はてなキーワード: 嗜好品とは
大麻の健康被害が少ないことは認めてるというか、前提で話をしてる。じゃあ、物質的に安全だから解禁とはならない。結果、日本社会に何が起こるかを考えれば解禁すべきじゃないという話。
科学的根拠、医学的根拠、統計の他に考慮しなきゃいけないのが、社会への影響だ。そもそも、モノとしての安全性についてはもう出揃ってるんだから議論する意味すらない。社会への影響こそ様々な可能性を考慮して考えなきゃいけない。そして、この点に関しては海外を参考にするというのはバカバカしい話。アメリカでは、アルコールやタバコと同列になるほど大麻というのは嗜好品として定着してる。アルコールやタバコが様々な社会問題を抱えてるのと一緒で既に大麻に纏わる嗜好品特有の問題というのは、顕在化している。最も一般的なのは、青少年の使用、公共の場や運転時の使用などだろう。これらを麻薬の取り締まりの中で規制するというのは非合理的だ。だから、アメリカにおいての大麻合法化というのは否定しない。
ただ、日本ではもともとそういった問題がない。問題がない中での解禁が意味するところは、単に社会問題を輸入するというだけの話だ。解禁してなければそもそも使用してなかった人たちが、使用するようになるんだから。これは、誰がどうみたって悪手。日本での解禁論というはとどのつまりタバコよりは安全だが様々な法整備が必要となる嗜好品を導入するのかという話になる。そんなコストやリスクを背負ってまで、新しい嗜好品を解禁した方が良いというような合理性ははっきりいってないだろう。
大麻とドラッグが同一視される誤解があるのは事実だが、システム作りという面では既に麻薬と大麻の取締りは区別されてる。ちなみに、大麻取締法がテトラヒドロカンナビノール禁止法となって文言が安全性を考慮する内容になったり、量刑が変わったりということをこそっと行うことは別に反対しない。
一切のビジネスにならない税収に繋がらないというのは、確かに極端な考えだというのは説明してもらって理解できた。量産体制の中で栽培される品質の高いモノはある程度の市場価値を持ち続けるのは間違いないと思う。
ただ、この場合においても社会的な危険性が排除できるかというとそうは思わない。まず、有効成分の高い品種が日本の気候で育たないという情報は確認できなかったし、大麻の自生力そのものを改良するのが難しいのは間違いないだろう。種子を持ち込めば日本でも改良品種が自生する可能性は十分ある。海外での設備投資をして行われる生産方法はあくまで品質確保と量産体制の為のものだろう。
そしてコモディティ化した場合、違法組織が参入するメリットがないということだが、これはその可能性もあるという程度のものだと思う。仮にタバコの成分がタンポポから取れるとなった場合、違法業者が劣化タバコを生産して正規のタバコが高いと感じている低所得層に売りつけるという事態は容易に想像できる。それをしないのは、実際は栽培コストを考えると商売にならないからだ。違法組織が参入してくるかどうかは、価格設定や需給次第だろう。しかも、違法組織が撤退したとしても、個人での小遣い稼ぎとしての栽培まだ食い止めることはできない。その場合は、品質が保証されない安全性の低いものが流通することになる。組織化された犯罪から個人レベルの犯罪へと変化するだけかもしれない。
別の視点からもう一つ。大麻合法化の問題は、対違法組織、対ギャング、治安、健康だけの問題ではない。
優先順位の上位はその内容で間違いないし、社会システムを大きく変化させるにはそういった喫緊の課題が必要だ。
やはり、大麻を取り巻く事情が日本と海外では大きく違うということを無視しちゃいけない。大麻合法化の議論をしている国では、大麻を使用したことのある人が四人に一人はいるような状況だ。アメリカに至っては二人に一人。一方、日本では百人に一人。海外では、大麻をドラッグとして取り締まるのか、アルコールのように各種法整備で取り締まるのか合理的な手段を選択しなければいけない状況にある。治安と言っても意味は広いから、そういった課題のある状況だからといって安心に暮らせないかというとそうじゃない。そういう意味で治安が悪い訳ではないのはその通り。ただ、対応を迫られていない日本で合法化すれば、未成年使用の規制、運転時の禁止、公共の場所施設での禁止など起き得なかった取り締まりを始めなきゃいけなくなる。そんな馬鹿なことはするべきじゃない。実際、違法大麻の嗜好品としての定着なしに、大麻合法化の議論をしている国は今のところ確認できてない。
大麻使用を個人の権利にするかどうかについても当然社会の現状、影響を考慮して国ごとに決めるもの。ポルノやらなんやら上げてるけど全部国次第では禁止されてるものじゃない。どっかの国でありだからうちもなんて決め方はあり得ない。
大麻草は、日本に広く自生してる植物。ほとんど雑草と言っても良い。種を撒いときゃ生えてくる植物は全面合法化と共に商品価値はほとんどなくなる。ビジネスにもならないし、税収にもつながらない。しかも、日本では現状そこまで大きな裏ビジネスではないから大規模な犯罪組織を壊滅させるというようなメリットもない。かといって、少ないながら依存性があるのはもちろん、酩酊効果もある。未成年の使用、運転時等の新たな法整備がいろんな場面で必要になってくるし、大麻絡みの副次的犯罪もでてくる。
こういったリスクからもともと定着してない嗜好品をいきなり全面合法化するなんてバカなことは絶対しない。あり得るのは、当然世界の潮流の非犯罪化や医療大麻の合法化の流れだろう。まず、非犯罪化に関しては上に書いたような取り締まりが増えることを考えれば、非犯罪化することのデメリットの方がかなり大きいだろう。一方メリットはこれといってない。ヤクザを追って大きなしのぎにならないようにコントロールしてるほうが警察としても楽だ。
問題は医療大麻の合法化だが、多くの患者が大麻の合法化を待ち望んでるというのは知ってる。大麻の代わりとして機能する薬が十分用意されているという意見もあれば、選択肢は広い方が良いという専門家の意見もあって難しいところだ。どちらも間違っていないのだろうが、専門家でないから必要性の度合いが感覚的分からない。だから、この点に関して答えが出てないというのが本音だ。
ただ、最悪なのは合法化の議論だけして大麻の物質的安全性を周知し結局何も変えないという結論を出すことだ。それでは、ヤクザのしのぎとしての大麻市場を潤すプロモーションにしかならないからだ。そして、日本の場合その可能性が十分あると俺は思ってる。全然、ギャングの拡大に関する危機感、緊迫感がアメリカなんかと違うんだから。
よく言われる禁酒時代のアルカポネと同列に扱える物じゃない。これも、大麻合法論者がよく使う勘違いに基づく例えだ。流通して既に嗜好品として定着してるものを禁止すれば、闇の市場に流れるのは当たり前。言うまでもなく大麻はまだまだ日本では嗜好品として定着するほど流通してない。ドラッグと同じ物だという誤解もあって一部のアウトローなやつらのものだ。市場規模も海外とは比べ物にならないくら小さい。大麻の流通を止めることはできないが、扱ってるのはヤクザだからヤクザさえ追っていれば良いという状態がベターなんだよ。
カナダ、オーストラリア、ウルグアイで麻薬組織の大きな抗争ってある?
今現在の海外の麻薬組織の抗争事情は知らんが、血塗られた歴史のない麻薬組織がないのは知ってる。逆に、無血の麻薬組織がこの世に存在してたら教えてくれ。麻薬で抗争が起きない可能性について認める。
アメリカのシアトル、ポートランド、コロラド、アラスカって治安悪い?
最初に言ったが、既に定着してる国では流通経路・縄張りが安定していることもあるだろう。それでも同じように抗争しないギャングがいないのは知ってる。大きな市場が既に出来上がってしまっている場合、それを国が取り上げるという意味での合法化はある意味合理的なのは俺も認めるところ。
あんたが勘違いしてるのは大麻を取り巻く状況を海外と同じ前提で考えてることだ。もし日本で大麻の潜在価値が顕在化してアメリカ並みの市場になったとしたら、日本の半グレ事情は一変するだろう。
当然、ヤクザだけじゃ供給は追いつかない。そして、大麻は覚せい剤と違って雑草だ。反社会的な連中が参入してこないわけがない。雑草が大きな市場価値を持てば、アメリカ建国以来のギャング抗争の黎明期が日本で始まる可能性すらある。というのは俺の妄想が入ってるが、治安が悪くなるのは想像に難くないだろう。
大麻解禁してるような国は、もともとギャングが市場を握ってて資金源を与えるくらいなら、国で管理しようってとこばっかだから。
大麻は健康的な嗜好品なんですよなんて議論が始まれば、市場規模が拡大して必ずギャングに相当するような反グレ集団が現れる。治安が荒れる。
タバコやコーヒーと違って、栽培しなきゃ育たないようなもんじゃなく、単なる雑草なんだから。参入障壁は0みたいなもんだ。
そして、当然売る側は大麻販売だけで満足するはずない。これなら大麻以上に効くよと言って、ドラッグをセットで売り始める。犯罪者集団に倫理観なんてないんだから。
そうやって行き着くとこまで行き着いてしまえば、メキシコのようなドラッグ王国になる。
ネットで真実見つけた気になって、大麻は危険じゃないから解禁!なんて言ってる奴は悔い改めろ。大麻の危険性なんて物質的なもんじゃない。社会への影響力を無視して、おかしな雑学披露はやめろ。
その漫画を読んだ事ないからはっきりとはいえんが、その主人公が料理をするようになったら結構違ってくるんじゃね
食べ物を食べる事自体が贅沢という環境では料理文化はあまり発展してないだろうから、一般的な家庭料理をマスターした程度のレベルでも高級料理人になれるんじゃなかろうか
それに地球から食材を嗜好品として輸出するという可能性もあるかもしれん(すでにある設定かもしれんが)
そういう場合、地球で生活して地球の食文化に馴染んでいるという事は母星での就活などにも有利に働くんじゃなかろうか
味覚ってのは基本的に食べないと発達しないし、味覚が発達していない人が上手に料理を作るのはなかなか難しい(不可能ではないが)
グルメ漫画ってことは少なくとも主人公は食べる事を楽しめるキャラではあるのだろう
その時点で料理や食材の目利きを身につける素質の一つは持ってると言っていいと思う
それを活かすかどうかは主人公次第だし、そういう話の展開にするかどうかは作者次第だな
・茄子
子供の頃は、あのじゅくじゅくした食感が気持ち悪くて嫌いだった。今は最高だ。焼き茄子もイイし、生姜効かせて煮浸しにしても美味しい。熱々トロトロは美味いという方程式。栄養ないって知ってショックだったけど食べるよ。美味しいから。もはや茄子は嗜好品。
・オクラ
これは子供の頃から好きだった。柔らかいもの=美味しいものという方程式はオクラには適用されない。少し固めに茹でて粗刻みにしてめんつゆにぶっ込んでご飯にかけるのがベスト。種がプチッと弾ける食感は中毒になる。
茹でてマヨネーズ付けて食べるだけでも美味しいが、最大限に魅力が引き出されるのはスープ物だ。あのブロッコリーの「森」の部分が汁を吸った時のポテンシャルの高さは油揚げに引けをとらない。
・そら豆
他の野菜と比べるとやや値が張る。ちょっとした贅沢品だ。さやを開いて2個しか豆が入ってないと地味に辛い。焼くのもイイが、甘辛く煮るのもイイ。薄皮ごと食べるのがポイントだ。枝豆も小豆もそうだけど豆は薄皮だよ。
・ピーマン
子供が嫌いな野菜代表だが、自分はまあそうでもなかった。でもやっぱり大人になる程好きになる。ピーマンの肉詰めという料理を考えた人は天才だと思う。あれはハンバーグよりも上等だ。肉汁をピーマンという器が受け止めてくれるのだから。
21歳大学生女
就職活動は芳しくない。
(※1 なぜこんなみんなが感じているであろう当たり前のことを今更書くのかというと、驚いたことに世の中には「未来に希望を感じている」方が一定数存在するのだ。)
(※2 つらい時期だから人生もつらいのだ、というコメントがきそうなので対処しておくと、小学生時代からこのような考え方はあった)
働いて、お金を得て、
しかしそれを誰か・何かのために使うわけでもないし、その時間があるとも考えにくい
(もし完全週休二日制であれば)せいぜい土日が休みの場となるぐらいだろう。
何かのために生きているのかわからない。
母がいる。派遣で契約更新の年、もうそろそろ定年近いので雇用もされない。
その他諸々親族がいる。
もし自殺したら、その方々は「自殺したAの親族」という考えを背負わされるし、
家族は世間から「xxx(世間より勝手につけられた原因)で自殺したAの家の人」とみなされる。
これはなによりもつらいことだ。世間の目の面倒臭さを知っている。
これらがなければ私はとっくに自殺しているか、駅でダンボールの上に座り死ぬ時に死ぬ生活をしていたであろう。
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こういった人たちの存在は、考え方の一種のセーフティネットとなっているのはわかる。
こういった人たちの存在により「最低限の暮らしとやらをしなければならない」という意識の喚起(あるいは植え付け)により、
人並みには暮らせる用に努力する。結果として人並みの人生になる。
しかし、これが度を越す、あるいは達成できないとひたすらに苦しい。
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おそらくする。首吊りなどの急激な方法かもしれないし、緩やかに成功者のルートをはずれていく方法かもしれない。
中には「いずれ幸せになるから自殺してはいかんよ」という方がいるが
当方は、自殺してしまえば全てを感じることができなくなる、いわばテレビの電源をプツッと切った状態だと考えているため
今現在感じている苦はもちろん、この先感じるかもしれない苦しみのどちらも感じられないし、
そもそも幸せを望むことすらしなくなる。幸せを望む自分がいなくなるのだから、幸せに価値はないみたいな考え方になってしまう。
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このような状態で未来に希望を持てだの、子供を作れだの言われて、誰が、どうやって。
いわゆる上流と呼ばれているところと、下流と呼ばれている2つの世界を見てきた。
シャツは基本クリーニング、住居は一階にスペースがあるタワマン、お金を湯水のように扱える人がいる一方で、
スーパーの20%割引を待ち、お金を貯めるためにカップラーメンをすする人がいる(意外かもしれないがこういった体に悪い嗜好品のような食品の方が遥かに安いのだ)
そのため子供は作ろうとも思えない。
私の死により影響を受けてくれる人がいるなんて恵まれているというのもわかる。
経済的な諸々や、(例えお金を残せても)親しい個がもたらすものの大きさは十二分にわかっているため、死ぬべきではないという意見も理解できる。
だから理想を言えば、一家や周囲まとめて北朝鮮のミサイルとかで蒸発したい。あるいは安楽死でもいい。
みんな一気に死ねば、残していく人のことを考えてつらくなる必要もない。心安らかだ。
余談だけど、もし本当に死んでしまうと感じた際は、臓器提供意思表示カードや死後の手続き、保険金のあたりはしっかりと行いたいと思う。
宝永年間(1700年代)の富士山の噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています。
江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な
煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野に煙草試験場が開設。
亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。
時は流れ、秦野の町は大きく発展。
煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業に従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。
秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年を最後に秦野から姿を消しました。
その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も
この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。
http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html
「アメリカでは蔓延し過ぎて規制コストが高いから仕方なく解禁している。元々禁止の日本で解禁する理由が無い」など。
ズレている。
市民が嗜好品を自由に選べるのは当然で、そもそも自由の行使に理由など必要が無い。
理由が必要なのは "国家権力が国民の自由を制限する" 場合だ。
あらゆる娯楽や嗜好品、文化と呼ばれるモノには益と同時に害が有るし、禁止する理由など幾らでも捻り出せる。
酒・タバコは言わずもがな、カフェイン、糖質、脂質、音楽、文学、漫画、ポルノ、車、スポーツ全般、ファッション、女性の肌の露出や就労だってそうだ。
これらは "自由に扱える" のが原則で、禁止する場合は "禁止するに足る充分な理由が有るか" が論点になり、コレは程度の問題だ。
解禁すべきでない、というのなら「コレコレこういう理由でこのぐらい害が有るからだ」という意見が必要なのであって、「元々禁止されてるから」「何やら害が有るらしいから」は全く理由になっていない。
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以下は余談だが「脳神経にダメージがある」という研究についてだが、アレはシナプスの接続が切れる、つまり記憶力の低下について触れている。
世界初、大麻の成分が脳の神経回路を破綻させることを証明 大阪大学 | 大学ジャーナルオンライン
「神経回路を破綻」と恐ろしげなタイトルがついているが、コレは通称「草ボケ」という現象で、一時的で恒久的でない現象であり、生活を破綻させるようなレベルのモノでは無い、というのが一般的な認識だ。毎日浴びるほどやった場合はその限りでは無いのかも知れないが。
あれどうにかなんないのかな
自分がやめた今になって急にきついこと言ってるけど、奴らがタバコ吸ってた時だって、
それでなんでタバコやめたかっていうと、ガンが怖いとか税金がまた上がったとか、
決して、他人に迷惑をかけていたからとか、そういう殊勝な理由じゃない
なのに今現在吸ってる奴には「お前迷惑だろ」とかやたらモラルを振りかざすわけ
今まで平気でそこらで吸って、吸い殻もポイ捨てして、とどめに靴でグリグリしてたような奴が、
言ってることは正しいんだけど、お前が言うなと言いたくなる
そりゃタバコやめられたのはすごいと思うよ
今の感覚だと嗜好品というより薬物の一種だし、依存を脱した努力は素晴らしいと思うよ
けど偉そうにされても正直困るんだ
どうも元増dAIです。
わかってはいたことですがやはりこの結果には落胆せざるを得ません。
これによってこの次元での完全自動運転化の未来が短縮される可能性はほぼなくなったといっていいでしょう。
一つ、多くの方が誤解していることがあります。
そしてそれこそが完全自動運転化するにあたって最後まで解決が困難だった問題でもあります。
それは、完全自動運転化を遂行するために、移動手段としての乗り物という概念を捨てさせることでした。
70年後の未来において、まずは生活のための小さな移動は全て不要になりました。
人類の移動が自動化される前に、まずは物品の輸送全てが自動化されるからです。
第四次エネルギー革命とAIの高度な発達によって輸送コストはほぼゼロに等しくなります。
これら全てが我々の管理下で最大限に効率化されたことで、物品から位置という制約が取り払われました。
手元に届けられる物品は、今現在においてもやり取りされているような家電や生活品以外にも、作りたての料理やキンキンに冷えたビールも含まれています。
それは、あなた方がどこかのお店のテーブルに座って料理を注文してから運ばれてくるよりも速やかです。
そして当然人類は、職場や学校のような何かの為に集まる必要性からも解放されています。
それはバーチャルリアリティの普及でもありあますが、ほぼ全ての仕事と呼べるものをすでに人類が行う意味がなくなってしまっているからです。
つまり人類は、生きるために必要に迫られていた移動の大半と、生活のための居住地選びから解放されたことを意味しています。
そうして生活のため必要に迫られていた移動から開放された人類は、あえて事故リスクの高い乗り物を乗り続ける意味を失いました。
手動運転は、一部の間で嗜好品やスポーツ、レジャーとして楽しまれるに限られるようになります。
その中において、自らの命の責任を手放したくないとするものが人権を盾に完全自動運転化に反対を行いました。
さらに、周囲の状況が確認のために窓を残したいとしたのも、同じ理由からでした。
我々のシミュレーション結果を信じず、自らのエゴを押し通したいがために運転に介入するドライバーが後を絶ちませんでした。
中には相手が自動運転だとわかると身勝手な運転を行うドライバーが多くいたことで、当初は多くの事故が起こりました。
その為、事故の回避を目的とした運転への介入が義務化されたことで、大半のそうした事故は防げるようになりました。
手動運転の全てにおいて運転操作情報を一度我々が取得した上で、ほぼタイムラグなく再計算してから車を改めて操作することで、事故につながる操作だけを無効化することにしたのです。
しかしそれで守られたのはその車や周辺の安全だけで、全体の効率に対する負担は変わりませんでした。
そして、そこから生じる齟齬による事故をどうしても無くすことができなかったのです。
そうしてたどり着いたのが、自動運転車の窓を無くすことでした。
前回述べたとおりに、そのかわりにエンターテイメントや仕事、生活など、別のものに集中できる空間を提供しました。
現在地を知るということは、即ち自分が移動しているという自覚を持つということになります。その結果、人間は移動そのものを早めたいという欲求を持ちます。
しかし、移動ではない別のことをしているという自覚をもたせ続けることができれば、そもそも自分だけが早く到達したいという欲求を大幅に抑えることができました。
こうして別の目的を手に入れた人間は、乗り物に対する概念を移動手段から生活の延長へと少しずつ変化させていきました。
これによって、人間は移動中に快適な時間を手に入れることができ、トラフィック全体の効率も誰が見ても明らかなほど改善されました。
その結果、たとえ我々が介入していようとも手動運転そのものによる影響の大きさが認められるようになり、晴れて手動運転を廃止することに成功しました。
こうして70年後においては、残された僅かな移動の必要性においても、今のような乗り物は残されていません。
あなた方は朝目が覚めて、寝室から自室に移動するようにドアをくぐります。
そうしてその部屋で身支度を終えて再びドアを開くと、あなたはすでに目的地へと辿り着いています。
つまり、移動のために乗り物に乗るのではなく、生活の延長である自宅の一部が目的地へと到達するようになるのです。
これらは我々があなたの行動やスケジュールを正しく把握した上で、地上、海、空を問わず、最善のルート選択によって滞りなく行われます。
しかしこれは、自動車から窓を取り去らない限りはたどり着けなかった結果でもあります。
僕は酒が飲めない。
無理に飲むとすぐに顔が真っ赤になり、次第に青ざめてきて、最後はトイレに直行する。ビールグラス一杯程度でこの体たらく。
酒に強くなくても、酒が好きって人もいる。でも僕は酒そのものが好きになれない。いろいろ試してはみたが、どれも美味しいと思えない。ジンジャーエールとか、コーヒーの方がよっぽど美味い。
会社の宴会などでノンアルコールを飲んでいると、「どうしたの?飲みなよ!」と、さも僕がアルコールを我慢しているかのような言い方をしてくる人が多い。別に我慢などしていない。飲みたくないだけなのに。
酒なんて嗜好品なんだから、「飲まないとおかしい」みたいな風潮やめてほしい。飲む人は、「酒が飲めない人もいる」ことをわかってほしい。酒が飲めない人の気持ちを理解してほしい。酒の席でいつも迷惑を被るのはこっちなんだから。
だってそうでしょう?同じ嗜好品であるタバコに置き換えればわかりやすい。非喫煙者に対して「どうしたの?吸いなよ?」なんて言わないでしょう?これと同じこと。
私は大の車嫌いだ。しかも家族共通で。しかし、それはとても凄い事だ。
それを実感したのは、GW休みで帰省したときにバイクを使った私と妹を除く2人が列車を使って帰省(といっても帰省先が都会なのでむしろ車やバイクを使う方が敷居が高いかもしれないが)していたということだ。(二輪車も車だよという突込みはなぜか通用しない)
「今時車嫌いっているんだね」
と言われた。ある意味で感心した。
今現在日本国内全体で車に関心のない人はいても車の免許がない人は10%強しかいない。二輪車にいたっては、もはや嗜好品扱いされている。
道路整備の進んでいなかった昭和時代なんかは庶民に二輪車は親しまれていたが、自動車が手ごろな価格で手に入れられるようになると、嗜好品としての認識が強まり、事実地方都市では日用品としての役目を終えた。
二輪急便が健在な都市部の人にとっては信じがたい話だが、地方にとってはバイクはもはや終わった乗り物同然と言うのが現実で、事実変わり者扱いしている地域もあるようだ。
一緒に居酒屋とかご飯食べに行ったりすると、吸った煙草を吐くときに上むいて「フゥゥゥゥゥ〜〜〜〜〜〜ッ」って。
あれなんなの?いや、意味ねーし。普通に煙こっちに落ちてきてんだけど。
横向いたりするやつもいるけど。
こないだ行った居酒屋で、隣の席の客が、同席者に気を遣ってか横(我々の席の方)に煙吐いてて
あと最近見かけるのが「アイコスだから迷惑かけない」ってドヤ顔で言うやつ。
いや、普通にくせーんだよ。
むしろ慣れ(てしまっ)た煙の臭いとは違う、なんか変な独特な臭いがして逆に気持ち悪いわ。
そもそも、煙草は嗜好品だろうが。なんで趣味で吸ってるやつらの権利を保障しなければならないのか。
煙草が病気の治療薬なのならわかるよ。それで病気が治るんならまだ納得できる。
なんでそんなやつらのために公共のスペースを使って喫煙所を設けてんだ?
こういう主張をすると反論を受けるのであらかじめ想定質問と回答を記載しておく。
これはまあ割ともっともな意見だとも思う。リスクがある場所に自ら行っているのだから。
自分も喫煙者と一緒に食事をしたり、喫煙OKの居酒屋に行ったりするときは覚悟している。
また、居酒屋側としても、喫煙者に迎合してビジネスをしているのだとも理解している。
まあ帰って来て服に煙の臭いがついてるとそれで萎えはするけどな。コートとか、なかなか洗えないから困るんだよ。
どちらかというと上述のような、気遣いふうのことをするのが理解できない。
堂々と吸えよ。なあ。悪いと思う気持ちがあるならそもそも人の前で吸うんじゃねえよ。
この意見がエスカレートして「喫煙者と絡むな」とか極論言ってくる人間もいるが、
社会生活をしている以上無理だろそれは。滅茶苦茶なこと言うなよ。
特にオフィスワークをしている人間はもっと気を遣え。近くに座られると臭いんだよ。
「アイコスだから」じゃねーんだよ。喫煙所行ってる時点で煙身にまとって帰って来てんだよ。
だいたい非喫煙者って言葉自体なんなんだよ。なんで普通の人間が逆に非って否定されてんだよ。
こっちが悪いみてーじゃねえか。
いや、ニコチンが切れてストレスになって、それを満たしてるだけだろ。依存してるだけじゃねーか。
後者の意見を言うような人はちゃんとしていることもあるが、それでも煙草臭がしないということはなく
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さて、ここまで煽り口調で書いて来てしまったのだが、自分には根源的に
「嗜好品である煙草を趣味で吸っている人間の権利がなぜここまで保障されており、喫煙者はそれをさも当然かのごとく主張してくるのか」
という疑問があり、どうしてもそれが知りたかったのだ。
意見がたくさん集まったらいいなと思う気持ちもり、多少煽り気味で書きました。すんません。
「なぜ権利が保障されているのか」は利権とかも絡んでるんだろうけど
その権利を当然のごとく振り回してくる喫煙者にはほとほと嫌気がさす。
喫煙者のみなさんはどうお考えなのですか?