいてほしい、幸せでいてほしい、笑っていてほしい、以外の望みなんて何も無いよ。今までも、今も、ずっと。
そういうところが好きなのは、本当だし。
すべてを超えるほどの光なのも、宗教かよってくらいに信じてるのも、幸せなのも、本当だし。
だからこそ、こんな風にうだうだ辛気臭い顔をしてる自分が許せない。
「サイコー!」「楽しい!」「天才!」「かっこいい!」って笑っているだけ、ができないのであれば。こんな顔をしているのであれば。そんな私は、いるべきじゃない。
「邪魔」「消えればいい」「死ねばいい」「早く消えろ」「迷惑」「みんなが望んでる」おっしゃる通りです。まったく。そうだよね。その通りです。って感じ。
別の、私の役割だと喜んでやってきたことも、既に変わりはちゃんといる。
会社と同じで、私がいなくて回らなくなるような組織なんて、この世にひとつとしてなくて、そうやって世界は回ってる。
噛み合わない錆びた歯車は、とっとと捨てて、交換してしまったらいいよ。
もっともっと大きくなるのなら、たくさんの人が関わるのなら、なおさら。
パーツひとつで揺らいじゃうようなヤワな作りじゃないって、そんなの私が一番わかってるけど、だからこそ。
そのパーツが全体の動きを少しでも鈍らせたり、他のパーツを傷つけたり、バランスを崩す可能性がほんの少しでもあるのなら、その欠陥品が私なら、一刻も早く捨ててしまってほしい。
まっすぐな場所に、私だけが歪んでいるその場所が、それでも好きだったけれど、そこが私の居場所だったことは一度もなかった。
その特等席で、私だけが歪んでいて、そこでは見られないのなら、ひとりでそっと遠くで見ていようと思った。
だけど、遠くで見るのはダメで、どうしてもその場所でないと見られない星なのであれば、もういっそ、心の中で思い描くだけでいい。
それでも十分に、私の心を照らしてくれるし、見えなかったとしても、俯いていたとしても、その星が何よりもキレイに光っていることを、私はちゃんと知ってる。
だから、それでいい。
大丈夫。
私はひとりでも大丈夫。
そんなこと、幼稚園の頃からわかってたはずなのに、ちょっと、期待しすぎちゃっただけ。
キャパ以上の、身に余るほどの、幸せや夢を、少し見させて貰えただけ。
楽しくて、幸せだっただけ。それだけ。
願いが叶えられるように、そうなるように生きろというのなら、私はひとりでも大丈夫なように、これからも感情を殺す努力を、ちゃんとする。
誰からも守ってなんかもらえなくても、ちゃんとひとりで立てる場所で、ひとりで暮らしていく。
誰が味方じゃなくても、自分で自分自身を正しいと思えるように、変わっていく。
もう泣かないために、きちんと食べて眠って生きていくために、そのためだけに、生きていく。大丈夫。ちゃんとできる。
大丈夫。
誰かが照らさなくても、キラキラ輝いていて、これからますます、輝きは増していく。
見てくれる人は、たくさんいるから。
ごめんね。
傷つけるだけ傷つけて、結局は何の役にも立たずに捨てられてしまうだけの歪んだパーツで。
期待通りに、戻ることが出来なくて。
頑張らなきゃって思ったけど、もう死んで、切り取ってしまった細胞は、戻せないや。
隠し通すことが出来なくて。
ずっと笑っていられなくて。
本当に幸せで楽しかったのに、要らないところを見せてしまって。
それなのに、近くで見ようとしたりして。
こんなこと、見せたくなかったし、笑ってたかったのに。
ごめんね。
泣かせてしまって。
こんなことを言わせたかったわけじゃないってわかってるのに。
消えないように、救うために、言ってくれたって、ちゃんとわかってるのに。
ちゃんとわかってるのに、望み通りにできなくて。
わかっているのに、こんな風にしか思えなくて。
わかってるのに、こんな風にしか言えなくて。
わかってるのに、またいなくなろうとしていて。
本当にごめんね。
すごくすごく、幸せでした。
これからも、遠くても、
輝く星が存在してくれているということが、今までも、これからも、私のいちばんの幸せです。
本当にありがとう。
これからは、「サイコー!」「楽しい!」「天才!」「かっこいい!」って、キレイな世界だけを見ていてほしい。
ずっと笑っていてね。もっと輝いていてね。
これからもずっと、大好きだよ。
この成功の理由に、今回専門家会議の活動がほとんどメディアによって妨害されなかったことが大きいと思っている。
PCRPCRって叫んでいたアホどもは、大半がネット知識人によってバカにされ相対化されていた。
私は今回、専門家会議が妨害されなかったのは安倍首相だったからだという説を提唱したい。
メディアや野党はアベを下ろす 安倍打倒のためにフェイクニュースを駆使していた。コロナだろうが桜の話に拘り、延々と国会を空転させていた。
これが東日本大震災の時はどうだろうか? 東日本大震災の時は専門家たちが攻撃対象にされていた。
今回は政府の専門家もきちんとメディアできちんと発言できたし、白衣を着た詐欺師は速攻その出自がばれていた。
ここまで上手くいったのは、皮肉なことにアベだったからだ。アベがバイラルメディアやデマ師を引き付けたのだ。
よく考えればわかることだ。コロナでデマ師だった人は概ね放射脳だったことを。
かくして、日本は専門家の意見を120%実行に移し、忖度を繰り返した結果とんでもないレベルでの自粛に成功してしまったのだった。
※SNS上でセカンドレイプが発生している現状を鑑みて、便宜上ここでは被害者をAさんとします。
結論から言うと、今回のAさんの自殺はテラスハウスにおける「恋愛」を求めた視聴者に非がある。というか元凶は視聴者。
Aさんの自殺発覚後、彼らの攻撃対象は誹謗中傷を行ったアカウントに向いた。
出演者にやらせを強要していたり、意図的に人間の悪い部分をクローズアップしたテラスハウスのプロデュース方法や演出について批判をしているアカウントは誰一人として見つけられなかった。
そもそも『「人の恋愛」がエンターテイメントとして消費されている』という現状に、なぜ誰も非を唱えないのか。しかもその「恋愛」は脚本によって脚色された偽の恋愛と言っていいだろう。おかしいとは思わないのか?視聴者にとって、テラスハウスという番組はNetFlixに980円も毎月払ってみる価値のある作品なのか?
男が女を奪い合う、また女が男を奪い合う...そんなギスギスした構図を、わざわざドキュメンタリー形式的にしてまで、どうしてエンターテイメントとして楽しむことができるのか? 私には本当に理解することができない。
昨年のバチェラーの結末で炎上した件もそうだ、ご意見番みたいに「B子がかわいそう」「どうしてC美を選んだの?許せない」などと、他人の恋愛にいちいちコメントをすること自体が異常だぞ。
ネトフリさんはこの訃報にコメントを発表しているが「突然の訃報に、言葉を失っております」じゃねーよ、即刻放送中止にしろや。と言いたい気持ちを抑えて、私は、誹謗中傷したアカウントはもとより、テラスハウスのプロデュースというか番組そのものに異を唱える。
あと「言葉は刃物」「画面の相手の先にいる人のこと考えよう」とか綺麗事並べてるアカウントが気持ち悪い。視聴者は「テラハ見てたけどさ」とか前置きしてるけど、当然Aさんが誹謗中傷に遭ってることも気付いてたよな?その時になんで誹謗中傷しているアカウントに注意しなかったんだ??「他人には注意するけど自分は見て見ぬ振りか?」それ自分の発言内容と矛盾してないか?