はてなキーワード: 主体的とは
SCP財団が収容しているオブジェクトの一つで、見つめられると存在を認識した者たちに恐怖や不快感を与える効果を持つ。特に、冷笑をする者に対してその対象になることが多い。
冷笑はダサいぜ、という主体的な意見の発信ならまだしも、他人の発言に対してそういう言葉を向けると、自身の意志があるというよりは単に社会の風潮に乗っかった日和見マウント仕草っぽい。SCP-015-JPに対する反応もまた、冷笑者たちの態度を浮き彫りにすることになる。冷笑を向ける者たちは、しばしばSCP-015-JPの影響を強く受け、恐怖や不快感に苛まれるらしいんだ。
他人の意見に対する冷笑は、社会的には肯定されにくい。だが、「ダサい」という言葉を使ったところで、それ以上の深い問題解決には至らない。そして冷笑やその批評に終始する言及も、実際には状況を改善するどころか、さらにしょーもない議論を引き起こすことが多い。
SCP-015-JPはその存在を通じて、こうした社会的な態度や心理の問題を反映しているのかもしれない。だからこそ、その研究と収容は非常に重要といえるだろう。
冷笑はダサいぜ、という主体的な意見の発信ならまだしも、他人の発言に対してそういう言葉を向けるのも自分の意志があるというよりは単に社会の風潮に乗っかった日和見マウント仕草っぽいし、そういう事言ってる人も単に冷笑への冷笑に終始してる感じがある
そもそも社会的に褒められたものではない行為とダサいという事は、いくら抱き合わせにして防ごうとしても結局は別問題という歯がゆさもある
なんかもう冷笑って言葉を使った時点で全ての言及がしょーもなくなる気がする
この言及も含めて……
今日も、私の目に飛び込んできたのは、ありきたりなおすすめ商品たち。
まるで、流行を追いかけるだけのロボットのような気分にさせられる。
過去の評価や購入履歴から、似たような趣味を持つユーザーの行動を分析し、私に最適な商品を提案してくれる。
しかし、その一方で、恐ろしいほど偏った情報を生み出す側面も見逃せない。
協調フィルタリングは、人気のあるものほど多くの人に推薦され、さらに人気が高まるという「バズる」現象を生み出す。
埋もれていた良質なコンテンツや、マイナーなジャンルは、日の目を見る機会すら与えられずに消えていく。
このアルゴリズムは、まるで温室育ちの花のようだ。
私たちは、いつの間にか、自分の好みや思考を委ねてしまい、自ら情報を探索する意欲を失っていく。
協調フィルタリングは、過去に基づいた情報を提供するだけで、未来を創造することはできない。
まるで、過去の栄光にしがみつく時代錯誤の王のように、私たちは過去の成功体験に囚われ、現状維持に甘んじてしまう。
協調フィルタリングは、ユーザーの行動データを収集し、分析することで成り立っている。
自分の好みや思考を丸裸にされ、企業や政府の思惑に操られてしまうのだ。
私たちは、協調フィルタリングというアルゴリズムに支配される必要はない。
おすすめ教えてって言って連れてってもらう
そこでグネグネグチグチ言い出す女は主体性ゼロで結婚後も全部人任せで文句だけ言うタイプ、超高級店連れてかれたら切ればいい
連れてかれた店が良さげなら次からはその方向性その価格帯で自分が店探せばいい
これでサイゼに行かずともネット民お望みの「試し」とやらが出来る
あと、振られたときはその選んでもらった店に次の女を連れてけばいいよ。行ったことあるから紹介する体を取れるし主体的な女が選んだ店だからおそらく悪くはないだろう
積極的に楽しもうとする姿勢を持つよう努めよう、面白いと感じられるものを主体的に探していこう、そうやってその楽しみを糧にちょっとずつでもやる気を出していこう。
なんて原因の分析に基づいた解決策はとっくの昔に分かりきってるけど、それを実行するやる気がない。
やる気なんてやってる内に出てくる、やりながら出すしかないんだよとか言われた所で、そのやり始めるやる気がない。
面白くないからやる気が出ないし、やる気が出ないから面白いことを探せないし、面白くないから生きている意味がない。
ちょっとした刹那的な楽しみはあるけど、こう人生の意義を感じられるような、人生の芯になってくるようなものを持ってない。そんな快楽の区別に意味があるのか、そもそも妥当な区別かどうかだって分かりゃしない。
面白くもないなら死んだ方がマジだろ、とどうせ死ぬ根性もないしな、を無限に反復横跳びしてる気がする。身体を動かしてみたらまあ少しはスッキリするけど、それはそれとして頭にまとわりつく実存的不安が解消されるかと言ったら全くそんな事はない。
人生の本当の面白みは家庭でも持って他人の人生に食い込んでみたり、他人との関わりの中でしか見つからない。なんてありきたりなものが自分にも当てはまるかどうかなんて分からない。
まあ何やかんや言っても自分にもそれが当てはまる蓋然性は高いような気もするが、そういう生き方を志向して実行に移すほどのやる気がない。
出来ないと諦めてかかって逃げてるだけだろ、なんてありきたりな言葉もあるけど、そういう出来そう出来なさそうとかの問題ではなくマジでやる気が出ない。
鬱病とか学習性無気力とか色々と言葉はあるけど、そんなのはただの言葉で何の解決にもならない。 あるあるネタにラベルを貼るだけだ。ロクな取扱説明書がついてない。
今日ドジャースの試合を生で見てきた。今日の大谷はすごかった。四打数4ヒット2HR、完璧だった。
めちゃくちゃいい体験をした。
だけど物足りなかった。野球観戦として見ると、甲子園で阪神の試合を見に行ってるほうが楽しかったと思う。
何故かはいくつか挙げられると思う。鳴り物応援がないこと。試合のテンポが速いこと。走者がいる状態が少ないことなどが感じられたが、一番の理由は単純に知識不足だったんだと思う。
自分は、阪神ファンで一軍の選手なら、名前からなんとなくの成績までベンチ入りの選手でも全員言える。二軍の選手も大体は選手の特徴なら言える。こうなると楽しい。今塁にいるのは俊足の選手だから盗塁があるかもしれなくて〜とか色々考えられる。
だけどドジャースで同じレベルで知ってる選手は大谷ベッツカーショー山本ぐらいしかいない。そうなると野球自体の楽しみは当然減ってしまう。試合の勝敗よりもいつ大谷に回ってくるかが最大の関心事になってしまっていた。要するに大谷ベッツ以外の打席は彼らの打席を待つ時間になっていた。
そして鳴り物応援、応援歌がないので、主体的に応援してる感覚がなくなって待つ時間という感覚が強くなる。
せっかくアメリカまで大谷の試合を見に来たのにこうなると勿体ない。解決方法は単純でもっとドジャースというチームを知ること。9番を打っている選手はどんな選手なのか?中継ぎのピッチャーはどんなピッチャーがいるのかなど。相手チームの選手を知るのもいい。知れば知るだけ野球というゲームの楽しさが増えていく。
MLBという野球で一番のリーグ、そして多分いちばん強いであろうドジャースを見に行くので野球自体を楽しめるようにしたいよね
俺は無理だったし、わからされた。
当然の結果だと思った。
裁判とその前のやり取り含めて、子育てに対する認識と理解が甘すぎっていうのをとことん分からされた。
おむつ替えも送迎もミルクつくりとか色々したけど鍋にルーを割り入れただけでカレー作ったと主張するようなもんだと言われた。
出産それ自体が互いの意志と行為によるもので、生まれるまで半年以上もあるし、ある日突然玄関前にコウノトリが赤ん坊を置いていくわけでもないのに育児休暇が一週間程度だったことも響いた。
会社の理解がないせいだという主張は通らなかった。そういう会社だと分かってるのに転職もしない、上司に何度もかけあってもいなかった。主体的に子育てする意欲がないとしか考えられない(元妻は産休は当然として事前に育休について複数回人事とやり取りした記録があったし、俺の会社でも3ヶ月くらい育休取ってる男性社員がいた)と言われた。
他にも、よくあることがもだけど、子どもが泣くからママのほうが良いのかもな〜って安易に抱っこ任せたりしてたのを共通の知人に証言されて育児の面倒ごとから逃げてたと言われたし、子どもの薬やアレルギーに対する理解が妻と比べて浅かった。
子どもに対する理解や関わりに主体性がない、常に元妻の伝聞に頼っていたと言わざるを得ない。
園の送迎や週末に抱っこ紐で抱っこして買い物に行ってても、遊びに連れてっても、それは育児の比較的美味しい部分をつまみ食いしていたに過ぎないと言われた。
主体性を持って子どもと関わらない人と子育てはできないと言われた。
何度も話し合いを求めたし、何度も悪いところは直すと伝えたけどそのたびに「人から指摘されないと自主的に仕事を休んで子どもに関わるということができない人と協力して子育ては無理。何をしたら良い?と丸投げするんじゃなくて何をすべきか自分で考えて、考えた結果◯◯をしようと思っているけどどうだろう?と提案、相談が欲しかった。」と言われた。
すげー不仲でもないし、元妻とは今でも会うし子どもの話もするし、元妻も俺に対してDVを主張してないから面会交流はできてる。当然だけど養育費も払ってるし。
正直、育児に対する考えが甘かったのは事実だし、よくこの状態で親権とれると思ってたな、って感じだ。それでも離婚の話が現実味を帯びたとき、主体的に子育てしてなかったくせに「子どもを奪われる」みたいな感覚があったんだよね。
自分が思ってる以上に妻がいること、子どもがいることをアイデンティティや自尊心につなげてる部分があって、それが妻からの離婚申し出によって損なわれる、というのが憤りとか焦りとかになってたと思う。幸い共通の知人が間に入って俺の話を聞きつつ、冷静になる時間をくれて、客観的に見て主体性がない親であるという事実を飲み込ませてくれた。
俺の場合は子どもや妻に暴力を振るってなかったし、正直よほどのことをしてなければ面会交流とか何かしら子どもと関わる事はできると思う。
そういう意味で、共同親権にならなくてもなんら子どもと関わることができてるので、共同親権を必死に主張する人に疑念は抱いてしまうし、離婚を突きつけられたときに俺が感じたあの憤りや焦りのままなんだと思う。せっかく手に入れた自分の自尊心が損なわれるみたいな。
俺もああなってたのかもしれないな。
”第2に、最近の米国経済を見ていると、利上げがインフレ抑制に本当に効くのかという疑問をぬぐうことができない。米国のインフレがひところより収まってきたのは、供給制約が正常化してきたからであって、「利上げによる経済の減速」というルートはあまり働いていないように見える。”
”米国の場合、2022年からの利上げで利払いが最も増えたのは政府であり、企業は手元資金の運用利回りが上昇し、利上げでむしろ増益というケースも多い。そうだとすると、政府が主体的に財政引き締めに動かない限り、中央銀行の利上げだけで総需要を抑えるのは難しい。”
”日銀が本格的に利上げに取りかかってみたら、そこで初めて利上げは効かないという現実が明らかになるかもしれない。効きが悪い分さらに利上げを続けざるをえなくなり、ターミナルレートは驚くほど高くなる可能性がある。”
・一意見をポストするのが間違ってないのは正しい、ただし実際はそこにとどまらず私見への支持を求めている
・面白いかどうかという自分の感性にファンであることが先行してる、そこがよくわからない
・ことあるごとに不安になってるけどたぶん周りの人は筆者さんほど不安にならない
・めっちゃ執着してるけどたぶん好きな感情の大きさと執着の大きさとは必ずしもイコールじゃない
・悲しくて悲しくて〜無理のないことだった、は、主体的には正しくとも社会的に正しくないので言わずにおくが吉
・目が合わなくなっていく原因は文章外の何かということでいいか、それとも芸人さんにおいて既にSNSとリアルが紐づいてたのか
・某男性アイドル事務所のくだりについてはこのポストが参考になる
社会人は「この人は頭が悪いな」と思ったときに「苦笑いをしながら隣の人の表情」を見ます。お互いに苦笑いしていたら、世間一般としてかなり愚かである可能性が高いです。このサインを見落とし「何も文句を言われてないから大丈夫」と突き進むと奈落の底です。
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・それは向こうは仕事なので〜仕方のないことだ、は、ファン側の発言として許容されない気がする
・あとは読めてない
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・なんて素直なんだ……
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私も執着するし執着対象には承認欲求強いタイプなので気持ちはわかる、特に動画のハートマーク部分。
あくまで客商売の人相手のことなんで、簡単にストーカー扱いされてるのはかわいそうだな〜と思って見てた。そりゃ芸人さんも一個人なんだが、客商売の人を客商売の人じゃなく一個人として肩入れしてる意見ってなんか簡略的で一方的になりがちな気がしてる。
ただし「いつか○○さんに僕の思いは伝わると信じていたのに」はどう考えてもアウトゾーンなのだった。そのあたりからのボルテージぱない。結局ライブ行くんかい。
朝ニュースをみてかなり動揺した、自分の経験がフラッシュバックしたからだ
昔のことになるが、経営者の父親がギャンブルにハマり、事業資金まで手を付けて最後は一家離散した
それまで恒常的にギャンブルはしていたが、大事になったきっかけはそれなりに一時大金が入ったことだと思う。とはいえストレスかもしれないし、今となっては本当の原因はわからない。
事業資金に手を付けていたため、週末ギャンブルに負けると損失を埋める(事業資金の支払いがある)ために家庭内は大喧嘩していた。
親族からの借金や母親が持ち物を売って、手を尽くしてしばらく払えていた。
もちろん、ギャンブル依存症のグループワークなどすすめたが最後の最後、破滅するまで本人は辞めることができず、会社は解散し両親は離婚、一家は離散した
(なお恐ろしいことに勝つと穏便な週末になる。ギャンブル以外は仲良い家族だった。ただこれが毎週毎週繰り返されて頭はおかしくなってメンタルが安定するまでかなりの時間を要した)
今考えるとギャンブル依存症に対して最もやってはいけない損失埋めだが、身近な人物であればあるほど「損失を埋めれば助けられるのでは」と考えて、同情してしまい補填してしまう
その流れが痛いほどわかり、ニュースを見て思い出してショックを受けた
あちこちでみるのが「ギャンブル依存症は病気だから治療を」と見るが吐き気がする正論だ、正しいけど吐き気がする
まず依存症患者が依存症を認めることは難しく、認知療法やグループワークも本人が主体的に動かなければあっという間に町中のギャンブル施設に吸い込まれる(今は町中どころかスマホで24時間ギャンブルできる環境がある)
自身の身の安全にはギャンブル依存症の人から徹底的に離れて、その人が自分で立ち上がるのを待つしかない(ここまで書いたが昔の知識のため、もしかしたら医学が進んでもっといい方法が今はあるのかもしれないが…)
今も馬やパチンコに関する情報に接するとなんとも言えない気持ちになる
嫌いではないが、無尽蔵に金を吸い込む装置に飲まれてどれくらいの家庭が壊れたんだろう。今もどこかで壊れているんだろう
せめて1日に賭けられる上限ができると良いなとも思ったが自分は離れているので他人事だ
私が出来ることはそういう親をもったので、自分はやらない、子供にも起こった事実を伝えてやらないほうがいいと伝えるまでが最大限出来ることだと思っている
このニュースでギャンブル依存症の議論が起こるだけでも嬉しい部分はある。広告費用が大きいのか議論されなかったり、スルーされている気がするので
「ご自由にお持ちください」と書いて置いてあるモノを全部持ってっちゃう人のことをどう思うだろうか。
ホームセンターの端材置き場にある端材を軽トラで全部持ち去る。あり?なし?
ATMの脇に置いてある封筒を洗いざらい持ち去る。あり?なし?
スーパーのビニール袋のロールをガラガラ回してたくさん取ってく。あり?なし?
置いてあるビラの中から裏が白いものをメモ帳を作るために全部持ち去る。あり?なし?
物質的に豊かに育った人って、基本的にこういうことはしませんよね。恥ずかしいから。誰に対して?→自分に対して。
タダなんだからもらえるだけもらってしまえという行為が、〈自分から見て〉浅ましい、さもしい、卑しい、見苦しい、下品と感じて、抵抗をおぼえる。
このような、己の内なる線引きで自分の行為を律する規範を〈節度〉とか〈行儀〉と言う。
それは明文化された社会規範ではなく、環境の中で培われ、コンテキストでも変わる、相対的な規範だ。
生まれや育ち、性格といったさまざまなコンテキストをひとりひとりが持っているから、当然その規範も人によってさまざまだ。
なので、タダで持っていっていいものを「どのくらいなら持っていってもセーフか」という線引きも人によって異なる。
「全部持ってっちゃあかんの?」という人もいれば、それに対して「よしなよ、みっともないよ」という人もいる。
一方、置いたほうも置いたほうで、「普通はひとり1個しか持っていかんやろ」とか「ごっそり持ってくやつはおらんやろ」といった、〈置く人なりの線引き〉で置いている。
己の線引きでどうするかとともに、置いた人はどういう線引きでこれを置いているのか、まずは両者を引き比べるべきだろう。
両者に隔たりがあるのなら、どちらに沿うべきか考える。
己の線引きで行動するなら、それは〈利己的〉と呼ばれる。
提供する側の線引きを想像して行動するなら、それは〈空気を読む〉と呼ばれる。
そして、両者の線引きがもし異常にかけ離れていたら、それは〈非常識〉と呼ばれる。
〈常識で判断しろ〉〈ちょっと考えればわかるだろ〉というのは、他人が引いた線を想像することであり、世の中の大多数の人はどう捉えるだろうかと〈社会通念〉に思いを致すことだ。
タダで提供するなら全部持っていかれる肚を括れとか、全部持っていかれて腹を立てるなら最初から上限数はいくつまでと注意書きをしろ、と要求するのは、こうした〈社会通念と折り合いをつける努力〉の放棄にほかならない。
ある種の発達障害を持つ人にとってこうした〈暗黙の了解〉が理解できないことは承知している。
だが、ブコメを見ていると、一定の常識は持ちながらも能動的主体的に社会と折り合いをつけることに関しては拒絶する人、早い話が青い臭い反抗期のクソガキみたいなやつらがウジャウジャいて引いた。