はてなキーワード: 氷河期とは
団塊ジュニアに氷河期がぶち当たったこの世代のせいなんだよね。
この世代がもう30半ば~後半で未婚率高すぎ。
で、子供を作る事が期待できるナントカ年齢(精子や羊水が腐ってないギリギリの年齢)越えた。
終了。
この世代は前例のない氷河だったから適応出来てないまま歳食ってるのも大きい。
最近の新社会人や学生、いわば後氷河期世代は適応して変化してるから使い物になる。
前氷河期世代はほんとどうにもならない。終わってる。windowsで言えばme。
若年生活保護受給とか無縁社会とか、問題いっぱい引き起こしてる世代でもある。
この世代がレミングみたいな高貴な精神を発揮して死ねば社会は息を吹き返すんじゃないかなあ。
みんなで死のう!
ふけいき。
みんなが頑張って働く→みんなが儲かる→みんなカネ使う→みんなにもっとお金入る→ヘブン状態!
みんなが頑張って働く→みんながもうかる
↑
これはおかしい。
つまり、みんなが頑張って働いて生産した何某かを受け入れるだけの市場がある場合にのみ、好景気は出現する。
では、ふけいきの場合どうなるか。
みんなが頑張って働く→生産力が余ってみんなの労働単価が下がる→みんなカネ使わない→みんなにお金入らない→ヘル状態!
↑何故か違う結果になる。
もちろん、景気循環というのはあるんだけど。今の不景気はそーいう話ではなく。
「みんなの頑張りを受け入れる状態がない」ということになる。だから、結論から言えば頑張れば頑張るほど貧しくなる。
これまで、景気循環で捉えられていた「ヘブン状態」はヘル状態への前触れではあった。
ヘブン状態突入→カネ余る→みんなもっと儲けようと色々する→お金ダブつく→チキンレース開始→ドッカーン
この流れがまぁ、景気の基本なんだけど。
現在は、金融機関にカネは一杯あるし、日銀だってジャブッジャブにカネばらまいているのに
日本国内に色んな人たちの頑張りを受け入れるだけの消費がない。だから、新興国だおらっしゃあ!
って中国とかに仕掛ける。プラグマティックに考えれば、おなじみのチキンレースなのでどっかで死ぬ。
でも、それとは関係なく、日本マジやばい。浮いたり沈んだりするところから離れちゃった、マジやばい。
みんな働けば働くほどヤバイ。ここで俺がイチオシするのが「冬眠」。第三次世界大戦明けくらいに目を覚ますと
状況はなんか色々違うかもしれない。バギーとトゲつき肩パットを用意して、一世紀くらい眠るのマジオススメ。
通常のヘブン状態→ヘル状態の循環は、言うなれば四季のようなもので
ヴィヴァルディでも聴いて待てば、いずれ雪解けがやってくる道理なのだけれど。
じゃあ、なぜみんなが結氷しないかって言えば、日銀が全力でマーケットにお金をバラまいてたりするから。
これは、日本の信用が高かったり、何故かアホ高い日本円だったり、日本国債(何故か売れる)が要因だったりするんだけど。
もう一回気温がぎゅおーっと下がるとここが決壊して、さようなら。
http://anond.hatelabo.jp/20101111151244
トラックバックの中の内、http://anond.hatelabo.jp/20110202044044に対して、自分の分かる範囲で答えたいと思います。
自分もすべての事に関して詳しいわけではないので、わからないところもあります。その点はご容赦頂きたい。
ということで,
まさにその通りだと思います。
正社員職が(契約社員・派遣・フリーターなどの非正規雇用職に比べて)特権的なものであると薄々自分でもわかっているからこそ、解雇規制に反対する。まさか、自分の今の地位的経済的な裕福さが、非正規雇用の人の”犠牲”の上になりたっているという厳然たる事実を、正社員の人は明示的にでないにしてもわかっている。無意識的に理解はしていても、それを事実であるとは(口に出して、明示的に)認めたがらない。「自分が、他人の“犠牲”によって成り立たせるような”悪い”人間ではない」と思い込みたがるというバイアスがかかっているから。
実際に、民間企業に正社員として勤めてる友達に話そうとしても、仲がこじれそうで気軽に言えないわけですよ。理解力ある人ならいいけど、そうでない人に関しては絶交されるのも覚悟するくらいの意気込みで(それくらいの強い意志をもって)話さなきゃいけないのは辛いです。
ということで,
的確にまとまっていると思います。私にこれだけキレイにまとめるだけの文章力はないですw
解雇が比較的自由な理想的な労働市場を想像してみればわかると思うけど、今の正社員職と非正規職の垣根がなくなるわけです。つまり、(理想的な市場であれば)全員が正社員といってもいいし、全員が非正規雇用者になるようなものだと思います。解雇されやすい代わりに再就職もしやすい、そんな環境です。
解雇規制緩和に脊髄反射的に反対している人は、「会社に必要とされていない」と本人が一番感じているから反対するのかもしれない。解雇規制が緩和されたとして、会社が労働者を解雇しだすのかどうかというと実際はそんなことはないと思うのです。だって、企業が、その企業に固有の慣れ(職場の人間関係や慣習)を身につけている人をわざわざ解雇して失われる利益と、新しい人間を雇ってその企業に慣れさせるコストを比較したら、手間をかけて解雇して手間をかけて新たに雇うのはバカバカしくなるだろう。
だとしても、「自分は解雇されてしまう」と思う人は、「自分のやっている仕事は誰にでもできる仕事だ」ということに薄々感づいていて、言ってみればその会社に見切られたときに、他に行くあてがないということが分かっているのだと思う。つまり、その会社にしがみついていて、放り出されるのが怖い。クビにされたら再就職もままらないから怖い。それは労働市場において自分の価値が低い、と自分でもなんとなくわかっている人だと思う。
日本的雇用 -終身雇用・年功序列・新卒採用- を撤廃させるには、つまり雇用が流動化されるには少なからず混乱が起きるだろし、 落ち着きを取り戻したとしても決して全員の給料が良かった時代には戻れないだろう。 雇用流動化によって損をするのは既得権をもった人★29だ。誰も損をしない革命★30なんかありえない。 彼ら、いやあなた自身が血を流さなければ状況は全く変わらない★1-10。
「彼ら,いやあなた自身が」というのは誰なんでしょ?
上にも書いたとおり、労働者の大半をしめる正社員職の人にこそ、むしろ読んで欲しい、考えて欲しいと思って、先のエントリを書きました。
ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20110130114254 のつっこみによると,
法的な問題は詳しくないので、あくまでも、一人の法律に関する素人として、日本社会の一人の市民としての意見として読んでください。
http://twitter.com/theophil21/status/26808239597289472#
(1)同感です。周知のように日本の法制度は、ドイツなどと異なり「正当な理由がない解雇は違法」というルールを設けてはいません。先進国ならどこでも違法である差別解雇や、期間を定めたにも関わらず期間途中で解雇する場合を規制しているほかは、労契法16条があるだけです。
http://roudoukeiyakuho.seesaa.net/article/89148150.html
◆ 定年制 ◆
就業規則に定めた定年制が、労働者の定年に達した日の翌日をもって、その雇用契約は自動的に終了する旨を定めたことが明らかであり、かつ、従来この規定に基づいて定年に達した場合は、当然雇用関係が消滅する慣行となっていって、それが労働者にも徹底している限り、解雇の問題は生じない。
☆しかし気を付けなければならいのは、定年後引き続き継続雇用されるという慣行があり、特定の労働者だけを継続雇用しないということになったら、定年による退職ではなく、解雇の問題が発生してきます。☆
まさにこの法律が反映された司法判決に関して城繁幸氏が指摘したことがある
http://twitter.com/joshigeyuki/status/8467969965297664
これ結構キツイかも。ますます内定率が落ちていく様子が目に浮かぶ。:定年後の雇い止めは無効「雇用継続期待できる」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/
http://twitter.com/joshigeyuki/status/8483360695394304
裁判官のコメント意訳「業績悪いから嘱託雇い止めしたいっていうけど、新卒採っちゃダメでしょ。まず新卒採用から中止しないと」 もう無茶苦茶。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/
http://twitter.com/joshigeyuki/status/8629180774227969
問題の企業、従業員46人の中小企業なんだな。よく中小はクビ切り放題って言う人がいるが、だいたいはこういう風に法律守ってる。つまり、この判例はそういった多くの中小企業にも「負の影響」を与えるということ。
この司法判決一つで、数百、数千の新卒採用の枠が狭まっていく。
それはつまり世代間格差を助長させる。
http://twitter.com/theophil21/status/26813074828697600#
(8)わかりやすく言えば、「雇用は保障するから企業に服従せよ」という使用者側の提示に労働者側も応じていた、というのが実態でした。したがって、それにもかかわらず使用者が「めったなこと」も生じていないのに解雇することは、約束違反になるので、裁判所はこれを「裏切り」と判断してきました。
終身雇用と年功序列賃金とは、若い時の給料を不当に安くされるかわりに、ある程度年をとってからその分を貰うという後払いのことだ。
今までなんとなくは分かっていたのだが認めたくなかった。
それはつまり、今まで(バブル以前まで)の経済発展はある意味虚構だったのだ。
それはつまり、使用者は本来支払うべき賃金を後回しにして、その分を設備や価格競争に投資して業務拡大してきた。それが通用したのは団塊世代が40を超えるころになる1990年ごろまでだった(下記の画像参照)。1990年代がバブルの後処理でおわれたのでなんとなくやり過ごした気になっていたかもしれないが、団塊世代が高年齢化していくにつれ構造的に人件費が膨らんでしまう。
そして、そのツケは先の氷河期世代が負ったわけだ。なぜ、1990年以前はそれが通用したのかというと、すべての人、低所得者も含めての人の賃金があがっていったからだ(少なくともそういう幻想を抱けた)。それができなくなったのは、先の構造的欠陥もあるのだろうが、一番大きいのは物価が上がらないことだろう。そういう意味で財務省・日銀が(インフレを目的とした)大胆な財政・金融緩和を打たないのかが皆目わからない。
団塊世代が引退していく2006-2008年だけは特に景気が良く新卒採用も活発だったが、2010年卒から次の就職氷河期がツケを払っている最中だ。
今、画面の目の前で「んなモン、今の大学生は勉強してなくて馬鹿なだけで自己責任だろ」なんて思ってるそこのアナタに朗報!
そもそも、いつの時代も8割の大学生は勉強なんかしてないでしょう。団塊の世代は学生運動ばっかだったし、バブル期入社の人も研修旅行と称した拘束旅行に行ってたわけで。ちゃんと勉強している2割の人はいつの時代でもちゃんと就職出来てるわけで。ダメ人間で何もしない2割の大学生はいつの時代でも就職できないわけで。で、俺が問題にしているのは、遊んでいたとしても6割の普通の人は昔は就職できたのに、今の時代に生まれちゃっただけで就職できないっていうのは可笑しな話でしょう?
百歩譲って、そのことは認めたとしよう。それでも、この上下の世代間格差と同一世代内の格差をどうにか吸収できるシステムを構築しないと、勝ち組のアナタも結局不幸になるんですよ?え、だって、今の30代(=氷河期第一世代)って、世代内でものすごく格差があるでしょ?(参考→格差世代 - Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080421)
これ、ほっとくと危ないですよ。まだ、30代で派遣だったら今のところ問題がないように見えるかもしれないけど、20年後、30年後は間違いなく社会に負担が掛かる。それは生活保護受給者の激増という形に現れてくるだろう(予言)。正直、今の生活保護制度が問題ありすぎるから、そのころまで今のままの制度っていうのはありえないと思うけど、それに変わるセーフティネットに負担がものすごく掛かるだろう。それを負担するのは「自己責任だ!」と叫ぶ我々自身だろう。
この国の労働構造を変えないで、子ども手当も何もあったもんじゃない。
そもそも定職につけなければ子供を生もうなんて思えやしない。
それが大半の人の思うところだろう。
(日本のGDP:画像)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/image/001_002_01.gif
(ソース)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/001.htm
http://twitter.com/theophil21/status/26814303956897793#
(10)これに対して、濱口桂一郎先生が強く指摘されているように、中小零細企業では、「解雇の自由」という原則がずっと定着しており、国際的にみてもそれほど日本が異質なわけではありません。 他方で労働者の移動も頻繁であり、雇用保障と絶対的人事権の取引関係は希薄です。
中小企業にとっての解雇規制と大企業にとっての解雇規制は大きく異なる。
大企業は、裁判沙汰になって信用が失墜するのを恐れて今の法制度(法律、司法判断、省令等)では整理解雇をできない。事実上倒産したJALですら整理解雇が違法であるとして元従業員から訴えられている。普通に考えればそこまでリスクを取って整理解雇しようと思わない。
一方で、中小企業は社会的信用はそこまで気にしなくてもよいので、バシバシ解雇してしまう。
下でも言うように法律による解雇規制はそこまで厳しくないが、規制を頑なに守って身動きがとれない大企業と規制を建前として遵守しようとしないブラックな中小企業に二分化されている。
参考↓
“規制”と“規制の監視監督”の違い - Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090112
「世代間格差~若者は犠牲者!? 老人天国ニッポン~」 - BLOGOS編集部 - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5061847/?p=7
一方で、解雇規制の緩和方向に法律を変えたら、状況も変わると言う人が多いけれど、もっと根深い問題ですよね。実は法律上の解雇規制はそんなに厳しくない。大部分は司法でやっています。しかも、その司法判断を支えているのが、マスコミ的正義感です。労働弁護士とか、昔ながらの左翼的な人がたくさんいますよね。現在の日弁連の会長を含めて、正義の味方でメシ食っている人がいっぱいる。そういう人たちがマスコミは大好きなんですよ。
解雇規制に関しては、法律による規制が問題・なんじゃなくて、それの法律を元にした(城繁幸氏が指摘したような)司法判断が問題になっている。
このことは池田信夫氏が言うように非常に根深い。そして、私自身は(法律に疎いので)法律をいじれば解決するのかどうかはわからない。解雇規制は法律上の問題ではなくて、司法判断の問題だとしたら、そしてそれがマスコミ的正義感(つまり日弁連や社民党や共産党のように、正義を実践しれいるつもりなのだがそのことによって構造的に不幸を作り出している偽善的な正義感)に支えているとしたらマスメディアの問題でもあるし、そのマスメディアの情報を無批判に受け取っている我々自身の知性の問題であると思う。
参考↓
http://blog.tatsuru.com/2010/04/02_1243.php
「正社員の既得権ってまだタブー視されてるの?」というタイトルだけど,
>個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない
私は、上にも書いたように、頭の硬い友人には「話せない」わけですよ。
別に本人は自分が幸せならいいのかもしれないけど、彼は社会がどうあるべきか、という理念がない(ようにみえる)。
で、鋭い友人は先のエントリとこのエントリくらいのことなら大体分かっている。
で、大半の人(私の周りの友人含めて)は前者なわけであって、リアルではカンタンに話せることじゃない。
今就職難で、氷河期以上とか言ってるけどさ、正直働いている側としては今すぐにでも辞めたくてしょうがない。贅沢な悩みだとか、勝手に辞めて採用枠広げろとか思うかもしれんが、そんなこと言われなくてもうちの会社では若い人が毎年5人以上辞めている。100人規模しかない会社で。そして2年ほど前から新卒の採用はストップしたままだ。
俺が就職したのはちょうど4年前で、新卒の雇用状況が改善されつつあると言われていた時だった。会社は50社ぐらい受けて実際に面接行ったのが30社ぐらい。そのうち内定は3社。大学はDランクぐらいかな。俺はいわゆる普通の学生だったから希望も大志も無く、内定した3社のうち今の会社を選んだ理由は休日が一番多かったから。年間125日だったかな。実際取れてるかわからないけど、土日祝日は基本休みで、GW、盆、正月も普通に暦通り休み。まあ取れているだろう。3社とも当時はそんなに内定を取るのが難しくない(今でもそうかもしれない)業界だった。メーカー直販の車の販社と、資格学校の会社、あと不動産系の会社だった。自分はどれも興味が無かったが、かといって興味があることなど無いので、いちばんマシそうなのを選んだ。労働条件という意味で。
辞めたところで仕方が無いし、お金ないし、底辺の生活が確実に待っていることはわかっているんだけど、それでも今の会社に勤め続けるのは吐きそうなぐらい嫌だ。何が息詰まるかというと、この会社機構というか、組織形態というか、システムというか、毎日通うのが嫌でしょうがない。毎年辞めて行ってる5人が俺と同じような理由で辞めたのかはわからないし、そこらがその後どういう仕事をしているのかわからないけれど、今の仕事は介護でもしているかのようだ。イエスマン、ご機嫌取り、ヨイショ、それが仕事。特に、社内に対して。社外にはまだ真っ当に仕事を進めているが、それでも社内から、「こういう仕事の仕方をしろ」と、ご機嫌取り、ヨイショを勧められる。アホらしくて反吐が出る。それをやる方も、それをやられて喜んでいる方も、それで成り立つ関係も、社会も。
嫌なことも我慢するべきだとか、仕事なんてそんなもんだとか、サラリーマンの宿命とか、そうやって成長するんだとか、上の世代にはそういう意見が多いだろうけど、実際のところ嫌なことを毎日続けるのは人としてどうかと思うし、限界が来る。外人から見たら頭おかしいって言われるらしいじゃない?日本のサラリーマンって。そして、実際にそういう嫌なことをずっと続けてきたジジイたちが犯罪に手を染めたり過労死したりリストラされたり、今となってはジジイたちの意見がとても正論じゃない、むしろキチガイじみた妄信だという現実を我々は目の当たりにしているよね。
でも、よく言われるように、「続けるも地獄、辞めるも地獄」でしかない。転職という形で辞めた人が実際は多くて、彼らが新しい職場で悠々自適でいるかは不明だが、そのうち2人は公務員になっていたり、いわゆる社員からみた優良企業に転職していたりする。実情、内心はどうだか検討はつかない。彼らは辞めてからも新たな地獄が始まっただろうか。どちらにしても、俺が辞めるとしたらどうせ地獄だ。俺は夢や希望があってやめるわけではないから。そんなものは元々存在しないし。じゃあどうすればいいだろうか?まず、続けることが出来るだろうか?続けるべきだろうか?やめたとして、生きていけるだろうか?その生活は、今より苦痛の少ないものだろうか。ジジイたちは続ける地獄を選んだ。俺にとっては、どちらの地獄がマシだろうか。
個人的には、外国に移住してみたいという気持ちがある。言葉もわからなし、専門的な技能があるわけでもない、外国人は差別されるだろうし、仕事なんかないかもしれない。住むところもままならないかもしれない、その日暮らしもままならないかもしれない。だとしても、この日本の閉塞感は耐え難い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110118-00000524-san-bus_all
バカが多いんだから五割でも十分。
働かざるもの、食うべからず。
労基法は破らざるをえないというのが、そのとき嫌でもわかるでしょう。
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/101208/ecd1012081457001-n1.htm
職安からは《「夜勤あり」「休日出勤あり」では応募は見込めませんよ》といわれ、その通り、2カ月で問い合わせはわずか2件。応募した人からも《「土日は必ず休みに…」などといわれ、電話口でお断りした》そうだ。
この男性は《「ミスマッチ」とぼかした表現を耳にしますが、何より今、国内に不足しているのは「働かざる者、食うべからず」の基本的な意識だと思います》と辛辣(しんらつ)だ。
まあより好みし続けてニートになってそのまま詰み、になるまでわからないのかもしれませんね彼らは。ゴネればくれると思い込んでいる。子供の頃からゴネ得を許してきた中流階級の親の教育が悪かったと言えばそれまでですが。
http://anond.hatelabo.jp/20110107214632
概ね賛同。
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
社会とは、そうして渡っていくものだと思い込んでいた。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。
・若者、氷河期、ワープア叩き、マスコミの弱者蔑視が蔓延する理由
団塊どもは数が多かったので、激しい競争にさらされる人生を歩んできました。
従って、他人を蹴落としてはい上がることが至上の価値という価値観を持っています。
本来であれば社会において必要とされるスキルは「協力」ですが、彼らは「他人を陥れる」という、それに相反する価値を蔓延させた自己中世代です。
ワープアなどの弱者の問題は本来、社会全体で少しずつ我慢しあって分かち合うという方法が有効なのですが、強欲な団塊は絶対に自分の既得権を手放そうとしません。
そして、今や様々な分野のトップになってふんぞり返っています。
そう、おわかりの通り、マスコミの偏った自己責任論などの「弱者叩き言説」は、こうした自己中団塊の立場を正当化するために消費されているのです。
=これは団塊のせい。
要するに、多数派であり選挙に大きな影響がある既得権世代の雇用や保障を優先し、若年世代を犠牲にした結果が、良くない実態以上にさらに閉塞感をもたらしている格差問題なのです。
政治も選挙のことを考え団塊に媚びたために、被害が若年世代に集中した結果、経済の悪化、社会の閉塞感と言った問題を拡大してきましたが、マスコミも多数派である団塊に媚び、実態をゆがめて報道してきました。
この点、自民や経済界は当然責められるべきですが、では、はたしてマスコミや民主党、その支持母体の労組がこの問題を取り上げてきたか?と言うことを考えれば、彼らも共犯関係にあると言えます。
今までは公共心を持った世代の高い投票率で、まだ抑制されていましたが、これからさらに影響力を強める団塊世代は公共心など無い、私欲にまみれた徹底的なエゴイズムの世代です。
自分の利益を追求することを至上の価値と考え、他人を思いやる心に欠ける野獣のような世代が彼らであり、そのことは「日本という国家全体のことを考える」という左右を問わずに当たり前のことを、あたかも悪であるかのように主張してきた前科からも証明されます。
=もちろん団塊のせいw
数が多く、競争の中で生きてきた彼らは、他人を陥れるためならなんでもするという、禽獣にも劣る卑しい精神構造を持っています。
ですから、組織を円滑に運営するための人間関係構築の重要性が理解できません。
今やトップとなった彼らの価値観が現在の社会に蔓延していることが職場の閉塞感を高めています。そして、団塊どもは相変わらず「協力し合えない職場」の問題点を全く理解せずデタラメな対応を現場に強いているのです。
自分たちの無能を棚に上げ、現場に無理なコストカットなどの要求を繰り返してきた結果がブラック企業なのです。
=やっぱり団塊のせい。
しかし、いくら自民を叩いたところで民主が良い政党だと証明できるわけではないし、支持する要素にもならないと考えるのが常識。
しかも政権取ったとたんに内政も外交もダメ。景気無策、財政危機で結局国の借金は増え、そして増税という体たらく。
が、団塊どもの性質として、「とにかく負け組になりたくない、叩く立場になるのが最高」という腐った価値観があります。
だから、マスコミのメディアスクラムが起きると一斉にそっちに流されるわけです。
普段は「個性」「主体性」と喚き、また、協力し合うと言うことを知らない連中ですが、こういうときは結託して叩きに走ります。
それがこういう状況の原因の一つにもなっているのですね。
そして、注目したいのが世代問題。団塊とは一般に「1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代」を指しますが…
安倍(1954年)
福田(1936年)
麻生(1940年)
…
鳩山(1947年)
菅(1946年)
ごく普通な意見でも適当に揚げ足とって暴言侮辱をぶつけている。
反論が帰ってくるとまた揚げ足取ったり勝利宣言的なことをいって「ふー、やれやれこれだから低所得DQNは」とか言って相手を悔しがらせる。
氷河期以下の状況の学生に対してどうにもならない観念論振りかざしてお前はダメだとなじりつける。
ニュー速系もいい。
対立が生まれるような記事(たとえば愛煙嫌煙のような)があればどちらかの側に立ってあえて極端なことばかり書き連ねる。
対立を煽って煽ってマジレスしてくる連中に「こいつら馬鹿だな~www」って酒飲みながらげらげら笑ってる。
ニコ動も傑作だ
以前二人の実況プレイヤーが同じような縛りで、同じ時期に、同じゲームの実況プレイしている動画があった。(意味が通じただろうか?具体名を出さないと説明しづらい)
ニコ動のガキどもは見事に反応w
バカだねーw
それじゃあ今日もどこかを荒らそうかw
なーに、どうせ匿名だ
しかも法に触れるわけでもないwwww
※重複カウントは省略、思いつき次第順次追加
高学歴の俺の周りはゼミサークルバイト含めみんな内定もらってるし、やっぱりできない子が切られてるだけだよね。
騒ぐほどでもないかと。
あと、先進国だからある程度生きやすいってだけで、やっぱり弱肉強食だとは思うよ。
だから、いつまでも危機意識がなかったり、自分が間違ってると認めることができなかったり、身の丈に合った生活ができなかったり、いつまでもより好みして職歴を付けるどころか空白期間作るような人は、やっぱり先に死んでくんじゃないかなあ。
彼らは既に雇用されている人間の権益を守るために存在しているのか?
将来の日本の労働環境だとか、氷河期に就職できずにフリーターになってしまった人間だとか、そういう層のことは考えてすらないんじゃないだろうか。
そうだけど?
両者が競合している場合、組合は100%前者(1)を捨てて後者(2)を取る。だってそういう組織だから。
どんな凶悪犯だろうが弁護士は仕事として被告を法廷で弁護するでしょ。連続婦女暴行殺人犯を弁護しているからといって、その弁護士は強姦や殺人を肯定しているわけじゃない。それと同じ話だよ。だから行為の是非を彼らに問うても無意味。そもそも学生は組合費払ってないし(笑)。
だからー、大卒が増えすぎて氷河期もへったくれもねーっつーの。
大学の数半分に減らして大卒の数もそれに準じて減らしてから語れよ。
バカが多いんだから採るわけねーだろ?
上澄みだけ掻っ攫っときゃいいの。無能集団なんだから。
http://headlines.yahoo.co.jp/smartphone/hl?a=20101202-00000090-jij-bus_all
春闘の要求項目の詳細がどこから落とせるのか検索しても分からなかったから、要求の具体的な部分は報道でしかわからないんだけどさ。
春闘、というか労働組合全般って一体どこと闘っているんだろう?
大学生の内定率は10月時点で約57.6%、まだ決まってない学生が4割も居て就職氷河期越えはほぼ確実。
なんで賃上げベアアップを未だにメインの闘争項目にしているのが俺にはよく分からん。
労働組合なんだよな?経営側と闘って労働者の権利を守る、ってのが労組系の存在理由のはずだと思うんだが、違うんだろうか?
彼らは既に雇用されている人間の権益を守るために存在しているのか?
将来の日本の労働環境だとか、氷河期に就職できずにフリーターになってしまった人間だとか、そういう層のことは考えてすらないんじゃないだろうか。
実際就職氷河期だった年齢層って今の企業ではぽっかりと抜けているところが多い。
また同じことをやって、時代のせいにして労使揃って経済の都合を運の悪かった学生に押しつけるのか?
本来の存在理由を考えれば、要求項目は"雇用の維持"であり、"採用者数の維持"であるべきで、そのためには労組側も多少の泥はかぶりますよ、とかもっと柔軟な提案をすべき組織なのに、
母と買い物していて、台で買ったものを袋詰めしていると、誰かが声を掛けてきた。
中・高の同級生のお母さんだった。
その同級生の子はとても勉強ができて、吹奏楽部だったのだけど演奏もすごく上手く、
だからと言ってそれを鼻にかけている風ではなくわりと控えめ、加えて可愛らしい容姿で皆に好かれていた。
彼女は高校では理系を選択し、大学進学後、これまた大学院に進み、来春から有名な製薬会社で研究職に就くそうだ。
常に白衣を着る生活かー。私には全く無縁。
そして、彼女のお母さんが私に話を振ってきた。
私にとってはそれがそのまま本当のこと。
新卒の年(この年の秋にリーマンショックが起きたから、今散々言われてる氷河期にかぶってるといえばかぶってる。でも「売り手市場」とも言われてたし、大体は就職できていた)に就職が決まらず、引け目を感じてゼミに行けず、そんなことを大目に見てくれる教員ではなかったから、あっさりと留年が決まった。
そして地元に帰り、週1回のゼミにはなるべく出席しながら同じように活動を続けた。でも結果は変わらなかった。
今度は無事に卒業することができ、そのまま地元でアルバイトをしながら細々とシューカツしてる。
1ヵ月半ほど前、内定通知が届いた。拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
それでも本当にうれしかった。やっとこの生活から抜け出せる。母の力になれる。
しかしネットでその企業のことを検索してみると、悪い情報ばかり。一気に目の前が暗くなった。
ネットの情報ばかり鵜呑みにするのはアホらしいし、とにかく行ってみないと、やってみないとわからない。
そりゃそうだ。まずは経験。私は今、何に関しても「未経験者」なのだから。
でも怖かった。今でも怖い。だから母以外の人には内定をもらったことを言わず、シューカツを続けている。
母にも「とにかくちゃんと自分で決めるまでは誰にも言わないで」と言った。
しかし母は友人や職場の同僚に嬉々としてそのことを伝えているらしい。
母の気持ちだってわからんでもない。
とんだ親不孝者がやっと就職を決めた。
悩んでる?馬鹿を言うな、なんでもいいからとにかくやってごらんよ。
簡単に言う。別に間違ったことじゃない。でも、何で「言うな」って頼んだことを平気で言ってしまえるんだろう。
同級生のお母さんが去った後、また念押ししておいた。
ちょっと空気が悪くなった。いつもなら何か弁解したりして雰囲気を和らげようとするんだけど、今日は何もしなかった。
何でこの子はあんな風になれなかったんだろう、ってきっと思ってるんだろう。
本当に申し訳ない。でもこのまま投げ出してしまいたくはない。と思いながらもどこかで安心してる自分もいる。
喝。
だからもう少しの間我慢してほしい。
来春卒業の大学生の内定率が10月時点で6割を下回り、2000年ごろの氷河期と同等かそれ以上に厳しい状況だと言うことで既存の大手メディア、有名なブロガーの方々が様々な意見を発信してる。
あまり正確ではないが(異論はあると思うけど許してね)だいたいそれらをまとめるとこんな感じだろうか?
①今の学生が悪いよ派
今の学生はろくに勉強もせずに遊んでばかり。実際大学生自体が増えて、質が低下しているのだから、内定率が下がって当たり前。
→こいつらは一番頭が悪いか、もしくは間違ってると分かったうえである特定の層に対して耳障りのいいことをほえてる連中だろう。
どっちにしたってろくなのじゃないと思う。
反論についてはもう色んな方々がなされていると思うので、割愛させていただきます。
②全体のパイが減ってかわいそうだね、もしくはしょうがないよ派
これは原因というか責任をどこに求めるかで2つに分類しようと思う。
1.企業が悪いよ派
企業は内部留保だのなんだのを貯めて余裕があるんならもっと雇え!不当に利益を溜め込むな!
→まあ頭悪すぎて解説する気にもなれないような層ですね。まあ政治的に一定のうけを狙ってる側面もあると思うけどカスすぎます。
2.政府が悪いよ派
政府の無為無策のせいだろ。解雇規制緩和等で環境を改善すべき!
→理屈では一定の理がある。人材の流動性を高めることは様々な側面において必須。ただしこれでも根本的な解決は望めないだろう。
この発言も現在その事態に直面している学生からしたら自分たちを利用して政治的主張を押してる連中にすぎない。なぜならそんなことしたって今まさに新卒で職が得られない状況が改善されるわけ無いから。
③外国が悪いよ派
→もはや救いようの無い人たち。まあこんなこと言ってる人は殆どいないと思うけど・・・って思ったんだが、企業と若干かぶって恐縮だが、ユニクロ、ニトリのせいでデフレが進行して云々とか大声で叫んでたかわいそうな人がいたな。間接的に海外の低賃金労働者をdisってるわけで笑いが止まらないわけであります。
さてというわけで現在新卒として就職活動に直面している方々には何の意味もないことをつらつらと書いてみた。
もちろん時代に翻弄され、どうしようもない部分はあると思う。でもだからといって上記のような原因を探して批判しても諸君らにとっては何の意味もないと思う。たとえば人生全般について考えてみて欲しい。人生そのものが不公平で不条理なものだ。生まれた瞬間からモデルになることの出来そうな容姿を有するものがいる一方で、見るのも憚られる様なものがいるように。また生まれた国についても同様のことが言える。自分の手持ちのカードが貧弱で文句を言いたくなるだろう、投げ出したくなるだろう、でも降りることが出来ない。
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
タイトルをつけてみました。本当に世知辛い世の中ですよね。義理人情、僕は余り義理というやつが好きではないのですが、人情が廃ればこの世は終りだ、と実感するようになりました。
就職超氷河期と囁かれ始めた時代に、それなりの大学の商学部に入ったのは7年前の話。
苦労して勉強して入った大学生活を楽しまなきゃ損だ、と思ってサークルに入ってみた。
練習そこそこで、四季に合わせたイベント・合宿、そして毎週開かれる飲み会。
楽しかった毎日でした、と思い返せればいいんだけど、あの時期の大学生でそんなこと思える奴っていないと思う。
将来が不明確なのを4年間も強制されたショクギョウになってしまったんだよね。
これが数年後の我が身かと見せつけられれば、ほんとに怖くなる。
就職出来るだけで運よくて、もし仮に大企業だったらそりゃもう神様扱い。
ウチのエースはアジア人、なんてタイトルの日経ビジネスが2010年にあったらしいけど、
今じゃエースだけじゃない。
むしろ海外に出て行けなかったトコは潰れたり買われたり。
もう中国人、中国人、タイにフィリピンにインドネシア、そして中国人。
大企業ほどね。
ほんとうに将来が見えなくて怖かった。
ドンキホーテで修行を積んて独立した北京大学出身の人が成功して、
ってテレビで言ってたっけ。
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だから、オレ起業した。
このまま日本人向けに用意された新卒枠を競い合っても仕方ないと思ったから。
3人に1人しか生き残れない勝負するなんて、バカじゃん。
すごくバカらしい。わざわざ殺されに行くなんて。
3年生の1年間でインターンって名前の丁稚奉公して、4年生で勝負かけた。
とにかく先輩たちと同じにはなりたくないから、仲間見つけて、考えて、売り出したのは10インチのモニタ。
これが3年間で100万台も売れて、たぶん来年もきっと売れるけど、再来年は類似品でわかんね。
モニタに少しのストレージとネットワーク機能つけて、Dropboxでファイル同期出来るようにしただけなのに、
これが飛ぶように売れちゃった。
LOFTのクリスマスプレゼント特集で火がついて、贈り合いっこでカップルにつき2台づつ。
次いで海外出稼ぎお父さんが子供たちと、ってことで一家に3台。
同じく日本に就職してきた人たちにも大ブレイクで、一族10台まとめ買い。
製造は全部海外。
自前の工場を持つなんてお金かかりすぎるから、台湾の会社に委託製造。
基本設計書だけ持ち込んだら、ベトナムの組み立て工場まで紹介してくれた。
初回は1000台、4ヶ月後に1万台、半年後には5万台、ついで四半期ごとに10万台。
営業先は大手数社だけだし、
そのかわりメンバーにこだわった。
設計は東大工学部のフィリピン人ドクターを口説きおとして始めは学生と兼業してもらって、
なにより大きかったのは、パナソニック早期退職して副社長やってくれた伯父さん。
そんなこんなで急激成長して年商30億のベンチャー社長にオレはなりました。
なんでこんな簡単なモノが売り出せなかったんだろうね、日本のメーカーって。
オレらは工場も持たないし、研究開発もしてないし、ほんとにアイデアを素早く形にしただけ。
いまとなってはわかるけど、簡単だからこそ出来なかったんだろうね、日本のメーカーって。
次のアイデアが出てこなかったから、ソニーから買収の話が来たときには喜んで握手。
25歳で年齢×億以上の資産出来たのは、人生上手く行き過ぎかもしれない(笑)
それもこれも、就職超氷河期ってことで反面教師となる先輩を紹介してくれた日本社会のおかげ。
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フィリピン人の彼は母国に帰って、豪邸買って自分の会社作るってさ。
華僑の彼は中国本土のMBAに通って、一族の本拠地がある香港で家業につくとな。一族の同世代の出世頭らしい。
一番驚いたのは、サムスンにヘッドハンティングされた伯父さん。新規事業部門に一本釣り。相当の契約金だったらしいけど、額は教えてくれなかった。
そして会社がソニーに買われた今日、オレはこれからシンガポールに移住する。
でも一番嫌なのは、先が見えないこと。
たまに美味しいものでも食べにくるよ。
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こんな時代が来るのは確実。