はてなキーワード: 氷河期とは
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
>8.男が女をスペックで選ぶのは当然、女が男をスペックで選ぶのは悪
とりあえずこの意見は婚活関係のニュースを扱った2chまとめサイト記事では山のように見かけるよ。
本質は他クラスタに対する嘲笑ゲーム、なのは確かだけど同じジャンルの趣味でも女がハマってるとバカにするよね。
ラーメンにこだわる人がバカにされるのって見ないけどスイーツ(笑)とは言われるし、「歴女(笑)」もバカにするし、pixivとかでヘテロ男向けエロは堂々とご開帳するのがOKでも腐女子コンテンツはランキングに出てこないようにしろとか主張するのいたし。
新卒主義は理にかなってるんだから処女厨だって理にかなってるだろ式の意見はその昔増田で見たな。
今年もOB会があり、参加した。
今年は後輩もいる。昨年より確かな賑やかさがあった。
彼女は今年も参加していた。社交性ある彼女のことだから、きっと今日も楽しんでいくだろう。
僕はそれを会席で知ったが、何人かはそれを前から知っていたようだ。
僕はやはり許せなかった。彼女に、ではなく、浮気しておきながら、図々しくも縒りを戻した交際相手に我慢ならなかった。
が、彼女がそう決めたのだから、僕はとやかく言うつもりはない。
昨年はアドレス交換しなかったことを悔いていたが、今年はそれをする気にはならなかった。
一年は重い。
だが、今も彼女を好きだという気持ちは揺るがない。彼女はそれだけ、僕の定数としてそこにあり続けている。
これはもしかしたら信仰の類なのかもしれない。聖性たる彼女を、どうあれ蹂躙した男が憎いが、自分がその男に取って代わり、彼女の手を取りともに歩むのは恐れおおく気が進まない。
処女信仰、というわけではない。それなら、彼女は聖女たり得ない。処女か否かに拘わらず、彼女はそれだけまばゆく映る。
一年で彼女は大人びて、交際相手との関係を再構築する中、僕は何をしていたのか?
僕は堕落していた。自ら滅びの道を手繰り、社会的自傷のごとく大学を辞め、貯金も尽きかけてバイトを始めたものの、バイト一人かければ店が回らないような牢に囚われ、絡め取られ、縛られ、絶えていた。
不況だというが、皆はそれをはねのけるだけのバイタリティでもって仕事をしている。同期、後輩含め内定を取れなかったのは自分だけだったようだ。ここだけ見れば、氷河期だというのはうそ臭く思える。
もっとも、手取りが少ない、ボーナスがないというボヤキは聞こえてきたが。
一年で人はここまで変わり、会席のような定点観測で格差を意識する。
教授も同席していたのだが、僕に対してはそれほどつらくあたらないというか、良くも悪くも他人事のような風があった。まあ、OBなのだから当たり前でもある。私はOBではないが、席を用意してもらっている。
外国に行ってみれば、という教授の提案。考えなかった世界ではない。そしてそれは、おそらくとても刺激的なものになるだろう。しかし、そのようなお金はない。日本人が一泊二日でもなく海外旅行できるのは、貯金が溜まって、仕事を辞めて退職金をもらい、時間とお金に余裕がある時と相場が決まっている。僕には溜めがない。両親の葬儀さえ執り行えない、もしかしたら介護に金をかけることさえできないかもしれない。旅行など、過ぎた贅沢だ。近場の散歩でいい。景勝地より多くの日常を歩くだけでいい。
話がだいぶそれた。
結局、僕は彼女に何をしてやれるか。
それは僕の思いを伝えることなく、彼女が彼女で選んだ相手と幸せになって、それを僕が心底喜ぶことだ。
僕は彼女といてはならない。いっしょにいたいなどと願ってはならない。
希薄な関係がいきなり濃厚になるとしたら、それは夢や自分勝手な思い込みであり、現実ではない。それは彼女の意思を無視した暴力だ。
来年、同席したら思いを伝えてみようなど、考えてはならない。
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昨年(http://anond.hatelabo.jp/20101224212232)の続きです。多くの嘘を交え、暈しています。矛盾もあります。
超氷河期だそうです。(これも就活ビジネスの煽り文句な気もしますが)
いや、でもまあ、確かにそうなんでしょう。周りも非正規が多いです。
「何がリーマン崩壊だよ!リーマンになれねーじゃん!」とか笑えないけど笑ってた気がします。
あのタイミングでこれはねーよ、と。
なにせFランクラス(ちょっと言い過ぎ?)の大学(校)だったので。
好きでやってたITだったので資格を取っておいたのだけが救いでした(応用情報技術者試験)
まあ、でも、終わってみればという感じです。
7、8社ほどで内定をいただきました。
ニュースでやってる、100社落ちたとかってのは余程訳があるのかなぁとか、考えたりしたもんです。
就活(笑)解禁だそうなのでメモ程度に経験を残しておこうと思います。ただ、人によっては全く参考にならない気も(笑)
1.中小のみ狙う。
1社だけ入りたかったウェブ関連の会社があったのですが(まぁ、中小ですが)、イミフな試験で落ちました。(愛と恋の違いだの何だのを書けとか書いてありましたね)
地方住まい、通勤圏内を求めていたのですが、県内にいい会社が見当たらなかったので高速で通える県外にしました。
本当は東京にでも出て、やりたい仕事をやっても良かったのですがやめました(理由は後述)
とにかく合同企業説明会(笑)でも人がいないところを狙います。
地方なんかだと地域でやってるUターン誘致の説明会とかジョブカフェのやってる説明会が狙い目です。
むしろリクなんちゃらとか、今話題のマイなんちゃらとかのは行かなくていいです。時間の無駄です。
2.話の合う人事の年齢を見つける
僕は年寄りに話を合わせるのが得意なので、年寄り人事がいる会社をさらに集中して狙いました。
若い人と話すのが得意なら若い人を狙えばいいと思います。
人気の無い企業の人事はとにかく暇なのでガンガンしゃべります。
話を聞いてくれるだけで嬉しいようです。(彼らだって暇なんだから当たり前っちゃ当たり前ですが)
3.乱発しすぎない
僕も焦っていろんな会社を手当たり次第に受けたことがありますが(最初の3社くらい)、あれはやめたほうがいいです。
時間もお金も有限です。企業をリスト化して優先順位(行きたい順だけじゃなくて入れそうなことも加味して)をつけて狙っていったほうが良いです。
4.自分を捨てる
よく言われているように、企業は技術や個性なんて求めちゃいません。
僕はある中堅ITの子会社で「僕はコンピュータが大好きです」といった直後に
「この仕事は、極端に言えばコンピュータがなくてもいい仕事だと思っています」とかなんとか言いました。(あほらしい話です)
SIerは技術者を軽視しているのが隅々まで行き渡っているのでこれであっさり受かります。(当然、蹴りましたが...)
自分の本当の考えなんて大して必要ありません。
5.なんだかんだで資格
学校名で「は?(笑)」みたいな感じでも「応用情報技術者試験受かりました(キリッ)」とかやっとけば覚えてもらえます。
中小企業だと「とりあえず一人はコイツでいいか」的な空気が会場一杯に広がります。
以上5点に気をつけると不本意な気分満点ですが、とりあえず内定しますよ。やってみてくださいね〜。
(以下蛇足)
此処から先は独り言。
僕は情報処理技術が大好きです。高校時代は文系で、心理学に興味があったのに、いつの間にか....。
実は大学(校)に入った理由は学費が安いということが一番で、ついでに興味のあるパソコンを、という気持ちだったのですが...。
大学時代は僕の人生で一番(一番は社会に出てからの今かもしれませんが)勉強した時期です。
あれほど熱中するものがなかった自分がここまでのめり込むとは思いませんでした。
OS、コンパイラ、画像処理、組み込み、データベース、ネットワーク。
何でもやりました。学校もなんだかんだで多くを学べる所でした。
実を言えば東京のベンチャーみたいな会社に憧れたりしたのです。
最先端で戦ってみたいという気持ちが今でもあります。(今はVBでサビ残して詐欺みたいなモノ作ってますからね)
ただ、長年付き合った恋人や、家族なんかのことも考え、今は地方にいます。「今は」
僕は三年は勉強期間だと思っています。社会のルールも知らないのですから。
もし、中小は嫌だとか不安だと思うのなら、こう考えてはいかがでしょうか?(あれ、独り言じゃない)
「三年間の職業訓練」
会社や社会人の方に怒られそうですね。3〜5年でやめられると中小には痛いそうですし。
でもまあ、雇った方も自己責任だし、ね。(こういう内容だと自分のブログに書けないから増田はいいと思う)
3年経てばテレワーク事情ももうちょいマシかも(さすがに無理?)
だめならこのまま人生を切り売りするか、バイト時代好きだった小売にでも転職しようかな、と考えたり。
(正直同じハードさなら小売のほうが楽しい。この業界PGはいてもプログラマいないし。OSS開発もできるからね)
だから、3年間だけ。
とりあえず昨日アマゾンから補充された、机の上に積み上げられた本を読まねば....。とりあえずトランザクション処理からにするか...。鈍器だろこれ
就職氷河期というのは1993年から2005年と定義されてるらしい。
93年時点で大卒だった人は今40歳、高卒だった人は36歳か。
2005年時点で大卒だった人は28歳、高卒だった人は24歳か。
その中間、1999年時点で大卒だった人は今34歳、高卒だった人は30歳ということだな。
まさか、卒業後ずっと非正規という人はそんなにはいまいが、いないわけでもない。
2年前、2009年に「35歳”を救え なぜ10年前の35歳より年収が200万円も低いのか 」
氷河期前半の人間は、高卒が世の中のフツー、新卒=高卒と思ってる(思ってた)し、大学進学率が5割越えても大卒の数が増えるのは4年後であるから、氷河期中盤で高卒の人間も自分たちが少数派とは思ってなかったはずだ。
先週、数年前はあったはずの預金がほぼ底をついていた。
額にして337円。衝撃過ぎて一度で金額を暗記していた。
給料日を翌週に控えた2011年の9月21日、関東には台風が来ていたが私の心にはそれを凌駕する嵐が迫っていた。
預金337円。正確には別にある貯金用の口座に十数万円が残るが手はつけまいと、ただそのためだけに作った口座なのでそこにある分は預金とはみなしていない。
会社に入社して毎月お金を家に入れていた。給料日。忘れる事もあったが毎週コンビニでジャンプを買う。思い出してすぐにATMで引き出して数日以内には入れていた。
3万円。手取り13万の私が自由に使えるのはここから携帯電話の料金を除いた10万円弱。
高校のころにやっていたバイトの月収およそ二倍。大きな買い物もせず順調に、そしていつの間にか、貯蓄はその額を増やしていた。
しかし会社に入って一年、情けないことにコミュ障をこじらせてお局様に相当嫌われ、しかし幸運が重なり数ヶ月後の異動が決まった。
2009年6月5日、金曜日。吐き出す術を知らなかった私が誰にも話すことなく頼ったのは心療内科だった。
軽度の鬱と診断され(もしかしたらそんな病気など無かったのかもしれないが)、異動が決まり少しは環境がマシになること、趣味が充実していること、生きがいを持っていること。そんな諸々が加味されて通院は2009年の9月26日、ニヶ月ほどで終了した。
その間に家族に通院がバレ、通院の最後の方には薬の副作用で筋固縮になり仕事に支障が出かけた。しかし新しい環境での仕事はそれなりに順調だったし、ネットで見ていたような断薬症状も無かった。
昔よりはコミュ充に近づいたと思うし、失敗は回収できるんだと思えるようになった。
そこまで生きる間に私が家に入れるお金は5万円に増額した。家にお金が無いのは知っていたから。
臨時で貸した時が何度かあった。その時は、給料日に5万円を入れずに相殺して返済とする。そうやって家計を保っていた。
2009年の9月、その頃には大きな額を貸すようになっており、もう毎月のお金は入れずに貸出金から相殺し、そこにまた貸していくそんなやりとりが続いていた。
しかし貸し出す金額は徐々に増え、頻度が増す。数ヶ月に一回だった貸し出しはほぼ毎月になり、7桁を記録しようとしていた私の預金が7桁を記録したのは、いつだったかの給料日後の数日だけだった。
7桁が6桁になった事を少し悔しく思ったが困りはしなかった。マンガが買えて服が買える。何も家を買うわけでも車を買おうとしているわけでも、なかったから。
家族を助けるために。その思いで貸し続けた。
そして2011年9月21日。あれから、通院が終わってから2年。7桁弱あった私の預金は3桁になっていた。
最初はただの使いすぎだと思っていた。2年の間にクレジットカードの使い方を覚えネット通販を覚え、ちょっと良い美容室に行くようになりヘアケアスキンケアだってほんの少し値の上がったものに変えてみたりもした。
友達も増えた。だから都心に遊びに行くことだって増えた。お酒を飲む楽しさを知った。
それでもまだ慎ましい範囲だと思っていたのだが。
収入は増えても控除で減っていく。手取りはほとんど変わっていない。
それでも、何かを控えればまた貯まると、少しだけ考えた。
母から貸出金の履歴を見せてもらうまでの1日だけは。
管理はちゃんとすると言っていた母に貸出金と相殺金の管理を任せていた。小さな手帳に書かれたのは異常な頻度と金額の貸出金の履歴。
近い月にはボーナスの数日後にボーナス額のおよそ半分以上の額を貸していた。
数ヶ月に渡って月手取りの半分以上もしくは同等の額を渡していた。
そこに自分の使った分の引き落としやら何やらが加味されて、これで預金が減らないわけがない。小学生だってわかることだ。
人生ではじめて親に言葉に出来ない苛立ちを覚えた。同時に、仕事は半日で強制帰還されたので台風にははじめて感謝した。
言葉に出来ず感情をうまくコントロールできず、数日間家族と対面するのは食事だけだった。
思い返せば高校時代。進路をどうするか決めていた私を呼び出して
「将来就きたい職業があって、そのために進学するのなら何とかして大学へ行かせられる。
けど、なんとなく進学するのなら、それはできない。」
そう言われた。至極尤もすぎて言葉も出なかった。大学は勉強するために行く場所だ。
専門的な知識を仕入れてそれを将来に活かすのが大学。そう認識した言葉だった。
将来の夢も希望も何もかもを諦めていた私は、その言葉を受けて就職した。氷河期と氷河期の間、ほんの少しだけ回復の兆しが見られた2007年秋。
高校から近い、学校の中での応募枠さえ取れれば内定が取れると言われていた企業へ、普通に、就職が決まった。
一刻はひどい学歴コンプレックスに陥った。しかしそれだって両親にではなく、夢も希望も努力を捨て、しかしあの日からやりたい職業すら見つからずに改めて進学に踏み切れない自分を責める感情でしかなかった。
今日、一週間考え続けた事を母に問うた。本当に我が家にはお金が無いらしい。
そして父の収入は年々減ってきているらしい。
私は辛い心を抑えながらまるで日常の話をするが如く、もう自由にお金を貸せない事を告げた。
考える。何がいけなかったのか。父や母はこの土地に来てから仕事が減ったと言う。ここは母の実家、祖父の土地だ。
建て替えるときに一緒に住みたいかと問われた幼い私が首を縦に振った、そうやってやってきた土地だ。
身につかない習い事をしたいと言った幼い私がいた。勉強が嫌いだったので教材だって使わなかった。
中学の時いわゆる"弄り"と"いじめ"の間に晒されて学校に行きたくないとわがままを言った私がいた。
それでも学校には行かされたが、精神力だけは心がボロボロになったって耐えて自傷しないほどには鍛えられたので、一応感謝している。
引き替えに、誰も聞かないのだと、誰にもうまく苦痛を吐き出すことが出来なくなってしまったのだが。
そう考えると私がいけなかったのだろうか。
もしもいつかの過去に行けるならと聞かれれば、私はあの日に還り何が何でも幼い私に首を横に振らせると答えるだろう。
私がいけなかったのだろうか。ここ数年、いつも私は自分を責め続けている。
平凡で、家族に恵まれて、高校の成績は中の中。テストは概ね平均点。
それなりにおしゃれをして、友だちがいて、普通に恋をして普通に失恋する、密かにそろそろ人恋しいと思うだけのもてない21歳の高卒オタク女だ。
十分に幸せそうなのに、それを客観的に書いている私はこんなにも満たされない。誰でもいいから縋りたい。
思いたち、数日、SNSから姿を消してみたが、取り立てて誰かが「私がいない」と発言することは、ほとんどなかった。連絡もこなかった。
何を期待していたのだろうか。誰にも認識されず必要とされず、自分を責めながら恨みつらみばかり言うだけになった面倒な女を誰が見ていると言うのだろうか。私のいないSNSは見ていて愉快だった。楽しそうだった。
自分は自分を殺さないと思う代わりに、家族が思いつめたら、と、一週間で何度も思う。それでもそんな事は誰にも言えなかった。
病院に行こうとも思ったが、また病院には行きたくない。辛いんじゃなくて、それが甘えではないかと思う自分がいるからだ。
被害妄想だけが蓄積していく。発散するような楽しみはもう寝ることくらいしかない。
それでも寝て起きたら誰もいないと思うと、眠れない日が、たまにある。
今日を含めて16日で、私はもうひとつ年をとる。その日を転機に、私は何かを考えなければならないらしい。
これが誰か知り合いに特定されてもいい。私の家族はネットに疎い。それだけでいい。
いつかの日のために取っておいた15万円しかない貯金や給料日を迎えてわずかに潤った預金は、多分、来月にでも使われることになるのだろう。
書いた色々なことがわがままだと言われても、なんとなくこうやって書き残せたから今日はもう満足だ。
団塊ジュニアは人数が多い。その世代の中でも後ろのほうだと、先輩も多い。そこあけやがってくださいといいたくなるほど多い。
中学の野球でいえば、2年でレギュラーなんて無理。なぜなら3年生で補欠があふれているから。練習する場所すらない。
やっと3年になったと思ったら、同年代でレギュラーの取り合い。半分以上は、試合にすら出られない。
高校の野球でも同じ状態で、2年でレギュラーなんて無理。やっぱり3年生で補欠があふれているから。玉拾いすらできない。
やっと3年になったと思ったら、同年代でレギュラーの取り合い。またしても半分以上は、試合にすら出られない。
さて、大学受験だ。と思ったら、先輩たちが浪人なさっていらっしゃる。どんだけ人間がいるんだ。
で、半分以上は、浪人しちゃう。このころの受験産業は最大の業績を達成したはずだ。
大学に入ったら、六大学でもなければ、野球は見向きもされない。レギュラーになれそうだけど、ありがたくない。
中学の野球部を見に行ったら、9人揃わないとかいっている。もうわけがわからないよ。
そうこうしているうちに就活だ。就活。5回生とか、6回生って何だよ。ダンゴ状態で、面接だ。景気も落ち気味で氷河期とか言われる始末。表面上の就職率を落としたくない大学は、就職できなかった学生を留年させて、分母を小さくしていた。正直に申告したおいらの大学は、5割を切る勢いで新聞の一面を飾った。何かに優勝したかの勢いだ。ほんとにわけがわからないよ。
ここで、就職のレギュラー入りができなかった同級生が大量に発生した。ある者は、海外へ消え、ある者は、ギャンブルに溺れ実家に消えた。非正規雇用と呼ばれるレギュラーじゃない雇われ方をするはしりにもなった。
当然、上位3割くらいは、レギュラーだっただろう。きっと優秀だ。
ずっとレギュラーになれなかった人たちは、レギュラーになる努力は知っているけど、レギュラーになったときの戦い方やチームワークを学べてないと思うんだ。それがこの世代の最大の弱点。
きっと、このまま世代の中での熾烈なイス取りゲームが死ぬまで続くはずだ。このイス取りゲームは、この世代には何の得にもならない。多分、上の世代から仕掛けられた内部抗争みたいな気がする。団塊ジュニア世代でチームワークが発揮できたら世の中が変わるかもね。
大学生のころ、リア充っぽい人が多めのサークル(あくまで多め。見るからにリア充な人ばかりだったら、怖くて近寄れない)に出入りしていた。
自分だけが入っていない裏メーリングリストを作られてコケにされたり、メンヘルっぽい人の面倒をていよく押し付けられたり、折角できた彼女を寝取られたり、さんざんな目にあった挙句、就職活動に失敗したあたりで抜けて、ひきこもり状態になった。結局、1年留年して就職した。超氷河期だったからきつかったけどな。
今にして思えばよくあんな所に我慢して何年も通っていたなと思う。
それから10年、今度は職場で「自分だけが入っていない裏メーリングリスト」的なもの(MLじゃないけど)の存在を見つけてしまった。
ぶっちゃけた話、スロットもアークもリバースもオトメも、近年出たグラディウスシリーズで「よくぞ出してくれた!」って手放しで喜べる作品は何一つないと思う。
「あなた方の中でグラIVとグラVを貶したことのない者だけが、スロット化に石を投げなさい」
死んだんだよ。
私や貴方がたが殺したのかもしれないし、氷河期の恐竜みたいに世の中に淘汰されたのかもしれない。
死因はなんだっていい。グラディウスは死んだ。我々はそろそろそれを認めなければいけない。
グラディウスの世界に残機や復活はあっても蘇生はない。死んだものは蘇らない。
死者のことは早々に忘れて、若くてオシャレな作品に目を向けて楽しむか。
それとも、死体から生えた冬虫夏草みたいな作品をボソボソと消費し続けるか。
我々にはそれしか残されてないよ。
もう諦めよう、ね?
僕はヒキニート。自分の部屋に開いた小さな窓から外の世界を眺めている。
一応、第一次氷河期にブラック企業とは気がつかずにかろうじて就職して、ココロの病気扱いになって、退職。今は親の蓄えで何とか生きている。
前向きの可能性が縮小し続ける中、僕のエンディングに向けて、静かな日々を送っていた。
西暦2011年3月11日、揺れた。僕の2階の部屋も揺れた。「3.11」この日付は忘れないでおこう。
たくさんの人が亡くなった。
この先、さらにたくさんの人が亡くなりそうな勢いだ。
僕はロクな死に方をしないだろうなと思っていたけど、まだ、生きている。
突然の死の宣告は無情だ。人を選ばない。
同じ世界の空の下にいるはずの大学の同期のやつらのことを思い出した。
結婚式やマンションを買うとか僕とは違う次元のイベントを経験していた彼らの状況はどうなんだろう。
僕は、淡々と両親の介護し、その死を受け入れて、最後に静かに自分の自然死を受け入れるだけの存在だ。
これといって失うものはない。
嫁と子供と家と失いたくないものを全部持ってしまった人は今どんな気持ちなんだろう。
失いたくないよね。きっと。
原発はまた使えるように止めようして、取り返しがつかなくなった。
辛うじて街は生きているけど、ピーク時に電力が3割足りなくなる予想が出ている。
足りない分を集めて何とかしようと動いているけれども、電力が足りない分だけ取り返しがつかないことになるかもしれない。
東京という繁栄を失いたくない人が多いことは間違いがない。
集積による繁栄を是としてきた建前、分散化や冗長化、少しでも繁栄を手放す議論は許されないだろう。
たとえば、畑にまく水が必要量の7割しかないのなら、すべてに水をまくのをあきらめて、7割を生かすようにするだろう。
それが予想できるならば、3割は別の畑で育てるように作物を移す選択肢が現れる。
ここまで、電力の流れで「東京」って言葉で説明してきたけど、それを「日本」に置き換えることもできる。
縮小均衡への道は、すでに既定事実だったけれども、魔法の燃料棒が繁栄の源でそれを覆い隠していた。
魔法の燃料棒に頼ることはこの先あまりできないかもしれないし、封印されるかもしれない。
急に明日から死んでくださいと言われるのならば、6ヶ月後に死にそうなので別の選択肢を考えていただけませんかと言われたほうが余程ましだ。
募集をかけていた求人の採用が、やっと決まった。求人誌掲載・ハローワーク求人票掲載から1か月。条件だってほかと比べて特別に見劣りするわけでもないのに、応募が5通来るまで3週間、そこから面接して、ようやくのことだった。どんなに氷河期でも、中小が人余りになることは永遠に来ないように思える。
応募してきた5名のうち、3名はPCによる履歴書・職務経歴書付きだった。採用選考の手続き中も、上の了解を取るときも、履歴書が手書きで文句付ける人なんてまったくいなかった。ちなみに、PC、手書きを評価の高い順に並べると、PC・PC・手書き・PC・手書き。
うちみたいに履歴書が手書きかどうかなんて気にしないところは、もちろんたくさんある。それが、ネットになるとどうして「企業はみんな手書き重視派! だから日本の企業なんてみんなクズでダメなんだ!」みたいなことになってしまうのか。いや、理由はわかる。センセーショナリズムで煽った方がみんなに見てもらえる仕組み、(Twitter|はてブ)で話題になったものしか見ないネットサーフィン…… 結果、ひいき目に見ても「6:4」ぐらいでしかないようなものが、ネットでは「10:0」であるかのような言説ばかりになってしまう。時には、「3:7」の「3」の方が「10」の椅子に座っているようなものも。
だからなんだと言われたら困るけど、とりあえず就活しているみんなは、PCでもいいからバンバン履歴書を送ってほしい。ありきたりのセリフだけど、受けない試験には絶対合格しないから。
その状態で面接を受け続けてもは気がなくなるんで、ちょっと気分転換してみるのもどうかな。
休めっつってるんじゃなくて「志望業界以外のところを遊び気分で受けてみる」とかね。
現在大学4年で卒業を間近に控えている。去年の2月から就職活動を始め、これまでに50社受けて全て落ちた。今も続けてる。
志望は全てSE。(←なんで?っていう疑問が多いですがここではひとまず志望理由とか身の程とかは関係ないので書きません)
大学はニッコマの文系で、サークル、アルバイト、ゼミはやってきた。話の題材には困らない。コミュ障ではないし、大手病でもない。
自分で言うのもなんだが、客観的に見て、ひどい欠点がある学生ではないと思う。それでも内定は出てない。
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書類や筆記は大体通るが、面接で落とされることが多かった。
落とされては落胆し、その後冷静さを取り戻して落ちた原因を考えることを何十回も繰り返してきた。
それにも関わらず、相変わらずいつまでたっても面接に落ち続けた。最近、自分が面接で落ち続ける理由は、自分なりに面接に落ちる理由を考え対策しているつもりで、実はただ空回りしているだけだからなのではないかと思うようになった。
選考結果にはフィードバック(企業からの評価、コメント)がない。面接にはもう慣れたが、フィードバックがないせいで自分が落ちた原因が分からないまま何も改善されることなく就職活動をしてきたのだと思う。
大学にはキャリアセンターというものがあるが、そこで面接の練習をして問題点を指摘してもらえば良かったのかもしれない。しかし自分の中に、たかだか面接のために練習なんてしていられるかという気持ちがいつまでたってもある。これは自分の弱みなのだろう。
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こういうニュースを受けて、昨今の学生はメンタルが弱いな、と思う人はたくさんいると思う。
自分も、就職活動が始まる前は、たかだか就職活動で気を病むなんてどうかしてる、と思っていた。
今では、そうは思わない。自分が今精神的に崖っぷち、とまではいかないが崖の付近まで来ているからだ。
最近、就職できないことがなぜこうも人の心に悪い影響を与えるのか考えるようになった。
1まず、前述したように、選考結果にはフィードバックが無い。学校のテストの様に、間違えたところの原因を追及して改善してということがしづらい。これは非常に気持ちが悪く、回数が増えていくと、まるであり地獄の中にいるような気分になる。
2また、面接を何十回と重ねて失敗し続けると、人の心というのはそれに対する動機付けが弱まる。心にネガティブな印象が刻まれ続けるので、だんだんと足が重たくなってくる。
やがて、不可能なのではないかと判断するようになる。なってしまう。頭の中ではいつか内定にたどり着けるだろうと考えることはできるが、面接に落ち続けることによるインパクトの前ではそのような考えはあまり意味がない。
3そして、人(自分)は自分の価値を相対的に判断しようとする生き物だということ、あるいは人は嫉妬する生き物なのだということを強く感じるようになった。
日本人の新卒内定率が氷河期に入って2割ほど落ちたところで、世界的に見るとかなり高いままだ。おまけに正社員やらホワイトカラーやら贅沢するなという声があがることがある。自分も、そういう声を聞いて、確かにと考えたこともあった。恵まれない人がたくさん存在するのに、自分は贅沢だなと思った。
内定率が下がっている中で、内定にたどり着く人は確かに存在するということ、その数というのも決して少なくはないということ、自分は考えようによっては現時点で平均以下でなのであること。自分の感情(自分の価値)は自分のごく身近な人間によって規定されてしまうのだと理解した。
社会的な欲求を満たすということ、あるいは社会的な承認を得るということはこういうことなのかと思って、疲れを感じるようになった。
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最初に、自分はこれまで50社受けたと書いた。1年間で50回外出すれば7日に1社受けたことになるが、1つの会社につき訪問数が1回だったり3回だったりするので大体何日間就職活動に費やしたかはわからない。理系学生と違って研究室などはなく、単位も取れていたので、フルで就職活動をすれば100弱はいったのではないかと思う。
就職活動初期の昨年冬頃に比べたら、春、夏と季節が変わるにつれて確実に足が遠のいていった。前述した様に、落ち続けることで動機付けが弱まってしまったのだろうと、自分を分析する。
もし今自分が人事、あるいは面接官を担当していた場合、めげずに年間100社弱周ることができる人を採用するだろう。この無間地獄で自分をコントロールし続けることができる人を、誰よりも尊敬したいと思う。
追記
今朝はてなを開いて驚きました。一通りブックマークコメントを読みました。
みなさんありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20110217213719#tb
理系ですと、修士のあと就職してから博士号のために院にいく人もいますね。
経済学部とすると、もしかして数学が得意?TOEICも900だったらたいしたもんだ。
(院に残る)地力があれば研究するのも良いと思うし、アカデミックで後進を
育てるのに興味があるならばそこもカウントして進学するのも良いかもしれませんね。
奨学金含めて経済面も見積もっておくと良いのでは?そこは悩みがないのかな?
(就職)そこそこ良い大学で、それなりに英語も話せる/読めるならば、活動したら
決まりそうだという前提かしら(00-03年ごろの氷河期→超氷河期を超えた私ですら、
今の就職活動の厳しさは目に余るけれど)。大事な人や夢があったら先に結婚と貯蓄
とをして、経理部や銀行でガンガンはたらいて、で院にいくなり出世するなり考え
ても良いのでは。単なる先送りでなくて進路を2つ持つというか。
なんにせよ、今できることを一生懸命やって、今周りにいる人を大事にして、