はてなキーワード: ゲーテとは
金が減って備品の価値があがったわけではなく金が備品に変わった。
減価償却というのは書いてある通り使った分を決められた期間にわたって配分すること。この場合今期の減価償却費は800÷8=100
売上1000はなくなったわけではなく費用100をひいて利益900に変わった。
資産とか費用とかいきなり言われても???かもしれないので後述する。
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利益/
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収益(売上)というのは費用(収益を獲得するために使ったコスト、この場合備品減価償却費、人件費や仕入費なども費用)と利益にわけられる。
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/ 利益
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資産は負債(資産の入手手段)と負債を抱えて商売することにより増えた利益にわけられる。
反対側に回ればその項目のマイナスになる。
仕訳を一つ一つ見ていく。
現金 1000/売上 1000
ここでこれに戻ってみる。
利益/
↓
利益900 /
こちらも見ておく。
/ 利益
なんとなくイメージできただろうか。
昔からキャラ萌えが魅力的な物語を作るための基本だったのだけど。
ホメロスではペネロペイアたんprprなわけだし、シェイクスピアではコーデリアたんprprだし、ゲーテではロッテたんprprだし、トルストイではカチューシャたんprprだし、ドストエフスキーではドゥーニャたんprprだし。
ドラマや映画だってヒロインは美人ばっかり。オードリー・へプバーンとかいま見てもほんとにきれいだよね。
硬派なアニメが好きな人には申し訳ないけど、キャラ萌えがすべての基本なんだよね。これ現実。アニメだけの問題じゃない。えるたそ~してるのはキモオタのぼくらだけじゃないってこと。
なんできみらが美少女のことをそんなに嫌がるのかぼくにはわけがわからないよ。
硬派で内容があるといわれているエヴァだってコードギアスだってまどマギだって美少女ばっかりだよね?(とくに亡国のアキトのレイラ・マルカルってやばくない?)ファンの大半はストーリー考察して楽しんでるのではなくて、単純にほむほむしてるわけ。宇宙戦艦ヤマト2199の森雪とかも魅力的すぎてやばいよね。
昔のアニメだってそう。ハイジだったらクララが勃ったのクララさんは美少女だし、ロミオの青い空ではアンジェレッタたんとか超美少女天使だったし。
万葉集にだって恋の歌がたくさん載ってる。日本の神話ではたとえば木花之佐久夜毘売たんprprなわけだし。ニーベルンゲンの歌ではクリームヒルトたんprprだし。北欧神話ではフレイヤたんprprでしょ?
ぼくらキモオタは間違っていない。きわめて正常だ。世界中の人間が美人や美少女を見てはprprしているのだから。
美少女を見てすぐに豚向けだとか言ってるやつらがおかしいんだよ。たとえばけいおんにだってちゃんとストーリーはあるしドラマもある。
日常描写に意味を感じられないなら、それは純文学や詩を楽しめないのと同じだし、それって要するに感度が低いだけっていうか、物事の繊細さ、風雅を理解しないがさつな人間ってことなんじゃないの?
人が死んだり戦争したりっていう極端な描写、刺激の強いものしか理解できない人間ってことなんじゃないの?
曖昧な共感だとかを理解しないコミュニケーション能力不足な人間ってことなんじゃないの?
日本は和歌の文化だったけど、ときにはなんでもない自然を取り上げてこざっぱりと歌い上げたりしてきたわけだよ。アニメの美少女描写はそういう自然を歌ったときの感動に近いものがあると思う。未確認で進行形の真白たんはかわいさがやばかったけど、あのかわいさはひとつの芸術だよ。おしつけがましい演出ではなく、あくまで真白たんにとっての当たり前の動作として表現しているところがすごい。ここに静かな、だが奥深い感動があるわけだ。
美少女アニメはこれからも続いていくよ。ラブライブが馬鹿売れしたみたいだしね。結局ぼくらが求めてるものってそういうのなんだよ。
硬派なオタクはアニメがくだらなくなったとか嘆くけど、だったらきみがいいと思うアニメにちゃんとお金を出しなよ。ネットで俺わかってるみたいに気取ってないでさ、ちゃんといいと思った作品を買い支えなきゃ。オタクがみんな美少女いらねってなればそういう硬派なアニメが増えるんじゃないでしょうか。しかしそんなことになるかな。ぼくらは美少女が見たいのでね。
古いアニメを持ち出すが、ゼロの使い魔のアニメ2期のEDの歌詞に『よそ見してたでしょっ 他の女の子』
という歌詞がある、これは主人公であるサイトがルイズの視点から見るとしょっちゅうシエスタやキュルケに色目を使い目移りしているように見えるということを示唆している。
しかし読者や主人公からすれば主人公であるところのサイトがずっとルイズが好きなのは明らかである。
では何故そのようなすれちがいが発生するのか、これをゲーテの名作であるところの"若きウェルテルの悩み"を読んでいたところ思いついたのでここに記してみる。
若きウェルテルの悩みはウェルテルがロッテに猛烈な恋をするが、既婚者であるロッテとの恋はどうやっても叶えられないことに絶望し最後には自殺をするという壮絶な内容であるが
ロッテが結婚したからといってすぐ自殺をしてしまったほけではなく、当然そこには過程がある。
ウェルテルはロッテがすでに婚約者であったがためにいったんよその土地へ行くがまた戻ってきてしまう、そして戻ってきたときにはロッテはすでに結婚しており以前住んでいたときの住民の近況は変化していた。
作中のエピソードでウェルテルがある口下手な作男と非常に仲良くなり、その男はある後家さんのところで働いており非常にその女主人を慕っており、女主人のほうも作男を優遇しておりにくからず思っているということが語られる。
ウェルテルがよその土地から戻ってみると、その男はウェルテルが留守にしているあいだにその女主人と腕ずくで思いを遂げようとしたがそれを快く思わない女主人の弟の介入もあり拒否され解雇されてしまう。
もちろんウェルテルはこの作男にロッテへの強烈な横恋慕をしている自分を重ねあわせて同情する、そしてこの作男は最後には後任の男を殺してしまうのだ。
作男がこの後任の男を殺したのにはもちろん理由があって、何故か女主人はこの後任の男と結婚しそうな気配があったらしい(なぜこうなったのかは私にはわからない)
ウェルテルは後任の男を殺してしまったこの作男を強烈に弁護するが周りからは受け入れられない。
他にもロッテに恋し、それを打ち明けた結果免職になり気が狂ってしまった書記の話などが語られる。
もしもまともに恋愛ができたならば当然この書記はウェルテルにとっての恋敵なわけだが、ウェルテルはこの気が狂った書記の話に対してはげしく感動をしてしまう。
なぜなら、この書記はウェルテルがやりたいと思ってできなかったことをした結果狂気の道におちいったからだ、それに対して深い同情を覚えて感動をしたわけだ、しかしこれはウェルテルにとっては絶望への一歩だったと思う。
さて前述の作男の裁判をした結果、弁護は受け入れられずウェルテルはロッテとの交流も断たれてしまい、最終的に自殺の道を選ぶことになる。
では何故ウェルテルは自殺をしたのか? ロッテが婚約しているにしても、結婚前に告白すれば万が一でも受け入れられたのではないか?もしくは他の女性を探すとかロッテを略奪するとかさまざまな道があるのではないかと読者が思うのは当然である。
しかしこれらの道はすべてウェルテルからするとすでに検討された、というか現実に試行してみたようなものなのだ。ウェルテルは発狂した男や殺人を犯してしまった作男を見て、自分の思いをうち明けたり略奪をしようとすれば同じ結末になることに気がついてしまったのだ。
とはいっても、他の土地へ移るというのもすでにやってしまった道であり、どうやってもロッテへの想いを抑えることはできないと悟ったから最終的に自殺をするわけである。
ではどうしてこういう考えに至るのかというと、告白やら略奪といった行為は男性にとって非常にリスクのともなう行為だからだ。
古来から女性には恋愛や結婚に弱い拒否権はあっても、誰々と結婚したいといった能動的な権利は与えられてこなかった、つまり求婚は基本的に男性から行われてきたのである、これは現代でもある程度同じ傾向が見られるといっていいだろう。
フィクションであれば"すばらしい新世界"などで女性から直截なセックスを求められ野蛮人(旧世代人)のジョンがショックを受けるといったような話があるが、だからこそ現実ではそうはなっていなかったということがわかる。
それはともかく、女性から求愛をするというのは稀であるというのがわかると思う、これは"据え膳食わぬは男の恥"という故事成語からもめったにあることではなくそのような事までさせてしまったのだから男は責任を取れという意味合いであると思う。
つまり求愛は男性から基本的に行われ、女性はせいぜい思わせぶりな行動しかとれずあなたは私をどう思っているのか?ということは聞けないのである、聞けば実質それは告白と同じである。
そして万が一その告白が拒否されればそれは恥ずかしいことであり自分の自尊心を大いに傷つけることになる。しかしそういったことを聞かずある程度まで仲良くする分にはまったく問題がなくノーリスクなわけである、女性の側からするとやきもきするかもしれないが男性の側からすると告白はリスクの伴う行為であり確証を得るまでは動けないのである。
告白を行うムードまでもっていけたら実質告白前に勝負は決まっており勝ちも同然である。
ある程度の仲まで持っていくのはノーリスクなのだから青年男性はいろんな女性とある程度に仲よくなったりするわけであり、それは意中の女性がいたとしてもまだ彼氏彼女の関係になっていなかったらそうなのである。
それはリスク分散という側面もあるし、単に女性と話すスキルを上げたいというのもあるだろうし、告白し失敗した場合に自分の精神を守るための布石だったり、一人の女性だけに入れ込んでいるのは怖がられそうという判断のためだったりするだろう。
しかしこれは女性の側から見たら、男性はいろんな女性に目移りしたりデレデレしているように見えるのではないかと思った。私は好きとは言わないけどあなたからは言って欲しいというわけである。好きと言ってくれなかったらそれまでの愛が憎しみに変わったりすることもあるわけで、
たとえ男の方は意中の女性のことをずっと一途に慕っていたとしてもそうなったりする。
こういうことを考えていたら、そういえばゼロの使い魔のEDにそういうような歌詞があったなと思いだされてたので文章にまとめた。
ともあれ恋愛弱者に対して死刑宣告をするような本だった、途中まであまり面白くなかったがロッテに告白して爆死した男にウェルテルが同情したあたりから面白かった。
なんでもいいから書くといいよと精神科の先生にいわれたので書いてみる。
いままで「すべてのアニメを過去にする」傑作アニメはたくさんあった。たとえば絶賛放送中の『アルドノア・ゼロ』もそうだ。『アルドノア・ゼロ』は間違いなく今期最大のヒット作になるだろう。虚淵玄はドイツではゲーテ以来の天才詩人といわれ、フランスではデリダの精神的後継者といわれ、ロシアではプーシキンの再来といわれ、アメリカではリアルホイットマンとたたえられ、日本では村上春樹をしのぐノーベル文学賞最有力候補だと一部ではいわれている。だがわれわれはあえて『残響のテロル』に注目している。なぜなら『残響のテロル』は「すべての過去をアニメにする」神アニメだからだ。「すべてのアニメを過去にする」傑作アニメというのは「すべて」というところからわかるように、それ自体自己言及的になっている。したがって「すべてのアニメを過去にする」傑作アニメというのはすべてのアニメを過去にした瞬間に、それ自身も自己言及的に自己自身によって過去に追いやられてしまう。すべてのアニメを過去にした偉大な新時代のアニメがその誕生と同時にすでに死んでいるというアイロニカルな構造になっているのだ。このアイロニーから逃れられないのが「すべてのアニメを過去にする」傑作アニメなのであり、従来の傑作アニメというのは生み出されたときにはすでに陳腐化しているというアイロニーから逃れることができないでいた。「すべてのアニメを過去にする」傑作アニメはそれ自体の内に過去を含んでいるのだ。真に創造的な作品だから未来志向にも見えるのだが、じつは過去という底なし沼から伸びてきた腐食した手にからめ取られて引きずり込まれてしまう。そしてその暗黒の沼に自己自身を見る(その手ははるか昔に、生まれる前にすでに死んでいた自分の手だったのだ。死産した胎児の声なき叫びだ)。「すべてのアニメを過去にする」アニメはそれ自身を過去にし、過去は更なる過去へとひきずりこまれ、原初の過去へと向かい、宇宙開闢の瞬間へ向かおうとする意志を持つ。すべては過去になる。すべては過ぎ去る。そして無へと潰れる。だから傑作アニメには一種の悲哀がともなう。そこには悲観しかない。われわれはわかってはいたのだ。傑作アニメを見たとき、それはすでに未来によって乗り越えられているということが。われわれはわかってはいたのだ。結局われわれは無を愛撫していたにすぎないということが。なにもかも過ぎ去って、すでに終わっていた。時間は凍結し、空間から熱が引いていった。だがわれわれの前に『残響のテロル』が現れた! ついに現れたのだ! 『残響のテロル』にはすべての過去が含まれている。便所飯はなにを意味するだろうか。それは食事と排泄の同時性だ。われわれはまだ口と肛門を区別していない。そうだ。これは生命の誕生なのだ。きわめて創造性の高い、無垢なる、自由な、永遠の意志、無限の未来への飛翔! 二元論の生じる前のカオスのカオス、混濁した幻覚的な性感帯のおそるべき幸福な絶頂感のみがみなぎった世界。なぜテロリストはアヒル口なのか。アヒルという牧歌的存在にこそ破滅の種がやどっているからだ。戦士は戦士によっては倒されない。戦士が死ぬのは娼婦の前でだけなのだ。これは歴史が証明してきたことだ。アヒル口テロリストは歴史に巣食ってきた処女性に含まれた亀裂、多産性と引き換えに失った平和の象徴である。射精的安楽こそ世界の火種なのだ。「すべての過去をアニメにする」神アニメはすべてをアニメとして書き換えていく、外部へと環境へと働きかける力を持つ。すべてをアニメにしていく、そしてそのアニメがさらなるアニメをうみだしていく。アニメはアニメによって置き換えられ、アニメがアニメに繋がることによって、それは永遠に進んでいく。アニメの無限行進。アニメの爆発的連鎖。それはアニメ時空ともいうべきものを作り上げるだろう。それ自体でのびつづけるアニメの網だ。それはもう冷える宇宙ではないだろう。次元を超えた愛だろう。絶頂を越えた世界でわれわれは天使になるだろう。耐えなければならないその圧倒的幸福に人間のままでいることは許されないのだ。『残響のテロル』はすべてをアニメにするだろう。なぜ都庁爆破があんなに簡単にできたのか。それはアニメだからだ。そしてそれは過去のアニメ的出来事、つまり主として911の余韻があるわけだが、まさにそのことによって、アニメ的出来事が現実ととけあい(911はたしかにいままでは現実として語られがちだったのだ)、その境界はここにいたって不分明になり、アニメ時空が現実に侵食してくることになるのだ。すべてはアニメ的になるだろう。幼稚さという狂気。短絡的な世界崩壊。理性の不発。それは『魔法少女まどか☆マギカ』によって予告されていた悪夢でもあった(Gen Urobuchiは惜しいところまでいっていた。だがかれにはまだ愛が足りなかった。かれは健全すぎたのだ、良識的すぎたのだ、大人すぎたのだ、成熟しすぎていたのだ)。鋭敏な鮮烈な想像力は退化して、茫洋とした曖昧模糊とした神話を呼び寄せる。そこに召喚されたアニメ時空が境界を侵犯して現実に襲い掛かってくるだろう。すべては妄想によって形成され、妄想はすべてとなるだろう。きみはやがて逆立ちして排泄するようになるだろう。もちろんわれわれにも恋人ができるようになるだろう! われわれはひとつの体験をすることになる。それは存在のあり方を変えてしまう圧倒的な体験だ。これを見てしまったらもとのままの自分ではいられないだろう。なぜならわれわれはひとつの真理を悟ることになるのだから。二次元的妄想によって書き換えられた世界はどこに行くのだろう。すべてはギャグの様相を呈してきている。われわれはいつも嘆いている。やれやれ子供だましなアニメだな子供向けというのは子供だましということではないのであってうんぬんかんぬん。だがしかし現実のほうがアニメ的であり、アニメ時空的であり、アニメなのではないか。だれがこんな世界にしたのだ。どうして美少女は空から降ってこないのか。いやそれこそアニメではないことの証拠ではないか、いやいや、むしろ美少女が空から降ってこないのは非現実的なのだ。ああとわれわれはさらに嘆く。きみは美少女が空から降ってきたところを見たことがないのか。もちろん『残響のテロル』では美少女が空から降ってくる。ヒロインはジャンプしたと見せかけて空から降ったのだ、まさにすべての過去を、すべての飛び降りた美少女たちの意志をアニメにするために。美少女が空から降ってくるという古典的アニメ表現は『残響のテロル』にいたって、ついにアニメと現実の境界をまたいでしまった。これまでアニメ表現はアニメ表現でしかなかったが、いま彼女が飛び降りたことによってすべてはアニメ的現実になった。それはたんなる表現ではないのだ、もはや現実なのだ、アニメなのだ。これまでにうまれた数々の傑作によってすべてが過ぎ去ってしまったが、ついにすべての過去をアニメにするアニメが生まれた。アニメ的表現がついに次元の壁を越えたのだ。すべてはアニメになるだろう。太陽の死の後、人類が生き残るにはもうアニメになるしかないのだ。われわれは新しい太陽を作ることはできない、だが、新しい太陽をアニメにすることはできる。銀河という足枷からわれわれが羽ばたくにはアニメの力がどうしても必要だったのだ。人類はついにアニメを本当の意味で獲得した。と同時に、われわれはアニメになった。われわれの想像力は現在の認知のありかたをテロリストのように破壊して、すべてをアニメにするだろう。人類はいまやっと白内障から脱して、真に世界を見ることになったのだ。諸君、世界は美しいか。
指摘の通りでその本から持ってきた話だよん。方向低位の話をするのになぜ方向定位と海馬の話をわざわざ持ってきたのかというとだね。
この辺の情報を統合すると、海馬ゲーティングの異常から来る後頭頂葉の機能異常が統合失調症陽性症状と関係しているんじゃないかと思ったんだよね。どうだろう。
rem睡眠中にpgo波(pons-geniculate-occipitalis)という脳波がみられ、これが夢の生成と関係していると考えられています。occipitalの名前通り後頭葉、つまり視覚野の活動があるわけです。なので夢は視覚で構成されます。
一方痛覚に関しては視床でゲーティングを受け、ほかからの入力がないため、夢とは関係ないと考えられています。
覚醒後に夢の内容に意味付けをしようとして知覚があったと勘違いをしている(炎の視覚イメージを根拠に、熱かったはずだと考えた)可能性、あるいはメタ認知を認知と勘違いしている(熱いと思った、を、熱かった(熱い感じがした)と間違えている)可能性が考えられます。
1位 モンちゃん
『ザワールドイズマイン』の主人公。 原始人みたいな動きと考え方で、大量殺人や大量爆破、警察署乗っ取り等等やらかす。
2位 タッソオ
モテまくり、才能認められまくりなのに、猜疑心から冷静さを失い問題行動を起こしまくり、どう考えても損なんだけど破滅に向かって突き進む。
現実が信じられなくなってくるっていく様子が非常に分かるし、また行動の破滅っぷりもカタルシスが素晴らしい。そして本人にはまったく悪気が無いところも評価が高い。
3位 バキ
イケメンっぽい雰囲気だけどイケメンではない。一本筋が通ってる生き方のようで理屈がことごとくずれてる。
最初のころはこの漫画に影響されて炭酸抜きコーラを飲んだりしたんだけど、主人公がだんだん頭おかしくなって、カマキリ出たあたりでどうしたんだろ、、、と心配になったのもいい思い出。
4位 黒須太一
障碍者に優しいのは、障碍者の気持ちがわかるから。というような雰囲気だけど、じっさいは周りに合わせられる自分を作ることで人間性を取り戻そうとする。という異常性が面白い。
やさしいようでいて、まったく優しくないという人間の業レベルでの深い人間性と教養を感じる語り口が素晴らしい。
同ゲームの支倉曜子も素晴らしいってか、このゲームは全部キャラ素晴らしかった。
5位 エディーブラボー
実在の人物なのでキャラではないかもしれないが。格闘技の寝技における革命を起こした。
柔術をやったことが無い人に魅力を伝えるのは難しいが、「コブラツイストを実践レベルにまで仕上げた」「レスリングと柔術を巧くミックスした」等等数え上げればキリがないが、どうしてそんなこと思いついたんだ?という長大かつオリジナリティ満載のワザ体系がすばらしい。しかも、完全に基本的な柔術とはズレタワザ体系であるために身に着けるのが結構難しいし、体の柔らかさが求められる。
人間の意識に反した体の動きをする技術体系なため、見ていてひきこまれる。 どうやったらこんなことを思いつくのか非常に不思議でそこに魅力を感じる。
via http://areyoukicking.hatenablog.com/entry/2013/12/17/181448
うーん。小木だったらおしゃれになっちゃうよー
おばーちゃん、おじーちゃもー小木なら大丈夫つって、
小木と直太朗が歌う桜。うーん。
だってまず、小木おしゃれじゃん。
ダルメシアンがむしろ小木に飾って、ゲーテの表紙飾っちゃって、
キジ?
イギーポップでしょーよー、うーん、オギーポップ、語呂も完璧だな―
団子なんてあげなくても、ついてきちゃうよ。
小木が買ってあげたら、そのお店人気店になっちゃうよー
小木っていっつもそう
猿?
きぐるみ来て桃太郎。小木似合うだろうなー、着こなすだろうなー
もーなんでも小木。小木なわけよー
いやー小木ならいけるよー。絶対。その下におしゃれなチョッキ来て、一発でしょー
だって小木だよー、小木以外ありえないでしょー。
鬼ヶ島?
鬼の方が来ちゃうでしょ―
だって小木だよー
俺だったらいっちゃうよー、小木さんと一緒にビーチで遊んじゃうよー
セブ島で鬼さんおいででしょうよー
フフ楽しそうだなー
小木と一緒のセブ島楽しそうだなー
鬼ってたってさ、鬼ってたって相手小木だよ。
うーん。
そうなっちゃうんだよなー
小木っていっつもそう。
ケンカにならない。うーん。
みんな小木の事好きになっちゃう。
一緒にいてもやにならない。
小木っていっつもそう。うーん
最近暇なので、ブックオフとかで安く買えそうな所謂古典的名著?的なものを
色々読んでみようかと思った。
なんとなく興味が湧いたやつをピックアップしていった。
適当につらつら書くので、参考にするなりツッコミを入れるなり好きにしてくれ。
あと他にもこれ読んでおけみたいなのがあったら教えて欲しい。
正直ありきたりのラインナップで面白みが無いと言うことは先に言っておく。
一部、古典でも名著でも何でも無いやつが混じっているが、
これはまあ適当にAmazon眺めてたら目に入って気にはなっていたので追加した。
それを買ってみようかなと思う。
全部読み終わるのにどれくらいかかるだろうなー
リリース3週間で20万ダウンロード達成した、手軽に名作が楽しめる電子書籍アプリ。
このアプリの凄いところは、無料でも最初から最後まで読めてしまうということ。シェイクスピアってどんな人?日本の始まりっていつ?新渡戸稲造って何者?カラマーゾフの兄弟ってどんな話?
そういう方におすすめ。いままで読んでなければきっと一生そういう本は読まないでしょうし・・・。6時間ごとに約100ポイント貯まり、3000ポイントに達すると一冊無料で読めます。初めての方は紹介されることで一気に2500ポイント貯まります。
「まんがで読破」
https://itunes.apple.com/jp/app/mangade-du-po/id576960723?mt=8
アプリを起動すると、招待者のIDを入れることができますので私のID:
FGYWAILMD
を入れて頂けると私も一冊読めるので幸いです。
ここからは私の発見した裏ワザなのですが、招待されたあとで2500とさらに500貯めて一冊読み終わるとします。その後アプリを削除してダウンロードし直すと、また招待されることができます。レビューで私のように多くの招待者の方々がいらっしゃるのでそのIDを入れてあげてください。いずれアプリが修正されるかもわからないので、急いだほうが宜しいかと思います。
もちろん250円払えば、購入していつでも読めるようになります。全て面白いですが、おすすめはドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、太安万侶「古事記」、ゲーテ「ファウスト」、サン=テグジュペリ「夜間飛行」
これらの記事(日本の大学に、『教養』を取り戻そう, 「頭がいいけど『世間』に弱い」理系の大学生)は, つまるところ「教養とは役に立たない糞だ」と言っている.
過去の教養と, 今新しく定義したい教養を同じ「教養」という言葉で表現しているから非常にミスリーディングになっている.
とあるように, 使いもしない知識をおしゃれのために身につける行為だ. これは私たちが糞だと思って葬りさった文化で, 記事の中でも糞だと言及されている
つまり, 私たちが通常「教養」と認識してるものは糞だという点では, 上田さんと私は共通しているのだ.
じゃあ, 現在の教養とは何か? それは金を儲けられる能力に他ならない. 章題の『新しい時代は、「教養」こそがビジネスにつながる』からもそれは読み取ることができるし,
・「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない、新しいアイデアが出せない「使えないやつ」となってしまう
ともある. つまり, この記事は徹底して「金を儲けよ. 金に向かう能力をつけよ」と述べているのだ. この従来の教養と真逆の概念に教養と名付けてしまうあたりが, とんだおしゃれさんである.
上田さんの主張は現在のトレンドとなっている価値観(拝金主義)に従ったもので, 取り立てて新しい価値観を提示しているわけではない.
だから, 従来の価値観をベースに「こうやった方がもっとうまく稼げるよ」と言えばいいものを, 何故か価値観の転換が必要かであるような論調にしており無駄な反発を招いている.
まあ, 「教養は金を稼ぐ手段だぜー!!!」と言ってもナイフが飛んでくるだろうけど.
という定義から出発しているからだろう. これは前後の文脈から推察するに
教養を持つ人とは, 他者から「総合的にかしこい」と思われやすい能力を持った人である
からも読み取れるように, 雑多な知識の有無よりも金銭獲得能力で評価した方が, その人の総合的なかしこさを評価するのに適切だと判断する時代の流れから来るのだろう.
この点では, 2つを同じ教養という言葉で表現するのは一貫性はある.
内部告発の件は知らない
今ホッテントリになっている この記事『仕事が遅い人の共通項』http://tirrano.com/?p=1543 は的外れだ。仕事を速くこなすためには「素直さ」のようなことはどうだっていい。むしろ邪魔ですらある。仕事の速さに精神論は邪魔でしか無い。もっとシンプルな方法で仕事は速くこなせるようになる。具体的には以下の7つのポイントが有効だ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
ほとんどの僕ら社畜にとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
以上を意識すれば、少なくても仕事のスピードで遅いと思われることはないはず。少なくとも僕はそうだった。最後は僕の大好きな時間に関する名言で締めようと思う。
ゲーテは大作『ファウスト』において人生の意味をテーマとして扱っている。そこでは、今ある空虚を満たそうと欲望をどれほど追い求めてもその空虚は埋まらない、それどころか、欲望の充足を追求すればするほど、かえってその空虚が際立ってくる、ということを示している。金が欲しい、地位や名誉が欲しい、異性が欲しいなどの欲望は、欲望を満たしたとたんに次の新たな欲望が生じ、どこまでいっても満たされない、という「永遠の欲求不満」の状態に置かれてしまう[28]。
『ファウスト』第一部では、大学者のファウストは学問を究めつくしても人生はただむなしいだけと気づく。そこで悪魔メフィストファレスと交渉し、ファウストを満足させられたら死後の魂を差し出してもかまわない、と約束する。ファウストは悪魔の力で若さを得て、マルガレーテと恋をし身ごもらせるが、その結果母と兄を失うことになった彼女は生まれたばかりの赤ん坊を沼に沈めて殺してしまう。ファウストは「ああ、俺は生まれてこなければよかった」と嘆く。第二部では、懲りないファウストは皇帝の家臣となり、ふたたび悪魔を説き伏せ、黄泉の国からギリシャ神話の伝説の美女、完全な美の体現のヘレナの霊を呼びださせ、結果としてふたたび恋におち、子供をつくり平和な家庭を築き、今度こそ満足のゆく生活を手にしたかのように見える。だが愛する子オフィリオンは平和な家庭を否定し、戦いを求めて旅立ち死んでしまう[29]。
では、その後ファウストが、「ここにこそ人生の意味がある」と思え、「時よ止まれ!お前は美しい!」と叫ぶことができるようになったのはどのような時かというと、自分の欲望の満足させようという思いは捨て去り、万人のための自由な国を建設しよう、と人々のための「理想の国」実現に向けて戦いはじめた時であった。つまり、『ファウスト』における「人生の意味」「本当の幸福とは何か」「本物の満足とはどのようなことか」というテーマの答えは、自分の欲望の満足へのこだわりは突き抜けて、それを手放し、自己(小我)を超越し、利他の状態に状態に至ったときにはじめて手に入るものだ、ということである[30]。
なお、ファウストの心の旅があらゆる学問への絶望から始まるように、人生の意味や真の幸福というのは、学問や思索によって得られるものではないのであり、「人生の意味は○○である」とか「真の幸福とは○○」であるということを書物や文章を読んで学んだところで、それで人生の意味や幸福が得られるわけではなく、実際に「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生の意味や真の幸福はつかむことができる、と表現されているのである[31]。
wikipediaからの引用だけど、「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生の意味や真の幸福はつかむことができる、というのが
http://anond.hatelabo.jp/20110611232237
中国語に限らず、昔から現地語発音と日本式の読み方はずっともめてきた。
ゲーテも「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」ってさんざん揉めてきた。
「毛沢東」の場合は脇に「Mao Zedong」と添えてあったような気がする。
どのみち高校だと漢字表記は漢字で回答しないといけないので読み仮名はあんまりこだわんなかった。
中国人に尋ねると歴史上有名になった中華圏の人(故人)は日本語読みで問題無いけど
(教わった国によって読み方がちがうし、人物が活躍していた時代によっても発音が違うので)、
今生きている人ならできるだけ中国語に近い読み方をして欲しいとのことだった。
ゲーテはすべてのことを言ったw
ゲーテの言を借りるなら過剰な一般化はバカのすること。お前みたいなのがあちこちで迷惑かけてることに気付け。まず批判を具体的に構成しろ。それから根拠を述べよ。中身のない議論は何もしないのに等しい。というかいい大人が何やってんすか。知り合いのゲーテも言ってたぞ。バカの考え休むに似たり、と。知ってるか?ゲーテは日本の武芸にも素養があった。もともとこの考えのルーツは日本の伝統芸能にあるんだ。それをゲーテが焼き直しした。つまりこういうことだ。バカがいくら考えても何もしないのと一緒。休んでるのと一緒。そういうのを「児戯に等しい」と言うんだ。