はてなキーワード: 他の方法とは
遺伝子組変わるとかそう言うことじゃなく、2回目の摂取の副作用がめっちゃしんどそうで怖い。
普通に生きてたら、あと50年は寿命があるはずなので、将来ワクチン起因の病気が発現したらと思うと怖い。
何より、万が一ワクチン起因の病気が発生した場合、先んじてワクチン摂取したお医者さん達の方が先に重症になって、私たちを助けてくれる人がいなくなったらどうしようって考え始めたら、不安で暗黒面に落ちそう。
でも、(実際の真偽は別として)コロナの件でウィルスによる攻撃が可能なことが証明されてしまったわけなので、今後は従来ではあり得ないスピード感でワクチンを作ることもあるだろう。
万が一ワクチン起因の病気が出ても、世界が滅亡する前に新しいワクチンや治療法を探してくれるに違いないと信じないと、きっと他の方法で私たちは滅びてしまうんだろう。早く慣れないと。
幸いまだコロナにかかってないが、息ができなくなるのが怖い。
もしもコロナになっても、医療が逼迫してて、すでにお医者さんや看護師さんが命の選択をして、もしも私のことを諦められたらと思うのが怖い。
相手が悪くないのはわかってても、自分が苦しいと助けてくれた人を恨んでしまうのは実体験としてあるので、疲れきってる医療従事者の人を責めてしまいそうで、自分自身も怖い。
(ものすごく痛い治療をして、すごい!我慢できましたね!って言われた瞬間、褒めてくれたのにこいつだけは一生許さないし、ぶん殴ろうかと思ったことがある。治療のおかげですぐよくなったので、痛みが引いた後はとても感謝した)
美味しいもの食べに遠出したいし、呑み屋にいきたい。オリンピックのチケットは当たらなかったし、スポーツも興味ないけど、開会式すごい楽しみにしてた。コロナ怖いから、正直オリンピックやってほしくないけど、今年しかチャンスのない人たちのためにどうにかしてあげたい気持ちもある。
でも、出かけたりオリンピックをすると医療従事者の人たちが苦しむんだよなって思う。
場合によっては危険なところに行くこともあった。世の中のためといえど、他人のために命を危険に晒すくらいなら、頑張って養うから退職してくれないかなって思ってた。
東北の震災で、最後まで防災無線をして亡くなった女性のニュースを見てから、さらに強くそう思うようになった。
そういう人たちがいないと世の中が成り立たないのはわかっているけど、私の家族だけはその他大勢でいてほしい。本人に強い意志があったとしても、どうせいつかは不慮の事故や病気で死んじゃうとしても、私からしたら見知らぬ他人の命より家族の命のほうがとても重くて大切。
もしも私の家族に医療従事者がいたら、今すぐにやめて。しばらくバイトでもニートでもいいからやめて。って言ってしまう気がする。
でも、みんながそうだと、いつまでもコロナが終わらなくて、ずっと苦しむんだろう。
今最初に助けないといけないのは、医療従事者の人たちで、私は勇気を持ってワクチンを打ってもらわないといけないとは、思ってる。思ってるともさ。
でも、ワクチン怖いな。打ちに行くとき、朝泣きそう。ただでさえ、注射嫌いなのに。
私がワクチンを打つ日が来たら、ぜひ私を褒めて優しくしてほしい。摂取会場に行くために靴を履いた時点で褒めて欲しい。打ち終わって泣いてたら、そっと放っておいて、冷蔵庫にケーキとビールを入れておいて欲しい。頼むよ。
思い出した
おにぎりくれっつって泣いてんのに花で誤魔化されて泣き止む描写が大嫌いだった
泣き止むわけねーだろ食欲バカにしてんのか
作中のお父さんが花を渡さざるを得ない状況だったのはわかる
お父さんの愛で泣き止んで感動のお別れにしたかったのもわかる
でもその辺で摘んできた花ごときで泣き止むのが本当に嫌いだった
作者が「子供なんて空腹でも花で誤魔化されるくらいちょろい存在」って思ってるのが透けて見える気がした
いやそこは他の方法考えてよ作者
花じゃ空腹に打ち勝てないよ
こんなもんでええやろ的な手抜き感がして嫌なんだよな
子供なりに空気を読んだ、とかならわかるんだけど、それまでの文章に主人公が空気を読める描写が無いんだよね
それどころか「赤ちゃんだから本能のままにちょうだいちょうだい言う」描写しかないんだよね
思わず泣き止むほど花が超珍しい時代だった、とかでもいいんだけど、そこら辺からパッと摘んできた花なんだよね
あー嫌いー
でも当時それを伝える語彙力が無くて、普通に戦争はいけないと思いました的感想を書いてた
ちいちゃんのかげおくりはそういう「こんなもんでええやろ感」は無かった気がする
「実は主人公はコスモスの花を好きになる素養があり、父親からコスモスをもらった瞬間その花を何より好きになり興奮して笑った。成長後の主人公の家の周りに生えているコスモスは主人公が植えたもの」とかなら…いや、その場合だとコスモスを好きになる素養の描写がないからだめだな…
まだ幼いのかな?もしくは引き籠りなのかな?
やりたいことだけやって生きていけるほど世の中甘くないぞ。
自分にとって必要かどうかで置き換えてもいい。裸踊りが必要だとおもったらやればいいし、必要ないと思えばやらなければいいだけってこと。
部下に裸踊りをさせるクソ上司に嫌われたくない、可愛がられたい、と思うなら上司の言う通りに、いや、むしろ積極的に裸踊りやりゃあいいだけ。
上司に嫌われたくない、可愛がられたいけど、裸踊りしたくないなら、他の方法考えろ。金渡すとか女渡すとか、仕事で役立つとか。
それができないなら会社とは合わなかったってことで辞めるしかない。
裸踊りを完全に強要してくるような、やらなかったら埋められるようなヤバい集団とかだったら、逃げ出して警察行くべきだけどな。
弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
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「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
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「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
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あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
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弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
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あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともと赤木智弘氏がフリーターという就労状態をもとに立ち上げた切り口で、基本的には「属性弱者派」のうちの
「経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
https://anond.hatelabo.jp/20210302093544
を読んだりその反応を見たりして確かに「(内心で)嫌う自由」と「(偏見に基づいて)嫌いだと口にする自由」は違うなぁと思って「自分はどうだろう?」と自分のブクマを見返してみたら、
割と嫌いだと口にしていて反省した。
みんなはどう?自分の嫌いな物や人に対して、「嫌い」の気持ちをどう処理してる?
はてな見てると割と嫌いと口にしてる人が多いし多そうだと思うけど、どうだろう?
他の方法で発散してる人とか、そもそも嫌いな物がない人も居たりするんだろうか?
ネトウヨ、はてサ、男、女、フェミ、アンチフェミ、うっせぇわ、老害、マスコミ、ゲーム、オタク、萌え絵、BL、腐女子、百合、百合豚、Vtuber、与党、野党、保守、リベラル、何でも良いけど、嫌いな気持ちをどう処理してるか聞かせてくれ
本のことを考えるのだとしたら、やはりあの建物は駄目だろう。
確かにたくさんの人の目につくような戦略を考えて色々な方法を取ればいい。
どこぞの駅には自由に持ち込み、持ち出しできるコーナーがあったなんて話も聞く。
そういうのでなくても、広告を打つとか元増田の言うような公共園に置くなんていうのもありだと思うぞ。
だけど、そこに図書館(図書室か)が作られ、そこにたくさんの本が置かれるとわかっていながら
本の保管性を無視するのはあまりにも本のことを考えていないでしょ。
図書館だっていくつもある「たくさんの人にひとつの作品を届ける戦略」のひとつなわけで。
「図書館という形態自体が古臭くて無意味だからこんなのやめて、もっと雑に広く届けろ」という意味で言ってるのなら一理あると思うよ。
でも「図書館は図書館で必要だけど他の方法を模索しよう」という論なのだとしたら、
ごめん、長々と書くだけ書いてうまくまとまらんかった。
コロナが始まってからそろそろ一年ぐらい。そろそろ自粛したくなくなってきた。
頭では自粛しないとと分かってるけど、感情的に、もう嫌になってる。
本当は、尾身会長とか菅首相に聞かなきゃいけないんだよね。日本医師会とか岩田教授とかでも良いのかもしれないけど、知り合いにそんな人いない。
けど、なぜかここには医者がいて、如何に医療現場が大変か語っているから、ここで聞けば少しは可能性があるかなと思って書いてみる。
気軽に人とご飯に行かないようになった。赤ちゃんがいる人は誘わないし、よく行く人とも回数はかなり減った。
忘年会や新年会もないし、歓迎会や退職パーティみたいなのも無し。
普段会ってない人と会わないべきだと思うから、学生時代の友人とは会わない。懐かしい人と会っても、軽くお茶して終わり。
「30歳記念で何をすべきか」みたいな話で盛り上がった時に、先輩に言われた「10万越えの風俗行った」って話が気に入ってたから、俺も30記念に超高級店いってみたいなと思ってたけど、誕生日過ぎてもまだ行ってない。
こういうのって、一つ一つは我慢できるし、無ければ無いで「まぁ、しゃーない」って簡単に諦められる程度の小さな楽しみだよね。
だけど、それを一年ずっと我慢しててると、「あれ、最後に楽しかったのっていつだっけ」ってなる
で、「結局、何のために自粛してるんだっけ」って最近思うようになった。
老人が自粛するのはわかるんだよ。症状重いからさ。でも、俺は罹っても問題ないんだよ。どうせ無症状でしょ。まぁ、運が悪ければ人工呼吸になるのかもしれないけど、それは相当運が悪かったって諦められる。
菅首相も「若い人は軽いけど、大切な人のために罹らないようにして」って言ってたし、他の医者も同じような感じだよね。
俺は大切な人と会わないんだから、問題ないよね。大切な人がいるような人とは飲まないし。
でもさ、菅首相も自制しろっていうし、今日なんて岩田教授が「成人式行くな」って言ってるよね。
で、その誰かはどうやって俺に返してくれるの?
もしかしたら、「病院が大変になったら、お前も医者にいけないんだぞ」っていう人がいるかもしれないけど、ここ10年でまともに病院行ったのなんて健康診断か歯医者ぐらいだから。
若い、俺みたいに罹っても問題ない人間が、自分を犠牲にして誰かを助けてる。
その犠牲に対する見返りが無いよね。そろそろもう自制心だけで我慢するのが嫌になった。
それなのにさ、最近よく聞く「なぜ民間病院は協力的でないのか」みたいなやつの理由が、赤字になるからとか、重症になった時のリスクが怖いからっていうよね。
この人もそう。https://anond.hatelabo.jp/20210109182629
でもさ、俺は個人的な利益よりも公共の利益を優先してるんだよね。
医師会の会長とかも「他人のために」みたいなこと言ってたよね。
なのに、自分たちは個人的な利益を追っちゃうんだ?俺が我慢してるのバカみたいじゃない?
もしかして、「俺たちは利益がないと動かない理性的な人間だけど、大多数は感情論で動くバカ」みたいに思われてる?
しかも、俺みたいな人に感謝してる人って見たことないんだよね。
「自分を犠牲にした協力に感謝します」みたいなこと誰か言ってる?「自分勝手な若者が」って言葉ばっかりじゃない?
今日も「成人式に行くやつは自分で状況判断できないガキ。大人なんだから自制しろ」って岩田教授がブログに書いてたけど、こんなのしかなくない?
今まで散々我慢してきて、更に一生の思い出を我慢しろっていう。大切な人のために。
俺だったら、徹夜で飲んで、両親に会わないでそのまま家に帰るね。
実家住みだっていうなら、親と会わないように、親が自制すればよくない?
でも、実際には「若い奴は自制できないんだからそういう場に行くな。大人になってそんなこともできないのか」みたいに後ろ指を指されてるんだよね。
それか、良い話を持ってこない?「これをしてくれれば、もっと得ですよ」って。
言うことを聞けっていう交渉はおかしいよね。大人どころか、対等な人間扱として扱ってないよね?
でも、しなきゃいけないとも思ってるからさ、誰か利益を教えてよ。
俺だってしたいんだから。でも、止めちゃえば?っていう悪魔のささやきが止まらない。
天使のささやきを、だれかしてくれよ。
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追記:
朝起きたらものすごい数の反応があった。
これ書いてる間に増えた分は読めないけど、それ以外ははてブも含めて全部読んだよ。
みんなの考えを教えてくれてありがとう。俺を止めたいって色々な理由を教えてくれてうれしいよ。
俺の考えを言う前にまずはそこに感謝したい。
で、
色々な反応を見て感じたのは「やっぱ利益無いんだな」っていう感想だった。
まず、「お前が思うより後遺症が大変だよ」っていう人多いけど、菅首相とか医者の偉い人が「若者には被害が少ないです」って言ってるのに、なんで「被害が多いよ」って諭してくるのかわからないわ。
どこ情報?っていうか偉い人はそれ込みで被害が少ないっていってるんじゃないのかな。
俺は偉い人のいうことのほうが信頼できると思うよ。
だから、上で書いたように、俺はコロナを凄くやばいと思ってない。
そりゃ、リスクはあるけど、交通事故が怖いから車運転しないとか、落ちたらやばいから飛行機に乗らない、とか考える性格じゃないから。
それは利益じゃないんだ。
あと、「利益でしか動けないなんて、倫理観が欠如している」みたいな言われ方には、悲しくなったよ。
しかも、そういうなら、まず民間病院に言ってくれよ。「医者は損してでも市民を助けろよ。お前らが規制産業として市場の圧力を受けないで利益を得られているのは公共のためなんだぞ」って。
医者が個人的な利益をとるのに、俺は個人的な利益をとろうと考えることすら許されないのかよ。
そりゃ、おかしいよ。
色々見てたら、選挙権以外に政治とか高齢者と交渉する力ができたんだなって思った。
「若者を優先した施策をとってくれたら、行動減らしてやるよ」って言ったら日本動かせそうだよね。
それはうれしいなぁ。そのために積極的に動くっていう動機付けは悪くないな。
あと、「お前もう30だぞ」っていう言葉は意図とは逆に刺さったわ。
俺、30超えたんだな。一昨年は、30やばいなって話してたけど、マジで30越えのやばさの自覚無く超えてた。
もちろん、「30超えても変わらねーよ」っていう話は聞いてたけど、そんなレベルじゃない。びっくりしたわ。
このまま自粛が5年続いて35超えてたら、やばいなって思った。
そうならないためには、今、行動しないとダメなんだよな。
今やりたいことをやろうと思う。年取ってから後悔したくないから。
ただ、紹介されたカミュのペストって本は面白そうだから、それ読んでから外出るわ。
なんか、自分の期待とは逆に動いたし、多くの人の期待とも逆に動いちゃったから申し訳ないな。
でも、決めたわ。
裏切っちゃったけど、色々教えてくれてありがとうね。この感謝は本物だから、礼は言わせてくれ。
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追記2:
正直に話そう。
リモートで働くようになり、急激に楽になった。
自粛が嫌になる順番で言えばレイトマジョリティやラガードに分類される性格だろう。
初期から「なぜこんなことをしなければならないのか」と考えていた。
そして、「なぜ医療のために」とか「政治家の食事が例外なのであれば、私の欲望も例外扱いしてよいのでは」と考えるようになった。
そうして、息抜きをしてきたつもりでも、本当にきつくなったので、このような記事を書いた。
文から見える性格や自己に関する記述は偽りであるが、思考する内容は真実である。
twitterを見ると、この記事への7割以上は好意的な反応であったように思う。
当然、批判もあった。
この記事を批判的に見たのならば、twitterで「医療に協力したら何が返ってくるの」と検索してほしい。
そして、恐らく、3連休に外出した多くの人々は、私よりも早く、自分で考えて「自粛をしない」と決断した人々だ。
そんな彼らをただ批判するのは止めてほしい。
この記事では、被害の少ない若者に損が偏っているという話を書いた。
もちろん、誰もが損している。
しかし、メリットも感じず「なぜ自粛を」と考えている人がいる。
対して、誰かを救うために「他の人にも自粛してほしい」と考えている人もいる。
そんな両者が交渉するならば、メリットのない人間に対してメリットを提示する必要がある。
だが、無かった。
自分が何を差し出すでもなく、まるで自分が絶対であるかのように振る舞い、罵倒した。
「自分のことしか考えない愚か者だ」、「まともな大人の思考ではない」と言う者すらいた。
資本主義をはじめ、自分の欲を中心に思考する態度は極めて普及している。
誰かに協力してほしいのであれば、相手に得をさせるべきではないのか。
せめて、相手と自分のデメリットの不均衡を解消する努力をすべきではないだろうか。
せめて、感謝を示してはどうか。
それが相手に届いている実感はないだろうし、実際に1円の価値も相手に届かないだろう。
だが、「回りまわって利益になる」と説得するならば、ためらう理由にはならない。
そのような行動すらなく、自身の正義を相手に押し付けることは圧政である。
味方の多い思想であれば強硬な方法でも成果を上げられるが、支持者が減れば効力を失う。
他の方法を考えることを切に願う。
あれを一番簡単に実現するのはソース送信だけどそれは無しとして他の方法を模索してみる。ちなみに解は出てない。
※想定問答 Q「サーバサイドでやれ」 A「石油王連れてきて」
レコメンド対象にしたいキーワード辞書をアプリに同梱してマッチした単語だけ送る。
本文丸ごとでは無いんで多少は忌避感下がるけど、いつ・誰が・どのURLでそのキーワードをブラウザで見たかは伝わっちゃう。
パーソナライズ不要なら「誰が」も落とせるけどそれだと精度出なかったからあの仕組みにしたんだろうしねぇ…
あと本当に本文だけ使ったレコメンド目的ならURLも不要だけどwww.muji.com→オサレみたいな特徴を加えたかったのかな。
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最近はiOS(CoreML)にもAndroid(NNAPI)にも機械学習機能あるようで、
ネイティブアプリなんだからその辺触れるんだしクライアント側で完結しちゃえば?という発想。
レコメンド先のコンテンツ丸ごとスマホに持つわけにはいかんから、
コンテンツID?カテゴリ?的なものを出すとこまでやって中身はサーバに取りに行くんで本当にクライアントだけで閉じるわけじゃ無い。
パーソナライズ観点で一人一人特注のモデル作って配るとかはしんどそうだけど、
ある程度セグメント切った層ごとに事前にモデル作るぐらいなら何とかなるんでは。
ああでもレコメンド対象が日々増えるWeb記事だとモデル頻繁に更新するからデプロイが辛いか。
スペックもりもりのサーバでやる推薦が現代のスマホでそもそも代替出来るのかはわからん。
エッジAIなる名目で各社頑張ってて目的の一つはセキュリティだから、今は無理でも将来に期待?
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分類にしろ推薦にしろ元データそのものをダイレクトに結果に変換するんじゃ無くて一度単なる数値の配列(特徴ベクトル)に変換して、
そのあとモデルに突っ込んだら中でこねこねヘイお待ち!と出てくるんだよね?
その特徴ベクトルに変換のとこだけクライアントでやってそれ送れば?という発想。
スペック問題はあるけどレコメンド全部やるよりはマシだよねと淡い期待を抱いている。
特徴ベクトルから元のデータに戻せるとアウトだけど可能なのかね。
文字列を数値にしててかつ情報量が落ちて結果が1対1にならないから、完全な復元は無理だと思うけどどうだろう。
ありとあらゆるキーワードを事前に変換しといて結果から逆引きすれば変換元候補を出すくらいはできるんかな。
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いろいろ考えたけどソースそのものじゃ無くてもそれに近い情報はどうやっても送るんだから、
コールセンターに電話すると自動音声で「サービス品質向上のために通話を録音します」的なアナウンス流れたりするのと同じで、
おすすめ機能ってこういう情報送ります的な説明をアプリ内ですべきでそれ無しにやっちゃダメだったんでしょう。
アプリの実物触る前に終わったので実際には説明してたんならごめんなさい。
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https://toolbar.rakuten.co.jp/mobile/rule.html
利用者が本アプリを利用した場合、利用者は、第6項の定めに従い、これを停止しない限り、本アプリがデバイスにインストールされているブラウザの全てのウェブ閲覧履歴(http(https含む。以下本条において同じ。)で始まる閲覧ページURL、アクセス日時(分秒)、表示されたウェブページのHTMLソース、クッキー情報(Cookie), ウェブサイトの閲覧履歴、リファラ, ユーザーが使用しているOSやアプリのバージョン、位置情報をいい、以下「ウェブ閲覧履歴取得情報取得情報」といいます。)が当社によって取得されることに同意するものとします。
当社が取得するウェブ閲覧履歴取得情報には、ウェブページのURLを含み、当該ウェブページのセキュリティ環境によってはURLにIDやパスワード等の非公開、又は機密性の高い情報が含まれることがあります。よって、機密性が高い情報、または機密性が高い可能性のある情報を閲覧する環境において本アプリを利用される場合には十分にご留意ください。
ソースどころか脆弱性無い限り聖域のクッキーまで取る豪快さを見習おう。
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ちなみにフェアじゃないので一応書いておくと「楽天ウェブ検索 規約」でググると出てくるこっちのブラウザ拡張機能版は微妙に内容が違ってクッキーは入ってない。
上のアプリ版はアプリストアの説明にURLが書いてある。なんでアプリとブラウザ拡張機能で2種類あるのかは分からん。
拡張機能じゃ取れないから? でもサイトごとのクッキー編集する拡張とかあったような・・・
https://toolbar.rakuten.co.jp/intro/rule/
2. 利用者が本機能を利用した場合、利用者は、第6項の定めに従い、これを停止しない限り、本機能がインストールされたブラウザの全てのウェブ閲覧履歴(http(https含む。以下本条において同じ。)で始まる閲覧ページURL、アクセス日時(分秒)、表示されたウェブページのHTMLソースをいい、以下「ウェブ閲覧履歴」といいます。)が当社によって取得されることに同意するものとします。
3. 当社が取得するウェブ閲覧履歴には、ウェブページのURLを含み、当該ウェブページのセキュリティ環境によってはURLにIDやパスワード等の非公開、又は機密性の高い情報が含まれることがあります。よって、機密性が高い情報、または機密性が高い可能性のある情報を閲覧する環境において本機能を利用される場合には十分にご留意ください。
あとこの規約についても先日malaさんが突っ込んでいるので第一発見者ではないです。
https://twitter.com/bulkneets/status/1339435587015639041
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ソースどころかクッキーまで取ってますと堂々と書いてるほうが燃えずに、
はっきりとは書かずに取ってたほうが燃えてるの、
やらないと思ってたやつがやる・やると思ってたやつがやる、どっちもやってるけど燃えるの大抵前の方なの、
マスコミはなんで報道しなんだ、とよくコメントが出ているが、実際は報道していたりする。
じゃあなぜ報道していないように感じるのかは、
②見落としているか
④情報が詳しくないと感じる
というのが考えられる。
①について、自分は情報弱者であるので、ヤフーやニュースアプリ、もしくは政府機関のサイトやTwitterを見に行くくらいしか思いつかない。
海外の政府機関のTwitterを全てフォローして翻訳して、なんてやってられないが、情報が欠如していると感じられるならやるしかないのではないか。
商社や研究機関から発信されている資料や、背景まで理解するには国際法やその歴史を理解するといったことはできるだろう。
他の方法があるのであれば教えて欲しい。
俺にも伝わるように報道していないのが悪いんだ、というのは確かにマスコミ側の一部問題はあるのだろうが、
マスコミに報道が維持できるようにお金を渡している場合は文句をいうのは違ってないだろうか。
他者に、あーしろ、こうしろと言ってもコントロール下にあるわけではないのだから
金儲けの関係者を整理すると投資家・経営者・労働者・消費者に分けることができる。それぞれの立場の人はより多くの利益を得るために互いに相手を騙している。労働者や消費者も例外ではない。なぜなら大した能力もない人間が自分の労働力を企業に高く売ろうとしたり、わずかな対価でより価値が高いものを手に入れようとしたりする行為が日常的に行われているからである。
こうした行為は違法でなければスポーツのようなものだと私は思っている。皆が同じルールでゲームをしているのだから対戦相手が自分よりもうまくプレイしたからと言って相手の人格を非難してはいけない。「負けて悔しい」「相手が妬ましい」という気持ちはわからなくもないがストレスは他の方法で発散すべきである。また、非難を受けた側も「悪いことをした」などと思わなくて良い。