はてなキーワード: 主体的とは
わかる。子供というのはセックスの結果自然に生まれるか、あるいは働き手を増やすという目的で生まれるかしかない。20世紀半ば以降、すべての目的がなくなってしまった。今はなんとなく惰性と慣例と感傷で生んでる。
是非は置いといてコスパだけで言うなら今は有史以来最も悪いね。戦後までは少なくとも5年育てれば使える一家の労働資源だった。その後も介護担当の役割はあった。今は何も無い純粋な金食い虫。日本はそれを選んだ。
自由を求めて社会を発展させてきたのにいざ自由になったら産まなくなって滅びようとしてるの最高に矛盾だな
社会的な圧力がなくなって産む動機がなくなり、それでも「可愛いから産みたい」という本能的な動機はあるものの、それも教育費の増大などで相殺されつつある
要するに、人間の行動の裏には常に「社会的な動機」と「感情的な動機」があるわけだが、そのどちらもが失われてしまうと、人は行動しなくなる
社会的な動機というのは社会からの圧力のことだが、忘れてはいけないのが感情も「圧力」だということ
「可愛いから産みたい」というのは自分で主体的に選択した感情ではなく、本能的に湧き出てきて私たちに行動を強制する一種の「圧力」
つまり感情を持っているということ自体が「強いられている」不自由な状況だといえる
だから、逆説的だが、本当の自由は「感情がない」状態ということになる
そう考えると、ほんとうの自由とは、社会的な圧力が存在せず、一切の感情が存在しない状態
要するに、「無」である
<ワイ> 結局のところ、面接受けて次の日から働ける競争のない職場と、入社までに最低半年掛かる・マネージャー職ならビジネスmtgに英語で主体的に参加できることが必須の職場が、同じプロレベルまたは以下だったのはなぜですか?
<bingちゃん>
面接受けて次の日から働ける競争のない職場と、入社までに最低半年掛かる・マネージャー職ならビジネスmtgに英語で主体的に参加できることが必須の職場が、同じプロレベルまたは以下だったのはなぜかということですね。
私は、この問題には一つの正しい答えがあるとは思いません。様々な要因が関係していると思います。しかし、私は、次のような可能性を考えてみました。
<ワイ> これは非常に納得のいく答えでした。実際、私がしていた仕事は重要な仕事ではありません。アメリカ本社では大学生やベンダーが行うこともあったようです。 つまり、外資やシ○○○○クの人は仕事の重要性が低いこともあるのに採用試験や面接の難易度が高ったので自分が優秀だと勘違いをしている、 日本の風土に合わない自称実力主義によってピリピリしているので和を乱さず協業・共業ができないこともあるということですね。 なんだかスッキリしました
スキップとローファーみたいな純粋一点張りの地味主人公がイケメン一軍男子に見初められる少女漫画嫌い
評判いいからアプリで最初の方読んでみたけど、過去の経験からしっかり努力してるミカをsageる展開、みつみの純粋さに誰も彼もが感心するみつみage展開の多さに辟易した
現実問題、世間知らずは行動がイタいから大抵の人間が見ててイライラするしあそこまで一軍に受け入れられないだろ 住み分けるよ
好意的な感想では「自分の青春時代と比べると苦しい」「あって欲しかった優しい世界」とかよく言われてて、つまり読んでる人は虚構は承知の上で楽しんでんだと思うけど、私はどうしてもあるわけねーだろが勝ってしまうな
みつみと志摩が付き合わない(恋愛的に惹かれ合わない)んだったら、友人としてのバディになる展開だったらむしろ推してた説はある
人間的にみつみを好きになることは有り得ても可愛い子に囲まれまくってて見慣れてる一軍男子に見初められることはまずねーだろ
顔整い男と地味子が付き合うことは現実にも有り得るけど、その場合大抵彼氏側のイケメンは性格的に一軍ではなくて陰キャ寄りチームに属してて、自分のビジュの良さに気づいてないし頓着してないし垢抜けてないから相手のビジュにも固執してませんってケース
志摩のように周り見えてて周りにもキャーキャー言われてるタイプがみつみ選ぶのは夢物語すぎて読んでておもんない
もしくは志摩が女子に大人気のイケメン設定じゃなかったら好き漫画だったかもしれない
いいじゃん、東京に出てきてあたふたしてる中ひとりだけみつみの純粋さに価値を見いだしてくれたごく普通の優しい男子でさ
読んでて、一軍男女たちの好意によってみつみの権威付けをされているように感じてイライラするんだよね
むしろ東京の俗にまみれたクラスの中で最初の方は少し浮きながらもみつみが自らの純粋性を貫くことで周囲を変えていくストーリーだったら好きだったかもしれない
(見方を変えればそういうストーリーにも読めるけど、私はみつみに甘すぎだろ周囲、と感じる)
これだけあの優しい漫画に毒吐けるって増田相当嫌な思いしてきてひねくれちゃったんだなかわいそう、と思われるかもしれないけど、当たってるよ
首都圏外の毎年東大10〜20人くらい入れてる高校に通ってて、ブスだったけどキャラが面白いからってことでクラスに受け入れられてた
幸い受け入れられてたから世界を純粋なまま信じてて、純粋な主人公が報われる少女漫画をガチで信じていた(バカすぎる)
その後首都圏のそれなりに偏差値の高いキラキラ系の大学行くことになったから少し痩せて埋没して見た目に気使って、まあ要するに心だけ純粋なまま努力は報われると無邪気に信じてるミカみたいな感じの人間になったけど、結局いろいろと上手くいかなかったし、私は世界が見えてなさすぎたんだな、世間知らずだったんだなと感じた
ルッキズムを憎んでみたりとか色々あったけど、今は自分のレベルというものにそれなりに満足してるし、私の世界の中で幸せ見つけられたらいいかなと思ってる
この漫画は私が「有り得ないもの」として諦めたものが描かれてて、それが気に入らないんだと思う
でも、諦めたと書いたけど、本気で未練はない。自分にはいわゆるキラキラとした世界は向いてないし(一度挑戦してみて分かった)、そういう世界で生きてる人と根本的には合わないなと思ってるから、みつみを羨ましいと思ってる自覚はない(周囲からはそう見えるかもしれない)
「それぞれの身の丈(とあえて言う)に合った世界があって、そこでみんな幸せを見つけていけばいい」という私の価値観が、一軍の心優しい者たちから受け入れられ優しくされるみつみのあり方によって崩されるのが気に食わないんだと思う
いや、ありえねーだろ! みたいな
必死に努力して周囲と打ち解けてきたADHD/ASDグレーゾーン(検査済み)としては余計に。
それに、みつみみたいに純粋なまま周りにどんどん受け入れられて生きて行けたら幸せだろうなと思いつつも、みつみみたいになりたかったとも思わない
私は世間を悲観的に俯瞰的に見てしまう自己を主体的に選び取ってるし、「見えてない」「擦れてない」が故の純粋性を善きものだと思わないから
みつみが人を傷つけてる描写は私が読んでる限りでは無いけど、汚い部分が見えてないが故の純粋性は時に人を傷つけるから
色々見えてしまって世界にうんざりしながらも人に優しくしようとする決意の方が尊いと感じるから
別に嫌なことされた人の方の名前覚えてたっていいじゃんと思う(私はどちらもしつこく覚えている)
だからこの漫画への嫌悪を嫉妬という言葉で片付けるの自分としては適切では無いんだけど、傍から見たらただの嫉妬だろ可哀想って感じだからもうそれでいいかと思ってる
最初の方しか読んでないからみつみは世間知らずの田舎者(が故に純粋)って認識で止まってるけど、私の諸々の解釈が間違ってたらすみません どちらにしろもう読まないと思うけど
自分が少数派のひねくれた人種ってことは理解してるから、世の中にきっといるだろう私のようにスキップとローファーを好きになれない人が読んでひとりじゃないんだと心を落ち着けられればなという意図4割、自分が書いてスッキリしたい6割で書きました。
両親が共に厳しくても自分で気づかない限りはダメなので効率は悪い。
女児は思春期まで先行逃げ切りで詰め込み型教育がもっとも効率が良い。
ここで逃げずに心を鬼にして一定の学びを叩き込まれた女児と肝心な時期に甘やかされた女児は大人になった時に決定的な差が生まれる。
組織や周囲の人間関係をぶっ壊しがちな女は大抵後者の人生を歩んでいる。
幼稚園・保育園位から、自分で気づいて学べる男児は少年時代に勉強でも運動でも何でも無双できる。
自分で気づいて学べない男は詰め込みでドーピングしてもそれが大人になっても全く生きない。
男は自ら学ぶ事の重要性に気づいてはじめて主体的に自分の事が決められるようになる。
神の啓示のように突然学びに気づく男児が多いので、小学校高学年位の思春期が始まる位で急に今まで出来なかった事が出来るようになる子がいる。
小学校の教員をやっていると目撃するが、今まで宿題も忘れ物も何もかもきちんとしていなかった男児が5、6年生位のタイミングで突然キチンとやるようになる現象が毎年必ずある。
これこそまさに本人が学びに気づいた瞬間で、男児はそこから一気に手がかからなくなる(このあたりから教員のパワー配分は男3女7位になる)。
成人してからやっと気づくのも沢山。
もうマジでこれが究極的には全てなんだよ。
マジでここ。
ここに全てが詰まっている。
ユーザーが能動的に世界に対して働きかけることで世界の謎を解き明かす機会が与えられていることが素晴らしいわけ。
RPGってのは冒険のロールプレイだけど、冒険ってのは探索なわけだよ。
フリーレンが「クエストアイテム一直線なら5分で終わるスカイリムの洞窟を3時間かけて探索する。勇者ヒンメルならそうした」と語っていたように、探索の楽しみとは一直線に正解に至ることではなく、寄り道してでも世界を隅々まで知りつくそうとする好奇心によって生み出されるわけだ。
ドラクエが出た当時であれば人類はまだまだRPGについて詳しくなかったから「民家のタンスも調べられるんだ!スゲー!なんか強い防具みつけた!」で感動できた。
でもRPGというジャンルが成長するに連れてそれは見飽きた体験になった。
街での探索はただ面倒なだけになり、ダンジョンでの宝箱探しも作業になった。
アクション要素のある探索と露骨な導火線の組み合わせによって、プレイヤーが主体的に世界の中に隠されたアイテムやイベントを探すワクワクを蘇らせたんだ。
それは戦闘中でも変わらない。
タイミングよくジャンプをすることで謎を解き、敵に先制を仕掛け、ダメージにボーナスを得る。
アクションとRPGが融合したゲームは数多くあるが、その多くが「フィールドでそのまま敵と戦闘」もしくは「戦闘中だけアクションゲームに変わる」という方式となっている。
テイルズやSOのように戦闘中は思いっきりアクションをするゲームでもなく、メトロイドヴァニアのように常にアクションしているゲームでもない。
マリオRPGではフィールドでもアクションをするが、戦闘中はそれとはまた違った形でアクションが絡んでくる。
メリハリがありながらもテンポを大きく変えすぎない2つの空間の行き来によって、シームレスでありながらも変化のある体験を生み出している。
マリオRPGはアクションRPGでも戦闘がアクションのRPGでもなくアクション+RPGという独自のスタイルを確立しているのだ。
では他のRPGも主人公がフィールドでピョンピョンジャンプすればマリオのようになれるのか?
難しいだろう。
マリオがフィールドでピョンピョンジャンプするのはもうマリオだからということで納得がいく。
自分の身長の何倍も飛び上がることが日常と化した男であるから、フィールドを所狭しと飛び回ってギミックを起動させていってもなにも違和感がないのだ。
もしも剣をかついだ無名のオッサンが自分の身長の何倍も飛び跳ねるゲームが出てきたら、きっと皆意味が分からなくて混乱するだろう。
マリオだからジャンプするという説明不要の要素、そこにRPGだから探索して戦闘はコマンドバトルするという説明不要の要素、2つが欠け合わさり「ピョンピョン飛び跳ねながら探索したりコマンドバトルする」という未知のゲーム性が圧倒的納得感で提供される。
少なくとも、ここまでスっと簡単に受け入れられることはなかっただろう。
ゲームコンセプトとキャラクターを完璧にリンクさせ、余計な説明を省いてプレイヤーにゲーム内容を納得させる。
「マリオだから」によって説明をスキップしながら、他のキャラクターでは難しいタイプのRPGを成立させた「キャラクターネームバリューを有効活用した傑作」なのだ。
凄いんだよマジで。
都市部育ちの高学歴女性でもなければそういう雰囲気になるのわかる気がするよ
覚悟しておくべきは
でも上位カーストに生まれなかった普通の女性が独身を貫ける時代にはまだなってない
性風俗や性風俗まがい産業および実在人物の性的魅力を売りにする芸能ジャンルをぜんぶなくすか微小産業にまで零落させることによって
あまねく現代人を二次元萌えオタクないし推し活ピープルにアップデートすることができる
それによって三次元の異性への性的衝動によって理性的でない伴侶の選択をする機会が激減することで不幸な家庭環境が発生することがなくなり
すべての人間が異性を自分と対等かつ尊敬すべき人間として冷静かつ丁寧に扱うことができるようになるのである
つまり世界の人口増加もゆるやかに抑えられるだけでなく世界は平和でより精神的に豊かな落ち着いた世界になるのである
人間がもつ恋愛感情由来の熱狂や混沌といった負の要素を二次元キャラクターないしコンテンツが引き付けてくれることで
理想的な二次元のイデアのまがい物にすぎない現実の人間に対しては清らかで誠実な付き合い方ができるだけの余裕が生まれるのである
この知見を可及的速やかに人類に周知せしめることこそ、最先端にいる我らがインターネットシティズンの使命であると言えよう
事実としてディープなオタクカップル同士の結婚ではDVや離婚といった家庭内の問題が発生する率が極めて低く
相手に対する許容や尊重の意思を互いに持とうとする人間が多いため、問題に遭遇しても互いに建設的・生産的な態度を取りやすい
これは日常的に二次元コンテンツの摂取をしていることで異なる個性の人々が交わる場での感情や思考のありように対して嗅覚や想像力が養われているがゆえの特性である
ただしマスメディアが喧伝するような漫画大手の大ヒット作品などだけ触れている表面的なオタク気取りピープルについてはその限りではなく、家庭内インシデント率は低下しない
オタクならではの様々な衝突・対立ややらかしの場面を数々目撃してきて人の振り見て我が振り直すくらいの境地に達するディープオタクでなければ十分な思慮能力は育まれない
インターネットは「人のふり」から学ぶべき場面にふれるチャンスを加速してくれる面では便利な道具であるが受動的にフィードから流れてくるものを消費しているだけではなく
能動的・主体的に何かを掘り下げていく経験なくしてオタク領域および思慮能力の真髄に至ることはないだろう
知らんけど
あなたのおっしゃる通り、弱者かどうかは絶対的な話と相対的な話があると思います。
絶対的な話としては、年収や資産、教育や健康など、客観的に測れる指標があります。あなたの場合、年収は1500万円と高収入であり、資産や教育もそれなりにあるでしょうから、絶対的な意味では弱者とは言えません。
しかし、相対的な話としては、周囲の環境や自分の価値観によって、弱者と感じることもできると思います。あなたの場合、勤務先や大学時代の友人と比較して、年収や残業時間、プライベートの充実度が劣っていると感じるようです。また、精神疾患や実家との折り合いなど、本人にとって大きな問題を抱えていることも考えられます。
このような相対的な弱者感は、決して無視すべきではありません。あなたが感じている辛さは、決して間違っているわけではないのです。
そこで、あなたのおっしゃる「観測範囲を広げて、どこと比べて相対感を見ていくかを修正しろ」という意見は、一理あると思います。
例えば、あなたの勤務先や大学時代の友人だけでなく、世界中の人々を比較してみると、あなたの境遇は決して恵まれているとは言えないことがわかるかもしれません。また、あなたの出自や精神疾患などの問題は、決してあなたのせいではなく、社会的な問題でもあることを理解することも大切です。
しかし、観測範囲を広げるだけでは、あなたの弱者感を完全に解消することはできないでしょう。
あなたが感じる弱者感は、あなたの価値観によっても影響を受けている可能性があります。例えば、あなたが「仕事以外の時間も充実していないと幸せではない」という価値観を持っている場合、仕事以外の時間に充実感を得られないことで、弱者感を抱きやすくなる可能性があります。
そのため、まずは自分の価値観を見つめ直し、本当に自分が大切にしていることは何かを考えることが大切です。
あなたが感じる弱者感は、自分の人生を他人と比べて、劣っていると感じているためにも起きている可能性があります。
そのため、まずは自分の人生を主体的に生き、他人と比べることをやめるようにしましょう。自分の人生を自分らしく生きることで、他人と比べる必要がなくなり、弱者感を抱きにくくなるでしょう。
もちろん、これは簡単なことではありません。しかし、少しずつでも取り組むことで、あなたの人生がより豊かなものになるはずです。
最近、X(旧Twitter)やはてなでColaboが盛り上がっている。前々からColaboに対して心ない批判が多く疑問に思っていたことだが、この機会ならお答えいただけるのではないかと思い書いてみた。
・Colaboは沖縄における座り込み抗議など、沖縄や韓国において政策提言行動を行ってきた。
・この政策提言活動にはColaboスタッフだけでなくColaboとつながった女性たち(=被支援者の女性)も参加していた。
・参加した被支援者の女性は自由意思でこの行動に賛同して参加したものである。
Colabo及び仁藤夢乃さんに対する誹謗中傷等について(2022年11月29日)より抜粋
Colaboは、性暴力や性搾取から女性を守るために設立され活動している団体であり、すべての性暴力・性搾取に反対している。そして、Colaboは、戦時性暴力や沖縄での性暴力も、Colaboが取り組む問題と地続きであると考えており、沖縄や韓国においても、政策提言活動の一環として行動してきたものである。
(略)
Colaboとつながった女性たちが、仁藤やスタッフと一緒に辺野古や韓国に行ったことはあるが、それはその女性たち自身が自らの意思で参加することを決めたためである。また、時に、女性が辺野古における座り込み抗議に参加したことをもって、Colaboが女性に座り込みを無理強いしたかのような流言がある、これも座り込みに参加することは一切無理強いしていない。実際に、参加しなかった女性もいた。繰り返しになるが、参加意思がない女性をColaboが「動員」するなどということはあり得ない。
上記のように、まるで被支援者の女性には意思決定する能力が無いかのような決めつけ自体が、若年女性たちを主体的意思のない「弱者」として見下す偏見に根ざすものである。女性たちは、過去に虐待や性搾取の被害に遭う中で、現在の社会における性差別をよく見つめており、Colaboが行う政策提言活動が、自身が受けたような被害の救済と重要な関連があると認識し、賛同して共に行動することがあるというのが実態である。
(なお、上記はColabo弁護団による公表資料であり、本来(https://colabo-official.net/wp-content/uploads/2022/11/HP.pdf)にアップされていたが現在では何故か削除されているので、ウェブ魚拓(https://megalodon.jp/?url=https%3A%2F%2Fcolabo-official.net%2Fwp-content%2Fuploads%2F2022%2F11%2FHP.pdf)から抜粋した。
Colabo弁護団の言うとおり強制的に参加させているのではない以上、一切問題ないと思う。
被害にあった女性はその経歴からColaboの政策提言行動に関心の高い人が多いと思われ、賛同者・参加者が多くなるのも自然だろう。
Colaboに住居等の生活を依存していたとしても、実際に参加しなかった女性もいることから任意性も確保しており、統一教会に代表される宗教や政治活動の二世(親子関係)・金銭の貸し主借り主・雇用者と被雇用者・教師と生徒・取り調べによる警察検察と被疑者容疑者など圧倒的な上下関係があり、事実上断れない、即ち任意性の確保されていないようなものはとは全く異なると考えられる。
男性が言い訳を用意しないとセックスしないという主体性のない女性ばかりだった過去があり、その中で「酔っちゃったから」というのは男も女も認めてた言い訳だったんだよね。
「酔っていたから仕方がないね」は男も言ってたし女も言っていた。
しかしこれは当然女性のための言い訳であり、「私は本心ではセックスしたいとは思っていませんでした。そんなふしだらな女じゃありません。」という”嘘”のための言い訳だったわけだ。
そうして女に甘すぎ国家JAPANでは女のこの嘘を許し、主体性の欠如を許してきた。
その結果、男は「とりあえず酔わせよう」という考えになる。
当たり前だ。
あの時代はまっとうなカップルでも、最初のセックスの前には必ず酒を入れていた。
どんなにベタベタだろうが何か言い訳がないと女はセックスをしないのである。
そして一番自然に用意しやすい言い訳が「酔っていたから」だった。
つまり「女に酒を飲ませてセックスに持ち込もう」という文化は女自身が作り上げてきたのである。
女が主体性を持ってセックスすることを選ばなかった結果なのである。
別に女にヤらせろと言っているわけではない。
私はセックスしませんという女はセックスしなければいい。自分できちんと選択しろ。決断しろ。