はてなキーワード: 嗜好品とは
便乗して自分語りさせて。
私もソシャゲが肌に合わない派。
ただ増田みたいに「重課金すれば簡単に手に入っちゃうのってどうなの」とは思わない。
というか、それでソシャゲがつまらないと思ってるわけじゃない。
最初に金払って、パッケージされた商品を買って消費(クリア)して、ああ美味しかったっていう満足感だけ残す。
でもソシャゲってそうじゃないんだね。
課金という手段もあるけど、毎日コツコツ同じ事やるのが楽しいんだって?
私は仕事から開放される為にゲームをやってストーリーの展開や、難易度にワクワクしたい。
でもソシャゲは同じ事を繰り返してたまに起きるイベントや、ガチャでレアをゲットして喜ぶんでしょ?
それってただの日常じゃん。毎日同じ事してたまにいい事あって喜んでって。私は絶対楽しくない。
ここまで書いといて何だけどソシャゲをほとんどやった事ないから、どんな物かよく解ってないんだけどね。
何が言いたいのかと言うと、私からするとソーシャルゲームはエンターテイメントじゃない。
ルーチンワークっていうか。
ルートビアは甘草の味ですよ。漢方系薬局で甘草売ってますし、成人してるならお酒、そうじゃないなら冷凍保存物をお湯につけて抽出して飲めば体にもよいでしょう。園芸種のリコリスもあるけど食用じゃないから薬用のほうを庭にうえたっていいじゃん。http://junryoku.com/
ちなみにしょうが味(ジンジャーエール、ガリ、ジンジャークッキー)とかシナモン味(コーラやアップルパイ、ニッキ水、京都のひやしあめという飲み物)など他にも嗜好品としてうけいれられている薬草はある。その人がうまれつき体質の弱いところを補ってるという考え方ができる。黒胡椒もうこんもバニラエッセンスもチョコレートのカカオももとは全部「薬草といわれていた植物」だしな。
あ、大麻はアウトだよw
俺男だけど飲みたい薬が飲めないことがあるらしいのがきついと思うわ。
けれど今回、前略プロフィールは、死去の2ヶ月前に「9月30日をもってサービスを終了します」と、言うなれば「死亡予告」とでも呼ぶべき知らせをくれた。
心の準備をする時間をくれた前略プロフィールには、感謝すべきなのだろう。
前略プロフィールは……いや、こんな形式ばった呼び方はよそう。私や周りのみんなはいつも君を「前略」と呼んでいた。私たち平成1ケタ台生まれは、「前略」と聞けば「草々」ではなく「プロフ」を思った。ちなみに「道の上より」を思うのはオッサンかオバサンだ。
前略、君は単なるプロフィールサイトではなかった。現在ではツイッターが「バカ発見器」の名を欲しいままにしているけれども、元祖バカ発見器とまではいかなくとも、バカ判別機の役割を担っていたのは君だった。
私たちは【性別】の欄に「パコられる方??ワラ」、【嗜好品】の欄に「↑何て読むか分からン??」と書いてあるのを見て、関わってはいけないレベルのバカを判別していた。
【兎に角主張したいこと】の欄に「ゲスブ荒らすな〓怒」と書いてあるのを見て、「ゲストブックを荒らしているのは明らかに機械的な存在なのに(当時botなどという言葉は知らなかった)、荒らすなと書いたくらいで収まるわけがないだろう」と呆れていた。
【住んでいるところ】の欄に
「一商/二工/三高/右商/左工/中高/東商/西工/南高/北高……」
なんてずらりと近隣の学校名を記し、少しでも多くプロフ検索に引っかかろうという意思(当時SEOなどという言葉は知らなかった)を見せていた出会い厨も、
【ここだけの話】の欄に「ぅちが悪いんですヵ??笑」と書き、「恋愛面で何かしらのトラブルがあり、納得できずやや立腹している」ことを遠回しに伝えていたギャルも、みんな君の死を悲しんでいるに違いない。
みんなお菓子の「カラムーチョ」を食べる度に、【絡むーちょ】という微妙にスベっていた項目名を思い出して切なくなるはず。
君の仲間たちも駆けつけてくれたよ。@peps!、モバスペ、decooリアル、CROOZブログ、デコログ……。みんな、突然の報せに驚き悲しんでいる。
フォレストページさん、mixiさん、GREEさん、モバゲーさんからは弔電が送られてきたよ。
ちなみにモバゲーさんの会社の上司は今とても多忙で来られないと言われていますが、落ち着いたら出どころ不明な長い文章を書いて寄こしてくれるそうです。いかがでしたか?
それからTwitterとfacebookも弔文を送りたかったみたいだけど、断っておいたから。だって前略がこうなってしまったのは、あいつらの責任でも……、やめよう、こんな話。ごめん……。
前略が遠くへ行ってしまったことは、2ヶ月経った今もまだ受け入れられない。でも、しょうがないんだよね。永遠なんてないと分かっているはずなのに、インターネット上のコンテンツにはつい永遠を求めてしまう。
君のことは一生忘れない。「前略」と言えば「プロフ」を思い出す世代がオッサンやオバサンと呼ばれるようになっても。老人になって、カラムーチョが食べられなくなっても。
息を引き取るその瞬間は、「人生の中で、“兎に角主張したいこと”って何だったかなあ……」と考えながら君の待つあの世へ向かおう。
前略で始まる文章は世の中にたくさんたくさんあるけれど、前略で終わるのは君に宛てた文章だけだね。
さようなら、前略。
<終>
もう今では、餅を販売することも、自宅で作ることも所持も許されない。違反した人には、懲役3年以内の刑に処される。
禁止された理由は簡単。過去に多くの人が餅で喉を詰まらせ、餅が人を殺してきたからだ。
俺自身もまさか餅が規制されるとは思ってなかったが、様々な運動や事件が(餅規制派にとっては)うまくハマってしまい、餅が規制されることになった。
きっかけは、ある自治体が住民に対して、野外での餅つきを禁止したことだった。
これは、表向きは集団食中毒を防ぐため、とのことだったが、明らかに餅による死亡事故の責任を負いたくない自治体の責任逃れだと批判が集まった。
この時の世論は、「餅つきは日本の伝統。できないのは残念だ」という思いがほとんどであった。
このニュースが全国ニュースで流れ、はてぶで炎上し始め、餅つき禁止はおかしい、伝統を守れ、という意見が流れ、抗議集会が各地で開かれることになった。
趣旨としては、餅つきという日本の伝統を守り続けるために、衛生管理をしっかり行い、みんなで餅つきをして安全性をアピールしようと言ったものであった。
しかしながらこの集会が最悪の結果になってしまった。全国20か所で行われた餅つき会において、餅で喉を詰まらせた死亡事故が15件発生してしまった。
この最悪な事件は、先のニュースもありショッキングな事件として大々的に報道された。
まず餅の喉詰まらせによって家族を失った被害者団体が結成され、とても大規模な人数となった。
毎年食べ物で喉を詰まらせて亡くなる人は5000人弱いるが、そのうちの20%近くは餅によるものである。
それが毎年起こるのだから、被害者団体が大規模になるのも、当然である。
被害者家族たちは、
「餅を詰まらせて亡くなった時は、とても残念に思った。餅を食べる際の不注意が原因なので、仕方ないと諦めていた。」
「今思えば、餅を食べなければ死ぬことはなかった。こうした憤りをどこにもぶつけることができず、当時は苦しんだ」
それとは別に、政界の方でも、与党への支持率の高さに少しでも攻撃材料が欲しい野党らが、こんにゃくゼリー規制の時の議論を引き合いに出し、国会審議に持ち込んだ。
趣旨としては、「なぜこんにゃくゼリー規制の際に、30倍もの危険性を持つ餅を規制しなかったか。」とのことだった。
海外では餅は、サイレントキラーと恐れられ、内閣府の食品安全委員会が発表している「食品による窒息事故についてのリスク評価」でも、お餅は最も危険な食品のひとつとされており、お餅はこんにゃくゼリーの30倍、飴の5倍ほど窒息事故の頻度が高いことが知られている。
こうした危険性を認知していたにも関わらず、規制に乗り出さなかったのは怠慢だと攻撃し始めた。
これらの出来事をきっかけに、「伝統か人命か」という議論が巻き起こることとなった。
被害者団体は、「伝統を守るためなら人を殺してもいいのか?」をキャッチフレーズに、餅規制の署名を100万人規模で集め、国会へ提出された。
どんどん大きな動きとなっていく中、与党では何かしらの餅に対する規制を検討すると発表した。
当初の案では、特に死亡事故が多い10歳以下の子供、60歳以上の老人を対象に、家族等がいない状況での単独での摂取を禁止する方向であった。
また餅パッケージの1/3以上に危険である旨を表示することも義務付け、餅税などを検討していた。
しかしながら、年内に結論が出ず、翌年の国会に持ち越しとなった。これがまずかった。
来年以降餅が規制されるかもしれないとの危機感から、いわゆる駆け込み需要が起きた。
特に60歳以上の老人が餅を買い込み、大量に消費した。無理もない。今まで習ってきた日本人の伝統が規制されようとしていたのだから。
その結果、その年始で餅を喉につまらせて亡くなる人は例年の3倍以上、1000人にも上った。
事態を重く見た国会は、急かされるように1月中に餅規制法案を可決。60歳以上の人は、家族同伴、もしくは一緒に食べる人がいる証明がないと餅が買えなくなってしまった。
また餅を食べられるのは10歳以上ときまった。餅の消費を抑えるため、もち100gあたり30円の税金も課されるようになった。
こうして餅に対する初めての法規制ができてしまった。それ以後は雪崩式のように規制が強くなっていった。
税収増加も目的として、餅税が徐々に上がっていった。その結果、餅は嗜好品になり、タバコや酒と同じような扱いになっていった。
他にも色々あったが、徐々に餅を食べる伝統が失われ、餅を食べる危険性だけ目立って攻撃されるようになった。
かつては危険性があっても伝統だから、という理由で見逃されてきたが、それもなくなり、とうとう10年前に餅は全面禁止されてしまった。
寂しいような気もするが、どうしても餅が食べたいという人は、新しく開発された、詰まりにくい合成餅で我慢している。はっきり言って合成餅はマズイ。
だけど完全に餅がなくなったわけではなく、たまに餅所持の現行犯で逮捕された、というニュースが出る。
「日本に行けばお金が稼げる。そのうえ先進国の技能や技術、知識を身に着け、故郷に凱旋して自国の発展に貢献できる」
そう聞いて、幼い頃からの憧れだった日本に行けるならと、あまり深く考えずに多額の借金をして日本へ飛び込んだ。アジアのなかで欧米列強に肩を並べるほどの豊かな国を築くほど優秀で、かつ、未曾有の天災が起きても一致団結できるモラルの高い日本の人びとに、最親日国の友として色んなことを学びたいと思っていた。
そんな思いでやってきた自分が置かれた状況は、予想だにしなかったものだった。
彼ら日本人は、私達のパスポートを取り上げて「言うことを聞かないと強制送還だ」と言い、技能や技術、知識のまったく身につかないキツい労働を半ば強制的に押し付け、最低賃金を下回る報酬しか払おうとせず(未払いやサービス残業も横行)、「外泊は直ちに強制帰国、違約金50万円」や「恋愛は警告。聞き入れない場合は違約金20万円」などという独自のルールを作り、私達の人としての権利を縛った。
この状況に愕然とした。日本の人びとは日本人同士で助け合うものの、外国人(途上国限定)を人として扱ってくれなかった。彼らを友だと思っていたのは自分だけで、彼らからすれば農耕馬かなにかと同じ感覚だったのだ。
騙された。
いや、正直安い労働力として期待されていることは承知していたが、人として接してもらえないとはゆめゆめ思わなかった。
もちろんなかには制度の趣旨を理解して高い技能を伝播してくださった企業や、友として接してくれた人びともいたようだが、それはほんの一握りで、日本は国際社会(国連や国際労働機関)から再三の是正勧告を受けてもなおこの人権侵害、労働の強制を続けていった。
知っていたら絶対にこんなところに来なかった。
そんな過酷な環境に耐えきれず、失踪する者があとを絶たなかった。失踪者たちはパスポートも労働の許可もないまま窃盗などの犯罪グループに加わった。かばうつもりはないが、彼らには借金があり、もはやそこしか逃げ場がなかったのだ(※日本に来るためにブローカーなどに借金をするが、その額は母国で何十年働いても返せる額ではない)。
年々我が同胞の犯罪の検挙数が増えていくとともに、日本人の私達に対する態度や扱いはますます厳しいものになり、ますます失踪が増え・・、という憎しみのスパイラルに陥っていった(※2016年は国籍別で中国を抜いてトップの犯罪検挙数・検挙率となった)。
そんな両国の関係が悪化していく状況のなか、犯罪に走ること無く三年間の労働期間を終えて母国に帰った自分に残されていたのは、人を罵る日本語「バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ」、それだけ。結局、金も技能もなにも残らなかった。朝から晩まで会話を必要としない農作業で、宿舎と言う名のブタ小屋共同生活も同胞だけの暮らしだったので語学を学ぶ機会はなかった。それに、好きになれない国の言葉を積極的には覚えようとはしないだろう。
いま思えば、人生でいちばん伸び盛りの時期に、なんて無駄な時間を過ごしてしまったのだろう。どうしてあのときに日本になんか行ってしまったんだろう、そう深く後悔したものだ。
それから10年、我が国は経済成長5〜7%前後を毎年キープし、安定的な発展を遂げた。多くの人々が一家に一台自家用車を持ち、家電や嗜好品を買い求めるようになった。運良くこの成長の波に上手く乗った私は、不動産で財を成して国内トップ20に入る資産を築いた。政府関係者とも太いパイプを持つことができ、国政にも多少の影響力を持つようになった。
この一億総中流の消費市場で躍動しているのは、中国、韓国、そして欧米各国の企業だ。クールジャパンの実態はただの冷徹な日本人だったことがわかり、ASEAN諸国からの「憧れ」を失った日本のブランドは各国で輝きを失い、次第にシェアを落としていった。
日本企業は自国の市場が縮小していくなか、アジアの成長する市場でモノを売っていくしか生き残る道がないことを誰もが分かっていたはずなのに、あのとき私達を隷属させた代償として自らのブランドを毀損し、その機会を逸してしまったのかもしれない。
新聞でチラッと読んだが、高齢化がより一層進んだ日本では社会保障やら国防やら国政の課題もさることながら、屋台骨だった自動車産業が米国IT関連企業に食われるなど、経済もいろいろ大変らしいがそんなのどうでもいい。
日本と聞いただけで、あの奴隷主のように振る舞う日本人を思い出して気分が悪くなる。もう二度と行くこともないし、とにかく日本にも日本人にも関わりたくない。日本のプロダクトは一生買わない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
この「飴をくれる危険な大人」というイメージは、割と昔からあるようだ。
1968年製作の映画「チキ・チキ・バン・バン」では、とある悪役が子供をさらうために、餌としてアメを用いているシーンがある。
まあ、もっと探れば歴史がありそうだが、少なくとも「飴をくれる危険な大人」というイメージは、1968年あたりから既に確立されていたというのは確か、だというのが私の見解だ。
正しさというものは多側面から見ればいくらでもあるので、側面的に見なければ齟齬をきたすからさ。
恋愛工学とかで考えた方がいいことに数学を持ち出して、その数学的な正しさが破綻していなくても適切とはいえないだろう?
まあ、一つは「大義名分」だな。
だから、税を徴収したいとき、そういうものは増税の対象として都合がいいのさ。
まあもう一つの理由は、身も蓋もない言い方をすれば「それでも買う人がいる」からだな。
過去にも何度か増税があったが、今なお多くの人が愛用している。
つまり、たくさん税を手に入れられて国は喜ぶ、喫煙者や酒飲みの肩身が狭くなったとして善良な市民も喜ぶ。
Win-Winというわけさ。
誰かが好きかもしれないものを 地雷 という言葉で切り捨てネガる人が嫌だ
その人が地雷と呼ぶ カプ、キャラ、シチュが好きで作った描いた呟いた人はただ自分が楽しみたくて作った。
或いはこれを好きだと言ってくれる誰かに向けて、それを共有したくて作った。
嗜好が合わない人に向けて作ったわけじゃない。嗜好が合うひと、自分に向けて作った。
それを地雷だとネガったりする人間のために作ったわけじゃない。
合わないのであればそれはその人間のために作られた嗜好品ではなかっただけ。
つまり地雷地雷とネガるその人間なんかはなっからお呼びじゃないんだ。
地雷を叫ぶ人はまるで自分が被害者だと勘違いしてるように見える
まるで髪を掴まれておさえつけられて無理やり喉に押し込まれたかのようにネガる。
たとえ本を買って、気に入らない話があったとしても、その使ったお金はただ本の情報を得るための費用でしかない。
同じこと言っちゃうけど、合わないのであればそれはその人間のために作られた嗜好品ではなかっただけだ。
地雷と呼ぶそのカプ、キャラ、シチュが存在するだけで自分の好きな萌えは汚されるんでしょうか。
地雷程度で吹き飛ぶ萌ならその程度の萌えだったんじゃないんですかと。
先日、「週刊金曜日」という雑誌に「ひろがる香害」という記事が掲載された。
やっと…という感じである。
イソシアネートの毒はトルエンの一万倍も酷いという。
他社ではあまり大きく取り上げられなかった。
というより、各新聞社が「取り上げない」のだ。
P&Gに至っては、行政機関から成分の質問をされても隠したくらいだ。
なんとも恐ろしい。
最初から「なんとなく体に悪そう」といって、全く使ってなかった。
彼女達の勘は素晴らしいと思う。
自分の健康も徐々にむしばまれていく…そんな生活用品を売る企業ってどうかと思う。
ちまたに売られていたら、安全だと普通の人は思ってしまうだろう。
身を守って欲しいと思う。
そして、拡散してほしい。
しばらくスルメにはまっていて、毎日の晩酌時にはスルメイカをトースターであぶって、マヨネーズと七味で食べていた。
昼間は昼間でグミを切らさずに食べてて。商品名忘れたけど、ちょっと固いやつが結構好きだった。
ふと思ったのだけど、ただ単に「噛みごたえ」だけの嗜好品があったら結構いいんじゃないか。
味とか栄養とかいらなくて、ただ噛むだけ。食後の爪楊枝が果たしている役割に近いかもしれない。栄養も味もなにもない代わりにはき捨ててもいいし、飲み込んでもそのまま排出される。
それか、飲み込んだあとは体内を掃除してくれるようなものでもいいけど。