はてなキーワード: 氷河期とは
たとえ凶悪連続大量殺人犯の遺伝子でも人類にとっては非常に重要な遺伝子
天才も金持ちも基地外も不治の難病患者も重度の身体障害者の遺伝子も皆等しく重要
そもそも正義や悪、正常や異常という基準は全く普遍的なものではなく周りの環境によって変わる
この宇宙には何一つとして普遍的なものは存在せず、ただ周囲の環境に適応したものだけが競争に勝ち生き残ってきた
首の長いキリンも人間も多様性があったからこそ変化に対応できて、その種が絶滅せずに生き残ることができた
生物に多様性があったおかげで地震、隕石の衝突、氷河期などの環境の大変化を生き延びてこれた
約137億年の宇宙の歴史を見ても、恒星の消滅や超新星爆発など今後どんな環境の変化が起きるか全く予測できない
とりあえず色んな種類があれば1匹ぐらいは生き残るかもしれない
とはいえ、だいたい集団から外れた奴は99%ぐらいは狩られたり餓死したりして消滅する
http://anond.hatelabo.jp/20130403235857
とにかく男も女も全員が定年までフルで働き続ける位の変革をしないと男女共同参画は実現しないでしょ
求人だっていっぱいあるし、働いて感謝される事だって多くなる。
バブルを経験したことのある女性は非常に働くことに意欲的だと思う。
いまは積極的に働きたい、と思える景気かな。
なんかね、まぁ嫁さんが育児に専念したいなら可能な社会の方がいいんだろうな、と思うのですよ。
あと君は既に政策的な観点で話をしているよね?
そこの観点に乗っかって話すんだけど、
「もし家庭が経済的な理由で嫁さんが働きに出ざる得ない」というのが大勢だ、というのであれば、
http://anond.hatelabo.jp/20130306163244
↑これ読んで。
2010卒の文系F欄です。氷河期の走りの就活、ということで、前例が通用せず手探りでやってました。
自分は70社ぐらいエントリーして150回ぐらい面接してようやく中小に引っかかった出来損ないです。
でも、GDは30回以上受けて、何もわからなかった最初の1回しか落ちてない。GDはコツさえつかめば簡単だよ。少しでも参考になればいいな。
・顔合わせの段階で雑談をしとく
説明会とか開始前の段階で、ある程度なごやかな雰囲気を作っておくと後が楽です。
どこ住みですか?大学で何やってます?就活辛いですよね~ ぐらいのものでOK。
開始時間になったら「みんなイイ人そうで良かった~今日は頑張りましょうね!」で〆
・役職にはつかなくていい
誰もやりたかがないとかなら別だけど、リーダーとか司会とか発表係とかは別にやらないほうがいいです。
役職につくことで上手くアピールできるならいいけど、失敗した時のリスクが大きいので。
やりたい人にやらせてあげよう。
・時間を決めておく
誰も学生のご高説が見たくてGDやってるわけじゃないので、この辺はありきたりな内容でも全然大丈夫。
むしろ、そのグループの雰囲気に合わせて無難なことを言う方がリスクは低い。
よくある失敗パターン「熱くなって喋りすぎた」からわかるように、「意見は言わないでよし」ぐらいの心もちのほうがいいかも。
・「議論を発展させること」が最大のポイント、それも「和気藹々と」!
浅い意見こそ、「くだらねー」と思わないこと。
突っ込みどころ満載な意見のほうが、こちらもいろいろ指摘しやすい。むしろ「ラッキー!」と思うべき。
ただしこの時皮肉ったり論破したりしてはダメで、まず適当に「なるほどね~」と言っておく。
「なるほど」の後に「んじゃ、こういう場合はどうしよう?」と突っ込みを入れる。
ここで自分の意見はあまりいらない。あくまでも他人に喋らせる。
それに対して意見がきたら、また「なるほど~」→「じゃこれは?」
・まとめてみる
人の出してきた意見を「~~、ということですか?」と短く反芻する。
「いや~すごくいい議論になりましたね!ありがとうございました!」
こんな感じ。
書き出すとわざとらしいですが、これを自然にできると驚くほどみんな喋ってくれます。
そして、大抵自分が想定する議論、結論を導き出すことができます(自分がそう誘導的な突っ込みをしてるんだから当たり前か)。別れ際には同じチームの人が「今日はすごく楽しかったです~」「今までで一番出来がよかったですよ~」なんて言ったりするので、意外とみんな気づかないみたいですね。
その後の面接でも大体、「君のGDの評価がすごく良くてね~」と言ってもらえました。
もちろん、社会に入ってもこれが通用するとは思いませんが、少なくとも学生相手の、就活という場でだったら十分です。企業が求めるコミュ力って、自分はこういうことなのかなと思っています。
「お返しが目当てなんだろ?」なんて奴はいねーだろ
「お返しがめんどくせー」って奴なら一杯いるし俺もそうだが。
ほとんどの男は義理チョコとか面倒くさいから嬉しくはないと思うぞ。
まあ俺の友人知人・観測範囲で。すごく社交的なイケメンクラスタは知らん。
チョコもらうのが嬉しい男性は「チョコ貰うと嬉しいのが『男』。貰ったものより良いものを返すのが『男』の甲斐性」みたいに思っているし、
それは合ってるんじゃね?
義理チョコに限って言えば前者なんてどれほどいるか知りたいもんだが。
俺は、嬉しくないです。
面倒くさいです。
恵方巻と違って実害がある。
あとさあ
実際経験した者ですが、
事務職って公務員や大手はともかく一般の中小企業の事務職って氷河期時代からずっと未だに女性優遇で男性お断りなんですわ
でもハローワークやリクナビに載ってる求人票やその紹介の際の連絡では、男性もOKにしてる所も多く希望を持って受けてみたら、体よく「うちの会社では女性しか雇わない」と断られて書類代や交通費が無駄になるなんてことがよくあります。
たとえば、ハローワークの場合だと最近は面接だけでなく書類選考を行い奮いに掛けます。
ハローワークでは原則として求人票に「女性だけ」と記載するのは法律違反ですのでただでさえ嘘だらけの求人票に更に嘘を重ねた物を出します。
当然、求人票を見た求職者はハローワークで紹介状を発行してもらいますよね。大抵は事前連絡をしますがその時に「うちは女性を・・・」となって断られるケースが殆どです。
それだけならまだ良心的ですが、面接選考のある会社(一般には面接のみの会社)では履歴書を見るまで男性か女性かはっきりしない(姓名にも女性名の場合があって会社も判断が付きにくいといった理由もありますが)ので、面接まで赴いて面接官から実は女性を希望してるといった旨が伝えられると、そこははっきりいって外道な会社と見えます。
それでも行き返りの交通費が支給されるならば、時間の無駄を除けば次の面接への足掛かりにもなるので予行演習と捉えることができるでしょうが。
さて、事務職は女性有利な職種ですが、男性は不利なのかというと、残念ながら不利です。この辺は男性差別の問題としてしばしば提起されてるようです。
男は営業、女は事務という考え方が中小では未だに一般的です。ハローワークの職員もそこは悪びれなく事務職希望の男性に営業転向を勧めます。
現在営業ははっきりいって業界全体が飽和状態に入っています。既に虫食い入れ食い状態のため、はっきり言って行くだけ無駄な職種です。
それこそ昔は需要が高く年収1000万を超えることもザラだったと聞きます。
けれど、それはバブル崩壊までです。それ以降は如何に工夫して営業するかが課題となり、それがやり尽くされ現在に至ります。
すなわち営業はルート営業や卸売営業、反響営業、店頭営業を除けば非常に難しく経験が物を言う職種であり、新卒如きが入ってすぐ勝ち取れる、アメリカンドリームではなくなったのです。
最近見かけるハローワークの営業の求人は、いわゆるブラック企業のそれと同じ謳い文句が目立ちます。それ以外にも「〇〇年以上の経験」を求めるのが普通の時代になりました。
要はハローワーク求人(営業)は新卒応援も含めて新卒お断りなのです。
それでも、女性優遇のため門戸の狭い事務職よりはかなり門戸が広い職種です。入り易さや経験を稼ぐという点では営業以外にないです。肉体労働の文字通りです。現在は体育会系と呼ばれるのが営業です。
結論を言いますと、事務職は中小に限って女性しか受かりません。男性で受かるのは経験スキルを持つハローワークを利用せずとも転職できる能力の求職者のみです。
それ以外の人(特に新卒男性。既卒も)は他業種職種へ行かれた方がマシです。事務一辺倒ではその年一度も受かりませんよ。駄目もとで他の職種も受けられた方が内定の道があります。例えば嫌われてる広告営業とか印刷OPとか介護とか飲食業界とか。入るのは簡単です。出るのが難しいです(笑)。
日経新聞にもこの間書かれてましたが、この夏が過ぎてからが勝負です。夏の間も就職活動するのはいいですが、一番の近道は無理をしないことです。
第二の氷河期とか言われてた卒業に際して希望してた職を見事勝ち取った人で、日々頑張ってる様子が伝わってきた。
自分のやりたいことをやってる。大変だけど充実。みたいな。
一方こちらは食いっぱぐれなければいいくらいの感じで職を得て細々生きてる真面目系クズ。
日々そんなに頑張ってない。頑張るのって嫌いなんだ。
昔から世間様で暮らしていくための最低ラインみたいなものに達するために人一倍頑張らなくてはならないタイプの人間だった。
夢のためとか自分のためじゃなくて、そうしないとけちょんけちょんにされてスタンダードな人間からちょっと外れた存在として扱われるので必死にならざるを得ないタイプの。
白状すればコンプレックスはある。
この人は自分の「そうなれたら良かったのにな像」(の一種)だなあ、と思う。
ただ、自分はこの人みたいになりたかったわけでは決してない(人気職だが俺の趣味じゃない)し、何かの間違いでこのポジションに乗っかることがあったとしても決してこの人みたいに楽しんで頑張れはしないだろう。
嫉妬はないんだけど正直自己嫌悪が加速するのは確実なので会って話したりとかはしたくない。真剣に話題が無い。
基本的に向こうは礼儀正しい善人であり、こちらはくすぶってるカスなのでマジで上っ面でしか接することができないと確信している。
そんな失礼な真似はしたくない。
で
この度めでたく大学同窓会みたいな飲み会のお誘いが回ってきているわけですよ。
前述の人も含めていろんな人が出席する、割と規模デカイ感じの会なんだけど。
うおおおおおイヤだああああ行きたくNEEEEEE
でもお断りの口実が見つからNEEEEE
海外の途上国の貧困問題や支援に熱心な人達は、どうして日本国内の弱者にはこうも冷淡なんだぜ?
貧しい国はその分物価も安くてそれなりの生活が出来てる訳だし。自給自足もしやすいだろうし。それに対して物価の高い貨幣経済社会の日本で収入がない方が深刻だろう。日本国内で日本は豊かな国だから何とかなると思ってる?その理屈なら貧困国だって富裕層はいるよ。日本国内でも生まれた家柄や運不運でどうしようもない事だってあるのに。
アジアやアフリカの子供達に贈るお金で氷河期のフリーターを何人も雇えるんじゃね?
ちょっと前は聞いた格差解消や派遣村なんてのも、すっかり聞かなくなったね。今日本国内対象にした政治活動で盛んなのは脱原発のみ。消費税問題さえどうでもいいらしい。
所詮政治活動出来る人なんてのは経済的な勝ち組で、自分達の自己顕示欲を満たせるかっこいい活動しかしたくないんだろうなと思わざるを得ない。
世間じゃ「ゆとり世代の新人の無能っぷりが想像を絶してる」みたいなエピソードが散見されるけど
うちの会社ではむしろその逆の現象が起こってる。
まず学歴がすごい。東京阪大の学生が入ってくる。今まで弊社に旧帝の人間なんていなかったよ。
いやそりゃ今までもちらほらはいたけど、割合が高すぎるよ。こんなに高学歴ばっかりの採用なんて前代未聞だよ。
次に物覚えの良さすごい。
今自分の直下に高学歴の新人くんが入ってきて、教育中なのだけど、理解力すごい。
地頭が賢いだけあって、教えている内容の一歩先二歩先を汲み取ろうとしてくれているのがわかる。
「打てば響くように」って言葉がまさにぴったり。
めきめき使い物になっていくのでこりゃ3年もしたら俺クビになるんじゃねえか?とちょっと怖い。
あと「新人が挨拶しない」とか「コミュ力壊滅」とか・・・ウソだろ・・・?
挨拶はもちろんのこと話もちゃんと通じるし(当たり前だろw)、指示も通じるし、
飲み会にだってたまにならよろこんで付き合ってくれるよ。コミュ力高いよ。
部内では「あの子、うちみたいな二流じゃなくてもっといいとこに行けただろ」とみんな言ってる。
でも、それは「世が世なら」って話であって、就職氷河期だというからにはあんなに優秀なあの子でも、うちの内定で精一杯だったんだろう。
可哀想にな、苦労したんだな、君は悪くないのにね、と思わず同情してしまう。
せっかく優秀なのに氷河期に当ってしまって残念だね、でもその氷河期のおかげでうちに来てくれたんだもんね・・・。
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
そこを絶対に勘違いしないでほしい。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
正直、SEにまったく興味はなかった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の12月、寿退社した先輩の後釜にあてがわれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
翌年の12月、辞表を提出した。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
私立なのに、職員の給料も決して高くはない。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。