コロナ対策のおかげで同時にインフルエンザの患者数が減っていることが報道されている。
これが何を意味するかだけれど、人々が意識することによってたとえわずかであってもインフルエンザによる死者数を抑えられる可能性が現実に示されたということだ。
コロナはただの風邪派の人たちがよく言っていたように、インフルエンザによる毎年の死者数はバカにならない。
今に生きている人間が生まれる以前からあった病気によって失われる尊い命を、人々の努力によって少しでもその数を減らすことができるという事実が分かったわけだ。
その事実を前にして、コロナが完全に収束した後に、手洗いうがい消毒マスクにソーシャルディスタンスをまた以前の水準に戻すのは、またインフルエンザによる犠牲者数を元に戻すということにも繋がる。
コロナ以前は、たとえインフルエンザによる死者が毎年大量に発生していても、すでに蔓延してしまっていたそれは現代社会に生まれてしまった人間の責任とまでは言えなかったと思う。
が、これからは違う。
人々の明確な意思の下に行われた努力によって、インフルエンザによる死の数を確実に抑えられるかもしれない結果を出すことができた。
図らずもコロナ禍によってそれが数字となって現れた今、その努力を途中で放棄し、これをまた元に戻すという行為は、現代に生きる人間が明確な意思によって未来のインフルエンザ犠牲者の増加という結果を選んだことになる。
仮に元の水準への生活様式に戻った場合、今後発生するであろうインフルエンザによる死は、今を生きている人間が望んだからこそ生まれたとも言えてしまう。
当然、完全にインフルエンザを撲滅することは叶わないが、すでに結果を見せた努力の継続を放棄したという事実は変わらない。
マスクはおろかソーシャルディスタンスも意識しなくなった社会に戻せば、未来に必ず生まれてしまうであろうインフルエンザによって失われる命、そしてその遺族に対して誰もがその責任を負う必要が出てくる。
なぜなら、インフルエンザの患者数を以前よりも抑えられたという結果を出しておきながら、その結果を保ちよりよくしていく未来を明確な意思の下に潰すことになるのだから。
過去の悲劇による責任を現代の人間が負うのが正義なら、未来の悲劇による責任を現代の人間が負うのだって正義のはずだ。
前者はすでに起ってしまったことだが、後者はこれから起こすことを回避するという話なのだから。
経済を止めろとは言わない。
じゃあ自動車事故の死者数もバカにならないし自動車廃止だな! みんな不便だし産業が死ぬけどどうせ今の生活様式を一生継続する時点で同じだしな!