思い出した
おにぎりくれっつって泣いてんのに花で誤魔化されて泣き止む描写が大嫌いだった
泣き止むわけねーだろ食欲バカにしてんのか
作中のお父さんが花を渡さざるを得ない状況だったのはわかる
お父さんの愛で泣き止んで感動のお別れにしたかったのもわかる
でもその辺で摘んできた花ごときで泣き止むのが本当に嫌いだった
作者が「子供なんて空腹でも花で誤魔化されるくらいちょろい存在」って思ってるのが透けて見える気がした
いやそこは他の方法考えてよ作者
花じゃ空腹に打ち勝てないよ
こんなもんでええやろ的な手抜き感がして嫌なんだよな
子供なりに空気を読んだ、とかならわかるんだけど、それまでの文章に主人公が空気を読める描写が無いんだよね
それどころか「赤ちゃんだから本能のままにちょうだいちょうだい言う」描写しかないんだよね
思わず泣き止むほど花が超珍しい時代だった、とかでもいいんだけど、そこら辺からパッと摘んできた花なんだよね
あー嫌いー
でも当時それを伝える語彙力が無くて、普通に戦争はいけないと思いました的感想を書いてた
ちいちゃんのかげおくりはそういう「こんなもんでええやろ感」は無かった気がする
「実は主人公はコスモスの花を好きになる素養があり、父親からコスモスをもらった瞬間その花を何より好きになり興奮して笑った。成長後の主人公の家の周りに生えているコスモスは主人公が植えたもの」とかなら…いや、その場合だとコスモスを好きになる素養の描写がないからだめだな…