あんなことをさせてまで、戻れないことは、想いに応えられなかったことになりますか。
戻らないことは、言葉を、想いを、理解できなかったということになりますか。
あんな昨日ですら、届いた悪意は、こんな風に見えるべきではないとわかっているけど、隠し通すのならば、「あの場所に戻る」という選択肢しかないのであれば、私はもう本当に、そこにはいられない。
必要な時だけ、必要なことだけ、できることがもし万が一あるのなら、その時だけ、その旨だけ、言ってくれれば、なんでもするよ。
伝えるべきではない。
隠しきるしかない。
笑っていればいい。
笑っていなきゃいけない。
幸せだけ見ればいい。
楽しいだけ伝えればいい。
隠し切らなきゃいけない。
痛みなんてない。
無視すればいい。
そう言い聞かせて、言い聞かせて、また一睡もできずに、布団から出られずにいる。
涙と鼻水の量で、いいデトックスとダイエットにはなったかもな。
最近はひとりで手帳に文字を書いて書いて、躓いた漢字は10回ずつ練習したりして。
一昨日は、「滑稽」っていう漢字がスムーズに書けるようになった。
どれだけ文字を書いても、知りたいことは自分の中からは見つけられないし、どれだけ眠れずにひとりで泣いていても、次の日にはまた同じことで涙が出ちゃったりする。
1/100でも言えてたら、スっと消えてたはずのモヤモヤが、ひとりだと、消化したつもりが、何度でも蘇ってくる。
そろそろ限界かなって、なんかこう、わーってしたくなる。わー!!!って。叫びたい。
でも。
そんなふうに、「ひとりじゃ無理」なんて、いつまでも言ってるわけにはいかなくて。
何かがなきゃダメだとか、誰かが居なきゃ無理だとか、そういう、自分以外の何かに貰う幸せは怖い。
自分次第で変えていける以上のことは、もうやらない。
ひとりでいなきゃ。
ひとりでも大丈夫なようにしなきゃ。
だって。
早く慣れなくちゃ。
所詮私はこんなもんだよ。
夢なんて見なくても、生きていかなきゃ。
楽しくなくても、毎日を乗り越えなくちゃ。
そうやって、キラキラしたものから目を逸らして、うつむいて、必死でこうやって、何も見ないように、何も聞かないようにして、見たいものも、聴きたいものもシャットアウトした中で、それでようやく、最近ようやく少しずつ、眠れるようになった。
それでもほんの少し聴いただけで、すぐにまた世界がキラキラしてしまう。
そんなことを繰り返してきた。
出された結論が、正しいってことは、すごくよく、ちゃんと、わかってる。
私はそれ以上もそれ以下も望んでなんていない。
いつだって変わらない、正しくて、まっすぐな姿勢に、すごく安心している。
そういうところにすごく惹かれたんだと、改めて強く思う。
本当に、そう思う。
でも。
それが本質じゃないって、確信じゃないって、ちゃんとわかってる。
言葉尻を捕えるのはよくない。
伝えたいのは、そういうことじゃない。
わかってる。
ちゃんとわかってる。
けど。
死んでしまった感情やえぐれてしまった傷は戻ることはないし、悩んで悩んで泣いた日が無かったことにはならない。
そもそも。
痛みを感じずにいられるくらいなら、そうしてた。既に何度もそうしてきてた。
傷を見せずに笑える程度なら、笑ってきた。
ねぇ。ちゃんといつも、笑ってたでしょう?
許容できない、許せないとか、認められないとか、そういうことではなくて。
別に誰かがどうとかじゃなくて、そんなことはどうでもよくて。
んー、なんて言えばいいかな。
言わなければ、出さなければいいとか言う問題ではなくて、「殺意」や「悪意」がある場所に、私はいられない。
それは、合うとか合わないとか、好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない。
だって、合わないからと言って、攻撃や反撃をしたいってなる心理が、私にはわからない。
だからそれはつまり、「合わない」以上に、【「私」に「徹底的な落ち度」がある】ということになる。
いくつも直そうとしてきたけど、原因をいくつ潰しても、止むことは無かったし、何をした?何が悪い?ずっと考えて、直そうとしてきたけれど、そのどれもが、攻撃対象としていいという程の落ち度だとは、思えなかった。(もちろん完璧でないしできた人間ではないし、落ち度は沢山あるのは重々承知しているけれど)
これからもそんなことに気を使って、気を配って、神経をすり減らして、自分を殺して、それでも笑っていくことは、もう限界。
何がそんなに悪いのか。
何がそんなに不満なのか。
何がそんなに嫌なのか。
何がそんなに迷惑なのか。
いっぱいいっぱい考えた。
直そうとした。
変えてきたこともあった。
でも、解決しなかった。
いっぱいもがいた。
だけど、これを「努力不足」と言われるのであれば、私に努力はできそうにない。
これからは、自分を変える努力ならば、自分自身か、喜んでくれる人のためにしていきたい。
快感も幸福も喜びも幸せも全部ぜんぶ、そんな恐怖も痛みもかき消すほどの威力があったから、ずっとそこにいたけれど、だからといって、恐怖も痛みが、無かったことにはならない。
マイナスなんて、そんなの簡単に超えるくらいに幸せよ。もちろん。そりゃそうよ。そんなの、わざわざ言わなくたってわかってるよね?
私がどんなに救われて、どんなに楽しくて、どんなに幸せだったか。
そんなこと、さすがにちゃんと、伝わってるよね?
嬉しいし、幸せだし、本当にどうしようもないくらい、泣けるくらいに最高!って震えるよ。それだけが事実だよ。
それが足りないなんて聞こえたら、それは悲しすぎるから、それだけは本当にやめてよね。
だけどね。
興奮が穏やかな日常に戻ったとき、切り刻まれた傷を、隠しきれる自信がない。
傷ががちょっとあったから気に食わないとか、妥協できないとか許容できないとか、そういうことじゃない。
聞かなければいい、見なければいい、そういうことには、できなかったよ。毎日毎日。毎日さ、頑張ってみたんだよ。しようとしたんだよ。
でも、痛かったし、怖かったよ。
“くだらない、しょーもない”と言われても、私には、もう限界だった。
心の中の細胞が、壊死したみたいになっちゃって、腐って動かなくなっちゃったしこりができた。切り取って、無機質な何かで埋めるしかなくて、ちょうど、私のからだとおんなじみたいに。
「信じて」くれる人も「いない」のに、馬鹿みたいに図々しく、笑ってなんていられないよ。
守るとか、そんな労力、こんな私に使う必要なんてない。
守ってほしいわけじゃない。守らなきゃいられない存在であるのだとしたら、そんな自分が悪いと思う。
そのチカラは、もっと大事な、「信じてて」「感謝してる」「大切な」人たちに、使ったらいいよ。
だって、そんなキレイで、みんなが幸せで、《平等で対等な世界》は、〈私の目の前の現実〉とは、【イコールじゃない。】
これが水平だという説得力は私にはないし、そもそも、そんな歪んだ世界を見せたくないから、説得するつもりもない。
“鵜呑みにしていない”と何度も言うなら、だったらもう、そんな事実、全部ウソだと思って、何も無かったことにしてくれていいよ。
全部私の嘘で、被害妄想で、かまってちゃんで、歪めてるのは私で。それでいいよ。私に、信じるだけの、日頃の行いが、価値が、足りなかっただけのこと。
ううん。そうじゃなくても、あの発言も、決断も、鵜呑みにしないことも、全部正しいと思う。そうするしか無いと思う。
だから、別に責めているわけでも嘆いている訳でもなくて、本当に心から、正しいと思う。
だけど、全部私の嘘で、被害妄想で、かまってちゃんで、歪めてるのは私、ってことにしたとしても、私ひとりが違って見えてしまっている世界には、い続けることはできない。
歪んでいるのが私の方だって、美しい世界を見ようとしても、ハッキリと突きつけられる現実の、矯正の仕方がわからない。私には、私に見えている現実が、言葉が、態度が、つらい。それだけのこと。
これは私の問題で、だから、どうして欲しかったとか、責めているとか、間違っているとかじゃない。正しい。そうでしかない。そうするしかない。ちゃんとわかってる。
信じてほしかったとか、寄り添って欲しかったとか、味方が欲しいとか、そんなワガママを言うつもりも、そもそも、そんな願望も微塵もないけれど、だったらじゃあ何が望みなんだって聞かれたら全然わかんないし。
だったらどうしたらいいんだって言われても、そのままでいてほしい、幸せでいてほしい、笑っていてほしい、以外の望みなんて何も無いよ。今までも、今も、ずっと。
そういうところが好きなのは、本当だし。
すべてを超えるほどの光なのも、宗教かよってくらいに信じてるのも、幸せなのも、本当だし。
だからこそ、こんな風にうだうだ辛気臭い顔をしてる自分が許せない。
「サイコー!」「楽しい!」「天才!」「かっこいい!」って笑っているだけ、ができないのであれば。こんな顔をしているのであれば。そんな私は、いるべきじゃない。
「邪魔」「消えればいい」「死ねばいい」「早く消えろ」「迷惑」「みんなが望んでる」おっしゃる通りです。まったく。そうだよね。その通りです。って感じ。
別の、私の役割だと喜んでやってきたことも、既に変わりはちゃんといる。
会社と同じで、私がいなくて回らなくなるような組織なんて、この世にひとつとしてなくて、そうやって世界は回ってる。
噛み合わない錆びた歯車は、とっとと捨てて、交換してしまったらいいよ。
もっともっと大きくなるのなら、たくさんの人が関わるのなら、なおさら。
パーツひとつで揺らいじゃうようなヤワな作りじゃないって、そんなの私が一番わかってるけど、だからこそ。
そのパーツが全体の動きを少しでも鈍らせたり、他のパーツを傷つけたり、バランスを崩す可能性がほんの少しでもあるのなら、その欠陥品が私なら、一刻も早く捨ててしまってほしい。
まっすぐな場所に、私だけが歪んでいるその場所が、それでも好きだったけれど、そこが私の居場所だったことは一度もなかった。
その特等席で、私だけが歪んでいて、そこでは見られないのなら、ひとりでそっと遠くで見ていようと思った。
だけど、遠くで見るのはダメで、どうしてもその場所でないと見られない星なのであれば、もういっそ、心の中で思い描くだけでいい。
それでも十分に、私の心を照らしてくれるし、見えなかったとしても、俯いていたとしても、その星が何よりもキレイに光っていることを、私はちゃんと知ってる。
だから、それでいい。
大丈夫。
私はひとりでも大丈夫。
そんなこと、幼稚園の頃からわかってたはずなのに、ちょっと、期待しすぎちゃっただけ。
キャパ以上の、身に余るほどの、幸せや夢を、少し見させて貰えただけ。
楽しくて、幸せだっただけ。それだけ。
願いが叶えられるように、そうなるように生きろというのなら、私はひとりでも大丈夫なように、これからも感情を殺す努力を、ちゃんとする。
誰からも守ってなんかもらえなくても、ちゃんとひとりで立てる場所で、ひとりで暮らしていく。
誰が味方じゃなくても、自分で自分自身を正しいと思えるように、変わっていく。
もう泣かないために、きちんと食べて眠って生きていくために、そのためだけに、生きていく。大丈夫。ちゃんとできる。
大丈夫。
誰かが照らさなくても、キラキラ輝いていて、これからますます、輝きは増していく。
見てくれる人は、たくさんいるから。
ごめんね。
傷つけるだけ傷つけて、結局は何の役にも立たずに捨てられてしまうだけの歪んだパーツで。
期待通りに、戻ることが出来なくて。
頑張らなきゃって思ったけど、もう死んで、切り取ってしまった細胞は、戻せないや。
隠し通すことが出来なくて。
ずっと笑っていられなくて。
本当に幸せで楽しかったのに、要らないところを見せてしまって。
それなのに、近くで見ようとしたりして。
こんなこと、見せたくなかったし、笑ってたかったのに。
ごめんね。
泣かせてしまって。
こんなことを言わせたかったわけじゃないってわかってるのに。
消えないように、救うために、言ってくれたって、ちゃんとわかってるのに。
ちゃんとわかってるのに、望み通りにできなくて。
わかっているのに、こんな風にしか思えなくて。
わかってるのに、こんな風にしか言えなくて。
わかってるのに、またいなくなろうとしていて。
本当にごめんね。
すごくすごく、幸せでした。
これからも、遠くても、
輝く星が存在してくれているということが、今までも、これからも、私のいちばんの幸せです。
本当にありがとう。
これからは、「サイコー!」「楽しい!」「天才!」「かっこいい!」って、キレイな世界だけを見ていてほしい。
ずっと笑っていてね。もっと輝いていてね。
これからもずっと、大好きだよ。
ドラゴンうんち
くっっっっっっさぁぁぁぁぁああ
これ書くのに使った時間めっちゃ無駄だよね