はてなキーワード: 自動車事故とは
私の「キャパがない」のトラバで、自転車事故事例を列挙した過去投稿を読みました。痛ましい自転車事故はなくなってほしいです。
以下、ダラダラ書きます。
(とりあえず、同じトラバツリー内の過去投稿につなげるとループするよね。スマホからだと読みにくくなるよね。)
自転車事故の悲惨さを訴えているのに他人はそれを理解しないのだ、と認識してるのかな?
(自動車事故の悲惨さを認識してるなら自転車通園はやめるはずだ、自転車事故の事例を貼ったのを読んだら直ちに「こわい!明日から車通園にします!禁止されてるけど私だけなら黙認されるから。教えてくれてありがとう」と反応するべきなのに!そうならないのはおかしい。みんなバカなの?!)
(自転車事故はこわい!だから私は車通園にしたんだ!禁止されてるなんて知ったことではない、私は悪くない、だって自転車事故は怖いんだから!)
(私は車通園にしたのに自転車通園が当たり前とか書いてある。おかしい!当たり前じゃない!私の方が正しい!)
自動車事故が悲惨なのはわかりました。あなたが選んだ記事はどちらかと言えばスプラッタ色の強い、肉体的、感覚的な、感情に訴える傾向のあるものだったので、とても怖かったです。
(対抗して自動車事故の記事を貼る人が現れないといいのですが…怖いのも辛いのも苦手なんです)
悲惨な事故事例を貼って、「見たな?よし、あとは…わかるな?」と口を噤むのでなく、何か案をください。
・法令整備は非現実的だから、自転車で通園せざるをえない家庭は幼稚園保育園こども園に通うのを諦める?
・現時点では法整備も諦めるのも無理だけど自転車通園も嫌だと皆が思って、自転車通園をしなくて済むよう各種法整備を求めて行動を起こすべき?
・その他
案をください。
私、割とあなたとお話ししたいんですけど(変態なので)、なかなか対話にならなくて難しいなあ…
誰やねん…
事故事例投稿の人なら、なんのコスト?提案コスト?まあいいや、対話コストも払う気がないのかな、だって何言ってるかわからないもの…。
でも皆に理解されないのは苛立つのかな、事例をたくさんの貼るってことは。事例貼付じゃ論破も説得も自転車事故減らすのもできないのはわかってるけど自分の気分がよくなるから貼ってんのかな?
こういうウザがらみされるコストはいいのかね?わからないな〜。
コメントしたのが事故事例貼付の人じゃないとしたら、やっぱり何言ってるかわかんないよ…せめて横だけど、とか書かないと、上に書いたみたいに事例の人かな?って可能性の余地があるんだから…伝わらない…
あーしんどい。
『サン・ジュニペロ』はネットフリックスにあるブラックミラーっていうSF連作ドラマの一編なんだけど、終わり方というかラストシーンがマジですごい。
以下巨大ネタバレ
主人公はシャイな女の子ヨーキーと陽気な女の子ケリーの2人組。ディスコで出会った2人は(同性)恋愛関係になるが、価値観の相違からすれ違いが…っていうようなストーリーが展開するんだけど、中盤で舞台がデジタルの世界だったことが判明する。
シャイなヨーキーは自動車事故で植物状態になった婆さんで、陽気なケリーは夫と死別して終末ケアの老人ホームで過ごす婆さん。
どうせ植物状態だし、もう死んで肉体を捨ててバーチャル世界に移住するぞ!と思ってるヨーキーVSバーチャルな「天国」に行くことなく死んだ娘と夫に殉じてオールドスタイルの死を望むケリーっていう対立軸で、2人の感情のぶつかりあいでストーリーは最高潮を迎え……ないんですよね。
なんでかっていうとラストシーンがそれまでの話のドラマ性を1万倍とかにしたものをワンカットでぶち込んでくるからだ。
エンドロールでは、結局夫や娘に(すぐに)殉じることはせずバーチャルな天国に行くことを選択したケリーがヨーキーと一緒にサン・ジュニペロの享楽的な街ではしゃぎ回る様子が映し出される。バックに流れるテーマソングは"The Heaven is a Place on Earth”、「天国は地上にある」ってのはなかなか内容とあった選曲ですね、と思ってるところで、サン・ジュニペロ、地上の天国を提供しているテック企業の様子が突然出てくる。
豆粒くらいの大きさの、表面が明滅するチップを機械が運んでいる。このチップこそがバーチャル世界への移住の要で、これをこめかみにつけた状態で死ぬことで意識がチップに移動するという寸法。運ばれているのは他ならぬケリーとヨーキーのチップだ。
ロボットアームが2人のチップを”San Junipero”と書かれたラックにはめ込む。チップの表面で明滅する光は、電子の天国ではしゃいでいる2人の表情にも重なって見える。
指先くらいの大きさの電子機器に閉じ込められて、偽物の「天国」で暮らすのか、ゾッとしないけどまあそれも幸せなのかな?というような思考が渦巻く。
そこでカメラがグッと引くんですよ!
そしたらね、もうバカみてえな数のチップがあんの。1万とか2万とか、そういう数この部屋にあって、たぶん他所にもっともっとあるんだろうと思わされる。そして全部チカチカ光っててさ、もうどれがケリーとヨーキーかなんか分かんねえわけ。
そこで"The Heaven is a Place on Earth”ですよ。サンジュニペロは天国みたい、ええとこよ〜ってくらいの温度感で受け止めてた歌が、ここで一気にまた違う意味に聞こえてくるわけだ。
人類はテクノロジーを使って天国をこの世に築いてやったぞ、ここが俺たちの天国だ、文句あっか!そういう、生命賛歌であり人類賛歌であり、不気味とかいう矮小な感想は瞬間的に吹き飛ばされる。
サーバールームの点滅なんていう無機質なものの代表みたいなものが、これまでのエピソードによって圧倒的な生命賛歌に見えちゃうわけですよ。
俺は生命賛歌なんて嫌いなんだけど、あのワンカットを見たときはちょっと涙ぐんでしまった。そういうパワーがあるんだよな。
1のドラマを60分くらいにわたって見せた後、ラストのワンカットでハイ×10000でーす!お前らがここまで観てきたものと同じものが何万とここにありまーす!っていうのをぶっ込んで終わる。そんなんアリか?
マジで凄いと思うんですよね。
素直に「俺に伝染すなボケ」ならまだ心地よいが。
オマエ普段はやたらとソースだデータだエビだの言ってんじゃん。
いまさら情緒持ち込むなよ、可能性がわずかでもあるなら。あ?なに言ってんだ?
可能性?
おまえ3000人殺しに加担してんだよ。毎年。平気で
ダブスタじゃん。
俺がマスクして何人の命が救える?あ?俺は車持ってないぞ。
データを出せデータを、ソースを、数字をベースに論理的に思考しろ。ボケ
てめぇのセリフだぜ
ウイルスによる死者は新型コロナ以前から年間10万人程度はいる。
インフルだけで1万人。
知らないだけ。
誰が殺してると思う?
オマエだよ、社会だよ、無自覚にオマエがウイルス運んでるんだよ。
学校皆勤賞は表彰すらされる、多少の熱でも登校するのは美談とされる。
そのウイルスはクラスメイトに移し、クラスメイトは自宅療養中にバァちゃんに移す。
皆勤賞ちゃんもクラスメイトも微熱が出ただけ。自分がウイルスを運んで殺した自覚ゼロ。
大好きだったおばぁちゃんが死んじゃった、えーん、とか言ってんの
てめぇが殺したんだよw
皆勤賞を諦めれば救えた命
てか気づかない
社会ってそういうもんだ
それでいいのだ。
ときには人を殺すほど迷惑をかけていると自覚し謙虚に生きればそれで十分。
人は無数のリスクの中で生きている、知らないだけ。
自分はゼロリスクの中で生きている、リスクはコントロール可能で
そこに得体のしれない制御不能なリスクがやってきた、てな気分なのだろう。
勝手にテンパっているだけ。
いやいやいや、制御できるてるつもりなだけで
オマエの人生に作用しているリスクはそれぞれ単に小さすぎるだけで、
制御できているのではなく、
運が悪けりゃ引っかかる、制御なんてしようがないのだ。
え?ソースは?
無知の極み。
推定値は様々出ているが、最大見積もってもザコウイルスである。
してねぇじゃん、
ボケか
30代男性
0.0000001%以下だ(適当な数字、計算するまでもないので)
気にするな
人生の誤差にもならん
平気で外を歩くじゃねぇか。
これ全部未知のウイルスですが?
大雑把にはN1H1とか香港型だ、AだのCだの分類されるが、
子供ができれば両親とは全く別の特徴が出ることもある。
トンビが鷹を生むもある。
インフルも同じ、というか増殖ターンが早く、RNAウイルスは他の細胞を再利用して増殖するメカニズムのため変異が起きやすい。
ともかく、インフルにしても風邪(ウイルス)にしても去年までとは微妙に違う
その小さな変化が人間に致命的なダメージを与える変化かもしれない。
この確率は低くはない
20年から30年スパンで強力なインフルが流行るが、つまりその程度の周期や確率であり、
世界的に人やモノの移動が爆発増大している現代では影響範囲は広がっている。
ある程度感染が広がらないとどの程度対処すべきウイルスなのかなんてわからん。
毎年、後者じゃん。
なんで急にビビりだした?
ともかく、
政府は対策に至った意思決定の根拠となる数理モデルを示していない。
数式を出せ数式を。
それぞれの係数を出せ係数を。
あるけど難しすぎて庶民には理解できんだろうからいちいち見せるものではない。
とでも言うのだろうか、知らんが
感染率がどの程度
これウイルスにより違う、粘膜接触で罹患する、ヘルペス、エイズ
致死率も不明で
ロックダウンするのはいいが、根拠となる数理モデルを示すべきで
想定感染率の係数がこれ
死亡率がコレ
だから、解除もできない
どこまで到達したら経済的な損益分岐点が折り曲がるかわからんのだもん。
想定も予測もできない。
10万人死ぬいや40万人だ、もっと死ぬ、煽れば儲かる連中が煽ってる
そらみたことか、だから研究を充実させ次の準備に、余剰ベッド、呼吸器、各種機材、備蓄医薬品、いるでしょ?さぁ予算よこせ。
そりゃ恐怖を煽るわ。
社会が壊れる?
経済が死のうが命は助かるだろ?
まさかアナタは命と金を比べるのですが、論外です、話になりません。非道です。
って話だわ。
信号で止まる、って程度だろ?
我が国で道交法70条を完全遵守で運転するのは不可能です。物理的に。
検挙しない、黙認してるだけ。やったら道路破綻するから政策的に黙認OKにしてる。
衆参両院で、条約と整合とるため条文は設けるが使っちゃダメと附帯決議つけてる。
付帯決議に行政、司法が法的に拘束されるわけではないので取り締まりはできるのだが。
やったら自動車工業会からクレームくるのでやらない。昭和42年に通達も出した、平成に入ってこっそりっ撤回したが。
小池も自動車工業会の雇ったスナイパーに暗殺されたくないので都内自動車禁止条例はつくらない。
年間数百人救えるが、小池はこっちは見殺しにするんだと。わけわからん、命ファーストちゃうんかと。
まぁいい、自転車は軽車両だから追い越せると勘違いしてるアホが多いが。
「他の条文を全部守りつつ追い越せるなら追い越してもいい」なんだが
勝手に、追い越してもいいんだから他の条文を破っても追い越してもいいのだ。
と解釈してんのな。アホか。
ちなみに、日本では一切違反取り締まりを行っていない(黙認)が、
まぁいい話を戻す。
新コロどころの怖さではないよね。
あら怖い。
だけどそんなの誰も感染しないんでしょ?
根絶されてるんじゃないの?
昔の病気とかじゃないの?
俺には関係ない
だって誰もそんな話しないし
調査した
不衛生な外国の話でしょ?
いいえ、日本の話です。
たぶんオマエもキャリアだ。
ほうら、怖いねぇ
知らないだけやで。
一度全員検査して、陽性と陰性に分ける
陽性者は相手が陽性であることを確認するまでキスもセックスもダメ
「私とヤレばほぼ確実にヘルペスに感染します、QoLは低下し死ぬ場合もあります。それを承知でイタします」
同じこと
やるか?
やんねぇだろうが。
なんで徹底対策しないと思う?
経済性だ
医療や公衆衛生は経済合理性でバランス取らなきゃしょうがねぇの
金ぶっこめば救える命なんていくらでもある。
一般人は知らねぇだけ、教えないだけ
だからやらねぇの
やっちゃダメなの
臓器移植がその顕著な例で
臓器移植なんて始めたら日本の皆保険なんてソッコー破綻すんだよ
経済性悪すぎなの。そんだけの話。
結果として一人救うが百人見殺しになる。
いちどやり始めたら歯止めは効かない
若い人だけ、余命が見込める人だけ
ところが、早晩、
救える命があり技術も薬もあるのに、なぜやらない、
だから最初からやらない、超限定する。日本はまだなんとかココで留まってる。
いずれ臓器移植ではない別の方法で救命できる技術開発に予算を使う。
つまりだ、話をまとめると、
我々が生きるということは、時には人を殺し
自分は無数のリスクの中でかろうじて運良く生きられている、ありがとう
コロナ恐れるに足らず、
あぁいつものね
それで終わる
ともかく、
教育の不備
衆愚極まる
書くの飽きてきた、以上
※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjp さんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。
(4/4 追記)
※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjpさんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。