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2023-07-23

君たちはどう生きるかネタバレ考察感想

塔は「ご維新」の頃落ちてきたという。

その塔の主人となる大叔父は「本を読み過ぎておかしくなってしまった」という。

どんな本を読んだのだろうか?

 

「ご維新」の頃というのがいつか? というと、例えて言えば黒船がやって来たのが1853年だそうである

マルクスの「資本論」の初版1867年だそうだ。

叔父マルクスの「資本論」を読んだだろうか。おそらく読んだであろう。

 

君たちはどう生きるか」の主人公父親戦時下において軍需産業で儲ける男である

国教育を行っているであろう学校に対して300円寄付をして「学校なんて行かなくていい」とも言う。

 

叔父は塔の中で理想の世界を作ろうとしているのに対して、

父親はそれとは正反対の男かもしれない。

 

塔の中の「理想の世界」には連れてこられた存在がある。

である

ペリカンはどんなに羽ばたいてもその「世界から逃れることができない。

死を予期したペリカンは「ひとおもいに殺してくれ」と言う。

 

インコ大王と一緒に大叔父のいる場所に行ったモブインコ2匹は、

その場所を見て「ここは極楽ですか?」という。

しかし、そこは極楽などではなく、まさにいま崩壊しようとしているのである

そして、その世界の存続を願っているはずのインコ大王暴走によって崩壊してしまうのだ。

 

塔の世界は石の意思支配されていて、

石によって、世界を司ることができるのが大叔父血縁でなければならないとされている。

支配層が「血縁でなければならない」というのは、

例えば北朝鮮のような国であったり、もしくは江戸時代日本かもしれない。(あるいはもしかしたら戦争以前の天皇制かもしれない。)

そして、支配層が「血縁でなければならない」理想の世界は、崩壊するのである

 

君たちはどう生きるか」は広告を一切しなかった。

広告というのは、資本主義象徴のようなものかもしれないと考える。

北朝鮮旧ソ連のような共産社会主義的な「"理想"の世界崩壊する」が、かといって「資本主義象徴」を使用しないという選択をしたのだろう。

 

川上量生は一時期ジブリ所属していたが(宮崎駿に怒られているシーンの動画が有名だけれど)、

川上といえばニコニコ動画であり、今回はニコニコ出身といっていいだろう「米津玄師」の曲を主題歌として起用した。

ネット出身の米津を主題歌歌手として起用するというのも「資本主義象徴」を使用しないという選択かもしれない。

 

君たちはどう生きるか」はそういった作品であった。

anond:20230723161754

客入り次第では

ジブリにしては

早めに終了するパターンもありえるから

気になってるのに後から見に行きゃいいわ、

って油断してる人はドボンになるかも。

ジブリ映画から配信はないの忘るべからず。

君たちはどう生きるかは、すずめの半分の興行収入になる可能性がある

いまの興行収入の推移がそれぐらいなので。

まり70~80億円くらい。


ジブリにしては正直低い。

ヒットではあるが、宣伝をしなかったことによる低さなのか今作の作風によるものなのか判断が難しくなる。

まぁロングラン型でもっと増える可能性は十分にあるが。

ちゃん情報を追うように。

anond:20230723143646

アニメーションに関しては原液というより、完全に出涸らしでしたね。

90年代ジブリ全盛期ならまだしも、令和の時代にこの動画では正直古臭さは否めないです。

美味しいパンというのは、バタージャムも適量塗られている状態が美味しいのであって、

べったりこぼれおちるほど塗られてるのは不味そうだなと思っちゃった。

声優関係は、演技力のある俳優さんを選んでいるので、そこは良かった。

しゃがみ泣きポーズは、そこかい?!ってちょっと思っちゃった。

君たちはどう生きるか(映画)」が面白くなかったので気持ちを整理する

→これはもともと期待してなかったのでOK。寧ろ割と明確なテーマ提示してくる割に抽象的な尖った進行をしてきて、そのバランスが楽しかった。

→これが悲しかった。

ほかのジブリ映画では必ず複数個あった「うおすっげ♡」みたいなアニメーションが薄く感じて悲しかった。(火事の場面はほえ~かっこいい絵だなぁとおもった)

妙に説明的な動きやセリフが多い割にあまり画面が動かなくてもっと振り切った独善的描写にしてほしかった。(例えばアオサギから徐々に顔が出てくる感じとか、歯茎みたいなのが出てきた時点で皮被った異形なのわかるから一場面ごとに5cmくらいずつ出てくるんじゃなくてはよ出てこいやとなった。急につみきがスッと入る図が差しまれて笑いそうになってしまった。)

みんなだいすきばーちゃんたちも、最初鞄漁ってもぞもぞしてたところでテンション上がったけど、それ以降これといった描写がなくてかなしかった。

大発生していた白饅頭なんJ民みたいな恵体インコ達も、「キッモ♡」「オッかわいいね♡」「何食ったらこれ思いつくんだよ」みたいな感情があまり湧いてこず惹きつけられなかった。

否定的なことばかり言っていてもしゃあないので好きだったポイントも書く

主人公を引き留める割にスタスタついてきたり弓の命中にキャッキャしてたりと「なんかこのババア強いぞ…?」と感じ始めた流れが綺麗につながった気がして気分がよかった。

義理のかーちゃんちょっと妙な話し方するなぁという程度で、他は特に気にならなかった。あいみょんが喋る声を知らなかったからかも。

ポスターのカッコいいイメージと違って四畳半の小津みたいなキャラだなあと思いながら見ていて、その印象が覆されることはなかったけどラストの締めが好きだった。解釈が分かれるところらしいが自分主人公自身の心象投影+異空間との橋渡し役、みたいなキャラとして観ていた。単にそういうさらっと差しまれメタ描写が好きなだけかも。

毎度のことだがパヤオ感性が被っていて悔しい。

こんな感じ。周回遅れだけど突っ込んでくれたらうれしい

2023-07-22

ジブリ単独資本ってことは日テレに気兼ねなくサブスク可ってこと?

それなら映画興行が多少コケてでも広告費削ってジブリ単独資本でやる意味は十分あるなあ

今どきTV局に付き合わされてサブスクに手出しできない状況は商売勘のあるプロデューサーからしたらバカバカしくてやってらんないだろうし

しか宮崎駿次回作を作れるかも怪しい、自分も今さら先行きを気にする年齢でもない(そして、たとえコケ次回作スポンサー探しをしなきゃいけなくなっても、そのぐらいやってのける自信も多分ある)だろうから、周囲が思うより広告無し戦略は勝算あったのかもしんない

アオサギ観てきた。

原液というより、出涸らしだった。

使い古されたジブリアニメ表現集大成

今でもこんな絵が描けるんだという感動よりも、まだこんな絵しか書けないんだねという失望感のほうが大きい。

90年代なら、精細な動きの表現に高い評価を得られたかもしれないけど、

この20年の間に、アニメにおける自然美の美麗表現も、コミカルキャラクタの動きも洗練されていったのに、

何も学ぼうとしなかった老害出涸らしを見せつけられた。

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

岡田斗司夫ジブリエヴァ汚染構造

作中では描かれてないけど下品なことを考えた

岡田斗司夫が同様の自説を垂れ流していた

断定口調なので実際にあった話だと思い込んだ

岡田斗司夫が言っていたが鈴木敏夫あたりが言っていたにすり替え

鈴木敏夫あたりが言っていたか宮崎駿or庵野秀明が実際に言っていたにすり替え

公式裏設定

2023-07-21

1時間作業時間で2時間作品を作ることができるのか

小一時間ジブリ作品作れそうってエントリ上がってるけど

2時間映像作品を1時間で作るのってあん想像できんな。

ネタバレなし「君たちはどう生きるか」の世界一かんたんな感想

まず結論から言いたい。

マジで面白かった。ジブリ作品はほぼ見てるけど、上位に入る面白さだ。

宮崎駿作品が好きなら、絶対に見たほうがいい。

いろいろいわれてるみたいだが、おれたちはただ素直な心をもって、アニメーションしかできない表現冒険活劇を楽しめばいい。

難しさとかかけらもない。メッセージ性の強いタイトルに反して、メッセージ性とか特に感じ取ろうとしなくて大丈夫だ。ていうかそういうの求めるなら本とか読もう。2時間商業アニメーション映画にそういうものを仮託しなくていいのだ。深読みしてるやつは自分では気がつかないうちに、頭でっかちか、自己投影してるやつか、承認欲求が欲しいか自分感受性が枯れたことにも気づいてないハイチゾンビになってるかもしれないぜ。

まぁ深読みしてもいいし、そういうの話すのもそれはそれで楽しさはあるけど、そんなところを掘ったって結局出てくるのは自分自身なんだよ。

 

そんなことよりもっと大事なのは、心地よい情景とか、愛らしいキャラクターとか、世界観不思議を感じることで、日本人が愛したというか日本人に多大な影響を与えた天才クリエイターの創るアニメーションを、存分に劇場体感してほしいなと思う。

美味しいご飯を食べたとき、ただ美味しいと感じるように、子供の頃のようにかわいいとか危ないとか綺麗とか怖いとか味わってほしい。

子供がいたら見せてあげたいと思う。

需要があれば神話的に解釈した解説も書きます

anond:20230721140710

ヤオ自分人生について描いてる……という解釈面は、まあ取り除いて述べたほうが良いとして。

ここを取り除けるレベルお話仕上がっていればたぶん評価は別れなかった

ここありきであとは辻褄合わせだからパヤオジブリ周辺のお話を知っているか神作画を楽しめる人しか楽しめなかった

 

ただ作品は完成して公開されて作者から手が離れたら、観た人がどう捉えるかだから

作品の中に何を観るのも自由だし、これが正解はないと思う

anond:20230721130132

少年期によくある混乱と成長、赦しにジブリファンタジーを交えたらこうなったってだけの話やで

ぶっちゃけ戦争云々やファンタジー云々は付け合わせ程度のもんよ、描写は凄いけどね

主人公にとってのトラウマがあそこにあり、それへの解答と出さなきゃいけない答えがあり、何より自分自身の為に告解しなければならないことがあったってだけの話。

からファンタジーが終わったら軽く話してあっさり物語も終わる、それもこれも主人公がどう生きるかの為の話やから

君生きは宮﨑駿の人間宣言である

正直宮﨑駿というアニメーターのお遊び以前に、今まで日本国内に刺激を与えた数々のジブリアニメ映画のものが見たかった。

宮崎駿アニメ日本に限らず、世界中ほとんどの人は一度も鑑賞もしくジブリというスタジオの名を聞いたことがある。

この時代人間が持っている心象風景時代精神は宮崎駿を語らずにいられない。現代ロックソングは、ビートルズという背景があるから発展して来たのと同じだ。

というか、宮崎駿作るのがアニメだけではなく、幼少期の「見る」冒険である。幼い頃に、みんなはもものけの壮大な自然神秘を感じ、千と千尋トンネルから冒険心を育つ。ラピュタで男女の純愛に目覚め、トトロ友愛を知った。

ジブリ映画存在しているだけで、確実に世界はある程度優しさが増えた。

ところが、君生きはなんだろうか?

君たちはどう生きるかという思想の強いタイトルを挙げながら、ただただ今までの作品二番煎じのように、主人公自由意志がなく、ひたすら母を求める。その母への愛情ははっきり言って共感しにくい、特に若い世代に関しては、エディプスコンプレックス的な描写あるいは哲学思想は、陳腐以外他ならない。

宮﨑駿の独りよがり、彼だけにしかからないエディプスコンプレックス、徹底的なエゴイズムだったことは明白であり、宮﨑駿という人間へさほど関心を持たない人々にとっては、どうでもいい話。どうでもいい映画なのだ

それでもこの映画を深いとか、教養が要るとかと漠然と代弁してくれるものがいるが、こいつらは夢から目覚めたくない人たちである

この作品深淵であり、洞察しようと近いたら何もない闇に堕ちてしまう。宮﨑駿が長年に渡り、隠して来たニヒリズムのものの固まり

つの神話、一つの時代はこの作品により終焉を迎えた。

エヴァ卒業式みたいなスッキリした気分にはなれず、捨てきれずに残った元カノメモリアル的な存在だった。風立ちぬで終止符を打ってくれるとダンディではあるが、君生きで〆るのが、無敵の人無差別テロストーカーの未練ダラダラみたいで気持ち悪い。

一昨日映画見に行ったのに、未だにこの不快さが取り除けない、あと褒める人がいることを見てさら陰鬱な気分になってしまう。

とりあえず最後最後無差別テロをやってしまう宮﨑駿は、所詮人間だった。

追伸

外人増田なので、日本語が変だったら許して

2023-07-20

anond:20230719231011

元増田が望むような観光ではないかもしれないけど、仙台から鉄道BRT三陸北上するのはおすすめだよ。

西日本まれ東日本大震災って報道を通してしか理解できてなかったんだけど、BRTに揺られながら北上するだけでも、海岸沿いに続く壁みたいな巨大防波堤唐突に真新しい町並みが高台に出現する南三陸町志津川地区、だだっ広い更地にポツポツとこぎれいな建物が点在する陸前高田景色が目に入ってきて、震災復興もまだまだ全然終わってないんだって思ったよ。

東京からなら時間はかかるけど特急ひたち仙台に向かえば、帰還困難区域も通ることになるので福島第一原発事故の姿もちらっと見ることができる。

ついでに仙台ふつう観光するのも楽しいし(せんだいメディアテークに入ってる仙台市民図書館では郷土資料コーナーにジョジョが並んでいるぞッ!)日本三景松島通り道だッ!!

石巻石ノ森章太郎先生作品ジャックされているけど、旧観慶丸商店という古い地元百貨店を残した建物ジブリ世界から抜け出してきたみたいでめちゃくちゃかわいいよ

在来線BRTだけだとけっこう時間もかかるので、時間と体力があるうちに行くのがおすすめというのもある……

anond:20230720144630

ジブリであればオールオッケー!」

っていう人に限って、限られた作品しかみてない。

anond:20230720144630

しかしどっちの人も「ジブリを語る岡田斗司夫が好き」という人間は大嫌い(火種投入)

ジブリ作品好きな人って

区分けすれば、

ジブリであればオールオッケー!」

な人と、

ジブリの〇〇と◎◎が好き」

となるよね。

どちらかというと後者の方が多い印象です。

anond:20230719231011

とりあえず秋田とか今豪雨で大変なとこはやめとこう~

熊本復興したっぽいからいってきなよ 九州お魚も牛肉うまいやで

秋田以外の東北クーラーそんなにいらないみたい

北海道最高気温26度

 

すぐに行けてラクなのは名古屋京都大阪だけど、

市街地フェーン現象アラブより暑いからやめとこうね。

地下道とかつかって迷うし行き倒れるよ。

 

大阪は常設の芝居小屋?が多いよ。ちかくに宝塚甲子園もあるよ。

当日券買えるなら見に行くのもいいとおもいます

 

USJとかディズニージブリパークレゴランドといったテーマパーク系はもういいよね?

それなりに雰囲気あっておもしろいけどここで尋ねなくても良いし。

あと長崎ハウステンボスとか沖縄マジで足の甲が焦げるくらい今は暑い

やっぱり夏は北いこうぜ。

2023-07-19

anond:20230719160226

自分オタクだし絵を描くけど

本当に社会全体でグルーミングすれば良いんだって考えてるオタクがいて怖い 

宮崎駿のことをロリコンとは言うけど、彼は子供自分を伸び伸び投影できるキャラクターを構築していて、そこに彼の性愛投影されてたとしても殆ど見えない形になってるよね

そのおかげで多くの人がジブリ作品で救われていたとも思える

今は大人なのに、子供欲求の捌け口としか見ていない人間が、それとわからないようグルーミングをしようとしていて、それがおかしいって気付かないのが怖い

自分子供だった時、何でのびのび過ごせたのか覚えてないのか

君たちはどう生きるかティアーズオブザキンダム

君たちはどう生きるかを見てきた。思ってたより面白かったけど俺のみたいジブリ映画とは違っていた。

この映画を見に行く直前にゼルダティアーズオブザキンダムクリアしていた。

俺が見たかったジブリティアキンの中にたくさん詰まっていたなあとしみじみ思ったのだ。

宮崎駿作家から、新しい作品を作るたびに過去作の焼き直しみたいなことはしたくないだろう。

ましてや年齢的にもこれが最後かと思いながら作るわけで、どうしたって自分がなにを作りたいかということを突きつけられたんじゃないだろうか。

そう考えると俺の好きなジブリ作品宮崎駿にとっては既に過去のもので、同じことはしたくないと考えるのは当然だと思う。

それに、君たち~もジブリ映画としての面白さも十分あったと思う。目が釘付けになるような色彩やアニメーションはそれだけで美しい。

だけど俺が見たかったジブリというのはもっとシンプル冒険活劇だったのだ。

今までとは違う世界観で、違うキャラクター達が、自由自在に動き回って、ひとつ物語を完成させる、そういうのが見たかった。

それはもう叶わない事だし、それでいいんだと思う。

宮崎駿以外の人が真似をしたって偽物でしかないし。

なんだか寂しいなと思う。

でもティアキンをやっていて、俺はこのゲームの中にすごくジブリ映画的なものを感じた。

今までのゼルダシリーズで物語としてそこまで入り込んだものはなかった。

前作のブレワイは衝撃だったけど、それはゲームとしてであって物語はいものゼルダだよなという感じ。

しかティアキンに関してはシナリオ部分でめちゃくちゃグっときしまった。なんならちょっと泣いてしまった。

そしてビジュアルアニメーションともに、まさにジブリ的ななにかを感じまくった。

グラフィックなどは基本的に前作ブレワイとそれほど変わってないと思うけど、宮崎駿の新作が上映されるタイミングカブったというのもあってか、

自分ティアキンをプレイしながら改めてこれもだよな、ここもっぽいなあと、とにかくジブリ作品からの影響を強く感じずにはいられなかった。

まずリンクの走りモーションからしてジブリ的だ。

必要以上に手足をバタつかせちょっとやりすぎなくらい早いモーションだ。実際の移動距離からするとお前もうちょっとうまく走れないか?と思ってしまうほどドタバタしてる。

これはもちろんジブリ作品登場人物の動きからの影響だと思う。

アクションゲームとしての気持ちよさが優先されるので、さすがにジブリほどの間を持たせた動きはできないけど、細かいところの緩急の付け方もきっと宮崎駿作品を参考にしてるんだろうなと思う。

ログ族はもののけ姫のこだまからインスパイアされてそうだなとか、料理ビジュアルとか、風景ギミックデザイン、ありとあらゆるとこにジブリ的ななにかを感じる。

これはパクったとかそういう次元の話ではなく、ジブリ以外にもたくさんのリファレンスがあって、それらから生み出されたオリジナルものであるのは間違いない。

ただブレワイを作る時のイメージとして、ラピュタを筆頭にジブリ映画イメージはかなり強く意識されていたんじゃないだろうかと想像してる。

ブレワイは間違いなく傑作だけど、俺の中でそれはあくまゲームとして、という事に過ぎなかった。

数あるゲームの中では間違いなく傑作なのだけど、映画小説なども含めたコンテンツの中ではRPGゲームシナリオというのはそこまで良いと思えるものほとんど無かった。

特に任天堂ゲームシナリオあくまで分かりやすく、エンタメに振り切ってるので重要なのはあくまプレイの部分。

ゼルダもそういうゲームひとつであった。

ただティアキンに至っては、シナリオ自体ひとつラインを超えてきた感がある。

そのアイデアと、そのビジュアル化は完全に「これもうジブリじゃん」と俺は感じてしまった。

たぶん宮崎駿テレビゲームをあまり好きではないと思う。

でもこれこれこういうストーリーで、こんな映像なんですよって見せたらどんな反応をするのかとても興味深い。

あなたの残したものはこのように新しいものへと受け継がれて素晴らしい作品を生み出してますよと俺は思う。

映画ゲーム全然違うけど、俺が今いちばんジブリ宮崎駿遺伝子を感じるのは間違いなくティアーズオブキングダムだ。

ジブリ宣伝なし戦略

真似するところが出てきて、二番手成功して、三番手で大失敗するって予言してる人をTwitterで見た。

ジブリスラムダンクの二番手から予言通りなら次で失敗やな。

2023-07-18

anond:20230718212533

序盤のじっとりしたホラーみたいな雰囲気とそれに全然さな真人がかなり好きなジブリ主人公だった

あとインコ包丁舐めるシーンのユーモア

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