2024-11-23

ゲーム不自由

ゲームで感動したっていう感想をよく聞くけど、ゲームの感動部分て、映画小説的部分であって、ゲームでないとありえない感動って無くない?

また、ゲームという仕様上、感動の物語ゲームとしての仕掛けや手間をクリアしないといけないわけで、無駄ストレス作業を乗り越えないといけない

これが本であれば本をめくって読むだけでいいし、映像であれば再生してれば感動の場面にたどり着く

ただゲームだけは製作者が作った仕掛けを乗り越える必要が出てきて、そのストレスに耐え切れずに途中でゲームを辞めるという選択肢が出てくる

感動の邪魔をしているのはゲームのものと言える

本のように自分のペースで読めるわけでもないし、前に戻って読み直すことも出来ない

重要な場面だけ抜き出して他人と共有することも難しいので感動を伝えるのも難しい

もう1度感動の場面を見ようと思えば、本ならばそのページまで読み飛ばせばいいし映像ならそこまでスキップすればいいけどゲームではそう簡単はいかない

ソシャゲストレスフリーな方向に進化していくように、ゲームストレスフリーな方向に進化していくなら、デバッグモードのようないつでもどのデータにでもアクセス

フラグ自由に変えられるモード実装が主流になるべきじゃない?

これを許さないのって、結局作る側が遊ぶ側を下に見ていて、好き勝手させたくないっていう思い上がりでしか無くない?

海外MOD文化があるのでこの辺はかなり緩いけど、日本が厳しいのは権威主義的な国民性の現れだと思う

  • そうか!君は頭が悪いから、ゲームの難しさと感動の奥深さを同時に楽しむことができないんだね。そもそも映画や小説で得られる感動しか理解できないなら、ゲームの本当の良さなん...

  • 手間を楽しむ人がいるってだけの話でしょ そうでなければキャンプとか自炊が趣味の人はいないじゃん

    • 自炊とかキャンプの面倒と、ゲームの面倒は全く別物だよ 自炊、キャンプの面倒さって、五感を使うようになるけど、ゲームの面倒って命令通りに動くだけだから

  • ゲームの感動はナラティブであり、映画や小説のストーリーによる感動とは異なる 例えばテトリスの感動のどこに映画小説部分が有るというのか?

    • 新しい言葉を覚えたから使ってみたかったのか ゲームとナラティブはあんま関係ない ゲームを持ち上げようとして、はやりの言葉を当てはめたところでゲームはゲーム

      • ゲームでナラティブという概念が注目され流行ったのは十年以上前からだから新しい言葉ではないよ ナラティブとストーリーは違うと言うだけで、持ち上げようとしている訳ではない

  • ゲームを語る割にオープンワールドを自分で操作して駆け回る楽しさを知らないんだな かわいそうに…

  • その無駄なストレスを経験することによってストーリーが展開していくっていうことに感じる独特の恍惚みたいなものはあるんじゃあないだろうかっては思う。 まあ確かに何時間もかけ...

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