はてなキーワード: 志津川とは
元増田が望むような観光ではないかもしれないけど、仙台から鉄道とBRTで三陸を北上するのはおすすめだよ。
西日本生まれで東日本大震災って報道を通してしか理解できてなかったんだけど、BRTに揺られながら北上するだけでも、海岸沿いに続く壁みたいな巨大防波堤や唐突に真新しい町並みが高台に出現する南三陸町志津川地区、だだっ広い更地にポツポツとこぎれいな建物が点在する陸前高田の景色が目に入ってきて、震災も復興もまだまだ全然終わってないんだって思ったよ。
東京からなら時間はかかるけど特急ひたちで仙台に向かえば、帰還困難区域も通ることになるので福島第一原発事故の姿もちらっと見ることができる。
ついでに仙台をふつうに観光するのも楽しいし(せんだいメディアテークに入ってる仙台市民図書館では郷土資料コーナーにジョジョが並んでいるぞッ!)日本三景の松島も通り道だッ!!
石巻は石ノ森章太郎先生の作品にジャックされているけど、旧観慶丸商店という古い地元の百貨店を残した建物はジブリの世界から抜け出してきたみたいでめちゃくちゃかわいいよ!
・もとの町は地面の10メートル下にある。これは底上げ工事をしたから!震災から8年経ったけど、まだ工事現場にいるって感じ。
・津波の前には引き潮が起こる(海水が沖の方にあつまっていって、海底が見える)
・山から津波が来た??南三陸に来た津波は、周囲の山々に反射して背後からも襲ってくる。海からの波と山からの波とが強めあって一層ひどいことになる。
・高台に逃げて助かった志津川中学校と、屋上に残って助かった高野会館の老人たち。周辺の小学校で唯一死者84名を出した大川小学校の生存者は1名。裏山に逃げれば助かったのに、校庭に待機してしまった。このへんはWikipediaを読むと現場の葛藤が伝わる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石巻市立大川小学校
・避難を呼びかける無線は、南三陸町防災対策庁舎の2階から62回に渡って放送された。多分YouTubeで聴ける。結果的に防災庁舎は3階までまるまる浸水し、職員の多くも亡くなった。三階のアンテナにしがみ付いて身を寄せ合う職員の方の写真も見せてもらった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/南三陸町防災対策庁舎
おしまいです
まずは春夏秋と、県内3連覇を達成した仙台育英なしには語れない。昨夏の甲子園での敗北をきっかけに着手した打撃強化が実り、「打のチーム」と化した。また、1年生を積極的に登用し、層の厚さも県内随一。選抜での活躍が期待される。
その育英を終始追い詰めながらも、毎回あと一歩のところで敗れ続けた東北高校。特に秋は2戦とも勝利寸前まで持ち込んだにも関わらず逆転サヨナラ負け。打力は全国クラスだろうから、投手力アップがポイント。特に、秋の2戦でサヨナラの長打を許してしまった「打者・笹倉」対策は非常に重要。
昨秋、東北大会ベスト4という大躍進を果たした古川高校は、夏は育英へのリベンジを前に悔しい敗退。鉄腕エース・千坂、大黒柱・髙橋のバッテリーを中心に、長い間楽しい夢を見せてもらえたことに感謝。
その古川を春夏と破った東北学院榴ケ岡。下級生時から光るものを持った選手が多く、個人的には甲子園も狙えると思っていたが、育英の壁は高かった。正直に言うと、一冬でイマイチ伸び悩んだ感は否めない。だが、手負いの状態で育英を前半は完璧に抑え込んだ鴻巢のピッチングは、フォームとコントロールの大切さを改めて教えてくれた。
北部地区では、大崎中央も昨秋の東北大会でジャイアントキリングを達成し、実力に結果が追いついてきた学校だ。荒井世代が勝負の年と思いきや、遠山世代のポテンシャルの高さはさらに上をいくと見る。白石工業との再戦では、懸念されていた脆さが出て敗退してしまったが、個人的には観ていてとても楽しいチームでもあり、春に向けてさらなる進化に期待したい。
また、上記以外でも利府・古川学園・古川工業などの実力校を中心に、北部地区は年々レベルの向上が凄まじい。かと思えば、富谷・岩ケ崎・黒川・小牛田農林なども少ない部員数ながら安定した戦いぶりを発揮し、古川黎明・迫桜などの超無名校にも面白い選手がいる。
南部地区では、柴田高校は今年もベスト4の壁を破ることが出来なかった。柴崎・平間と2年連続で左腕の好投手を擁したが、悲願達成を考えると同格クラスの投手がもう1人欲しい。そういう意味では、新チームは頭数が揃っているので、個々のレベルアップに期待したい。
仙台南・仙台城南も、1年生の頃から活躍する選手が多かったが、頂点には届かなかった。しかし、いずれも下級生に好選手が複数残り、特に城南は昨秋の古高ポジとして東北大会ベスト4を達成。春も大いに期待したい。
東部地区では、東陵や石巻工業がリードしつつ、その後ろを気仙沼向洋、松島、塩釜などが追う構図が確立しつつある。佐沼・登米などの伝統校も侮れない。反面、実力校・石巻高校が年々元気を失いつつある感じがするので(応援団長の爺さんは相変わらず元気で何よりだが)、復活に期待したい。
また、志津川高校や宮城水産高校に多数の1年生が入部し、特に宮城水産が夏は数年ぶりに単独出場を果たしたのは、県内で最も少子化の影響を感じる(個人の感想)東部地区だけに、非常に明るいニュースであった。
宮城県高校野球の4つの地区のうち、最激戦区である中部地区では、中堅私学の躍進が目立つ1年だった。
春は、聖和学園が初の県4強、そして東北学院が初の東北大会で花巻東を破りベスト8。多彩な投手陣と攻撃パターンを駆使する、東北生文大高も安定した強さを発揮。
実業系学校では、なんといっても秋の県準優勝、そして東北大会でも強豪を相手に善戦した仙台商業の活躍が光った。公立古豪の活躍は、強豪校へプレッシャーを、そして同じ公立校へ勇気を与え、中堅私学の台頭とともに、県内の高校野球に活気をもたらすだろう。
仙商の飛躍を糧に、実業系学校の仲間であり、近年やや低迷している感のある仙台工業・宮城工業(市工・県工)の両校が意地を見せたい。
伝統校では、県内トップクラスの進学校である仙台一高・二高・三高のいわゆる「ナンバースクール」勢が、それぞれ違った特徴を有しており、興味深い。
・守備力向上が課題だが旧チームから強力な打撃を見せる選手が集う二高
・秋は部員20名未満ながら、各自のポテンシャルをフルに引き出す「らしさ」満載の三高
学力だけでなく、野球でも見所のある選手を育て、好ゲームを演じるナンバー勢も今後が楽しみだ。
今回挙げた学校以外にも楽しみなチームが沢山あり、県内には、私がまだ一度も試合を観たことのない学校も存在する。
宮城県の高校野球という、一見ごく限られた世界もその内情は実に奥深く、まだまだ私もその世界のほんの一部にしか触れられていない。
2020年も、1人でも多くの選手が、心身ともに健康で、大好きな野球を楽しみ、懸命にプレーしている姿を見ていきたい。
最後に、現時点で私が選んだ、個人的な2019年度、宮城県高校野球ベストナイン(10名、3年生限定)を掲載し、当記事の結びとさせていただきたく思う。特に投手、捕手、遊撃手を中心に人材が豊富で、選出に苦労した。企画のたびにメンバーが変わることは間違いないだろう。
【右投手】
1年から実質エース。東北大会ベスト4の原動力となった鉄腕投手。速球の球質、スタミナ、精神力の強さはおそらく県内ナンバーワン。味方にエラーが続出しても、明るく励まし続けた姿が印象的。
【左投手】
この選手も1年時から活躍。特に自らの代では、主将・エース・4番打者としてフル回転。投打の能力も高いが、千坂同様、マウンド上での振る舞いが素晴らしい。
【捕手】
春から捕手に。そうは思えぬ守備力と、4番を担う打撃力で夏のベスト4に大きく貢献した。次のステージでも「打てる捕手」にこだわって欲しい選手だ。
【一塁手】
丹治 基(東北生文大)
春の地区予選4HRのスラッガー。パワフルな体格から、見た目通りのスイング・打球を繰り出す。1本でいいから見たかった。
【二塁手】
センスや長打力はずっと光っていただけに、技術面での悪癖がそれらを殺していた姿が非常に歯痒かった選手。最後の夏にようやく完成させた打撃で、甲子園では大覚醒。
【三塁手】
異様なまでの勝負強さ。走塁時に相手野手の安全を第一に考えてプレーするなど、キャプテンだけあって人間性の良さも光る。
【遊撃手】
球際に強く、深い位置からも確実に刺してくる守備には華やかさもあり、将来メシを食える可能性すら感じさせる。
【左翼手】
古山 慎悟(東北高校)
東北大会で放った、逆方向へのHRはすごかった。ほとんど急造ながらも、夏は4番・投手としても活躍した二刀流。
【中堅手】
走攻守に優れた能力を備えた「スーパー1年生」も、甲子園の土を踏むことは出来なかった。次のステージこそは、全国出場を果たして欲しい。
【右翼手】
小濃 塁(仙台育英)
甲子園で得た借りは甲子園で返す。下級生時の悔しさを晴らした2本のHRは素晴らしかった。対戦相手の投手へドリンクを持っていく優しい一面も。実は内野手としても良い動きをしているので、大学では幅広い可能性を模索して欲しい。
-復興は移住を伴わざるをえない
今回の震災で、東北の海側の多くの町(宮古、大船渡、釜石、陸前高田、気仙沼、志津川(南三陸)、女川、牡鹿町など。)が自治体レベルで壊滅している。これらの街では、町民の多くが亡くなっている模様だ。本当に心が痛い。私の祖母も石巻に住んでおり、幸い無事だったものの、安否が確認できるまでは、生きた心地がしなかった。
住んでいる方々は街の壊滅を目にし、今後復興が出来るのだろうか、と思っているに違いない。
しかし、幸いにも、今は国を挙げて(世界からも)支援を行う、という機運が出てきており、金銭的・物理的な支援が今後予想される。ただし、生き残った方だけが元の場所にあらためて住居を建てて居住し、街を作るということはおそらくできないだろうし、するべきでないだろう。
それは、これらの街に(東北全部に言えることだが)共通しているのは、どの街も高齢化が進んでいると言う事だ。限界集落となる人口を超えてしまった場所が多数あると考えられる事と、人口が減ってしまう以上、人口に対して街が間延びし、電気・ガス・水道・交通などの復旧コストも増加要因となってしまうからだ。加えて行政・医療・教育・介護などはスケールメリットがきくので、ある程度街のサイズがあった方がきめ細やかなサービスを提供できる可能性も高い。
つまり、復興する街は住民の移住を伴った新しい街になる、ということだ。
そして、もちろん、何よりも地震・津波に強い必要がある。特に、今回想定を大きく超えた津波で壊滅した街が相次いだ事から、海沿いの街のあり方を根本的に考える必要がある。
今回、自治体は一からの復興を目指さなくてはいけないが、逆に言えばまったく何も無い状態から、自由な発想で一から街を作る事が出来るチャンスでもある。
一からの街づくり、というのはおそらく戦後以来であろう。まさに、戦後蓄えた都市計画の知識を総動員する時だ。
特に、高齢化が進んだ街の問題を解決する街を作る事が出来れば、将来的に東北だけでなく日本中到来する高齢化社会のモデルともなろう。
私は、ある程度(千人~)の規模を持った、中層(10F-20F)建ての共同住宅を中心とした、コンパクトシティを目指すべきだと思う。
主な理由としては、
である。
-問題は産業の復興。地域への投資インセンティブをつけ、企業の呼び込みを
今回、漁業・工業などは壊滅的な打撃を受けてしまった。それにより、漁業・工業に従事している方向けにサービスを提供していたサービス業すらもなくなってしまう危険がある。産業が無ければ、労働年齢の人口は生きていく事ができない。この地震により産業がなくなったことで、労働人口がさらに都市部へ流出してしまうだろう。
これをどのように食い止められるか。ある程度は復興事業により雇用できるだろうが、大事な事は復興事業以外の留めない事だ。一時的に復興事業により雇用も生まれるだろうが、復興事業は持続的なものではないのでいずれなくなってしまう。この地域を復興事業依存にしてしまうと、永遠に復興費用を支出しなければいけなくなってしまう。
大事な事は、企業の投資を呼び込んで、持続的な産業を作る事だ。投資企業に対する法人税の免除などのインセンティブを用意し、企業を呼び込むことを本気でやる必要がある。産業の壊滅具合を考えると、各県にこのためだけの部署があっていいくらいだ。
ここで、上記の街づくりと絡めて、「介護都市」を作り、その「介護企業」を作るのもいいかもしれない
企業は寄付も良いが、そのお金で地域再生ファンドなどを作って、会社を作ってはいかがだろうか。企業の一番の社会的責任は、産業を創出し、雇用を作り、納税する事である。
転載 http://d.hatena.ne.jp/yesucandoit2010/20110317/1300339904